紅葉八幡宮の役職と創建
下田文代 リーダーズストーリー
こんにちは、RKBアナウンサーの下田文代です。 この番組では、毎週お一人の福岡、そして日本の経済を支えるリーダーたちの、これまでの人生、そしてこれから開く未来のストーリーを語っていただきます。
今日のお客様です。福岡市沢楽高鳥の紅葉八幡宮、禰宜 平山道宣さんです。ようこそお越しいただきました。
こんにちは、ありがとうございます。
平山さん、食いと言っていいんでしょうか。ネギということですが、これはどういう意味なんですか。
これはですね、神社の中での役職名になるんですけれども、分かりやすく皆さんがよく言うのはグーディ。
グーディさん、グーディさん、あれは会社でいう社長になるんですよ。
大きい神社だと、その次にゴングーディさんという方がいらっしゃるんですけれども、この方は副社長。
その次にネギという役職があるんですが、当社の紅葉八幡宮の規模だと、宮司の次席はネギという役職になりまして、だいたい専務とか常務とか、そういったイメージですかね。
そうですか、ぐっと親近から終わってまいりましたけれども、この紅葉八幡宮は歴史が長いもので、これどういう由来があるんですか。
そうですね、当社の始まりは諸説あるので、一説に言われているのは平安時代が始まりだとはされているんですけれども、ちゃんと御舎伝ができてお祭りをされるようになったのは室町時代になりまして、1482年に創建なんですけれども、
それはですね、今で言うとですね、西区の橋本、紅葉モールがあるんですけど、あそこの横に今橋本八幡宮という神社がありまして、あの場所が創建の地になるんですけれども、その時は村の守り神様として創建をされておりまして、
黒田藩の守護神としての移転と現在地
で、そこからちょっとしばらく地元の神様として地域に親しまれてたんですけれども、その後ですね、三代目の藩主、光之皇になると。黒田藩の守護神にしたいと。西区の橋本のところからお城の近くに神社をごそっと持ってくる。その場所が西神になるわけなんです。
その当時の神社というのはすごく大きくて、今ですね、西神地域に住んでいる方は想像ができると思うんですけれども、周遊館高校がありますけれども、そこのですね、東側にドンキホーテがあるんですよ。
で、あそこが境内の端っこになりまして、そこからずっと東に進んでいきますと、バッティングセンターがあって、衛神館があって、ガストがあって、で、ヒー川っていう川があるんですけれども、そこまで。
で、南北に至っては明治通り沿いのプラリバっていうところがちょうど鳥居があった場所になりまして、そこからヨカトピア通りまでが神社の跡地に。
そうなんですか。
相当広い神社で、お殿様の守護神でありますから。それで、この地域の人たちが常にお参りをするような神社として、ずっと親しまれてきて。そこから、今あるもみじ山、高鳥にある場所っていうのが小高いところにありまして、そこはもともと神社があった場所なのでですね。
稲荷神社って神社があったので、そこがもともと神社を建てる場所なので、やはり神聖な場所でしたので、そこに今の場所に移ってきているという流れですね。これ大正時代ですね。
長い長い歴史がありますね。起こりは平安時代、そして江戸時代は黒田藩の守護神でして、そして現代では今、福岡市、沢楽、高鳥のもみじ山にあって。ずいぶんとちょっと小高くなっていて、眺めも良いんですけど。
そうですね。かつてはすごく眺めが良かったと聞いてます。というのも、当社があるところから、南には油山、西側には銘の浜、東側は福岡城、北側には海が見えていたというところだったんですが、当時は一軒家ばっかりですから。今はですね、マンションがどんどんどんどん増えてきているので、何個かマンションに高さは追い抜かされているところではあるんですが。
ただ当社からはですね、やはり綺麗に福岡タワーが見えるようになっておりまして、その左側にはRKBさんも。
この本社をね。
しっかりと。
そうなんですか。なんか守られているような感じですね。
一応この桃地浜の宇治神様にもなりますからですね、当社が。
そうですか。その都心にありながらその心の拠り所のような存在であると思うんですけど。
もうかなり当社は特に珍しいんですけど、子供の神様として数形を集めておりますので、そこに関わる暗算祈願とか、あとお宮参り七五三というのはやはりかなり多い神社にはなりますね。
もみじ八幡宮の名前の由来と祭り
そしてこれから季節を迎えることになると思いますけれども、秋が深まりましたら紅葉の季節、とても美しいと伺っておりますが、そのもみじ八幡宮って名前の由来でもあるんですか。
これはですね、皆さんもみじを連想するんですが、実はももち。
ももち。
はい、地名由来になります。
そうなんですか。
実は当社がさっき西陣にあったときに広大な敷地を持っていたんですけども、あの時にですね、神社の北側、今西南学院大学のところに松がいっぱい生えてるんですよ。
あれをですね、ももち松原っていうんですね。
別名を、名前ってかわからないですけどもみじ松原っていう風に呼ばれていて、そこにあった八幡宮なので、ももち八幡宮だったりもみじ八幡宮だったり呼ばれるようになり、
結局最後はその福岡のお殿様の黒田藩の書物にもみじ八幡宮っていう風に書かれるようになったので、正式名称がもみじ八幡宮で固定したという。
そうなんですか。なんか福岡のトリビアと言いますか、クイズになりそうなね。
そうですね。
名前の由来でいらっしゃいますよね。これから秋に向けてのこの大祭なども控えていらっしゃるんですか。
そうですね。今年は11月の28日、29日の土日がもみじ祭りと言いまして、山道のライトアップであったりとか、あとは和傘明かりであったりとか、とにかくフラッと来れるような、そういうもみじのイベントっていうのを予定しています。
世代を超えて思い出を受け継ぐ神社
そうですか。これからどのように人々に寄り添いたいという思いが終わりですか。
そうですね。それは神社っていう場所は変わらない場所だと思うんですよ。
なので変わらない状態で待っておけるような場所で、世代を超えてもっていうところはかなり意識しています。
私の代と私の子供、孫、顔も見えない子供までその場所を残し続けるために、今自分が何ができるのかっていうのを常日頃考えておりますので、今はとにかく皆さんの思い出の一部に神社がなるように動いています。
そうですね。福岡の都心部博多もそうですけども、変わりゆく景色の中で変わらないものっていうことでしょうか。
そうですね。この話は私大変ありがたいことに、太宰府天満宮の前の宮司さん、今はかまど神社の宮司さんになられるんですけれども、西高津寺宮司からお話をしていただいたところがあって、
神社っていうのは世代をまたいで愛される場所で、親が撮った場所と同じ場所で子供が写真を撮るっていうのが、そういったところで思い出がどんどん紡がれていくと。
同じ姿でなるべく守っていかなきゃいけないって話をいただきまして、それにすごく私も感銘を受けて、その通り今進めているところですね。
未来が見えるような話でした。
今日のお客様は、もみじ八幡宮根木の平山道吉さんでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。
来週もお小さい時のお話などを伺いますので、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
お相手は下田文夫でした。それではまた。