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『答え』を渡すのではなく、共にたたずむこと / 保育のとなり
2026-10-18 15:50

『答え』を渡すのではなく、共にたたずむこと / 保育のとなり

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こんばんは。答えを渡すのではなく、共にたたずむこと。保護者の言葉から志を持ち直したあの日の問い。保育のとなりです。
この時間は、保育の出来事を綺麗な結末に並べ直すための時間ではありません。
子どもと過ごす中で、大人の側に残った小さな引っかかりや、言葉になりきらない迷いに少しだけ座ってみる時間です。
今日お話しするのは、ある保育士の創作上の記録です。
ここに出てくる子どもも、大人も、場所も、実在の誰かではありません。
けれど、もし似たような言い方や似たような迷いを知っている方がいたら、その記憶を無理に結論へ運ばず、隣に置くように聞いていただけたらと思います。
語り手の私は仮に私とだけ名乗ります。
夕方の保育室、外の景色が次第に薄紫色の暗がりへ落ちていき、一日の終わりが静かに近づいてくる時間帯。
子どもたちを一人また一人とお見送りし、すっかり静かになった部屋で片付けをしている時や、帰り道の電車に揺られている時、ふとある言葉や保護者の表情が胸の奥にポツンと残り続けていることありませんか。
今日のあの対応、本当にあれでよかったんだろうか。子育て経験のない私に、保護者の悩みを受け止めることなんてできるんだろうか。
日々の慌ただしさの中で、時に自分の無力さに打ちひしがれ、自分は保育士として何ができているんだろう、と志を見失いそうになる夜もありますよね。
この番組では、「こう答えれば保護者は安心します。」という模範回答をお話しすることはありません。
また、「もっと頑張ろう。」とか、「子どもや保護者を救おう。」といった一方向的な励ましをお届けするわけでもありません。
胸に残ったその小さな問いをうやむやにせず、あの時の保護者の涙には何が含まれていたんだろう。
私の焦りはどこから来たんだろう、と静かに抱え直すこと。
その迷いや揺れこそが、一人の子どもと保護者をどこまでも大切に見ようとする保育の探求の始まりなのではないかと私は思っています。
答えを急がずに問いを抱えるプロセスと、子どもや保護者という存在から新しい視点をもらい、志を持ち直していく感覚を皆さんと分かち合っていけたら嬉しいです。
今日お話ししたいのは、私が保育士になってまだ3年目、2歳児クラスの担任をしていた頃の忘れられない1年間と、年度末の春の日に受け取ったある言葉についてです。
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当時の私はまだ結婚もしておらず、自分自身で子どもを育てた経験もありませんでした。
連絡帳や送り迎えの際、保護者の方から、うちの子家で全然話さなくて、夜泣きがひどくてどうしたらいいですか、といった切実な悩みを打ち明けられるたびに、私の心の中には強いプレッシャーと焦りが生まれて
いました。
プロなのだから、何か明確なアドバイスや答えを出してあげなきゃいけない。でも子育ての経験もない私がいても、説得力がないんじゃないか。
自分の経験の浅さにひけ目を感じ、専門職としての言葉が見つからずに手元がすくむような思いを何度も味わっていました。
そんな頃、クラスに発語がゆっくりな男の子が進級してきました。仮にS君と呼びますね。
S君は、2歳を過ぎても意味のある言葉があまり出ず、周りの子どもたちが、「これちょうだい。あっち行こう。」と言葉を交わし始める中で、自分の思いを言葉で伝えることがまだ難しい状態でした。
でも、S君は決して何も分かっていないわけではありませんでした。
周りの大人の言うことや友達の動作、部屋の空気感をとてもよく理解していたんです。
理解できているからこそ、自分のこうしたいという強い思いが相手に伝わらないとき、悔しさと葛藤で全身で床に突っ伏して大声で泣いて主張することが多くありました。
保護者の方もS君の発達について深く悩まれていました。
周りの子と比べて言葉が遅い気がすると不安を口にしながらも、一方で発達の専門機関に相談してみませんか?という縁からの提案に対しては、
まだ様子を見たい。そこに相談しに行ってしまうと若子の状態を決定づけられてしまう気がして怖いんです。と葛藤を抱えていらっしゃいました。
当時の私には、その保護者の揺れる思いが痛いほど伝わってくると同時に、
どうすればこのお母さんを安心させてあげられるだろう。専門機関に背中を押すべきなのか、待つべきなのか、と自分の役割の重さに押しつぶされそうになっていたんです。
日中の保育の中で、S君は列車とレールのおもちゃが大好きで、一度遊び始めるとレールの継ぎ目をじっと見つめながら、一人で何十分も集中して遊び込む子でした。
途中で友達が、「貸して。」とやってくると、自分の世界を邪魔された感じがして、
嫌!と手が出てしまいそうになったり、泣き出したりすることがありました。
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そこで私はS君と友達の間にそっと入り、彼の見ている世界を壊さないように仲立ちをしました。
S君、ここ列車が通るね。お友達も横に新しいレールつなげていい?
S君、今列車を走らせるのに集中しているから、終わったら貸してくれるって。
言葉にならない彼の思いと周りの友達の思いを丁寧につなぐ通訳のような役割を毎日コツコツと重ねていきました。
そうやって月日が流れた年度末の3月、一年間を走り抜け、新旧を迎える最後の保護者面談の日のことです。
一年間の成長を振り返る中で、保護者の方はふかふかとお辞儀をし、涙を浮かべながらこうおっしゃったんです。
先生、実は私、今年度の初めは毎日不安で潰れそうでした。
でも、発達期間に相談してみようと決心できたんです。
先生があの時、私の話をたくさん聞いて焦らずに息子を見ていてくれたから、私今こうして笑っていられます。
その言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥がじんわりと熱くなり、全身の力がスーッと抜けていくような感覚がありました。
あの日の帰り道、夕暮れの街を歩きながら、私は保護者の方から受け取った言葉を何度も思い返していました。
私はあの一年間、一体何ができたんだろう。結婚も子育てもしたことがない私が、なぜお母さんの力になれたんだろう。
胸に残ったその温かくも深い問いを抱えながら、私はこの一年間の自分の足跡を静かに振り返り始めました。
年度の初め、私はプロとして正解の答えを渡さなければいけないと思い込んでいました。
保護者の悩みに対して、こうすれば答えが出ますよとか、専門機関に行ったほうがいいですよという明確な指導や解決策を提示することこそが、保育士としての専門性なのだと信じていたんです。
でも、子育て経験のない自分にはその正しい答えなんて持っていませんでした。
だからこそ、私は答えを出すことを手放し、ただ目の前のS君の姿をじっくり観察し、彼のありのままの時間に付き合うことしかできませんでした。
S君がレールのおもちゃに没頭しているとき、その隣にしゃがみ込み、彼が見ているレールの継ぎ目や列車の車輪の動きを同じ目線で見つめること。
彼が気持ちを伝えられずに泣いているとき、悔しかったね、伝えたかったね、と彼の言葉にならない感情に寄り添い、友達との間をそっとつなぐこと。
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私は保護者を変えよう、子供を導こうとしていたのではなく、ただ日々の中で子供に丁寧に寄り添う姿を重ねていただけだったんです。
保護者の方は、送迎のひとときや連絡中を通して、私がS君の小さな変化や手元のこだわりに目を向け、彼のペースをまるごと受け止めて佇んでいる姿をじっと見ていらっしゃいました。
この先生は、我が子のできないことを見るのではなく、この子が今何を感じて何を見ているのかを一緒に探してくれているのかもしれない。
その安心感があったからこそ、保護者の方ご自身も周りと比べる焦りから少しずつ解放され、我が子に必要なサポートは何だろうと、自らの足で専門機関へ相談に行く一歩を踏み出すことができたのではないかと思
いました。
そうか、保護者に寄り添うということは、完璧な子育ての答えを教えることではなかったんだ。
自分の中にあった保護者対応への価値観は劇的に変わりました。
結婚や出産の経験がないから深く寄り添えないのではない。
保育のプロとしての専門生徒は、正しい指導法を振りかざすことではなく、一人の子供をありのままに観察し、その子の時間を尊重して共に佇む姿を保護者に見せていくことなのではないか。
その姿を通して、保護者自身が我が子を信じ、共に歩む力を取り戻していくのを、横で静かに支えることなのかもしれない。
必ず答えを出さなくてもいい。一緒に子供の成長を見守り、その子に必要なことを焦らずに考えていけばいいんだ。
暗くなり始めた夜道で、私の胸の中にあった自分は無力かもしれないという不全感が静かに消えていくのを感じました。
あの1年間と、保護者の方からの言葉は、私の保育士としての志と眼差しを大きく塗り替えてくれました。
かつての私は、保護者からの質問には全て答えを出さなければいけない。子供を早く望ましい姿へ変えなければいけないという強い責任感と焦りに追われていました。
しかし、今の私は、保護者や子供と向き合うとき、まず答えを焦らず、共に佇むという姿勢を大切にできるようになりました。
例えば今、保護者の方から、うちの子の家でなかなか言うことを聞かなくて、発達のことが心配でと相談されたとき、私はすぐに解決策をアドバイスしようとはしません。
まず、「お母さん、毎日本当によく頑張っていらっしゃいますね。そうやって悩まれるほど、お子さんのことを大切に思われているんですね。」と、保護者の方が抱えている葛藤そのものを丸ごと受け止めます。
12:14
そして、「縁ではこんな場面でじっくり自分の世界を楽しんでいますよ。言葉にならないけれど、こんな眼差しで友達を見ていますよ。」と、大人の物差しでは見落としがちな子供の小さな輝きや見たてを丁寧に共有する
ようにしています。
どうすれば解決するかというノウハウを渡すのではなく、「この子は今どんな世界を生きているんだろうね。」と、保護者の方と一緒に子供の顔を覗き込むような関係性を作る、それこそが保育士という専門職が持つ最も優
しく強いサポートなのだと信じられるようになったからです。
日々の保育の中でも、子供が思い通りに行かずに泣いていたり、言葉が出ずに固まっていたりするとき、私は急いでその感情を切り替えさせようとはしません。
この子は今、自分の内側で大切な葛藤の時間を生きているんだなと捉え、危険がない限りその子が自分のペースで気持ちの着地点を見つけるまで隣で静かに待つ。
正解へ導く人から問いを共有し隣にただずむ人へ。
あの2歳児クラスでの1年間があったからこそ、私は自分の経験の浅さを誇りに思い、子供や保護者と共に歩み、共に育っていく保育の面白さに改めて志を持ち直すことができました。
保育の現場にいると、時に自分の力のなさに悩み、迷うことがあります。
でも、その答えの出ない迷いや手探りの関わりこそが、目の前の子どもや保護者をどこまでも尊重しようとしている何よりの証拠なのだと思います。
保育士が子どもや保護者を一方的に救うのではないと思うのです。
子どもや保護者との時間が、保育士である私たち自身の味方を広げ、人としてプロとして育んでくれる、その循環の中にいられることの幸せを、今の私は静かにかみしめています。
今日のお話が、皆さんの忙しい毎日の隙間にほんの少しの静かな風と温かな光を届けることができていたら幸いです。
もし今、これをお聞きの保育に関わる方の中で、保護者にうまく答えを出せなかったな、自分の関わりはこれでよかったんだろうか、と一人静かに悩んでいる方がいたら、どうぞそのご自分を責めないでくださいね。
完璧な答えなんて渡しなくても大丈夫です。あなたが今日、目の前の子どもの姿を丁寧に観察し、その子の隣で共にたたずんだこと、その姿そのものが、言葉以上に保護者の心を支え、明日への勇気になっているはずでは
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ないでしょうか。
すぐに答えが出なくても大丈夫。明日もまた、目の前の子どもたちの声や保護者の思いにそっと耳をすませながら、自分らしく子どもたちの隣にたたずんでいきましょう。あなたの今日が静かに満たされ、明日もまた、子
どもたちや保護者との時間に優しい光が差し込みますように。
今日の保育のたなりはここまでです。今夜も答えではなく、一つの問いをそばにおいて終わります。
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