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みなさん、おはようございます。フユコです。 さあ、シリーズ自分を生きるのその先へ。
第4話の今日は、相手を大切にするイコール、私が我慢をする、ではないよっていうお話をしていきます。
前回はね、親が安心なら子供も安心なの?っていうテーマでお話ししました。
自分が安心していることと、相手が安心していることは別。
自分には自分の経験があって、相手には相手の経験がある。 だから、自分の中で成立している大丈夫っていうのを、そのまま相手の大丈夫にしてしまわない。
そんなお話でした。 さて、今日はその続きです。
相手にも自分と違う感じ方や事情があります。 それに気づいた時に、私たちが教えやすいもう一つのことがあるんですね。
それは、「じゃあ、私が我慢したらいいよね。」
そういう考え方です。 今日はここを一緒に紐解いていきたいと思います。
例えばね、こんな場面を想像してみてください。
あなたは以前から楽しみにしていた講座に参加したいと思っています。 ずっと興味があったし、今の自分にとって大切な学びになると思っている。
よし、今回は受けてみよう。 そう決めました。
ところが、家族にその話をしたら、その日ちょっと難しいかなぁ。 そう言われました。
家族にも予定がある。 仕事もあるし、家のこともある。
その言葉を聞いた瞬間、 あ、そっか、私が家を離れると家族には負担がかかるな。
じゃあ、今回はやめておこうかな。 そんな風に考え始めます。
こういうこと日常で良くないですか。 自分のやりたい、そう思うことが見つかった。
自分で行ってみよう。そう決めた。 だけど、相手にも事情があるって分かった途端、
じゃあ、私が諦めればいいかなっていう結論に向かってしまう。
ここでちょっと立ち止まって考えてみて。 相手に事情があることと、
自分が諦めなければいけないことって本当に同じなのかな。
例えばね、家族がその日は難しい、そう言った。 これは相手が伝えてくれたことよね。
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でも、 自分が行くと迷惑をかけるんだ。
自分が我慢するしかない。 これは相手が望んだことでしょうか。
もしかしたら、自分がそこに付け加えた解釈かもしれません。 家族はその日は難しい、そういっただけかもしれん。
時間を調整すれば可能なのかもしれないし、 別の方法があるかもしれない。
まあ、どうしても調整できない場合もあるよ、確かに。 だけど、それらを確かめる前に、
じゃあ、私が辞めたらいい、そう結論を出してしまう。 ここには一つの認知の飛躍があるんですね。
相手にも事情があるという事実。 ここから、だから私が諦めるべきという結論に飛んじゃってるの。
この2つの間には、本来まだ考えられることがあるはずなんですね。 ここで少しこれまでのお話を振り返ります。
このシリーズでは、 相手はどう思う?
普通はどうする? 何が正解?っていう他人基準から、
自分はどうしたい?と自分に主語を戻すことをお話ししてきています。 そしてその先には、
私はこうしたい。でも、相手にも相手の主語があるという世界があります。 ところが、相手の主語に気づいた途端、
じゃあ相手を優先しよう。そうなってしまったらどうでしょう? せっかく取り戻した自分の主語がまた消えてしまっていますね。
これでは、相手はどう思う?を基準にしていたあの頃と構造があまり変わってないです。
もちろん結果として自分が譲ることはあるでしょう。 相手の事情を知った上でね、今回は私は行かないことにする。それを選ぶこともあります。
ただここは区別しておきたいです。 自分で選んで譲ることと、
自分の希望を持つこと自体をやめてしまうことは違いますよね。 同じようにその日の講座に行かなかったとしても、
その選択に至る過程は違うんですよ。 例えば、
私は講座に行きたい。でも家族にもその日の予定がある。 この2つが分かったとします。
そこで、私が行きたいなんて言わなきゃよかった。 そう思う必要はありません。
家族に予定があるからといって、自分の行きたいという気持ちが間違いになるわけじゃないから。
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反対に、私は行きたいんだから家族が何とかしてくれるべきだよね。 そんな風に考える必要もないです。
自分が行きたいからといって、相手の事情がなくなるわけじゃないからね。 つまり自分の希望があるということと、相手にも事情があるということは矛盾しないです。
ここが今日一番お伝えしたいところです。 私は行きたい。
お相手には予定がある。 この2つは同時に存在してもいいの。
どっちが正しくて、どっちが間違っているという話でもないの。 少し心理学のお話を入れると、ここには境界線という考え方が関係しています。
境界線っていうのは、自分と相手の間に壁を作ることではありません。
自分の気持ちや選択と相手の気持ちや選択、これを区別することです。
例えば、私が講座に行きたいと思う、これは私の自分の希望です。 家族がその日は難しいという、これは家族の事情や意思ですね。
私の希望を相手に必ず実現してもらう権利があるわけでもない。
でも、相手の事情があるからといって、自分が希望を持ってはいけないわけでもない。
この区別ができている状態を、ここでは境界線が保たれている状態として考えてみて。
境界線って聞くと、嫌なことは断りましょうとか、自分を守りましょうっていう話になりがちですけど、それだけではないです。
相手の気持ちを相手のものとして扱い、自分の気持ちを自分のものとして扱う、その両方が大切なんですよね。
ここでもう一つ身近な例を挙げてみます。
友人から食事に誘われました。 だけど自分はその日は家でゆっくり過ごしたいなと思ってた。
以前の自分だったら、 せっかく誘ってもらったんだから断ったら悪いよな。
そう思って言っていたかもしれません。 だけど今はその日家で休みたい。
そういう自分の気持ちがわかるようになった。
だから、今日は家で過ごしたいからまた別の日にしよう、そう伝えました。
そうすると友人が、そっか、残念だな、そう言った。
それを聞いてあなたはどう感じますか?
念がらせちゃった。やっぱり言ってあげた方が良かったのかな。
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休みたいなんて自分の気持ち優先するのってわがままかな。
そんな風に考えることがあるかもしれません。
だけど少し考えてみてね。
友人が残念だなって残念に思うことと、
あなたが断っていけないということは別なの。
友人には残念に思う自由があるし、
あなたには今日は休むと選ぶ自由がある。
相手が残念に思ったからといって、
あなたの選択が間違いだったことにはならない。
もちろん相手の気持ちを知って自分の選択を考え直すこともできるよ。
それは義務じゃないから。
お相手に感情が生まれるということと、
その感情を自分が解消しなければならないことは違うという、
ここも大切な境界線だ。
ではなぜ私たちは、
相手に事情や感情があるとわかった瞬間、
自分を引っ込めたくなるのでしょうか。
その理由は人によって違います。
一つの可能性として、
相手が困っている状態、それは良くないことだ。
とか、相手を残念がらせる私は良くない人間だ、
みたいな前提が働いている場合があります。
その前提があると、相手の反応を見た瞬間に、
この状況を何とかしなくちゃ、みたいに考えやすくはなります。
そして一番手っ取り早い方法として、
自分が我慢をする、自分が諦める、
自分が引き受ける、
っていう選択が浮かんでくることがあります。
だけどそこで一度問い直してみて、
相手が困っていることと、
自分が悪いことは同じなのかな?
相手が残念に思うことと、
自分が間違っているってイコールなの?
ここを分けて考えられるようになると、
選択肢が少しずつ増えていきます。
今日は最後に皆さんにも一つ観察してみてほしいな、
と思うことがあります。
最近ね、じゃあ私が我慢すればいいか、
とか、私がやれば丸く収まるよな、
そう思った場面ってないですか?
もしあったとしたら、その場面を一つ思い浮かべてみてください。
そして、まず自分は何をしたかったのか。
次に、相手は実際には何と言ったのか。
そして、その言葉を聞いて、
自分は何を付け加えたのか。
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ここを分けてみてください。
相手が難しい、そう言った。
それを私は、あ、迷惑なんだって解釈した。
そして、諦めるしかないなって結論付けた。
もしそうだったとしたら、
相手の言葉と、自分の解釈と、
自分が選んだ結論、
これは別々のものだったと気付けるかもしれません。
その上でね、
私はどうしたい?ってもう一度自分に戻ってきてみる。
ただし、今度は相手の事情も存在させたままです。
すぐに答えを出す必要はありません。
まずは、私もいる、あなたもいる、
っていう状態に気付くこと。
それが今日の観察です。
このシリーズのタイトルは
自分を生きるその先へ。
自分を生きるというのは、
相手を無視して自分の希望を押し通すことではありません。
でも、相手を大切にするために
自分を消してしまうことでもありません。
私はこうしたい。
あなたはそう感じてるんだね。
この二つをどちらも存在させる。
そして、その先でどう選ぶのか。
そこにまた新しい世界があるのではないかと思っています。
はい、次回第5話は
私はこうしたい。あなたはどうしたい?
その次は?っていうお話です。
自分の希望もある。
相手にも希望がある。
では、その二つが違っていたとき
私たちはどうしたらいいんだろう?
次回はそこをもう少し具体的に紐解いていきます。
それでは、今日も自分の人生を自分の守護で
ゆいこでした。