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『せんせい、きらい』の手触り ~言葉にならない気持ちと、1日の終わりの省察~ /保育のとなり
2026-10-26 16:38

『せんせい、きらい』の手触り ~言葉にならない気持ちと、1日の終わりの省察~ /保育のとなり

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1日の終わりに深く残った迷い、内面での葛藤を繰り返す中で「明日もまた目の前の子どもたちの声や言葉にならない想いにそっと耳を澄ませながら、子どもたちの隣に佇もう」と思えるようになった姿を描きます。


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こんばんは。
『せんせい、きらい』の手触り ~言葉にならない気持ちと、1日の終わりの省察~/保育のとなり、です。
この時間は、保育の出来事をきれいな結末に並べ直すための時間ではありません。
子どもと過ごす中で、大人の側に残った小さな引っかかりや、言葉になりきらない迷いに、少しだけ座ってみる時間です。
今日お話しするのは、ある保育士の創作上の記録です。
ここに出てくる子どもも、大人も、場所も、実在の誰かではありません。
けれど、もし似たような夕方や、似たような迷いを知っている方がいたら、
その記憶を無理に結論へ運ばず、隣に置くように聞いていただけたらと思います。
語り手の私は、仮に私とだけ名乗ります。
1日の保育が終わり、誰もいなくなった静かな保育室、
落ちた折り紙のクズをはき集めている時や、片付けを終えて、一人で帰り道の電車に揺られている時、
ふと、子どもから投げかけられた一言や、その時の拒絶の仕草が、
胸の奥にポツンと残り続けていること、ありませんか?
今日のあの太陽、本当にあれでよかったんだろうか?
あの子が言ったあの言葉の裏には、一体どんな思いが隠れていたんだろう?
表面上は、大きな怪我もなく、1日のスケジュールを何とか無事に終えられたはずなのに、
なぜか自分の手元には、消化しきれない小さなざらつきや、胸の痛みだけが残っている。
この番組では、こう答えれば子どもは落ち着きますというノウハウや模範回答をお話しすることはありません。
また、もっと頑張ろうとか、子どもを救おうといった一方向的な励ましをお届けするわけでもありません。
1日の終わりに残ったその小さな問いをうやむやにせず、
あの子のあの一言には何が含まれていたんだろう?
私自身の見落としはどこにあったんだろう?と静かに抱え直すこと。
その迷いや揺れこそが、一人の子どもをどこまでも大切に見ようとする保育の探求の始まりなのだと私は思っています。
答えを急がずに問いを抱え、自分自身の心を回復させながら、
明日またあの子を見ようと思えるようになるまでの時間を皆さんと分かち合っていけたら嬉しいです。
今日皆さんにお話ししたいのは、ある秋の日の幼稚園での出来事と、その日の夜に私が通り抜けた静かな思考の時間についてです。
その日は普段支援が必要な男の子の主担当をしている保育士が不在で、私が代わりとしてその子のフォローに入ることになりました。
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仮にその子をK君と呼びますね。
K君とは普段から全く関わりがないわけではありませんでした。
夕方の合同保育の時間などには一緒にブロックを組んだり、絵本を開いたりと楽しく過ごすことも多く、
私なりにK君の好きなことや安心できる距離感を分かっているつもりでいたんです。
その日の活動はクラス全体での季節の制作でした。
みんなでテーブルを囲み、折り紙を使って秋の落ち葉やどんぐりを折るという保育内容です。
私はK君もクラスの友達と同じ活動を一緒に楽しんでほしい。
せっかくの制作の時間をなるべくみんなと同じように経験させてあげたいという思いを持って彼の隣に座りました。
でも活動が始まった時からK君はいつもよりどこかそわそわとしていました。
離席しそうになったり、折り紙の手元を見ずに視線を泳がせたり。
当時の私はそのそわそわとした様子を見て心の中でこう見立てていたんです。
今日はいつもの担任の先生がいなくて、普段と違う私が入っているから少しそわそわしているのかな。
知っている先生だからこそ甘えが出ているのかもしれないな。
大丈夫だよ。一緒に折ってみようかと、折り紙の端と端を合わせる補助をしようと手を差し伸べました。
その時です。K君は私の手をバシッと強く振り払い、折り紙をクシャッと握りしめて泣きそうな怒ったような顔で私を強く見つめて言いました。
先生、嫌い。あっち行って。
その一言は静かな教室の空気の中に刺さるように響きました。
私は一瞬息が止まりました。
あっち行ってと言われた手前、無理に手出しをすることができず、私は少し距離を置きながら彼を見守ることしかできませんでした。
その後、別の先生がそっと間に入ってくれたり、教室内で少し落ち着く時間をとったりしながら、何とかその日の制作の時間は終わり、講演時間を迎えました。
大きな事故があったわけではありません。最後は落ち着いてお家の方と帰っていきました。
でも、誰もいなくなった夕方の保育室で机を拭いている私の手元には、K君が握りつぶした折り紙のシワと、先生、嫌いという言葉の感触がずっと消えずに残っていたんです。
その日の帰り道、車に乗り窓から見えた街灯の光を眺めながら、私はずっとその胸に残ったざらつきと向き合っていました。
06:10
私はどうしてあの時、あんなに関わり方を間違ってしまったんだろう。
K君の、「嫌い、あっち行って。」は本当は何を拒んでいたんだろう。
車の中で私は自分の内側を静かに紐解いていきました。
あの時、私はK君のために行動していたつもりでした。
みんなと同じように制作を楽しんでほしい。仲間外れにしたくないという思いから、必死に手を差し伸べ、折り紙を折らせようとしていた。
でも、思考をもう一段深く進めてみた時、自分の中にある無意識の偏りが見えてきたんです。
当時の私は、支援が必要なK君と向き合う時、どこかで発達の特性や行動のコントロールというフレームばかりを優先してみてしまっていたのではないか。
そわそわしているのは環境の変化による集中力の欠如だ。指示が入りにくいから手元を補助してあげなきゃ。
それは一見すると専門的なアセスメントや配慮のように見えて、実はK君という一人の人間が今何を感じ、何に困っているのかという彼自身の気持ちを置き去りにした見方だったのではないか。
K君の立場に立って、あの時間をもう一度慎重に思い返してみました。
朝、登園した時からいつも一番安心できる担任の先生がいないという不安。
いつもと違う雰囲気の中で始まった折り紙という、彼にとって手元を細かく使う少しハードルの高い活動。
彼は甘えていたのではなく、言葉にならない不安とプレッシャーとあの場所で必死に戦っていたのかもしれない。
自分のペースで何とか環境に慣れようとしていたところに、私がみんなと同じようにおろうねと大人の正しい枠組みと手出しを強引に押し当ててしまった。
それが、彼が放った、「先生、嫌い。あっち行って。」という言葉。
それは、私という人間を否定したかったのではなく、自分の不安やペースを無視して大人の都合で変えようとしてくる介入に対する精一杯の自己防衛だったのかもしれない。
自分の気持ちを言葉にできないからこそ、あの強い拒絶の言葉を使って自分の世界を守ろうとしていたのかもしれない。
そう気づいた瞬間、胸が深く痛みました。
私は、夕方に仲良く遊んでいるから自分は彼を理解できていると思い込み、彼の内面にある切実な揺れや警戒心を何一つ見とれていなかった。
09:09
発達面や行動面ばかりに気を取られ、彼の感情や心に寄り添えていなかったのだと知りました。
なんて不甲斐ない関わりをしてしまったんだろうと、暗い窓に映る自分の顔を見つめながら、深い後悔と迷いが押し寄せてきました。
でも、夜の静けさの中で温かいお茶を飲みながら深呼吸をした時、少しずつ気持ちが変化していったんです。
この後悔は、自分を責めてダメ出しをするためのものではない。
うまくできなかったと落ち込むこの胸の痛みこそが、私がK君を一人の心を持つ存在としてもっと大切に見たいと強く願っているからこそ生まれたものではないか。
言葉にならない感情を抱えている子に必要なのは大人の正しい誘導ではない。
その子が安心してそこにいられるための間と見守りなのではないか。
胸に残った嫌いという言葉の痛みは、私にその大切な政策を促してくれるかけがえのない問いかけへと変わっていきました。
1日の終わりに深く問い直し、自分の見立てを修正したことで、私の中に静かな回復が訪れました。
明日またK君の前に立つ時は、違う眼差しで彼を見ようと前を向くことができたんです。
次の日、担任の先生が復帰し、私は再びクラス全体の補助として入りました。
朝、K君が登院してきた時、私はあえて昨日の出来事を引きずらず、「K君、おはよう。」とだけ、短く、穏やかに声をかけました。
K君は少し私を伺うような目をしましたが、担任の先生の隣で安心して遊び始めていました。
その日の自由遊びの時間、K君がブロックコーナーで一人で車を作っている姿がありました。
昨日までの私なら、「昨日は意地悪いってごめんね。」と過剰に機嫌を取ろうとしたり、無理に関わりに行こうとしていたかもしれません。
でも、今の私は違いました。
彼の視界に入るか入らないかくらいの少し離れた場所にそっと腰を下ろし、
彼の邪魔にならないように、ただ静かに彼の作っている車を観察しました。
彼がブロックをカチッとはめる音、タイヤをコロコロと走らせる手元、
あ、K君は今、自分の世界に没頭して心を落ち着かせているんだな。
言葉は交わさなくても、彼が今生きている時間と空間をそのまま尊重して見守る、
12:03
発達の枠組みだけで判断するのではなく、一人の人間としての今の気持ちに寄り添う佇まいを意識したんです。
すると、車を完成させたK君がふっと顔を上げました。
そして、離れた場所にいる私の方をちらっと見て、
作った車を少しだけこちらに向けて見せてくれたんです。
私はただ優しく微笑んで小さくうなずきました。
K君も満足そうにまた自分の遊びに戻っていきました。
先生嫌いと言われたあの苦い経験があったからこそ、
私は子どもを大人の望ましい枠へ導こうとする手出しをそぎ落とし、
その子のありのままの時間を待つという佇まいを手に入れることができました。
保育の現場では自分の関わりが恨めに出たり、
子どもから強い拒絶を受けたりして、傷ついたり迷ったりすることがたくさんあります。
でも、そのうまく関われなかったという揺れや後悔こそが、
私たち保育士の専門性を深めてくれる宝物だと思います。
自分の見立てを疑い、子どもの行動の裏にある言葉にならない気持ちに思いを寄せること、
一日の終わりに一人で反省し問いを深め、また次の日に新しい眼差しで子どもと出会い直すこと、
この観察・判断・精査の循環を繰り返していくことこそが、保育士というプロフェッショナルとしての成長なのだとは信じています。
子どもを指導して変えるのではなく、子どもの存在や投げかけによって大人側こそが自分の見方を広げられ、
人間として育てられていく、そのプロセスの中にいられることの深さを、私はケイ君との出会いから教えてもらいました。
今日のお話が、皆さんの忙しい毎日の隙間にほんの少しの静かな風と温かな光を届けることができていたら幸いです。
もし今、これをお聞きの保育に関わる方の中で、
今日、子どもに嫌と言われちゃったな、うまく気持ちを受け止めきれなかったな、と一日の終わりに一人静かに悩んでいる方がいたら、どうぞそのご自分を責めないでくださいね。
あの時、あの子はどんな思いだったんだろう。私のあの関わりはどうだったのかな。
そうやって帰り道や夜の部屋で思い返し、胸を痛めているその姿こそが、あなたが子ども一人一人の心にどこまでも誠実に向き合おうとしている何よりの証拠ではないでしょうか。
15:00
その胸の中にある小さな問いや痛みは、あす、あなたがその子をもっと深く愛おしく見るための優しい光になってくれるのではないでしょうか。
保育の仕事は、形に残る成果がすぐには見えにくい仕事かもしれません。
今日はあれができた、これを教えられたというわかりやすい手応えがなくても、あなたが今日子どものそばで過ごし、その子の揺れや涙、小さな言葉に心を寄せたこと、それ自体が目には見えないけれど子どもたちの心の奥
深くに静かに積もっていく大切な栄養になっています。
そして、子どもたちと向き合いながら悩み、揺れているあなた自身もまた少しずつ、少しずつ、眼差しを深め育てられている最中なのだと思います。
だからこそ、完璧な保育者を目指そうと片肘を張らなくても大丈夫。
今夜は温かいお茶でも飲んで、自分の心をゆったりと休ませてあげてくださいね。
そして明日もまた、目の前の子どもたちの声や言葉にならない思いにそっと耳を澄ませながら、自分のペースで子どもたちの隣に佇んでいきましょう。
あなたの今日が静かに満たされ、明日もまた子どもたちとの時間に優しい光が差し込みますように。
今日の保育の隣はここまでです。今夜も答えではなく、一つの問いをそばに置いて終わります。
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