『自分とかないから』を読んだきっかけ
はい、こんばんは。今日は、自分とかないからっていうね、本についての感想と、ちょっと私が感じていることを話したいと思います。
私は京都でアクセスバーズのサロンをしているんですけど、その瞑想とか自分を整えることをやってきたんですね。
まず自分を満たして整えないと、お客さんもね、あの満たされないかなと思ってずっとやってきてるんですが、
あの、やっぱり学んできていることはね、自分が本当に生きるのが辛かったので、苦しかったので、どうしたら生きやすくなるのかなと、どうしたらこの苦しみから抜け出せるのかなと思ってやってきたことばっかりなんですよ。
その哲学的なことを学んだり、アクセスコンシャスのね、学びをしたりっていうのは、あの、軽やかになろうとか本来の自分に戻ろうとかね、
頑張らなくてもいいよ、みたいなその考え方を学んだのは、その自分が生きやすくなるためなんですよ。
それをシェアしているという配信なんですね、これ。で、この自分とかないからの本のね、あの著者の方も、その東洋哲学を学び、
自分自身が結構波乱万丈な東大に行って、一流企業に勤めて、それをやめてニートになってとかね、芸人を目指したりとか、いろいろ試すんだけど、なんか自分に合わなかったらやめて、みたいなこう、結構苦悩の人生なんですよ。
で、やっぱり東洋哲学に救われたって言って、その学んだことを書き溜めた本というか、皆さんの役に立ったらっていうね、
この作者の方の意図が素晴らしいのは、いっぱい本が売れたいという意図で売ったんじゃないんですよ。
必要な人に届けばいいなっていう、その意図が私と同じやなと思ってて、私もこのサロンをね、できるだけたくさんの人に広めたいとは思ってなくて、
本もそうですけど、必要な人に必要なタイミングで届けばいいなっていうだけなんですよ。
ということは、もうずっとない時もある、それでもこう予約がね、来る時もあるっていう、その毎日毎日こう満員オンレイみたいな、予約で埋まりましたみたいなのは興味がなくて、そういうことではないかなと思ってるんですよ。
思考と肩書きを剥がした先の自分
で、まあこの本の話に戻りますけど、タイトルのね、自分とかないからってどういうことだと思います?
これなんですよね、みんなこれ話題になって何十万部突破とかなってて、面白かったとか読みやすいとか言ってるけど、このタイトルの意味をわかるのかなと思って、
私はなんかこうタイトルを見て、きっとそういうことかと思って読み始めたら、もうドンピシャやったんですよ。
アクセスってその学ぶんですけど、思考ね、この思考っていうのはほとんどがもう90何パーセントか以上はあなたのものじゃないっていうのを学んだんですね。
結構これ衝撃でショックやったんですよ。どういうことって、私のものですけどと思ってね。
でもよくよくずっと何年もこうやっていくと、確かに誰かから聞いたこととか、SNSで見たこととか、親から言われたこと出てきてるなぁみたいな、学校で学んだこととかね。
じゃあ一体私のものって何なんだっていうね。 なんかそこと通じてて、結局この本に書いてあることは自分なんかないと。
で、ちょっとね、私の解釈の話をしたいんだけど、これちょっとすごい大事な話で、自我やね、自分、私はこういうものだとか、私は社長なんだとか、誰かの妻なんだ、誰かの夫なんだとかね、いろいろな肩書きがあるじゃないですか。
そういう役割っていうラベルをペラペラ剥がしていったら、何が残るのっていうこと。
私ね、自分のね、家族が全員亡くなった時、家族全員、そして犬も、この愛犬の飼い主、誰かの妻、誰かの子供。
で、子供さんがいらっしゃる方は誰かの親なわけじゃないですか。母をやってる、父をやってる。
まあ子供さんがいる限りはずっと、そうですね、父であり母であるのかもしれないけど、なんかでもよく言うじゃないですか、もう誰かの母とかも嫌だ、私に戻りたいとかあるじゃないですか。
で、私の前は子供がいないので、全部こういなくなる瞬間があるんですね。
私ね、それがね、結構楽しみというか、普通の人間やったらね、寂しいとか孤独がとか言うけど、もう孤独とかそういうのはもう通り越えてるんですね、私の場合は。
全部のラベルを剥がしたらね、本来の私が出てくるんじゃないかなと、その時も究極に軽やかで、究極に自由なんじゃないかな、楽しみやなと思ってるんですよ。
多少は寂しいけれども、楽しみなんですよ。
自然の一部としてのワンネス
で、本来の自分に戻るって何かって言ったら、それね、ちょっと考えたんですよ、本来の自分何か。
これね、もうね、ちょっと多くの人分かってないと思うんですけど、本来の自分。
自然の一環になるっていうことだと思ってて、結構最近ね、瞑想してて、自然の中でぼーっとしてると、この木とか風とかの一部なんちゃうかなって感じることが多くて、何もないんですよ。
じゃあ何もないんちゃうって思ってたんですね。
ってことはこの本のタイトルなんですよ。
自分…何やったタイトル?
自分なんかないって言ってないでしょ?
自分とかない。
自分のことを自分なんかって言ってない。
自分とかないからっていう。
このね、作者らしいなと思ってこのタイトル。
あの、大阪の人でね、関西弁なんですよ。
自分とかないでって言ってんの。
空っぽになることと死への向き合い方
だからもうね、あのね、この学びを全部本に書いて、解き放ってもうばらまくんだと。
どうぞ必要な人がもう僕の何十年の学びを受け取ってくれと、シェアしますと。
そしてみんな幸せになるがいいさ、みたいな感じでね、鳩に餌をばらまくように、この学びをばらまいて、受け取るべき人が受け取ればいいみたいなね、必要な人に届けばいい。
その後残ったもの、自分空っぽになる。
気持ちいい、みたいな。
あのね、私もね、その全部をなくした時に、一人になって、もうなんか気を使うものがなくなった時に、なんかこう本にね、自分のこう反省とかを書くとして。
この著者がね、もう書きながら、だんだん自分が消えたって言うんですよ。
だんだん自分がなくなって気持ちよくなった、空っぽの気持ちよさを覚えておく、全ての人に感謝みたいな。
書いていって出していくっていうね、でも何者でもなくなっていくっていう、出し切る、何もないっていう、この空っぽっていうことの気持ちよさの話なんですよ。
だから自分なんてないなんですよね。
もう、なんかね、私ね、自分でなくなりたいなって結構思ってて、自然の中でこう瞑想とかしてると、気になりたいなってすごい思い始めたんですよ。
木とかもう草とか、だって何もないじゃないですか、こう余計なものが。
ただあるだけっていうのは、ありのままっていうのは、木でいるとか花でいるとか、そういうことなんじゃないかなと思ってね。
で結局その、ここで言われてるのはその、全ては一つやと。
ちょっと話長くなるんですけど、一言で言うと一つやっていうことなんですよ。
だからアクセスコーシャスなネスっていうね、ワンネスっていうことと繋がってるなと思って。
あなたも私も一つ、自然も木もコップも道も空も私も一つっていうことなんですよ。
だからもう、私がとかね、私はこうなんだ、あなたは違うでしょって境界線引いてるじゃないですか。
境界線も幻やと。
そのね、幻ってね、この地球で人間でいる限りテーマパークでのルールがありますよね。
境界線って必要なんですよ。私も生きていく限り境界線を作って生きてるんですけども、宇宙的に見たら、
その境界線も幻。私がとかこういう人間なんですとか言ってるその思考は幻。
自分なんてないんやっていうところなんじゃないかなっていう解釈なんですよ、私の。
で、ここまでね、分かって読んでる人どれくらいいるのかなと思って。
私もね、あの、なんかね、もうすっごい本やなと思って。
その自分なんかないところに生きたいと思って。まだまだあるんでね、自分が。
すごい我の強い自分というものを持っている人間なので、それをなくしたらどうなるんやろうっていう楽しみがあって。
うん、こんだけ作ってきてね、自分を。
そのなくしていく作業を、残りの反省でやっていくのかなっていう。
もう手放しを徹底的にあったってことやね。もう断捨離、手放し、そして肩書きのラベルを外していく。
で、それね、ずっと問いかけをやってて、それで死ぬことなんじゃないかなっていうね。
何者でもないところに戻るって死ぬこと、死ぬ手前のことをやってるんですよ。
でね、その、もう気になってもいいとか、もうワンネス意識とか一つってことを知る人間っていうのは、そのことが腑に落ちた人間っていうのは、死というものを恐れないんですよ。
私はね、今恐れないところに来てるんですね。
あの、今すぐ死にたいとかじゃなくて、やっぱ刺されたりしたら怖いし、それは死にたくないんですけど、自然死というか、寿命が来て静かにこう全うしたいなっていうのが、
それがすごく楽しみやなって思ってるんですよね。
だってもう悔いのない人生を送ってきたんでね、あとはこう眺めるのが楽しみというか、その生きですよね、もう。
で、残りの人生はもう結構あるんでね、あと何十年かあると思うので、
おいしいものを食べて、愛犬をね、もうなるべく、もう楽しく穏やかにおいしいものを食べさせて、楽しく暮らして、まあ家族まだいるのでね、残ってるから、まあちょっとこう見て、最後まで私が見て全員を、
そしてもう役割の、役割という衣装を脱いだらね、
はい、この舞台、お疲れ様でした。フィナーレですよ。
まだそこでは死なない。で、その素の自分になった時に、軽やかに旅をしたりとか、
本当の意味での本を書いたりとかね、してその、
まあ残していってもいいし、この地球に、本当にその書くときは、
もうエグいものがあってね、ちょっと今は書けないんですけど、まだ、
残していこうかなと思いますよね。
そんな感じなんですよ。自分とかないから、
働くこととサロンへの思い
これはね、ちょっとこう同じように、
まあそれぞれの感想、もしあったらレターをください。私はそういうふうに思って、ものすごく好きなんですよ。
結局はその東洋哲学は、楽になるため、そして働くとは気持ちいいため、
あー働くって気持ちいい、貢献できて、手放せてみんなにね、役に立って気持ちいいっていうところだけ、
っていうようなところにね、あのたどり着いたなっていう、また私のサロンもね、役に立てて嬉しい、
映画を見れて嬉しいというところでやっているので、というようなお話でした。
おすすめです、この本。ぜひ読んでみてください。