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みなさんこんにちは、安子はんです。安子はんです。今日はつらつら喋ります。
海のはじまりってテレビドラマでね、類戦ちょっと崩壊が始まって、そこで肌と思ったことがあったので、喋りたいと思います。
それって、海のはじまり知らないよっていう方は、ごめんなさいって感じなんですが、はい。もしご縁いただきましたら、よろしくお願いします。
目黒蓮さんが主演の、連続のドラマなんですけど、海のはじまりね、最初このタイトル見て、なんかあんまり惹かれなくてですね、2回見なくて、3回目見ちゃったら、うわって感じで、もうもう止まらなくなりました、涙がね。
今、3、4回?5回ぐらいになってるのかな?で、毎回止まらなくなるわけなんですが、その訳みたいなことをちょっとふって思ったのでね、それを喋りたくなったんですが、中身に関してはネタバレになっちゃうので、あんまり言えないかもしれないんですけど、
このね、海のはじまりのメンバーチームというか、脚本家、監督、プロデューサー、これが何年か前の社会現象ってなりましたね、サイレント、耳がだんだん聞こえなくなっていくっていう物語のメンバーチームなんですよね。
で、今回その海のはじまりは、親と子の愛ですね、いろんな繋がりというところをメインに多分作品がなされているんだと思うんですけども、どっから行きましょうかね。
いろんな家族の形が登場していて、その家族にはそれぞれ見える景色があるわけなんですよね。
おそらく愛の形もいろいろなんですよ。
で、ドラマが進んでいくほどに、私の中では行ったり来たり忙しくなるわけなんです。ポジションが変わる。
例えば登場人物として一つの家族として、7歳の子供がいる、その名前が海ちゃんなんですが、
彼女のファミリーとなると、お母さんとお父さんって通常あるんですが、お母さんがいらして、シングルマザーとして子供を産んだことも隠して一人で育てているんですが、亡くなっちゃうみたいなところがあって、そこにも家族の形がある。
娘を先に亡くした大竹忍、そこの家族の形もある。
そこに目黒蓮さんが登場してきてというふうにあるわけで、そして家族という血のつながりはなくても、亡くなった彼女を支えていた周りの愛がある。
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それぞれの立場で見える景色が違うってところが、私の中ではすごく忙しいというか、行ったり来たりして、だよね、だよねってなるんですよ。
それにしてもちょっと寄り道ですけど、7歳の海役のね、調べちゃいました。
誰この子って?本当の親子なんじゃない?これ演技なの?ってくらいにびっくりしてましてね、私ピタッとハマっちゃいましたけど、
ラナちゃん、伊豆谷ラナちゃん、100人のオーディションから選ばれたってなってましたけど、明日マナちゃんを彷彿させる天才子役なんじゃないかなって思いますね。
彼女がポソッという言葉だったり、大竹忍さんがポソッという言葉だったり、目黒蓮の反応だったり、彼女の反応だったり、いろいろ刺さることが多いんですけど、
中でも、その海ちゃんのね、7歳のパパいつ始まるの?って、この言葉ね、聞いただけでも泣いちゃいますね。
あと、大竹忍のママが死んじゃった時、その後の7歳の海ちゃんがすごい気丈に振る舞ってるんだけども、
なんで元気なフリするの?泣いたりすればいいのにって。
うーん、ちょっとここから飛びますけど、自分の多分老いたち?私の老いたちにヒットするってところがきっとかぶってるんですね。
まあ、兄場物語ではね、いくつか話したんですけど、ちょっと面白いユニークな年齢層がいる家族だったんですね、私がね。
父と母が18歳があって、大正一桁と昭和一桁。
13歳代の兄は団塊の世代で、私は東京オリンピックの頃3歳だったみたいな。
その時代時代の環境があって、当たり前の基準があって、みんなバラバラ。
なので、嫁姑で2時間3時間しか寝れなかった母が子供を授からないって言われて、結局私が生まれたんですけど、
だから長男である父が前のお母さんのところから引っ張ってきて、お兄ちゃんを連れてきたと。
兄からすればお母さんが、実の母と育ての母がいる。
育ての母なんて17違いだから、親っていうよりもねって感じですね、20代で。
母からすれば20代で、結婚したと思ったらシュート目が来て、子供ができないって言ったら男の子が来たわけですよね、うちに。
で、いきなり十何歳の母になるみたいな。
いろいろそこから見える景色、違うでしょうね。
そして父が、私が十四の時にちょっと行ってくるって亡くなり、で、彼氏が登場すると。
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で、うちの兄貴と、うちの母の兄弟が、それはなんだと安子ちゃんがかわいそうだと。
うちの幼女になれなんて言って、まるでなんとかドラマみたいにあるんですけど。
だからこそ自分が十四、十五、十六ぐらいの時に、四十二で未亡人になった母を母親として見るよりも女性として見るっていう、そこに立ち位置を持ってってというか。
そこで見える景色で、自分は子供としてどうしたらいいだろう、どこにいたらいいんだろうみたいなことを考えた十五、六歳だったんですよね。
まあそれが、今回その海の始まりのいろんな立場から見える景色だったり、感情が動くことに入っちゃったりとかしてね。
ヒットしちゃってるな、私なんて思ったりもするわけです。
ここでね、なんでそうやって私こんなに累戦崩壊するんだろうなーって言ったところで、そんなことが思い出して、ちょっと言葉にしてみたくなったので話しました。
どこでどんな風に感激して感動して涙するのか、それぞれでしょうねきっとね。
今日もお聞きいただきましてありがとうございます。
また、つらつら喋りたいとき喋ります。
それではまた。