1. Real Japanese life/ English and Japanese
  2. 第4574回 超簡単生き方仏教雑..
2025-10-04 14:43

第4574回 超簡単生き方仏教雑談ブッダ釈迦の諸行無常諸法無我を都合よく捉えてしまっていますその8

特別支援学校に転校して大学に行った彼女、普通学校から引きこもりになった俺。

発達障害当事者です。そして宗教2世でもあります。ハイブリットなこの生きずらさによって起きた過去にあった学校や家庭での事件や悲喜こもごもな話を赤裸々に語ることによって、特性や特異な考え方をすることを知ってもらいたいです。

発達障害の特異な感性ゆえに世の中の理解できないことや、宗教をやめてから哲学的に考えてきたこと、そして音声配信者としての苦悩などの話もPodcastでしています。

発達障害専門家、当事者、興味がある人が発達障害を考える材料になればと思い、日常の考え行動を細かいところまで話しています。番組登録よろしくお願いします。コメント待っています。

 #北海道 #乃木坂46 #鬱病 #自閉症スペクトラム #PTSD #アスペルガー症候群 #双極性障害 #強迫性障害 #発達障害 #不登校 #ADHD #うつ病 #人間関係 #アラサー #ライフスタイル #メンタルヘルス #潰瘍性大腸炎 #クローン病 #難病 #ひきこもり #不安障害 #ストレス #ニート

雑談・人生・生活・暮らし・おじさん・トーク・愚痴・吐きだめ・心理学・脳・1人配信・メンタル・podcast・ポッドキャスト・ネットラジオ・ラジオ・フリートーク・一人喋り・一人語り・毎日配信・まったり・ゆるい・コミュ障・ライフスキル・シンプルライフ・前向き・怒り・残念・ネトラジ・闘病記・日常

サマリー

このエピソードでは、仏教の教えに基づいて諸行無常や無我について考察されています。特に、変化の本質と人間の感覚がそれに与える影響が語られ、実生活への適用についての疑問も提示されています。また、ブッダの教えに基づいて人間の求める完全さがどのように不自由を生み出すのかを探るとともに、関係性の重要性や日本人とアメリカ人の文化の違いについても触れられています。

変化の本質
今回も超簡単哲学雑談会になっています。
いやー、一番大事なことを忘れてしまったんですが、とりあえず今日、もうちょっといろいろ考えたこともあった、調べたこともあったんで、お話していきたいんですが
今回は8回目かな?
まず字があって、最近いろいろ話しましたね。
分けることによって分かるという性質を持っているとか、それで物事の優先順位を決めるとか、いろいろ説明しましたが
この字がと真逆なことと
だから今の話でいくと、抽象化させるとですね
そんな難しい話じゃないんで大丈夫です。
抽象的に考えると人というのは物にあるわけですよ。
で、字がと逆のことをすると
救われることってあるんですよ、人間。だんだん物と同じなんじゃないかと。
考えると今の悩みを吹き飛ぶかもしれない。
逆は具体化なんですね。
具体度を上げる。
するとこの腕と体は同じ、自分というのは正確に言うと
自分なんて存在しませんから。
字がは同じである。
するとどうでしょうかね。
もしこの手が少しでも怪我でもして動かなくなったら
これがものすごく大きく感じてしまう。
あとは自分のできることが少なく感じてくるとか
人それぞれいろいろ感じることがあるんだろうと思うんですけど
今言ったように抽象度を上げると
かなり現実的なことにはなるんですが
物と一緒なら、だと考えれば
暗きの場合だとね。
ただの物なんじゃないかと思って悩みが吹き飛ぶんですね。
ではすぐ次の話いきますが
今まで話してきたのが
物はそのうち衰退する、亡くなる。
確かに仏陀は生老病死ということは言ってるんだけど
こんな何かが衰退する、繁栄してたものも滅びる
そんなのは当たり前のこの世界の道理だし
そういうことは言ってるわけじゃないんですよ、仏陀は。
おそらく。
もっと抽象的な話ですから、これ普遍的な話ですからね。
そんな具体的なことじゃないんですよ。
結婚してた人もいつかは離婚するとか
人間もいつかは死ぬとか、そういうことを言ってるわけじゃないんですね。
この物理空間にある全てのものは
常に変化してるんだという
時間も空間も超えて常に変化してるんだという、そういう話ですから。
でもね、倉家はね
仏教もそうだけども
たまに寄りどころとして、立ち帰る場所として
そういう諸行無常とか
大事だと
仏陀もそう言ってただろうし
常にね、この生き方してたらとてもとても生きれませんよ、そんなね
この俗世間では
と思ってて、だから
例えばですよ
今風邪ひいてるけども
来年必ずひくというかとも限らないし
近所の人うるさくても
来月はどうなってるか変わんないし、わかんないし
っていう考え方はいいと思ってたんだけど
気休めにしかならないとはいえ
結構それが大事だったりすると思ったんだけど
でもこれもちょっと怪しいなと思ったんです。というのも
やっぱりね
都合がいい捉え方なんじゃないかと思って。なんでかというと
日常生活に当てはまるってやっぱり無理があるのかなと思って
例えば東大も
来年は京大の方が
偏差値が上かもしれないしっていうのはちょっと無理があるでしょ
だからやっぱり人間のこの感覚でね
勝手に都合よく
仏陀の言ってることを
適応させて関係ないところで
やっぱり変わらぬものは変わんないし、そういう意味じゃ
でも仏陀が言ってることはそういうことじゃないし
っていうのが今日思ったことですね
人間の感覚と抽象
かといって
仏陀の話なんて
単なる哲学で普段考えては意味のないことなんだ
って考えるのはそれは間違いなんですね
それも断言できます
あとはですね
朱陽無像の響きやり
鎌倉時代ですね
もう千年以上前のことでしょ
でも朱陽無像の響きやりっていう言葉
何ら変化しないでここまで残ってますよね
朱陽無像じゃないですよね
でね
っていう考えも
ある意味間違ってないんですよね
倉木は?
いやいや仏陀は全てのもの
もっと抽象的な意味でね
普遍的な意味で変化してるんだった
どんな辺りくつこの世だって変化しないものなんてないんだと言いたいんだけど
確かにそうだしあと
今の例えをちょっと利用しますけど
倉木思ってました?
一応ね、全てのもの変化しないっていうことで
物とこと?
どっちもなんだけど
物もことも変化しないけど情報?
これってね
変化しないよなと思って
数学の定理も変化しないよなと思って
いたわけですよ
ってことは人間ってのは
変化しないものを生み出した
というわけでもなければ
仏陀の考えが
仏陀の言ってることが当てはまらなくなった
例外ができたとかいうことでもないんだけど
ただ最近話した
人間だけがこうやって自我があって
この宇宙の法則とは真逆の
自我の予定だから苦しめられるわけでしょ
それってたまたまなのかなと
そもそもこの世界が変化してないとか
いうふうに見えること自体
が人間が考えてることだしなとか
そことつなげて考えてみると
また新たな発見がありそうなんですが
果たして情報は変化してないのか
諸行無常の響きありだけじゃなくても
ずっと変化してないものであると思うんですよ
そういう意味では
人間は変化してないと言ってしまえば
確かにあるにはあるんですよね
それが間違いだとも言えないし
今一生思ったのが
この世界のすべては
変化してるように見えるのも人間の脳を通して
って言い方すると仏陀が
なんかね小さく見えるけど
ちょっとこれについてはまだ
考察中です
では次の話
あとですね
不完全性定理っていう数学の定理と
この諸行無常ってことを
統合して考えてみるとですよ
黒毛は以前からね
いっぺんの抜けたパズルを
人間ってねその
要は人間自体もこの世界は無人でできてる
それでいっぺんが抜けたパズルだと
そこを埋めるために他のものをずらせば
またどっかが抜ける
そこを埋め合わせようとしたら
またどっかが矛盾が生じる
そういう風にどっかで偏りが出てしまう
またそこを埋めたらどっかで穴ができる
こういうことを人間って常にやってるのかなと思うんですよ
例えば食事を取るなんていうのもそうですよね
ブッダの教えと人間の求める完全さ
いくら食べたってどうやったって
生きてる間これ
釣ってきなきゃいけないですよ黒毛だって
今言ったパズルで言うとその
埋め合わせる必要があるわけですね
どうやったって
人間の考え自体も
考え方自体もそうだと思うんですよ
最近のエピソードで
第7回かな
これも普段日常で
こういう感覚だと言ったんですが
ブッダの言ってる
中立だったり弦をね
しなやかにするって感じで黒毛はね
そういうイメージだと思うんだけど
以前よりははるかにね
できるようになったなと思うのが
手前のミスの話ですけど
何か一つの考えに超えるかと思わない?
これ感覚的なことなんだけど
これってやっぱりパズルの
抜けた一辺をね
またずらして
でもやっぱり抜けてる
いくらずらしたって
パズルが完全になることはなくて
これはこの世界の法則ですから
所業無常と処方無可
そういうことなのかなと思ってね
全てのものは関係性でできてるわけですが
そして
それが常に変化してるってのは
そのパズルのピースが
いっぱい抜けたピースがね
あるから常に流動的なのかなと
そこでその一辺が生まれた瞬間
流動的ではなくなる
っていう意味では人間ってね
すごい完全なものを求めてるってことは
不自由即感があるわけですよ
でもそのおかげで
イメージで
これあくまでもイメージですけど
そのおかげでハングリー精神というかね
だからお腹空くのだってそうですよね
呼吸するのだって
おそらくですけど
こんなことたらればだから考えちゃ意味ないんだけど
それは効率的ですよ
ただこの
例えを使うのはね
これもあんまり
処方向かとはあんまり関係ないことだから
これをたたいてするのはあんまり好きじゃないんだけど
食事を取らなくなったら
実際そんなことはあり得るかもしれないし
これ生物学的な範囲のことなんでね
もし食事を取らなくなったら
なんか合理的な感じするけど
そのパズルの一辺が生まれることによって
問題が出てくると思うんですよね
なぜかというとこの世界のすべての
パズルが回ってるわけじゃないから
割りっこないですしそもそも
っていう考えても意味のないことですけど
自分では
この一辺が
抜けた穴が埋まると信じてずらしてるんですよ
つまり神を求めれるとかね
絶対的なものを人間って求めるけど完全とか
そういう状態ですね
でもそこで完全なものに出会ってしまったら
人間は多分行動も
もう行けなくなるんですよ
あとですね今日
関係性と文化の違い
いろんなお坊さんの話とかね
いろんなYouTubeで聞いてるんですけど
原子武器をかじってる程度ではあるんですが
思うのがね
自分の思考で
自分が
自分の前で
自分が
自由みたいな感じになって
ライフを取りに行く
っていうのは
自分の
自分の
自分の
自分が
自分が
自分の
自分が
いやーそんなことをブッダが言ってるわけじゃないだろうと
最近話しましたね
うーん
諸法無我というのは関係性によって成立しているという
どこの仏教の宗派がそう言っているのかわからないけど
存在が先に来るか関係性が先に来るか
というのはあくまでも東洋哲学、西洋哲学の話でね
だから日本人が
だから苗字がね先ですね
これは何でかというとその関係性を意識している
でアメリカ人が名前先なのは古人主義だからですよ
古事を大事にするから
でそういう
それじゃあ普遍的じゃないし
ブッダの教えじゃないだろうってなる
なぜ気づかないかなと思うんですよね
でもそこに振り身と回っている
単なる関係性ありきのものだと
それじゃあ単なる文化論だろうと思っちゃうんですよ
文化の違い
ブッダが言っているのは
この世界の真理を言っているわけでもなく
今の時代こんな風にいきましょうとか言うことでもなく
この物理空間の事実を
真実を言っているわけですよ
それではしたっけ
14:43

コメント

スクロール