親の安心と子どもの安心は同じか
皆さん、おはようございます。 シリーズ自分を生きるのその先へ、これまだ第3話だったんですね。 ちょっと飛ばしてたな、記憶から。大変失礼いたしました。
本日より、また日々お送りしたいと思います。 まだ第3話でした。第3話の今日は、親が安心なら子どもも安心なの? というお話をしていきます。
前回は、あなたのいいよねに相手はいるというテーマでお話ししました。 自分にとって当たり前のことが、相手にとっても当たり前とは限らないよねっていう話。
自分が大丈夫だって思っていることを、相手も大丈夫だと思っているとは限らないよっていう。 で、今日はこの違いがとてもよく見える、ある場面から考えてみたいと思います。
例えばね、こんな場面を想像してみてください。 あるお母さん、どうしても参加したいイベントを見つけました。
ちょっと興味があったイベントです。 うわぁ、行ってみたいなぁ。今度こそ参加したいなぁ。
そんな風に思っていました。 ただ、まだお子さんが小さいので、参加するには誰かに子どもを預ける必要があります。
そこで、お母さんは自分がよく知っている人に、もしよかったらイベントの間子どもを見ていてもらえませんか?そうお願いしました。
そのお相手は、そのお母さんにとってはとても信頼できる人です。 何度もお話ししたことがあって、人柄も知っている。
なので、この方なら安心してお願いできる。 お母さんの中では、ちゃんと筋が通っているんですよね。
そして、ここまでのお話を聞いて、「ああ、別に普通のことじゃない?」 そう思った方も多いのではないかなと思います。
もちろんね、誰かに子どもを見てもらうこと自体が問題だというお話ではありません。
親が自分のやりたいことを大切にすること、何も悪いことではありません。
ただ、ここで一つ問いを立ててみたい。 その方を信頼しているのは誰でしょうか?お母さんですよ。
では、そのお子さんもその方を信頼しているのでしょうか?
ここなんですね。
お母さんから見ると、自分がよく知っている人で、自分がとても信頼している人で、自分が安心して預けられる人。
ところが、子どもの側に立ってみたらどうでしょう? その人とはほとんど会ったことがないかもしれない。
名前がよく聞いて知っていても、一緒に過ごした経験はないかもしれん。
もしかしたら、初めて二人きりになる大人かもしれません。
もしそうだとしたら、お母さんにとってはよく知っている安心できる人でも、子どもにとってはまだよく知らない人なんですよね。
同じ一人の大人のことを話しています。
だけど、お母さんと子どもでは見えている世界が違います。
ここで今日の大切なポイント。
私はこの人を信頼しているのと、子どもがこの人を信頼している、これは別のことなんですよね。
これは当たり前だと思うかもしれません。
だけど、私たちは日常の中でこの2つを無意識に一緒にしてしまうことがあります。
経験によって変わる受け取り方とスキーマ
もうちょっと丁寧に見ていきますね。
お母さんがこの人なら安心だ、そう思っている。
これはお母さん自身の経験や判断ですね。
では、子どもが実際にどう感じるか。
それは子ども自身の経験やその時の状況によって変わります。
初対面でも平気な子もいるでしょう。
最初は緊張していてもすぐに打ち解ける子もいるでしょう。
反対になれるまで少し時間が必要な子もいるかもしれませんね。
つまり、ここで大切なのは子どもはきっと不安なはず、そう決めつけることでもないんです。
お母さんが安心しているから子どもも安心している、これも決めつけですよね。
知らない大人だから子どもは不安に違いない、これも確認していない段階では想像でしかない。
子どもが実際にどう感じているのかは子どもの側にしかないんです。
ここを分けておくということが大切なんですね。
ここで少し認知の仕組みの話を入れていこうかなと思うんですけれど、
私たちって目の前の出来事を全く何の前提もなく見ているわけではありません。
これまでの経験、知っている知識、大切にしていること、価値観ですね。
そして、自分が今どんな立場にいるのか、そうしたものによって同じ出来事でも受け取り方は変わります。
例えば、初めて訪れる場所、以前に何度も来たことがある人にとっては慣れた場所、
でも、初めて来た人にとっては知らない場所なんです。
建物は同じだし、入り口も同じだし、その場にいる人も同じ、
でも、安心して入れるかどうかはその人によって違うことがあります。
心理学では、こうした情報の受け取り方に関わる経験から作られた知識とか予測の枠組みのことをスキーマと言います。
簡単に言えば、自分がこれまで経験してきたこと、これを元に目の前の出来事を理解するための枠組みみたいなものね、スキーマって言うんだけど。
お母さんには、お母さんがその人と関わってきた経験がありますね。
でも、子供には同じ経験があるとは限らない。
だから、同じ人を前にしても受け取り方が違うことはありますね。
これって親子だけの話ではないですよね。
例えば職場でもあります。
上司が、これそんなに難しくないから大丈夫だよ、やってみる?って言ったとします。
上司にとっては何度も経験してきた仕事、だから大丈夫だと思っている。
だけど、初めて担当する部下にとってはどうでしょう?
まず、どこから手をつけたらいいのかもわからないかもしれない。
どこまで自分で判断してやっていいのかもわからないかもしれない。
上司の大丈夫と部下の大丈夫、これは同じではないんですね。
家庭でもそうで、自分が慣れ親しんだ場所に家族を連れて行く。
ここめっちゃ落ち着くの、すごく居心地がいいの、そう思っている。
だけど、初めて来た家族にとっては、まだ居心地がいいかどうかわからないよね。
自分が知っていることを相手も知っているとは限らない。
自分が経験してきたことを相手も経験してきたとは限らない。
そして、自分が安心していることと相手が安心していることは別ですね。
親の希望と子どもの感じ方を両立する
ここを区別するだけで見えてくるものが変わってくる。
では最初のお母さんの話に戻りますよ。
お母さんはイベントに参加したい。その気持ちはそのままで全然いい。
子供がいるからってやりたいことを諦めなければいけない。
そんな話ではありません。
そして、子供を預かってくれる人を探すこと、これも何の悪いことでもあります。
ただその時に、私はこの人を信頼しているという自分の判断だけで
全てが成立していると思っていないだろうか。
そこに子供自身の経験や感じ方、それが存在しているだろうかということです。
例えば、子供はその人を知っているのか。一緒に過ごしたことがあるのか。
子供が安心して過ごせるようにどんな準備ができるのか。
年齢に応じて本人の反応や気持ち、これをどう確かめられるのか。
そんな視点が加わるかもしれません。
ここで大切なのは、親の希望を優先するか、子供の希望を優先するかという二択にしないこと。
私は参加したい。
子供にもその子自身の経験や感じ方がある。
この二つをどちらも存在させる。まずはそこなんですね。
「誰にとっての大丈夫か」を問い直す
さて、ここで今日のお話を自分の日常に戻してみましょう。
最近誰かに対して。
大丈夫だよ。これなら安心じゃない。
あの人なら信頼できるよ。
そんな風に言ったことはありませんか。
あるいはこのぐらいできるでしょ。
これならわかるよね。
そう思ったことがないですか。
その時少しだけ問い直してみてほしい。
それって誰にとっての大丈夫なんだろう。
それって誰にとっての安心なんだろう。
それって誰の経験から生まれた判断なんだろう。
そして相手も同じように感じていることを実際に確認していますか。
ここで相手の気持ちを正しく当てようとしなくていいんです。
わからないことはわからない。
だから必要だったら確かめる。それだけなんです。
私は安心している。
これは私のこと。
相手は安心している。
これは相手のこと。
自分の中にある感覚をそのまま相手の感覚にしてしまわない。
今日持ち帰っていただきたいのはこの一つです。
違う二つの世界を認める
私はどうしたい。
自分に人生の主語を戻すことはとても大切です。
でも自分の主語が見えるようになったからといって
世界に存在している主語が自分一人になるわけではありません。
私はこう感じている。でも相手は違うかもしれない。
私には私の経験がある。
相手には相手の経験がある。
同じ出来事の中に違う2つの世界が存在しています。
それに気付けるということが
自分を生きるのその先にある大切な視点の一つだという話でした。
さて次回は相手にも違う世界があるんだ。
それに気がついた時に起こりやすいもう一つのことについてお話しします。
それはじゃあ私が我慢すればいいんだよねという考え方です。
さあ本当にそうなのでしょうか。
次回第4話
相手を大切にするイコール私が我慢するではないと
そんなお話をしていきます。
それでも今日も自分の人生を自分の主語で
冬子でした。