003 なぜ牧場は「本当の居場所」になるのか?|馬がくれる役割と役立ち感
2026-04-05 40:33

003 なぜ牧場は「本当の居場所」になるのか?|馬がくれる役割と役立ち感

今回は「牧場という居場所」が持つ、独特の力について深掘りします。鳥取と岩手、それぞれのフィールドで活動する二人が語り合うのは、年度末の別れや春の訪れといった季節の移ろい、そしてそこにある豊かな「暮らし」の風景です。

春を告げる馬の冬毛の抜け変わり。そんな何気ない日常の中に、実は子どもたちの心を育てるヒントが隠されています。大人が用意した「プログラム」ではなく、馬という命が必要とするからこそ生まれる「役割」。掃除をしたり、爪の手入れを眺めたり。そうした営みの中で、子どもたちは理屈を超えて「自分が役に立っている」という実感を得ていきます。

便利すぎる現代社会では失われがちな、誰かのために手を動かす喜び。馬がいることで大人と子どもがフラットになり、共に命を支え合う。そんな「馬時間」に身を置くことで、私たちは自分自身の居場所を再発見できるのかもしれません。

日常の忙しさから少し離れ、牧場の柔らかな空気感を感じてみませんか?そこには、子どもも大人も、ただ「自分」として存在できる心地よい時間が流れています。ぜひ最後までお聴きください。

馬と人の関係を見つめる番組の始まり 自然体験の中で感じる春の訪れと冬毛のブラッシング ホースセラピーにおける「居場所」の作り方 子どもが役割を持ち「役立ち感」を感じる瞬間 馬小屋掃除が教育としてのホースセラピーになる理由 大人との関係性をフラットにする「馬から降る仕事」 現代の暮らしと馬時間の調和が生む、心の成長


▼配信

毎月 第1・第3日曜 朝


▼パーソナリティ

大堀 貴士(認定NPO法人ハーモニィカレッジ)
https://www.harmony-college.or.jp/

黍原 豊(一般社団法人三陸駒舎)
https://kamakoma.org/


▼コメントや感想、質問はこちらから

https://forms.gle/DXXT9babMNjbaaZq5

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最後に流れる曲は、本編で話した内容を文字起こしして生成AIで作詞作曲しました。


命の居場所 〜山の中腹にて〜

[Verse]ふらりと立ち寄った 山の中腹「何もしなくていい」 その言葉に救われて馬の吐息が 静かに響くただそこに居るだけで 許される気がした

[Chorus]ここは あなたのための居場所馬という鏡が 本当の自分を映し出す与えられる役割じゃなく 湧き上がる役立ち感命の温もりに 巻き込まれていく名前のない 安らぎの場所

[Verse]誰かが切った 蹄の欠片自然と箒を 手に取っていた大人も子供も ここではフラットに馬がくれるお題を みんなで解いていく

[Bridge]「やりたくない」と 背を向ける日も命を繋ぐ水は 待ってくれない他者の命を 愛おしむことが自分の命を 抱きしめることに繋がる

[Chorus]ここは あなたのための居場所馬という鏡が 本当の自分を映し出す与えられる役割じゃなく 湧き上がる役立ち感命の温もりに 巻き込まれていく名前のない 安らぎの場所

[Outro]夕暮れの牧場 流れる「馬時間」「またおいで」 言葉はいらないあなたの居場所は ここにあるから


#馬 #ホースセラピー #自然体験 #子ども #教育 #馬と人の関係 #関係性の教育 #馬との対話 #動物と人 #人と自然 #森のようちえん #野外教育 #自然教育 #体験教育 #非認知能力 #発達支援 #療育 #感覚統合 #子どもの発達 #自己肯定感

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サマリー

このエピソードでは、牧場が子どもたちにとって「本当の居場所」となる理由を探求します。鳥取と岩手で活動するパーソナリティの大堀さんと黍原さんが、季節の移り変わりや牧場での暮らしについて語り合います。特に、馬との関わりが子どもたちの自己肯定感や「役立ち感」を育む様子が強調されます。大人が用意したプログラムではなく、馬という命が必要とする活動(掃除や手入れなど)を通して、子どもたちは自然と「自分が役に立っている」という実感を得ます。現代社会では失われがちな、誰かのために手を動かす喜びや、大人と子どもが対等な立場で命を支え合う「馬時間」の重要性が語られます。馬がいることで、子どもたちは理屈を超えて行動し、他者の命を大切にすることが自身の命を大切にすることにも繋がるという考えが示されます。最終的に、牧場のような場所は、子どもも大人も自分らしくいられる、貢献感や安心感を得られる「居場所」となり得るという結論に至ります。

季節の移り変わりと牧場の近況
答えは馬が知っている。馬という鏡が見つめる本当の自分。この番組はハーモニーカレッジの大堀と三陸駒舎のきびはらが鳥取と岩手の牧場で馬と子供たちに向き合いながら現場での出来事やこれからの生きる力について語り合う対話番組です。
はい、ということで 無事第3回目が始まりました。よろしくお願いします。
今日収録はですね3月15日なんですけども、最近大堀さん現場はどんな感じですか?
年度末でいろんな事業の中で、節目のタイミングですね。
卒業とか卒園とかっていうのが今ちょうどタイミングで
毎週何て言うんですかね、送り出すようなセレモニーであったりとか
会をして 涙を流したり
なんかこう 不死身やね、そういうのを
重ねている時期かな。 今日もね
大学生のボランティアが8名卒業していくんやけど
涙涙のお別れをして
ボランティアをずっとやってきてくれてたんで
子どもたちのために馬たちのために自分たちの力を出してきた
4年間 でそれを
見返りとして子どもの笑顔だったりとか 親のありがとうだったりとか
馬が良くなるとかスタッフからも感謝されるとかが
そのボランティアの彼らのやりがいになって
先に自分の力を出してくれることによってその反応が彼らの
金銭じゃない報酬になって いろんな経験ができて4年間ボランティアでやってくれたけど
やってて良かったっていうのが昨日もたくさん聞けて 胸がジーンと熱くなるような
そんな近況、最近でしたね。 なるほど。
木部原君の方はどうですか? そうですね、うちはですね
そういう卒業的なのはうちの事業所というか場ではなくて
ただ子どもたちは卒業式あったとかですね
そういう話を聞いたりする感じなので
ちょっと今大堀さんの話とは雰囲気が違うかなって
逆に家的な感じなんだな、うちはみたいな
そういう卒業か、次6年生かみたいな
そんな話を最近してるのと
あとはやっぱり春になってきて
だいぶこういう木も溶けて温かくなってきたので
子どもたちもよく外で体を動かしたりとかする時間が増えてるし
そう山菜、こっちの方だと吹きのとんことをバッケって言うんですけど
あ、そうなんだ
そう、それを子どもたちの散歩、犬の散歩しながら取ったりしてるので
春が近いぞっていうような感じ
もう春をすごい感じる時やね
そうですね、梅の花も咲いたりとか
まあやっぱり蕾もどんどん膨らんでるので
そう、そんなんで一緒に外出てると
春がどんどん近づいてるのを感じます
いつも春の季節の移り変わりを感じる
馬からも感じるなと思ってて
牧場が「居場所」になる理由:馬との関わり
ブリューゲーがめっちゃ、抜け変わっていかへん
はい、なり始めました、うちも
もうブラッシングするだけで毛だらけになるよね
そう、すごい、本当に
ズボンにももうなんかこうね、むっちゃつくし
これなんか有効利用もできることあったらいいのにね
すごい量取れるよ
でもなんか、フェルトみたいに丸めて
馬の毛のボールみたいにしてやったりしてる子もいました
だから羊とかやったらさ、そういう羊毛フェルト
はい、ありますね、ニーニングっていって
チクチクチクチクチクやると絡ませて
あれ馬でもできるのかな
ある程度できるはずです
あそこも羊毛ほどならないけど
あ、そうか
毎年この冬毛の
ブラッシングしたのを集めたら
あの餌袋にも何袋にもなるから
そうですよね
どっかに多分ある
本当にこういう小っちゃい玉っていうか
豆玉みたいにして
あの紐つけてキーホルダーみたいにしてました、誰か
うちの娘がやってたかな
あ、そうかそうか
いつもなんか処分というかも
そういう感じだったから
これも使えたらいいのになーとかって
思いながらやってた
そういうのができるよね
ですね
というような現場でしたけど
今日なんかね話したい
でもどうしようってさっき打ち合わせで
してたんですけども
その居場所
確かに2回目か1回目かどっちかちょっと分かりますけど
前回2月に収録したんですけども
1回目か2回目はどちらかで
子供たちの居場所のなんか
なんていうのかな
牧場ってそういう場所になりやすいよねっていう
ようなことを話をしてて
そう感じて
居場所やねテーマ
なるほど
なんか馬がいることで
より居場所になりやすい
別に馬がいなくても
もちろんいろんな居場所ってあると思うけど
馬がいることによって
独特の居場所になるっていうところはあるなと思って
ちょっとそんなところをお話しさせてもらおうかな
ぜひ
まず子供たちが牧場に来た時は
うちの場合は
子供だけで来れる場所にないので
ちょっと山の中腹にあったりするんで
親が連れてきたりとか
フラッとこう
あっち寄ったみたいな人が
馬がいることで
寄ってくるとか集まってきてくれて
そこでこう
初めて見るとか
触ってみるとか
役割が育む「自分の場所」と理屈を超えた行動
そういうところから始まるんですけども
何もしなくても
うちの牧場は別にプログラムがなくても
見に来てもらうだけでもよかったり
それは今までもこれからも多分変わらないんですけど
まず居場所の大切なとこは
何もしなくても
居れる場所
でも
何もないと
逆にこういつ来てもいいよ
いつ帰ってもいいよっていうことは
慣れてる人にはいいんやけど
行ったことない人が
行っていいのかどうかとか
そういうこう
いつでも
難しさっていうか
スタートの時は馬ちょっと見に行こうとか
例えばうちの牧場にはカフェとかはないんですけど
カフェとかがあれば
ちょっとお茶飲みに行こうかとか
何かしらのこうきっかけになることがあると
一回行ってみることができる
でも行っても何かしなければならないこともないし
別に乗馬体験をしなくても
行っていいんやってなると
また行きたいってなったり
今度家から
虹持ってきてもいいですかとか
なんかそんなんでこう
何もしなくても行っていいっていうきっかけが
馬がいることでこう
まず行きやすいっていうところもあって
あとスタッフたちは来てね
乗りますかとかっていう感じのアプローチはしないので
来た人に安全に馬を見てもらえるように
案内したりはするんですけど
ちょっと距離を持ってとか
気をつけてもらうとこだけお話したら
一旦こうゆっくりと馬と過ごせたり
写真撮れたりみたいなことはしてるんで
そうするとこう
スタッフはね馬を出してきて
ブラッシングしたりとか
裏掘りを足のねひずめの掃除をしたりとか
そんな時にこう
ちょっと声かけて触ってみますかとか
で終わった後
掃き掃除をしてたら
よかったらチリトリ手伝ってください
みたいなことで
何もしなくてもいい場所から
ちょっとした役割ができるっていうか
くりやすいなって思ってます
役割ができるとちっちゃい子でも
一回こう役に立ったなぁみたいなことを感じると
また次やってくれるよね
例えば
掃き掃除した子で
それが何か役に立ったとか
喜ばれたとかっていうのがあると
早くこの馬が
馬小屋に帰ってその後の
手入れした後の
体の毛を掃除したりとか
その流れが分かってきて
役割があって
そして役立ち感を感じて
っていうのが
何もなくてただいてもいいっていうところから
発展して役割ができて
役立ち感が感じれて
それをまた新しい人にも
同じように
教えてあげてとか
言わなくても
自分が経験したことを
他の人にもやってくれるっていう
そういう連鎖が続いていくので
馬がもたらす大人の子どもとのフラットな関係性
自然と馬がいるだけで
やることがたくさんあるんで
安心感を
安心感というか役立ち感とか
を与えてくれてるのかなっていうのは
感じてますね
そっちの何か
三陸小松さんの方とかどうですか
今の話聞いてて
本当そうだなって思うのが
役割があるってところは
うちはすごい大きいなっていう
思うんですよ
っていうのは
居場所って
ただ場所があれば
なるかってそうじゃなくって
自分自身が
いてもいいなとか
居心地がいいなとか
ここだったら居られるなみたいな
そういう感覚がある場所
だと思うんですよ
その時に
今言ったように
役割があるっていうか
うちだと
子どもたち放課後とか来て
最初遊んでるんだけど
最後必ず
動物のお世話をしてから帰るっていうのを
毎回日課というかになってて
何らか自分
いろんなお仕事あるので
その時にいろんな作業があって
選んでもらったりするんだけど
それをやることで
その場所が
自分が手をかけていくことで
自分自身の場所になっていくっていう
変化が訪れるなっていうのがあって
命を繋ぐための「当たり前」と貢献感
そうすると
1回目か2回目に話した
誰か来た時に
ここがこうでとか
説明を勝手にしてくれるというか
自分の場所になってるから
そういうのは
役割があることの
重要さというか
大人が勝手に作っていい場所を
子どもに与えるっていうのは
本当の居場所にならないなって感じは
知ってますね
そういうのを見てると
そうやね
その役割も
何々がかりとか
何々担当とかって与えるんじゃなくて
ある種馬が
例えばバス時
手入れでどんな道具を使うか
部屋に帰ってったら
あとどんな作業してるかって
子どもら結構見てるよね
見てますね
そうすると
馬出そうかなって思った時に
馬のつなぎ場に
こうなんていうかな
リードロープみたいなのを付けるんやけど
あうの呼吸でできるようになってくるよね
それは大人と子どもでも起きるし
子ども同士でも起きて
なんていうかな
現代社会における「暮らし」と「役立ち感」の喪失
アイコンタクトみたいなのが
普通にできるようになってくる
流れの中で
でもやることが
なんて言ったらいいかな
例えば掃除とかやと
やらなければならないことみたいに
なりやすいんやけど
馬の場合
理屈なしでそれができるっていうのかな
例えばやけど
子どもたちが
馬が好きになってくれてる時に
たまたま馬の柵手
ひずめを切る
爪切りを
月1回ぐらいするんですけど
その時に
普段見ない道具で
爪をバサバサ切っていくから
子どもが集まってくるよね
そしたら
爪を切ってる人の
すごい汗もかきながら
中腰で腰も痛そうやし
夏とかになると
ハエが集まってきて馬も動いたりするし
なんとなく子どもたちは
これ人も馬も大変そうやなっていうのは感じるから
切ってると
切った爪がどんどん下に落ちてくる
そうすると
子どもが勝手にほうきを持ってきてくれて
タイミング見て
邪魔にならないようにささっと
共通の目的と貢献感が生む繋がり
ひずめを集めてくれたりとか
あと爪を切ってて黒い部分があって
匂いが臭いよねあれ
ちょっと足腐ってるなとか言ったら
子どもらが
足腐ってるってどういうこと?
爪の中にバイキンが入って
腐敗して臭くなるんよって
これが進行していくと
馬が歩くのがこうしたり
びっこひいたりとか
もっとひどくなって爪が割れるとか
いろいろあるんだっていう話をすると
どうしたらいいの?って聞かれるから
やっぱり馬小屋をきれいにすることと
日ごろの手入れをちゃんとするっていうことと
あとやっぱり運動を適切にすることで
血行も良くなって
いい爪が生えてくるんだみたいな話をすると
そこから子どもらの馬小屋掃除の質が
全然違うよね
足の爪の掃除も結構大変やんか
それも腐ってるんやとか思うと
子どもらのきれいにする度合いが違うから
掃除をさせなくても
爪をきれいに掃除しようとか言わなくても
理屈抜きに子どもが馬のことを思って
こうしようああしようもっとこうしたら
馬は喜ぶんじゃないか爪を切ってる人は
集中できるんじゃないかみたいな
思いやるみたいな先を読むような力が
自然とついてくるというか
それがいう役割が馬の間にはいっぱいあって
それが何か居場所にもなっているのかな
っていうのはちょっと
今ちょっとお話をしながら思い出しました
なるほど
今言った理屈なくって話で
そう思ったというか
馬がいると馬からというか
こっちの大人がこれやりなさいとかじゃなくて
「巻き込まれる力」と「馬時間」による生活リズム
馬からこれやってほしいっていうのは
降ってくるっていうか僕たちに
だからそこに変な大人の意図というか
人間側の意図じゃなくて
馬が必要としてるからその作業があって
それをやるっていう風に変わるというか
そこは大きいなって思うんですよ
大人が僕たちが用意して
これやりましょうみたいになると
結局上から下に降ってくる仕事みたいになるんだけど
馬からいろいろこういうの必要だよねっていうのは
それを見つけるのは僕たちかもしれないけど
これやらないとそういうことをさっき言った
馬の健康がとかあると
僕たちもだし子供たちもお互い
どっちも馬から言われてるから
じゃあ一緒にやろうみたいな感じになれるっていうか
そこは大きいなっていうか
馬から仕事が降ってくるというような形になるっていうのは
大きい気がします
ちょっと前回も
怪盗になるというか馬がいることで
大人も子供も関係性がフラットになるみたいな
ちょっとお話が少しだけあったかと思うけど
今の清原君が言ってくれたことも
フラットにする要因の一つかなって思うけど
例えば大人が用意したプログラムとか
教材とか
大人から与えられるみたいな感じになるけど
馬から出されたことって
大人がやってもいいし子供がやってもいい
でもその中身によって
なんて言ったらいいかな
子供ではできないことやと
大人がスーッてやることに
子供たちもめっちゃ集中してみるし
じゃあ大人がそれやってるんやったら
自分はこれやっとこうかなみたいな
だから関係性がすごいフラットになるっていうか
子供と大人が協力して
馬から出された一つのお題を
役割分担をしてやってるみたいな
例えば馬毛の一部が木なんで
ささくれてきたりとか
あと馬がこう
餌の時にちょっと興奮して蹴って穴が開いてしまった
そしたらそのままやと足を怪我しそう
ってなったら
子供たちはこう
壁に穴開いたことをどうしようと思って
教えてはくれる
じゃあこれ危ないから何とかしようってなって
大人が大工道具で壁を外して
次の木を切って
インパクトで止めてみたいなしてる間
子供らは作業しやすいように下の
馬の下に敷いてるやつとかを
さーっと掃除してくれて
壁張り終わった後
またそれをならしてくれたりとか
本当にそういうことも起こるし
あと体調悪い時とか
すごい一緒に子供たちと
次回の予告と番組情報
看病できるっていうか
例えば何時間に1回
ちょっと検温したいんやっていうようなことを話すと
検温の仕方とか最初一緒にやると
1時間後とかになったらまた子供らから自分で時間測って
そろそろ体温測る時間じゃないとかって教えてくれたりとか
足を冷やすのを1日2回やるとかってやってたら
それも子供らが教えてくれたりとかするんで
馬が関係性をフラットにしてくれるっていうのは
役割もくれるし
関係性もフラットにしてくれる
っていうのはなんかあるよね
それもあるし
さらに思うのは
もちろん子供たちからやってあげようっていう風になればいいけども
じゃなくても必要なことだからやるよっていう風に
ポトシも言えるっていうか
そこにあんまり
よく最近は選択させるみたいな子供たちにあるけども
これやらないと馬の命がつながらないというか
うちだとあんまり馬には興味なくて
わーって遊んでて
でも夕方になると馬のお世話の時間になって
えーやりたくないみたいな子もいるんですよ
これやらないと馬はご飯食べれなくて
死んじゃうしみたいな
そこに
なんていうのかな
やるやらないみたいな選択はなくて
命として必要だからやるっていうような形で
提供されるというのはすごくいいなっていう風に思うんですよ
そこで最初は嫌々やってるんだけども
でもやっていく中で最初の居場所に戻っていくと
貢献感というか
僕たちもありがとうみたいな
そういう風にやってくれると助かるし
こうなってくると
自分自身って役に立てるんだというか
できるんだみたいな感覚がだんだん育っていって
それがやるのが当たり前みたいに
だんだん変わってくるというか
そうなってくると
選択するしないみたいなことを超えた先の
世界というか場に変わってくる
命が第一であって
それをつなぐことが大事だよねっていう
自分の気持ちもあるけども
まず命をつなぐっていうことは第一優先なんだっていうのは
だんだん体に染みていって
そういうのが居場所としてあると
それが日々積み重なっていくので
他者の命を大事にすることが
自分の命を大事にすることにもつながるし
そういったものは
1回コッキーの中分
プログラムだとなかなかできないけども
場所としてやっていくというか
継続的な場でもあると思うんですけど
居場所って
そういったことで
やれることっていうか
到達できる部分ってあるなって
聞きながら思いました
僕らのところは
今木部原君が話してくれたようなことを
本当に同じような感覚で
大切にしていきたいねっていうことで
馬との生活とか馬との暮らし
っていう風に言ってるんやけど
暮らすことってさ
面白いから
選択するとか
やりたいから掃除するとかじゃなくて
生きていく中で
淡々とやっていくことっていうのが
生活の中にはあるやんか
それを馬がいると
自然とやることが理屈抜きに
やらないといけないっていうのが分かってて
子どももできることがあって
大人にしかできないようなこともあって
なんて言ったらいいか
すごい昔の
まだ発展途上の
日本での暮らしみたいな
子どもも生活する
同じ一員で子どもも役割があるみたいな
多分暮らしがあったんやと思うよね
でも今日常生活の中で
洗濯は自動になってるし
家によっては乾燥まで自動でされるから
やることもだいぶ少ない
部屋の掃除も自動で
出かけたらビューって
ルーマみたいなのが掃除してくれるとか
食器も
食洗機が洗ってくれるとかってなってくると
生活の中で
営みとして関わる
関わりしろが多分いっぱいあって
それが
便利になる前は
やらなければならないことで
大人も手一杯から子どもも
一緒になってできることやるみたいな
そういうのが当たり前やと思うんやけど
どんどんやっぱり今
便利になった弊害かなと思うけど
そういうことがなくなる
その間子どもたちは
勉強してようとか
習いごとに行こうみたいな感じになって
そこに役割がなくなってしまうっていうかな
だから
ちっちゃい子どもたちが
うまくできなくてもお手伝いめっちゃしたがるよね
そうですよね
それってやっぱ役割とか役立ち感を
自分もできるんだっていうのが
一緒に暮らしてる一員とか
っていうのを家庭の中で
少なくなってきても馬といる現場では
全くそんなことないやん
全部主導っていうか
みんなで力合わせていくっていうことが
自然とあるから
なんか
その生活とか暮らしの中にこそ
役立ち感があったり
そこで経験があったり
気づくことがあったり
感謝が生まれたりっていうことが
できるっていうのが
だから本当に
昔ながらの
やるべきことが分かりやすくあってくれるのは
助かるよね
そうなんですよ
今思ったのは
うち子どもたち
さっき言ったように高校来て
バラバラ
数人は一緒に遊んだりとか
するけど
全員が一つのことやるっていう感じではないんですよ
好き勝手に遊んでると
いろいろ別れて遊んでるけども
夕方になるとみんなで
動物の世話をするってなると
共通の目的じゃないけども
そこにみんなでやるっていう
別にお互い
仲いい悪いとか関係なく
お題が降ってきて
やんなくちゃいけないっていうことがあるから
でもそれぞれ
点でバラバラのようだけど
どうか繋がることができてるっていう感じがあるのは
そこにやっぱり
僕たち
人間
子どもたちとかスタッフも含めて
そこにいる人間外の何かに対して
みんなでやるっていうか
そういうものがあるっていうところで
繋がれてるんだなっていう感覚はあるね
そういうのがあるのと
もう一個はその先は貢献感みたいな
ところってやっぱ大きい
確かアドラシン理学なんかでは
そういう貢献感みたいなのを大事に
したはずなんですけど
結局
人が生きてく上で
生きてる中の
なんていうのかな
世界というかで
自分って役に立ってるんだとか
そういう
実感みたいな
それ大事だなって思うんですよ
なんでそう思ったかっていうと
結局
勉強するとかって
将来のためにみたいな感じになって
今じゃなくてその場じゃないんですよ
頑張ってるところが
でも本当は自分が生きてる世界の中で
自分が何か手を動かしたりとか
変わることで
その場が良くなるとか
その場が維持されるとか
っていう感覚ってすごく大事っていうか
社会って変えられるんだみたいな
よく
若者が
社会は変えれないって思っちゃうみたいな
諦め感みたいなのは
どうして生まれるんだ
無力感みたいなものって
多分そういう
実感があまり生活の中に
感じられるような場面が
すごく減ってるからかなって思うんですよね
その時に
居場所って
もちろん安心してできることもあるけども
そういったその場所に
居場所に自分を参加してて
一緒に作っていくっていう感覚は
その居場所から先にまた
飛び出していって
地域だったりとか
社会に出てきた時の
すごく大きな
違う場所に行った時に
自らそこに参加してまた作っていくっていうような
ことにもつながるなって聞いて
思いました
馬がいる場所じゃなくても
例えば子ども食堂とかでもそうやし
公民館とか
どんなとこでもいいんやけど
そういう場所って
気づいたら巻き込まれてる場所
かなって思うよね
そこの場にいる人が
安心感があって
今手空いてるんだったら
これやってとか
これどこどこ持ってって
自然に
サービスを受ける側は
片付けもしなくていいとか
提供だけされる
その代わりお金払うみたいなことになると
そのサービスに対して
不十分とかって
あんねんけど
言われたりとか言ったりとかって
出てくるかもしれへんけど
そういう居場所って
サービスを受ける場所ではないと思うから
居ていいし
でも
もちろんそこの
その子の様子とかも見ながら
多分居場所を作ってる人たちは
上手にというかもう
感覚で息をするように
ちょっと手も手伝ってみたいな
勝手に巻き込んでいく
そうすると
巻き込まれた方も嫌な気持ちをしないっていうか
そこに居ていいっていう
お住み付きをもらったみたいな
そんな風になるなって
別にだから馬が生きてもいなくても
そういう居場所になれるところってあるから
多分
大人の人の常連の居酒屋さんとかで
もしかしたらそうかもしれんね
例えばおかみさんが一人でやってたら
これ運ぶねとか
なんやったらちょっと厨房に行って洗うわみたいなとか
そうするとまたそこは
もう俺が行ったらなあかんからとか
みたいなことで
関わりしろができるっていうのかな
なんかそういう
居場所要素には
巻き込まれ力とか巻き込む力とかが
なんかあるような気はするね
なるほど
確かに
あとなんかさっき木部原くん言ってた
馬がいることによって馬時間っていうのがあると思うよ
例えば夕方になったら
餌をあげるとか
午前中に
なんていうかな
一旦馬小屋きれいにするとか
それぞれの場所によってのリズムは違うと思うけど
毎日バラバラとかじゃないと思うね
ある程度の流れがある
人やと今日しんどいからとか
人が少ないからとか
雨が降ってるからとかって
いろいろ変えることもあると思うんやけど
馬がいることで
定点でここで餌をあげるとか
ここは放牧してあげたいねとか
運動をしてあげたいし
乗るんやったらここかなとか言って
馬を中心に軸ができるから
人の
なんていうかな
リズムが整っていくっていうのかな
そういうのは馬時間で
自分のためにとか
人じゃない
理屈抜きに
そろそろこうしてあげようみたいな
みんながさっき餌の時間に
集まるみたいなお話あったと思うけど
あれがまさに馬時間を軸にした
生活スタイルなんかなって
思いました
同感
ちょっとねその話あるんですけど
だいぶ
長くなったので
これを後半に続くにしましょう
ということで一旦今回は
ここまでということで
次回も居場所編の続きにしましょう
はい
ということで
お聞きいただきありがとうございました
本番組は毎月第1第3日曜日の
朝7時に更新されます
チャンネル登録や
番組のフォローをお願いいたします
また概要欄にお便りフォームのリンクがありますので
コメントや質問などお寄せください
はいそれでは良い一日を
良い一日を
許される気がした
ここは馬という鏡が
本当の自分を映し出す
与えられる役割じゃなく
沸き上がる役立ち感
命の温もりに
巻き込まれていく
名前のない
安らぎの場所
誰かが切った
ひるめのかけら
自然と
ほうきを
手に取っていた
大人も子供も
ここではフラットに
馬がくれるお題を
みんなで解いていく
やりたくないと
背を向ける日も
命を繋ぐ水は
待ってくれない
他者の命を
愛おしむことが
自分の命を
抱きしめることに
繋がる
ここは馬の自分を
映し出す
与えられる役割じゃなく
沸き上がる役立ち感
命の温もりに
巻き込まれていく
安らぎの場所
夕暮れの時間
またおいで
言葉はいらない
あなたの居場所は
ここにあるから
40:33

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