大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデル構想を紹介していきます。
内田です。今回は、夕日の向こう、約束の橋、温もりと風の通りみちの1日目の後編となっております。
前編ではですね、大津城の復元の素敵なストーリーを聞いたところまでとなっております。 後編の今回はですね、とても素敵な建築を巡り、そして龍馬ゆかりのお宿に宿泊するという流れになっております。
ぜひ前編の方から聞いていただければと思います。それではどうぞ。
ここからは1日目においては、この大津の王道ルートを一回たどっておきたいと思います。大津というのは別名、伊予の小京都なんて言われる通り、江戸時代から大正昭和にかけての街並みというのが非常に残っていまして、
街歩きの風情というのがすごく濃厚で豊かなものなんですね。 なのでこの街歩きの観点で2つほど代表的なスポットを回りたいと思います。
今回は車で来ていますが、歩きでも全然行ける距離なんですけれども、車で来ている方は大津城の駐車場から町の駅朝靄という街中にある道の駅みたいなのがあるんですけれども、そこの駐車場に車で5分ほど行って移してください。
そこに停めていただいたらここから徒歩に移動になります。町の駅朝靄の駐車場から徒歩5分ほど行ったり行ったりするところにあるのが我流山荘です。
さっきお城の説明の中でもチラッと出てきたやつですかね?
そうですね。ここがすごいんだよね。これはね。本当にここすごいんですよ。
もうね言ってもらえたらわかんないというか結論なんですけれども、一応頑張って説明をするとですね。
この我流山荘というのは大津の城下町のちょっと外れ歩いて行くじゃないですけどね。
ひじかわのこのねさっきすげー蛇行してるねってうちら言ったと思うんですけれども、まさにあそこに立ってるんですよ。ちょっと地図見てもらいましょうか。
大きめな蛇行の中のちっちゃい蛇行の中にあるね。
そうなんですよね。ここつまりカーブ曲線を描いているわけで、あえてここに作ったっていうのはなぜかっていうのはなんとなく想像がつきますかね。
これ山荘ってことだから別にお城ってわけじゃないんですかね。守る意味はあんまりない。
あんまりないです。
なんですかね。商人が建ててたとか?
その通りなんですよ。けど今おそらくなんですけれども、水運の利便性というのを考えたかと思うんですけど、この山荘は全く商売機ないんですね。
もっと純な気持ちで考えた時に、なぜここに建てようと思ったか。
まあ景色として川が良かったってこと?
それも前提でぜひ写真を見ていただきたいと思うんですが、これはわかりますかどういう情景か。
ちょっと川床になってるんですかこれ。
そうなんです。これつまり大津の城下の中でも蛇行しているというとは、三方を川に囲まれるっていうなかなか珍しいロケーションなんですよ。
そして三方を川に囲まれている中に外観がこういうことなんです。
本当にキワキワだね。
崖の上に立ってるんですね。この三方を囲まれている崖の上に立っているので、この建物の中に入ると本当に自分がひじ川の中に浮いているような、そういったすごい体験が得られる。
これが蛾流山荘なんですね。
これは見事です。本当に日本が誇る名建築だと思います。
なぜこれが知られていないのか僕は不思議にならない。
本当そうね。部屋の中で外を見ると、多分地面は見えないよねこれ。
そうです。地面ないです。川の中に浮いてるんですよ。
マジで崖だ。ちょっと清水寺的にね。
まさにまさに。
木組で基礎を作ってその上に立ってるんだね。
そうです。清水寺本堂が崖作りと言うんですけれども、まさにその技法を踏襲しています。
なるほどね。そりゃ景色いいだろうな。
これがねすごいです。本当に現地行くと。危険でもあるし、高度な技術が本当にだからこそ求められたんだけど、それを成し得た。
そこまでしてここに作りたかったって気持ちもよくわかります。
これは明治時代に活躍した実業家である幸内寅次郎。川の内と書いて幸内と読むんですけれども、幸内寅次郎という実業家がいて、その方がおよそ10年の歳月をかけて明治末期、だから今から120年くらい前に作った邸宅、別邸なんですね。
もちろんこの人は大津の出身の方なんですけれども、この人は実業家ではあったんですが、風雅の道というかそういった文化的な部分にもすごい造形が深くて、
この我流山荘の我流というのは、昔川を挟んだ向かい側の山が優雅不死寺に見えるという継承地で、そこに出てくる月の美しさというのが語られたそうなんですね。
江戸時代の東道高虎に仕えた家臣たちもここはやっぱり継承地だと、加藤の殿様もここは大津の城下町の一等地だというふうに認めたぐらいの継承地で、あえて財を成した幸内寅次郎はそこにこそ邸宅を作りたかった。
その景観というのを最大限楽しむために、さっき言ったような家計作りというものを技術と材料を用いてあえて作って、まさに月と川が本当に自分の目から直に見られるように作ったというんですね。
これ建物としては全然大きくないですよね。 そうですそうです。 もう本当にお家ぐらいな感じ。 6畳ぐらいだと思いますね。6畳から8畳ぐらい。
もう本当そういう景色を楽しむためだけの小屋じゃないけど、そういうお家ってことね。 そうそう、これはガリュー山村のフロー湾っていう一つの建物がこれになってるんで、他にも本館みたいのがあるんですけど。
ここから見る月見てみたいよね。 そうなんですよ。僕はこれ残念見たことないんですけど。
夜通常配管してないんであれなんですけど、係の人に言わせれば、このフロー湾の扉を開け放っていると月が出てきたときに満月が出てくると、
ひじかわの川の表に月が光って、川が本当に清流ですからキラキラと鏡のように光って、反射光がこの扉を開けたフロー湾の中に入ってくる。
そうすると天井にそれが届くそうなんです。その写真も実際見ました。 年に何回かそういう日があるそうで。
それをもちろん計算した康二寅次郎は、そのフロー湾の天井の部分をアジロという組み方、これ網の城と書いて漁船の組み方なんですけれども、
海とか水を思わせる組み方にあえてして、これ自体が月に浮かんでいる船、宇宙船のようなイメージで作ったというふうに言われている。
好きものの趣味ですよね。
こんなの立てれんだな。
ちょっとこのガリュー山荘は、京都の桂利休とかの様式もすごく留めていて、明治時代で比較的新しいものであるんですけれども、
本当に日本の江戸時代が凝縮した、特に京都で凝縮された自然との調和ですとか建築様式っていうものの、本当にある意味集大成ようになり得るようなものなんですよ。
フロー湾の話ばっかりしちゃったんですけど、普通の建物の方もすごくてですね、ガリュー院とか見てもらえるでしょうか。
こういう山里のひなびた小屋みたいなね、わびさびのものを残しながら、ランマ。
繊細ですよ。
ランマっていうと、その部屋の区切りのイメージありますけど、窓の上にあるんだね。
そうそう。だから自然光がね。
光が透かして見えるわけだね。
そうですそうです。
いやこれね、本当にちょっとすごいです。
これがなぜ有名じゃないのかって不思議なくらいでした。
僕大学生の時、あの時京都本当に前月のように言ってたんですけど、もちろん京都は京都ですごいんですけど、
秘境を取らないっていうふうに素直に思いましたけど、人は全然いないんですよ。
だから僕行ったの11月の初めだったんですが、紅葉にはまだ早かったけれども、
ちょうど秋の夕暮れの中でフロアの取っ手に溜まったれて、もう何時間いただろうかっていうぐらい、
川風が気持ちよくて大津って盆地で暑いので、風通しもすごく計算されてるんですよね。
そういったその建築の美しさだったり、そこに暮らす日本人の心根の豊かさだったりっていうのは、
これ僕本当に海外の人とかに日本の文化を紹介する時に、ここは本当に紹介したいところの一つですね。
これ知られてないかもしれないけど、めちゃくちゃすごいところだと思います。
もっと多くの人に知られてほしいなって素直に思うところです。
なんかこのこじんまり感もいいよな。
ちなみにこのフロアはね、この窓際がやっぱ強調されるんですけど、裏手にはね、
今も生きている木がそのまま柱を代用しているような感じになっていて、
その建築の思想みたいなのもすごいんですよ。
だから生きている自然と取り込みながら人工物を作っていくっていう、かなりチャレンジングなことにも捉えしているので、
そういうところも含めて語るところが多いんですよね。
単純に綺麗というだけではない。
私この川がさ、結構目玉だと思うんだけど、
その反対側というか崖側も木がすごい生えていて、自然を感じられるっていう雰囲気ですよね。
夏の夕方とかに行くと日暮らしと寝入れとかすごい綺麗でしたよ。
川の対岸から見ると何か仙人の小屋みたいな感じがするよね。
そうそう、そういうイメージがきっとあったんだと思いますね。
風河をたっ飛んでちょっと独生から離れるという。
いやすごいですね、これ。
これはちょっとね、ぜひ一度行っていただきたいです。
めちゃくちゃすごいところです、ここ。
結構本当に衝撃を受けると思いますので、
なんでこんなものが家の山中に生まれてるのかっていうのは不思議にならなかったです、当時。
というガリュー酸素、これも必見スポットです。
僕10年前はガリュー酸素だけで帰っちゃったんですけども、
実はもう一つね、そこからだいたい徒歩5分くらいのところにすごいところがあるんですね。
これがですね、万千草です。
これもすごい際に立ってるな。
これ。
これすごくないですか?
これいいなぁ。
さっき見てた川が望めるバルコニー。
これここ住んだらやばいな。
やばいですよね。
マジで日本の理想の建築なんじゃないかという、ある種の本当に。
手前は和室になってるけど、このバルコニーはね、木でね。
そうなんです。
実はベンチにも腰掛けもできるんですよ。
ここにこう夏の夕方来たってことを想像してほしいんですね。
本当に素晴らしいです。
これ写真見てほしいです。
そうね。
こんな万千草で、ちょっとさっきのガリュー山荘とまた違う建築様式になっているわけなんですけど。
これはですね、やはりこの大洲出身の実業家、商人だった松井伝査部郎及び国五郎という兄弟が作ったものなんですね。
この松井兄弟は大洲に生まれたわけなんですけれども。
日本がだんだん東アジアの方に進出していく戦前の過程の中で、その貿易商社として財を成して。
特にマニラ、フィリピンですよね。
マニラにおいて日本人向けの貿易商社みたいなのを築いたり、百貨店みたいになったそうなんですけれども。
要は外商ですよね。
非常に成功した実業家がいて、この人たちの邸宅なんですね。
さっきのガリュー山荘と違うところは、さっきバルコニー見てもらったと思うんですけど。
バルコニーって本来西洋建築のものじゃないですか。
だから完全なくらい和洋説中。
なんかちょっとモダンな雰囲気もあるんですよね。
そうなんですよ。
いわゆる基幹となるのは木造建築で、日本の建築様式なんですけれども。
ところどころにバルコニーがあったりとか、水回りがタイルで覆われていたりとか。
西洋の建築の良いところっていうのをいいとこ取りしてるんですね。
また今ちょっと出てきましたけれども、木造建築の床においてもですね。
東南アジアで採れた木材とかもあえて使うことで。
日本の和風建築ともちょっと違うですね。
独特の艶感だったりとかそういったものを演出している。
これやっぱり彼らがマニュアルで成功して東南アジアに対してすごく強い手を持っていたからだと思うんですね。
この床材もこれ1枚板なんですかね。
そうなんですよ。
これすごいですよね。
すごいねこれ。
不思議な感じ。
木なんだけどフローリングみたいな境目がないからさ。
なんかのぺっとしてるけど木材っていう。
不思議だよねこれ。
ちょっと不思議ですよね。
こういうのも結局西洋とかそういった風味のエッセンスも残してあると。
あのガリュウ山荘は正直10年前はほとんど人いなかったんですけど。
こないだ僕行ってきたら結構もう海外の方も目つけてているんですけど。
バンセンソウはほとんどまだ人いないです。
これ共通権もありますんで。
いいですね。
これはちょっと合わせていきたいですね。
いきたいです。
ちなみにこのバンセンソウのバンというのは岩盤のバンなんですけれども。
このバンセンソウの由来というのはこの邸宅の裏手がさっきの崖になっているわけですよ。
その崖の中に岩屑を横井戸ですね。
井戸を横に掘り進めて岩に染み出してくる地下水を受けてそれをキッチンに回すという。
そういった横穴の井戸を作ってるんです。
だから岩盤の中の泉だからバンセンソウというふうに言っていて。
僕が行った時はその状況で人があまりいなかったので。
たまたまタイミングがあったスタッフの方がこのバンセンソウのバンを連れてってくれてですね。
実際にその岩盤の中まで見ることができて。
もちろんひんやりとしてすごいですし。
実際海中ネットで照らしてるとちゃんと水が染み出してキッチンまで行くようになってるっていうね。
その機能というものもですね。
見て取ることができるんです。
そこに水があるのは知ってたのかな?
知ってたと思いますよね。
じゃないとやっぱりそこにね。
そういう考えにならないよね。
すごいですね。
だったりとか。
あと横井戸の隣にはクリーム色の境界を思わせるような縦にずいぶん長い岩に掘り出したルームが岩の中に設けられているんですよ。
そこも見せてもらったんですけど。
これは一体何でしょうかって話になって。
分かんなかったんですね。
これ何ですかって言ったら誰も分かんないんです。
っていうのが個題だったんです。
実はこの松井東大のうちのこの家を作ろうと思ったのはデンザブローというお兄さんの方だったんですが。
残念ながらこの建築の途中に急遽、急病で亡くなってしまって。
それを国頃って弟が引き継いでこれを完成させたというんですね。
しかしながらデンザブローが残した設計図と工事の途中にその頑屈に彫られた謎のこの黄色い部屋があったんですけど。
これが一体何のために何をしようとして作られたのかというのは国頃も聞いてなかったそうなんです。
だからデンザブローが何を考えて作ったかというのはもう今誰も分からない。
だから用途不明のままただ部屋だけが残っていて、あえてでも展示品とか置かずに不明のまま残してあるって言うんです。
ちょっとなんか不気味な感じがあるね。
僕は教会のように見えたんですよ。それに近いような感じがあったんですけど。
ぜひこの辺りに現地に行っていただいて、何がデンザブローを誇りにしたかったのか。
単純な服でちょっとないような気がしたんですよね。それにしてはオシャレですごく。明るい部屋だったんですけどね。
そんな謎もあったりします。
面白い建築ですね。
いずれにしろやっぱりこの松池にしろさっきの広築さんにしろ、大津に生まれた人たちというのは、それぞれ自分の東京とか神戸とかマニラとかね。
持った後もやっぱりこのふるさとである大津でね、この継承地というものを愛して自分の理想郷を叶えようとした人たちがいっぱいいたと。
で、ガリュー酸素とかも一時はすごく荒れ果てたそうなんですけれども、ちゃんとこれを観光資源として生かそうとか文化遺産として残そうという方々の手によって集蓄が施されて今後悔に至っているという経緯があるそうですから。
大津の今の年配の方々はガリュー酸素がお化け屋敷だと思ってた方も結構いたそうです。
リアルな声として。
っていうぐらい一時は朽ち果てていたというふうに言ってました。
そこからの修復がすごいですね。
そうですね。
なのでこういう大津というのの特色としてとにかく川という自然があった上で、歴史的な街歩きだったりこういった本当にリラックスできる近代建築の名建築があって、それを東京圏内に回れるというのが非常に大きな魅力になっているということを覚えておいていただければいいかなと思います。
本来であればこのまま市街地に泊まってというふうなスタンダードなんですけれども、
今回は2泊3日ありますので、ちょっと翌日の予習みたいになっちゃうんですけれども、ちょっと車回るので地域を移動してみたいと思います。
夜はそっちの方へ泊まりたいと思うんですね。
これなぜ泊まるかは後々理由を話します。
そういうことでですね、万千草さんから町の駅あそこに戻っていただいて車をピックアップして、そっからですね、車で約25分ほど、ひじ川の川沿いを下り上に下っていきます。
この道も本当に綺麗です。本当に川沿い行くので。
そこにあるのが伊予長浜という港町。これはもう河口ですね。海にも面している河口なんですけれども、この港町に来ました。
そして今日の宿は長浜の河口にあります富谷金兵衛邸というところに宿を取りたいと思います。
名前からすると泊まるところじゃなさそうな感じがするけど、坂本龍馬にうかりの地って書いてあるね。
そうなんです。この富谷金兵衛邸さんはですね、もうこの名の通りなんですが、あの幕末の志士坂本龍馬がこの宿に泊まった、そういった宿なんですね。
つまり江戸時代から残っているというものなんですね。
これはどういうことかというと、大津というのは大津藩が治めていたんですけれども、この長浜というのは、ちょっと中途を見てもらえればと思うんですが、
本当にこの四国から湯名田、そして瀬戸内海を面していくという、ひじ川が広い川幅が広くなっているこの長浜というところがある。
ここにですね、隣国土佐から脱藩した坂本龍馬が四国における最後の宿としてここを取ったという記録が残ってるんです。
龍馬というのは明治維新にあたって活躍した志士として知られていますが、もともとは土佐藩の商人の息子でした。
土佐藩は当時山内家が治めていて、山内というのは徳川審査だったんですよね。
だから割と徳川を倒そうだとか朝廷を勝とうだとかっていう思想というのはNGだったわけなんですけれども、
龍馬の親戚にも当たる竹地藩平太という人物が、土佐勤納党という政治結社みたいなのを作って、
それを江戸幕府審査で山内の中であっても、今の授業というのは長州を中心に朝廷というのを担いで、
それによってペリーが来航しておかしくなった日本を立ち直すんだと。
そういった考えの人がいっぱいいたわけですよね。
龍馬は土佐藩にそういうことを怠っているとNGですから、
もしそういった自分たちも勤納とか尊納上位とかに役に立ちたい、自分のNGに役立てたいと思ったら、
脱藩するしかなかったんですよ。
長州藩とか脱藩しなくても藩自体がそういう質素なんでよかったんですけど、
土佐藩においてはそういった危険分子だと思われちゃうんですね。
だから密出国をしなきゃいけない。
だから脱藩というのは重罪なんですよ。当時でいうと本当にね。
なんですけれども、あえて自分の志のために土佐藩を抜けなきゃいけないという決断を若い時にしました。
その時に手引きをした人物が吉村寅太郎という、これも有名な人なんですけれども、
この人が龍馬に先駆けて脱藩した時に、伊予大洲の長浜には富谷錦兵衛という商人がいて、
表向きは御服屋さん、藍物とかを扱っている服を扱う商人なんだけれども、
実はめちゃくちゃ錦の思想に共感をしていて、
密かに脱藩志士の支援をしている。
だから密入国密出国であっても富谷錦兵衛を頼れば囲まってくれるっていうことを教えたんです。
そこで龍馬は高知の市街を1862年の春に抜けて、
もう道なき道を山を通って行って、人にバレないように。密出国ですからね。
行って大津の城下町を顔をバレないようにガーって掛かり抜けて、
なんとかこの富谷錦兵衛を頼ってたどり着いた。
そして錦兵衛、その当時の富谷錦兵衛は吉村寅太郎の紹介を元々受けてましたから、
突破脱藩老子の支援というのを彼は結構ライフワークにしたので、
この密かに自分の家の2階に匿ってあげて、一晩宿を貸してあげたというんですね。
そしてこの長浜というのは山で切り出した材木だとか、
大津藩が主要な産業をしていたロウソクの生産が盛んだったんですけど、
これを大阪とかに輸出する貿易庫だったんですね。
富谷錦兵衛は藩の中枢部とも非常に仲が良かったし、
かつ錦兵衛って今も現地同じ場所にあるので、目の前に長浜の河口があって、
そこに大津藩の番書があったらしいんですけれども、
これも番書だから税関ですよね要はね。
だから荷物チェックされたらやばいんですけれども、
富谷錦兵衛のものだというふうにカオパスができたと。
そして瀬戸内海に船を乗り出せたというんですね。
龍馬とか虎太郎がこれに目をつけて、
おそらくこれは推測ですけれども、
富谷錦兵衛が秋内をしている服のファッションケースの中に紛れ込んだんじゃないかと。
そして四国を無事に脱出したんですね。
そしてどこかへ行くかというと豊富です。
諏訪の国の豊富、これは当時三田寺と言ったんですけれども、
長州藩に亡命したんですね。
長州藩はそういった思想が共感してくれる方が多いので、
そこに亡命したというその若い時の龍馬にとって、
思い出深いふるさとを離れる最後の日を過ごしたのがこの富谷錦兵衛帝なんです。
これが残ってるんですよ。
なるほどね。
じゃあまた新たなスタートの地みたいな感じになってるわけだよね。
そうだと思います。
龍馬の話で言うと、以前ビンゴ福山の回で、
友野浦というところをご紹介した時に、
あの時はメインでは後山山荘の奇跡の話をしたんですけれども、
友野浦でも龍馬がいた宿が今はセレクトショップになってるという話をしたことがあるんですけれども、
そことすごく似てるんですよね。
やっぱり裏2階があったりして、窓が一階についていたりして、
っていうような構造が。
なるほど。
だからあれはもう龍馬の裁判年に暗殺される数ヶ月前に住んでいたところですけれども、
もしかしたらそういったかくまわれている生涯を思い返した時に、
龍馬って基本は土佐の善良な商人の息子だった。
物資でもあったんですけど、そういった息子だったので、
人の目をはばかるとか、かくまわれるとかって経験って基本知ったことがなかったお坊ちゃんだったんですよ。
っていう時に初めてその罪を自ら犯して、当時でいうね。
人目をはばかるような立場になって、隠れなきゃいけないってなった時に、
暖かく迎えてくれた宿っていうのが、この富谷錦兵衛の宿だったっていうことを思うと、
きっと彼の人生にも何度もふっと蘇る思い出深いところだったんじゃないかなっていうね。
そんな想像もされますよね。
そこに今も泊まれんのすごいね。
そうなんです。
ただこれちょっと注釈としては、幕末当時の部屋も今ないんですけれども、
富谷錦兵衛さんはそういうわけで、福屋さんだったので、宿屋はそもそもなかったんですよね。
だけれどもそのご子孫が近年、宿屋として改良をして、
そして当時の2階というものを強く復元をして、
おそらく龍馬が泊まった部屋はここだっただろうという部屋を復元したのが今残っているという感じなので、
清潔感が逆にめちゃくちゃあって、幕末当時の建物は今はないということです。
お部屋もね、龍馬の間、虎太郎の間、錦兵衛の間ということで、
これ3部屋しかないんですかね?
ないんですし、しかも1日1組限定なんですよ。
だから僕なんて1人で行ったんですけど、僕1人でここを貸し切ってました。
しかも龍馬の間と虎太郎の間は、室も1つ隔てて繋がっているので、
なんと僕ね、この龍馬と虎太郎を1人で2つの間占領したんですよ。
そういう言いと言われてしまったので。
じゃあこの龍馬の間は、たぶんここに龍馬が泊まっていただろうという部屋になるんだよね?
そういうことです。
それはちょっと、龍馬ファンはめちゃくちゃ熱いんじゃないですか?
熱いですよ。
たぶん龍馬が実際泊まったと分かっているところで、
実際に宿泊できるところはなかなかないと思うんですよね。
友の浦も泊まれはしないんだよ、そこ。見学はできるんですけど。
あれはだって階段の裏みたいな話だったよね?
そう、そう、そう。隠し部屋ですから、完全な。
こちらは1泊1名で1万円なんですね?
そう、って書いてあるんですけど、
虎太郎の間も虎太郎の間も1泊1万円って書いてあるんですけど、
これ実際泊まったから言っちゃうんですけど、
ジャランとかで予約して1万円くらい払ったんですけど、
そういうわけで1泊1組しか受けないんですよ。
だから龍馬の間を制約して取ったんですけど、虎太郎の間も使っていいですって言われて、
結局2間連続で使っちゃいました。
同じ料金で。
さっきのお城を見ちゃうと、だいぶリーズナブルだなって思っちゃうよね。
そうですね。
でもしっかりこういうストーリーがあって良いじゃないですか。
しかもですね、これちゃんと復元してるだけではなくて、展示資料室。
1階のロビー脇には展示資料室という風になっていて、
富屋錦兵衛さんは当時は福屋さんだったわけですけれども、
非常に大津藩の中枢部と深いつながりを持って、
ある意味大津藩の貿易商人としても活躍していた人だし、
その一方で幕末の志士を、土佐藩の志士を支援していたということもあったんですけど、
そういったことで、いろんな江戸時代から伝わってるお宝物が残ってるんですね。
普通に資料館みたいな感じですよね。
特に有名なこの吉村虎太郎。
さっき言ったように龍馬の脱藩における先輩というような形で、
やはりこの土佐藩の志士だったんですけれども、
彼が富屋錦兵衛さんに残した手紙というのも残っています。
これは詩の有形文化財になってるんですね。
ここに何が書いてあるかというと、
この虎太郎の筆がめちゃくちゃすごい字でちょっとびっくりするんですけど、
先日はご馳走になってありがとうございました。
今度二人の友人が行きますのでよろしくお願いします。
っていう風に書いてあるんですよ。
この二人の友人って何者かってよく分かってなかったんですけれども、
後々ですね、龍馬とそれに友をした沢村総之丞という志士がいて、
その沢村総之丞は龍馬より長生きするんですけれども、
彼の回想力みたいな中に、
自分たちは二人で富屋錦兵衛に吉村虎太郎の紹介で止まったんだという回想があるんですね。
よって龍馬自身は富屋錦兵衛のことを話してないんですけれども、
この二人の友人というのはおそらく龍馬と沢村のことだろうということが分かったんですね。
その証拠になる吉村虎太郎の手紙がこの宿に伝わっている。
こういうのやっぱりよく残してるよな。
あとこうした大図版に使えた絵師だったり、
その家老だったりが残した見事な掛け軸とかも残ってるわけですね。
これは当時の江戸時代、当時龍馬がここに多分いたんだろうっていう図面。
これはさっき言ってた沢村という龍馬のお供をした人物の回想録。
ここに富屋の花が出てくるんですね。
だからこれと虎太郎の手紙照らし合わせると、
ここに龍馬が泊まってたんだろうっていうことね。
ちゃんと錦兵衛邸って書いてあるんですよ。
この資料を見るだけでも面白いんですけど、
そういうわけでここ一日一組限定で、
本当にお上さんがほぼ一人でやってらっしゃるような状況なんですよ。
だから一人一組なんですよね。
夕食つけらんないですよ。
なんですけれども、僕がこうやって歴史に興味があるって話をしたら、
この展示資料室も一個一個解説をしてくれたのと同時に、
その人は要は幕末の錦兵衛の何代か後のご子孫なんですけれども、
自分の父親とか祖父が、
当時の錦兵衛邸、まだ幕末なんて残っていた時の話を覚えていて、
当時自分が子供だった頃は、
やっぱり坂本龍馬が泊まったってことは実は知られてなかったと。
だからやっぱり虎太郎の手紙というのは、
タンスの奥の奥にめちゃくちゃ丸められて、
大切に保管されていた謎の手紙が一枚あって、
これが何なのかよくわからなかったんですって。
そのお父さんとかも。
だけどこれはタダ事じゃないんじゃないかって話にある時気づいて、
地元の共同の知事から読んでもらったら、
虎太郎ってめちゃくちゃ筆が悪いんですよ。
字が聞かないんですよ。
特徴的な字で。
これを解読するのも困難だったんだけど、
手紙を読みたらこういうことになってる。
そしてそういえば沢村総務省が錦兵衛邸ってことを言ってるって分かって、
これは龍馬のことだっていうのが後から分かった。
解体されてしまった江戸時代当時の、
本当に龍馬がいた部屋というのも、
やっぱり屋根を選べるじゃないんだけど、
階段を登っていくと、
上から畳で塞がれるような、
なんか防御されるバリアーみたいのが張ってあったっていう、
謎の部屋だったと言うんですね。
それはきっと今から思うと、
富谷錦兵衛は龍馬だけじゃなくて、
そういうちょっと政治犯というか、
人目をはばかるような人物を多く止めていたから、
そういったものを作ってたんだろうというような、
もうオカミさんしか今歴史の証人がもはやいないような、
階級団みたいのも語ってくれます。
こういう資料とかそういうエピソードを語り継いでくれて、
それで今でもそういう想像ができるっていうのは、
いいですね。
いいですね。
だからぜひね、
これはもう龍馬ファンの方は、
ここを目的にするだけの価値は12分にありますし、
かつ後々話す事情によって、
この伊予長浜というのはね、
大津の中のちょっと郊外で、
マイナーな地域なんですけど、
素晴らしい魅力を持っている地域なので、
ぜひここに2泊のうちの1泊は、
こっちに泊まってもらうのはいいんじゃないかと思っています。
富屋錦兵廷さんはですね、
そういうわけでもうオカミさんがお一人でやっていらっしゃいます。
のでもう夕食はつけらんないんですね。
なのでもうすどまりか朝ごはんつきかのどっちかしか、
もう選択肢がないんですよ。
じゃあ夕食どうするんだと。
特に長浜というのはですね、
本当にもう人口が今少ない港町で、
飲食店も本当にポツポツとしかなりません。
だからどうしようかってなった時にですね、
そういう話をオカミさんにしたら、
その場でもうとっておきのおすすめがあるという風に、
電話をかけてくれたんです。
その電話をかけた先というのが、
お食事どころカネヤさんというね、
居酒屋さんだったんですね。
パッと見はそのローカルな居酒屋という感じがしますけど。
メニューを見ると、
長浜名物カワハギのもちゃ。
カワハギが名物なんですか。
魚介がメインという感じですね。
そうなんです。
勤勉手のオカミさんに言わせると、
長浜って港町なので、
魚介の料理が美味しいんですけれども、
特にこのカネヤさんは絶品だということで、
食べに行ったんですけど、
絶品以上の絶品でした。
めちゃくちゃ美味しかったです。
すっごい印象に残りました。
いろんな理由があるんですけど、
まず聞いた時に、
本当に実体験なんですが、
富谷勤勉手のオカミさんが電話をしてくれて、
僕の代わりに予約までしてくれるんですね。
勤勉手のオカミさんが嬉しそうに、
今日は何が魚がありますか?
カネヤのオカミさんは電話越し向こう側なんですけれども、
今日はハモも入ってるし、
フグも入ってるし、うんぬんかんぬんって言うと、
良かった、ハモあるんだ良かったって、
おかやくさんがお酒好きらしいから良かったです、
って話になってくれて、
僕も電話口の近くにいましたから、
良かった良かったって言ったら、
勤勉手のオカミさんが持ってる受話器越しに、
向こうの方が声が大きいのもあって、
そこ越しに僕と向こうのオカミさんとの会話が始まって、
すごい明るいお店なんですよ。
すごい楽しみだなと思って、
ちょっと散歩してから行ったんですけど、
本当に地元に愛される、
地元にあってほしい坂ってこれだよねっていう、
理想系だと思うぐらい、
素晴らしいお店だったんですよ。
料理の話をすると、
もちろん言ったように、
フグ、カワハリ、
こういった類の近海物ですよね、
本当に美味しかったです。
特に弾力があって、
さっきのカワハリのもちゃっていうのは、
カワハリのお刺身に、
肝とかをあえて柔らかくしたものを混ぜて、
それにポン酢をかけるという、
ちょっとさっきの南洋の海鮮のじゃないんですけれども、
生魚を料理した調理法なんですけれども、
酒のつまみですからね、
なんですが、
何より驚いたのはハモでした。
ハモってどういうお魚でしょう?
ハモは白身のね、
よく湯引きされる魚ですよね。
骨が多いから、
身をたくさん切って、
お湯通しして、
ふわっと梅味噌とかで食べるやつ。
最近オドアレでもよく撮れるんですけど、
強料理のイメージがある。
今キーワード言ったと思うんですけど、
なぜハモは強料理の繊細さが生きるんでしょうか?
自宅でなぜ調理が難しいのか。
骨が多いっていうところですね。
小骨が多いんですよね。
だからハモの身を切るっていうのは、
ハモ切り包丁っていうのがあるくらいで、
すごい細かな技術が必要とされるから、
それを卓列したその技術者が持つと、
やっぱり強料理のすごい技術も証明されてる。
ところがですね、
金谷さんのハモはそうじゃないんですよ。
これ愛媛県の松山市が発祥だと言うんですけれども、
わざわりハモっていう技法があるんですね。
これ企業秘密なので、僕も詳しくは知らないんですけれども、
とある松山居酒屋さんがこれを発明したと言うんですけれども、
ハモの骨を丸桜の時に、
そぎ切りに最初からして、
とある技術を使うと、
骨を除去できるっていう技法があるそうなんですよ。
小骨も含めて。
避けられるんだ。
それをわざわりハモっていう技の名前なんですね。
それやると何が起こるかというと、
小骨の存在しないハモっていうのを食べられるんです。
そんなんできるんだね。
もちろん初めて食べました。
これがわざわりハモと言って、
特別な技術とか試験を受けた認定者しかいない。
日本にも何人かしかいないはずなんです。
この店主はそれの技法を持ってるんです。
よく見たら刺身とかがありますもんね。
そうなんですよ。
普通考えられないわけだよね。
そうですそうです。
だから揚げ物、僕は天ぷらでいただいたんですけれども、
それをとってもふわっというふわが2倍にも3倍にも膨らんで、
いわゆるハモとは違うハモを食べたんですよ。
本当に美味しいんですよ、これは。
やっぱ食感とか結構変わってくる。
違う。
小骨もある意味アクセントで美味しいんだけれども、
京都で僕ハモすごい好きなんですけど、
だけどそれ以上旨味の方に意識が集中されるというか、
そういったおつまみの効果もあって、
本当に美味しかった、このハモ。
びっくりしました、こんなものがあるっていうのは。
日本の地方にこういうものがなぜ埋まってるんだろうかっていうのは不思議にならない。
知らなかったな。
もうあの呼びきされた姿しか知らないからさ。
普通はね。
そんなのあんだな。
そうなんですよ。
この技法を持っていらっしゃるので、
もちろんハモはいつ獲れるかっていうのがあるから、
僕は夏に行ったのでね、
偶然食べられたんですけど、
食べられる時もあると思うんですけど、
もしハモがあるタイミングで行かれましたら、
ぜひね、このわざわりハモの何かしらの料理はね、
食べていただくのは絶対的におすすめです。
めちゃくちゃ美味しい。
わざわりハモづくしコース、3800円。
安いよ。
全然高くないですよね。
これめっちゃ安いよ、逆にマジで。
だからハモづくしなんだもんね、これ。
すごいね。
全然これでいいじゃんね。
そうなんですよ。
本当にこのメンバーでも行きたいぐらいの店なんですよ。
すごく安いしリーズナブルで、
名店だと思いました。
ただもちろんこれだけでもとびきりおすすめですよ。
なんですけど、
感動した要素が他にもいっぱいあって、
さっきおかみさんの話フライングでしちゃったんですけど、
ホスピタリティがもうね、
今まで行った店の中でも尋常じゃないくらい印象に残ったんですよ。
何がいいかって、
こういうお店ってさ、
ましていいよ長浜なんて泊まる人ってほぼのいない街だと思うんですよね。
だから僕みたいに7月の平日にフラフラしてる人間なんて基本いないわけで、
多分その時も僕以外全員地元の人でした。
お客さん。
それこそ漁師町なので、
漁師の方って朝早いじゃないですか。
夜も早いから、
多分4,5時から飲んでたと思うんですよね。
真っ赤になったお父さんみたいなのが隣にいたりもしてるんですけども、
だからまあよくある地元のローカルな居酒屋。
おだわりもありますし、
それはそれですごい楽しいからね。
いいんですけど、
普通さ、
いくら予約をしてるとはいえ、
よそ者ですよ。
よそ者もよそ者ですよ。
だとしたら、
ある意味ちょっと、
よそから来た方ってことでいろいろ進めるじゃないですか。
だけどね、
僕がびっくりしたのは、
これ人の好みあるかもしれないけど、
僕はすごく温まったんですけど、
店に入って、
当時予約してたの僕しかいなかったんですよ。
多分平日普段使う。
ただ、
オン予約席みたいなもちろんあったわけなんですけども、
そしたら、
僕が何を言う前に、
さくらはるやさんですよねって言われて、
それ以降、
僕ずっと名前呼びだったんですよ。
地元の人みんな、
きんちゃんだったかな、
ひょうさんだったかちょっと忘れてたんですけど、
地元の人らはみんな知り合いのお客さんばっかりなんだけど、
僕もその地元のみんの一人として扱ってくれたんですよ。
っていうぐらいの感じで、
もちろん自分ないんだけども。
一緒に相撲とかNHKの中継とか、
地元人と一緒に見ながら、
両親の人は早いので帰っちゃうんですけど、
その後もずっと名前呼びなんですよ。
お客様じゃなくてさくらいさんなんですよ。
初対面ですよ、もちろん。
意外とないよね、そういう。
ないな。
それがすごく、
嬉しいというのとはまた違うんだけど、
嬉しかったんだけど、
いい意味ですごい違和感を覚えたりとか、
こういう店すごいなって思って、
でもそれを、
何か両両しくさくらいさんって言われたらあれなんだけど、
そのおかみさんの明るさがすごくて、
あと、大将も中で調理過ごしてるんですけど、
最後出てきて色々話したら、
そのいぶし銀な感じもすごく温かいいぶし銀で、
よくって、
とにかく人をちゃんと見て、
人を大切にする居酒屋さんなんだなって思った、
何個あったんですけど、
その後に両親の人たちが、
早いからおにぎりみたいのがあったんだけど、
それを持って帰るというふうに、
途中から言い始めて頼んだんだけど、
言ったら、
私が握ってあげるからそれを待ってるだけでしょ、
とかいじりいじられつつで、
両親たちも楽しみながら、
おにぎりを持って帰ったりとか、
地元の高校生みたいな子たちが寄って、
おにぎりだけを持って家に自転車で持って帰るとか、
そういう地元の本当にお惣菜屋さんじゃないけれども、
そういったものありながら、
僕のような変なよさ者にも対しても、
すごくは高く接してくれて、
もちろんよさ者が知りたがっているような、
大津の魅力だったりとか、
お酒の話とか、もちろんハモの話もね、
たくさんしてくれて、
観光客が求めているような、
観光客に対する情報も提供してくる同時に、
地元民としても扱ってくれるっていう、
すごい不思議な密だったんですよね。
特に天使ご夫婦も印象的だったんですけれども、
高校生の女の子がアルバイトをしていて、
その方もすごく明るくて、
はきはきして、
すごい気持ちのいい方で、
高校生と思えないぐらい素晴らしい方だったんですけれども、
その子はご実家もあるし、
高校生だから、
8時か9時ぐらいに帰らないといけないという風になって、
上がるって時にも、
上がっていいよみたいな時に、
すごく家族みたいに、
自分の娘みたいに接していて、
っていうのは思ったんですよ。
この後、お母さん迎えに来るかとか言って、
お母さんが車で迎えに来たりとかして、
後に、
本当に温かく、
こんな店に多分バイトできたら一生の思いになるんだろうな、
っていうような密だったんですよね。
しばらくここで飲んだ後に、
10分くらいある時に、
ファミマーかローソンか忘れたんだけど、
コンビニがあった時に、
コンビニの中で、
僕がアイスクリームと水みたいなのを買って、
コンビニに出たんですよ。
したら、
駐車場のゴミ箱の前に、
何人かいるなと思ったら、
桜井さんって言われて、
何かと思ったら、
そのアルバイトの子がいたんですよ。
何してるのって言ったら、
私はあのバイトの後に、
バトミントンの練習、
そこが体力館でバトミントンをやってるらしいんですけど、
練習した後なんですよ。
今みんな友達と飲んでます。
高校生の子たちで、
みんなクーリッシュを食べてる。
夜9時くらいに。
そのアルバイトの子ですら、
僕の名前とか覚えてくれてたんですよ。
まして、
普通居酒屋の一元の客なんて、
覚えないし、
だから話しかけないじゃないですか。
怪しい風邸の30歳の無職が来たところで。
だけれども、
話しかけてくれるし、
周りの友達みたいに話したんですけど、
その高校生の方ももちろん、
そういった個人の問題はあるけど、
やっぱりああいうお店で、
ああいう姿を見てるからだろうなっていうのがあると思うし、
そこも含めて、
こんな店が本当にあったら、
これ本当に市長の思い出になるなっていうような、
コスピュラリティという観点でね、
これまで紹介した店は、
ちょっととびきり印象に残ったお店だったんですよね。
なんかそのバイトの子にも、
その店の文化が染み込まれてるのがすごいですよね。
すごいと思いました。
やっぱり大将とお上さんの温かさとか、
それがある意味当たり前じゃないんだけど、
当たり前なんでしょうね、
そのお店としてはね。
これは創業90年以上って書いてますけれども、
もしかしたら僕の知らない先代先々代が、
そういう店を作ったのかもしれないし、
でも上盛りだけでも一級品なのに、
コスピュラリティがさらに上回ってくるっていうね。
いやー、いい店だなって本当に思いましたね。
いいなー。
旅の途中にこういうのを巡り合えたって、
すごく大きいんだよね。
その話聞いてこの外観見ると、
やっぱお家の感じがね。
そうだね。
やっぱなんかアットホームな。
そうそう。
本当にアットホームな感じがあるね。
いいっすね。
これもうめっちゃ行きたいですまた。
私実はちょっと翌日の予告になるんですけれども、
なんでカンネヤンさんこんな素晴らしいお店なんだろうって、
純粋に興味を持ったのもあって、
結構僕一人になってから色々話してくださったんですけど、
日本酒飲みながらって時にね。
実はそのアルバイトの方がそうかは、
僕はちょっとわからないんですけれども、
実はこの辺りにはね、
長浜高校っていう地元の県立高校があるんですよ。
とある理由があって、
その県立高校には寮生活をしている子が多いんですね。
愛媛の県立高校なんだけど。
よそから来る方がすごく多いんです。
で実はこのカネヤンさんは、
飲食料をやってるのとは別に、
その長浜高校の寮生活をしている、
遠方から来ている一人暮らしの子たちのための、
食事の提供のサービスみたいなのも、
もう自発的にほぼボランティアなんじゃないかと思うんですけど、
やってらっしゃる。
だからそういうところにもやっぱり、
本当に人情の温かさというか、
そういうのを宿ってるお店で、
これがですね、
ちょっと2日目の非常に大きなポイント。
このカネヤンさんに行ったことによって、
僕はね、
さらに大津の深みにハマっていったあるきっかけがあったんですね。
というのをちょっと2日目に話していきたいと思うので、
ぜひこのカネヤンさんの話は覚えておいていただきたいと思います。
なるほど。
なんか意外なとこから伏線が。
そうなんですよ。
長浜は本当に飲食店が少ないので、
たぶん一気に行ったら、
実際終わりになっちゃうと思います。
ですが、このカネヤンさんはぜひね、
僕はオカミさんがやってくれたし、
運よく当日で取れましたけど、
全然翌日の長浜高校の教職員の方々の、
夏の会があるとかで、
もう全然予約が取れない。
もう貸し切りみたいになっちゃって言ってたんで、
僕平日でフラフラ言ってそのざまですから、
ぜひ予約をしてほしいし、
僕ぜひ本当に今度誰かと行くときは、
波紋尽くしコースをね、
もう予約していきたいと思います。
なので、でもここはちょっとね、
行く行かないで本当に髪の印象が大きく変わるような、
特別な店だと思いますんで、
ぜひこのお食事所、
カネヤンさんブックマークしておいてほしいなと思います。
カネヤンさんから富谷勤兵庫は徒歩7分ほどで帰れますので、
あとはじっくりね、
龍馬たちの思いに浸りながら、
宿で過ごしてもらえればいいかなと思います。