1. ねんごろ
  2. 【自分とはなにか】「私はこう..
【自分とはなにか】「私はこういう人間だ」は本当の自分なのか|自己像と変わっていく自分を考える
2026-10-26 16:29

【自分とはなにか】「私はこういう人間だ」は本当の自分なのか|自己像と変わっていく自分を考える

おたよりを送る

「自分はこういう人間だ」。


そう思っていても、実際の自分は、いつの間にか少し変わっていることがあります。


このエピソードでは、自分について持っているイメージと、実際の感情や行動、価値観の変化がどこまで一致しているのかを考えます。


たとえば、本音では腹が立っていても、相手との関係を考えて穏やかに振る舞うことがあります。


このとき、本音と建前のどちらが「本当の自分」なのでしょうか。


どちらか一方だけではなく、感じたことも、その感情をどう扱うか判断したことも、自分の一部と考えることができます。


また、「人と会うのが面倒だ」と感じた経験から、「自分は人付き合いが苦手な人間だ」と自己評価することがあります。


けれど、そのときの感情と、自分の性格についての判断は同じではありません。


経験を重ねると、以前は許せなかったことを理解できるようになったり、物事を見る基準そのものが少しずつ変わったりします。


一方で、「自分は頑固だ」「自分はこういう性格だ」という以前の自己像だけが、そのまま残ることもあります。


実際の自分が変わったあとも、自己像が過去の自分を基準にし続けているとしたら、自分についての理解には少しずつズレが生まれるのかもしれません。


「私はこういう人間だ」という認識は、今の自分そのものなのか。


それとも、これまでの経験から作られた一つの見方なのか。


自己像と、変わり続ける自分の関係を考えるエピソードです。


このエピソードは、Webメディア「ねんごろ」で公開している記事をもとに制作しています。


元記事:

https://nengoro.com/creative/jibun/02_self-image/


YouTube:

https://youtu.be/Q39GzpDne2I


このエピソードの音声は、生成AIを利用して制作しています。

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このエピソードでは、「私はこういう人間だ」という自己像が、現在の自分を正確に表しているのかを考える。会議で怒りを感じながら穏やかに対応した例から、本音と行動のどちらか一方ではなく、感じたことと状況を判断して選んだ振る舞いの両方が自分の一部だと説明する。また、一時的な疲れや人に会いたくない気分を「人付き合いが苦手」という性格全体の評価に結びつける危険性も扱う。遅刻した友人の事情を知って許せた例では、古い価値観が消えるのではなく、新しい可能性への思考経路が加わる形で価値観が更新されると語られる。過去の自己像を守る「専属弁護士」や確証バイアスは、変化を例外として扱い、行動の選択肢まで狭める。最後に、自己像は過去の経験に基づくセーブデータにすぎず、日々の反応の変化に気づいて問い直すことで、より自由な選択ができるとまとめる。

変化する自分と古い自己像
あの、今日このテーマを深掘りしていくにあたって、まずはリスナーのみなさんにちょっと聞いてみたいことがあるんですよね。
何でしょうか。 日常生活の中で、ふと自分の変化に気づく瞬間ってないですか。
例えば、昔の自分だったら絶対にイライラして腹を立てていたようなことでも、最近いつの間にか、まあいいかって気にならなくなっているようなこと。
あー、ありますねー。 なんか年齢を重ねて丸くなったのかなーなんて思ったりもしますけど。
そうそう。特に意識して心を広く持とうって修行したわけでもないのに、ある日突然自分の反応が変わっていることに驚くというか。
なのに、自分の頭の中にある私は怒りっぽい人間だとか、神経質な性格だっていう自分に対するイメージだけはずっと昔のまま変わらずに座り続けているんですよね。
これってなんかすごく違和感がないですか。 確かにそうですよね。
私たちは普段自分の性格や価値観を誰よりも分かっているつもりで生きていますから、でもその私はこういう人間だという固く信じている認識は本当に今のあなたを正しく表しているのかどうか。
なるほど。今回はそこを探っていくわけですね。 そうなんです。
私たちが無意識に抱えている自分自身への思い込みの正体とその背後にある脳のからくりを今日は一緒に解き明かしていきましょう。
自分自身への思い込みをちょっと見直してみるような時間になればと思います。
というわけでちょっと整理してみましょうか。
本音と建前はどちらも自分
自己像のズレを探る第一歩として、そもそも私たちは何を根拠に自分はこういう人間だって判断しているのか。
例えばこの前、職場の会議で同僚が私のちょっとした些細なミスをみんなの前で大げさに指摘してきたんですよ。
それは嫌な場面ですね。
心の中ではなんて嫌な奴だって怒りが沸点に達しました。
これが偽りざる本音じゃないですか。
当然の反応だと思います。
でも現実の私はその場でキレたりしないで、ご指摘ありがとうございます。次から気をつけますねって笑顔で大人の対応をしたんです。
これが盾前ですよね。
そうですね。立派な盾前です。
じゃあ心の中の怒り狂っている本音こそが本当の私で、
関係性を壊さないためにヘラヘラ笑った盾前の私は、ただ自分を偽った嘘の姿ってことになっちゃうんでしょうか。
そう思いがちですよね。本音だけが本物で、盾前は偽物だから切り捨ててしまおうって。
えーなんか盾前ってずるいというか、本当の自分じゃない気がして。
でもそれはもったいないですし、事実ではないんですよ。
事実じゃない。
はい。腹が立ったという心の中で自然に湧き上がる感情の事実、それと同時にこの人との関係性をここで壊すべきではないとか、職場の空気を悪くするメリットはないって、瞬時に優先順位を計算したわけですよね。
まあそうですね。一瞬で頭をフル回転させました。
そして笑顔を作るという行動を起こした、この両方があなた自身なんです。
盾前というのは単に本音を隠すための仮面なんかじゃなくて、あなたが状況を判断して選んだ立派な選択なんですよ。
なるほど。怒りを隠して穏やかに振る舞った時点で、私は怒りっぽい人でもあるし、状況を見て穏やかに振る舞える人でもある。両方ひっくるめて私の一部だということですね。
まさにその通りです。
一時的な感情と性格の混同
でも、人間ってどうしてもネガティブな感情の方に引きずられちゃいませんか?
会議の後に、ああ、やっぱり私はすぐカットなるダメな人間だ、みたいに自己嫌悪に陥ったりして。
それこそが、私たちが自己像を作る際によく陥ってしまう罠なんですよ。
罠ですか?
ええ、私たちは一時的な感情と高級的な自己評価を無意識に混ぜ合わせてしまうんです。
無意識に混ぜる?
例えば、今日はたまたま疲れていて、人と会うのが面倒だなぁと感じたとしますよね。
はい、よくあります。
これはその時の一時的な状態に過ぎないのに、そこから飛躍して、だから私は人付き合いが苦手で非社交的な人間なんだって、自分の性格全体にレッテルを張ってしまうんです。
経験による価値観の更新
ああ、実際の経験とそれをどう受け取ったかという解釈がごっちゃになっているんですね。
そういうことです。特定のネガティブな経験だけを切り取って、これが私なんだって思い込んじゃ。
でも、経験によって私たちの考え方って本当は少しずつアップデートされていくはずですよね。
ええ、ここで興味深いのは、その解釈によって作られた価値観の壁が、新しい経験によってどう変化していくかというプロセスなんです。
じゃあ、例えば遅刻を例にして考えてみましょうか。
はい、いいですね。
土砂降りの雨の中、待ち合わせに遅れてきた友人に対して、私は最初、
「ありえない!ルーズすぎる!」ってカンカンに怒っていたとしますよね。
ええ、雨の中待たされたら怒りますよね。
でも、友人が到着して、「ごめん、子供が急に熱を出して救急病院に連れて行ってから来たんだ。」って言われたら、怒りはすっと引いて、
それなら仕方ない。むしろ来てくれてありがとうって思うはずなんです。
そうですね。事情が分かれば納得できます。
でも、ちょっと待ってください。
事情を知ってその時は許せたからといって、私の遅刻は良くないっていう根本的な価値観が変わったと言えるんでしょうか?
ほう。
単に子供の急病っていう特大の免罪負があったから、今回だけ特別扱いしたに過ぎないんじゃないかなって。
なるほど。でも、まさにその特別扱いから価値観の変化は始まっていくんですよ。
え?特別扱いからですか?
はい。新しい情報を知って今回の判断が変わることと、判断基準そのものが変わることは確かに別物です。
ほい。
事情を知って許容できたからといって、じゃあ翌日別の人が遅刻してきたら、おそらく最初はやっぱり遅刻だって不快に思うでしょう。
それまでの思考の癖はすぐには抜けませんから。
やっぱり根っこの価値観はそう簡単には変わらないんですね。
え。しかし脳内では確実にある変化が起きているんです。
どんな変化ですか?
以前なら遅刻イコール悪という一本道しかなかったあなたの思考回路に、
もしかしたら何かやむを得ない事情があるのかもしれないという別のバイパスが通ったんです。
ああ、別のルートができたと。
そうです。古い遅刻は許せないという価値観が上書きされて消えるんじゃなくて、新しい視点と共存し始めるんです。
共存ですか。
そして経験を重ねるうちに反射的にイカるよりも先に別の可能性を想像するスピードが速くなっていく。
これが価値観がアップデートされるメカニズムなんです。
なるほど。パソコンの古いソフトを完全に削除して新しいソフトを入れるんじゃなくて、
古い価値観と新しい価値観が同居しながら少しずつ混ざり合っていくような感覚なんですね。
まさにそんな感じです。
自己像を守る確証バイアス
でもここで大きな疑問が湧いてくるんですよ。
何でしょう?
そうやって価値観や反応は少しずつ柔軟に変わっているのに、
なぜ私たちの私はこういう人間だっていう根本的な自己像だけは古いままフリーズしていることが多いんでしょうか。
ああ確かに。
冒頭の話に戻りますけど、周りの人から見れば明らかに丸くなっているのに本人は相変わらず私は頑固で怒りっぽいからって言い張る人っていますよね。
いますね。
それはですね、結論から言うと脳が手抜きをしたいからなんですよ。
手抜きですか?
心理学では自己概念とか自己スキーマなんて呼びますが、要するに脳って膨大なエネルギーを消費する機関なんですね。
なので毎日毎日今日の自分はどういう人間だろうってゼロから自分自身を計算し直していたら処理が追いつかなくなってパンクしてしまうんです。
ああ、いちいち考えてられないよってことですね。
そうなんです。
だから過去の経験から作った自分はこういう人間だというテンプレートを維持し続けることで、認知的な負荷を避けて心理的な安定を保とうとする防衛本能が働くわけです。
いや、ここからが本当に面白いところなんですけど、つまり私たちも頭の中にはあなたはこういう人間ですっていう過去の仮説を絶対に曲げない超優秀な専属弁護士が住みついているようなものですよね。
専属弁護士、いい例えですね。
私は頑固だっていう自己像を守るために誰かの意見に反発したときは、ほら見ろ、やっぱりあなたは頑固だって鬼の首を取ったように証拠として採用するわけですよ。
じゃあ逆に、あなたが他人の意見を素直に受け入れたときのことは、その弁護士はどう処理すると思いますか?
うーん、きっとその弁護士は異議あり、今回は相手のプレゼン資料が完璧だっただけで、私の依頼人の性格が柔軟になったわけではありません。単なる例外ですって揉み消しちゃうわけですよね。
そうそう、まさにそれです。
自己像が自分の都合のいいように記憶の証拠を捏造しているみたいですね。
その弁護士は本当に有能で、あなた自身に変化を気づかせないように巧妙に立ち回ります。これを確証バイアスと呼んだりもしますが。
よく聞く言葉ですね。人は自分の認識と一致する情報はスムーズに受け入れて、食い違う情報は例外として弾いてしまう。
だから実際の行動がどれだけ変化していても、フィルターが古いままなので、自分自身の変化に気づけないんです。
なるほどなぁ。
古い自己像が未来の行動を制限する
でも、過去の自己像が残っているだけなら、本人は気づいてないけど、周りは分かっているからいいやで済むかもしれないじゃないですか。
うん。
でも、この優秀すぎる弁護士の存在って、実はもっと深刻な問題を引き起こしませんか。
古い自己像が私たちのこれからの行動を制限してしまうという問題です。
おっしゃる通りです。これを少し大きな視点で捉え直してみると、その危険性がよくわかってきます。
例えば、自分は人付き合いが苦手だという古い自己像を強く持っている人の場合を考えてみましょう。
ある日、知人から面白そうなパーティーの誘いが来ました。
その誘われた瞬間、頭の中の弁護士がシャシャリ出てくるわけですね。
ええ。
過去のデータによれば、あなたは初対面の人とうまく話せず、気まずい空気になる確率が95%です。行くべきではありませんとか言って。
そうやって脅してくるわけです。
で結局、ごめんその日はちょっと予定があってみたいな感じで断ってしまう。
そうやって行動を制限し続けていれば、気の合う素晴らしい友人に出会う機会を自ら手放すことになりますよね。
確かにもったいない。
そして家で一人で過ごしながら、ああやっぱり自分は人付き合いが苦手な人間なんだって、さらにその自己像を強化してしまうんです。
自分自身で設定した呪縛の中で負のループを回し続けてしまう。
本当は思い切って言ってみたら楽しく話せる自分に変わっているかもしれないのに。
そうなんですよ。
まだ経験すらしていない未来のことまで、自分はこういう人間だから向いていないって勝手に判断して選択肢を潰している。
これってすごく怖いことですよね。
本当に。
本音と行動から立体的な自分を見る
じゃあどうすればこの弁護士を首にして呪縛から抜け出せるんでしょうか。
そこですよね。
もう心の中でどう感じたかみたいな曖昧なものは無視して、自分の行動のデータだけを客観的に記録すればいいんじゃないですか。
行動のデータだけですか。
はい。スマホのログみたいに、今週は初対面の人と3回も楽しく話したぞっていう事実だけを見せつければ、さすがの弁護士も反論できないですよね。
うーん、行動の事実だけをトラッキングするのも実は危険な落とし穴があるんですよ。
え、ダメですか。
先ほどの職場の会議で同僚に嫌味を言われた時の例に戻ってみましょうか。
あ、そうか。
気づきましたね。
行動のデータだけで判断すると、怒りを我慢して笑顔で対応した私は絶対に感情的にならない、いつも穏やかで優しい人として記録されてしまうわけだ。
でも心の中では怒りで燃え盛っていたわけだから、それも全然本当の私じゃないですよね。
その通りです。外側の行動だけを観察しても、その人が心の中で何を感じ、どんな葛藤を抱えながらその行動を選んだのかという内面は分かりません。
確かに外からじゃ分からないですもんね。
逆に心の中で感じたことだけで自分を定義しようとすると、関係性を守るために我慢して笑顔を作ったという、その選択の価値が抜け落ちてしまいます。
どっちか片方だけじゃダメなんだ。
だから、心の中で何を感じたのかという本音と、現実の状況の中でどう振る舞うことを選んだのかという行動、この両方を光と影のようにセットにして照らし合わせることで、初めて立体的な今の自分が見えてくるんです。
なるほど。本音と行動の間に生まれる葛藤、それ自体が今の自分らしさを形作っているんですね。
そう言えると思います。
自己像を問い直し新しい自分へ
ということは、もしリスナーの皆さんが、私はこういう人間だって無意識に決めつけている言葉があるなら、それは決して確定された最終形態じゃないってことですよね。
はい、決してそうではありません。
それはあくまで過去の経験を元にしたゲームのセーブデータみたいなもので、セーブデータは過去の進行状況を教えてくれますけど、これからゲームの中でどのルートに進むかを決めるのは、コントローラーを握っている今
の自分自身なわけで。
素晴らしい例えですね。
古いセーブデータに引きずられて、新しい選択を恐れる必要はないってことですよね。
そうなんです。古い自己像を間違っていたと的視する必要はありません。ただ、今の自分にもこの認識は本当にぴったり当てはまるだろうかと時々立ち止まって疑ってみる。
立ち止まって疑う。
ええ、その小さな問いかけが固まっていた価値観の壁にひびを入れて、未来の選択肢を大きく広げてくれるんです。
つまり、これってどういう意味なんでしょう。
今日お話ししてきたことをまとめると、私はこういう人間だという自己認識には過去の経験という確かな根拠はある。
でも、それはあなたという人間のほんの一部であって全てではない。
私たちは日々の新しい経験とか新しい情報との出会いによって、静かにでも確実にアップデートされ続けているんですよね。
間違いなくアップデートされています。
だから、頭の中にいる優秀な弁護士の、それは例外だという主張を押しのけて、今の自分、昔とは違う反応をしているなという小さな変化に気づくこと。
それができれば、私たちは思い込みの枠を越えて、もっと自由な選択ができるようになるということですよね。
はい。そしてですね、この話は非常に重要な問いを私たちに投げかけているんです。
何でしょう。
今日お話ししたように、自分自身の性格や価値観についての認識が、過去の経験の積み重ねやそれに対する解釈によって好転的に作られているのだとしたら、
私たちが日常的に、これが好き、これは嫌いと感じる、一見すると生まれつきのようなごく自然な感情や好みすらも、果たして本当に自分自身でゼロから決めたものなのでしょうか。
え、性格だけじゃなくて好き嫌いもですか。
あなたが絶対に譲れないと思っている好きや無意識に避けてしまう嫌い、それらもまた、実はあなた自身が選んだのではなく、
過去の経験や環境、周囲の人間の反応が作り上げた一つの枠組みに過ぎないのだとしたら、
なるほど。それすらも、あの頭の中の弁護士が作り上げたシナリオの一部かもしれないのです。
それは、なんか足元が崩れるような感覚になりますね。
自分らしさの根幹だと思っていた好き嫌いすらも、ただの過去の解釈の産物かもしれないなんて。
そう考えると不思議ですよね。
本当の自分を探す旅は、私たちが思っているよりもずっと奥深く、そしてスリリングなもののようです。
ええ。
リスナーの皆さんが今、好きだと思っているその気持ちは、本当にあなた自身のものですか。
この問いを胸に、ぜひ明日から自分自身の小さな反応の変化を観察してみてください。
はい。
そこにはまだ、あなたの知らない新しい自分が隠れているはずです。
それでは、また次回お会いしましょう。
16:29

コメント

スクロール