ブッダの教えと苦しみ
人生ついでにゆるっと覚醒してみちゃう?
こんにちは、こんばんは。霊性開花の専門家、リアルスピリチュアリスト橋本ゆみです。
この番組は、ビジネスや人生を変えていきたい方に向けて、エンタメでもファンタジーでもないリアルなスピリチュアルで人生を切り開いた
ゆるっと覚醒マインドをお届けします。
今回のテーマは、ブッダはぶった斬るということで、ブッダのお話でございます。
その前にね、お知らせとして、再三言っている制限解放ワークショップリトリート
こちらがホームページにやっとアップされましたので、ぜひ興味がある方は見てみてください。
そのお知らせ向けの動画なんかもね、ちょっと作ってみたので、そちらも
どこにアップするかな?メルマガとかでお知らせしようかなと思ったんですが、
昨日ちょっとね、フェイスブックにアップしてみたんですけど、もし見かけたら見てみてください。
ということで、ブッダは仏教のあのブッダですよ。
セントお兄さんのブッダですね。
いやなんかね、私のお友達はブッダみたいな人がいるんですけど、
ブッダみたいっていうか、ブッダがね、とても好きな人で、たまたま最近ちょっとね、
なんだかなーっていう出来事があって、その話をしたんですよね。
そしたら、よくね、ブッダの話を出してくるんですけど、
その時にね、言ったのが本当に面白くて、
このね、世の中は全部クソだからっていう話なんです。
そのお友達のようやくがそういう感じで、
ブッダは世の中本当にクソすぎて、
だからもう絶対この世の中にもう二度と生まれてくるもんかっていうので、
下脱するっていう、そういう教えだっていうのをめちゃくちゃ端的に言ってくれて、
すごいなって思って、まあまあそういうことなんですけど、
表現がね、非常に面白かったなと。
ブッダって何言ってたかっていうと、
人生っていうのは苦しみを伴うものであると、
諸行無常って言うけど、思い通りにならない、そういうものだと。
苦しみはね、執着から生まれる。
それは煩悩って彼は言うんですけど、煩悩ね。
希望も期待も、希望も煩悩です。
ブッダ、ブッダで言えば。
希望を持つことすら煩悩。
だからまあ、賛否両論そこまでいくとあると思うんだけど、
それすらも受け入れて、もう全てに諦めた、
その先はもう下脱を求めるというかね。
そこが悟りの境地、執着、欲望が、
おのずとなくなっていくわけですね。
なぜなら、全部クソだっていう話なんで。
執着と煩悩の解放
面白いなと思って。
でも私、個人的にブッダはね、好きなんですよ。
ただ仏教は別に好きじゃない。
宗教というかね、
大元の話から解釈がどうしても入っていってしまっているので、
個人的に、解釈が入っていることで好きじゃないという意味です。
興味はあるし、関心も共感もすることは多いにあるんですが、
ブッダが言うね、世の中全部クソだ、
そういう考え方、そういう視点もすごく共感するし、
一方で、ワンネスとか、西洋人っぽいというかね、
ワンネスだったりとか、救いっていうのがあるんだとか、
希望を見出すっていう、
そこもね、やっぱり自分の中では同時に大切にあって、
陰陽なんですよね、私の中ではね。
否定と肯定は両方が背中合わせであって、
全てをクソだって言って、
ある種の否定的に見ていくけど、
その否定を肯定していった時に、
全てが可愛らしく見えるという。
友達はね、世の中全部クソみたいなもんで、
人間はフン転がしみたいなもんで、
転がしたフンでいろんなもん作ってんだっていう表現をしてたのがね、
非常にまあ分かりやすいなと思ってね。
そこでね、なんていうのかな、
明らかに見るっていう意味の諦めるっていうね、話が入ってるなと思って、
すごいゲラゲラ笑いながら、
お友達いわく、ブッダは本当に容赦なく現実を突きつけてくる、
ブッダギルって、ブッダはブッダギルんだよみたいなことを言ってね。
偶の音も出ない話ばっかりだって言って。
まあまあそれでね、笑ってたんだけど。
それが悟りであって、
覚醒、アワイクニンが目覚めなので、
目の前の明らかにする、そこも諦めにも通じるところではあるななんて思います。
日本人の多く特に、私が接している人がスピリチュアルな人と占い師さんとかがやっぱり多いので、
好きな方とかも多いのでね、
経営者とかになってもやっぱりそういうのが好きな人が多いんでね。
なんかね、なんだろう、やっぱりね、昭和を生きた人は仏教イズムみたいなのがあって、
苦しんでなんぼじゃないけど、執着手放して苦しみを受け入れて、
茨の道行くみたいな。
もうなんかね、そういう、なんていうのかな、
癖が身についてるんだよね。
だから占い師さんで、やっぱり古くからなされている、
もう大先輩っていうような方々は、
本当にズバリ言うわよな細木さんじゃないけど、
ネガティブとかじゃなくてね、
でも、悪い方っていうのかな、
ものの見方が否定的な表現っていうのがやはり多いなっていうのを昔思ったんですね。
スピリチュアルな人ってふわっとしてるけど、割と光を見るというか、
その人物の光と影は両方存在してるんだけど、
この影があるからこうなのよっていう古くからの占い師さんだとそういう話で、
だからこれやりなさいっていうのが続くんだけど、
それがないとプロじゃないからね。
それ言って終わりはただのエンタメか、
テレビとかではあるかもしれないけど、
だから何々しましょうっていうのが必ずセットになってきますね。
前向きで終わるんだけど、
入り口が影から入るみたいなことが話をしてると多いんですよね。
その話の方がしっくりするって人も多いんですよ。
考え方がそうやって染み付いてるから。
逆に心理学で言うとリフレーミングっていう、
枠組みを変える見方が変わるっていう言葉があるんだけど、
光に焦点を当てるっていうのが、影に焦点を当てる人からするとリフレームされるんですよね、リフレーミングされる。
そうするとハッてすることもあるけど、
だいたいそこで否定する人が多いわけ。
ちょっと例えがパッと浮かばないんですけど、
私昔30代前半ほんとこじれてた女子時代はですね、
世の中というか、お綺麗ですねとかワークショップとか行くようになってね、
お綺麗ですねとか言われると、
腹の中でこの人何を見てるんだろうとか、
多分私の服とかを見て言ってくれてるのかなとか、
自己否定が強いんでね。
そういう言葉を素直に受け取らずに、
自分の思考の中で、それは思考の癖だから、
それは美人でも綺麗でもないっていう前提が自分の中にあるがゆえに、
歪ませてですね、歪ませて。
だって人が見た私の感想を歪ませる必要ないのに、
個人、自分の中ではそれをフィルターかかって歪ませて、
この人なんだろうっていっぱい言う人だと騙されるんじゃないかとか、
そういうネガティブで、否定的に捉えてたわけですね。
でも、そういうのをやっぱり手放していくと、
そういう思考の癖っていうのが手放れていくと、
ブッダで言う八性道、八つの正しい道、
この中には正しい見方、考え方とか行いとかいろいろあるんですけど、
その正しい見方、明らかに見るっていうことね、
物事をそのまんまフィルターをかけずにそのまんま見るっていう意味で言ったらですね、
影と光の理解
ありがとうございます、喜べばいい話なわけです。
後々そういう人間に変わっていく?戻っていくんですけど。
もう今、そんなこと言われたらめちゃくちゃ嬉しいわけです。
まあ照れくさいっていうのはもちろんあるけどね。
何が言いたかったのかっていうと、物事には光と影があって、
どっちを見るかは自分の癖が関係しているよっていうことなんです。
物の見方はやっぱり生まれてから5歳までに培われているものが大きいので、
それがね、やっぱりさっきの30代前半の私はもったいないよね。
30代前半の時は確かに可愛らしかったなと思います。
自分で言うななんだけど。
やっぱね、自己認識がもうかなり前だし、
本当に客観的にあるし見られるので、自分ごとじゃないんですよね。
もう当時の私っていうのは、私であって私ではない感じなので、
なんかまあ可愛かったななんて思うわけです。
幼少期の自分を見てね、可愛いなっていうのと似たようなもんですよ。
で、やっぱね、そういう、なんていうのかな、
そういう人が自分を否定しているっていうのはやっぱりもったいなかったなと思います。
非常にもったいなかった。
いろいろね、あったわけですけどね。
やっぱり若い時はね、自分のフィルターが強いんでね、
どうしてもなかなかそれを修正するっていうのに苦労というか、
めちゃくちゃ勉強というかいろんな学びをして、心理学を中心に学びをして、
それで今に至るっていうことなんですけど。
なのでね、嫌なものはちゃんと嫌だっていう風に受け取ることも大事だし、
人が言ってくれた何かっていうのは、その人のフィルターなので、
それはそれとして受け取るのか、
ひどい言葉をかけられたなら受け取らないという選択ももちろんあります。
いい言葉は受け取って、悪い言葉は受け取りませんっていうね、
そういう風にすれば、自分を変に傷つけることもなくなっていくわけですね。
そういう意味でブッダが言うね、正しい見方、考え方、気づきとかも重要になってくるわけです。
結局自分の考え方に固執するっていうのも、これもまた執着であり煩悩であるという考え方ですね。
ブッダはね、いろんなものをぶった切ってきますね。
パンドラの箱を開けたら希望しかなかったっていうのは、
ぶった切った後にやっと見つかるっていう感じかなと思います。
私はどこかで、やはり影と光はセットなので、
影をしっかり見ていけば光にたどり着く。
光をずっと見ていけば、影、闇にたどり着く。
そういうふうに体感として、経験値としてもやっぱり思いますね。
本当にね、どん底っていうのをどんな形でも味わうと、
味わった人はこの話が共感してもらえるんじゃないかなと思います。
どん底っていうのはね、人と比べることではなくて、
その人の人生の中でのどん底って生きてたらあると思います。
昔、何年か前かな、
若者で就職したてぐらいの若者が、
人生の挫折は何かみたいな話をしたときに、
なんだったっけな、試験じゃなくてね、
試験っていっても大学とかそういう、
割と学生にとっては人生左右するような試験ではなくて、
ちょっとした資格だったかな、
それが落ちたときだっていう人がいたんよね。
それはね、友達から聞いたのかな、
何十年も生きてると、
人生の苦しみと執着
それが人生の一番のどん底って、
すごく軽いっていうふうに感じるかなと思うんですよ。
でもその人の中ではやっぱりね、
人生で一番つらいことっていうことなので、
逆というか視点を変えれば、
それだけ順風満帆に、
いい学校も出ていいところに就職してる方だったらしいのでね。
順風満帆だったところのつまずきっていうのは、
小さくても深く傷つくっていうことがあるわけです。
なので何が言いたいか、
人と比べるもんじゃないってことですね。
その人の人生の中で他人から見たら、
それが人生のどん底なんですかっていうようなことでも、
その人の人生体験の中で一番の底なので、
それはそれなんですよ。
例えば殺されかけたとかさ、
虐待受けたとかさ、
食べるものなかったとかさ、
あと全財産一気になくなったとか、
なんかそういう大きいというかね、
他の人が聞いてもびっくりするような、
うわーそれ大変だったねって、
まあ十中八九の人が言ってくれるであろう体験をしている方の痛みも、
今言った新入社員さんの痛みも同じなんですよ。
違うって思うかもしれないけど、
人生は苦しいものであると思った。
そしてその出来事に関しての反応、
そこに執着があれば苦しむし、
執着を手放せば苦しみは消える。
どんな体験であっても、
その自分の中にある執着っていうのを手放した時に、
等しく悟りっていう道が開かれていくわけですね。
いやーぶったのね、
人生というか世の中全部クソっていう話と、
2500年から変わってないっていう話がもうね、
面白すぎて。
ここで面白いっていう感想が出るのがもうおかしいのかもしれないんですけど、
まあ本当そうだなっていう、
共感しかないっていうね。
まさにそうだなと。
一方で光を見ている部分もあるが、
ゆえに、
いやとはいえっていう自分もいるんだけど、
いやとはいえっていう自分が煩悩だっていう話で、
やっぱりそのね、
自分の人生の底っていうのを本当に明らかに見て、
諦めた先に、
やっぱりね何か開くものがある。
これは私自身も体験してます。
そうだなと思う。
否定してし続けるっていうことよりも、
否定したものを改めて肯定していく。
そうだってしていくってことですね。
なんかひどいことをされた。
ひどいことをされた。
こんちくしょうじゃなくて、
ひどいことをされたと思っている私がいる。
そしてひどいこととはどんなことだったか。
っていうのを明らかに見ていくわけです。
これ難しく言うと分析って言うかもしれないけど、
明らかに一個ずつ見ていくってことです。
そして自分そこに起きた出来事を分けていくんです。
感情と事実にね。分けていく。
そうなった時に明らかに見ていった時に、
自分の執着なのか、何が苦しみなのか、
催眠療法とブッダの教え
その苦しみも受け入れていく。
肯定していった先に、本当に制限が解放されて、
自分の命っていうところに触れていくっていう体験があります。
あります。
なのでね、
それはいろんな自分の人生の中での一番辛かったことに、
その出来事を体験するエッセンスがあるので、
だからうちの講座とかでは、
そこをね、思考ではやる。
思考でできない。
思考でやるともうね、あじゃこじゃあべこべにして、
なんだろう、
それこそ苦しみの世界に居続ける、
執着という重力で自分を縛りつけるってことが起きるので、
やっぱりそこをね、しっかり見つめるためには、
無意識とコラボする必要があるというか、
それを無意識の領域でやっていくと、
自分が楽だし、本質的だし、
奥から変わるってことが起きるので、
ミルト・エリクソンのね、
現代催眠療法をベースにしたことをずっとやってるんですね。
最後にですね、
11月の制限解放ワークショップリトリートはですね、
その催眠療法の深いところをやります。
あなたは眠くなるみたいなことはやらないし、
今あなたの目の前に草原が見えますみたいな、
誘導もしません。
それは古典催眠というやり方なんですね。
なので、かなりね、本当にこのワークショップ出た人は、
やっぱり仕事が変わったとか、
収入が増えたとか、
引っ越しがいいとこ決まったとか、
いろんなね、体験されてます。
人生いい方にしか行かなくなっている。
エリクソンが言ったのは、
無意識に全て任せればうまくいく。
これは他の人も似たようなこと言ってますね。
いろんな方が言ってます。
なのでね、無意識とどうコラボしていくか、
無意識からどうやっていくか、
執着というのは意識の話なので、
意識ないし、意識に近い無意識の領域なので、
さらにその奥に行っていくとですね、
本当に4つの真理を超えて、
それこそ実践的なところに、
発祥堂に入っていくわけなんですけどね、
ブッダ的に言えば。
今日はブッダでお届け、
ブッダはブッダギルということでね、
ブッダでお届けですよ。
本当、ブッダの話をしだすと、
いろいろ長くなっちゃうんですけど、
長くなるくせにブッダの話は、
人生全部クソだから、
二度とここに生まれ帰ってくんなっていう、
下達と悟りはそれだっていう、
その一言で終わってしまうところが、
本当にね、
なんか昔からブッダってなんかロックだなと思ってたけど、
めちゃくちゃロックじゃないかっていうね、
面白かったんですけどね。
こんなことでね、笑えるんだから楽しいよね。
楽しいよね、てか。
本当ね、なんかちょっとしたことで、
笑えるようになったわけですね。
30前半の自分を見ると、
なかなか笑顔ができなかった、
写真とかでもね、笑顔が作れなかったような、
なんとなくは作れてたんですけど、
そんなね、固い笑顔だったのが今はね、
もうゲラゲラ笑ってますね。
動画を撮るために色々勉強しようと、
人の動画、ショート動画とか上がってくるようになって、
まあ面白い動画がいっぱいあって、
それを人に送りつけてですね、
ちょっとこれ見てっていうのが最近の趣味でございます。
趣味っていうかね、
この笑いを一人で超えられず、
ちょっとこれ見てくださいって言って。
まあすいません、最後めちゃくちゃ内輪の話で終わってしまいましたが、
今日のね、何かブッダの話がね、
お役に立てばと思います。
制限解放ワークショップリトリートは、
ホームページ spog-ad.com
こちらの方にね、アクセスいただくと、
ボタンというか画像がありますので、
そこから見ていただくことができますし、
あとは概要欄にもね、リンクを貼っておきますので、
ぜひそちらからアクセスしてみてください。
というわけで、猫さんも最後の挨拶しておりました。
皆さんまたお会いいたしましょう。
それでは。