ああ、実際の経験とそれをどう受け取ったかという解釈がごっちゃになっているんですね。
そういうことです。特定のネガティブな経験だけを切り取って、これが私なんだって思い込んじゃ。
でも、経験によって私たちの考え方って本当は少しずつアップデートされていくはずですよね。
ええ、ここで興味深いのは、その解釈によって作られた価値観の壁が、新しい経験によってどう変化していくかというプロセスなんです。
じゃあ、例えば遅刻を例にして考えてみましょうか。
はい、いいですね。
土砂降りの雨の中、待ち合わせに遅れてきた友人に対して、私は最初、
「ありえない!ルーズすぎる!」ってカンカンに怒っていたとしますよね。
ええ、雨の中待たされたら怒りますよね。
でも、友人が到着して、「ごめん、子供が急に熱を出して救急病院に連れて行ってから来たんだ。」って言われたら、怒りはすっと引いて、
それなら仕方ない。むしろ来てくれてありがとうって思うはずなんです。
そうですね。事情が分かれば納得できます。
でも、ちょっと待ってください。
事情を知ってその時は許せたからといって、私の遅刻は良くないっていう根本的な価値観が変わったと言えるんでしょうか?
ほう。
単に子供の急病っていう特大の免罪負があったから、今回だけ特別扱いしたに過ぎないんじゃないかなって。
なるほど。でも、まさにその特別扱いから価値観の変化は始まっていくんですよ。
え?特別扱いからですか?
はい。新しい情報を知って今回の判断が変わることと、判断基準そのものが変わることは確かに別物です。
ほい。
事情を知って許容できたからといって、じゃあ翌日別の人が遅刻してきたら、おそらく最初はやっぱり遅刻だって不快に思うでしょう。
それまでの思考の癖はすぐには抜けませんから。
やっぱり根っこの価値観はそう簡単には変わらないんですね。
え。しかし脳内では確実にある変化が起きているんです。
どんな変化ですか?
以前なら遅刻イコール悪という一本道しかなかったあなたの思考回路に、
もしかしたら何かやむを得ない事情があるのかもしれないという別のバイパスが通ったんです。
ああ、別のルートができたと。
そうです。古い遅刻は許せないという価値観が上書きされて消えるんじゃなくて、新しい視点と共存し始めるんです。
共存ですか。
そして経験を重ねるうちに反射的にイカるよりも先に別の可能性を想像するスピードが速くなっていく。
これが価値観がアップデートされるメカニズムなんです。
なるほど。パソコンの古いソフトを完全に削除して新しいソフトを入れるんじゃなくて、
古い価値観と新しい価値観が同居しながら少しずつ混ざり合っていくような感覚なんですね。
まさにそんな感じです。
ということは、もしリスナーの皆さんが、私はこういう人間だって無意識に決めつけている言葉があるなら、それは決して確定された最終形態じゃないってことですよね。
はい、決してそうではありません。
それはあくまで過去の経験を元にしたゲームのセーブデータみたいなもので、セーブデータは過去の進行状況を教えてくれますけど、これからゲームの中でどのルートに進むかを決めるのは、コントローラーを握っている今
の自分自身なわけで。
素晴らしい例えですね。
古いセーブデータに引きずられて、新しい選択を恐れる必要はないってことですよね。
そうなんです。古い自己像を間違っていたと的視する必要はありません。ただ、今の自分にもこの認識は本当にぴったり当てはまるだろうかと時々立ち止まって疑ってみる。
立ち止まって疑う。
ええ、その小さな問いかけが固まっていた価値観の壁にひびを入れて、未来の選択肢を大きく広げてくれるんです。
つまり、これってどういう意味なんでしょう。
今日お話ししてきたことをまとめると、私はこういう人間だという自己認識には過去の経験という確かな根拠はある。
でも、それはあなたという人間のほんの一部であって全てではない。
私たちは日々の新しい経験とか新しい情報との出会いによって、静かにでも確実にアップデートされ続けているんですよね。
間違いなくアップデートされています。
だから、頭の中にいる優秀な弁護士の、それは例外だという主張を押しのけて、今の自分、昔とは違う反応をしているなという小さな変化に気づくこと。
それができれば、私たちは思い込みの枠を越えて、もっと自由な選択ができるようになるということですよね。
はい。そしてですね、この話は非常に重要な問いを私たちに投げかけているんです。
何でしょう。
今日お話ししたように、自分自身の性格や価値観についての認識が、過去の経験の積み重ねやそれに対する解釈によって好転的に作られているのだとしたら、
私たちが日常的に、これが好き、これは嫌いと感じる、一見すると生まれつきのようなごく自然な感情や好みすらも、果たして本当に自分自身でゼロから決めたものなのでしょうか。
え、性格だけじゃなくて好き嫌いもですか。
あなたが絶対に譲れないと思っている好きや無意識に避けてしまう嫌い、それらもまた、実はあなた自身が選んだのではなく、
過去の経験や環境、周囲の人間の反応が作り上げた一つの枠組みに過ぎないのだとしたら、
なるほど。それすらも、あの頭の中の弁護士が作り上げたシナリオの一部かもしれないのです。
それは、なんか足元が崩れるような感覚になりますね。
自分らしさの根幹だと思っていた好き嫌いすらも、ただの過去の解釈の産物かもしれないなんて。
そう考えると不思議ですよね。
本当の自分を探す旅は、私たちが思っているよりもずっと奥深く、そしてスリリングなもののようです。
ええ。
リスナーの皆さんが今、好きだと思っているその気持ちは、本当にあなた自身のものですか。
この問いを胸に、ぜひ明日から自分自身の小さな反応の変化を観察してみてください。
はい。
そこにはまだ、あなたの知らない新しい自分が隠れているはずです。
それでは、また次回お会いしましょう。