009 自分を消すことで見えてくる自由:馬の群れに学ぶ関係性の教育
2026-07-05 40:28

009 自分を消すことで見えてくる自由:馬の群れに学ぶ関係性の教育

鳥取と岩手の牧場から、馬と子どもたちが織りなす日々の営みを通じて、これからの生きる力を探る対話をお届けします。今回のテーマは「主体性」です。

3ヶ月の短期研修で訪れた家族がもたらす新しい風や、かつて滞在した中学生が日常の暮らしの「流れ」に入ることで受動から能動へと変化していったエピソードを紐解きます。そこから、能動でも受動でもない「中動態」という身体感覚や、個体の問題ではなく環境全体に目を向ける教育の本質について深く語り合います。

一つの正解を求めず、関係性の中で生かされ合う場づくールの重要性に気づくことができる内容です。心地よい循環の中で人はどう育つのか、そのヒントがここにあります。ぜひ最後までお聴きください。

馬と人の関係から始まる近況報告
馬との対話が生む日常の暮らしと仲間意識
関係が人を育てるプロセスと中動態の概念
身体感覚を共有する人と自然の一体感
関係性の教育における場づくりの本質
自然の中の学びと群れが示す流れの変化
子どもの発達を支える環境全体へのアプローチ

▼配信

毎月 第1・第3日曜 朝

▼パーソナリティ

大堀 貴士(認定NPO法人ハーモニィカレッジ)
https://www.harmony-college.or.jp/

黍原 豊(一般社団法人三陸駒舎)
https://kamakoma.org/

▼コメントや感想、質問はこちらから

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中動態の森 〜共に流れる時間〜

[Verse]
川沿いの大きな木の下で
馬たちが草を食む静かな風景
最初はただ流されていた日々が
手綱を通じて交わり始める

[Chorus]
主従ではなく 共に歩む流れの中
私と馬が繋がる ひとつの世界
自然のなかで 響き合う関係が
教えてくれる 確かな学び

[Bridge]
教える側も 育てられる側もない
木を一本育てるのではなく 森を育てるように
安心の場に 身を委ねてゆけば
止まっていた時が 緩やかに動き出す

[Outro]
答えは馬が知っている
本当の自分が 鏡に映るまで
流れそのものになってゆく

感想

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サマリー

このエピソードでは、鳥取と岩手の牧場から、馬と子どもたちの日常を通して「主体性」と「関係性の教育」について深く掘り下げています。馬のワクチン接種の様子を間近で見た子どもたちが、馬を単なる乗る対象ではなく、共に暮らす仲間として捉えるようになる変化が語られます。また、集落の休耕地で馬を放牧する風景や、短期研修で訪れた家族がもたらす新たな交流についても触れられています。 番組の核心は、「主体性」というテーマから派生した「中動態」という概念です。これは、能動でも受動でもない、関係性の中で自然に流れるように行動する状態を指します。かつて滞在した中学生が、指示されるのではなく、生活のリズムや馬との関わりの中で自ら行動するようになった経験が語られ、これが「中動態」の実践例として紹介されます。馬との散歩や共同作業を通して、指示を出す側でも指示を受ける側でもない、一体感のある関係性が生まれる様子が描かれます。 さらに、教育の本質は個々の問題に焦点を当てるのではなく、環境全体や関係性の中に目を向けることにあると論じられます。一本の木を育てるのではなく、森全体を育てるように、安心できる場を作り、お互いが影響し合いながら育ち合うことの重要性が強調されます。不登校の子どもたちへのアプローチとしても、個への支援だけでなく、その子が属する環境や関係性全体を整える視点が不可欠であることが、スズメの絶滅危機のエピソードを通して示唆されます。最終的に、自分自身を消して関係性や流れに身を委ねることで、真の自由と心地よい循環の中で育まれる可能性が語られています。

近況報告:馬のワクチン接種と牧場の風景
答えは馬が知っている。馬という鏡が見つめる本当の自分。 この番組はハーモニーカレッジのお送りと
三陸駒舎の黍原が鳥取と岩手の牧場で馬と子供たちに向き合いながら、現場での出来事やこれからの生きる力について語り合う対話番組です。
はい、ということで9回目。
今日は6月27日ですけど、いつも通り最近の様子とかからいきましょうか。
どんな感じですか? 近況など。
そうですね、最近とね
最近っていうか、もう本当は昨日ですけども
うちの馬たちに ワクチンをちょうど打つ日で
あの いつも
馬のインフルエンザとか日本農園とか波消風とかそういったことを未然に防ぐみたいなんで、定期的に推奨されているようなそういう
ワクチン接種みたいなのを昨日やる日で それをしてたんですけど
うちの幼稚園の子どもらとか あと子育て支援
授業をやってるんですけども、そんなところでみんな馬が駐車されるっていうようなところを 間近で見て
馬によって なんかこう
一頭一頭なんともない馬もいれば すごいこう
構える馬もいたり 暴れるほどではないけどちょっとなんか取り乱すような
そんななんかこう馬それぞれみたいなこととこうやって
乗るだけじゃなくて毎日一緒にいるといろんなことが あるんやな体調がいい時も悪い時もあとそういったこう
なんていうかな 注射をしたりとか健康診断したりとかっていうようなことをずっと子どもたちが
日常的に見てると本当に乗るためにいるっていうよりは 一緒に暮らしている仲間やなあっていうのをなんかこう感じる
そんな機能やったなぁと思って
子どもたちとちょっと天気はねあんまり良くなかったですけど 子どもたちと馬たちとなんか毎日を暮らしているっていうのを改めて感じる日
でした 日比谷くんのはどうですか
なるほど えっと2つパッとあって
一つは 集落内の工作放棄地に
こう 鉱木を馬たちしてるんですけども
今ちょうど話しているところが川沿いのところで しかもなんかこう大きな
すごい大きな木があるところなんですよ でそこがこう
そこに話して馬がその横にいてみたいなすごくなんかいい風景だなぁみたいな 感じになってきて
冬の間ちょっとあの草生えてないのでそういうところ話してないんですけど だんだん周りあの草が伸びてきて
あのたくさん話すところが出てきているというか 今6ヶ所大小合わせて6ヶ所ぐらいあってぐるぐる回りながら
やってるんですけど なんかすごく放牧しているとでもいい風景だなぁっていうのが
その時の囲いとかはどうしてるの 電柵ですね電柵を
打って なのであの仮設というか
その敷地の端周りに 電柵を
カンカンカンカン打ってやるのでもうすぐ 打ってまた撤去してみたいな感じで移動した
ゆうぼくみみたいにして移動してはいるんですけど 草ぼうぼうだったところが綺麗になって
あのスッキリするのもあるしなんかその馬そのものがねいる風景もすごく川沿いで 川のたもとに
大きな木があってそこに馬がいて草はんでてってすごい いいなぁみたいな感じ
でした あともう一個はえっと
前にお話したあの今研修で短期3ヶ月間 だけできてる
方がいて家族連れて子供連れてきてるんですよ 4人家族でそうそう
その子たちが結構こう まあいつもとちょっとなんていうかなあ普段来てる子たちと混ざって一緒に活動
してて いろいろこうその関わり合いの中で普段全然まあ乗らない子たちに
乗ってはとかって話をしててそしたらこう しょうがねーなーとかって言ってこう渋々と言いながらなんか
うまにその普段乗らないあ普段来て家に来てた子たちが乗ったりして でもなんか乗ったらなんかねいい顔して
そういうなんかこう外からの風がなんかこう吹いてああ いつもの違う
感じが生まれているのが面白いなぁっていう いい最近のとこでしたはい
だんだん暑くなってきてはいそろそろ夏本格 化してくるなぁっていうのはどこですねはい
台風は特に影響なさそう なぁない雨はね降ったりはあるかもしれないですけど
ですねまぁずっと今最近梅雨で 今日はちょっと晴れてますけど
なんかじとじと 雨雨ん中作業してるとかっぱきてると中がすごい群れてっていうのは
状態ありますけどはい 雨も雨もあれ草も草も飲みないのではい
うーん というような感じでした
主体性から中動態へ:関係性の中で生まれる変化
はい でえっと今日の
テーマは えっとですねまあキーワードだと主体制っていうキーワード
実は前回 収録した後最後に出てて
でなんかじゃあそれでいきましょうみたいな感じ なったんですけど
さっきちょっとこう事前の打ち合わせだと覚えさんななんで出したんだっけみたいな 感じになってて
そうで僕なんかでもこれはなんかなんかいい面白いなっていうか こうこのテーマで思い出す
ここがあって っていうのはなんかこう
何年前だったかなえっとね3年前か4年前ぐらいに 1週間ぐらい滞在した中学生の男の子がいて
でその時に こう
うんと あその子はなんかもう中3であの早々に
あの 卒業自主出卒業しているような月1回どっか旅に出るみたいなことをしてて
そのお母さんは森の幼稚園の関係でちょっと出会った方で
ぜひちょっと息子を1週間送り出したいですってので
送り出していただいて1週間ほど家にいたんです まあ別になんか馬がもともと別にそんな興味あるわけじゃなくて
来たっていうところがあって でえっとうちは馬の暮らしを一緒に作ってるからそこは一緒にやろうっていうので
であと馬の関わりはなんかそこそこさっき言った乗馬とか乗るとか なんかこんなことやってみたいとかっていうのはやりたい範囲でどうぞみたいな感じ
だったので馬の暮らしを作るっていうのは基本あの えっと馬に餌あげるとか最低限のこう
馬のうんちを取ったりとかお掃除をするとかそういうことはやるよって話でやってたんです で別にそんな別には興味ない感じだけど
朝昼夕方馬に餌あげて 冬12月くらいだったら寒い朝ね起きて
ちょっと6時半に朝の朝買いって言って馬の朝食なんですけど 最初はなんかこう言われて一緒にやってるみたいな
感じのところの主体性は全くなくて 動詞の形言うと受け身受動体的な感じだったんですよね
でそれを何かこう繰り返しやってると まあとまあ普段子供たちも来て一緒にまたねあの普段来てる子たちとも混ざりながら一緒に
やってるとあなんかやるんやるんだなぁみたいな感じで 時間だったらこうやり始めて
それがこの能動的になってくるというかだんだん変化が あって
今生活のリズムが刻まれていくっていうか毎日 していくとそれがなんか最初はこう受け身で受動体的な感じがあったところからこう
自分からやり始めて それはなんかこう主体性といえば主体性かもしれないけどももうちょっとその先に行ったっていうのがあって
っていうのはなんかそのなんか毎日やってるから流れとして なんか時間来たらなんかやりますみたいな感じであと子供たちも来ると自然とこう夕方
なると馬のお世話始めたりとか 餌準備してあげたりとかしてたので
そうするとこうだんだんこうそう流れの一部になっていって そこからなんかねやっていくとその子がこう
大前後半 ちょっと馬乗ってみたいですとか
一緒にちょっと馬と歩いてみたいとかっていうのが出てきて なんかそのなんか流れの中にこう入り始めたら
そういうこう彼の中からこうそういうなんていうのかな意欲というか そういったものが出てきてなんかそのなんか流れの中に入るってすごい大事だなっていう
のを感じたっていうのがその 3、4年前の中学生の男の子が
滞在した時の話をこの主体性っていう話を聞いた時にちょっと思い出した ところでしたでその中最後流れになるっていうのがこう
えっと中動体っていう 言葉があるんですがそれだなと思って
漢字で書くと漢字で書くと 中に動く
中に動くです 中に動く 中央の中に
中国の中に動く 状態の体
って書きます そうそうそう
なんかこう一部あのなんだろう 哲学者で北文広一郎さんという人が中動体の世界とかっていう本を出されてたりとか
そう中動体についてちょっと少しなんかそういう人文界隈では 取り上げられていたりとかあと保育とか遊びの現場のとこでもそういう
ことを書いてる人の本もあったりとかして ちょうどそういうのをどっちかはさっきか忘れたけど
その出来事があった前後あたりでそういうのも出会って これは中動体だみたいな
いろいろやっていくその環境の中で流れの一つになって一緒にやってるっていうのがあって これってなんかでも普段
馬と一緒に活動してもあるなあっていうふうに思ってて 例えば馬と歩くときリードを持って
一緒に歩いているときって最初なんかこうよし行こうって言って 動かすっていうかこっちから
きっかけを与えるんだけども歩いてるとだんだんこう 一緒に歩いているような感じになるっていうか
それってなんかこうこっちが動かしているわけでもなく 馬に動かされているわけでもなくて
一緒になんかこう気持ちがあってきて 馬と私僕がこう同じ
世界に入るというか
なんかこう まあ馬が4本足で人間2本足とか6本足の生き物になるような感じになってるなって感覚が僕はあって
それと似てるなあっていうふうに そう思ったりしてて結構馬とやるときってそういうこう
どっちが種でどっちが獣とかじゃなくて 種獣じゃなくて一緒になって何かするっていうところがあって
結構あるなあっていうのをちょっと思ったりもしました よくなんかなんだっけあのジンバ行ったりとかってよく言うじゃないですかなんか
あれもあれもなんかそういう感覚に近いのかなっていう ふうにちょっと思ったりも
だからちょっとね思ったらなんかすでに馬乗ってて 歩こうって思ったら歩き始めるとか馬
いわゆるこう足とか何かこうムチとかで何か指示出すんじゃなくて 思い始めると体が変化してどっか
読み取ってると思うんですけど微細な変化を 馬乗ろうと思ったらもうすでに何か大きな指示出さなくても止まってくれるとか
そのあたりって一心同体になって伝わるっていう感覚って訪れると思うんですけど それともなんか近い感じ
なあっていうのが中同体のもの なんかオンとかいう部分で
思ったとこで それってなんかそのねそういう対1対1で馬との中でも起こるし
あそういう駒の暮らしの中でもそういうのって起こるなあっていうのがそのさっき言った 3、4年前に来た男の子の
滞在した時の話でした
なるほどなるほど
主体性 まあその
なんかこう主体性と
もう一つなんかこう中同体っていうことと主体性って なんかこう今話聞いてて
主体性ってなんか自分で考えて 自分で決めて自分でやってみるみたいな何のために自分はこれしようかなって思ったりとか
して 自分でこう方向を決めて自分で行くみたいな
そういう子主体性 が
実は関係の中で なんかこうお互いが館主体と主体がいるからお互い関係し合っているみたいなそういう
ようなものが中同体ということなんかな 8
そうですねあのよく説明するときに例としてあげるのが
えっと見る見ると見えるっていう 見るっていうのはすごいこう
能動的な行為でそうそう意識して見えるというのは自然とこう入ってくる なんかその場にいるとこう自分はこの好む好まざる関係なく
視界に入ってくるのを見え見えるっていう ああいうと思うんですよ
その中場にいてそのなんかこうその状況の中に自分も入ってしまっている たそこに何かあまりこう意思とか
そういったものがあんまり開催してないというの感じ ですなんか
うん
もちろんなんか猫そこに最初に入っちゃいますあの馬と一緒に歩くときにね じゃあ
馬房の馬の部屋から外の放牧地に行こうって こっちは最初ここ意識と方向づけがあって
スタートするんだけども なんかこうやってるやり始めるとそれがだんだんなんか
あんまりこう主体がなくなってくるというか そういうことも来るなっていう
なるほど確かにその主体っていうことばっかり 考えたりしてると
自分がどうしたいのかばっかりで相手を なんかそれ例えば馬の場合やと
自分の行きたい方向に連れて行ってるってちょっと主従関係じゃないけど そういうのが生まれるけど自然とこう横に
いて共に歩いているみたいなそんなパートナーになるみたいなのが中道体って いうことなんかな
そうですね なるほど
そういうのを 三陸駒車では結構そういう場面が
あの意図的に何かこう 作ったりとか意識しているとかってあるの
いや意図的っていうかその なんだろうなこう
僕自身なんかあんまりこう 例えば子どもたちに何か教えようとか
あんまりこうなんか こっちが先生で
何かやるっていうのをあんまり好んでないっていうのがあって
でもなんか場ってその暮らしの場を作ると
その学びは勝手に起きるんじゃないかっていうふうに考えてて
あんまりだからその意図的に何かっていうのも 場を整えるってことは意図的にしてるかもしれないけども
そこで何かこう何が起こるかっていうのは その人が入って初めて起こるっていうか
あんまりなんかこうその じゃあ今日はこういう目的を持ってこういうことをやろうとかって
あんまりやんない やってないです逆に言うと
でもなんかそこでいろいろこう 誰かA君が来て何か始めると何かが起こってて
これって何だろうなっていうときに あっそういう そっかそこの場から受け取って勝手に動き始めるっていう
なんか受け身的でもあるけども その場の中で一緒に何かやってるっていうものって何だろうってときに
中導体って何だと思って ちょうどぴったり合うなみたいな感じ
なるほど中導体はあくまでそのそういう 主体性が自然と生まれてくる環境やったりとか
そういう状態みたいな そういうことなんよね
中動態の本質:環境と関係性から生まれる自由
なんかあの
うんうんうんうんうん あっなんとなく じゃあ例えばそういう中導体の状態になるためには
例えばそこの場に絶対的な安心感があるとか 信頼できる人がいるとか
なんかちょっと 何やろうな
興味のあるものがなんかある
とか誰かがやってるものに えっじゃあ俺もやってみようかなとか
なんかこうお互いが いろんなものが影響し合う
自然な状態があるってことだよね
そうですね まさに最初の最近の近況の話でさっき言った その研修で来てる
子供と一緒に来てて その風が他の子たちに影響するってまさにそういうことで
その関係性の中で 関係性を見てるって感じです
あーなるほどね
馬も なんかこう何もしなかったら何もしないけど
こっちからなんかこう働きかけると その関係性の中でやり取りが起こってて
うん
常になんか馬って馬同士もなんかねこう 関係し合っていろいろ動いたりとか
反応したりとかしてるので あんまりこう自分っていうよりも
その外との環境との 関わりの中で
今その状態があるっていうか ちょっと説明中傷的であれですけど
でもあの すごい本質的なことやなってなんかあのちょっと俺も理解に
あの自分の なんていうかな経験とこう
リンクするのにちょっと時間がかかったけど まあなんか例えばさっき言った教える側と教えられる側があって
とか例えば子育ても親が育てる側で子供が育てられる側みたいな そういう
ついになっついというか向きあ向かい合ってるっていう感じのイメージから 何やろうな
教える側であったけど実は子供から学んでいることも多いやんか俺ら あと馬のトレーニングしてたら結局自分の今足りてないとこが見えてきたりとか
あと それこそ子育てしている中でも親育てしてもらってるなーって思う場面もあるし
なんかそんな風に
うーん どちらかが一方何かをしてどちらかがそれを受けるとかじゃなくて関わりの中で
お互いが育ちあったりなんか影響しあったり変化していく みたいなそういう状態のことが中道体っていうことなんかなって俺は今理解して
そう思うと えっと多分三陸駒車にもハーモニーカレッジにもその状態があるんやろう
なーっていうのがなんか要因に行こう想像できたというか
だからお互いが なんやろねえっと
マイクを 喋るときに渡されるというより
ちょっとこう
車座になってて真ん中にマイクがあってマイクとって喋りたいとき喋るけどしゃべり 終わったまた置いて
そういえばそれ聞いたら終わった私もこう思ったみたいな お互いが何か関係性の中で
非常にこう なんやろねえそう
流動的にそれがさっきの流れのようにっていう中に自分がいるっていうことなんかなって思って まさにその中道体を作る
ことって みんなが主体性を発揮できる場なんかなって思ったんで
その中道体がなかないと本当に教える側教えられる側
とかでそういう構図になりやすいかその時は中道体が働きに働いてない状態なんかな っていうふうにちょっと理解
自分なりにしました
なるほどねえ確かに確かにそれは
その中それぞれの主体がぶつからないでこう なんていうか調和している状態
はいある状態働いているときって 馬もだし私もだしどっちも何か
しかもなんかその なんかこうその時に
なんていうかそのさっきね一緒に歩いてるときってすごくなんか僕はなんかその 馬と僕の世界だけに入ってすごく心地いい感じが
するんだけどもなんかこう抑圧されてないから主体的な感じもするから そのなんだろう
非常にこう あの自由を感じるというか
ああ そういう感覚はありますのかね
なんかその中道体 の
担保できている状態って正解が一つの正解がないっていう状態なのかもしれないね なんかあの
なんかこう 一つの正解があると
それがわかる人とかそれがスムーズにできる人が なんかこう
ね正解になんねんけどあそれもいいしこれもいいみたいな
安心感があることとなんか一つの正解がないこととかなんかそういう ちょっとこう中道体の
状態を作れる 居場所とかそういう人が集まる場には実はそういうことが無意識に
できているのかもしれないね
いやなんか僕なんか馬を見てると非常になんかあんまり主体がない感じがして
もちろんある時もあるんだけどその 群れっていうかねなんとか一緒に動いてる時って
なんか一緒になんかみんな動いてるじゃないですかみんなそれぞれ 群れとしては動いてるって
そこになんかあんまり一人だけの 一頭だけの意思があるわけじゃなくて群れ全体の意思みたいなのがあって
それにそれにあってその中で動いてるっていうの感じがして
やっぱりその中に流れがあってその流れに乗ってる状態っていうのが
すごく なんていうんだろうなぁ
埋まってすごくそういうとこがあるなぁって思うんですよ
その流れに乗ってるっていうことと 流れに流されてるっていうのはまた違う?
あーでもなんか最初だから受け身ですよねさっき言ったように
はいはい
さっきの話で言うと最初にうちはもう既に流れがあって馬の暮らしっていう
男の子の最初はこう流されてる状態
はいはい
そうそうそう
でこうやっていくうちにじゃあこういうもんねっていうのでやり始めて流れを一緒に作る状態になっていって
作ってるうちにだんだんこう作ってることも忘れて流れそのものになっていくっていうような
そういう3段階みたいな変化があるんじゃないかなっていうちょっと見てその
3、4年前に来た男の子の
暮らしの様子を見てたら思ったって感じ
そういうことか確かに段階があって
あのそうだよねあの
社会も既に流れててその中に自分がいるけど最初は何もこう流されていくというか
でも自分にできることが増えたりとか
そうしたら影響を与えれてその流れに少し変化が生まれたりとか
もしかしたらもっとこう
なんていうかな力をつけたりとかあと仲間となんか一人でできないことができるようになると
大きな流れを新たに生むみたいな
なんかそういうこう段階があるっていうのはすごいわかりやすいね
そしたら今ねその僕らのところで言ったフリースクールやったりとか
登校とか引きこもりの子どもたちは実はその流れが
なんか止まっちゃってる状態なのかもしれないね
そうすると主体性とかっていうよりまずその流れのあるところに
安心して1回身を置けるみたいな状態を
もし作ることができたら流れ緩やかに流れていって
っていうそういう状態が確かに作れるといいよね
なんかこう馬のいる場ってそうかもしれんなって
さっき木原君も言ってたみたいにうちも
不登校の子どもたちを預かって一緒に生活をするっていう
祝辱をやってたんやけど
そこでは馬に乗るとか
プログラムとして馬と関わるっていうより本当に生活の中で馬といるから
馬のこともなんか非常に緩やかにこうなんていうかな
馬のことだけやるわけじゃないから
なんか何もしなくてもいいんやけど
でもご飯は食べるよねとか
緩やかにじゃあ一緒に食べようかとか食べたらちょっと片付けもあるから
みんなとも片付けようかとかってなんか徐々に流れができてきて
その流れの中でこのメンバーと流れてても
そんな居心地悪くないなって思ったらそのメンバーが
たまたま馬をやってたら自分もやってみようかなってなったりとか
っていうのが今までもあったなと思ってすごい
わかりやすいね中道隊っていう考え方は
ちょっと今まで自分の中ではなかったけど
改めて聞くとそういう状態やったんかなっていうのをちょっと感じました
でも結局主体性を発揮して周りとの関係がうまくいかなかったら
発揮できないじゃないですか
孤立するし結局人間っていろんな人と関係しながら生きてるから
人間だけに限らないけど馬もだけど
その関係性の中で生きてるっていうのをベースに考えていくと
その流れとかもちろんその流れがちょっと違うなと思ったら
反旗を翻して違う流れを作る必要もあるから
その先社会こんな社会じゃないだろうと思ったら
違う流れを作っていく必要もあるし
見る側も大人も個人子供一人を見るっていうよりは
その場に流れてる流れとか関係性とかに目を向けた方が
大らかになるっていうか
一人だけ見るともっとこうした方がいいのにとか
気になるところが出てくるけど
なんかその場の流れ作っていくとか場を良くしていくって
あれみたいな感じかな
子供を例えば一本の木に例えたとしたら
木を一本育てるんじゃなくて
どう関係性よく森を育てていくのかみたいな
そういう木々がお互い
なんていうかな
木が多い茂りすぎると地面が痩せてきちゃうし
そういうようなみんなが関係しあって
でも絶妙なバランスが取れて
ずっとそこが循環し続けるみたいな
そういう場作りとか関係性作りが
一つの
そういう中で子供たちが育っていくっていうことなのかなって思ったから
改めて自分の場にも
そういう流れ
滞らない
自然とした流れがあるのかとか
お互いが生かし合うような関係性が作れてるのかみたいなのは
すごいこう
新たな視点もらったなっていう感じがしました
馬もその
教育の本質:個ではなく環境全体へのアプローチ
一個体が生き残るじゃなくて
多分群れとしてどう生き残るかっていう
そこが最優先だと思うんですよ
そうするとこう
見てくださっき言った森との話ともつながってて
木一本だけ残ってもしょうがなくて
馬の様子見てるとあんまり自分ってあんまなくて
お互いの関係性の中で生きることを
最優先にしてて
どうしても人間って意識があって
自我があって
自分はどう生きていきたいんだろうとか
考えちゃうけども
もうちょっと自分っていうものを
ちょっと後ろに置いて
それより先に関係性だったりとか
その場の流れとか
そっちに委ねて
やっていくってやり方を身につけると
もう少し
自分探しとかいろいろあるけど
もうちょっとそれ横に置いといて
その置かれた環境の中で
どうしたら心地よく生きていけるかっていうところに
行き着くんじゃないかなっていう風に
やってて思ったり
今のお話聞いててすごい思い出したことがあって
20年以上前
もう30年ぐらいかな
小田原にはじめ塾っていう
生活塾があるんだけど
聞いたことある
ある
そこの和田さんっていう方の考え方とか
その方の教育館とかってすごく
学ばせてもらうところがたくさんあって
自分たちの本当に
今あるハーモニーカレッジの考え方の根幹となるような
発信をされてて
その方のお話を聞いたときに
それは講演会みたいなので聞いたんやけど
なんかね
その
絶滅危惧種
何の話だったかな
スズメの
どの種類かわからないけど
なんか絶滅危惧種のスズメがいるのかな
なんか
そのスズメを
スズメじゃなくても絶滅危惧種の種がいたとして
その
スズメ
ごめんスズメで言わして
スズメが
絶滅しそう
ってなったら
そのスズメが
弱いから
そうなったって
思いますかって言われたら
いやそんなことないよねって
例えばスズメが
繁殖しにくくなったとか
暮らしにくくなったとか
それは
自然環境とか
なんかそういったスズメの生態系のところに
何か影響があって
どんどん数が減ったって
思う
思えるんやけど
これがいざ不登校になると
その子を
何が変われば良くなるのかとか
なんかそのそこに目が向きがち
やけど
なんかスズメが
力がなくなったとか悪いとか
スズメの
ネガティブな部分を良くしたらいいんじゃなくて
そのスズメたちが生きている環境全体を考えるっていうような
話を聞いたときに
確かにそうやなって
その子をどういう風に支援しようかとか
考えてた自分の視野が一気に広がって
そしたら
学校だけでもなく
家庭だけでもなく
自分と子だけでもなく
いろんな関係性の中でこの子が
育っていく場さえあればいいんやなって
すごい思えた時があって
その中で自分が
関われたり
少し影響を与える
新たな流れを作れるところに注力したらいいなっていう風に思えて
だからなんかこう
環境のせいだけにしても良くないし
なんかいろんなものが
関係しあって
今の状態があるから
じゃあその状態の中で自分ができることは何かなっていうのを
考える視点をもらったっていうのを
今ポンと思い出して
それがまさに中道体のことなんやなっていうのを
ちょっと思い出しました
すごい何十年かぶりに思い出したな
まとめとエンディング
僕もそのはじめ塾久しぶりに来ました
誰か忘れたけど誰かに教えてもらって
本当に素敵な
ずっとね
丁寧に暮らしをしつつ
生活をしっかりと
暮らしをとにかく丁寧にされて
実際その場にも何回か行かせてもらったことあるけどね
本当になんか
こういう場作りしたいなっていうのを改めて思ったところやったな
お元気かな皆さん
そんな思い出してました
ありがとうございます
だいぶ長くなってきたので
今回これぐらいにしたいと思います
お聞きいただきありがとうございました
本番組は毎月第1第3日曜日の朝7時に更新されます
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それでは良い1日を
川沿いの大きな木の下で
馬たちが草をはむ静かな風景
最初はただ流されていた日々が
手綱を通じて交わり始める
種中ではなく共に歩む流れの中
私と馬が繋がる一つの世界
自然の中で響き合う歓喜が
教えてくれる確かな学び
教える川も育てられる川もない
日を一本育てるのではなく森を育てるように
安心の場に身を委ねていけば
止まっていた時が緩やかに動き出す
種中ではなく共に歩む流れの中
私と馬が繋がる一つの世界
自然の中で響き合う歓喜が
教えてくれる確かな学び
自分が鏡に映るまで流れそのものになっていく
40:28

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