梓書院の概要と出版への取り組み
下田文代リーダーズストーリー
田村志朗さんです。今週もよろしくお願いします。
梓書院は福岡の出版社で、歴史がどれくらいになりますか?
54年目になりますね。
そうですね。RKBラジオにとっても、なじみ深い本が出ておりますね。
もう大変です。
立川翔司さんのニュース落語ですか。
これもね、シリーズ化して。
大人気でございます。
そうですか。
本当にありがたいと思います。
ありがとうございます。
今、出版不況と言われる中で、田村さんご自身は事業を受け継いで、どんな工夫をされていますか?
そうですね。出版不況で言うとですね、確かに活字離れはすごいなと思ってはいるんですが、
私自身はですね、紙の本がなくなるんじゃないかとよく言われて、時々公演でしゃべるんですけど、
私としてはその中身が一緒と思っているんですね。
ですので、紙の時代が長すぎたんじゃないかなと思っていまして、
今は電子と紙の過渡期なんですよね。
分かりやすい事例がですね、私の息子が2人いるんですけど、
息子が小さい時にですね、iPadで絵本を読んでたんですよね。
彼らからすると、おそらく紙ブックじゃなくて、それ自体がブックなんですよ。
便宜上、今は電子ブックと分けてますけど、
彼らからするとブックなんですよね。
例えば、我々今、メール使ってますけど、
当時はメールがこんだけ普及する前は、便宜上電子メールって言ってましたね。
確かに。
今は電子メールって言わないでしょ。
言わないです。
メールメールって言ってますね。
同じように電子ブックって今言ってますけど、
若い方たちにしたらブックなんじゃないかなと思っているんですね。
なので当社としては、両方対応できるように電子ブックもありながら事業展開もしてますね。
そうですか。
おそらく出版社でいけば本を作るしかできないと思い込みがあったので、
もしその考えだと今頃多分会社が潰れてると思うんですよね。
やっぱりいろんな、異業種交流会とか行く中で先輩経営者に教えてもらったことが、
田村君の会社は出版社じゃないよねと。
物語を作る会社だよねっていう風に教えてもらいました。
ピンときてですね、確かに物を売るんじゃなくて物語を作るのが我々の仕事ということで、
やっぱりお客様の頭の中にある物語を見える化して広めていくことが我々の仕事であって、
出版社であるんですけど、出版社じゃないというか物語カンパニーというふうに我々も事業展開を変えていってますので、
その中の一環でですね、電子ブックも含めてちょっと少し広く撮ろうとしているところが良かったかなと思っております。
漫画もやってますし。
福岡での出版社のメリットと海外経験
そうですか。母親の時代は福岡で流通の面でもマイナスというか大変にご苦労もあったと思いますが、
今東京以来の出版社としてこのメリットデメリットどんなところがありますか?
一つ目は圧倒的な固定費ですよね。
失礼ながら今東京の出版社がどんどん潰れていってまして固定費も高く、本が売れないわけですよね。
やっぱり人気費も高いので、逆に当社のような小さな出版社でも東京の印刷会社さんが仕事ないですかって聞きに来るような時代ですし、
東京で働いた方が出版の仕事したいということで当社に毎日のように履歴書を送ってくるんですよ。
当社は採用には困ってないですね。
ただそんなにお金も払えないので難しいですが、逆に言うと福岡でやっていることの方が当時に比べて今のメリットはあるというのと、
アジアにも目を向けてますから、アジアの関係の本とかも出しやすいので、そういった意味では東京とかよりも福岡にあった方が良かったなと。
流通も当時は流通がなかった中で山友さんとか佐川さんとかが頑張ってくださっているので、そういった意味では流通が非常に楽になっているのでそういった面もあるのと、
インターネットの普及もあるからそういった意味では大変助かる時代になっているので、福岡でやって良かったなと今では思っています。
そうですか。
田村さんは留学の経験もありで、どんな日々でしたか。
イギリスの方に30年前になりますけど行きまして、当時はバブルがはじけて間もない頃でたまたま企業奨学金がまだあったんですね。
私は岡山にあるオハヨー乳業さんから奨学金をいただいてイギリスに行きまして、留学をさせてもらって勉強をずっとしておりました。
そうですか。その当時は出版社を引き継ぐんだなというお気持ちでしたか。
当時はあんまりなかったんですよね。やっぱりちょっと海外に憧れもあったのと、たまたまイギリスに行けたんですけど、私が当時クイーンというブリッジロックバンドが好きだったので、クイーンに憧れたりビートルズも好きだったのでイギリスに行けたら良かったと思ったので、
向こうでも就職口を見つけてイギリスに住もうかなと思っていたぐらいだったので、あんまり継ぐっていうのはなかったんですね。
でも結局は継承することになって。
家業の継承と余暇の活動
そうですね。これはもう少し照れくさいんですけど、母が40歳の時に私を産んでくれたので、高齢出産ですね当時。
やっぱり当時私が20代だったので60歳過ぎてて、電話をした時に就職期間当たって電話したんですけど、ちょっと疲れた感じだったんですよ。
これなんか親孝行って生きてるうちにしかできるなと思って、ちょっと帰ろうと思って、就職先に頭下げて、もうちょっと帰ってくる道を選んだっていう。
でも結果今どうですか?
そうですね。母はまだ元気ですし。
おいくつですか?
89歳ですけど、少し母を喜ばせているのかなと思っているので、それは帰ってきておこうかなと思っています。
田村さん、お忙しくお過ごしだと思いますけれども、何か余暇で楽しんでいらっしゃることはありますか?
余暇というか、体の健康も大事なので、10年以上前から100キロオークっていう大会に毎年出てまして、
ユクワシベップの100キロオークという大会があるんですけど、これ10月のサンレイクにあるんですけど、一応これにずっと出てまして、今のところ11回かんぽしてます。
これ何日くらいかけて?
私は18時間から20時間くらいでだいたい歩くんですけど、もう寝ずに歩きます。
すごい体力。その日のためにはやっぱり観念を重ねたりするんですか?
結構参加者も多くて4000名くらい参加してますね。
どうですか?
きついですね。健康のために出て、不健康になって帰ってきますから、もう爪も剥げますし、豆もすごいしですね。
でも何かやり遂げたっていうのがあるので毎年出てますね。
そして日焼けもしてらっしゃいます?
山傘に出ておりまして、土井流れから出ておりますので、ちょっとガッツリ焼けております。
先週と今週のお客様は株式会社アズサー松院代表取締役社長田村志郎さんでした。
どうもありがとうございました。
お相手は下田文夫でした。
それではまた。