今回は、キサー・ゴータミーという我が子を失った母親の物語から、苦しみを和らげるヒントについてお話ししたいと思います。
今回の物語の主人公は、キサー・ゴータミーという女性です。
彼女はもともと貧しい家の生まれでしたが、ひょんなことからお金持ちの息子と結婚をしまして、かわいい男の子を出産します。
ここまではシンデレラストーリーのような良い人生だったんですけれども、突然の不幸が彼女を襲います。
かわいい我が子がよちよち歩きをするようになった頃、突然亡くなってしまいます。
よちよち歩きをする頃なので、1歳前後かなと思うんですけれども、本当にかわいい盛りですね、の我が子を失ってしまったんです。
彼女はそれまで、人の死というものについてまともに出会ったことがなかったそうなんです。
そのため、人が死ぬことへの耐性がついてなかった。
この人が死ぬということに耐性があるのかと思われるかもしれませんけれども、私が見ている限りはこれはあると思います。
悲しくないとかそういうことでは全くなくて、身近な人が亡くなると必ずみんな動揺します。
頭が働かないようになって、普段にはないような効率の悪い動きをしてしまったり、大事なことをすっぽりと失念してしまったりする。
よくお葬式とかで結構な確率で手落ちというか不幸届きみたいなものが出るんですけれども、これはもう仕方がないんですね。
本人ではどうしようもないようなダメージというものがそういう形で表に出てくるんですね。
でもそういう中でご高齢の方の方が割といつもと変わらないようないつもに近い動き方をされるんですね。
これは人の死に対する耐性がついているんだと思うんです。
長く生きるとそれだけ多くの方を見送ることになりますね。
なので喪失、人がいなくなるということ、これが人生にはつきものなんだ、織り込み済みなんだってなっていくんだと思うんです。
お坊さんもやっぱりそういう傾向が強いなと思うんですけれども、これは決して悲しんでいないとかそういうことじゃないんですね。
上手い表現が何かないかなって私もいろいろ考えたんですけれども、ちょっとこれは耐性がついている以外ちょっと私には表現できないんです。
ただキサー・ゴータミーはそれがなくて、死への耐性が全くない中で我が子が亡くなってしまうんですね。
この我が子の死を受け入れられないキサー・ゴータミーは子供を仮想場に連れて行くということを拒否します。
そして亡き殻を抱いたまま近所の家々を訪ね回って我が子を生き返らせる薬を求めます。
そんな彼女を近所の人たちは見て、気が狂ってしまったんだって冷ややかな反応をするような人もいたんですけれども、
一人親切な人がおりまして、この人がブッダを紹介してくれます。
キサー・ゴータミーは本当に一理の望みですね、かけてブッダの元を訪ねまして、息子を生き返らせる薬について質問をします。
するとブッダは、一つまみの白からしを手に入れなさいと指示されます。
このように指示を受けたキサー・ゴータミーは、それはどこで手に入れたらいいでしょうかって質問をしますと、
ブッダは、今まで一度も死人を出したことがない家からもらいなさいと、こう言われます。
キサー・ゴータミーは早速村に入りまして、最初の家を訪ねます。
息子の薬のために白からしをいただきたいのですがと、こうお願いしますと、
家主は心よく受け負ってくれまして、家の中から白からしを持ってきてくれました。
彼女はそれを受け取るタイミングで、今までこの家で亡くなった方はおられませんかと、
訪ねますと、家主の表情が曇る。
あなたは何をおっしゃってるんですか。
生きている人より亡くなった人の方がはるかに多いんですよと返されてしまいます。
つまり、家族を亡くした経験があるということですね。
これではブッダの言われた条件には当てはまりませんので、
キサー・ゴータミーは、ああでは結構ですと次の家に向かいます。
ところが、村中の家を朝から晩まで訪ね歩いたにもかかわらず、
家族を亡くした経験のない人、家、こういうものは一件もありませんでした。