1. 古代の福岡を歩く
  2. S4 11回目も神功皇后の足跡..
2018-12-15 30:29

S4 11回目も神功皇后の足跡が残る神社を紹介していきます。

朝倉市の美奈宜神社の社名の美奈宜は地名の蜷城(になぎ)からきているそうです。

この地域は羽白熊鷲に苦しめられた地域だったそうで、これを救ってもらおうと神功皇后に頼むのです。すると、神功皇后は神に祈って塩干る玉を使って川の水をからからにし、川蜷に頼んで一晩で城を作り、塩満玉を使ってこれに城の壕に水を入れ、水攻めにして滅ぼしたということです。これが社名の由来だとか。

皇后軍の羽白熊鷲の攻撃は朝倉市を流れる二つの川をうまく利用しています。

羽白熊鷲の根拠地古処山を東の佐田川と西の小石川の両方から攻めています。

その東の川近くに美奈宜神社が、西の川近くに大己貴神社があるのです。
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古代の福岡を歩くシーズン4
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その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン4
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こんばんは、坂田集大です。
今夜は先週に続き神宮恒豪の伝承が残る神社を紹介していきます。
話は八郎熊橋との戦いに入っています。
お話を神宮恒豪伝承を歩くの著者、綾杉るなさんに伺います。
まず、浅倉市の美凪神社です。
これは林田というところにある美凪神社です。
浅倉市にはもう一つ美凪神社、同じ名前の神社がありますので、その辺のお話から伺っていきましょう。
もう一つは別のところにあるんですね。
はい、そうですね。今の林田の美凪神社は筑後川のほとりにありますけれど、
03:00
もう一つの美凪神社は寺内ダムを下ってきたところの稲井丸というところにある神社です。
まず最初の林田にあります美凪神社から伺っていきます。
ここの御祭神はどういった方ですか?
スサノオの美凪、オオナムチの美凪、コトシロヌシの美凪ということで、出雲系の神様が祀ってらっしゃいます。
この神様たちは神宮恒豪が朝鮮出兵する時に船の中でお祭りした神々で、この神々のおかげで無事に凱旋できたということで、
こちらの白鷺居塚というところにお祭りされた、それが始まりだと言っています。
そうですか。この美凪神社の美凪ですけれども、この社名の由来はどういうふうになっているんでしょうか?
もともと二名の城といって南蛮岐セルですね。
ああ、二名という方法と関係のある。
そうですそうです。1センチぐらいの小さな貝ですね。
この二名貝が作ったお城を二名岐と言っていたのが生まれて美名岐となって、それが美しいという字が当てられるようになったということですね。
ここにも何か言い伝えが残っているんですね。
はい、そうですね。ここの村も昔八六間橋に苦しめられた人たちが住んでいまして、神宮皇后が来られた時に大事を頼んだということですね。
すると神宮皇后は神様に祈られて御託銭を受けまして、塩昼玉を使って川の水を殻にして、川二名に頼んで一晩のうちに城を作り、その次には塩三玉を使って一度に水を入れて水攻めにして滅ぼしなさいとお告げがあったわけですね。
そこで神宮皇后が川二名に頼んで一夜城を作ってもらった。八六間橋たちが怪しいと言って山を下ってきた時に水攻めに合わせて滅ぼしたと伝わっています。
はい、この美渚神社と大名口神社、その二つ右と左にありまして、その中央に古書山という山があるということなんですか。
はい、古書山と秋月の方から川が二本流れていまして、一つが小石原川ということで、ここに神宮皇后たちの本陣があるわけですね。今からいよいよ敵に善意をさらけ出して戦わなければいけないというわけです。
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一方この佐田川というのは神宮皇后が八六間橋を討伐した後に降りてくる川なんです。それで私の想像ではありますけれど、もし小石原川沿いを本陣だけで本体だけで攻めていくと非常に危険だと。
そこで何とかして敵を分散させるためにこの林田の美渚神社の方にも軍勢を集めまして、そして二つの川から両方山に向かって攻めていこうとした作戦だったのではないかと。そこで川の二つの川にそれぞれの伝承が残ったのではないかと考えたわけです。
東の方に佐田川という川が流れて、その佐田川の近辺に美渚神社というのがありまして、西の方に小石原川というのが流れて、そちらに大名持神社があって、その中央に古書山というのがあると。
奥の方ですね。
奥の方ですね。ということでその両方から攻めていったんじゃないかということですね。
まず林田の美渚神社でした。今度は浅倉市の及松神社です。ここはどういう御祭神ですか。
神宮皇后と菅原神と吉祥寺ということで、及松神社といえばこの菅原道真が祀られているところなんですね。吉祥寺というのは祖の奥さんということになります。ですからこれは後からの神様で、古くは神宮皇后が祀られているということです。
ここの御祐師は。
神宮皇后がここに来られた時に神影を敷いた場所だと伝えています。
いくつかあるんですね。
ここは御府の森と言いますけれど、7箇所神宮皇后は神影を敷いたと。その名前を七日森と言ったわけです。その一つがここだったということですね。
御府の森って言いました。
この及松神社に参拝しまして、拝殿の裏に出ると御祖さんがよく見えるんですね。
後ろからよく見えるんですね。
これを見て兵隊たちが逃げるのも無理ないかなと思いました。
09:06
でもわずか1キロ半先なんですね。
ですからその手前にある山からもし敵が降りてきたらもうすぐに戦わなければいけないようなそんな場所に御府の森があったというわけです。
森というのは守りから来た名前かもしれませんね。
神のことを森とこちらでは言うようです。
御府の森という森があるという浅倉市の及松神社でした。
今週は神宮皇后の伝承が残る神社を紹介しています。
今度は浅倉市の水曜神社です。
たれるという字と余裕のゆうという字で水曜神社と言います。
ここの御祭神はどういう風になっていますか。
こちらは黒田長沖公の御霊を祀っているところです。
長沖公といえば14歳の時に秋月城に入城されたということで、亡くなった後にこちらをお祭りしているというわけです。
水曜神社といえば黒門で有名ですよね。
秋月に入りますと杉の場場というまっすぐのメインストリートがありまして、手前に野鳥という地名があって、川も野鳥川と言いますけれど、そこからまっすぐ杉の場場を行きまして、一番奥のところに鳥が見えてきます。
そこから石段を上がると黒門がありまして、もみ地で有名なところですが、
ここはこの後ものすごく厳しい石段がありまして、上まで行くと神社があるわけですけれど、この黒門の周囲に神宮皇后が神影を敷いたという話がありまして、
七日森の一つの梅園の森と言われています。
野鳥というのがここに実際に出てくるんですね。野鳥、これは字がちょっと違いますが、野鳥と書いてね、野鳥橋。
この野鳥田村ということですか、このふれというのは。
ふれという言葉は村の古い言葉ですね。
多分この荷物を持っている田んぼという字から推測すると、八六間私たちはたくさんの荷物をいつも持っていたんではないかなと。
12:08
そういうのが野鳥田あるいはいないばるという地名になったのかもしれませんね。
なるほど、野鳥というのは荷物を持つと書いて、野鳥、これは読めませんね。
そうですね、いい言葉が残っているんだと思います。
そしてこのあたりに熊橋一族の武器庫みたいなのがあったと思われるんでしょうか。
そうですね、先ほど言った厳しい石段を登っていきますと、小さい山のピークに出るんですね。
その山の上を平坦に削りまして神社が建っているわけですけれど、こういう形の神社が神宮神戸伝承地にはいくつも出てきます。
ほとんどが稲荷神社が祀られているんですね。
ですから、ここももしかしたらですけれど、この八六間私たちが武器をここで作って、そして保管をしたんではないかなと想像しているわけです。
はい、浅倉市秋月野鳥の水曜神社でした。
今度はやはり秋月ですけれども、浅倉市神秋月の秋月八幡宮です。
ここの御祭神は。
はい、大神殿の甲羅狼、住吉狼となっています。
これは先ほどの水曜神社を通り過ぎまして、一番奥に行きますと山に入っていくわけですね。
その山をダラダラと登っていった、やっぱりピークにこの秋月八幡宮があります。
こちらには平安時代に藤原の住友の乱というのがあったんですけれど、それを鎮圧するために福岡にやってきた大倉の春座根という人が、ここは神宮皇后の宮石だからといって、戦勝祈願に来たところなんですね。
おかげで戦に勝つことができたということで、ここに武士たちの守護神として神社を作ったと伝えられています。
ここは宮園の森というところになるんですか。
そうですね。福岡県神社寺によりますと、ここには七日森の一つの宮園の森があったということが書かれています。
15:02
それで陣営を敷いたということは、敵は逃げてしまったということになるわけですね。
それで神宮皇后たちは、八六魔師たちが逃げていくのを追いかけながら陣営を敷いていったというのが、これでわかったわけです。
なるほど。
七つの陣営がありますよね。追いかけながらといいますか、敵をやっつけながらどんどん陣を敷いていったということですね。
先ほどの水曜神社が梅園の森というのが出てきましたけれども、今度は宮園の森という陣営ですね。
ここが意外と広い神社でして、この周辺が厳しい崖になっていますけれど、土器がたくさん出てくるそうなんですね。
神様を祀りするための土器が出てくるということから、かなり昔からここは聖地として祀られていた場所だろうと。
もしかしたら梅園熊足たちにとっての聖地で山城を兼ねていたのではないかと。
そこに皇后軍が追いついてきて、戦って負けて、さらに逃げていったというわけです。
なるほど。ここまで追い詰めてきたということですね。
そうですね。
そして今度は浅倉市の淡島神社です。
ここの御祭神は。
淡島大明神と、少名彦名と大名持の御事ということで、淡島の神様といえば、女性たちのいろんな悩みを解決してくださる神様です。
それから少名彦名と大名持ということで、多分病気を治してくださる神様ということで、こちらには祀られていたんじゃないかなと思われます。
ここには神宮皇后ゆかりの鎧掛けの松というのがありまして、一旦休息した皇后が鎧を脱いだというお話があるところなんですね。
先ほどはお化粧していた神宮皇后ですけど、ここでは働き終えて鎧を脱いだと、それなりの服装をしていたというんですかね。そういうのが分かる遺書です。
もうここから八郎駒橋が最後の地と言われるところまでは、残りあとわずかだったんですね。
そうですね。測ってみると3キロほどですね。
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八郎駒橋がなくなったのは寺内ダムのところと伝わっているんですね。ここから見ますと寺内ダムがある山がよく見えます。
もう一波乱あるところで、ちょっと休憩したんだなと思われます。
なるほど。ちょっと休憩して鎧をかけたというそういう神社ですね。
淡島神社でした。
次も浅倉氏美奈木の杭直神社。
ここの名前もちょっと珍しい名前ですね。杭直神社といいます。浅倉氏美奈木です。
ここの御祭神は?
ここは天寺須墨大神、墨吉大明神、勝賀大明神となっています。
ここが実は寺内ダムの方の美奈木神社の本宮にあたります。
そうですか。
ここはやはり古書山にいた杭直神氏が人々を苦しめるということで神宮皇后がこの山に登ってこられまして神を敷いたと伝わっています。
この時に武之助の戦略を用いられたというわけですね。
現地に行きますと大変狭い山の頂上になってまして、今は木がいっぱい生えてますけれど、木がなかったら寺内ダムがよく見えるような場所だったんですね。
そこで考えられるのは神宮皇后は非常に少人数で側近たちだけを連れてここに来られたのではないかと。
神社に伺いますとここで神様を祀られてますよということでした。
浅倉市の杭直神社でした。
次は同じ浅倉市の柳竹神社です。
ここの御祭神は?
当初調べた時にはハニアスの御子といって土の神様が祀ってあったんですけれど、今度行きましたら主祭神が神宮皇后であるというふうに書かれてました。
ここの御祭神はどういう風になってますか?
ここは矢の竹というのは難しい字を書いてますけれど、弓矢の矢のための竹を刈り取ったというところなんですね。
21:00
皇后軍がここで矢の竹を刈り取って新しく矢をどんどん作ったというわけです。
そうしますともうすでに一回戦った後に矢が足りなくなってその矢柄を補充したというのがここでわかるわけですね。
それで奥の方にやはり特殊な竹が生えていますよというふうなことでした。
先ほどのこの美凪神社からわずか700メートルぐらいのところです。
ですから軍勢たちにはそうやってまた武器の準備をさせて神宮皇后たちは山の方に登って作戦を狙われたとそういうことがわかる場所ですね。
朝倉市の矢の竹神社でした。
お話を神宮皇后伝書を歩くの著者綾杉留菜さんに伺いました。
ここで古代の福岡を歩くリポーター中島理恵さんです。
今日は朝倉を歩くときに乗っかる天城鉄道の天城駅にあります観光プラザ、乙女区間で出会った一品です。
その名も乙女の花どれ、目の前に持ってきました。
これドレッシングですけど、何よりもパッと目に引くのがこの鮮やかなピンク色。
ピンクのドレッシングって珍しいですね。
見たことない色でしょ。
しかもかなり濃いめのピンク。
これ何のピンクかというと原料の色そのまんまなんです。
何ですかこれイチゴ?
コスモスの花。
コスモスの花びらでこの色作ってるんです。すごいですね。
実は朝倉2年前の水害のときにかなり被害を受けた山藍の黒川地区というところに植えられたコスモスの花で作りました。
これ実はコスモス朝倉市の花なんですね。
せっかくなんでお味見ください。
ちょっとねいただきますよ。
野菜はないですかドレッシングちょっと。
さらりとしたドレッシングなんですけど酸味と甘味が非常に爽やかでそれでいて濃くと深みもその向こうにありますね。
美味しい。
その通りなんて言うとこれ中身見ていただくと分かるんですけどこの色を出すのにも着色料とか発色料とか一切使ってない。
そうなんですね。天然の色なんですね。
そうなんですよ。しかもちょっと人参のジャムが入ってたりとか玉ねぎ入ってたりとか。
塩麹があったりとかね。
さらにお出汁が入ってるんです。昆布出汁と鰹と。
なるほどそれでこの奥行きが。
でしょ面白い味わいなんですよ。
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あと味がずっといい感じです。
きたきたきたきた。野菜白系の野菜大根だとか玉ねぎとかにもいいですしあと豚シャブのタレに使ってもいいし。
いいですね。
おしゃれ料理が得意な人は白身魚のお料理のソースに使うのもいいよって。
あー万能ですね。
その話を教えてくれたのがこのドレッシングのコーディネート。誕生の海洋にいる人物でもあるんですが朝倉観光協会事務局長の里川道人さんなんです。
このドレッシングの名前乙女の花どれって言うんです。
ラベルにですね70年代少女漫画風イラストがカラーで金髪のお目目パチクリした星がいっぱいある。
そうなんですよ。このネーミングコスモスドレッシングじゃなくて乙女の花どれこんな理由からでした。
この乙女のっていうのが作ってるのはもう被災した山のほんともうおばちゃんたちなんで私たちは乙女って言ってよかろうかとかって言うながらこういろいろ作業して作るようなハートですけど。
この乙女の真心っていうのがコスモスの花言葉なんですよ。
そこからの流れでコスモスドレッシングなんですけど乙女の花どれって呼んでます。
いいネーミングですね。
作ってるのは60代から70代の永遠の乙女世代ですねって里川さんおっしゃってました。
これ何故かというとことの起こりは去年7月に被災してこの地区を離れた人もたくさんいるんですが黒川にお盆に帰ってくる人も多かろうと。
なのに復興っていうかまだ手付かずの電波がたくさんあるわけですよ。
この荒れた畑みたいにみんな悲しかろう寂しかろうと言っておばちゃんたちが自らコスモスの花を埋め始めてたんですよ。
実は事務局長の里川さんご自身がこの黒川地区にお住まいで今は仮設に住んでらっしゃる。
だからおばちゃんたちが花を植えてたことも知ってたんです。
でもまさかこんなに早くドレッシングの商品化ができるとは思ってもなかったんですがこぎつけました。
今こんな気分みたいです。
コスモスっていうのがまた緑肥植物って言って田んぼにレンゲを植えると土が良くなるとかってあるじゃないですか。
なんかそういうので土に混ぜると普通の植物よりまた土を良くするっていう効果もあるので
有機農業をやっているお百姓さんたちに知っている方もいるんですけどそういった効果もあるので本当に自然にとっても良くあろうし
おばちゃんたちもそれが売れて本当に良い形でできたなあ。
大いなる一歩ですねこれはね。
そうなんですよ。この花を摘むのも一番忙しい時はお父さんたちも手伝ったりボランティアさんたちも手伝ったり
あとのさっき注目したイラストもイラストレーターさんがボランティア協力してくれて
このドレッシングのレシピも道の駅南の里から協力いただいているというみんなの愛が積もっているんです。
おばちゃんたちこんな風に言ってるみたいです。
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被災してその後去年も広島とかなんかいろんなとこ西川岡山とかですねあって
ボランティアはもちろんお世話になったけん行きたいけど私たちは行かれんもんねとかってね
こう喋り寄る時でもまたこれでこういうので頑張ってるっていうのが他の地域の励みにもなるんじゃない?
そうなるならまだもうちょっと頑張らないかんね。
いいでしょう。12月末まで買えそうですので
ホトメ区間でお求めいただくか12月26日がんばろうあさこらインサイト&国境館マルシェがRKBでありますので
この時に9時から4時の間にお買い求めいただくのもおすすめです。
中嶋理恵さんでした。
国境会連合会 餃子の山八 道の駅室方の提供でお送りいたしました。
ご案内は酒田秀大でした。
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青井りるわです。
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