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「生きながらにして死んでいる」とブッダに酷評された女性の話
2026-07-18 13:13

「生きながらにして死んでいる」とブッダに酷評された女性の話

絶世の美女マーガンディヤーは、ブッダからその身体を「糞尿が詰まったもの」と否定されたことで激しい怒りを抱き、凄惨な復讐劇へと突き進みます。本動画では、ダンマパダアッタカターに伝わる彼女の物語を通し、ブッダの考える「生きるとは何か」、「死とは何か」を解説します。


【目次】

マーガンディヤーの物語

身体への執着を手放す不浄観

ダンマパダ21、22、23偈

ブッダの生死観


【参考文献】

ダンマパダ・アッタカター

木挽町のあだ討ち 永井紗耶子


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【大忍貫道プロフィール】

1987年福岡県生まれ。花園大学文学部卒業。臨済宗

妙心寺派僧侶。

尾張妙興寺僧堂にて修行。

2011年より九州地方の臨済宗妙心寺派寺院にて住職を務める。

SNSでも仏教の情報発言を行い、Instagram フォロワーは4万人を超え、Podcastフォロワーは2千人を超える。

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サマリー

絶世の美女マーガンディヤーは、ブッダから自身の身体を「糞尿が詰まったもの」と評され激怒し、復讐に走ります。彼女の物語を通して、仏教では肉体への過度な執着を戒め、不浄観の実践を説くことが解説されます。ブッダは、自己の能力を活用せず怠惰に生きることを「生きながらにして死んでいる」と述べ、真の幸せは努力と忍耐にあると説きます。私たちは、容姿や肩書きといった社会的な価値に囚われず、自己の本質を見つめ直すことの重要性が語られます。

マーガンディヤーの物語とブッダの言葉
もしあなたが自分の容姿に絶対の自信を持っているとして、ある日、世界で最も尊敬されている人から、「あなたの体とか足ですら触れたいと思わない。」こんなふうに言われたらどう思います?
しかもその理由は、「その体は糞尿が詰まったものに過ぎないからだ。」って吐き捨てられてしまう。
当然、腹が立ちますよね。
実は、これはブッダがある女性に言った言葉なんです。 この言葉をきっかけに、女性はブッダに激しい怒りを覚えまして、やがてそれが放火や殺人にまで発展してしまいました。
この女性の名前はマーガンディア。今回はダンマパダに伝わる彼女の物語を通して、なぜ人は自分が価値を置いているものを否定されると怒りを覚えるのか。そして、私たちは何に価値を置いて生きるべきなのか、これをお話ししてみたいと思います。
今回の物語の主人公はマーガンディアという美しい女性です。
彼女は大変な美貌の持ち主として知られておりまして、これまで多くの男性から求婚されてきました。しかし彼女の父親は、そのいずれも自分の娘にふさわしいとは思いませんで、その縁談を断ってきました。
そんなある日、ブッダがマーガンディア一家に住む地域を訪れます。
マーガンディアのお父さんは、このブッダの美め麗しい要望と威厳ある雰囲気、空気を見ておりまして、このお坊さんこそが娘の向こうにふさわしい、こう考えます。
お父さんは急いで家に戻りまして、娘を連れてブッダのもとを訪れ、どうか娘の向こうになってくれと懇願します。
するとブッダは、分尿が詰まったその娘の体が何だというのだ。私は足ですらその娘に触れたいとは思わないと、こういう大変厳しい言葉を返されました。
なぜブッダこういうことを言われたのか。仏教では肉体に対する過度な執着というものをいましめます。
肉体への執着と不浄観の実践
私たちは異性であったりとか、また自分自身の肉体に美しさを感じたり、容姿に魅力を感じたりしますよね。
私個人としては、トレーニングして体を鍛えたりとか、またお化粧をしたりとか、また美容皮膚科に通ったりとか、こういうことは悪いことだと思ってないんです。
それによって自分を好きになれたり、自信を持てたりするんだったら、それはそれでいいことだと思ってます。
ただ、容姿、肉体の美しさというのは永遠に保たれるものではないですよね。
必ず衰える。そしてその美しさに過度な価値を置いていると、いずれ自分自身がそれによって苦しむことになりますね。
ブッダはこのことを危惧されているんです。
だからこそ、仏教では苦しみを減らすために、肉体とか容姿に対する執着を少しずつ弱めていくことを進めます。
具体的な実践というのもありまして、これが伝統的な仏教では不浄観というふうに呼ばれる、一種の瞑想です。
何するかというと、死体置き場とかに行きまして、後遺体が腐敗して、やがて骨になっていく過程を観察するんですね。
人の肉体というのは、皮一枚剥いたら、その内側には臓器とか血液があって、ブッダが言われたように糞尿も詰まってます。
決して私たちが思い描くような美しいものだけで構成されているわけではないですね。
ブッダは、これこそが、その中身こそが、私たちの体の本当の姿、実相なんだというふうに説かれました。
その内情を本当に理解をしていくと、死ぬ前と同じようにはいられなくなるんだと、肉体とか容姿に美しさとか魅力を感じなくなるんだって言うんですね。
例えば、高級なコーヒーにコピルワクというものがありますね。
これ、蛇行猫が食べて排泄したコーヒー豆を回収して、焙煎して作られるコーヒーになりますけども、
この製法を知らない時には美味しく飲めたのに、その製法を知ってしまった、内情を知ってしまった途端に飲めなくなったっていう人結構いらっしゃいますよね。
体についても、ある意味似たようなところがあるんです。
体の内情を本当の意味で理解すると、以前のような魅力を感じなくなるんだっていうことですね。
死体置き場に行ってっていうのは古代インドの話で、今はそれはできないんですけども、
代わりに日本だと昔からそれを絵に描いて、体が腐敗していく様子を絵に描いて、それを見て瞑想するってことが行われたりしてました。
ところがこのマーガンディアは、自分の体を穢らしいとか全く思っていないんです。
それどころか自分の美貌に対して強い自信を抱いている。
それだけにブッダに対して強い恨みを抱くようになります。
マーガンディヤーの復讐劇とブッダの忍耐
その後マーガンディアはコーサンビーというインドの古代都市の王様であったウデーナ王という人の妃になります。
このウデーナ王というのは伝説によると世界で初めて仏像を作らせた人物というふうに言われています。
この仏像の複製というのは中国にも伝わって、その後日本にも伝わって、日本だと京都の嵐山の清涼寺が有名ですね。
これが本当にその写しなのかというと、ちょっと学術的には別の見方もあるんですけれども、
ただこのウデーナ王には別にも他にも妃がおりまして、計3人のお妃さんがおられたんですね。
その中の1人がサーマバティという妃がおりました。
この妃は熱心な仏教信者でして、そのことを知ったマーガンディアはサーマバティのことも敵視するようになるんですね。
よく言われますね、坊主憎けら、けさも憎いでしたけ。
そういう状態になるんですね。
そんな折にブッダがコーサンビー、このウデーナ王の町にやってくるんです。
ブッダがやってきたことを知ったマーガンディアは町の人たちにワイルを送りまして、
このブッダが来るから、ブッダが来たらみんなで罵声を浴びせてくださいというふうに言うんです。
そのように実際に町の人たちはブッダたちに罵声を浴びせる。
その様子を見たブッダの仏人のアーナンド尊者は、
なんだここはと、ちょっと別の町に行きましょうというふうにブッダに提案するんですけれども、
ブッダはそれを知りづけまして、耐え忍ぶべきなんだというふうに示されます。
ブッダは生涯の中で誹謗中傷を受けるということが結構あられたみたいで、
経典にもその様子載っているんですけれども、
私この話を聞くたびに勇気づけられるんですね。
ブッダですらそうなんですよ。
だからましてや私たちはなおさらだなって思うんですね。
このようなブッダの忍耐によって町から追い出すことに失敗したマーガンディアは、
今度はブッダの信者であった妃サーマバティを落とし入れようとします。
マーガンディアはいろいろな計略を巡らすんですけれども、どれもうまくいかないんですね。
最終手段になるのが、自分のおじさんに命じてサーマバティの住む宮殿に放火させるということなんですね。
火に実際に放火されまして、この火に包まれる宮殿の中でサーマバティは侍女たちと瞑想に取り組んで、
苦痛に心を乱されることなく息を引き取ったというふうに書いてあります。
この話ね、どこかで聞いたことあるなと私は思ったんですけど、
織田信長の軍勢によって放火されたエリン寺のお坊さんたちもこういう感じですよね。
神道滅却すれば火も自ら涼しか。
もしかしたらこの元ネタになるのがこのサーマバティたちの話なのかなって私は思ったりしたんですけれども、
ブッダの生死観と「生きながらにして死んでいる」
このサーマバティの死を悲しんだ腕枝王は犯人探しを始めます。
するとマーガンディアが怪しいぞってことがわかるんですね。
でも素直に彼女が自白するとは王は思ってなかったので、一芝居を打つことにします。
ある日、王はマーガンディアに聞こえるように大臣たちにこう語りかけます。
これまで私は不安でたまりませんでした。
サーマバティがいつも私の命を狙っていたからですと。
でももう彼女は死んだのでこれからは安心して眠ることができますと。
そのように聞いた大臣が尋ねます。
それは何よりでございますねと。
しかしサーマバティを殺害したのは誰なんでしょうかと。
すると王はそれは私のことを本当に愛している人でしょうと。
この会話を聞いてたマーガンディアは自ら王の前に進み出まして、
サーマバティを殺害したのは私ですと名乗り出ます。
こうして犯人がマーガンディアであるということが明らかになりました。
王は当然許しませんで彼女を処罰します。
その処罰の仕方はね大変きつい処罰の仕方なんですけれども、
ちょっとここで言うのははばかられますので、
ご興味のある方は弾幕だった方をお読みいただけといいかなと思います。
このような一連の出来事を受けまして、
ブッダはマーガンディアについて全うに努力をしなかったため、
生きながらにして死んでいるようなものであったと表したと伝えられます。
そして次の詩を唱えられました。
勤め励むことは不死の境地である。
怠り怠けることは死の境外である。
勤め励む人々は死ぬことがない。
怠り怠ける人々は死者のごとくである。
このことをはっきりと知り、
勤め励むことの価値を理解した人々は、
その実践を喜び、少女たちの境地を楽しむ。
思いを集中し耐え忍ぶ力を養い、
常に健やかに努力を続ける資料ある人々は安らげに到達する。
これこそが無情の幸せである。
怠け者は生きながらにして死んでいるようなものだ。
大変パンチの効いたブッダの言葉ですけれども、
自己の価値と社会的な執着
自分を活用しないといけないんだってブッダは言われてるんですね。
死蔵という言葉がありますね。
本来は役に立つものなのに、
しまい込まれたまんま使われず、
価値を発揮できてない状態のことです。
たとえすごくためになることが書いてある本であっても、
それが読まれずに書庫に置かれたままだったら、
これは死蔵されていることになります。
服とかブランドのバッグとかでもそうですね。
使いようがあるのにそれを使わずそのまま眠らせておいたら、
それは死蔵です。
ブッダは人も同じなんだって言われてるんです。
生きてるのに努力しようとか、
誰かのためにいいことをなそうとか、
そういう働きがないっていうことは、
自分を死蔵してるようなものなんだよと。
生き利とは何か、死とは何か、
それは自分を活用できているかどうかなんだと、
こうブッダは言われてるんですね。
マーガンディアの最初のつまずきっていうのは、
自らの容姿への過剰な執着です。
人は自分が価値を置いているものでケチをつけられると、
強い生き取りを覚えます。
家族、仕事、宗教、政治信条、
あるいは押し勝つもそうですね。
それらが自分のアイデンティティの一部になっている。
だからそれらを批判されるっていうことは、
自分自身を批判されるに等しい、そう感じられる。
でも私たちは時々立ち止まって考える必要があると思うんです。
自分が価値を置いているものが、
本当にそこまで執着するに値するものなのか。
長井沙耶子さんの小説、「こびき蝶の仇打ち」。
この中に吉沢穂太るという女型の役者が登場します。
その人物がこんな言葉を口にするんです。
川一枚にしか値打ちがねえ、
手前の人生だったけど、
お前さんにそう言われたら救われる。
この川一枚にしか値打ちがない人生だったっていう言葉、
これは役者としての容姿に価値を置かれてきた、
自分の人生の通設な自己認識が込められていると思うんですが、
ただよく考えてみると、私たちも同じじゃないかと思うんです。
容姿、年齢、学歴、肩書き収入、
こうしたものっていうのはある意味で川に過ぎないですね。
社会生活を送る以上無視はできないんですけれども、
でもそれらを自分自身、自分そのものだと思い込んで、
自分を構成する最も重要な要素にしてしまっていいのか、
それを私たちは考えていかないといけない。
マーガンディアの話っていうのはそういうことを教えてくれる、
教訓になる、そんな話じゃないかなと思います。
今回も最後までご視聴いただきありがとうございました。
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