004 なぜ馬の時間は子どもの心を整えるのか? ── ルーティンが作る「安心の居場所」
2026-04-19 42:37

004 なぜ馬の時間は子どもの心を整えるのか? ── ルーティンが作る「安心の居場所」

今回のエピソードでは、牧場で刻まれる「馬時間」と、それが子どもたちに与える影響について深く掘り下げます。人間の都合ではなく、馬のご飯やケアを中心に回るルーティンが、いかにして居場所の「軸」となり、揺らぎやすい子どもたちの心と体を支えているのか。黍原とゲストの大森さんが、現場でのリアルなエピソードを交えて語り合います。


話題は、五味太郎さんの言葉を借りた「賢い体」の育て方へと広がります。大人が求めがちな「聞き分けの良い子」ではなく、自分の感覚でサボりどころを知り、やる時はやる。そんな、生命力に溢れた身体性を育むための「余白」の重要性が見えてきます。言葉での説得が通用しない馬という存在を前に、子どもたちが自らの関わり方を省み、変化していく瞬間には、教育の本質が詰まっています。


この対話を通して、子育てや支援現場における「待つこと」や「環境を整えること」のヒントが見つかるはずです。馬の鼻息や、草を食む音が聞こえてくるような、穏やかでいて核心を突く牧場トーク。


ぜひ最後までお聴きください。


馬ファーストで回る牧場のルーティン

場の流れが子どもと場所を一致させる

教育の本質としての「サボる余白」

言葉を超えた非言語コミュニケーション

馬が映し出す自分の関係性

大人にも必要な「立ち返る場所」としての馬

身体感覚とリラックスが育む生きる力


▼配信

毎月 第1・第3日曜 朝

各種プラットフォーム(spotify、youtubeなど)で配信中

https://creators.spotify.com/pod/profile/kotauma/


▼パーソナリティ

大堀 貴士(認定NPO法人ハーモニィカレッジ)
https://www.harmony-college.or.jp/

黍原 豊(一般社団法人三陸駒舎)
https://kamakoma.org/


▼コメントや感想、質問はこちらから

https://forms.gle/DXXT9babMNjbaaZq5

馬時間のリズム

[Verse]朝六時半 馬の鼓動で始まる一日人間の都合は脇に置いて乾草の香りと 冷たい水の音時計の針じゃなく 命のリズムに合わせる理屈はいらない ただそこにある流れ

[Chorus]馬時間は鏡 本当の自分を映し出す言葉じゃない 「賢い体」が目覚めていくサボりたい時はサボり やる時はやるそんな余白が 明日を生きる力になる

[Verse]伝わらないのは 誰のせいでもなくて自分の心が 強張っているだけふっと力を抜けば 馬は走り出す阿吽の呼吸で 世界が溶けていく

[Bridge]都会の喧騒 オンとオフの狭間で疲れた羽根を 休める場所がある自然の摂理に そっと身を委ねて

[Outro]答えは馬が知っている優しく見つめる 大きな瞳の向こう側(Fade out)


#ホースセラピー #三陸駒舎 #馬 #子育て #発達支援 #非認知能力 #自然体験 #森のようちえん #教育の本質 #非言語コミュニケーション #身体感覚 #五味太郎 #居場所作り #野外教育 #関係性の教育 #心理的安全性 #中動体 #自己肯定感 #牧場ライフ #生きる力

感想

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サマリー

このエピソードでは、馬を中心とした牧場のルーティン「馬時間」が、子どもたちの心と体の成長に与える影響について深く掘り下げています。馬の世話を中心に回る規則正しい生活リズムは、子どもたちにとって「安心できる居場所」の軸となり、揺らぎやすい心を支えます。人間の都合ではなく馬のペースに合わせることで、子どもたちは自然な流れに身を任せ、自身の感覚で「サボる余白」と「やるべき時」のメリハリを学ぶことができます。これは、五味太郎氏の言う「賢い体」を育むことに繋がり、言葉を超えた非言語コミュニケーションを通じて、子どもたちは自己の関係性や他者との関わり方を学び、成長していきます。馬との関わりは、大人にとっても自分自身を振り返り、立ち返る場所となり、生きる力を育む上で重要な役割を果たします。

馬ファーストの牧場ルーティンと居場所の軸
答えは馬が知っている。馬という鏡が見つめる本当の自分。この番組はハーモニーカレッジの大堀と三陸駒舎のきびはらが鳥取と岩手の牧場で馬と子どもたちに向き合いながら現場での出来事やこれからの生きる力について語り合う対話番組です。
ということで第3回、居場所をテーマに話そうということで話してたら、だいぶ盛り上がって、まだまだ続きそうだったので、その続きという感じで今回第4回目いきたいと思うんですけど、なんかちょっと僕から最後にちょっと話してた馬時間みたいな話があったんですけども、
うちもまさに馬優先というか馬ファーストで日々日課を回しているっていうのがやっぱりあって、そうそうそうと思いながら聞いてたんですよ。
うちは馬の餌の時間、ご飯の時間が3回分けてて、朝は6時半、昼は12時、夕方が5時みたいな感じで。
必ず夏休みの長期休みはここで泊まりながらキャンプみたいな形で子どもたちと一緒に生活するんですけども、その時も朝皆起きて、必ず6時半前に起きて、その朝の6時半に馬にご飯あげて、そこから1日が始まるっていう感じなんですよ。
で、それから馬のご飯が終わってから人間の朝ご飯みたいな。昼も馬にご飯あげて、それから人間お昼食べるみたいな。で、夕方も必ず馬にあげてから終わるっていう感じになっているので、まさに馬ファーストで毎日が回っているっていう感じがあるし、大堀さんおっしゃってたようにあんまり人間の都合で変えないっていうか、
どうしてもっていうと、もちろんみんな風邪倒れてるとかいうのは最適な仕事にしてやる時もあるけども、もう本当によっぽどことなければ日々のルーティンは崩さないっていうか、まず馬のことを第一にしながら日々回すっていうことはやってますねっていうふうに。
そこは何だろうな、それがあるから何か居場所として崩れないっていうか型が。多分人の都合でやってると色々ブレると思うんですよ、場が。
そう、あっち行ったりこっち行ったりっていうか、何ていうのかな。それが馬がいることで軸が定まるみたいな感じはあるし、それが日々ルーティンであるから、うちは流れのサイクルとかって話したりしますけど、日々グルグルグルグル同じ流れが朝あげて昼あげて夕方あげて。
ご飯だけじゃなくて、午前中にだいたい馬の運動させたりとか掃除とかするんですけど、それのほうがまず朝午前中やってみたいな。それが回ってるから流れがこの場に生まれて、そもそもそこが流れがあることで外から子供たちがやってきた時に、子供たちは最初強制的に流されるというかって感じはあるんだけども、毎日同じ流れがやってるから、
だんだん体がその流れに合ってくるというか、っていう風に変わっていくんですよ。キャンプも、普段放課後来てる時は時間になったらちょっと声かけないとなかなか動かないんですけど、キャンプで1泊とかじゃなくて2泊3泊とか長めにやると、だんだん後半、もう子供たち声かけなくて、もう子供たちが勝手に時間になったらスーッと動き始めて、日々のルーティンの流れが動き始めるっていうことが起こって、
そうすると、場の流れと自分の自身の生活のリズムが合ってきて、場所と自分が一致してくるというか、そういう風に変わっていくなっていうのがあるので、
馬がいることで、そういう馬時間というか、うちだと馬の中止、馬ファーストの時間があることでいい流れができるんだなっていうのを、そう思って聞いてました、なんか。
自然な流れと「サボる余白」が育む生きる力
そうやね、なんか、馬時間は、さっきも、前回もね、お話したみたいに、理屈がなくても、子供たちがわかりやすいのはすごくいいなと思って、どうしてもこう、今日は忙しいからとか、人数が少ないからとかって言って、
人のね、暮らしやと、今日は忙しいからちょっと、朝ごはんは、移動中に食べようとか、なんかそういうのが、多分、場所ったりとかできるんやけど、馬の場合はなんか、餌を作る、あげる、あげた後、そのあげたものを洗う、
で、食べたかどうかをチェックして、馬のボロが、うんちがね、出てるかどうかをチェックしたり、水がどれぐらい減ってるかなーとか、あとは食べた後に、ちょっと馬がリラックスできる、できてるかなーとか、で、その時間が終わったら、じゃあ馬出してきて、掃除をして、運動をして、みたいな、その流れが、
ずーっとこう、毎日毎日繰り返されていると、子供たちも、もうそれが、自然とこう、流れていくっていうのかな、巻き込まれていくっていうか、ここに理屈がいらないっていうのは本当に、軸ができる、そして、その軸の流れでいくと、本来、人が、
例えば明るくなって、太陽が昇ったら目が覚めて、太陽が沈んで、暗くなったらもう、だんだんとこう、お休みの時間になっていく、みたいな、そういう、こう、自然の流れに、ちょっと近づけるような気がするよね。
なんか、そこは、スタッフだけでとか、大人だけで守りにくいところを、馬にかなり助けてもらってるなーっていうのは、ちょっと最近、うん、感じました。
で、面白いのがさ、その暮らしの中のリズム、馬時間があるんやけど、だからといって子供たちはその通りに、大人の都合よくやるとかってなくてさ、今日はちょっとサボろうとか、手を抜く、一緒か、
なんかそういう、こう、スーッと逃げていくとか、そういうのも結構楽しいっていうか、見てて、でもやるときはやるっていう、なんかその、興味あるとき、馬にすごい興味あって、馬が好きなときはめちゃくちゃ頑張んねんけど、
やりたいことは他にも遊びがあったら、上手に逃げていったりとか、そういうところもなんか、うん、なんか自然っぽくて、そういうのを見るとちょっとニヤッとしてしまうけど、ちょっとそういうこうゆるいところ、馬時間の軸はあるけど、やることは別になんか強制じゃないっていうか、うん。
それがこう、その辺のこうなんていうか、塩梅が、俺は結構好きやなぁと思ってるんですけど。
なんかね、今の話、すごいわかる感じがあって、えーと、なんかね、その、いわゆるこう、さっき言った5時になったら、夕方、5時になったら上げるんだけど、なんかこう、たとえば5時きっかり、きっかりじゃあもうやんなくちゃいけないとか、なんかなんていうの、そのスケジュール通り、ふんく刻みのスケジュールみたいに動いてるかって、そういう感じじゃないんですよ、なんか。
大きな流れとしてそういうのがあって、それで動いてるって感じなので、たとえばうちだとその放課後10人前後の子たちが来てて、今日はなんか気分乗らないから、やりたくないとかって言って、なんかこの間もなんだっけ、荷物自分、なんか自分の足に、もともと多分やりたくない感じがあって、で、荷物を出そうとしたら自分の足に落として、痛いとかって泣いてて、今日やらないとは言ってないけど。
そう、痛いから、なんかうんぬかぬか言ってて、もう先行ってるね、みたいな感じで言ってたんですよ、そう。で、みんなやってるから、やっぱその流れがもう、こう、その場にそういう日々のルーティンの流れがもう流れてるので、そこでこう1回とどまってて、もうやっぱりだんだん違和感を感じるというか、その子も。そう、もうそろそろちょっと出てきてよとかって言ったら、もうなんか、最初渋々出てきてやってたんだけど。
でもなんかやってるとだんだんこう、みんなやってる流れにまた乗り始めてというか、後半はなんかね、牧草運んだりとか色々やり始めてて、流れがあるってそういうことだなっていうか、ちょっとこう、なんかたぶん川の中にずっとこう、そういう流れがあるところで止まったら、流れがどんどん押されるじゃないですか、なんか。
なんかそんな感じなんだなっていうの。そう、別にそこで抵抗してもいいけど、そこに流れはあるぞみたいなのがあって。
あそこに別になんかこう、何ていうのかな。そう、無理っくり、まあ余白があるというか、ちょっとこう、遊びがあるので、その中に。で、作業、その色々こう、お世話の時間だと色々あるので、作業も選べるというか。
そこでなんか自分がハマるところにハマっていったりとか、そういう、なんか、そう、そうですね、遊びがあるのもいいですね。
大きいかも。
五味太郎の「賢い体」と非言語コミュニケーション
あの、ゴミ太郎さんの本で、俺好きな、その、エッセイの部分があって、
丈夫な頭と賢い体、あれすっごい大好きで。
ありますあります。
そう、何ていうのかな。
ちょっと、賢い頭と丈夫な体の良い子はすごい大人が求めやすいと思うけど、ちょっと今出てきたからちょっと読んでみていい?
どうぞどうぞ。
1個目が、大人の言うことは素直に聞いて、決められたことはきちんと守り、出された問題にはうまく答え、与えられた仕事は黙ってやる。
決してサボったり、ごまかしたりはしない。
それが賢い頭と、丈夫な体の良い子です。
っていうのが、まず一つの良い子。
この2つ目が俺すごい大好きで、さっきお話したようなこの2つ目の子供のことなんやけど、もう1回読むね。
言われたことの意味を確かめ、決められたことの内容を考え、必要があれば問題を解き、自分のために楽しい仕事を探し出し、やるときはやるし、サボりたいときはすぐサボる。
これが、丈夫な頭と賢い体を持った、これもまた良い子です。
っていうこの文章を読んだときに、そうそうそうって最初の良い子を求めがちな、自分とか親とか先生は多いかなと思うんやけど、
ちょっとこう余裕があったりとか、余白があると、やるときの、やる子供たちの本気度ってすごいものがあって、
でもサボりたいときにもサボるっていう、そこのこともなんか、これも生きる力やな。
大人も同じやん、やる気入ったときはバーンってやるけど、今日はちょっともうやる気なくてゆっくりしたいわとかっていうそのメリハリがあるから、
バランスが取れたりとかすると思う。でも子供にはいつも、ちゃんとやるとか、しっかりやるとか、集中してやるみたいなことを求めがちになるなっていうときに、
自分を今しめる意味でも、この文章をたまに読んだりする。
なのでなんか、流れがね、馬時間で流れがあると、言ったらサボりどころもわかりやすいっていうか、
サボった後も戻りどころもわかりやすいっていう、そういう塩梅のこう、なんていうかな、ゆるいところがいいよね。
なるほど、確かに。今の賢い体ってそう、僕もこの本、うちにあって、今後ろにあるかなと思ったけど、賢い体ですよねって思いながら聞いてて、
で、馬がいる場所って、結局体を使っていろいろ作業するじゃないですか。
前回でも、アウンの呼吸みたいなところで馬が来たら何かするとか、他の人の作業をしてたら手元で掃除するとか、
いわゆる言葉交わさなくても、何ていうの、言葉交わしてなくてもやりとりする部分ってたくさんあって、
人間と馬でもあるし、人間同士でも一緒に何かやるときも必要だし、
もちろん言葉で伝えるときもあるけども、だんだんわかってくると察して動いたりとかお互いするようになるので、
そういうところではコミュニケーションの幅が言葉だけじゃないっていうか、すごく広いっていうところもいいなって思ったんですよ。
そういう場所においても、多分言葉交わさなくてもいられるというか、
喋るの苦手でも大丈夫だし、別にほとんど喋らなくても整理するというか、そういうところもあるなっていうふうに思ってて、
そういう賢い体のところで、もう一個コミュニケーションのこともあるけど、何ていうのかな、
さっき言った流れみたいなところを感じて動けるっていうか、
いわゆる最初は、やりたくないって言ってやらされてるんだけど、受け身的なところなんだけど、
だんだん自分でやるみたいな能動的なところに変わっていって、最終的には体が自然と動き始めるというか、
時間になったら、そろそろ行かなくちゃみたいな、勝手に動くみたいな、その場の流れと一緒になっていくっていう、
いわゆる中道体って言ったりしますけど、真ん中の中心の中に、上体の体って。
そういわゆる能動と受動、その間って言うよりもその行為の中にいたりする。
意識してなくてもやってしまっていたりとか。
たぶん見るって能動的ですけど、見えるって勝手に入ってくるじゃないですか。
ああいう感じだったりとか。
自分の意思とか、そういうのに関係なくやってしまっていたりとか、やってるみたいな。
意思、責任を取る取らないとかって、その人の意思があるような感じがするけど。
よりも周りの環境とか、朝日が昇ったら起きてとかって話があったけども、
たぶん今も変わらず自然のいろいろ大きな循環みたいなのがあって、
その中で人って今でも生きてるはずなんだけども、どんどん都会化していくと、都市化していくと、
そういうものなくても、電気つければ明るくなるし、
いろいろ自然の巡りから外れても何とか生きていけるけども、
でもそれをやっているとどっか苦しくなったりとか、おかしくなってきたのは、
今起こっているいろいろ現代病名の原因の一つかなっていうふうに思うんですけど、
そういったいろんなもともとの自然の節理みたいなものを感じたりとかするって、
頭じゃないと思うんですよ。まさにさっきあったように賢い頭じゃなくて、
賢い体があることでそこと調和して生きていくことができるんだけども、
そういった部分では馬がいる場所って、そういう賢い体を育むすごくいい場じゃないかなっていうふうに、
馬だよねっていうふうにさっきのゴミ太郎さんのやつを久しぶりに聞いて、
そうだそうだと思いながら思っとりました。
安心感と力の抜きどころ、居場所の重要性
そういうのも馬の近くにいたり自然の近くにいるからなのかもしれへんけど、
楽しめるよね。ゆとり持ってみれるっていうか、こうしなければならない。
さっきの言う、最初に言ったゴミ太郎さんの方の大人が求めやすい方になると、
大人もなんか力抜けないし、子供も絶えずスイッチオンで集中しておかなあかんみたいになるんだけど、
初めて行く場所とかって、ずっとなんか集中したり、
例えば初めて働く職場もそうかもしれないし、学校もそうかもしれないし、
居場所も初めて行くとか緊張するよね。だから絶えずスイッチオンになってて、
でもその居場所の学校の職場のある程度の馬時間はないけど、
そこの流れが分かってくると、力の入れどころと抜きどころが分かってくると、
ずっとオンにしてないから、だんだんとこう疲れ度合いが少し和らぐっていうかな。
でも、そこに緊張感があったりとか、やらないと怒られるとか、
安心感がないと力って抜けないから、それが学校行く前にお腹痛くなったりとか、
ちょっと行きたくなくなったりとかする子どもたちにとっては、
その先がいつもオンにしておかないといけないとか、
力の入れどころばっかりになって、そうするとやっぱりそこって
しんどくなったりするんやろうなとも思うから、学校でも職場でも家庭でも、
どこでも力の入れどころと、もう思い切り抜いていいよっていうようなところがあると、
安心して入れる時間はちょっとできるんかなって。
もちろんちょっと安心感がなかったり、自分自身が心身ともに疲弊してたら、
まず緩むところから始まらないと、入れどころのスイッチオンにまでならないっていうのかな。
まずは居場所、居場所ってだからある子にとっては何もしなくていい場所やけど、
ある子にとってはやりたいことができる場所やったりとか、
自分が好きなことを巻き込んでいける場所やったりとか、
あとは企画してこんなことができるとか、能動的になってくるとか、
でもそのベースには安心感とかそういった力の入れどころ、
抜きどころ、丈夫な体の使いどころっていうかな、
そういうのがだんだん備わってくると、
そういうことができるのが居場所なんかもしれへんね。
馬って許容範囲が広いっていうか、
今言ったちょっとした作業から、
常話するとかいろんなこととか、
例えば今4月は、うち山の方の集落なんですけど、
海の方にあるキャンプ場まで半日はかかるかな、馬で行くと。
まで行って一泊して帰ってこようみたいな話もしてるんですけど、
そういう旅みたいな一泊二日の。
結構いろんな幅を持った子どもたちのエネルギーというかを
受け止めてくれるようなっていうのが、馬はあるなと思って。
そういった部分では、今言ったただいるだけの安心がまず大事なところから、
だんだんムクムクといろんなものが湧き起こってきて、
こんなことやりたいとかいろんなエネルギーがあふれてきたときに、
受け止め先としても馬は受け止めてくれるしっていうところで、
非常にそういったところでは、
居場所の許容範囲が広いかもっていうふうに今思いました。
分かりやすいね、それ。
そうそう、いろいろできるじゃないですか。
例えば競技みたいに出たいっていう子はそういう子に行ってもいいし、
いろいろあると思うんですよ。
もっと馬のコミュニケーションを深めたいとかって、
いわゆるグランドワークって、乗らないでいろいろできるじゃないですか。
馬と一緒にダンスみたいなことしたりとか、
ホースショーみたいな、馬と一緒に何かするとか。
そういった部分では本当に身体的な、いわゆる常罵すると体のエネルギーも
受け止めてくれるので。
そうそう。
作業も、例えばこれからうちだと退費はあって、
それを近隣の近所の方たちが欲しいっていう巻きに行ったりとかするんですよ。
そうすると結構力仕事もあったりとかするので、
力たくさん使いたい子たちのニーズを満たせるしとか。
そういう人もいろんな、さっき毛が抜けるってありましたけど、
あるなると。
そういったものをまた生かして何か、
クラフトみたいなの作るとかもあったりとか。
いろいろ関わりしろがたくさんあるなって。
あと何だっけな、安心感。
さっきの、ちょっと居場所とか、
丈夫な体の部分のお話やったんやけど、
馬との非言語コミュニケーションと自己成長
さっき三浦くんが話してくれた中で、
コミュニケーションっていうのが出たときに、
非言語のコミュニケーションの話もしてたやんか。
馬ってまさに非言語しかないから、
いわゆるノンバーバルコミュニケーションって言うんやったっけ。
いわゆる言葉じゃないコミュニケーション。
言葉じゃないけど、確実に馬とコミュニケーション取れるときとか、
もちろん逆に取れないときもあるんやけど、
じゃあどうやったら取れるようになるやろうとかって考えるやんか。
それこそがまた力になってくるっていうか、
非言語のいいところは、
伝わると、
なんて嬉しいんやけど、
伝わらなかったら、
どちらが改善するべきなのか、
どちらが悪いのか、ちょっと言い方をきつくすると。
っていうのが明確やなって思ってて、
非言語やと、
馬がいて、人がいて、
人が例えば馬に走ってほしい。
でも馬が走らない。
ってなったら、
悪いのはどっちなのかって言ったら、
人っていうのが分かりやすい。
例えば走ってほしいっていう、
合図を出してる人が、
変わった途端に馬が急にスッと走り出したりするやん。
じゃあ馬が悪いんじゃなくて、馬は走れるし、
自分のときは走らなかった。
でも木部原くんが言ったら走った。
ってことは、
成長できる伸びしろがあるのは、
俺のところになるっていうか、
ちょっと分かるかな。
分かります。伝え方が、
喋ってると、
これやっといてねって言って、
いや言ったでしょみたいになっちゃう。
言った方はあってて、
言われた方が、
なんか悪いみたいになりやすいやんか。
だから、
伝わったことが全て、
やと思うよね。
ってことは、言ったのになんでしてないのとか、
っていうのは、
やってない方が悪いんじゃなくて、
そこに、
言い方とか関係性とかタイミングとか、
いろいろあると思うんやけど、
言ったのにとかって、
言語コミュニケーションとなりやすいから、
馬と関わるときって非言語やけど、
確実に相手に伝わってる。
マイナスも逆に伝わるから、
そこはすごいね、非言語。
馬と関わることで、
鍛えられるなって、
いうのはすごい思う。
分かりやすいもんね。
伝わらなかって馬のせいに、
子供もね、
最初、
する場面いっぱいあって、
これ俺、
うちのハーモニーでたまに話すことあんねんけど、
中学生の男の子が、
うちで、
今亡くなったラディアンっていう馬が、
好きで、
乗ってたんやけど、
毛足がなかなか出ないと。
俺、
こいつ嫌やん。
大阪の子なんやけど、
こいつ全然走れへんから、
俺もう絶対乗らへん。
って言って、
すごいそのラディアン、
キレてたんよね。
ラディアンが悪いとか。
で、
終わった後に、
次、
小学生の女の子に、
ごめんちょっと乗ってって言って、
で言ったら、
その女の子が、
スーッて走り出すんよね。
ラディアン乗って。
そしたら、
男の子の中学生の子が、
その様子をじーっと見ながら、
うなずいてるんよ。
で、僕横で、
どうしたん?って聞いたら、
いやー、
俺やな。
ボソッと言ったよ。
さっきまであんなにラディアンのせいにしてたのに、
自分より、
小さくて、
ね、
力も弱い、
小学生の女の子が乗ったら、
ラディアンが気持ちよさそうに走ってる。
走れないわけじゃなくて、
走らなかったのは、
自分のせいなんやっていうのを、
もうなんか、
理屈抜きにこう、
感じて、あのうなずいてる時の、
ほんと赤べこのように、
うなずいてる彼を見た時に、
ああ、こういうのは、
馬の存在は、
すごいこう、
大きな影響を与えてくれたなって思って、
大人が理屈で会話するんじゃなくて、
馬が悪いんじゃないよ。
君がもっとこうしたら、
ああしたらとかって言ったら、
いや俺はちゃんとやったとかって、
反発が生まれると思うんやけど、
もう、
ああそうかって、
馬が悪いんやなって言って、
あえてちょっとその時は、
まあ、
年下の子に乗ってもらったんやけど、
そしてたまたまそうって、
気持ちよさそうに走ったから、
そんな場面があったのを、
ちょっと思い出したね。
はいはい。
なんか、あのう、
これはアドラだったかな、
それこそなんか、
自分が変わると、
周りが変わるっていうか、
結局相手は、
相手は変えられないとかって、
よくアドラ神話で言うんですけど、
相手は変えれないけど、
自分だったら変えれるでしょっていう、
さっき言ったね、
片付けてって言ったけど、
相手は変わんなかったら、
自分の言い方変えるとか、
タイミング変えることで、
なんか変わるっていうことが、
まあ人間世界でも一緒なはずなんだけど、
応援して忘れがちだし、
特に馬の世界だと、
その先だね、
馬と人間の世界だと、
人間の言い方が変われば、
自分の言い方が変わるっていうことが、
経験として体験できるっていう、
大きいですよ、
それはなんか、
自分のやり方変えれば、
変わるんだとか、
よくだから、
馬に舐められてるとかって言うけど、
別に人を舐めてて、
やり方が悪いだけで、
やり方変えると、
ガラッと変わることもあるので、
全然、
走ってほしいね、
走らないのは結局、
変えたつもりで変わってなかったりとか、
することも多いし、
本当にちゃんと変えれば、
全然変わるっていうことが、
経験できるのは、
大きいよなって思う。
で、あとそれはなんか、
子どもだけじゃなくて、
僕ら大人っていうか、
スタッフたちも、
普段のいろいろトレーニングっていうか、
聴教の場面でも、
同じようなことを経験するので、
そうすると、
自分のトレーニングっていうのを変えるっていうか、
いうとこじゃなくて、
自分の掛かり方をどう変えたら、
その関係が変わるかなとか、
そっちにも意識が、
いくなっていうふうに、
うまくやってると、
思いますね。
それはすごい、
子どもたちに関わる大人も、
うまく関わるのがすごくいいっていうふうに、
いつも思ってるところの一つだなって、
思います。
なんかさ、ちょっとぶっちゃけのところで言うと、
馬との関わりから学ぶ、大人も子どもも立ち返る場所
ぶっちゃけ、はい。
子どもたちにはさ、
結構そういうふうに見れることが、
あるんよね。
結構大らかに見れたりとか、
結構自分反省すること、
結構多くて、
例えば、
仕事で働いてる、
同僚とか、
たちには、
すごい理屈で、
言っちゃってて、
後から反省することとか、
で、うまと関わったら、
何回俺これ、
反省して、
またやってる、
みたいなことが、
結構あんねんけど、
どう?そんなんない?
いや、ありますよ。
あるし、
近しい人になると、
よりそれが、
そう、夫婦関係とかね、
親子関係とか、
うちなんかね、子どもたち、
他人の子どもは全然、
大丈夫ですけど、
そこはね、
いろんな人と関わりながら、
やるっていうか、
居場所って多分ね、
一対一じゃなかったりとか、
するような気がするんですよ。
その場所もだし、
いろんな人が関わって、
作っていったりとか、
すると思うんですけど、
自分だけで何とかしようとする、
っていうのはもう、
やめるというか、
秋村君もそんなことあるよね。
ありますよ、全然。
だからこそ、
馬と関わって、
ああ、
また俺やってるわ、
みたいな、
立ち戻ることができる機会が、
多分、やってない自分よりも、
立ち戻る機会は、
もらってるかもしれないな、
と思いながら、
未熟やからさ、
何回もやっちゃう。
だからね、馬と一緒に、
居場所を作るというか、
場を作るっていう、
そういうことやね。
人間だけで作らない方がいいんじゃないかな、
って思ったりします。
立ち帰らせてもらえるって、
いいよね。
やっぱり言葉にも、
初心に帰るとかってあるけど、
それを、
馬と関わってると、
自然とできるっていうのが、
いいね。
日比原君もそんなことがあるよ、
と思って。
そう。
ということで、
今回一旦、
終わりにしたいと思いますけども、
今日話してみて、
どうだったかっていうのを話して、
終わりにしましょう。
ちょっと収録っていうことを、
忘れるような、
本当に、
いつも日比原君と話してるような、
感覚で話しちゃったんで、
リスナーの皆さんが聞きやすかったかどうか、
気になりましたけども、
改めてこういうふうに、
お話することで、
馬に助けられてるなとか、
いろんな人、
だから、
親子だけで、
我が子を育てるっていうんじゃなくて、
関係性が近い人だけだと、
思いが強くなりすぎたりとか、
こうあるべきとか、
愛情から、
ちょっとこう、
コミュニケーションの不全が起きたりとか、
することがあるなっていうのを、
改めて、
感じることができて、
やっぱり、
親子とか、
家庭とか学校だけじゃない、
もう一つの、
居場所というか、
子供が、
フラッと見れて、
大人の自分も、
親っていう、
役割というか、
モードじゃなくなれて、
で、
反省したり、
そして、
初心に帰って、
また、
親になる瞬間に、
その、
気づいたこととか、
良い影響が、
日常にもまた、
フィードバックできるみたいな、
そういうのを、
今日は客観的に、
気づくことができました。
あの、
ポッドキャストとしては、
聞きやすかったかどうか、
また今の最後の、
振り返りを聞きながら、
しゃべりたいことが色々出てきたけど、
話してる中で、
メモ、
キーワードだけ取りながらだったんですけど、
話せなかったことだけちょっとだけ、
出しとくと、
安心感みたいなものって、
大事だなというか、
僕も、いわゆる都会に行ったときに、
特に、
緊張しっぱなしなんですよ。
結構、
たくさん、
満員電車っていうか、
そんな人たくさんこっちいないし、
ずっと緊張させながら、
いるなっていうのがあって、
力を抜くとか、
そういった時間って大事だなっていう、
そう思って、
一緒に何かやるとき、
さっきちょっとちらっと言ったように、
トレーニングとか、
馬を走らせて、
ずっとガチガチに、
乗ってるときもそうですね、
乗馬してるときも、
緊張したら馬も緊張するし、
馬と一緒に何かするってできないので、
いかに力を、
いい感じに抜いて、
必要なところだけ入れるみたいなのが、
大事になってくるなっていうか、
それ、確かに馬とやってると、
リラックスしてるけど、
必要なところにちゃんと力入れるっていうか、
そういうことができる体になるなっていうのを、
してました。
あとは何か、
さっきあったように、
人だとどうしても思いが強すぎて、
こうやって欲しいとかっていうのは、
先行前に出すぎちゃうんだけど、
馬は何かそういうのないから、
いいんだろうなっていうふうに、
ただ言ってくれる。
だけど、馬自身は周りの環境とすごく、
こうして、
そこにいてくれるので、
こっちの思いが強すぎると、
うまくいかなくなる。
緊張していればダメだし、
強すぎてもダメだし、
そういうのを気づかせてくれる、
偉大な存在だなって思ったので、
またそういったことは、
深掘れたらいいなというふうに、
思いました。
ということで、
番組の振り返りと今後の展望
第4回目も、
いや、いい話だったんじゃないですかね、
って思いました。
ということで、
お聞きいただきありがとうございました。
本番組は、
毎月第1・第3日曜日の
朝7時に更新されます。
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それでは、良い一日を。
良い一日を。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
お疲れ様でした。
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