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2021-04-09 11:24

新潟のへラジオ LIVE Vol.9 新発田紫雲寺の新田開発と須坂市との繋がり


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はい、おはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。
今日も一つお話ししてみようと思います。今週はですね、金曜日、今日から大学の方の授業も始まったり、新学期の動きが進んでいます。
毎週金曜日はですね、何回かこちらでも収録のデータとして配信してますが、
Kはキャンパスレポというですね、ラジオ番組、こちらをですね、放送する日なんですね。
FM柴田という柴田市のコミュニティFMから、夜9時半から放送されているということです。
ネットでも配信していますので、他にどんなの放送しているのかなというのは、ぜひ見ていただければ嬉しいですが。
今日はですね、放送日ということもあって、少しその予告も兼ねてお話をしたいと思います。
四雲寺町ですね。四雲寺町というところがあります。これ私が新潟に来る前後、今見たら2005年と書いてますが、2005年に四雲寺町は柴田市に合併しているという町ですね。
なので、この15年の間に、だんだんこの四雲寺という地名は市町村名としては認知されなくなっていって、柴田市の一部になっていっているということなんですが、
私が15年見ている間に、やはり四雲寺町というのはそれなりに独自のアイデンティティを持った場所であり、そういうプライドのようなものを感じることが結構ありました。
逆に柴田市の側は、だんだん柴田の中心部の人たちは、そんなに四雲寺に関心ないのかなと思うこともあったりして、
よくある市町村合併の中で見えてくる周辺部分への関心の薄まり方というのもずっと見てきたところなんですが、
今日ラジオ放送ではですね、その四雲寺町の最後の町長だった木島さんというですね、木島雅之さんという方に大学生が話を伺っています。
何の話をしたかというと、四雲寺町というのは神殿開発の神殿でできた、できたと言ったら言い過ぎですかね、かなりの部分が神殿によって出来上がった地域で、
その結果、大幅に土地が増えて住む人が増えていくんですけど、そのまでの過程はいろいろあったみたいですが、江戸時代に神殿開発をしたことによって大きく発展した場所だと言われています。
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その四雲寺雅之という方をですね、感覚した人の話というのが、実は四雲寺町の時代にはかなり大事にされていたということがありまして、その話を今日夜放送したいと思います。木島さんという元町長にお話を伺いました。
でですね、ここで出てくるのが長野県の話で、これ意外なんですけど、意外でも何でもないんですけど、長野県の須坂市というところに、米子というですね、米子ですね、米子と書いて米子と読む場所があるんですが、米子に米子大幕府というですね、滝ですね、大きな滝があるんですよね。
これ調べてみたら、米子大幕府はですね、真田丸のオープニングに出てくる山城、CGなんですけど、山城の立っている場所が米子大幕府だという話だそうで、結構タイガドラマファンの人はその当時米子というところによく行ってたんだそうですが、
その須坂の米子というところと繋がりがある。どういうことかというと、この米子の出身の竹前兄弟という人たちがいてですね、この人たちが駿治にやってきて、そしてそこの神殿開発をですね、当時の多分高度な土木技術を駆使してということなんだと思います。
それを成功させて、たくさんの土地をですね、そこで開発をして田んぼを作るようになった。田んぼを作れるようになり、というようなストーリーです。
米子というのはですね、表記がブレがあるんですけど、実は柴田の志運寺というところに行っても米子という場所があって、米子小学校というのがまだ残っているんですよね。米子だったかな?どっちが米子?ちょっとブレるんですよ。どっちだったかちょっとごめんなさい。曖昧ですが。
それが志運寺にまだ残っていて、志運寺町と須坂市との間の姉妹都市提携というのも結ばれて、それは柴田市にも引き継がれているということなんですね。
実は柴田市になる前の志運寺町としては非常に大事にしている町の歴史、町のアイデンティティに関する話なんですが、それはどうしても合併した後の柴田市の中では薄まっていっていると。
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そんなような話なんですよ。
連行というコメントをいただきましたが、連行というのが志運寺町のシンボルみたいなもので、今桜が咲いている梶川という川沿いの桜。
この間ちょっと話しましたけど、梶川の桜と同じ時期なんですかね。今咲いてますよね。
桜が咲いているところに行くと、行く時に向かっていく道の割と狭い片替え車線の急道ですけど、各家庭の道路端に連行の花が咲いてまして。
多分町でみんなキャンペーンやってみんなで作るようにしたんだと思うんですが、連行が綺麗に咲いていて、連行街道っていうのは地方市の風物詩みたいな。
大体この時期になると、連行街道っていうのは必ず新潟日報に1回出るっていうですね。
データベースとかで調べると毎年出てくるようなところですが、連行っていうのも咲いていて、そこがシンボルになってますね。
連行を巡りながらこの新潟型の歴史も辿れるようにっていうような趣向も凝らされています。
塩津型というふうに今コメントもいただきましたが、新潟型とも言いますが、塩津型っていう表記もあって、ちょっとごめんなさい。
いつ塩津型でいつ新潟型ってのはよくわかりませんが、2つの表記があるんですよね。
連行というのはお花として素晴らしいという話でもあるんですが、同時にこの背景画像には連行茶というお茶も開発したというので、
いわゆる功能っていうのをどういうふうに言っていいのかっていうのは、多分薬事法とかの絡みで微妙な問題があるんだと思いますけど、
多分体にいいという売りで、連行茶っていうのも今そんなにガンガンいろんなところでプロモーションしてるっていう感じでもないですけど、
少しずつ柴田の周辺で連行茶をみんな試してみませんかっていうので、たまにイベントなんかで売ったりしてますよね。
お土産屋さんとかでも出てるのかな。少しずつ新潟を図っているということです。
今背景画像の上のところに風雪の湖っていうのが出てますけど、これが演劇なんですよ。演劇の話があって、神殿開発ですね。
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新潟型の開発について、かつて新潟の町民たちが演劇にして、みんなで街の歴史を共有しようっていうのをかつてやってたんだそうで、今はもうないんですよ。
新潟の町に合併された後で、やっぱりあまり大事にされてないというところなんで、そこは今日テラジオ聞いていただくと、木島さんっていう方が熱く、
新潟の歴史として新住のこともぜひ取り扱ってほしいっていうのを熱く語ってくださっていて、非常に面白い回だったので、今日ぜひ聞いてみてください。
えびさん何ですか?お茶フェス初期メンバー。お茶フェスってあれですか?レンギお茶の?そうなんですか。レンギお茶の取り組みに関わっていて。えびさんも微妙に柴田と関わりのある方なので、わかるんですけど。
そうなんですね。ありがとうございます。お茶フェスが、お茶フェスごめんなさい。今度調べてまたお話ししたいと思いますが、お茶フェスって多分そのレンギお茶のキャンペーンですよね、きっとね。
だと思います。ありがとうございます。というわけで今日は、今晩のラジオ放送に引きつけまして、実際のFMラジオの番組についてスタンドFMでお話しするという手でお話をしました。
しゅんじについてのお話でした。FM柴田の番組はですね、基本的にはサイマル放送でFM柴田のページから聞きに行けますので、もしご時間ありましたら、夜今日9時半から放送になりますので聞いてみてください。
もちろんアーカイブはまたネットでも公開しますので、ネットの方でも聞いていただければと思います。はい、今日は朝からお付き合いいただきまして、どうもありがとうございました。
11:24

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