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#104 私の自由研究──国語の授業にポッドキャストを
2026-07-20 26:41

#104 私の自由研究──国語の授業にポッドキャストを

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第104回配信!
第2回教育系ポッドキャストの日(2026年7月20日〜7月26日)に主催として参加しています。共通テーマは「私の自由研究」。


自分の自由研究は、もちろん「国語の授業でポッドキャストをどう扱うか」。国語の教科書にポッドキャストを載せたいという野望から、相性がいいと思う三つの理由──ジャンルの多様性、生成AI時代に「自分で聞く」価値、声を使うことの身体性──を話しました。


高校2年生200人に出した「毎日ニュース系ポッドキャストを聞いて感想を掲示板に投稿する」夏休みの宿題も紹介しています。


▼ポッドキャストづくりの実践を寄稿した本
『高校国語と探究デザイン カリキュラムづくりから授業アイデアまで』(明治図書)
https://www.amazon.co.jp/dp/4182441265


▼Voicy「デジタル時代の国語教育ラジオ」
https://r.voicy.jp/Rp9pGLnqmGP


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サマリー

本エピソードでは、「教育系ポッドキャストの日」の共通テーマ「私の自由研究」として、国語の授業におけるポッドキャストの活用法が語られます。ジャンルの多様性、生成AI時代における「自分で聞く」ことの価値、そして声を使うことの身体性という3つの観点から、ポッドキャストが国語教育にもたらす可能性が探求されます。また、高校2年生を対象に実施された、ニュース系ポッドキャストを聞いて感想を共有する夏休みの宿題の実践例も紹介されています。

はじめに:夏休みと先生方の自由研究
この番組では、Google for Education認定イノベーター、コーチ、トレーナーのKasaharaが、教育にまつわる様々な話を配信していきます。
さて、一学期が終わりましたね。4月の始業式入学式から、だいたい3ヶ月くらいですかね。
年度の始めって、クラスも授業も職員室も何もかもが手探りで不安定になりやすいので、
学校としてはどうしても一学期はバタバタしやすい時期ですよね。
だから、この3ヶ月で割と大変な苦労をされた先生は少なくないと思います。
特に、新任の先生はもう学校ってとんでもないなって気持ちになってるんじゃないでしょうか。
とりあえず、無事に夏休みの時期を迎えられていると良いのですが、いかがですかね。
まあ、夏休みといっても先生方の多くは事務作業や研修で普通に忙しいわけですが、
それでもお盆前後はまとまって休みを取れる方も多いんじゃないかなと思うので、
ぜひゆっくりこの時期に骨休みをしてください。
仕事はあるとはいえ、子供たちが登校してこないだけで、新進にはずいぶん余裕が持てるはずです。
そして逆に、余裕があるときだからこそじっくりと授業のことを考えたり、
自分のスキルを上げるための研修に集中できたりもするわけです。
リスナーの先生方はこの夏どのくらい研修に参加されますかね。
自分は最近、研修を受ける回数よりも研修する回数の方が多くはなってきてるんですが、
第102回で話した若狭高校での研修もそうですけど、
やっぱり夏にかけてこの時期に研修は集中しますね。
準備を進めていると、普段から先生方が授業のために色々と努力していることがよくわかります。
いわば先生方の夏の自由研究ともいえそうです。
ということで、今週は教育系ポッドキャストの日、共通テーマ、私の自由研究で話していきます。
それでは今週のデジタル時代の国語教育を語ろうを始めていきましょう。
教育系ポッドキャストの日と共通テーマ「私の自由研究」
ということで、今回の配信は教育系ポッドキャストの日の企画となってます。
第2回教育系ポッドキャストの日に参加しているって形ですね。
参加というか言い出しっぺの主催は自分なんですけど、
開催期間は2026年の本日7月20日月曜日から7月26日の日曜日までとなっています。
共通テーマは冒頭でもお話しした通り、私の自由研究です。
で、今回は自由研究ということなので、参加募集の文章にはこんな感じで書いてます。
子供の頃に夢中になったあの夏休みの思い出。
大人になってから夜な夜な突き詰めているマニアックな探求。
仕事やリスキリングで直面した課題解決の記録。
学校現場での探求学習のリアルなど、
問いを立てて調べることにまつわるお話を広く募集します。
という形で書いてますね。
第1回はSpotifyのプレイリストにまとめただけでも17番組ぐらいかな。
あってトータルで7時間近いボリュームになりました。
学校教育から家庭教育、社会の問題提起まで、
狙い通り様々な学びの可能性というものが伝わる並びになっていまして、
主催者としては大変満足できたスタートです。
今回第2回ということで、どんな自由研究が集まるか今から楽しみにしてます。
ですから皆さんもぜひハッシュタグ教育系ポッドキャストの日で検索していただくと、
参加番組がこの後出てくると思うので聞き比べていただけるといいなと思っています。
国語の授業にポッドキャストを載せたい野望
今回のポッドキャストでは自分の自由研究について話していくわけですが、
それはもちろん、いやラーメンじゃないですよ。
ラーメンでもいいんですけど、とりあえずこの番組は国語教育を語ろうなんで、
国語に関する話をやっていきます。
だから自分の自由研究のテーマとしては、
ポッドキャスト、音声コンテンツをどうやって国語の授業で楽しく扱うかということについて話していこうと思います。
折に触れて話していますが、自分は国語の教科書にポッドキャストを載せたいという野望を持っているんですよ。
紙だけの時代では実現できなかったことですが、
今は一人一台端末が当たり前になってデジタル教科書の議論も進んでいるので、
音声コンテンツなんてリンク一つですぐに資料になってくれるようなそんな時代になってるんですよ。
だから今こそチャンスだろうと思ってます。
それに昔からいろいろな実践例にはラジオ番組を作ろうというような単元は実際にあったんですよ。
だったらポッドキャストを作ってみようという単元が教科書に載ってきても全然不思議ではない時代になってると思うんですよね。
音声メディアの価値だとか音声コンテンツによる学び方、そして音声コンテンツを作るというような活動だとか、
この辺りに子どもたちの学びの可能性を広げるチャンスというのが非常に多く眠ってるんじゃないかなというのが自分の見立てです。
まあ野望と言いつつ実は少しずつ広める努力もしていて、
例えば明治図書の高校国語と短急のデザインという本には自分のポッドキャスト作りの実践を書かせてもらったりもしています。
授業でやってみて実践を活字にして残していくみたいなこういうことをやってるわけなんですが、
この積み重ねの先に教科書に音声メディアが載る日があるんじゃないかなと思ってコツコツやってるところです。
折に触れて研修などで登壇する際にはポッドキャストの話を無理やりにでも必ずしてる感じがします。
2026年に入ってポッドキャストの番組の数も話題性も圧倒的に広がりましたね。
企業がおそらくかなりのお金をかけて大掛かりに番組を作るようになってきているような印象もあります。
だからまあ一種のブーム的なところはあるかもしれないですね。
ただこれがどの方向に転ぶかによって国語の教科書に音声メディアが載るかどうかということにも影響しそうなので、
変な盛り上がり方はしないでくれーって思ってます。
音声ってなんかいいよねという社会的な合意形成が静かに広がってくれたらそれがベターだなって思ってます。
その意味だと実はビデオポッドキャストは自分の好みには合わないんですよ。
若い世代からすればビデオで顔出しがない方が不自然でしょうという感覚があるみたいなんですが、
じゃあ国語の授業でビデオ顔出しで何か創作をしたいかというと多分なかなかそうはならないでしょう。
動画となると撮影や編集の手間も一気に増えるし顔出しへの配慮も必要となって、
教室で扱うにはまあまあめんどくさいというか相性が悪いというか顔が出ない音声だけというポッドキャストという形態こそが授業では魅力的なんじゃないかなと思っているので、
ビデオポッドキャストが主流になっちゃうと困るなーって思ってます。
まあとりあえずそれはどうなるか見ていくしかないんですけどね。
国語とポッドキャストが相性の良い3つの理由
じゃあなんで国語の授業とポッドキャストが相性がいいと思うのかこれもいろいろなところで話していますが、
最近の考えを改めて3つにまとめてお話ししていきます。
一つ目の理由としてはポッドキャストには非常に幅広いジャンルの番組が存在していることがやっぱり一番の魅力だなって思うんです。
動画だとどうしてもバズるようなコンテンツやある意味でアルゴリズムをハックしたようなものじゃないとなかなか表に出てこないですし、
再生数の勝負になっちゃってるんですよ。
でもポッドキャストは再生数が本当に限られた少ない回数だったとしても、
そういうニッチなコンテンツであってもいろいろなプラットフォームで同時に展開されているってことがやっぱり強みなんです。
この特徴が教材としての多様性の担保につながるっていうことがやっぱりいいなって思ってます。
ポッドキャストって普通の社会人やある領域の専門家が自分の仕事や感覚について語っている番組が非常に多いじゃないですか。
話してる人はまさに本当に普通の人なわけです。
ただその企業だとかその業界で何年も何年も働いている人が現場の感覚で話すみたいな番組がたくさんあるわけです。
だから高校の教室で学んでいる生徒たちにとってポッドキャストで配信されている情報は、
5年後10年後の自分たちの姿になっている可能性があると思うんですよ。
だから生徒自身の進路を考えるという観点からも、
多様な番組が存在しているポッドキャストという空間は学びとして非常に価値があるだろうなというふうに思っているわけです。
普通の高校生がこれだけ多様な業界の人の話を聞けるって普通に教室にいるだけだと絶対に起こらないわけです。
その魅力を考えるとやっぱりポッドキャストをどうにかうまく扱えないかなって思いますね。
2つ目は、生成AI時代になったからこそポッドキャストを聞くという体験、
つまり音声を自分の言葉として噛み砕いて取り入れていくというような時間のかかる作業に価値が出てきてるんじゃないかなっていうことです。
生成AIの性能がこれだけ上がってくると、テキストを読んだり書いたりする活動はよほど工夫して授業設計考えないと、
AIにパッと取って変わられちゃうんですよ。
もちろんAIを使うなというようなそういうような話じゃないです。
使うなと言ったところで、Google検索するだけでAIモードが起動してしまうわけだから、
まあ使うなという命令はかなり意味をなさないなって思ってます。
生徒がこれは自分にとって興味がないやる気がないと感じたものに関しては、
もうあっという間にAIに丸投げになっちゃいますよね今の時代。
だからそういうような時代において、どうやってAIを使うなという話ではなくて、
AIにとって変わられないような課題を考えなきゃいけないわけなんですよ。
でもそれって勉強って一見すると自分にとって全然興味関心が持てないことであっても、
ある意味でパターナリズム的に押し付けられてやってみることで、
ああなんかこれすごいいいじゃんみたいな、そんななんとなく良さがわかるようになってくるところがあるとは思うんです。
そういう必要な押し付けみたいなところが、
AIによってブロックされたり流されてしまったりしやすい時代になってるというのが事実かなって思うんです。
で、そういうところから考えた時に、
ポッドキャストはAIを使ってうまく処理することがまだ難しいとは思うんですね。
とりあえず自分で聞いてみなければいけないし、
聞いた上で文字になっていない情報を自分の言葉として再構築するためには、
聞いたものをちゃんと反数して考えなければいけないわけです。
最近は文字起こしのサービスもありますけど、話し言葉の文字起こしを読んでもあんまり理解できないんですよね。
文字起こしを読むぐらいなら、自分でちゃんと聞いて頭を使って書き直した方がいいわけです。
そしてそうやって自分の頭を使うことが国語の学びとしては意味があるかなって思ってるわけですね。
まあ本気出せばポッドキャストを録音して文字起こしさせるみたいなことはできちゃいますけどね。
とはいえそこまで手間をかけるんだったら、まあ勉強した方が早いと思うんじゃないかなとも思いますね。
夏休みの宿題:ニュース系ポッドキャストを聞く
実は今、自分の教えている生徒たちに夏休みの宿題としてポッドキャストを聞こうという課題を出してます。
対象は高校2年生の200人くらいですね。
毎日5分ぐらいで聞き終わるニュース系のポッドキャストを聞いて、感想をGoogleホームに投稿してもらうっていうそういう課題ですね。
番組は自分の方で10番組ぐらいセレクトして生徒に渡しています。
有名ところだとニュースコネクトだとか朝ポキ、朝日新聞ポッドキャストですね。
だとかヤング日経だとかそういうようなニュース系のポッドキャストを生徒に紹介してます。
英語の学習も兼ねてBBCだとかも紹介して、その中から生徒が自由に選んで聞いてもらうっていう形にしています。
ちなみに宿題を出してみてわかったんですが、やっぱり高校生って普段ポッドキャストはほとんど聞いてないですね。
聞いてる例があったとしても好きなお笑い芸人の雑談系だとかそういう番組が多いですね。
生徒で聞いてるっていうのが多かったのは、あずみさんの日曜天国だとか聞いている生徒なんかは結構多かったですね。
まあだからつまりニュース系だとか知的な話題の番組はこちらから入り口を用意しないと、なかなか生徒は自然には出会わないってことなんですね。
これだけ多様な番組が転がってる空間なのに、まあ放っておくとなかなか出会えないわけです。
だからこそ宿題という形で一旦押し付けてみることに価値があるかなーなんてことを今考えています。
ちなみに感想を投稿する掲示板はクロードコードを使って自分で作りました。
仕組みはシンプルで、Googleフォームに感想を投稿してもらうとスプレッドシートに集約されるので、そのデータを引っ張ってきて閲覧専用のページとして表示してるって感じですね。
学校の中だけで使えるクローズドな設定にしています。
まあこれ苦労して作ったって思うかもしれませんが、正直こんなの欲しいって言ったらすぐできちゃったんですよ。
これ掲示板になるくらいの軽いノリで聞いてプロトタイプが出てきたら、あとはレイアウトを調整していったらもうすぐできちゃうんです。
授業で使う小さなツールを先生が自分で作れる時代というのが本当にもう今の時代なんだなーなんてことは思ったりしますね。
話が逸れましたが、なんで掲示板の形にしたかというと、生徒同士でお互いの感想を乱れるようにしたかったんですよ。
ポッドキャストを足掛かりに学びにつながる知的なSNS的なつながりというか、そういうコミュニティを作れないかなーと思ってるんです。
第98回で授業の中の言語活動には宛先がないことが多いという話を話しましたけど、先生にだけ提出する感想文じゃなくて、お互いに読み合う掲示板にすることで、ささやかながら宛先のある言葉になるんじゃないかなーなんてことを考えてやってます。
その方が張り合い出ますよね。
宿題自体は夏休み前から始めてるんですが、生徒のリアクションがやっぱりいいんです。
自分の知らなかったニュースに感想を述べたり、趣味で詳しい話題だと深掘りして感想に書いたりしてきて、見ていてこれは本当に面白いですね。
例えば、夏向けの冷たいカップラーメンが発売されるというニュースを聞いた生徒は、今年の夏も暑いから幅広い世代に愛されそうみたいな感想を書いた上で、自分で発売日まで調べて絶対に買いたいみたいなことを言ってるわけですよ。
ニュースを聞いて終わりじゃなくて、自分で調べて自分の生活につなげてる、まあカップラーメン、たかがカップラーメンではありますけど、でもかなり能動的に動いてるじゃないですか。
かと思えば、国会会期延長のニュースを聞いた生徒は、延長すればそれだけ税金が使われるのだから有意義な議論をしてほしい、それよりも物価高の対策を優先してほしいんじゃないかみたいな自分の意見を書いたりしてるんですよ。
身近な話題から政治の話題まで5分のニュースを言い口に、生徒それぞれが自分の言葉で社会に反応してるんですよ。
で、この幅の広さみたいなところはやっぱり掲示板で見ていて楽しいですね。
本当は紙の新聞を読んで丁寧にまとめてもらう方が勉強としては綺麗にまとまっている感じはするんですけどね。
でも今の生徒たちの忙しさを考えると、新聞を読んでこい、じっくりと考えてこいというのは現実的じゃないですね。
そもそも家で新聞撮ってないことも多いですし。
じゃあデジタルの新聞でいいかというと、デジタルのテキストなら、それこそAIかませればいくらでも感想っぽいものを量産できてしまって、本当に自分で学んでいるのかどうか、見とる側としても評価ができなくなっちゃうんですよ。
せっかくなら意味のあることをやってほしいのになかなか落としどころ見つからない感じなんです。
ポッドキャストは文字起こしされていない情報だからこそ、自分で主体的に能動的に聞きに行かなければならないわけです。
そして聞いたものへの感想を自分の言葉に置き換えるっていうような、そういうような身体的な感覚みたいなところが国語的には意味があるんじゃないかなと思います。
そうなんですよね。ポッドキャストって、自分で番組を選んで再生ボタンを押すという能動性が求められるんです。
新聞と同じようなところがありますね。新聞も自分で紙面を開いて、この記事を読むぞと選ばなければ読めないわけじゃないですか。
能動的な行動が伴うわけです。これはもう間違いなく身体制じゃないですか。
そういうところに学びの可能性を広げられないかなぁなんてことを思ってます。
それからポッドキャストを聞いていると、学校の教科書で学んでいること、今探究として取り組んでいることの価値が社会のいろいろな面から見えてくる可能性あるんですよね。
今学んでいることの行き先はここに繋がるんだみたいな出会いが、生徒の興味関心に合わせて教室の外側にいくらでも広がっているわけです。
今回の宿題だと5分ぐらいの番組に絞って生徒には紹介したんですが、基本的にポッドキャストは番組の長さがバラバラなのもいいですね。
がっつりと聞きたい興味がある子は2時間を超えるような長い番組を聞けばいいし、
要点だけつまみ食いしたいなって思う子は5分ぐらいの番組もたくさんあるので、そういうのをたくさん聞けばいいわけです。
今の高校生はものすごく忙しいので、長ら時間に少しずつ自分自身の興味関心を広げられる仕掛けとしてポッドキャストは活用できるんじゃないかなと思っています。
声を使うことの身体性とポッドキャスト制作
そして最後に3つ目として、声を使うことの身体性の高さっていうのはやっぱり語っておかなきゃいけないことだなって思ってます。
自分の言葉が自分に馴染んでないと声に出した時に違和感あるんですよね。
だから色々なことを自然に理解しようとすることになるわけです。
国語の授業で言葉を扱うということは、いかにして自分じゃないものを自分のものにしていくのかというようなそういう営みだと思ってるんですが、
読んでいるだけだと言葉はなかなか馴染んでこないんですよ。
本当は様々な言葉を使って表現して誰かに届けるということをしてみないと、言葉を使うことにはならないと思ってます。
ただ授業数はなかなか増えないですし、いきなり書くことに挑戦するのはハードル高かったりするわけです。
そう考えると音声言語というところにかなりチャンス、水脈が眠ってるんじゃないかなと思うんですね。
ポッドキャストはスマホを一つで始められるなんて話はよくされますけど、授業でも同じで、動画編集に比べて音声は本当にハードルが低いです。
実際自分はポッドキャスト作りの授業を単元としてもやってますが、
詳しくは第69回と71回で話しているのでそちらを聞いてほしいんですが、特別な機材も技術もいらないんです。
生徒の一人一台端末に直接吹き込むくらいで十分ですし、
力を入れるべきは録音や編集よりもその手前の企画と台本作りの方なんですよね。
それで実際に授業をやっていて面白いのが、生徒たちは自分で喋ってみて初めて自分の言葉にあらがあるってはっきり気づくんです。
台本の上でいくら遂行を重ねるよりも一度声に出してみた方がここおかしくないと自分たちで修正したくなるんですね。
まさに自分たちの言葉が自分に馴染んでないということに対する違和感みたいなことを身体を通して実感している瞬間だと思うんです。
そして自分の声や言葉を録音して聞いてみてどう感じるかみたいな経験というのは、
これは意図してやってみないと絶対に巡り合わないわけですよ。
だからこそ、授業である程度やってみようよと矯正してみて、
自分の言葉をメタ認知することを促していくことに意味があるんじゃないかなと思っています。
ということで今日は3つ話をしてきました。
1つ目は、ポップキャストはジャンルが幅広くて教材としての多様性が担保できるし、生徒の進路にもつながる可能性があるということですね。
2つ目は、性性愛自体だからこそ、自分で聞いて自分の言葉で噛み砕くという体験に価値があるんじゃないかということ。
3つ目が、声を使うことの身体性が言葉を自分のものにするという国語の学びに直結しているということです。
ポッドキャストと人間、言葉のつながり
3つに相似て言えることとしては、ポップキャスト配信の向こう側に人間がいるということをダイレクトに感じられるのがいいのかもしれないなってことなんです。
本当は文章の向こう側にも人間がいるんですよ。
でもそれを感じるのはすごいハードル高いわけなんですね。
それを感じるための想像力というのは、訓練しないと生まれてこないわけなんですが、
そもそもの訓練するときに想像力がないと文章を読んでて面白くないわけですよ。
だから鶏が先か卵が先かみたいな話になっちゃって、なかなかハードル高いです。
だからこそ、人間と言葉のつながりが音ではっきりとわかるポップキャストは教材としてのチャンスが広いんじゃないかなみたいなこと、
そんなことを考えながら自分の自由研究はまだまだ続いていく感じですね。
自由研究のルーツと現代への継承
ということで今回は教育系ポッドキャストの日の配信でした。
参加してくださった番組はSpotifyでまとめられるものはプレイリストにまとめておきますので、ぜひ概要欄からチェックしてみてください。
最後に自由研究ってどこから始まっているのかという話を紹介しておきます。
一応これでも教育学部の卒業なので、そういう話を学部時代に教えられているので、思い出しながら話してみようと思います。
夏休みの自由研究のルーツって大正時代の自由教育運動にあると言われてますね。
例えば奈良女子高等師範学校の附属小学校や千葉師範学校の附属小学校などで、
子どもの興味関心を出発点にした今でいう探求学習的な学習が実践されていたそうです。
で、その理念が戦後になって引き継がれて、1947年の学習指導要領では自由研究という科目として位置づけられたんです。
時間割の中に自由研究という時間があったってことですね。
で、この昭和22年、1947年の学習指導要領って歴史的に見ると面白い存在なんですよ。
日本で初めての学習指導要領なんで、名前に師範とついてるんです。
内容としては、上から与えられたことをそのまま実行させる確立的な教育への反省から出発して、
先生たちが目の前の子どもたちに合わせて、自分で研究し創意・工夫するための手引きとして出されたっていう経緯があるんです。
そこで新設になった自由研究という教科は、子どもの興味関心から出発する学びを時間割に位置づけた、
まさに新しい教育の象徴だったりするわけなんです。
ただ、教科としての自由研究は数年で廃止されてしまったんですね。
それでも理念だけは残り続けて、現在の夏休みの自由研究に受け継がれているっていうそんな感じなんですね。
そう考えると、今、探究学習という形で自由研究が学校の日常の授業に戻ってきてるとも言えますよね。
最近は探究講外なんて貧のない言い方をする人もいますが、せっかく理念としても重要なことが戻ってきた学びであるので、
なんとか学校の学びとして整理していきたいものです。
それに先生が自分で研究して授業をつけるという思案の精神を考えれば、
オープニングで話した先生方の夏休みの自由研究も、実は80年前から続く宿題なのかもしれないですね。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
エンディング
感想はコメント欄やSNSでハッシュタグデジコクとつけて、ぜひお気軽にお願いします。
概要欄のメールアドレスやGoogleフォームに直接コメントをいただけても嬉しいです。
この番組は毎週月曜日に1回配信されます。
また、Voicyでは毎日配信もしているので、ぜひそちらもお聞きください。
それでは次回の配信でお会いしましょう。
では、また。
26:41

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