ブッダの教えと自我
今回は哲学雑談会になっていますが、さっそく話していきたいと思います。
やっぱり自分の悩みってね、ブッダの教えで説明がつくことが多くて
例えば、最近のエピソードで話した、どうも受け入れられないというか、理解できないんですね。
最近もありましたけど、この前話したのは、近所の人がうるさい場合
窓を閉めるのも嫌だし、でもそうやって行動に影響を受けていると思うと、とても許せないというか理解できないんですね。
なんでこんなことが起きるのか。
これも、自分が分かってはいるだけだね。
単体の存在であり、ネットワーク上にいる存在だと。
物理空間で全てのものが繋がっていってね。
別に物理学でも言われているんだけど、そのことを本質的には理解できていない。
ってことですね。
だからその単体であることにこだわりすぎると、よくない。
別にヨーロッパの人は、アメリカの人も、個人であることを思う時点だけど、もっと深い意味で言うと
そこにこだわりすぎると、クラギみたいなことになるわけです。
あともう一つね、何か説明つくなと思ったんだけど、思い出したら説明しますか。
それともう一つ。
自我っていうのは記憶のことなんだけど、自我イコール記憶なんですよ。
自我が他の動物と違って、自我によって苦しみられることもあるわけですけど
の前に、別に他の動物と同じようにして苦しんでいるだけなんだから
記憶の影響と苦しみ
仏教でいう苦しみを遠ざけるようなことって、その考えって必要なのかなと思うんだけど
もし他の動物より、クラギもある意味では正しいと思っていて
人間って生き地獄があるから、他の動物よりも苦しみの量が多いんだとしたら
だとしたらやっぱりね、クラギはいつも言っている通り
人間って自我によって生き地獄ってあるんだなって思いますね。
で、これも説明つくんだけど、クラギはね
筋トレを始めたら、しばらくは今までと違って筋トレのほうがいいなってなるんですよ。
でもしばらくしたら筋トレやらなきゃいけないと。
逆に夜中早く起きるにしたら、最初は筋トレなくて楽だと思うんだけど
徐々に徐々に体、そして頭に、2時半になったら起きるんだと思って
それが刻印されて、思い出して、辛くなる時間ができるんですね。
やっぱり記憶が人を苦しめるんですよ。筋トレも早く起きるのも辛くはないんですよ。
それをやらなきゃいけないなって考えること自体がやっぱり人間って辛いんですね。
それで言うとついでになっちゃうと、食事中おいしいと感じるのは
食べてる間、味を感じてる間って集中してるからおいしいと思わないやつなんですよ。
だから自分の感覚を思い出して、その要因としておいしいっていう快感が出てるだけなんですね。
ついでに話を持つと
仏陀の教えって、どうもね、やっぱり
昨日も話しましたけど、例えば情報なんか変化してないだろうとか
そう言ってる文化人もいましたし、黒木もそう思うし
この世界の事実というよりも、人間の事実なんじゃないかと前も思ったことありますね。
だって一切痒くとかもそうでしょ。
もちろんこの世界の事実という捉え方もできるんだけど
それよりも人間の事実を言い表してるっていうことなんじゃないかと思ってて
ちょっと一瞬思ったんですけど、食事中それを悟りましたね。
この味わってる間、その感覚って一瞬たりとも留まることないんですよ。過ぎ去っていくものなんですね。
変化してるんですよ。
人間は捉われるからその味。だからこそ快感を感じる。今言ったように。
本来であれば、美味しいとか思わないはずなんですよ。そんなには。
でもこの快感もあるんだけど、それによって人間は一切痒くですから
苦しめられる原因になるんですね。
あと、まあこれそのまんまのことなんだけど
うーん
本当になんか宗教、宗教臭いこと言ってしまうっていうの聞こえるかもしれないけど
まあ人間って宇宙の一部でしかないわけですね。
人間っていう概念で捉えてるだけで
そもそもそうだし、だから当たり前なんだけどそう考えると
無数のネットワークの中で、関係性の中で生きてるわけですね、人間。
自分で生きてる、考えて生きてると思ってるけどこの意思によって
全ては影響で生きてるというか
実際はそんなに影響を受けてないのでも、例えばAさんBさんから
この人たちいなかったら全く違う人生なわけで
自分が人生を作ってると思ってるけどね
でもね、実際はAさんBさんとかじゃなくて
人間がそれは重みを感じてるだけで
実際は見えないところの影響ってのもものすごくあって
そう考えるとね、ここに自分がいると思ってるけど
もう自分はすなわちそれは
もう宇宙団みたいにね
何もなんか宗教っぽいし
なんか悟ってしまったんじゃないかみたいな思うかもしれないけど
たまにはこうやって考えることがあってもいいと思うんですよ
人間はすなわち宇宙なんじゃないかと
考えてたらなんかね、ふと思いましたね
あとはですね、人間って
例えば目の前に人がいたとして
それが親であればね
自我が見てるわけですから
言ってみれば
そこに何かものがあるってだけですよね
でも自我がこれは人間であって親であって
自分にとって大事だから見えてるわけですね
見えないものもあるし見えてるわけです
で、その自我が意味を感じてるから
今食事をとってるなーってのもわかるし
この人はこういう性格だなーってのもね
わかるわけだし
そうやってね、もう何層にもなってその
人ってものを
だから記憶ですよね、記憶によって
形成していくわけですよ
だから見てるものって記憶
ほとんど自分がただ作り上げてる世界でしかないんですね
自我が作り上げてる
でまぁ実際はもちろん
1秒前のその人と
1秒後のその人では
全く別物ですから
人間がその同じものだと判断してるだけで
国がね戸籍を与えて同じ人間だと死ぬまで
この人は同じ人だと
言ってるだけで
でも人間って
関係性によって成立したものしかないんですから
もうこの世界の全てのものって
実体なんか存在しないですからね
黒木は逆にね
関係性がないから実体がないっていうよりも
実体がないのがわかってるから
じゃあ関係性でできてるんだろうなと思うんですよね
誰々の親であるとか
欲の理解
動物でなく人間であるとか
最後にブッダが言う欲って黒木の定義ですと
黒木が考える欲っていうのは
例えばタバコを1本吸ったとするじゃないですか初めて
で次の日
もう慣れちゃってるから1本吸ってもね
快感が出ないんですよ
だから前の日と同じ前の日が
100快感が出たら次の日80になってしまってる
人間って
体内の変化に弱いですからね向上性
骨押し足しの関係なのか
それは不快感で感じるわけですよね
それでどうなりますか2本
吸ってやっと100になるのであれば
あれば100以上になるのであれば
これが欲ですよね1本詰めれば2本吸いたくなる
黒木もねこの論理どうなんだと思ったけど
単純なことですよこういうことなんですね
それでは明日