1. 大人になりたい旅がしたい
  2. #164【伊予大洲】温もりと風の..
2026-10-09 1:06:04

#164【伊予大洲】温もりと風の通りみち Part1前編

夕陽のむこう、約束の橋 温もりと風の通りみち1日目後編


晴也です。これは個人的な話です。

十年前、ひとつの忘れられない情景に出会い、私はこの町に惚れ込みました。

そして、


”地域を愛する”とは?

”地域で生きる”とは?


私にとって人生の大切なテーマを、この町から教えてもらいました。

日本の地域社会のこれからを考えるうえで、大切な示唆と希望を与えてくれるこの町の魅力が、一人でも多くの方に届きますように。


【目次】

~ イキセカさんのイベントにお邪魔しました!

~ コーステーマの発表

~ ★旅のはじめに★ なぜ、私はこの町に惚れ込んだのか

~ 大洲が誇る”ちゃんぽん” その正体とは……⁉ 【美ゆき 大洲店】

~ 日本最高峰の清流”肱川” 川と共に生きた人と歴史 【大洲市立博物館】

~ 大洲のシンボルはただの城ではない! 日本初の役割と魅力とは 【大洲城】

~ ★コラム★ 数々の奇跡が結実した”完全木造復元天守” 一大プロジェクトは市民の想いの結晶に

~ 配信が遅れて申し訳ありません……!


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サマリー

旅系ポッドキャストのイベントに参加した話を挟み、愛媛県大洲市だけで2泊3日を過ごす旅の意義が語られる。大洲は松山と宇和島の中間にあり、肱川が市の中心を貫く「川の町」で、伊予の小藩分立による独自の文化や歴史を持つ。初日の昼食では老舗「美ゆき 大洲店」の、そば飯に野菜や肉、宇和島の小エビを加えた大洲発祥の「ちゃんぽん」を紹介する。続く大洲市立博物館では、肱川の水質や水運、宇都宮氏・藤堂高虎・脇坂氏・加藤氏による城下町の変遷を学ぶ。大洲城は肱川の蛇行を天然の堀とする大洲の象徴で、日本初の城泊サービスを始めた城としても紹介される。さらに、明治期の写真と江戸時代の天守雛形をもとにした完全木造復元、地元材の利用、市民参加と5億円の募金によって実現したプロジェクトの経緯が詳しく語られる。大洲城は市民の誇りや愛着の結晶となり、現在は歴史展示だけでなく宿泊体験にも活用されている。

旅系ポッドキャストイベントと大洲2泊3日の旅
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデル構想を紹介していきます。旅のお供はこの2人。
旅が生き甲斐ないローカルトレジャーコレクター、はるやです。 ディープな旅がしたいけど、知識がない旅行初心者、うちらです。
ちょっと前の話になるんですけど、8月の8日なんですけど、この日ね、なんかね、旅系ポッドキャストのイベントで的な感じ? たまたま重なってただけなんですけど、っていうのがあって、僕はちょっとそれに顔を出していたので、ちょっとそれの話をね、今回のコースの冒頭で言っていこうかなと思うんですけど。
まず1個目行ったのは、生きせかさんの公開収録。 生きたくなる世界遺産さんですね。 まあ同じ旅系としてね、割と前から仲良くさせてもらったんですけど、そちらの公開収録が、アマゾンミュージックスタジオ東京っていうね、渋谷の代々木公園のすぐ手前のところ、NHKの近くのところでやられていたので。
すごいよね。 そちらに顔を出してまいりました。実は去年もね、同じところで公開収録されてて、去年はモンサミシルを提案していて、今回はサグラダファミリア。 もう本当に王道というか。
そうね。だしちょっとホットな感じがあるしね。 そうだよね。いよいよって感じだもんね。 そう、ついこの間一番高い塔の建設が完了したと。この後も工事続くみたいですけど、かなり目立つものができたということで話題になってましたけど、そちらをテーマに公開収録をされてきたということで。やっぱすごいですよね。こんなところで公開収録できるのすごいなって。
そうだよね。だってこれ本当にプロのさ、芸能人の方とかさ、使ってるところですよね。多分僕が唯一芸能人で聞いてる有田のここだと思うんですよ。 そうなんだ。
うん。すごいよね。 すごいよね。でですね、普通に席について聞いてたんですけど、こんにちはって声かけられて。 愛知市さんから? 違うんですよ。観客席の方から。あれ誰だと思ったら渋沢くんFMのみんなでサウナという番組のパーソナリティーされてる土居さんがいらっしゃってて。
あ、そうなんだ。 そうなんですよ。実はこれ収録されてる期間、8月の期間かな、みんなでサウナと生坂さんがコラボで配信をされてるんですよ。それの繋がりでたぶんいらっしゃってたんですけど、なので生坂さん2人と僕と土居さんと4人で写真撮ったりとかね。
明らかな場違いが1人。 いやいや、そんなことないでしょ。 良くないですね。 深井いやでもそう、4人で写真撮らせてもらったりとか。 見ましたよ。なんかだらしない表情してると思いました。ニヤニヤして。 いやでも汚いよね。
はい。そうです。大きすぎになった。 いやーちょっと改めて自分の写真見るとね、もうちょっと綺麗にした方がいいなっていう気持ちにはなったけど。 彼女にはそっちのこと欲しいですよ。小田原とか行ってるんじゃなくて。 そうね。僕この1年でも結構太ってるんで。 太りましたね。 太りましたね。ちょっとそういうのも含めて反省もあるんですけど、そんなのはどうでもいいですよ。
はいはい。どうでもいい。本当にどうでもいい。 いや本当に生坂さんすごい。内容は配信をされてるので、そちら聞いていただければと思うんですけど、すごいですね。憧れというか。ランキングもすごいしね。
だしやっぱり世界遺産ってすごい、それこそ桜田ファミリアなんてね、おそらく多くの人が知ってるメジャーなテーマですけど、そのメジャーなテーマの中にこう面白さを掘り起こしていく。しかもそれが我々の時間を込めてじゃないですけど、結構簡潔明瞭におっしゃってるじゃないですか。長くないじゃないですか1ヶ月半。 そう、30分くらいかなと。
そうそうそう。だからそれがやっぱりすごいなと思うし、お二人のイベントの企画力だったりとかっていうのも含めて本当にすごいですよね。 さすがちょっと見習いたいというか、というふうに思いましたね。 まず比例を剃るところからですね。 いやちょっとアイデンティティーみたいなところがある。
ということで、他のイベントにも顔を出したので、そちらはまた次回以降話していこうかなと思います。ということで今回からまた新しいコースというふうになりますが、今回のコースのタイトルは何でしょうか。
はい、今回からご紹介するコースのタイトルは、夕日の向こう約束の橋、ぬくもりと風の通り道です。なんかあったかい雰囲気のタイトルですね。 そうなんですよ。
これはどちらになるんでしょうか。 これは本当にタイトルだけじゃ全然わからないと思うんですけれども、愛媛県なんですが、愛媛県の中の大洲市という一つの市だけで2泊3日をする旅のプランになっております。
なるほど。ちょっと大洲市は僕は聞いたことないのかな。 そうではないはずなんですよ。なぜなら行ってるからです。
なるほど。 つまり今あの時の横のこと何も覚えてないというのがわかってしまったんですけれども。
それはまたこの後すぐ話しますから。ということで早速ご紹介の方よろしくお願いします。
一つの市あるいは自治体だけでやるという意味においては、以前東京都北区さんのプランやらせてもらったりとか、あるいはこの間秦野もそれに近かったかもしれませんけれども、2泊3日でやるのはおそらくこのポッドキャスター史上初めてだと思います。
ああそうか。 一つの市だけを2泊3日でやるのは。小笠原浦はちょっと例外だね。あれは一応そうなるんですけども。
そうか。確かにね。1泊だったんだね今まではね。 そうですね。北区さんとかを1泊でやらせてもらったんですよ。
それは当然もちろん範囲が狭いからっていう風にもちろんなってしまうからではあるんですけれども、なんでじゃあこの大洲市を2泊3日でやるのかっていうことなんですが、
実は僕結構今回のコースはですね、結構重要な意味を持ってるコースでして、僕日本にいくつか住みたいと思うほど心から惚れ込んだ街っていうのが日本にいくつかあるんですよ。
今までもねたびたび松江とか。 そうですね松江がそうですね。松江だと森路かこれまでやったことでは。
あとは実はちょっと意外とまだ出てなかったりするんですけど、6,7個ある。小田原がそうなんですけどね。その中の1つなんですよ。愛媛県大洲市というところは僕は本当にこの街に出会ったことが、ちょっと大げさな言い方になってあまり好きじゃないけど人生の本当に転機になった部分もちょっと一面ではあって、
自分の人生にとってはちょっとかけがえのない大切な街なんですね。それをどうしてもいつかやらなければいけないなと思っていたタイミングで、あとは愛媛県がちょっとまだやってなかったっていうのもあってですね、やるタイミング伺ってちょっと今今回この話をさせてもらおうかなと思っていた。
なので多分大洲市って言ってそもそもどこで何があるのかってわかる方ってあまりいないと思うんですよ。四国の方はわかるかもしれないけどね。だけど愛媛と言うともちろん松山だったりとか宇和島だったりとかそういった方が有名なんですが、なぜあえて大洲というものだけで、大洲市だけでしかも2泊3日のプランを立てたい。
そしてなぜまあこれは個人の主観ですけど本当に親族を惚れ込んだ街なのかということをちょっと丁寧に話していきたいなと思って今回こういったプランを立てさせてもらいました。
愛媛の地域差と大洲の位置
まあ愛媛はね、我々大学卒業旅行ですね。僕も卒業しなかったですけど。の時に3泊だっけ?
いやあれがね今思えば信じらんないんだけど2泊なんだよね。
2泊で四国をぐるっとしたのか。
信じらんないよね今思えば。
すごいね。
よくやったのと思われながら。
でもほぼ運転だったもんね。
っていうのでそれのゴールが松山だったね。
そうでしたね。
なので行ったのはもちろん覚えてるんですよ。
愛媛自体にね。
松山行ったし多分松山だったと思うんだけどその道路の脇にねヤシの木みたいなのがすごく並んでてちょっと南国感ある街並みっていうのは覚えてるんですよ。
松山と今治の間の道路ですね彼は。
そうだ今治も行ったね。
っていうのは記憶にあります僕は。
愛媛県って単位で見ると内田自身も来たことがあるし。
あと愛媛県どうですかイメージとしては来た時の体験でもいいですけど。
そうね愛媛なんだろうな。
みかんとかね。
そうですよねみきゃんにもねみきゃんちゃんも有名ですけど。
ゆるキャラのね。
とか今名前出た宇和島とかって言うとやっぱ蛇骨展とか。
そうですね。
これ結構居酒屋メニューであったりとかしてるよね。
美味しいですよね。
美味いねとかなんじゃないですかイメージ的に。
四国四県ねこのポートジェット実は結構四国もねかなり早い段階からやっていて。
あえてむしろ愛媛を最後に回してたというか。
ちょっと思った以上に四国があっという間にやっちゃったので。
四県しかないじゃね。
そうなんですけど最後に残った愛媛県。
今言ったとおりみかんだったりとか。
あと伊予間なんていうものはありますけれども。
そもそもこの伊予間の伊予というのは伊予の国というのが愛媛県のことなんですね。
ですからそういった名前になるくらいやっぱり柑橘類でイメージされる方も多いでしょうし。
蛇骨展の話さっき出ましたけれども愛媛県って広いんですよね非常に。
確かにね。
この指差してるみたいな形でしょ。
四国の北西部一帯を占めている広い県で。
国としては一国で伊予の国だったんですけれども。
結構広い分地域差が激しいところでもある。
例えばそれで言うと鯛飯名物でありますけど。
鯛飯って言った時に愛媛の鯛飯って全然違うんですよ。
ざっくり言うと松山今治方面は釜の中に鯛の塩焼きを入れて。
それで鯛の出汁で丸ごと焼いた炊き込みご飯。
だけれども宇和島の方に行くと鯛のお刺身をご飯に乗せて生卵を溶いて薬味を入れてっていう。
ちょっともうやっぱ九州っぽいんだよねどっかね。
琉球とかヒューガの文化に近い僕は思うんですけど。
だから全然見た目も味も食感も違うんですよ。
鯛丼みたいな感じだね。
もう実質そうです。
鯛の海鮮丼って言った方が早いかもしれない。
ってくらい違うんですよね。
これがまたそういった文化が起こった背景として言えるのが。
これがまた伊予の国は僕が思う日本でも有数の面白い小藩分立国なんですね。
覚えてますでしょこの話。
小さい藩が密集して出るので強い権力者がいないって感じですよね。
なので独自の文化が醸成されやすいっていう話を今までもしてきましたね。
おそらく文後の国大分県の話をした時にその話をしたと思うんですが。
福島文後水道を挟んで隣の県である伊予と文後なんですけど。
伊予の国は松山がやっぱりもちろん昔から強くて。
松山藩っていうのは徳川の不大の藩として結構存在を重きを成しましたが。
今治藩というのはまた別にありましたし。
一番愛媛の藩の中で教科書的に名を残したってみると宇和島藩ですね。
宇和島藩は伊達家です。
そうなんだ。
ついこの間やったばかりの宮城。
宮城の時話しませんでしたけど。
宇和島藩の藩祖である伊達家。
伊達家の宇和島藩の藩祖は伊達正宗の子供です。
伊達家は忠宗というのが追放でに祀られてる仙台の二代目になるんですけど。
そのお兄さんが実はいたんですね。
そのお兄さんの方は仙台の家族を継がずに。
文家ではないんだけれども。
領地を分けて宇和島藩として独立したんですね。
なんで宇和島伊達家っていうのがあるんです。
だいぶ離れてるんだね。
だいぶ離れてます。
一貫してこの宇和島伊達家が治めて幕末の頃に伊達宗なりっていうすごい名君が現れて。
非常に明治維新の政局にも大きな影響を与えた大名として有名な人物で。
宇和島藩はそこからすごい多くの学者だったりとか優れた人物を輩出したということでね。
ぜひ宇和島も本当は宇和島でちゃんとやりたいぐらいなんですよね。
っていうような小藩分立国で。
この大津という京は使うところもまさに大津藩という小さな大名がいたところになってるので。
愛媛県の今の主要都市はほとんど別の藩です。
だからそれぞれのタイ飯に象徴されるように一定の気候風土は同じなんだけれども。
文化とか教育とかっていうのでは全く違う個性を持った都市が育ったっていうのが。
愛媛小藩分立国の面白さだなっていうふうに思いますね。
だからこそ今回みたいな大津市だけで二泊できるぐらいの魅力があるってことね。
おっしゃる通りです。
本当に僕伊予の国全体が大好きで。
それこそ我々も松山今治楽しかったと思うんですけど。
本当だからそれぞれの市で二泊三日が本当にできるんですよね。
だけどちょっとやっぱり筆頭として僕のポイントキャストでやるんであれば。
この大津というものはちゃんと時間をとって話したいと思った。
というのが今回の動機になっています。
なるほどね。
ここまで話したので早速であるんですけれども。
この大津市というのがまずどこにあるかというのをちょっと見てみましょうか。
肱川が形づくる大洲の町
さっきみたいに指さした形をしてるって言いましたけど。
それの人差し指の根元だね。
そうですね。おそらくうちらが指と言ってるのは定岬のことなんですけど。
それの根元。
これシンプルに言うと松山と宇和島の中間地点なんですよ。
宇和島はどこにありますかね。
宇和島は南側ですね。
そうですそうです。
結構だから高知に近いですよね。
もう隣ですね。
で松山は上の方でこのちょっとボコっとなってるところの根元付近ですかね。
そうですね。
これのちょうど中間地点が大津になるので。
このグラデーションのかかった地域というのが実際のところなんですね。
なのでアクセスで言うと松山空港、松山中心部からは車で1時間ほど。
宇和島までも車で40分くらいかなっていう感じのところになるので。
そういった位置関係にあったりします。
大津市の形を見てもらうとわかる通りで。
四国って実は産地がめちゃくちゃ多いんですよね。
これは土佐の時に話したかなと思うんですけど。
四国三脈というものが本当に広くて大きいですから。
そこから瀬戸内海にかけてのエリアをこの大津市。
なので山から海まで全部あるっていうのがまた魅力なんですけれども。
そういった町になっているんですね。
なのでですね。
この大津の町を語る上でというのはこの位置関係とも非常に大事なんですけれども。
今回ですね。
キーワードになってくるのは川です。
これちょっと地図寄ってみるとですね。
なるほど。
この大津市のど真ん中を貫いてますね。
ひじ川っていうやつですね。
これがもう本当この市の真ん中を南東から北西にかけて貫いてる感じだね。
そうなんです。
本当に四国三脈の山の方から源を走っていて。
で間に大津市の中心部を通って蛇行を繰り返しながら海へ注ぐ瀬戸内海へ注ぐというこのひじ川という川。
これに沿ってちょうど市もね。
もはや型取られているんじゃないかというくらいね。
見事に真ん中を貫いてるんですけれども。
大津というのはね。
川の町です。
なんか今までも川の町結構あったけど。
今回もそういう感じだよね。
特にそのエッセンスが強いというところなんですね。
このひじ川今回ネタバレになりますけれども。
2泊3日この大津市だけで本当にすべて大津市の中で完結しますので今回のコース。
上流中流下流という風に順番はちょっといろいろ前後するんですけれども。
それぞれの魅力というものを堪能できるようにですね。
お話をしていきたいと思います。
逆にそれだけこの大津市の中をとってもひじ川のどういった側面に町がコミットしたかということによってできた魅力が変わってくるというね。
そういった多彩な顔だというのがこの大津市なんです。
ということでね。
ちょっと詳しい内容はこれから話していくので。
ちょっとコースに入っていきましょうか。
そういうわけで先ほどちょっと話したんですけれども。
愛媛県に旅行をされる場合なんですが。
東京から行かれる場合であれば飛行機で行くのが無難だと思います。
愛媛県には県庁地帯地の松山市からわりと近く車で大体30分くらいのところに松山空港がありますので。
ここを目指していただくのが一番いいかと思います。
関西ですとか九州の方面あるいは山陽の方から行く方であれば電車でアクセスすることも可能です。
この場合ですと瀬戸大橋を渡って松山まで行く特急ですね。
西日本と四国の特急というものを乗り継いでいただくパターンがあるかなと思いますので。
岡山駅まで行って岡山経由で四国を渡っていただくというのが一番無難なルートかと思いますが。
結構時間もかかるので。
僕やっぱり愛媛は飛行機で行くのが一番いいかなというふうに思います。
なので今回も一旦松山空港を起点でお話をしていきたいというふうに思います。
最初に注釈めいていて恐縮なんですけれども。
このコースというわけで大津を2泊3日でご紹介するわけなんですけど。
今回できるならば曜日と日付を指定させて欲しいと思ってます。
この2泊3日は毎月第3金土日で行っていただきたいんです。
特に毎月第3土曜日に大津へ行く理由というのがめちゃくちゃ大きいんです。
僕は初めて大津行ったのは10年前大学3年生の秋に初めて僕は行ったんですけど。
この時とある出来事があって大津という町にもう心底惚れ込みまして。
いつか必ず再訪しようと思った時にこの第3土曜日に行く意味というのは当時は知らなかったんですけど。
色を調べていく中でこの第3土曜日に何があるかというのを知って。
今回あえて会社を辞めてから第3土曜日に行くために日程を組んだほどでした。
ですのでこのコースになぞらえるならば金土日つまり2日目が大事なんですね。
なんですが土日月でもいいんですけどやっぱり第3土曜日めちゃくちゃ大きなイベントがあるので。
ぜひそこをちょっと目がけていて欲しいと思ってます。
そうか中身にしておいた方がいいってことね。
僕はそれがオススメです。
今回は一旦このコース上はドライブコースにしました。
ただですね僕は実は大洲はですね後で話すんですけど。
大学生の時10年前ですちょうど今から初めて行って。
そこで見たとあるいろんな出来事がそこであって惚れ込んだわけなんですけれども。
そして僕会社を辞めて行こうと思ってたのって僕小笠原諸島の男の大洲だったんですよ。
僕大洲にですねとある理由があって7月1週間ほど滞在してきたんですね。
その体験を元にして話すと愛媛はね車でもいいし車の方が利便性はあるんだけど鉄道も捨てがたいんですよね魅力が。
特に岩田物語っていうようなね海沿いを走っていく路線とかあるんですけれども。
このね松山から大洲へ行く時に海の方を走る線路の方に乗っていただくともうそれはそれは綺麗なねその車窓からの景色があって。
いやーあれは感動するんですよすごく。
本当に一人二人車でコトコトコトコトって平日の朝の車両なんですけど。
なんかこう本当に遊んでリズムを刻むようにちっちゃなディーゼル車がコトコト乗っていく中でトンネルをフンフンフンって行くその窓の先に岩田の真っ青の海が広がっていて。
波も立ってなくてその中にカモメがバーって時折群れをなして行っていくとか。
やっぱ愛媛とか瀬戸内海のね瀬戸内の本当に暖かくて漁場を感じる景色っていうのはね鉄道でも捨てがたいんですよ。
なるほどね。
なので僕自身は車でも行ったことあるし鉄道でも行ったことあるのでどっちとも言いがたいんですが今回無理やり2泊3回お勧めようとしているので車にします。
なるほど。
はい。
じゃあ余裕があれば鉄道を使っていただくのもいい?
大丈夫です。
大津の城下町自体は鉄道でも行けます。
逆に今回2泊3回鉄道じゃ厳しいところもあるのでそこはそうというふうに言いますのでそこはカスタマイズをしてもらえればと思います。
一旦車でお話をしますと松山空港でレンタカーを借りてください。
そこから車で1時間ほどで大津の市街の中心部に着きます。
大洲発祥のちゃんぽん
まずね11時頃に松山空港に着いた想定でいますのでお昼ご飯を食べに行きたいと思うわけですね。
最初に行くのが三行大津店です。
何だこれは。
チャーハンっぽいけど。
食べ録でねそのチャーハンっぽいのがめっちゃ写真載ってますよね。
でもなんかソースっぽいんだよな。
ちょっと拡大してみましょうか。
蕎麦飯っぽいんだよねこれ。
はい。
ちゃんぽんって書いてある。
そうなんです。
へー。
これね大津とか八幡浜もそうなんですけれどもこの辺でねちゃんぽんっていうメニューが多いんですよ。
へー。
でちゃんぽんって言うとどういうメニューですか。
いややっぱあの長崎のねリンガーハットとかでみんな食べてると思うんですけど。
あれは豚骨ベースなのかな。
まあそうだね。
にまあ魚介の出汁とかいろいろあって野菜盛り盛りの麺ですよね。
そうですね。
まあいわゆる長崎に中国から連来した料理の一つですけれども。
まあ今言ったようにねお肉系のスープのもとに野菜だったりあるいはエビとかをね現地に載ってますけれども。
そうね。
そういった海産物とかを乗っけて豚肉を炒めたりしてね。
まあ要は野菜炒めと麺とスープがあって。
いわゆるちゃんぽん。
はいはい。
でまあお酒の名前で言えばいろいろ混ぜ込んじゃうみたいなのがちゃんぽんで。
あーそうね。
それも意味としては一緒なわけですよね。
いろんなもの混ぜ込んじゃう。
そうそうそう。
長崎の漆黒文化というかね。
はいはい。
というのがあるわけなんですけれども。
この大澄みゆきのちゃんぽんこれどうですか。
これはだからそういう意味で言うと米とこういう麺も入ってるしね。
でまあいわゆるちゃんぽんの具材っぽいやつも混ざってますね。
そういう意味ではこれも混ざってるよね。
うん。
だけど決定的な違いもありますよね。
なんかねソース色なんだよなこれ。
はい。
これはソース味なんですかこれ。
そうなんです。
へー。
これねちゃんぽんっていうメニューなんですけど。
うん。
東京の人にじゃあこれ何ですかって説明しようとしたら。
いわゆるそば飯なんですよ。
そうだよね。
焼きそばと米を混ぜ合わせたチャーハンみたいなものね。
そうそうそうそう。
結構ガッツリ系のね美味しいグルメですけれども。
それをねこのみゆきさんではねちゃんぽんという意味に出してるんですよ。
へー。
でおそらくそのちゃんぽんという名の由来は今言ったミックスというのが語源だと思うんですけど。
うん。
まあ食材としては見てくれた通り。
まあお米おそばこのそば飯ですよね。
はいはい。
そこにキャベツとかのお野菜が乗っていて。
うん。
あとまあお肉も乗っている。
うん。
そしてエビがあるんですね。
入ってますね。
これも大事なポイントなんです。
はいはいはい。
このみゆき大津店さんはですね大津市内に創業して数十年にわたる老舗のお店です。
うん。
で大津が創業店なんですけれども松山の中心部とあと宇和の方にもねあって。
なのでチェーン展開してるんですけれども。
うんうん。
まああの大津発祥ということでねあえてやっぱこの店に行きたいという風に思います。
はいはい。
で実はねこのお店はシンプルに言うと鉄板焼きのお店なんですね。
ほうほうほうほう。
ですからちゃんぽんがすごい有名なんですけれども。
ステーキだったりとかあるいは粉もんだったりとかそういったものも揃ってるんですよ。
うーん。
まあそうね今メニュー見ますとまあちゃんぽんがねやっぱ一番上にありますけど。
うん。
焼き飯おむめし焼きそばおむそばその下にお好み焼きがありますね。
はい。
で肉料理ということでステーキとか牛バラたれ焼きとかね。
ああ確かに鉄板焼きだな。
うん鉄板焼き居酒屋なんですよ。
うんうんうん。
なんですけどまあそうやって鉄板焼きのお店をやっていた中でですねある時そのお客さんの一人がこのそば飯的なものを食べたいという風なリクエストをしたそうなんですね。
ほうほうほう。
でただのそば飯を作っただけだったら。
うん。
それはそれで美味しいのは間違いないけれどもまあ大阪とかにあるね。
まあそうね。
そういったものと同じになっちゃうところなんですけど。
うん。
実はねこのちゃんぽん意外かもしれないんですが。
はい。
このお店がすごく大切されてるのはエビなんですね。
ほう。
このエビは上海これ宇和島の方なわけですけれども。
そこで問える小エビを旨味を引き出すということにめちゃくちゃ頑張ってらっしゃる。
じゃあ意外とこのエビがメインなんだ。
そうです。
へー。
もちろん分量で言えば全然そばとかお米の方が多いので主役とは覚えもつかないかもしれないんですけど。
うん。
なぜこのちゃんぽんを作ったのかって話を見ていくとこのエビの旨味っていうのをめちゃくちゃこだわってる。
へー。
だからやっぱこれは愛媛の宇和島の方の上海の恵みというものをちゃんと食卓の上に表現しようという試みもあったそうなんですね。
へー。
でも実際やっぱり海鮮の風味っていうのはやっぱりどことなくするんですよ。
はいはいはい。
でソース味も甘口辛口って選べるんですけれども僕は基本甘にしちゃうんですけれどもお勧めされた。
なんですけどやっぱりその中でエビのこう塩味っていうのも確実に存在感があって。
やっぱりいわゆるそば飯よりもさらにこうちょっとおどく感があるというか味のバリエーション飛んでいるような気がするんですよ。
へー。
うん。
いやなんかやっぱそば飯のイメージだとソースの主張が強いのかなっていうね。
気はしちゃうけど。
うん。
でもちゃんとエビの風味も感じるんだね。
ありますあります。
うん。
これがやっぱりこの三浴さんのちゃんぽん。
へー。
でもちろんあのこだわっておきますが汁物ではないので。
はいはいはい。
はいそば飯というのが近いんですけれども。
これねぜひねやっぱ大津のグルメの名物としてね入りとしてはいいんじゃないかなと思います。
へー。
これなかなか大津じゃないとちゃんぽんという名前は出てこないと思いますので。
ぜひね召し上がっていただければと思いますし。
皆さんに朗報がありまして。
はい。
昼から飲めるんですね。
まあ鉄板焼きでさ。
まあねー。
しかもこのすごい風化かあるお店で。
で僕大津一人でしか行ったことがないものですから。
いつもカウンター席なんですよ。
で逆にそうすると大将が目の前でね鉄板でやってくれるわけなんですよ。
はいはいはい。
こーれはさー。
飲まなきゃいけないじゃないですか。
まあやっぱソースの匂いでねだいぶ刺激されるよね。
されますよね。
あとそのちょっと焦げた感じも含めてね。
ランチビールのね。
いただいて。
隣に市役所の方々がいたんですけど。
それを横目に平日からねフリーターが飲んでると。
いやいいなー。優越感だね。
でもこれやっぱ飲みたいですよね。
まあねー。
でやっぱ酒にも合います。ビールですよやっぱね。
ちょっとドライバーだけ用意してもらってね。
雇いましょう。
私まあ今回行く車で行かなきゃいけないところじゃないところだけ行くんであれば最高です。
特に夏がいいっす。
いやーそうだよねー。
僕7月の10から17くらいで行ってたんで。
海の日被らないくらいまで行ってたんでもうすごかったですよ。
暑いんだよ。大津ってぼんちで暑いんだけど。
たまんないっす。
いやー確かに暑いからこそのメニューな気がするね。
だしちょっとお祭り感もあるんだよね。
そうだよね。
屋台感もあって。
なのでまあねあの松山でも食べられるんですけれども、
せっかくなのでねこのちゃんぽんというもの自体は大津発祥のグルメなので、
ぜひ大津で召し上がっていただければと思います。
で車をね三宅さんに停めてますけれども、
もう本当歩いて行けば徒歩1分もかかんない隣の隣の隣ぐらいなんですが、
ちょっと駐車場だけまあ移動をしていただいて、
大洲市立博物館で知る川と城下町の歴史
次行くのがですね大津市立博物館です。
これはまあよくやる一番最初にその土地を知ろうっていう感じの博物館ですかね。
おっしゃる通りです。
なので大津市立博物館自体は特別すごく大きいとか豪雑なってわけじゃないんですけれども、
やっぱまあ町の歴史特に今回2泊3日で一つの地震があるってここは初めての試みですから、
なぜそもそも大津なのか、そして大津さんは何なのかっていうことを知るためにも、
みゆきさん本当に目の前にあるっていうのを含めて、
最初にご紹介をしておきたいなという思った次第ですね。
展示対応としてはですね、
大津市の歴史民族自然をテーマにした総合博物館ですというふうにありまして、
いい大津の駅からも歩いていけるような中心市街地の中にあります。
なのでねまずはここ一回概要を学んでいただければなというふうに思っています。
ここからちょっとその話になるんですけれども、
改めて大津という町についてちょっとしっかり考えてみたいと思うんですね。
今まで出た情報でいうと、そのひじ川という川があって、
これがですね本当に大津の市の真ん中を本当に上流から下流を含めてあるという感じなんですけれども、
この川に栄えた町なわけですね。
ひじ川ってそもそも漢字もちょっと異質ではあるんですけれども、
いわゆるひじの漢字とはまた別だよね。
肉付きに広いみたいな感じだよね。
そうなんです。
けどひじって言うと。
ひじはまあ普通のひじで言うと肉付きにすんだよね。
そうですそうです。
なんでひじ川なんて言うんでしょう。
なんでなんでしょう。
不思議な名前だと思いますよね。
確かにね、体の部位が入ってるってなんか不思議な感じするね。
ヒントは地図の中にあります。
この大津の、これ中心街なのかな?
そうですそうです。
大津城とか書いてあるわ。
この辺りが結構ボコって蛇行してる感じだね。
そうなんですよ。
これがひじってこと?
大正解です。
なるほど。
このひじ川というのはめちゃくちゃ蛇行してる川なんですよね。
アップで見るとめちゃくちゃ蛇行してるわ。
上流のとこまで今すごいとこありましたよね。
これすごいな。
ほぼUターンしてるわ。
そうですよね。
確かに。
まあ引いてみてると割とまっすぐ目かなって思うんだけど、
寄ってみるとすごい蛇行してるわ。
そうなんですよ。
これがひじ川なんです。
つまり人間の肘というのはもちろん関節で持って、
いろいろ我々の手の運動をやる結節点になっていて、
逆に手の運動ですから曲がったり柔軟に動かすわけですけれども、
これの様をなぞらえたと言うんですね。
それくらい蛇行している川なんですよ。
これがひじ川。
だからもちろん蛇行してるってことは水害に見舞われる危険性も多くて、
現にこの辺は西日本豪土が大変な被害を受けた場所でもあったんですけども、
一方で四国山脈の本当に高い山々から水滴が一個一個こぼれ落ちたせっか、
こういった素晴らしい川になっているということで、
清流の街でもあるんですね。
綺麗なんだ。
そうです。川が清らかなんですね。
そういったものを見たときに、ひじ川の、
もちろん上中下でいろんな自然の環境も変わるんですけれども、
やっぱり清流、本当に清らかな水というのが称えていて、
全長およそ103キロにも及ぶんですけれども、
2024年に国公省が選んだ水質が最も良好な河川という認定があったそうなんですけれども、
これの一つに選ばれている。
これ日本に何個かしかない河川のうちの一つですね。
ですので、とにかく水質が良くて、
水というものと共生している街だということがこの大洲市の特徴なんです。
ついこの間、秦野でも水が綺麗だといろんな文化が生まれるよって話したばっかりですけど。
おっしゃる通りです。
そういうことね。
そうです。
山水スポットが今回もあるんです。
特に水と生きるという意味では、秦野とも別の観点で捉えられると思うんですね。
こういった部分が自然の条件。
当然ね、川魚だったりとか野鳥だったりとか、
そういった自然の川に生息するようなものというのがたくさんいるんですけれども、
もう一個この市立博物館で見ておきたいのが歴史的な部分でもあるんですね。
今、ひじかわの地図を見ていたときに気づいたと思うんですけれども、
大洲は城下町なんですよ。
このメインの都市のところに大洲城がありますね。
それも本当にひじかわのすぐ隣だね。
そうなんですよ。
この大洲城も後々行くのでその時に詳しく話せればと思うんですけれども、
川が栄えてる町ってこれまで何度もあったと思うんですけど、
川があるメリットってどういうものがありましたっけ?
自然の堀になるっていうのはあるよね。
そうそう、防御になりますよね。
あとは城下町とかっていう意味で言うと、
水運が便利っていうことで。
その通りですね。
これまで本当にいくつもありましたけれども、
最近ではよなごとかがね。
まさに中海の方から由来する運河を掘って商人たちが栄えたって話がありましたけど、
江戸時代以前はこの川の州運という船の運ですね、
というものが本当に日本の経営図に大定脈でしたので、
これをちゃんと生かすっていうのはめちゃくちゃ大きな利点があったわけですよね。
だからもちろんひじかわは水運が大変だったんですけど、
その反面大津の産業を支えた牽引したっていう意味でも大きな存在だった。
当然それは中世の頃から同じ理屈があるわけで、
伊予というのはですね、中世は非常に混沌としていて、
大勢力が生まれなかった国でもあって、
中世の時からある意味商販分立的な様子を呈してるんですよ。
例えば隣国の戸阪、長足部という強大な勢力がいたっていう話を以前しましたけれども、
そういうのが生まれなかったんですね、伊予はね。
松山の谷に河野っていう、
これ以前一変商人の話しましたけれども、
一変商人はこの河野一族の出身なんですよ。
河野っていう伊予の国の主語っていう名目上のリーダーはいるんだけれども、
伊予の国って広いし全然文化圏も違うので、
今治の方では野島水軍とかって村上海賊って結構有名ですけれども、
瀬戸内海を接見していた水軍の集団が勝手に動いちゃってるし、
南予の方は南予の方で地元の豪族だったり、
呉みたいなものが勝手に領地を増やしちゃってるみたいなんで、
統一政権がなかなか生まれなかった難しさがあったんです。
ただそういう意味においては、この大津というのは十分独立に足る存在であって、
中世にはここに宇都宮市、
これは栃木県の宇都宮に由来する豪族なんですけれども、
宇都宮という豪族がここに城を構えたというふうになっていて、
その時からやっぱりこのひじかわな衆運を利用した勢力というのを築いていきました。
ただ実はですね、この大津というのは今でこそ、
大きな山髄の中津の巣なわけですけれども、
当時は大津というふうに言われていたとも言われています。
滋賀県の大津ですね。
だいたい関ヶ原の戦いの前後に、今の大津に変わったというふうに言われてるんですね。
なんで変わったかというと、
宇都宮というのは後々いろんなことがあって滅ぼされてしまうんですけれども、
近世、豊臣秀吉が天下を統一した段階になると、
東道高虎という人物がここに入ってきます。
東道高虎は今まさに放映中の大河ドラマでもありますけれども、
豊臣秀長、これ以前やりましたよね。
今年の主人公であり秀吉の弟ですけれども、
彼の副親として仕えた武将で、
畜生の名手として知られる。
滋賀原以降は徳川に接近をして、
今でいう三重県の津藩を代々収めていく東道家という名家がありますけれども、
これはもともと伊予の方に一回領地を当てがわれたことがあって、
その時にこの大津の城下町の国境を整えたとされてるんですね。
ただ、東道高虎がなので今の大津の基礎を整えたんですけれども、
大津が大津に変わったのは、
その後に入ってきた大名のせいだと言われています。
東道高虎が映った後に入ってきたのが、
脇坂康春という人物だったんですね。
これ実は一回だけ出てきたことがあるんですよ。
ヒントはおそらく人名でて思い出せないと思うんですけど、
過去にこのポッドキャストの中で、
この大津の津という漢字を当てた都市の名前、
自治体名ですごくフィーチャーした場所があったのを覚えてませんか?
それも実質ほぼこの町だけで200日下ぐらいにやったんですけど。
えーっと、
相元。
おお!すごい出ると思わなかった。そうなんですよ。
相元ってどこでしたっけ?
淡路?
そうです。淡路島の中心部にあるのが相元市なわけですけれども、
脇坂康春はその相元城の城主ですね。
いろんな変遷があって、
ある意味ご褒美的に国高を増やされるみたいなイメージで、
相元から相元がゴタゴタで徳島藩に属することになってるんですけれども、
あれは本来であれば徳島県になるはずだったのが淡路島だった話に移転しました。
その相元から移ってきて大津に入ってきたときに、
相元の巣を取ったとも言われてるんですね。
なるほどね。
なのでこの大津になったとも言われています。
巣というのもそもそも港を意味していますから、
この地形に全く縁のないわけではないわけですよ。
ただ脇坂もその後結局移ってしまって、
その後1600年代の中盤からは、
とある大名がずっと明治市まで治めます。
これは加藤家というものが治めるんですけれども、
よくある加藤さんですね。
これがどこから移ってきたかというと、
あの宝起の国の米後藩から移ってきたんですね。
以前米後の時に、
米後は中村というものが大名でいて、
過労の横田内善というものを同志打ちで打ってしまって、
米後城下で戦争が起こってドバダになったみたいな話をしましたけれども、
その後、中村はそれで潰されてしまって、
加藤という、これを秀吉にも仕えていた武将なんですけれども、
が一瞬治めたんですが、
その後もう本当にすぐ大津に移されたために、
あとは池田家の鳥取藩のものになって、
過労・荒尾田島が米後を治めることになった。
一都市になって殿様がいなかった場所だという。
だから商人が強かったって話しましたけれども、
そのわずかな期間米後を治めた加藤家は、
移った先がこの大津なんですね。
それ以来この大津藩で、
明治維新まで200年以上続いたんです。
こっちで長続きしたんですね。
そういうことです。
一概には言いませんけれども、
傾向として長続きした藩というのは、
今でも地域に対して大きな影響を与えているケースが多いんですよね。
それは文化面の部分だったり、教育の部分だったり、
あるいは町のデザインみたいなのも。
それはなぜかというと、
さっきの大津市立博物館のページを見ていただくと、
この丸い家紋がありますけれども、
これが加藤家の家紋だったりするわけです。
これ家紋なんだ。
家紋です。
一見すると本当にただの丸でしょうね。
これ加藤の家の家紋なんですね。
というように、
200年にわたって一つの町を治めた大名都になると、
これぐらい影響を及ぼしたりします。
これシンプルだからね。
わりとシンボルにもなりやすそうだよね。
そうですね。
私の縁起めさそうだし。
なので、ちょっと今大津藩の序盤の話だけしましたけれども、
とにかくいろんな変遷があって、
東道、脇坂、加藤というふうになっていきましたけれども、
肘川と川と共に生きて、
それをどう生かすかというのを永遠のテーマにしながら、
お城も城下町も栄えていって、
そして江戸時代の最初から最後まで加藤というものが治めた。
これがある意味大津の発展と魅力の根拠になっているものなんですね。
私立博物館では、
そういった加藤家が一番の大津の藩主ですので、
加藤家の歴史とかを中心に企画展とかを開催されています。
その時その時何があるかわかんないんですけれども、
例えば今回の僕が言った2026年の夏においては、
豊臣兄弟と関連した加藤家の歴史だったりとか、
東道高田はもちろん関連します。
そういった話をやっぱりしていました。
あとは肘川の領域に生息している生物の発生だったりとか、
その自然の豊かさをどういうふうに学び取れるかみたいな、
そういった展示も常設であったりしますので、
とりあえずお昼ご飯の食休みじゃないですけれども、
一旦ここで概要を学んでもらうのがいいんじゃないかなというふうに思います。
大洲城と日本初のキャッスルステイ
そうしましたら先に進めるわけですけれども、
大津市立博物館から車で5分ほど行ったところにあるのが、
大津城です。
これはさっき言った肘川のすぐ隣にあるお城ですね。
そうなんですよ。
肘川の話ありましたけれども、
これが大津のある意味象徴的な光景なんですよね。
この画像で見ると本当にすぐ隣なんだね。
この鉄道が前に走っててね。
ちょっとした山の重複って感じなのかな。
そうですね。
この肘川の本当にある意味、
淵になっているような蛇行の中の残った丘というか、
そういった中にお城が建っているわけですよね。
だから当然この肘川というものが天然の掘りになっているのは明白ですし、
そこにいてこの天守閣が建っているというのは非常に壮観ですよね。
このやっぱり緑の生い茂った山の中に、
この白いお城が建っているっていうのはかっこいいよね。
かっこいいですよね。
この大津城はそういうわけで、
大津藩の藩町、つまり本拠地になったわけで、
さっき言ったようにこの東道高戸だか脇坂康春とかが整備者というふうに言われています。
今の建物というのは加藤家の時代ですね。
江戸時代の大藩を占めた加藤家の時代の建物になっているんですけれども、
中は歴史博物館みたいになっていて、
いわゆる大津の歴史だったりとか、町の歴史だったりというのを学ぶための施設がちゃんとあるわけです。
この大津城についてもいろんなエピソードがあるんですけれども、
今の歴史資料化と言ったんですけれども、
もう一つこの大津城はめちゃくちゃ重要な役割があるんですよ。
今も?
今もです。
今からというか、日本で初めてだったんですよ。
日本で初めてお城というものに、歴史資料館以外のとある役割を持った城というのがこの大津城なんですね。
これはなかなか競う展開すぎて出ないかもしれない。
なんだろう?役割か?
役割です。
特に観光という文脈において、大津城というのはめちゃくちゃ大事な役割を果たした日本の先駆けなんです。
観光か。
なんか俺テレビで見たかもしれないな。
それがここだったか全然覚えてないけど。
でもその文脈が一番正解に近いかも。
ホテル?
正解です。
じゃあ俺が見たやつなんだなきっと。
本当?どんなの見ましたかね?
お城の天守だったかな?に泊まれるんだよね確か。
そうなんです。
これちょっとページ見てみましょうか。
いいね。その日私は城主になる。
そうだなんかこういう甲冑着た人が案内してくれたりするんだよね確か。
そうですそうです。
これすごい綺麗な和室なんだけど、これ天守なんだね。
天守の中です。
これすごいね。
たまたま見たことあったなこれ。
なんとですね、このお城、泊まれます。
すごいよね。
城に泊まるというね、一見ありそうでなかったサービスを、
日本で初めて始めたのがこの大洲城なんですね。
夢だよね。
夢ですよ。
もっと言うと、意外と勘違いされてるんですけど、
天守閣ってそもそもこれ一番偉いお殿様がね、ずっとこれ寝起きしてたんじゃないかって、
毎日展望台見てたんじゃないかと思われがちなんですけど、これそこじゃないんですね。
これオフィスなんでしょ?
そうです。とかあるいはもうシンボル。
なのでオフィスというか、少なくとも生活空間はもっと別にあったんですよ。
お殿みたいなものが。これ小田原城だってそうなんですけど。
だから昔の藩書ですら、ここに泊まったことというのはあるのかないのか、僕にはよくわかりませんけれども、
それが今やね、泊まれるんですよ。
ちょっと見てみましょうか、プログラムをね。
これ面白いのが、1617年加藤貞康の入場体験。
これはさっき言った加藤貞康という、これは世の中からついていた藩書ですけれども、
彼が初めて世の中から奥に入りをした時の再現をすると。
お殿様は自分なわけです。
そうするとですね、甲冑を打った家臣たちが祝報とかを鳴らして、
あくまで祝博的じゃないですよ。あなたも上主なので、お殿様なんですね。
入場するわけね。
入場する時の祝報でひなわじゅうとかを鳴らしたり、
ちゃんと藩下の武士たちが先導してくれたりして、
体験イメージを見る見るとですね、
祝報を鳴らしてますね。
結構な人数いるね。
で、ホラ貝がちゃんと上主の登場だと。
で、馬に乗って。
これお客さんとかだね。
これ外国の方ですからね。
本当だ。
で、ちゃんと宴会みたいなのも農学が奉納されたり。
ほんと上主体験だね、これ。
そうなんですよ。
これ面白いな。
というのがあったりとか。
そういうわけで、もちろん滞在空間を見てみましょうか。
すごいよね。
貸切ですよ、もちろん。
一組なんだよね。
そうです。
なんだこれ、ラウンジ?
これは別のところですね。
でも宿泊者限定のラウンジがあるそうです。
こっちはすごい綺麗な洋室だね。
木造のすごい綺麗。
ちょっと和モダンな感じですよね。
そうですね。
天井も高いしね。
ここに泊まることができると。
しかもこれ非常に体験としても有名で。
ホテルとか城に泊まった人には、
近くにガリュー酸素、これ後で紹介するんですけれども。
これは本当に明治時代から続いている名建築があるんですが、
そこを朝貸切にして、そこで朝ごはんを食べられたりとか。
そういった素晴らしいプランがご用意されている。
ということでね、これおいくらなんでしょうか?
すげえ高そうだよ、これ。
一泊二日、二名利用、朝食一回、夕食一回でお一人66万円です。
すごいな。
人数増えていくとちょっと安くなっていくんで。
書いてあるのだと、6名利用で30万8千円です。
お手軽になりましたね。
もうこれで一桁見間違えたんじゃないかというね。
我々のいく価格帯の3万8千円でもなかなか高いものぐらいですけど。
30万8千円からということでね。
それは安々と上昇になられちゃ困るね。
もちろん毎日いるわけではないんですよ。
だからこそホラー街の音が吹くと、
今日は上昇が来る日なんだという風になるわけですね。
これ結構人気だそうですよ。
そうでしょうね。
インバウンドの方からすると、
一生に一度の、我々もそうですけどね。
お城に来て、しかも泊まるなんてなかなかね。
お部屋に入っちゃえばだけど、緊張しそうだよね。
そうなんですよ。上司ですから。
小学生でも一人66,000円するよ。
本当に一桁見間違えた。
マジで。
すごいなこれ。
こういう斬新なサービスをやって、
今でこそこのキャッスルステイというのは、
大津と長崎の平戸城だったりとか、
丸亀も一日にやりましたけどね。
日本にいくつかあるんですが、
本当に1年単位とかで続々と出てたんですよ。
その最初になったのがこの大津城なんです。
このキャッスルステイの話でだいぶ引きましたけれども、
これはいわゆる歴史的な建築物じゃなくて、
もはやホテルの観光施設なのかと、
いうふうに思われがちかもしれないんですが、
そうじゃないんですね。
完全木造復元を可能にした写真と天守雛形
この大津城復元というのは、
マジで日本の歴史に残る大プロジェクトだったんですよ。
なぜかというと、
これあくまで復元天守なので、
明治時代の初めに失われてしまった天守を直したんですけれども、
ただ復元したではないんです。
小田原城だって復元に近いものなんですけれども、
何が決定的に違うかわかりますか?
さっき実は内田は自分で気づいたようなコメントを出してたんですけれども、
日本の中にいろんな城があるわけですけれども、
小田原城をはじめ、
その大半は昭和の時代とかに作り直されていますから、
鉄筋コンクリートとか、
そういったもので外観は当時のものを復元したんだけど、
中はエレベーターがあったりとか、
鉄骨山車通って建築の耐震協力がちゃんと散布されているものなんですけれども、
この大津城はですね、
完全木造復元天守なんです。
全部木造?
全部木造です。
ですから、この外観もそういうことながら、
内観もおそらく、
資料館とか当時はもちろんなかったけども、
材質とかって見ると、当時とほぼ変わらないものが復元されてるんです。
へー。
じゃあもう限りなく当時に近いわけだね。
そうなんです。
今あるお城の中では。
はい。
ただそれってめちゃくちゃ大変なのって想像つくと思うんですよね。
いやだってこれ何階建てなのよ。
これ4層なんですよ。
今の建物より明らかに階層の1階部分が高いもんね。
そうですそうですそうです。
へー。
復元されたのは2004年でして、
この時大津市として、
市政50周年を迎えるという伏締めの年だったんですね。
大津城自体はこれに似た天守閣はずっとあったんですけれども、
明治時代の廃藩地権の時とか、
もうちょっと後なんですけれども、
とにかく明治時代中に大津藩の大津城というのが解体されてしまって、
町にはその時天守閣がなかったんですね。
だけどこの50周年合わせて復元しようと言うんで、
普通に復元すればいいものを、
今回これやるからには完全木造にしたいという理由があったんですよ。
なぜでしょうか。
え?
なんかもう普通にやるんだったら安全性とか重視してやるだろうなと思うんだけど。
え?何なんだろう。
これはですね、
大津という町の産業の発展にも関わっているんですけれども、
さっきの地図を見てもらったらわかる通り、
大津というのは特に城下町中心部から上流の方を見てもらうと、
山林に覆われてるんですよね。
つまりこういった四国三脈三地の地元の木材資源を使って、
ちゃんと復興しようと。
つまり市民が一体となって市にも経済効果をちゃんと生むような形にしようということで、
この最難関の木材での木造復元にあえて挑んだという城がこれなんですよ。
いやにしてもさ、ベースは鉄骨でさ、周りの木材をその土地の使うとかだったら考えられそうなんだけど、
全部木造ってすごいね。
すごいです。
当然それってリスクもありますよね。
そうだよね。
何が思い浮かびますか?
まあ安全性が一番くるよね。
そういうことです。
当然のことながら今日本には建築基準法が適用されていますので、
それって非常にネックになるわけですよ。
昔からあった幻想十二天守だったら安全性云々より、もちろん安全性大事なんだけれども、
それよりももう昔から価値っていうことが優先されて、
ちゃんと今のは残しましょうという理屈が働くと思うんですけど、
今から建てるものにあえてその安全化もよくわからないものを建てるっていうのは、
おかしな話なんですよ、はっきり言ってね。
まあやっぱ耐震とあと耐火だよね。
そういうことです。
そこ結構ネックだよね。
ネックです。
ですからこの大洲城の復元の時には、
大洲市の皆さんが本当に特に市役所の方が、
是非木造でというふうになったわけなんですけども、
何年間にもわたって国やそういった省庁と粘り強く粘り強く交渉をして、
これはあくまでも観光施設の復元で耐震じゃなくて、
文化財的文脈で木造建築に意味があるんだということを粘り強く言った結果、
どうにか実は兵庫県に丹波笹山、これいずれやりたいんですけれども、
丹波笹山というところがあるんですけれども、
それの天守閣じゃないんだけど、
城の一部の建物を木造で復元したっていう例があるのを見つけて、
それを機械に出して国の領海を取り付けて、
木造復元を成し遂げたっていうすっごく異例なタイプなんですよ。
まあだから普通にはできないってことだよね。
そうなんです。
じゃあなぜ文化財的文脈ということで通ったのかということなんですよ。
まあそうよね、新しく建てるのに文化財っていう、
なんかちょっと不思議な感じするよね。
そうなんです。
それは一つのあるオブジェがきっかけでした。
ちょっとオーズ城のページを戻していただいて、
天守復元かな、この2つなんですね。
要は文化財的文脈で語るとするならば、
オーズ城というのは当時の江戸時代の建築様式だったり、
当時の人々の生活だったりとか、
そういうものまで想像させられるような、
ある意味歴史的な価値の高い城なんだっていうことを証明しなきゃいけないわけです。
それができる材料というのが奇跡的に残ってたんですね。
今このオーズ城のページにね、明治時代に撮影された写真、
3枚載ってますけど、写真で撮られてたわけね。
そうなんです。
オーズ城が解体されたのは当時のね、
1880年代、明治の中頃に入ってから解体されたんですよ。
大半の城って明治の初めぐらいに解体されちゃうから、
一般市民がその写真を撮るような人もいなかったので、
写真として残らなかったパターンが多いんですけれども、
オーズ城はちょっとリードタイムがあったがたびに、
残ってるんですね、記録が。
だから今の一番左の写真見てもらうと、
モノクロとカラーの差があるからね、
明らかにこの写真ならわかっちゃうんですけど、
建物自体を見れば今のと変わらないですよね。
形は限りなく近いと思いますね。
でもこれだけだったら、外の外観がこれに忠実に復元しました。
これは小田原城も一緒なんですよね。
もう一つ決定的な遺物があったんですね。
それが下なんですけれども、
天守雛形というものですね。
模型が残ってたんだ。
これめちゃくちゃ珍しいんです。
江戸時代のオーズ藩雇用の大工さんみたいなイメージなんですけれども、
この設計師みたいな人が、まだご子孫がオーズ市内にいらっしゃって、
なぜかなんですけれども、江戸時代の建築士が残した、
オーズ城内部の模型というものが残ってたんですね。
ミニチュアが。
その当時のお城を建てる時にミニチュアとして作ってたものが残ってたんだ。
残ってたんです。
じゃあもう構造もわかるわけだね。
そうなんです。
これが決定的な理由だったんですよ。
つまり単純に外を見てただけじゃない。
中の構造まで江戸時代に何をしたかっていうのが、
彼らが記憶を残してたんですね。
奇跡的にそれが残ってたんです。
ミニチュアが。
これオーズ市立博物館で見れるんですけど、
丸太を何本どういうふうに組み合わせたかとかを含めて、
本当にミニチュアなので全部わかるんですよ。
このミニチュアは骨組みを作ってあるんだね。
そうなんです。
だから写真でうかがえない内部構造の作り方を、
当時手掛けた財布が残してたんですね。
このミニチュア通りに構造を立てていって、
写真通りに外観を作っていけば、
当時のオーズ市場が再現できると。
その通りです。
これ本当に奇跡的なガッチュだったんですよ。
こんなのないんですよ、なかなか。
すごいね、これ。
今、復元点集を見てて、
たまにこれどこまで本当なんだろうと思うときがあるんだよ。
あります。
復元だから多分違うところも当然あるだろうなって思いながら見てるんだけど、
これは多分ほぼ一緒なわけだね。
ほぼ一緒です。ガチで一緒なんですよ。
完全復元なんですよ。
すごいね。
だから外の外観はもちろん写真で、
こういうのはあるところはあるんですけども、
中の、しかも設計に携わった大工の子孫が持っていたってことで、
彼らがミニチュアを作った構造はもちろん物理的にわかると同時に、
なぜこの構造にしようと思ったか、
彼らの思考の軌跡までたどれるようになってるんですよ。
これがどっちも残っていたのが大洲という街だったんですね。
すごい。
そのために、これは本当に江戸時代のものを再現できるっていう、
数少ない例なんだと。
なるほどね。
だから、建築手法よりも上回る価値があるんだと。
いうことで、認可が下りたっていう奇跡的な例なんですね。
なるほどね。
ここまで来たら文化財的な価値があるのはわかるわ。
もはやね。
だからこれを残した大工も偉かったし、
それを伝えたご子孫の方たちもすごいと思います。
このミニチュアは大切にとっておいた。
今は私立博物館の中に所蔵されてますけど、
指定のもちろん文化財ですね。
いや、よくぞ残してくれてたね。
そうなんですよ。
これによって大洲城は完全木造復元をしました。
この木造復元になってもさっき言った通り、
地域資源を活用するというのがテーマですから、
市民参加で築いた大洲城の誇り
2004年の完全復元を目指して、
その前から工事が進められたわけなんですけれども、
大洲藩下等家の母大寺から有意所ある木を切り出す。
つまり材木を大洲のものを使うというのがテーマなんでね。
やっていって、そこからどんどん地元の森林組合の方々と協力していった。
そして天守の柱138本という具体的な数字は、
なぜわかったかというとさっきのミニチュアだからですよ。
あれが残ってるからです。
それをまんまやっただけなんです。ある意味。
簡単といえば簡単なんですけれども、
それを現代風にちゃんともちろんやってるわけで、
138本中の121本が地元大洲藩下の檜の木を使っている。
なのでちゃんと地域の森林資源を活かした完全復元になっている。
ただもちろん当時の殿様は、
良民に持ってこいって言えばやったと思いますけれども、
今ではそんなこと通用しないわけで、
お金の問題がありますよね。
ましても屋根にお金かかるわけですよ。
じゃあどうしたかというときに、
地元の方に趣旨を解いて、
同時に大洲城の復元というのは、
一生一度のプロジェクトですから、
完全市民参加型っていうのをめちゃくちゃ大事にしたんですね。
だから地元の森林資源を使うのもそうだけど、
森林の木を切り出す時にあたっても、
市民の方の参加イベントとかを入念に企画してやって、
市民の方がみんなでナタを入れたりとかもして、
みんなで大洲城というものを作っていく。
ということをやった結果、
すごく地元の支持を得られた。
その結果、
必要とされていた資金5億円。
これも募金によって達成する。
募金で?
すげーな。
しかもその募金も、
ただもちろんお金を出した方、
たくさんの市民の方が出したと思うんですけれども、
木材のオーナー制度みたいなのをやったっていう新しい、
これは当時の大洲は多分考えなかったんですけれども、
今の平成の令和のようだから分かることで、
オーナー制度みたいな募金のシステムをやって、
138本っていう、
要は江戸時代の大工が残してくれた記憶をもとに、
1本1本に意味があるっていうのは、
そのミニチュアを見ると分かるわけなんですよ。
だからこの木材1本の丸太で、
切り出すのはもちろん森林区名の方が専門の方ですけれども、
私たちがこの森林の材木1本138分1を、
自分たちのお金で出しましたっていう、
オーナー制度みたいなのを持って、
これをちゃんと出資した方っていうのは、
その自分の来た大津の木1本が、
あの天使のどこの部分に使われたかっていうところまで、
追跡できるようなオーナー制度にしたんですね。
てことで要は、
その数少ない138本のうちの1が、
自分はこの柱のために、
金を出したんだって言葉でも分かるようになってるんです。
それがこのシビックフライドの結晶として、
2004年に大津城は完全木造復元というのを達成したんですね。
これがすごいことなんですよ、本当に。
だからもう、
俺が建てたみたいな気持ちになるわけだよね。
そうなると思いますよ。
しかも1本でも欠けてたらできないんです。
逆に誤魔化せないです。
江戸時代の匠たちが建てたって残してるんで、
1本も耐えられないんですよ。
オーナーさんはもちろんそうだけど、
そういう市民参加のイベントで、
ちょっとでもたずわって触った人にとっても、
ちょっと俺が建てたぐらいの気持ちにはなるよね。
なりますし、それは事実ですよ、もちろん。
この大津城のホームページには、
まちづくり型の城郭というふうに、
特設ページがあるんですけれども、
ここにその当時の様子が書かれています。
復元は木にこだわった天守郭というね、
スローガンでやっていたと。
これ市長の言葉なんですね。
こうやって見学会をやったりとか。
どういうふうに、
本当に何百年に行っちゃったプロジェクトなので、
立っていく間にも何度も見学会をやって、
市民の方が参加していく。
ただお金を出してなくてもね。
そんなね、建築途中のお城に入れないよね。
そうですそうです。
これはすごく素敵な作り方というか、
ストーリーがめちゃくちゃいいですね。
そうなんですよ。
実際僕もこの7月、
大津市民になって1週間大津に過ごしたんですけれども、
朝、ひじ川のあたりを散歩するのが気持ちいいわけで、
朝だいたいひじ川のところで散歩してると、
地元のランニングしてるお父さんとかがいて、
僕は見慣れない顔だから、
観光客であるしね実際。
見た時に城の写真を撮ってたらですね、
城の話をしてくれて、
やっぱりこの時の、
自分もこの夢の中に行ったんだっていうのを、
誇らしく語ってくれて、
僕はその歴史を承諾していないというのは、
自分から言わないので、
これは実は完全木造複製でいったら、
すごい珍しいことなんで、
自分もそこに行ったんだって、
本当に誇らしく語ってくれたんですよね。
だから本当にもう、
かなりお年を収めされた年配の方でしたけど、
その方が思わずその、
よそから来たよそ者にも伝えたくなるくらい、
この後ろの天職というのが復元というのが、
市民にとってはね、
本当にもうプライドと愛着の結晶にね、
その過程自体もそういう風になっていったというね、
素晴らしいプロジェクトだったのが、
この大洲城の復元というのはね、
本当に歴史に名を残すものだったんですね。
いやいいね。
市民の方にとって、
強い自慢になってるのがすごくいいですよね。
本当そうなんですよ。
で、一方で、
原村住民天使じゃないから、
新しいは新しいんですよ。
20年くらいですかね。
綺麗だもんね。
だからこそでも、
活用型にも幅があって、
ホテルという宿泊料みたいなものでできちゃうっていうね。
そういったのがあるんですよ。
いや面白いですね。
なので実際このね、天職の中に行っていただくと、
もちろん加藤家の歴史だったり、
大洲の街の歴史も解説してるんですが、
同時にこの復元プロジェクトの話というのも、
すごくね、しっかりやっていますので、
そこで見てもらえるといいんじゃないかなという風に思います。
いやこれは大きな歴史ですよね。
はい、編集時点の内田です。
まずは配信が遅れまして、
誠に申し訳ございませんでした。
ちょっと内田の本業の方が、
わたわたしておりまして、
編集がちょっと間に合っておらず、
一日遅れることとなりました。
今回はこの大洲城のね、
素敵な話のところで終わりとさせていただきます。
この一日目の後編は、
この大洲の王道コースを回っていくという形になっておりますので、
ぜひ次回もお楽しみにしていただけたらと思います。
それでは今回はこの辺で。
ありがとうございました。
01:06:04

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