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こんばんは。 待つということの本当の重み/お弁当の時間の後に残った私の中の揺れ/保育のとなり、です。
この時間は、保育の出来事をきれいな結末に並べ直すための時間ではありません。
子どもと過ごす中で、大人の側に残った小さな引っかかりや、言葉になりきらない迷いに、少しだけ座ってみる時間です。
今日お話しするのは、ある保育士の創作上の記録です。
ここに出てくる子どもも、大人も、場所も、実在の誰かではありません。
けれど、もし似たような夕方や、似たような迷いを知っている方がいたら、その記憶を無理に結論へ運ばず、隣に置くように聞いていただけたらと思います。
語り手の私は、仮に私とだけ名乗ります。
夕方の保育室、外の景色が次第に薄紫色の暗がり落ちていき、一日の終わりが静かに近づいてくる時間帯。
子どもたちを一人また一人とお見送りし、すっかり静かになった部屋で片付けをしている時や、帰り道の電車に揺られている時、
ふとある光景や表情が群れの奥にポツンと残り続けていることありませんか。
今日のあの太陽、本当にあれでよかったんだろうか。
あの子のペースに合わせたいと思いながら、私はまた急かしてしまったんじゃないだろうか。
保育の仕事をしていると、子どもの主体性を尊重しよう、その子のペースを待とう、という言葉を毎日のように耳にします。
でも、日々のスケジュールや集団生活の時間の流れに追われる中で、待つということの難しさに突き当たり、自分の無力さに胸を痛めるよりもありますよね。
この番組では、こうすれば完食してくれます、というノウハウや模範回答をお話しすることはありません。
また、もっと頑張ろうとか、子どもを救おうといった一方向的な励ましをお届けするわけでもありません。
胸に残ったその小さな問いをうやむやにせず、あの子のあの暗い表情には何が含まれていたんだろう。
私の焦りはどこから来たんだろう、と静かに抱え直すこと。
その迷いや揺れこそが、一人の子どもをどこまでも大切に見ようとする保育の探求の始まりなのだと私は思っています。
答えを急がずに問いを抱えるプロセスと、子どもという存在から新しい視点をもらう感覚を皆さんと分かち合っていけたら嬉しいです。
今日皆さんにお話ししたいのは、ある年の春先、年少クラスを担当していた頃の出来事と、私の胸の中にずっと残り続けた一つの問いについてです。
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2歳児クラスから年少クラスへ進級した子どもたち、環境が大きく変わる中で、週に1回、ご家庭から持参していただくお弁当の日が始まりました。
お家の方が作ってくれたお弁当箱を開ける瞬間は、子どもたちにとって本来ならワクワクする特別な時間です。
でも、クラスの中にお弁当の時間になると暗い顔をして、なかなかフォークが進まない子がいました。
仮にS君と呼びますね。
S君は、もともと一人で黙々と遊ぶのが好きな、静かで観察眼の豊かな男の子でした。
でも、お弁当の日が始まって間もない頃、時間の枠の中で食べ終わることができず、大好きなお弁当を残してしまうことが何度か続いたんです。
保護者の方とお話しすると、「本人の好きなものばかりを入れているんですけれど。」と心配そうにおっしゃっていました。
保護者の方も、S君が喜ぶ顔を思い浮かべながら心を込めて作ってくださっていたのだと思います。
それなのに一度、食べきれなかった、時間を過ぎてしまったという苦い経験をしてからというもの、
S君はお弁当の時間が近づくと、どこか固い表情になり、お弁当箱を前にしても手が止まってしまうようになりました。
子供のペースを尊重することが大切だ。
頭ではその専門性を重々理解しているつもりでした。
無理事をせず、S君が自分のペースで食べる時間を保証してあげたい。
でも、実際の現場は決まった時間枠の中で流れていきます。
昼食の後には片付けがあり、午後の活動があり、拝節や講演準備のスケジュールが待っています。
特に年少クラスの原崎は、大人にとっても時間のゆとりを作り出すのが本当に難しい時期でもありました。
S君、一口食べてみようか。
おいしそうなハンバーグ入ってるよ。
焦った私は明るい声をかけながらも、どこかで、
なんとか時間内に収めてあげたい。
完食という成功体験を作ってあげなきゃ、と彼を急かしてしまっていたんです。
そんなある日のお弁当の時間のことです。
なかなか進まないS君の隣にしゃがみ込み、私が言葉をかけようとしたその瞬間、
S君はスプーンを持ったままピタッと動きを止め、泣きそうな、諦めたような目で私をじっと見つめてきました。
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その目は、先生急かさないで、と言っているようでもあり、もう食べられないよ、と言っているようでもありました。
結局その日もS君は半分以上残したまま、お弁当箱の蓋を閉めることになりました。
その日の片付けを終えた時、私の胸の中には、
今日も守ってあげられなかった、私は何を焦っていたんだろう、という重いざらつきが残っていました。
その日の帰り道、夕暮れの街を歩きながら、私はずっと自分の手元に残った小さな問いと向き合っていました。
私はどうしてあんなに焦ってお弁当を食べさせようとしたんだろう。
S君が抱えていたものは、単に食べる食べないの問題だったんだろうか。
暗くなり始めた夜道で、私はS君の縁での普段の姿を一つ一つ慎重に思い返し始めました。
S君は一人で静かに遊ぶことが好きな子でした。
でも、完全に自分の世界に閉じこもっているわけではありませんでした。
クラスの中にある特定の男の子、いつも元気に室内を走り回ったり、ブロックでダイナミックに遊んでいるお友達がいました。
S君はその子のことがとても気になるようで、直接一緒に遊ぼうと輪に入るわけではないけれど、いつもその子のすぐ近くに身を置いているんです。
そのお友達がブロックを高く積んで、「できたー!」と歓声を上げると、離れた場所からS君がふっと柔らかい顔をして嬉しそうに笑っている。
言葉を交わさなくても、体を触れ合わせなくても、S君はその子の近くでその子の世界を共有し、心の中で一緒に楽しむという彼なりの豊かな時間を生きていたんです。
S君は目の前の世界をじっくりと観察し、自分の内側で納得いくまで味わうのに時間が必要な子でした。
それなのにお弁当の時間になった途端、私は彼のそのじっくり世界を味わう時間を切り捨てて、
時間内に食べ終わること、残さないことという大人の効率や枠組みを押し当ててしまっていたのではないか。
保護者の方が好きなものを詰めてくれたお弁当。
本当はS君だって、お弁当箱を開けたとき嬉しかったはずです。
でも、早く食べなきゃ、残したらダメなんだという大人の焦りやプレッシャーを感じるうちに、
お弁当の時間が楽しい時間から失敗して傷つく時間へと変わってしまっていたのではないか。
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子供のペースを尊重すると言いながら、私がしていたことは、
大人の決めた時間枠の中に子供を収めるための誘導だったのではないか。
そう気づいた瞬間、胸がキュッと痛みました。
私のあの関わりは、彼を追い詰めていただけだったのかもしれないという強い反省が湧いてきました。
でも、夜の静けさの中で深呼吸をしながら捉え直したんです。
この後悔や揺れは、決して自分はダメな保育士だと自分を責めて終わるためのものではない。
目の前のS君が生きている本当の時間のテンポをもっと丁寧に守りたいと心から願っているからこそ生まれた専門職としての切実な問いなのだと。
待つということは、単に時間が過ぎるのを放置することではない。
子供が自分のペースで世界と出会い、自分の心で納得していくための時間と空間の余白を大人が責任を持って保障することなのではないか。
胸に残った苦い問いは、私に待つことの本当の重みを教えてくれるかけがえのない道しるべに変わっていきました。
それからの日々、私はお弁当の時間に対する見立てと自分の関わり方を少しずつ変えていくことにしました。
時間内に残さず食べさせることをゴールにするのを思い切ってやめたんです。
お弁当の時間が始まったら、私はS君の隣にそっと座り、過度な声をかけるのをやめました。
全部食べようね、とも一口食べよう、とも言わない。
ただ、彼がお弁当箱を開け、中身をじっと見つめる時間に静かに寄り添うことにしました。
お弁当箱の中に入っている小さなハンバーグや卵焼き、S君は食べる前にまずそれらをじっと観察していました。
お家の人が作ってくれた形や色を彼なりに確かめていたのかもしれません。
そして、部屋の向こう側で楽しそうにお弁当を食べているあの大好きな友達の姿をちらっと見る。
友達がこれおいしい、と笑うとS君の口元もふっとゆるむ。
彼はお弁当を食べることだけではなく、お弁当の時間に広がるクラスの空気感や大好きな友達の存在をまずはじっくりと味わっていたんです。
私は彼のその静かな観察の時間を邪魔しないようにと待つことにしました。
S君、今日のお弁当きれいだね、と短く一言だけ添えて、あとは彼のフォークが動くのを待つ。
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一口食べたら、あ、食べたね、と小さく笑いかける。
もし途中で止まったら、今日はここまでにする?と彼の気持ちを聞いて、彼自身にお弁当箱のふたを閉めてもらう。
大人が終わらせるのではなく、子ども自身が納得して区切りをつけるプロセスを大切にしたんです。
時間内に全部食べることはできなくても、彼が自分の手でお弁当箱のふたを閉めたとき、
自分で決められたね、と静かに受け止めました。
保護者の方にも連絡帳や夕方の送迎の際にありのままの様子をお伝えしました。
今日はお弁当箱を開けて、お友達の楽しそうな様子をじっと見つめながら、自分のペースで一口、二口と味わっていましたよ。
時間内に完食することよりも、今はお弁当の時間を安心して過ごせることを一番に大切にしていきたいんです、と。
保護者の方も、そうなんですね。
完食させなきゃ、と私も焦っていました。
温かく見守ってくださって嬉しいです、とほっとした表情を見せてくださいました。
そうやって、待つ余白を作り始めてから、少しずつ変化が訪れました。
あるお弁当の日、S君は大好きな友達が楽しそうに食べている姿をじっと見つめた後、自分のお弁当箱の中の卵焼きをパクッと口に入れました。
そして、離れた場所にいる私の方をちらっと見て、小さくにこっと笑ったんです。
完食できたかどうかではありません。
彼が自分のペースを取り戻し、安心してその場にたたずみ、自分の意欲で食べたと出会えた瞬間でした。
待つということは、本当に難しいことです。
大人の都合や日々の慌ただしさに飲み込まれそうになると、つい手を出したくなるし、答えを急ぎたくなる。
でも、子どものたたずまいを愛に決めつけず、その子が世界をとらえるテンポを信じて待つこと。
その待つ時間の中にこそ、子どもの内面が豊かに育っていく目があり、大人側の眼差しも深められていくのだと知りました。
急いで答えを出さず、子どものペースを尊重する。
その言葉の本当の重みと愛おしさを、私はS君から教えてもらった気がします。
今日のお話が、皆さんの忙しい毎日の隙間にほんの少しの静かな風と温かな光を届けることができていたら幸いです。
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もし、今、これをお聞きの保育に関わる方の中で、
今日も時間に追われて子どものペースを待てなかったな、せかしてしまって悪かったな、と一人静かに悩んでいる方がいたら、
どうぞ、そのご自分を責めないでくださいね。
あの時、本当はもっと待ってあげたかったな。
あの子はどんなペースで生きていたんだろう。
そうやって思い返し、胸を痛めているその姿こそが、
あなたが子ども一人一人の大切な時間をどこまでも尊重しようとしている何よりの証拠ではないでしょうか。
その胸の中にある小さな問いは、
明日、あなたがその子をもっと深く温かく待つための優しい光になってくれるでしょう。
すぐに完璧な対応ができなくても大丈夫。
明日もまた、目の前の子どもたちの声や言葉にならない佇まいにそっと耳を澄ませながら、
自分のペースで子どもたちの隣に佇んでいきましょう。
あなたの今日が静かに満たされ、明日もまた子どもたちとの時間に優しい光が差し込みますように。
今日の保育の隣はここまでです。
今夜も答えではなく、一つの問いをそばに置いて終わります。