Ep.12 トラブルと自分に境界線を引け&体を動かし修行せよ&悲劇と喜劇の違いとは
2026-10-18 1:12:52

Ep.12 トラブルと自分に境界線を引け&体を動かし修行せよ&悲劇と喜劇の違いとは

冒頭は、春花がアルバイトしている大学学生支援の窓口に、かなり「困った人」が来た話から。不特定多数と話すときも仕事をするときも、個人と役割、あるいはトラブルとのBoundary(境界線)を設定することが重要という話。次に、仲良しだった友達との間に哀しい亀裂が入ってしまったという話から、果ては地球のレアさ、アリストテレスやプラトンの論から西洋哲学的な概念論まで話しています。


<言及したこと(母・敦子)>

・スティーブ・ジョブズ:(Steven Paul Jobs、1955年2月24日生、2011年10月5日没)

・書籍『スティーブ・ジョブズ』(著:ウォルター・アイザックソン 訳:井口耕二)

・Chorusとして大学時代の先輩バンドThe Nervous(ナーバス)に参加してライブした話

・The Nervous https://www.instagram.com/thenervous1982/

・原宿クロコダイル:渋谷区のライブハウス。

・趣味をずっと仕事人生と並行して続けている人のピュアさについて

・アサーティブネス(Assertiveness):自分と相手の双方の人権や意見を対等に尊重しながら、自分の気持ちや意見を率直に表現するコミュニケーションの方法。

・レア・アース仮説:地球で起こったような複雑な生物の誕生と進化は宇宙の中で極めてまれな現象であるとする仮説。2000年、古生物学者ピーター・ウォードと天文学者ドナルド・ブラウンリーが発表した。番組内で「NASAが…」と話しているが、現在においてはまだ科学者による仮説である。

・「シャーリプトラよ、全てのものは「空」である」…「般若心経」から。


<言及したこと(次女・春花)>

・大学のチューター部門で働いていてちょっと困った人が来た話

・大人の友情は難しいよねと言う話

・You gotta be a little insane to do filmmaking as a job.「ちょっとイっちゃってるぐらいじゃないとフィルム作りの仕事なんてできないよね」的な感じ。

・趣味を仕事にしてしまうことの困難について

・パッションプロジェクトについて=For the love of the art projectと呼ぼうという話

・映画「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(原題・Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)」:1964年イギリスとアメリカ合衆国の合作、スタンリー・キューブリック監督によるブラックコメディ映画。

・アリストテレス「悲劇と喜劇について」:著書『詩学』で、悲劇と喜劇を「人間の行動を模倣する芸術」と位置づけた。悲劇は優れた人間(英雄や偉人)の行動を模倣、人生における深刻な転落や破滅を描き、観客の心に「憐れみ」と「恐れ」の感情を呼び起こす。結果、感情のカタルシス(精神の浄化)をもたらすことが、悲劇の最も重要な機能とした。他方、喜劇は「劣った人間(一般の庶民、欠点や愚かしさを持つ者)」の行動を模倣しその失敗・滑稽さを描き出す。

・プラトン「真実と大工と芸術家」:プラトンは、主著『国家』(ポリテイア)において、真実の姿(イデア)と大工(実用品の作り手)、そして芸術家の関係を「三つのベッド(寝台)」の比喩を用いて説明。①寝台のイデア(神の寝台、概念そのもの)②大工のベッド(実用品の作り手)③ベッドの絵(描かれたもの)として、実用や真理を重んじる職人の技術と、表面的な模倣に終始する芸術とを厳しく区別した。

・Western(西洋)の二元論


■音声編集:春花


感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:00
母と次女の時差ボケ座談会ただいま人生編集中。このポッドキャストは、最近大阪のテレビ局を引退したばかりの堀内敦子と、ニューヨークで映画制作を学んでいる娘の堀内春花とが、1万キロの距離を超えて自由な会話を
繰り広げる番組です。さて、今回の話題は?
うちの働いているところは、チューター部門なんですよ。
だから、私たちの役職には、タイトルがいくつかあるんだけど、そのうちのひとつがチューターなのね。
うん、教える人ってことね。
だから、こう生徒とかが、うちらのオフィスに来て、チュータリングセッション、1対1の、なんかそういう、教えるセッションをやることがあるんだけど、
なんか、編集とかカメラの使い方とかに長けてる人間も中にはいるので、あと、ポッドキャストスタジオみたいなものも、うちの部門の中に何個かあるから、
だから、そういうオーディオ編集も、教えようと思ったら教えれるくらいの、ゆるい感じなのね。
で、昨日、アポ取らずに、ウォークインでやってきた生徒が1人いて、で、この生徒の面倒を、1人私の同僚がね、Cさんって呼ぼう、彼女が世話をすることになったのよ。
しばらくして、そのCさんとその生徒が、ずっとそこにいることに気づいたのね。
うん。
なんかこう、普通チュータリングセッションって、早くて5分とか早くて10分とかで終わるのよ。
で、早く終わらなかったとしても、30分あれば大体の問題は解決するじゃん。
なのに、この男子、この生徒、もうね、45分くらいここにいるんじゃないかって思ったの、私。
で、しかも、私たちも自分の作業をしてるじゃん。で、同じ空間でずっと彼喋ってんのよ。
で、こっちも気が散るの、声でかいし。
って思って、だから大丈夫かなって思ったの。チューターの方が喋るもんじゃん、普通。
うん。
なんで生徒が永遠に45分も1時間も喋ってんのかって思って、私。
あの、そこに立ち寄ったのよ。大丈夫?って、その私の同僚のCちゃんにね。
で、そしたらその男子が、あの、ポッドキャストのレコーディングの編集をガレージバンドでやってて。
ほんで、なんかこう、これが分かんない、あれが分かんないみたいなことをずっと言ってて。
もう私の同僚のCちゃんがもう疲れ果ててるのが目に見えたから、あの、私がそこからテイクオーバーしようとしたのよ。
乗っ取ろうとしたのよ、そこ。チューターとして。
What exactly are you, like, trying to do? って、何をしようとしてるんだ。質問はそもそも何だと。
ほんでそしたら、あの、このオーディオのこの6秒の部分を編集したいんだけど、
あの、どうやってるか全然分かんないみたいなことを早口で、めっちゃ長い文章でバーってずっと永遠に言ってるのよ。
03:02
ほんで、私が、yeah, do you wanna cut it out? Or do youwanna move it to somewhere else? みたいな、なんかこう、
What exactly are you trying to do? って、なんか聞いてたの。
でも私もね、何を彼が聞こうとしてるのか分からなくて、それで手こずったのね。
ほんでそしたら彼が、いや、あの、しーちゃんが帰ってきたら、彼女は分かってるから、教えてくれるから、あの、君はいいみたいなこと言うわけ。
あの、そもそも宿題は何なんだみたいなこと聞くのよ。
で、そうすると、どうやらもともと45分とか1時間とかあるポッドキャストのオーディオを、あの、まあ多分5分にまとめろとか、
あの、1分30秒にまとめろみたいな、そういう感じの宿題だっぽいのね。
話聞いてる感じ。
んで、彼は、だから頭の中で計算したの。
何分何秒から何分何秒のところで30秒、何分何秒から何分何秒のところで6秒みたいな感じで計算して、
で、それを全部足したら1分30秒になるみたいな計算を多分頭の中で先にしたんだろうね。
うん。
だからこんだけ数字をこう並べてるのよ。
でも、その時私が彼に言ったのは、いやいや、数字で編集はできないよって。
うん。
編集っていうのはプレイバックでね、あの、再生して、でその再生して言葉を聞いてって、
あ、ここがトピックとして大事だな、ここはトピックとしてあんまり関係ないなっていうところを取捨選択して、
こうブロックみたいにその編集ソフトのタイムライン上でそのブロックをこう積み木みたいに組み上げていくものなんだよって。
で、それで1回再生してみて、でそれがそのタイムリミットを越したら、
じゃあもう1回最初から再生して、ここは必要ないなってところを見つけて削ぎ落としての繰り返しをしながら、
言葉ベースで編集するのであって、タイムラインの数字ベースで編集するもんじゃないんだよっていうことを私は説明しようとしてたんだけど。
うーん。
だけど、そのセンテンスを言い終わる前に彼が追いかぶせて、
そう、遮ってくるの、永遠に。
で、私が、私今喋ってるんだけど聞く気あんのかって聞いたの。
ちょっとね、あの、もう私も、あのそのシーちゃんも、これはダメだってなって、これは抜け道がないなって感じに途中からなってきて、
で途中からシーちゃんも私も彼をもうここでセッション終わらせて帰らそうとしたんだけど、なかなかそっちに話を持ってけなかったのよ。
で、私たちの上司も一瞬だけ見に来て、多分様子おかしいって気づいたのか、なんか見に来たけど、
そこで特に何もせずに、
帰っちゃった?
多分オンラインミーティングかなんかがあったから、そこがいなくなっちゃったのよ、すぐ。
おいおい。
で、その時においおいって思ったよ。上司だろ、あんたみたいに。
お前、責任者。
ここなんとかせよって思ったわけよ。
だからその上司の次に、あの次のポジションの子が、あのプログラムマネージャーだ。
06:05
あのうちらの部署の、あのその上司とうちらの間にいるリーダーがいるのよ。
その彼女のところに行って、この生徒ちょっとオフィスから出すの手伝ってくれないって言いに行ったの。
それで、だからしーちゃんと私とそのリーダーのその3人がかりで、
なんとかそっちの方に話を持っていこうとしたんだけど、
私たちのプログラムマネージャー、そのリーダーの子に、なんかまあ世話させておいて、
だけどそのリーダーの子も手こずってんだよ。
だからまたそれでなんか30分40分経過しちゃって、
あのなんていうの、そのリーダーの子ですらこの人は手に負えないなって私が判断したので、
あのまたしが、私がまたそこでステップインして、
んで、
リーダーの子は、その彼が編集していたプロジェクトを出力して彼のEメールに送ることによって、
ほら家帰って作業続けられるでしょってやって彼を返そうとしたのよ。
帰ればいいじゃんってしようとしたのに、まだいろいろとこうなんかわけのわからない質問をかぶせてくるのね。
んで、私がそこで言ったのは、あのあなたはここに宿題をしに来ているわけじゃない。
あなたはここに私たちに質問を聞きに来ているわけであって、
で、ここでそのソフトウェアの使い方を学ぶことによって、
家に帰ってソフトウェアを使って宿題をできるようにするのが目的であって、ここで宿題をするなって言ったの。
ここはそういう場所じゃない。
えっと私のリーダーが言ってたのが、あの私たちの休憩時間があと10分で始まると。
んで、ここに永遠にいることはできない。あんたが来てから1時間40分以上経ってるそもそも。
でもそしたら、いやあの残りの宿題もちょっとあの終わらせたいというか、
そのちゃんと自分のファイルが保存されたってことを確認したいから、あと5分だけ
君たちのラップトップ使ってあの作業していいかって聞かれて、
んで、その時点でもね、休憩時間に5分入ってたの。
んで、私が
Noって言ったの。んでそしたら、あと5分、あと5分ってまだ言うの。だから
No is a noteって言って、
I'm setting clear boundaries.
Can you not understand? ってもう本当に私も強く言わなきゃいけなくなって、もう
喧嘩越しであの声を張るくらい、ちょっとメンタルを、ちょっとやばいんじゃないかな。
その声を張らなきゃいけないくらい、
なんていうの、境界線を引かなきゃいけなかったよな。ほんで最終的にあのなんか、
OKありがとうみたいなことを言いながら出てったけど、
もうね、その後ね、あの私とその
彼とね、付き合わされたその残りの2人、3人で、
What was that? みたいな感じで。
あれは何だったの?みたいな。 What the fuck was that? みたいな感じで会話になって。
09:03
ちょっと問題ある生徒やな。
もしかしたら何かしらのディスオーダーがあるのかどうかわからないけれども、
でもね、あの
Lack of comprehension はいいけど、Lack of respect は耐えられないって話をしてね、私が。
そう、あの理解力がないのは全然いいの。私だってあの、
なんていうの、いろんな人に何か教えたことはなくはないからさ。
だけど、
なんていうの、
No イコール No がわからない人っていうのはちょっとしんどい?
うーん、それはだから、あんたの、
あんたたちの言うことを聞く気がないというか、最初から聞いてないじゃん。
あの、最初から最後まで聞いてないんだよ。だから、
あの、コミュニケーションが成立していない。
そうね、コミュニケーションが成立して、それがね、
なのに質問に来ている。そこが問題だ。
で、あの、私が喋っている時にその、覆いかぶさられるのって本当にきついのね。
だから、それがその段階で話をやめて、もうあの、もうあなたはダメだと。
あの、悪いけどここで話できない。
もうあの、自分の教授と話してくれっていうふうにして、もうあの、
シャットダウンするべきだね。あの、で、それを、そのシャットダウンさせる役を、
あなたの上司がしなきゃいかん。あの、大人がね。
いや、でも3人がかりでシャットダウンしようとしたのよ。
うん、そうやな。
3人ともやったの。それでも難しくって、
で、もういろんな手を使ったわけよ。その、なんていうの、あなたはもう1時間以上ここにいるとか、1時間40分以上ここにいる。
で、私の休憩時間だとか、あとはその、あんたも、
なんていうの、その自分の宿題のプロジェクトファイルは自分に持ってるでしょって。
それ全員、あの、受けて、受けては女性だった?
うちのね、チームね、みんな女子なの。
でしょ?で、それで来たの男でしょ?
いや、でも、あの、
同じ生徒が別の先生、
その教授がね、いるね。うちらもどの教授か知ってるんだよ。その生徒の先生が誰かを。
大変やろうな、その先生も。
みんなが出てった後で、彼また残って、たぶん先生と話ししてて、
うちらの教室でね。でもうちらも作業してたらさ、いきなりさ、先生のさ、なんかどなり声が聞こえて、
なんかこう、わってびくってしたの。私も仕事してて、なんか1、2週間前くらいに。
たぶん、キレたんだな、それで。
そう、先生もね、先生男の人なんだよ。白人の、あの、歳のまあまあいった先生なんだよ。だから、
女子男子ってことではなく、たぶん誰に対してもああいう感じの、
子なんじゃないかなって思う。
でも先生やってる限り、
まあ、いろんな子がいるよ。
そうなの。
だから、あの、誰もが夢の子供じゃない?
で、その、本人に悪気があろうがなかろうが、
その、30人なら30人とかいう担当を持った瞬間に、
12:02
その30人の中には、
それはそれは、いろんなディスコミュニケーションが起きると思うのね。
だから、先生っていうのも大変やね。
大変。で、あの、なんて言うんだろう。
まあね、いろんなね、ディスオーダーとかを持った子っていうのが、この世の中にたくさんいるから、
なんかこう、全員が全員をね、ああめんどくさい子だなって片付けるのも乱暴な話だとは思うんだけど、
こっちとしても、なんていうの、
境界線は引かなきゃいけないものであって、
そうだね。仲間外れにする必要も全くないし、
あの、なんていうの、どんな人だって教育を受ける権利があるんだけど、ただ、
教育者として、
境界をしっかりと引かなきゃいけない時っていうのが、たまにあるよねっていう、
会話になりつつあるというか。ただ、まあ、人の話聞かない
っていうのは、まあ、ディスコミュニケーションなんだけど、
あの、スティーブ・ジョースの評伝を、あの、Kindleの中で読んで、あの、ほら、日本でこんな分厚い
上下感で売られてたやつ。
あの、あれを読んだ時に思ったのは、
まあまあめんどくさい
生徒だったろうなっていうか、生徒でもあり、まあまあめんどくさい上司
だったんだろうなっていうのがわかるのね。
これ上司だったら、もう耐えられない。
とてもじゃないけど、一緒に働きたいとは思わない。彼が作るものは、ほんと素晴らしいと思ったけど、
でも、あの、自分がもう、
いく晩も徹夜して、持って行ったものを目の前でガチャンって壊されて投げられたら、
もう、ほんとキレると思うのね。
いや、もう今の時代だったら虐待みたいな感じで、あの、なんていうの、
もう、首になりかねないよね、上司がそんなことしたら。
いや、読んだ時に、あの、これは
無理って。これが
上司でも部下でも
あるいは夫でも
彼氏でも全部無理。
とは思った。
でもその教育者、教育者ってなんか自分のこと呼ぶのもなんだけど、
でもそのスタッフとして、
接客業をやるスタッフならみんな通る道なのかもしれないけど、ある意味こういうのって。
でもなんかどういうふうにハンドリングするのが
正解なのかなとか。まあ、上司もね、もっとしっかりせんやと思う。
あるけど、
まあ、いい人なんだよ。でもね、上司もね、その最初にね、彼を世話してた、そのシーちゃんに、
あの、いい人すぎるのもよくないよ、みたいなこと言ったのかな。
なんか、で、その時に私が言ったのは。
で、その時に私が言ったのは、
No, being nice is a beautiful thing.
They just need to stop being a douchebag って言ったの。
15:02
ドゥシュバーグ?
ドゥシュバーグって、なんかこう、クソ野郎みたいなね。
そんな感じの意味なんだよ、英語で。
だから、あの、
みなさん、あんまり覚えないほうがいい英語を今言ってると思います。
あの、いい人であるのは、
いい人すぎるよとかって、いい人に対して、いい人であることを、なんかこう、
ダメに思わせるの、私好きじゃないの。
うん、そうだね。
あなたは、いい人すぎるよ、ナイイブだよ、みたいなナラティブ、私好きじゃないの。
うん、そうだな。
Being nice であることは、悪いことじゃないよな。
母さんは、あの、新しいことあったの。
いろいろあったの。
一つは、この間、ライブやった。
うん、どこで?
えっと、コーラスなんだけどね。
一コーラスとして参加したやつで、
ほんと久しぶりに、渋谷で、あの、原宿クロコダイルっていうところがあって、
ライブハウスで、昔からずっとある、
そこで、大学時代の憧れだったバンド、
ポップスというか、シティポップス的な感じの音楽をやってるバンドがあって、
全部オリジナルでね。
そこで、コーラスが必要だって言われて、
コーラスとして参加してくれないって言われて、
わりと気軽に、日本語教員試験の1ヶ月前だけど、
まあいいやと思って、いいですよって言って、
いいですよって言ったら、
持ち曲が3,40曲あるバンドで、
そのうちどれやるか分かんないって言われて、
俺ちょっと待てみたいな感じになって、
かんさんが知ってた曲は10曲ぐらい、そのうち10曲ぐらいだったんだけど、
で、全部で結局14曲やったのかな。
有名な曲は?
有名な曲っていうのはなくて、
あの、それは、
あの、なんて言うかな、
14曲全部だからオリジナル?
全部オリジナルで、
いまだにその曲が頭の中をぐるぐる回ってる。
で、あの、インスタとかで宣伝して、
今度こういうのやりますよみたいなのを入れていたら、
あの、見知らぬお客さんもいっぱい来てくれて、
それで、会場が満杯になったんだ。
昔からの友達ももちろん来て。
で、あの、良かったんだよ本当に。
まあ出来は、後で見るとうーんっていう感じなんだけど、
でも非常に楽しくて、
だからライブができたっていうことが良かったなと思ってね。
40年越しに集まって、
まあ喧嘩したりなんだかんだあったりしてようやくね、
でも終わったのよ、とりあえず。
大人の友情って難しくない?キープするの。
18:00
思うよ。
大人の友情難しいよ。
え、何?何かあったの?
え、前から言ってるかもしれないけど、
あの、友達が。
今年の初めくらいからかな。
一緒に集まろうねっていう予定を立てるたびに直前で、
やっぱり無理っていうパターンが今年は増えたなって感じてたのね。
で、私ってこう友達のために時間を作るタイプの人間なので、
私がそこに友達のために現れるって決めたら、
私は宿題を早く終わらせようが、仕事で疲れてようが、
現れるための努力を私はするのね。
だから、それを毎回のようにないがしろにされるのは傷つくんだっていう話を、
今年の春頃にしてたのよ。
彼女が私を招くときっていうのはもちろん彼女いるんだけど、
でも、私が彼女を招くときとか、他の子が彼女を招いたときに、
また同じことが起こったのね。
ほんで、私が数日前にまた同じことが起こったときに、
何回も何回も言ってるっていうか、
これで2、3回目くらい言うけど、
何回も何回も怒ってて、私はちょっとうんざりしてるっていうことをテキストで柔らかく伝えたのよ。
ほんで、そしたらそのテキストに対して、
まあまあ長文のテキストよ。
そこに対して彼女は返事することなく、
クエスチョンマークの絵文字を私のテキストにポンってつけたの。
で、その時点で、もう無理だわって私も思ったの。
だから、自分はキレたわけじゃないのよ。
なんか、もうどっちかっていうと、がっかりしたというか。
なんか、もう2、3回説明しててまだわからないんだったら、もういいやって思ったの。
だから、私と彼女とその他友達のグループチャットがあるんだけど、
もう他の2人には、もう私、このグループチャットから自分を除くと思うけど、
別に、なんていうの、このグループのことが嫌いなわけじゃないし、あなたたちに個人的な感情があるわけじゃなくて、
ただ、もうグループとして私たちのことを見ることは難しくて、
個人個人としての付き合いはできるけど、
もうこの4人っていうダイナミックスで自分たちを見ることがもうできないから、
だから、個人的には撮らないでね、自分消えるかもしれないけどって伝えて、
その次の日くらいに自分をそのグループチャットから抜いたのよ。
これ以上、彼女のために時間を作ったりすることを頑張ったら、
もう自分に対してのセルフリスペクトはどこにあるんだって気がしてくるから。
21:00
なんか自分のそのピース、自分の平和を守るために、もういいやって感じだった。
やっぱりその人生のステージによって新しいコミュニティっていうのはできていくじゃん。
で、だからこう、前のステージでベストフレンドだった子が、
ベストフレンドから普通のフレンドに下がるのは別に全然いいんだけど、
でもそうじゃなくてディスリスペクトを私に見せ始めるんだったら、
あなたは私の時間に値しないもはや。
私のエネルギーにあなたはもはや値しない。私のエネルギーをリスペクトできないんだったら。
で、もう何回も何回もってことだよね。でも2,3回説明しててまだわかんないんだったら、
これ以上私もその説明にエネルギー費やす必要ないよねって思って、
もうそれ以上何も言わずに自分をそこから覗いたのよ。
っていうことがあって、大学にいる時とか同じ職場にいる時って友達作りやすいじゃん。
選ばずに同じ教員にいるわけだからずっと。
だけどその学校とかから卒業して、別々のルーティーンっていうものを歩み始めた時に、
お互いの時間を作る努力をしなきゃいけなくなるんだよね。大人になると。
その努力にギャップが人によって出てくる。
そこが難しいんだよ。そこが大人の友情のチャレンジで。
こっちもこれがうまくいってる、これがうまくいってないってことを友情の中でコミュニケーションしてるのに、
それを聞く気がなかったり、話し合いをする気がないんだったら、もう続けられないなって思って、
もういいやって感じで自分も諦めたっていうのがあって。
だから大人の友情って難しいよねって話。
バンドやるのって仕事じゃなくても明らかにこれは趣味なんだけど、
ベースがいて、ドラムがいて、それからキーボードがいて、ギターがいて、それからコーラスかホーンセクションかがあって、
メインのボーカルがいて、あるいは打楽器がいて、そういう感じで一つの編成が出来上がる。
それだけ大人が集まるってことは、いい大人が時間を決めてある場所に集まって練習なら練習をするし、
ライブならライブをするっていう。人を呼ぶ時も何人呼ぶんだ、誰が何人くらいのチケットを手に握りしめんだみたいな話になってくる。
その時にうまくいかないこともあるんだよね。
手伝ってって言われたから手伝ったんだけど、メインメンバーみたいな人たちがいて、
その人たちの中でのいろいろ喧嘩事とかがあると回らなくなってくる時があって、
24:07
その時に言われて大阪から参加しに行ってたっていう立場もあってさ、
そこでね、いがみ合ってるのは良くないと思うので、それはちょっとやめましょうよって。
みんなで一生懸命練習してきたじゃないですかって言って弦外に、
だって私大阪から来てるの分かってるよねっていうのを入れながら。
何で喧嘩したかは言える?言えない?
何で喧嘩したかっていうと、やっぱりみんなチケットの割り振りだとか、
バンドの練習予定だとか、コード進行だとか、そういうのを山盛り10何曲もやるんでさ。
楽器の配置はどうすんだ、それから何人友達呼ぶんだ、それから費用は一体いくらにするんだ、
フライヤーって言ってあの要するにだからチラシをどうやって作るんだ、誰がどうやって作ってこれをどういう風にやるんだ、
その日はカメラ回すのか回さないのか、それって誰に発注するんだ、お金は誰が持つんだ、
そういう類のことをさ。お金は持ってる人たちだったから、そういう意味で言うと全然問題ないんだけど、
そしたらじゃあ俺が持つから全然もうアート好きにやってもいいよねって訳にはいかないんだよ、これがまたね。
そうではないよね。みんなでやってるものだからみんなで決めないとダメよねっていう前提があって。
民主的な運営って難しいよねって思って。
しかも昔に比べてマシになったのはSNSがあるので、LINEとか、あるいはクラウドがあるので、
楽譜はここに置いといたよとか、歌詞はこうだよとか、みんなこの間の練習の音源ここに置いといたからこれ聞いといてねとか、
そういうことはやりやすくなったんだけどね、昔に比べてはるかに。
だけどみんな性格は変わらない。若い頃にわーわーやってたのと全く同じ状態でまた同じようにわーわーやってるっていうのでね、
終わった後にいろいろあー疲れたーみたいな。
映画学校と何も変わらないように聞こえるね。
映画学校はそうなの?
今日まさにランチでみんなで喋ってたんだよ。
何々ちゃんがこの役割を担ってくれてるんだけど、ボンミスばっかりで、次のプロジェクトでは彼女には頼まないかもとかさ、
そういう噂話を聞いてしまって。
あと同じクラスメイトの中でグループワークがあるのに、そのグループワークをやるってなった時のテキストのコミュニケーションが遅くてみたいな。
27:02
で何もやらなかったくせにプレゼンでは自分がやった顔しててとかさ。
うわー。
そういうゴシップ聞くの。
それを聞きながら、友達のクラスメイトと顔合わせて、フィルムスクールだからね、みたいな。
いや、だけどどこでもそうなんだよ、結局は。
面白いのは5,6人で集まったり10人で集まったりするわけじゃん。
そうする時に、こいつがガンだなって、これがって、もし思ってたとしても、その人を抜いたらまた違う問題が起きるんだよ、絶対。
お?
花火かな。
そっちで花火あがんの?
いや、個人用の花火とかさ、勝手にあげる人いるから。
いやいや、要は会社員で管理職やってた時も思ったけど、この問題が困ったなって思って、その問題をなんとか取り除いた後に、またね、やっぱりあるんだよ。
絶対問題がない瞬間なんかなくて。
昔ソフトボール部だった時も、ソフトボールでここが弱点だなってチーム思ってても、その弱点が抜きでもまたやわいところ。やっぱりどっかね、あーっていう改善点は絶対出てくる。
そうね、チーム戦ってその問題解決が仕事みたいなところあると思う。
昔バンドやってたよなって大学時代とかね、あるいは会社入っても最初の数年間ぐらいは子供生まれの間ってバンドやってたなって思うんだけど、
そうだよ、これが大変だったんだよなって思い出した。
絶対あるの。
そう、だから、なんでもかんでもフィルムメイキングに持ってきてしまうけど、
ちょっとなんか頭いっちゃってるくらいじゃないとフィルムの仕事なんて誰もやんなくねっていう話。
でも、一応思うんだけど、みんなで協力してチームで何かを作んなきゃいけないとかね、何かの開発をするとかよ。
何かの研究をグループでやるとか、全部一緒だと思うんだよね、たぶんね。
さっきの話に戻ってくるけど、いろんな人と仕事をするからこそ、やっぱり境界を引かなきゃいけない?
引くべきところで。
Set boundariesってもうちょっといい言葉があるかな。
何て言うの?
境界線を引く?要するにだからこう、
30:01
Set boundaries。
そうね、あとはトラブルと自分の人格とを切り離すっていうかな。
あとけじめをつけるっていうのかな。
でもね、だからこそ違うものをいくつか持ってるっていうのはすごい大事で、違うアスペクトをよ。
家庭と、それから友達と、それから仕事とかね、あるいは仕事と趣味とか、
4カ所ぐらいあると、1カ所ですごい嫌なことがあってもダメなことがあっても、違うとこ行ったら気分持ち直すっていうことあるじゃない?
そうね、うん、確かに。
仕事だけの人って、仕事ですごいそういうしんどいことがあると、自分自身の存在自体がドーンといっちゃうみたいなところがあるかもしれないけど、
でも、趣味があって、例えばギターめっちゃ弾いてますとか、あるいは自分はこの世界でめちゃめちゃ習字が上手いですとかさ、
あるいはバレエめっちゃやってますとか、そっちの方での自分のこれについてやってるときに何かを忘れられるみたいな部分があれば、なんとかなる。
趣味を仕事にしてしまう人の不幸っていうものもある程度あると思うんだよね。
最初は自分の好きなことだと思って始めてたのに、それを自分のお金儲けの手段にしてしまうことによって、自分は本当にこの仕事をするためにお金をもらってるのか?
お金をもらってこの仕事をしてるのか?それともこれは自分の管轄外か?みたいなことを考え始めちゃう。
相手の尻拭いをしたところで自分の給料が上がるわけじゃないところで、自分が上司とか他人に搾取されたりする。お金が絡む現場だから。
そうなったときに、あれ、自分本当にこれをするためにこの業界に入ったんだっけ?っていう風にアイデンティティクライシスに陥って結局長年やりたかった仕事を結果的に辞めるっていう人もまあまあいるのよ。
っていうのを見てると、ってなるとたまにね、あの業界に入ってお金をもらえるようになった人たちって、もうこれ以上パッションプロジェクトやらないって言ったりする人もいるのよ。
もう自分はお金をもらえるだけの立場になったからお金をもらえない仕事はもう受け付けない体力が持たないからっていう人たちもいるんだけど、
それと同時に私のメンターであるアルビーはお金がもらえない仕事でもやるんだよ。もうファッションフォトグラファーとしてね、キャリア積んでんだよかなり。
それでもいまだに無料のお仕事やりたいときは普通にやる。で、それを見ながら奥さんのシュウはお金もらえよって言ってたりするんだけど、あんた食わす子供いいんだろみたいな。
33:05
おもしろいな。
だけど彼にとっては、お金のためにやってしまったら自分のパッションが死ぬって多分どっか思ってるのかな、彼は。
アートへの愛のためにやるプロジェクトがあってもいいじゃないか、そうしないと僕の魂が死ぬ、アーティストとしての魂が死ぬってどっか思ってるのかな、彼は。
ミュージシャンにせよね、多分きっとアーティストもそうなんだと思うんだけど、そういう変なピュアさがあってね、会社員とかになっていくと、
とてもじゃないけど、バンドなんかもうやってられない、まるで仕事のようにみんなのスケジュールを合わせて、みんなの気持ちを合わせてみたいなことで、さっきのみんなのガタガタしてるところもちゃんと直しなが
らやっていかなきゃいけない。
そこにすごい時間とエネルギーを使うっていうのは、もうこれ仕事以上に仕事だと思って辞めた部分もあるんだけど、長い間。
でも、それを続けてる人ってどっかにピュアさが残ってるっていうのかな。おじさんになっても、おばさんになっても、どっかナイーブって言ってもいいのかもしれないけど、そういうところがあって、そこがいいところだ
なって思うの。
世俗にまみれきらないっていうのかな。同じ40歳とか50歳でもね、まだどっかに当時を抱えてるという、自分の10代、20代の頃の何かが残ってるような顔してる人が多い。
その理由もあって、パッションプロジェクトのことをパッションプロジェクトって呼ばずに、for thelove of the art projectって呼びたくなったりするっていう。そういうふうに呼んで
る人をネット上で見たことがあって、いい呼び方だなって思って。自分もこの言葉使いたいって思った記憶がある。パッションプロジェクトじゃなくて。
食っていくための仕事っていうのも必要だし、お母さん的には、仕事と家庭とそのあたりのバランスというか、本当に1ミリも自分のための時間なんかなかった時期が、もう過去20何年あった状態だったので、そういう意
味で言うと、それが入ってくる余地はなかったんだけどね。
2点今なんか話したいポイントが浮かんだんだけど。
1個は職場でいろんな人と出会うからこそ境界線を引く。で、境界線を引くことを恐れなくていい。あんまり人って他人を不快にすることが怖くて、言いたいことをはっきりと言わない人がアメリカだろうが日本だろうがど
36:19
こだろうが多いと思うのね。
場の空気を濁したくないから。けど意外とその場の空気を濁さずに言いたいことをはっきり言う方法っていうのはあって。
アサーティブですね。
職場のすごく役に立つスキルとして自分をトレーニングすることができるものだと思うので、それができる人っていうのは本当にどんな職場でも生きてきやすいと思うのね。
っていうのがまず一つ。で、二つ目がそのパッションっていうものはそもそも人間がその生きる意味のその意味のわからなさから気をそらすためのものだっていうアイディアをどっかで読んだことがあって。
そもそもなんで人間ってこの地球上にいるの。生きてる意味って何ってないじゃん。自分たちの中で意味を作るだけであって。実際人間がある日とつないなくなかろうが他の生物は困らないかもしれないしむしろ地球はねよ
り栄えるかもしれないし地球がなくなったところで他の星が困ることはないじゃん。
だからこの自分たちの存在意義って本当のことを言うとどこにもないじゃん。そんな自分たちが意味を作って勝手にくっつけてるだけであって。っていうそのなんていうの虚無感その虚無さから。
虚無感っていうの。その虚無感から気をそらすためにそのパッションっていうものを人生で人間は見つけて自分の生きる目的っていうものを自分の中でこう作ろうとするよねっていうそういう話があって確かにみたいな。怖
いじゃん宇宙のそのナッティングネス。
あのねでもさ最近NASAかどっかが発表したんだけど周りの本当は星を色々探してみたら地球みたいな感じの生命が存続できそうな惑星を何千頭探したけどありませんでしたっていう発表があったんだよ。
あの要は地球ってなかなかいろいろレアなことがあって地磁気を非常にうまいことやってる部分とそれからちゃんと時点と光点のバランスがいいのでその温度差がひどくならない。でそのこのなんかこう時点光点がうま
くいってる理由とそれから変なあの衛星がボンボン落ちてこない理由は木星と月の存在が大きいんだって。
木星がありとあらゆるその大きいものがあるからそっちに全部あのこう重力でねえっと小惑星が衝突しに行くとプラス月もあって月ってあんだけ大きな衛星を持ってる惑星っていうのは地球クラスでは非常に珍しいんだ
39:17
って。
あんな大きい衛星っていうのは普通できないんだって。でもたまたま月はいろんなの衛星小衛星と小衛星と小衛星がバーってぶつかった結果まだほかほかの時期にあの大きさにまでなった。
でそのそれがあるからその月がその水のね道引きを作ってくれて海の。でそうすることによって海のそのある場所で100度だけどある場所ではあの凍ってますみたいなのはできなくなった。
とかいろんなことがあってそういういろんなこうもうあのコンマいくつぐらいのすごい偶然中の偶然何億分の1みたいな偶然がいくつもいくつもいくつも重なってで地球というのができた。
って考えた時にあの他の星で誰か生きてるよねっていうのはもうなくてないんだよ。あのNASAが探した限りにおいて見つけられませんでした似たような環境の星はって言われた瞬間にえーみたいな。
本当に唯一無二じゃん。壊したらやばいじゃんみたいな。
人間がねあの人間が観察できる範囲内では見つかりません。
そういうことだよ。
人間が観察できない場所にはいるかもしれなくないまだ。
ただだからそうすると似たような衛星を持ってて似たような惑星が近くにあってこれでその太陽系みたいな感じでその中にある恒星もあのぐらいのまあ要するにレベルで変にこうあのなんていうのいきなりびっくりするほど
のその重力を生み出さず
みたいないろんなそういうこうあのこの辺この辺この辺みたいなあのいろんなSFにおけるストーリーテリングみたいなものがインターステラみたいにちょっとあっちの方まで行ったらなんかあのあのなんか見つかるかもし
れないみたいないくつ5つぐらい見つけられてそこにそれぞれのその博士を送り込んでみたいなそういうのはまあ夢物語っぽいんだよ。
だから生きる意味って確かにだから一生懸命人間ってこう有志以来考えてきてるけど有志以前もそうかもしれないけどあのあるとは思うんだよあると思うけどあまりに深淵でしかも本当に真っ暗系の中にぽつんと青い星
が1個だけある状態そこで生きてる。
そうなんですってことで生きてる意味はもちろんあるけどあまりに広大であのなんて言っていいかわからない。
今日ね授業でねドクターストレンジラブを見たの。
ドクターストレンジ。
42:01
ストレンジラブあの博士の異常な異常スタンディックキューブリック。
はいはいはいはいはいはい見たんだ。
10代の頃に1回見た記憶はあるんだけど。
見たんよその頃もなるほど。
大人として今見るとまた別の感覚だよね。
いや私は見たことないのよ。
見たことないの。
ないの。どうだった?見るべき見るべき?
ネタバレしない方がいい?
ネタバレしない範囲で感想は言える?
言えない。ラストがまさに今の話につながるから。
一応じゃあ言ってみて。
ラストが。
まだ見たいと思って見てない人はここから一応何分間か抜いておいてください。
はいそれでどうぞ。
ラストから喋っても仕方ないな最初から説明しようか。
多分時代としては冷戦時代とか第二次世界大戦中かその直後くらいの感覚。
アメリカとロシアって永遠にバチバチじゃん。
どっちの方が核持っててああだこうだとかずっとやってるじゃん。
当時ソ連ね。
その時にアメリカの軍司令部の中のうちの一人が変なやつで。
とあるミッションを複数のパイロットたちに命令するのよ。
そのミッションっていうのがソ連の基地とかに攻撃しに行くっていうものだったのね。
でそれをアメリカ大統領の許可なく司令を出したバカ者がいて自分の権力をね。
自分の許されている以上に使った司令官っていうのがいたのよ。
でその命令を受けたパイロットたちは命令だから行くよね。
でもうすでに彼らが出発してあと1時間でロシアに着くぞみたいなところで大統領はそのニュースを聞くのよ。
で大統領とその他のいろんな会議室にいる人間たち全員男よがどうするどうするってずっと言い続ける。
でそれと同時にその命令を出した男のそのアシスタントみたいな人がまたその命令を出した男にお前気が狂ってんのかって話しに行く。
でなんとかしてそのこの命令を無効化する行動を彼から聞き出そうとするんだけど走行してる矢先に彼が自殺したりして。
45:02
だからっていうドンちゃん騒ぎの映画なのよスタンリーキューブリックが作った。
これ2001年宇宙の旅よりも数年前に作ってるのね。
でこれはラスト言うよラストは結果的に何も解決策は生まれずあのドーンってやる。
話の途中でわかるのがその大統領がねロシアのソ連のねあの向こうのリーダーにもね電話するシーンがあるんだよ。
で言語の壁があるからなんか言葉がすごい子供っぽくてコメディになるんだよそこ。
ディミトリーあのいやいやいや電話したのはちょっとすごくひどい事件があったからでみたいな子供に喋ってるみたいな口調でディミトリーディミトリー違うんだ違うんだみたいなもちろん友達だと思ってるから電話してる
んだけどねそれ以上に大変なことが起こってるんだみたいなことをねアメリカ大統領が言うのよ。
それはすごい面白いんだけど。
ほんでそこでソ連の向こうの大統領がアメリカの大統領に言うのはあのうちらは実はまだ発表してない核開発を最近やっててでこれがあの発動しちゃうともう地球が全部ダメになる。
地球全部がもう全滅するみたいなこと言うのよ。
じゃあアンドゥボタンはないのかって言ったらないっていうのよ。
であと30分でうちら死ぬのみたいな感じでもう男たちがねその会議室にいる男たちがあたふたするっていうお話なのね。
で最後もうダメだってなってバーンってクラシック曲かなんかに合わせてその爆弾がこうもう地球上でいろんなところで爆発するっていうそういう映像で終わるのね。
でなんでこの映画を授業で見させられたかっていうとあのアリストテレスかなあの喜劇と悲劇の違いについてあの昔語っててで何を喜劇とするか何を悲劇とするかっていう話があったのねこの映画を見る前に。
でまあその古代ギリシャとかローマとかのその定義で言うと喜劇コメディ。コメディっていうのは登場人物が最悪な時。で悲劇っていうのは登場人物が人間としてできている時というか素晴らしい時。
だからロミオとジュリエットとかさあれは悲劇じゃん。でなんで悲劇かっていうとロミオもジュリエットもピュアな心の持ち主だから悲劇になるんじゃん。
あの二人がそのすごい俗っぽかったらああはならないわけだな。そうそうそうあれが悲劇なのはあの登場人物主人公たちがいい人たちだから。美しいからね人として。逆にこのドクターストレンジラブ博士の異常な愛情に関
48:09
して言うと登場人物最悪な人間しかいないじゃん。
その男のなんていうのなんかその権力の争いなわけじゃん言うたらそのどっちの国の方が大きな核を持ってるかっていうその競い合いってまるで男が自分の一物のサイズを競い合ってるのと同じじゃん。
だからそのシンボリズムがあの映画中にねたくさんありふれててもうあの最初のショットのうちの一個があのなんていうのその飛行機がグイーンってこう動いてたりするんだけどその飛行機のねその突き出てるところの映
像から始まったりとか。
シンボリズムとかね。
ミサイルが2個その飛行機の中で並んでるのよ。でそれを後ろから撮ることによってその丸が2つあってなんか金玉みたいになる。
そうシンボリズムにあふれてるのよその男が自分の一物のサイズについて競い合うそのアホらしさそれがまるでその核をどっちの国が大きいの持ってるかを競い合うのと何ていうか重なるというかどっか。
でそのこの戦争っていうものがいかに男社会によって出来上がってるものでいかにその権力の争いによって出来上がってるものであってそれがいかにバカっぽいか。
っていうのでコメディーなのよこれをこの映画は完全にもう笑いどころたくさんあるのだけどそれと同時に映画を見た後の虚無感がどっかあってなぜかというとこの映画で私たちが笑ってる対象と同じような現象が現実世界
で起こってるからなのよ今。
今もそうだしこの映画が出てきた当時とかってちょうどケネディ暗殺の前後とかだったりするからこそこれまた当時の彼らにとってもきっとその政治に対する絶望感っていうのはきっとあっただろうし
っていう目で見るとどこに収まるのかっていう議論に行き着くまあ喜劇なんだけどさ結果的には結論としては人はだからそうだよねどうしてもこうでもなんか喜劇と悲劇の話はそれ面白いよね本当それについてはすごい面白
51:06
いと思う
プラトンはアートっていうものがあんまり好きじゃなかった人で
プラトンはそうだろ
そうプラトンってあのいい国を作るためにはアートっていうものはなんかあんまりいいものじゃないみたいな話をしてて
スパルトンの考え方やな
なんでかって言うと神様がいて神様の次にカーペンターがいてカーペンターの次にアーティストがいるって考え方があって
なんていうのどんなコンセプトにも原型がある
そのどの国のどの時代の人にもベッドっていうコンセプトはあったはずじゃん
例えばその寝床で国が違ってもカルチャーが違ってもベッドを作るっていう概念はあったわけじゃん
だからその概念っていうものを支配しているのが神様だとしたらその概念を真似して形作るのが大工さんとかカーペンター
そのものを作る人間実際に人間の役に立つものを作る人間であって
そのさらに下の次元にいるのがアーティストだって考え方の
なんでかって言うとアーティスト絵描きとかっていうのはその実際にあるものを真似した絵を描くでしょ
その真似した絵っていうのは何の役にも立たない
だけどその絵を見るとまるでそのアーティストがそのそこに書かれている概念のことを分かってるように見てる側は錯覚してしまう
だから概念神様が支配する概念その概念をもとに真似をしてちゃんと役に立つものを作れる大工
でその役に立つものを作ったその大工のその作品をさらに真似して役に立たないものにしたアーティストたち
でそのアーティストたちの作品を見てアーティストはきっと世の中のことわかってるんだって錯覚してしまう観客
でそれは観客にとって良くないっていう考え方をプラトンは持っててそれはだって嘘者じゃんみたいな
でその例えば作品
極光であると
そうそうそうでそのアーティストが作ったその作品例えばこれが劇とかだったとするじゃん
で劇の中で人間のこの醜さとかが描かれてたとするじゃん
でそれを見た人間がこれをまるでリアリティのように扱ってこれに影響されて悪影響及ぼされたら国としておしまいじゃんっていう考え方なのね
で今のこの現代の世の中から考えるとすごい変な話してるよすごい哲学的な話してるよ
で私もわかってるかわかんないよ自分で英語でこれ話聞いてるから私も理解でききってるかわかんないんだけど私の解釈で話すと
あのこれを現代に当てはめて考えると現代の人間はきっと映画を見て本当のものだとは思ってないけどでもインフルエンサーとかはどうだ
54:08
youtube とかインフルエンサーとかってもちろんある程度脚色された世界じゃん
だけど私たちはそれを見て本当のこととして扱ってないか
で今トランプとかもいるけどトランプだってある程度パフォーマンスしてると思わない
彼のカリスマ性って彼のパフォーマンス力から来るでしょ
でそれをパフォーマンスだって理解してる人間とそれを本気で捉えてる人間の割合ってどれくらいだよって話になるじゃん
だからそういうふうに落とし込んで考えるとプラトンが私たちに警告していた危険性っていうのはそこら辺にあるんだろうなっていうのがなんとなくわかる
実験を持ったインフルエンサーってことね
アリストテレスはそれに対する反対意見をどこか持っていて
でアリストテレスはアートっていうものがそもそも現実の真似事だっていうことは合意した上で
プラトンはアートというものは人間の真似だ
実在する人間を真似したものが劇だみたいな考え方がプラトンだとしたら
アリストテレスの場合はいや劇っていうものは人間を真似するんじゃなくて出来事事象を真似するものだっていう考え方をする人
アクションとかプロットっていうものを真似するのが劇だから
だから決して劇が必ず悪いものではないっていう考え方なのがアリストテレスなのね
でその彼がいろいろとこうね待ってなんかこう
なんか一点見逃してる部分がある気がする
ちょっと待ってちょっと待って
えノート見直すの
毎日アリストテレスか
でそう思い出したでアリストテレスにおいてのキーワードはカタルシスなのよ
でその人間って現実世界でこう悲劇的なことを経験することはあるけど
でも劇っていう守られた世界においてそのフェイクの世界においてそのいろんな感情っていうものを探索することによって
現実世界だったら本気で傷つくはずの感情を
劇っていう守られた世界の中で味わえるということか
味わうことができる
だからそのリスクを犯さずに人間の感情っていうものを探索できるっていう意味で
劇っていうのは人間にカタルシスを与えることができるものだよねっていう考え方なのね
って思うとやで
でそのコンテクストでドクターストレンジラブについて考えると
57:04
ドクターストレンジラブは明らかに現実世界のイミテーション現実世界の真似事劇じゃん
んで
それにカタルシスを覚えられるじゃんだって笑うから私たちもその中で起こってることに
けどそれカタルシスで終わらない虚無感が最後にこみ上げてくるんだよこの映画は
だって現実世界にもこういうやつがいるもんなみたいな
見終わった後に面白かった
でもこれを笑うだけで私たちここで終わっていいんだろうか
この地球全部が架空によって爆発して終わる
けどこの映画の中ではねこれが現実世界になりかねないじゃん
じゃあこの映画を見終わった後に私たちは何をするんだって話になるよ
これで見てこれで満足して終わっちゃって
これで見て満足して終わっちゃって現実世界で何もしないんだったらそしたらプラトンが正しくなっちゃうじゃん
これで私たちがこの映画を見てこうなっちゃダメだよねって言って実際に政治的な行動を起こさないと
プラトンのそのアートなんてクソだっていうのが正しくなっちゃう
っていう風に思ったんだけどそれを全部英語で先生にこう思ったなんて言えないよね
難しいよこんな話するの超手強い
今日本語で言えたじゃん
日本語では言えるけどさめためたの日本語で喋ってるでしょこれ英語で言おうと思ってみ
一応今日頑張って発言したけどさ授業で
頑張って発言したよ
本当上辺面のことしか言わなかったよでも本当にリラックスして本当に自分が何を思ったかっていうのを言おうとするとこんな感じ
でも表現から何から学問も含め本当に西洋っていうのは西洋哲学とつながるんだね
全部それはで源流はギリシャ哲学とかあっちの方につながっていくんだな
すごい難しいけど
面白いな
で極端かよって思うんだけどアートの理論って
でも全てのドラマは悲劇だとか言われるとそんなことあるかいって思いたくなる
でも人ってゴシップするときってある程度の葛藤がその物語の中にないとゴシップしゃべらない
私今日のエピソードさ昨日こんなことがあってて始めたじゃん
なんていうの最もジューシーなゴシップって葛藤があるんだよ人間の中に
そうだね必ずね
だからドラマイコール悲劇って大昔前のプラトンとかアリストテレスとかソクラテスとかそこら辺の人たちが結論づけたのも分かるし
1:00:04
まとえてる大先輩にまとえてるものはないと思うけど
大先輩中大先輩面白いな大先輩は大先輩だよね
まとえてると思うんだけど
でもそれと同時にそのうちの教授はそのアリストテレスとプラトンのこの2つの対立する意見があるけど
君たちは自分をどこに見出すかどっちも正しいも正しくないもないのよ
アートとはバカげてるっていうプラトンと
アートっていうのは人間が守られた世界でカタルシスを感じるための
感情の探求場だみたいな風に考えてる
アリストテレスと君たちはどっちの意見
スペクトランプ的に考えていいのよ
どっちって必ず選ばなきゃいけないわけじゃなくて
どっちよりみたいな感じの会話をここ数週間ずっと先生持ち上げるんだけど
ちょっと口頭なお母さんはでもちょっと口頭なコミュニケーションだと思うけどね
アートって
思うのがこのAかBか白か黒かで物を考えようとするところがすごくウェスタンだなって思う
そうね
さっきのだからアートかリアリティかみたいなね
そういうところを出してきてそこに価値をね
価値判断をしようと思うところが構造っぽいっていうか
その構造的なものを持ってくるものの価値
でもそれってただの概念によるものじゃない
あるがままに
そうそうあるがままに物事を捉えて
そのあるがままの世の中を見通そうってする東洋的なものの考え方
ものは流れるっていう
全てのものは本当じゃない
真ではないっていう仮のものである的な考え方からすると
アートっていうものは人間が考えたものだし
こういうふうに現実っていう考え方も現実なのかどうかは本当はわからない
人間がこの目で見て脳の中に電気信号として受け取っているだけのことであって
それが本当にリアリティであるかどうかなんてわからないんだよ
実際の問題って考えた時に
だからアートか現実かっていうふうに2つに分かれる考え方ができるっていう段階でとってもシンプルだなと思う
だから善か悪かで物を考えるじゃん彼らって
そこが西洋的
そんな白黒つかんやんみたいな
グレーだってあるじゃん
全てのものはないのだよとパーリプトラよだよ
本当そんな感じでいわゆる仏教的なものの考え方にちょっと行ってしまうんだけど
1:03:00
やっぱり物は流れていくただの現象に過ぎなくて全体に
それはだから現実だと自分が思っているものも自分の脳が受け止めているだけの現象であって
で映画を見ているその映画が映ってるのもそれもただの光の影じゃない電影なわけだよ
その電影もだから現象なんだよ
だから現実かアートかってどっちもこの世の中で一瞬だけ形を成しただけの幻みたいなもんかもしれないわけじゃない
奇跡のような
これかあれかってなった時にいいねシンプルでって思った
シンプルなのかどうかわからないけど
何て言うんだろうな
どっちか選べというかどっちかにインジケーターが行ったり来たりするようなもんではないじゃん
たぶん全てを定義しようとしたがるのが西洋だと思うんだよね
全て言葉化することに意味を見出している
たぶんギリシャのねそういう学問の時代から始まる未だにねその西洋に流れる文化なんだと思うんだけど
その会話によって真理を導き出そうとするそれがスカラースクールのもとでもあるじゃん
で実際そうやって授業でそうやって会話でまた真理を導き出そうとしてるわけでしょ
同じコピー
授業の中で発言しないのってすごいマイナスに見られるのよ
ほんでうちら特にエイジアンたち特に英語がノンネイティブのエイジアンたちはさやっぱり発言量がね少ないの
特にこんな第二言語でフィロソフィーの話させられるのめっちゃ苦痛なのこっちは
でそれでネイティブの子たちと同じくらいの熱量で会話参加しろって言われてもなかなかチャレンジではあるのよ
大学院にいる以上それは自分がねサインアップしたことではあるんだけど
でもただねあんたが今のそのアジアンとしてのエイジアンとしてのものの考え方を持ってそこに切り込んでいくのは
おそらく授業をやっている側からするとその先生が分かっている先生であるならばという前提でねすごくウェルカムなことだとは思うよ
すごく違う視点を提供できるっていう
あの白か黒かだけで話をする授業って面白くもなんともないもん
アジアンから見るとそこにはちょっとターンを足りないというか欠けた視点があると思うっていうものの考え方で
全ては目から入って目と耳から入って脳の中で受け取ったイメージに過ぎないわけだから
1:06:02
そういう意味で言うとこれかあれかって言われてもどっちも実は真実ではないかもしれない
っていう考え方でアジア人としては感じるとかさ
あるいはそのそれかこれかっていうその二律的なね
あのどっちかを受け取れっていうようなものの考え方自体にそもそも性を感じるっていうものの考え方を提供するっていうのは
あの流れを変える一つの面白い視点だと思うな
まあねでもやっぱこう白人の男性の先生たちっていうのは
そのやっぱりこう自分のものじゃないカルチャーをミスリプレゼントすることに対する多分抵抗感も少しあると思うのね
だから先生たちもそこにね
踏み込めないか
時間?
エネルギーを注ぎたくても多分注ぎきれないんだと思うねそこに対する恐怖が彼らにもあると思うのね
だからそこはね理解できるのよ
彼らもそのカルチャーの中にいる人間じゃないかこっちはその中にいる人間だから
持ち込みたい時に持ち込めるし
先生たちもその白人映画ばっかり見せたくないからいろんな文化の映画を見せようとするんだけど
でもやっぱりその語れる量が違うのは目に見えるのよ
だから最後の最後そこに乗っかりながらも最後に自分の視点を持ち込むことで勝てるよ
勝ち負けの問題ではないんだけどね
勝ちたくなるじゃんやっぱり
なんて言うんだろう
西洋から感じるのは語ることへの愛で
じゃあ行動に移せるかってそこがやっぱりプラトンが警告してた部分であって
アメリカのコメディーだってそうだしアメリカのユーチューバーだってそうだし
アメリカ人ってポリティックスについて発言するの大好きじゃん
大好きって言ったら失礼だと思うけど
フランス人も
自分のSNSで反対っていうことを発言することにすごく重きを置くじゃん
日本で発言をしないアーティストとか有名人とかを見ると
なんで発言しないのって言うじゃん
もちろん有名人の発言とか多くの人の発言っていうのが
歴史を変えることはたくさんあるし
アメリカの文化とか歴史っていうものがそもそも
反対運動とかデモとかそういうものによって作り上げられてきた
マイティ・ルーサー・キークだってそうだけどさ
デモっていうものによって歴史を覆してきたっていう記憶が
彼らにはあるからこそそこに対する情熱っていうのがあるし
それは決して無駄なものではないっていうのは分かってはいるんだけど
ただ
発言するだけで満足してしまう人っていうのも世の中にはいるわけで
1:09:04
行動に移していかなきゃいけないじゃんっていうのが
やっぱ感じる部分はあって
ソクラテスとカラーの時代の言葉化することへのまたカタルシスみたいなものもあると思う
何でもかんでも
言葉はもちろんだから語っていくのは大事だと思うんだけど
このAI全盛の世の中において体を動かしていくことの強さみたいなことの方を
考えていく必要があるような気もするよね
言葉で政治を語り世の中を語りっていうのをやってるのはもちろんそれはそれで偉いんだけど
そうじゃなくて今日の朝道路が汚れてたらそれを掃除しているおばちゃん一人
そっちの方の世の中を良くするという道においてはそれの方も大事じゃないっていうね
今日のご飯を運んでるトラックのおじさんの
いろいろ生鮮食料品運んでくれてるおじさんの行動とかね
それも世の中は良くしてないっていうそういうそっちの方の
体を動かすことによって世の中に本当に語りかけるというか働きかけるというか
そっちのなんか価値を見出したいな
エジプト人の友達が数年前に言ってたもん
アメリカ人は喋るのが好きで行動に移さないって
それが嫌だみたいなこと言ってたらそうかなって思ったけど
そうなのかって思ってなるほどって思ったけど
確かに彼の言わんとしてることは分からなくはないかな
今数年経って見てみて
だってSNSを遮断されながらもエジプトで確かあの頃大変だったよね
カレスチナ問題とかもあるしアラブ系の人たちはね
いろいろ思うことがあるよね今の
キレ事だけじゃ済まないような動きがいっぱいあるしね
UNに対する絶望感とかねそういうのもあるだろうし
何もできないじゃんみたいな
結局仲介してくれないじゃんみたいなね
言うだけじゃんみたいなね
そうそうそうそれもあると思うし
今日はいろんな話題が出たね
40年経っても人間大人にならないっていう話もありましたが
本当にいろいろそれがまた面白いところでもあって
あとは国のものの考え方の成り立ちのベースにだから
プラトンとアリストテレスが出てくるっていうのを聞いた段階で
おー西洋社会なんだなっていう感じね
仏教とかはね行動ベースだしね
そうね
修行プラクティスによって導き出される悟りって考え方じゃん
座禅組むとかね
ただ教科書読んでおしまいじゃないじゃん
1:12:00
安寮するとか
そういうので苦しみ抜いた先に
結局最後の最後に何かを見つけるみたいなね
その考え方ってあるよね
だから宗教だけど宗教というより
なんか道徳に近いというか
修行だよね本当ただ修行修行
ただだけどお経とかの役を読むと
面白いなって思うことも多々あるんだよね
いやいろいろ面白いね
精神世界のそういう話も非常に面白いよ
じゃあ今日はそんなところかな
はい
なんか深淵だったな
ほいじゃあそんなところで
バイバイ
バイバイ
01:12:52

コメント

スクロール