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#103 教育実習の指導教員として
2026-07-13 28:21

#103 教育実習の指導教員として

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第103回配信!
1学期の成績算出の話から、教育実習を「指導する側」としてどんなことを考えているのかをお話しします。
教育実習の法的な位置づけ、学習指導案をどこまで書かせるか、実習生にまず子どもを見ろと伝えたい理由、教員にならない学生が実習に来ることの意味
実習生を2回しか受け持ったことがない自分なりに、指導教員として考えてきたことを正直に語ります。


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サマリー

このエピソードでは、教育実習の指導教員としての経験に基づき、教育実習の目的、指導の難しさ、そして実習生に何を伝えたいかについて語られています。成績算出の仕組みや、教育実習の法的根拠、大学との連携、そして実習生に授業スキルだけでなく、子どもを理解し、教育者として成長するための支援の重要性が強調されています。また、実習期間の短さや、学校行事・部活動との兼ね合い、学習指導案の作成における指導方針についても考察されています。

成績算出の現状と教育実習の学び
この番組では、Google for Education認定イノベーターコーチ、トレーナーのKasaharaが、教育にまつわる様々な話を配信していきます。
さて、先週1週間は、勤務校は1学期の成績を算出する時期でした。
成績算出って外から見ると、テストの点数をつけるだけでしょ?って思われがちなんですが、全然そうじゃないんですよ。
今の学校の成績って、定期テストの点数で一発で決まるわけではないんです。
観点別評価といって、もちろんテストの割合はそれなりに高いんですが、それ以外にも授業でのパフォーマンスの様子だとかを多面的に評価する仕組みになっています。
観点というのが3つあって、知識だとか、思考判断、表現だとか、まあ細かい話をするとわけわからなくなっちゃうので避けますが、
もう定期テストで単純に点数取れればいいという話ではなくて、授業中の取り組みの様子だとか、パフォーマンス課題の出来だとか、そういうものを日常的に地風石して丁寧に見取っていくことで、
一人一人にフィードバックを返していこうという意図で成績をつけてるんです。
実は法律的には、学期ごとのABCや5段階評定を出す必要ってないんです。
だから学校によってはこの時期に成績算出やってない学校も実際ありますね。
ただ成績出さないと締め切りの圧力が働かないので、せっかく集めた提出物をちゃんと総括しなくなる人も出てくるだろうなっていう気はしますね。
だからちょっと大変ではあるんですけど、締め切りがあることで生徒にちゃんとフィードバックが戻せるようになるというのはいい形かなと思ってます。
ちなみに成績の出し方って大学の授業だとほぼ全く習わないですね。
もちろん理論として評価周りのことは、例えば総括的評価だとか診断的評価だとか形成的評価だとかそういうことは習うんですが、
実務でどのように運用されるかということについては、学校ごとのローカルルールも多くて、現場に出て周りの先生に教えてもらわないとできるようにはならないんです。
ただでさえやることが多いのに、成績算出を初めてやる新人の先生は、もうかなりこの時期大変だろうなと思いますね。
いつから自分がこうやって学校の業務に慣れて、無意識でもある程度成績出せるようになったのか不思議な感じがします。
教育実習ではなかなか成績のつけ方に踏み込んだりもしないわけで、現場に来て職人的に学んだことがいっぱいあるわけですね。
なかなか効率悪い気がします。
でもだからといって、教育実習で評価の話を細かくやることにもあんまり意味があるとも思えないので、教育実習って何をどう伝えたらいいか考えなきゃいけないなと思いますね。
ということで、今日は教育実習について話していこうと思います。
第99回で自分の実習生の時にどんなことをしたのかというのを少し触れましたが、
今回は教育実習を指導する側の話として、どんなことを考えて、どんなことが難しく思っているのかということを自分の経験から話していこうと思います。
それでは今週のデジタル時代の国語教育を語ろうを始めていきましょう。
教育実習の法的位置づけと目的
最初に正直に白状してしまうと、自分が教育実習生を指導したのは前にもちょっと言いましたが、過去に2回だけなんですよ。
別に自分は教育実習生を受け持っても構わないよという話は何度も勤務校でしてるんですけど、なぜか持たせてもらうチャンスが回ってこないんですね。
だからまああんまり掘り下げて話できない気もするんですが、教育実習についてこういうことを考えてますとか、
うちの学校ではこんな感じなんですけど、他の学校ではいかがですかみたいなことを少しでも共有できたらいいなと思って話そうと思います。
ちなみに自分自身は前にも言いましたが、国立大の教員養成課程出身なので、教育実習に関しては多分世間一般と比べるとかなり特殊だったと思います。
実習生が30人ぐらいまとめてポンと同じ付属の学校に行くんですよ。
教科の中でも5,6人一緒に実習に行くので、各学年に2人ぐらいずつ国語の教育実習生がいるみたいな状況です。
おそらく自分の母校に戻って実習を受けて、学校の中に教育実習生が1人2人みたいな状況とは全く様子が違うんですね。
だからいざ自分が教育実習生を指導しようと思っても、自分が受けてきた実習が特殊すぎて、どこからやったほうがいいのか見通しがつかないんです。
だから仕方ないので法律的にはどうなっているんだろうみたいなところからかつては情報収集をし始めたわけです。
今となって思えば法律から行かなくてもよかったなとは思うんですが、期待されていることとか理念として決まっていることは大切だろうと思って調べてみたんですね。
自分が調べてきたことをまとめるとこんな感じのメモが残ってましたね。ちょっとメモを見ながら話してみますね。
自習校は何を教えなければいけないんですか?みたいなことはよくある質問なんですけど、答えは少し意外な感じはありますね。
教育実習には教員免許法だとか施行規則というような法律上の根拠があります。
けれども授業作りを何時間教えなさいとか学級経営についてこれを説明しなさいみたいなことが細かい内容は法律では書かれてないんです。
まあ当たり前っちゃ当たり前なんですけど。だからつまり教育実習のカリキュラムが法律で何か規定されているわけではないんです。
ここで大切なのは教育実習は学校が独自にやる研修ではなくて大学の教職課程の一部であるということです。
実習生は学校の職員ではなくて大学の学生としてあくまで来るわけです。
大学が教員免許取得に必要な実習を適切に実施する責任を負っていて実習校はその大学教育に協力する立場として学校現場で学生の学びを支えるみたいなそういう構造なわけです。
法律が細かく内容を決めてない一方で学校教育の実際を体験的総合的に学ぶという目的ははっきりと示されています。
だからこそ多くの実習校では授業作りや教材研究、学習指導案の作成だとか研究授業といった授業実践の話はすごいたくさんやるんですけど、
それだけではなくてホームルームの運営や学級経営、生徒指導、教育相談、部活動、学校行事みたいなところ、教員という仕事を全体を経験できるように工夫を凝らしているわけですね。
教育実習は授業だけを練習する期間ではないんです。教員は授業をするだけでは仕事にならないわけなので、生徒を理解し、保護者と連携し、
学校という組織の一員として働き、教育活動を進めていくっていう一応そういうお題目があるわけです。
だから実習だとそうした教員の仕事全体を体験することが教育実習の本来の目的になるわけです。
最近は少し考え方が広がっているようで、以前は授業がうまくできるようになることを中心に考えていたんですが、
今はなぜそのような指導をしたのかとか、子どもの反応をどう受け止めたとか、次にどう改善するのかというようなリフレクションですね。
振り返りを通して学び続ける力を育てるということを実習でも重視することが増えているみたいです。
だから実習に求められているのは単に技術を教え込むことじゃなくて、実習生が現場を体験して自分から考え、振り返り、教員として成長していけるように支援することなんですよね。
SNSだとかを見ていると、もっと大学でこういうことを教えるべきだとか、教育実習でこういうことをやるべきだみたいな意見をよく目にするんですが、
実は大学も教育実習も少しずつイメージが変わってきてはいるんです。
まあそういうことはこういうポッドキャストで伝えられたらいいなと思いますね。
指導教員としての課題と指導方針
ただ理念としてこういう傾向がありますよという話をしても、実際のそれぞれの現場までそれがちゃんと降りてきているかというと、
まあ自分の周囲を見渡してもちょっと怪しいところはありますね。
やっぱり授業スキルの方に目が行くし、生徒をどれだけ指導できるかみたいな授業規律みたいなことを指摘される先生が多い様子は感じます。
実際、自分が教育実習生を指導していたときに、研究授業が終わった後にそれぞれの先生のところにご挨拶に行くんですよ。
授業はいかがでしたかと指導をいただくわけですが、
その時に場所が汚かったとか声が小さかったとか、ある意味で外面的なことしか言ってくれない先生はかなりの数いるんですね。
実習生が一生懸命やっているところの荒探しをされているとそんな感じに感じてしまうので、指導教員としてはそこじゃないんだけどなーって思っちゃうわけですよ。
逆に自分がよその実習生の授業を見て準備が足りてないなと感じたときは結構厳しいこと言っちゃうこともあるので、
まあそれも荒探しみたいに伝わってしまうと嫌なんですけど、
実習生に何を指導しなければいけないのかってその伝え方みたいなところというのも本当に難しいですね。
自分はつい教育官はどうなのかとか、子供をどう評価しているのとかどうやって見立てているのみたいな話をしがちなんですね。
教科書に書いてあることを一生懸命調べてきてそれを読み上げて版書に書いて話せば子供が覚えるできるようになるとか、
そういう貧困な発想では授業をやってほしくないなーみたいなことを結構言っちゃう感じですね。
まああのちゃんと調べてきてそれを台本通りに話すということも実習のレベルだとすごい難しいことなので、
それができること自体は褒めて話すことは多いんですけど、ただそこで止まっちゃいけないよねーみたいな話はついついしがちなんですね。厳しいですかね。
教育実習は2週間か3週間であることが多いんですけど、学校の2週間ってものすごく短いんですよ。土曜日授業をやってない学校も多いので正未10日間ぐらいですね。
でその間に学校行事が入り込んでくるともう授業をやってる暇がないというか、生徒と落ち着いて話す時間もないぐらいバタバタするんです。
2週間って聞くと結構長く感じるかもしれませんが正未10日ぐらいしかないとなると、例えば初日と最終日は挨拶回りでバタバタするから、
本当に生徒と関われる時間というのは8日とか7日ぐらいしかないかなと。だから各クラスの授業が3回とか4回ぐらいしかないこともざらにあるわけです。
子供の頃のイメージだと教育実習の先生がなんかずっと長い間いたような印象を持っている方もいるかもしれませんが、教員の側から見るとあっという間に来てあっという間にいなくなったという感じが強いです。
だから限られた時間の中で何を教員として身につけてほしいのか受け入れる側もちゃんと考えてポリシーを持って取り組まないとすごい難しいなと時間がもったいないなと思いますね。
受け入れる側も難しいんですよ。やっぱり今授業数がいろいろな科目で足りてない中、実習生に授業を渡して自由にしていいよとはなかなか言いづらいわけです。
年間の授業数をちゃんと見て、実習生であっても生徒の学力を保証しなければ年間の授業予定が終わらなくなっちゃうわけで、かなりハードル上がってるなぁなんてことは感じますね。
そのバタバタした中でも、研究授業についてはきっちりとした学習指導案を書かなきゃいけないわけです。
学習指導案って簡単に言えば、授業の計画、単元の計画、どういう狙いでどういう意図で授業を設定してどういうゴールにしているのかというその説明責任を果たすための文書のことですね。
で、この学習指導案を書くのがやはりなかなか骨の折れる作業ですね。
自分が指導案だとかを外部発表用にしっかり書こうと思えば、自分であってもやっぱり丸1日ぐらいはかかりますね。
だから実習生が自分の授業について全部言語化してちゃんとした指導案を作ろうと思うと、2週間の実習期間って時間足りるのか?みたいな感じですごい大変な作業になるんです。
指導案に関しては、学校や自治体によって流派みたいなものがあるんですが、大体書かなきゃいけないこととしては、まずは学習指導要領の指導事項に基づいた単元の目標、それから生徒がどういう状況なのかという、国語の力がどうなのかというような生徒感、生徒の見取りですね。
さらに、授業で取り組む教材、学習材がどういう価値があって、社会の中でどう授業されて子どもたちに読ませることで何が目指せるのかというような、そういう教材感、学習材感が必要です。
さらに3時間なり4時間の単元を通した授業計画と、研究授業で見てもらう一コマの細かい流れ、発問の例だとか、評価の場面だとか、そういう台本みたいなものだとか、版書計画みたいなのを書くんです。
さらに評価に関してもテストしますとは書かないので、こういうパフォーマンス課題を準備して、こういう観点で評価しますみたいな表も書いていくわけですね。
学習活動と評価と指導が矛盾なく論理として破綻しないで書けるかどうか、長ければA4で10ページぐらいになるし、短くてもA4で数ページ分はしっかりした文章で書かなきゃいけないわけです。
最近は自分が教育受習でやっていた頃よりも、学習指導案はどんどん簡素化しましょうという方向に変わってきている感触はありますね。
細かいことを書くというより、しっかりとした軸を書いて、授業後の討議会で指導案に基づいてしっかりとリフレクションしましょうねという、そういう感じです。
ただ指導される側からすると、大量の指導案をちゃんと書けて求められるケースもやっぱりまだ残っているようです。
この学習指導案をどこまで細かく書くべきかということについては、今の段階だと自分の中にはあんまり結論はないですね。迷っているところです。
自分が普段の授業について考えるとき、教育受習生の頃に書いていたような細かい指導案はもう書かないですね。
外部発表だとか原稿を頼まれたときに書くことはありますが、その時も細かい発問だとか、授業内の評価の場面どうするかみたいなことなんかは踏み込んで書かないようにしています。
これには理由がいくつかあって、指導案がなくてもある程度年間の授業がコントロールできるようになってきてるっていう自分の教員としてのスキルの話もありますし、
あとは細かく計画を立てても、大体計画通りには進まないよなっていうのもあるわけです。むしろ計画を外れていくところに生徒の自分の想像を超えた成長があったりするので、
指導案通りに進まないところを楽しみたいなというような、そういう今の自分の教員としての気分も大きいわけです。もちろん年間の教育過程とかシラバスとの兼ね合いはあるので、何でもかんでも自由に思いつきではやれるわけではないです。
なんとなく骨組みの指導案は頭の中かメモ書きにしてあって、そこから外れないように生徒に伴奏してみたいなノリでやってる感じですね。
で、自分がこうやって細かい指導案を書いてもしょうがないなぁと思ってる一方で、自習性を受け持つのであればおそらく細かいところまで自分は書かせちゃうかなぁ、そんな気がしますね。
授業計画の細部とかはどうでもいいんですけど、例えば生徒間にあたるところをちゃんと細かく言語化して書いてもらう、つまり生徒のことを見とれているのかみたいなことは試しちゃうかな。
その生徒に対して教材観、自分が目標として設定しているものに対して、この教材が本当に価値があって効果的に生徒の力を出すことにつながるのかみたいな、そういう理論武装みたいなところを試すためにも学習指導案はしっかり書きなさい、言葉で説明しろというふうに言っていくような気がします。
文章としてきれいなものに仕上がらなくてもいいんですよ。今の教室で起こっていることをちゃんと自分で一生懸命捉えようとして感じ取ったことを言葉に直そうとしているかどうか、そこをやっぱり指導するんだろうなと思います。
学習指導案の型に当てはめて書くことが目的ではなくて、書くという作業を通じて教育するということは手順に従って根拠を持って一つ一つ丁寧に積み上げていく仕事なんだ、思いつきじゃないんだっていうことを感じてほしいんです。
だから学習指導案に関してはかなり細かいところまでうるさく言っちゃうかなという気がしますね。でも授業に関しては指導案に書いてある通りにうまくいかなくても、ああだこうだ文句言う気は全くないですね。
学習指導案を書いて、自分の頭の中で今の子供はこういう状況で目標はここ、目の前で起こっていることはこういうことで、読んでいる教材がこういうところを狙いにしている。
けど実際に教材を与えてみたら生徒のリアクションはこうだった、さあどうしよう、わちゃわちゃみたいな、そういうような試行錯誤に学びがあるんじゃないかなって思ってます。
そのためには試行錯誤するためにはやっぱり書いておかないと見えてくるもの少ないんじゃないかなというそういう気がしてるんです。
実習生に伝えたいことと教育実習の意義
まあちょっと矛盾した言い方になりますが、教育受習生には生徒が学校に登校している間は自分が授業するクラスのいろいろな先生の授業を見に行って、生徒の一日の様子をよく見なさいと言いますね。
指導案書けと言ってるのに生徒の様子見ろと言ったり、なかなか矛盾してますよね。
まあでも生徒がいるときに研究室にこもって自分の仕事をしているのはあんまり良くないかなと、せっかくの実習で一番学べることって生徒の様子のはずなので、
まあやること、指導案書いたりだとかあるんですけど、それでもできるだけ時間作って教室に行きなさいって言っちゃいますね。
生徒の日常の様子とか、国語であれば普段生徒がどういう発表の仕方をしているとか、どういう言葉遣いをしているのか、他の教科でどういう作文書いているのか、そういうことをちゃんと見ながら、
じゃあ国語の授業でここに力点を置こうとか、ここを重視して関わっていこうとか、そういう立ち振る舞いを決定していくことが大切なんじゃないかなと思ってます。
まあ個人的な好みみたいなところがありますが、どうやって授業をしたらいいかについては子供に聞くのが一番早いと思ってます。
もちろん実習生がどうやったら授業うまくいきますかなんて生徒に聞くわけないですよ、一種のヒューです。
生徒の普段の様子からこういう授業ができるんじゃないかみたいなことを見とるわけです。
子供たちの様子を見てると発表をうまくしたいのに話すのが苦手だとか思っている子が多いならば、その原因がどこにあるのかみたいなことを実習生なりに考えて、
じゃあ教科書のここを使ってちょっとチャレンジしてみようかなみたいなことをぜひやってほしいなって思ってるんです。
一人の子供を育てるそういう立場に実習生自身が立って、自分自身でどうやって子供たちの成長を支援できるのかということを2週間なり3週間なり頭ひねってほしいんですね。
それが教員としての財産になるんじゃないかななんてことを思っています。
自分が教育実習を指導するなら、そういう方向で指導する気がします。
逆にその分、番書がどうのこうのだとか授業規律がどうのこうのみたいな話はたぶんほとんどしない気がしますね。
授業規律だとかに関しては学校によっても雰囲気が全然違うので、自分の勤務校の学校のルールを覚えて妙な指導を現場でされる方がまずい気がしています。
授業がうまくいかないのを子供のせいにするんじゃなくて、普段の子供の様子を見てそこからどういう授業だったら子供に響くのか考え続ける。
そういう習慣を身につけて帰ってくれれば、どこの現場に行っても大丈夫だと思うので、そういう実習にしてあげたいなと思っているわけです。
ただそういう親切な気持ちで考えているつもりなんですけど、帰って非常にハードな実習になっちゃいますけどね。
だから実習生からしたらありがた迷惑かもしれないですね。
実際教員にならないような人も結構いるわけですしね。
教育実習に関してやっぱり付け加えて言っておくと、教育実習に来ても教員免許を取るだけで先生にならない学生の方が8割9割ぐらいかなーみたいな印象ですね。
とりあえず免許を取れるなら実習に行くかみたいなノリで来ている生徒の方が多分多数です。
そのことをあまり面白く思ってない先生がいるのも事実なんですが、自分はむしろそれでもいいかなーなんてことは思ってます。
一つは教員免許更新がなくなったので、興味を持ってもらったらいつでも教育現場に来てもらえるということ、その価値は大きいと思いますね。
教員免許更新で免許を執行してしまった方って絶対多いので、潜在的に教員免許を持っている人が増えるのは、学校にとって教育にとって長期的にはプラスだろうと思ってます。
もう一つは、学校の中の事情だとか先生が学校の中でどう働いているのかということを教育受習を通していろいろな若い人に知ってもらうこと自体に価値があると思うんですよ。
学校ってすごーく昔のイメージで語られがちじゃないですか。
でも今の学校というのは小学校1年生から一人一台タブレットを生徒が使ってますし、学校によっては生成AIだとかも小学生ですらガンガン使ってるわけですよ。
チョーク&トークだけでひたすら授業をやっているイメージの学校像と実態が全然違うわけですね。
そのイメージのギャップがあると、学校についての議論が噛み合わなくなっちゃうわけです。
今の学校がどれだけいろいろなことに取り組んでいて、今の子どもたちが自分の小中高の頃とは全然違う価値観で動いているということを知ってもらうのは、学校を社会の中で理解してもらうための仕組みとして結構意味があるんじゃないかなって思いますね。
何よりも、学校の先生が文字通り暴殺されるような生活をしているのを見てもらうことで、社会の中に学校の見方がもうちょっと増えたらいいなーみたいな下心もありますしね。
正直なところ、教育受習生を受け入れるのは受け入れ側にとっては何一つメリットはないわけです。
金銭的に支援してもらえるわけでもないですし、ある意味で全部持ち出しで受習生の指導に当たるわけです。
それでも心よく引き受けて、一人の受習生に対して多くの先生方がいろいろと指導するのは、教育の未来に関してやっぱり関心を持っている若者をちゃんと支えなきゃいけないという危機感を少なくとも現場の先生は持っているからですね。
おそらくこの後9月にも受習生がやってくる学校はそれなりの数あると思います。
受け入れる側の先生方は大変だと思いますが、未来ある若者を仲間だと思って迎えてあげてほしいなと思います。
逆に、もしこんな番組聞いている教育系の学生がいて、教育実習をどうしようかと悩んでいるならば、安心してその学校の先生に頼ってみてください。
教育の未来を支えようとする人に対して意地悪する先生はいないですから。
教育実習における学校行事と部活動
ということで、教育実習について話してきました。
教育実習というのは授業だけではなくて、学校の生活、学校というものの全体を経験する機会なんだということは最初にお話ししましたね。
ただとはいえ、教育実習中に学校行事が重なることに関しては個人的には結構痛いなと思ってます。
教員として学校行事を体験することは大切です。
授業だけだと埋もれてしまうような子が、行事だとものすごく活躍して別の側面から子供を見ることができるわけです。
どうしても授業だけ見ているとその子の見方が固まっちゃいがちなので、いろいろな角度から子供を見る経験として実習中に行事に参加できることはすごい価値があります。
ただまあ、中には教育実習生をコマ使いみたいにパシリみたいに使う学校があるのも事実なんです。
行事の運営の人手が足りないからって何でもかんでも実習生に準備やらせる未来な、まあそういう学校あるんですよ残念ながら。
それは実習の趣旨にも合わないですし、そういうことをするから現場の先生になってくれる人の数が減るんじゃないですかと個人的には結構厳しい目を向けてるんです。
あと個人的には学校行事よりも、まあ教育実習の趣旨の問題はありますけど、実習生が数週間しかいないなら1時間でも多く授業をするべきだろうとは思ってます。
行事のような場というのは普段の先生と生徒の関係があるからこそ意味があるわけで、実習生であれば彼の舞台よりも毎日続く授業系の方をしっかり学んだ方がいいんじゃないかななんてことは思ったりもします。
行事で気持ちが大きく動くこともあるでしょう。でも学校生活ってそういう大きく動く場面よりも、毎日淡々と続く授業の方が圧倒的に多いし、授業の足元がふらつくと結局行事だってふらついてくるんです。
教育実習をもっと静かで落ち着いた環境で受けさせてあげることの方が、まあいいんじゃないかみたいな議論が今後されてもいいんじゃないかなと思ってます。
あと同じ理由で実習生が部活にたくさん行くのもどうかなと思ってますね。逆に部活動に呼びつける先生なんかもいるのもどうかなと思いますね。
ただでさえ忙しいのに部活までやらせたらパンクしちゃうわけですよ。どうやって勤務時間内に授業準備までやりますかみたいな話になってくるわけです。
部活動よりは授業準備に時間を割いてほしいなぁと自分は思うんですよね。部活で自分の好きなことを生徒に教えて教員っていいなって思うのもちょっと教育実習の学びとしては違うとも思いますしね。
むしろ思い通りにならない授業で思い通りにならないことをどうしたらいいのかに一生懸命時間を割いてほしいなぁなんてことを思ってるんですが、まあこういうことを言うと嫌われるんだろうなと思いつつ、今日の配信は終わりにしようと思います。
まとめと今後の展望
ここまでお聞きくださりありがとうございました。感想はコメント欄やSNSでハッシュタグデジコク、デジはカタカナ国語のコクとつけてぜひお気軽にお願いします。
概要欄のメールアドレスやグーグルホームに直接コメントをいただけても嬉しいです。
この番組は毎週月曜日に1回配信されます。またボイシーでは毎日配信もしているのでぜひそちらもお聞きください。それでは次回の配信でお会いしましょう。ではまた。
28:21

コメント

わたしは街のお茶の間子どものフリースペースや中学校の講師などで小中学生に関わる機会はありますが、それ以外のシーンで子どもと関わる機会が本当に少ないなあと思います。子育てしている人ならともかくそうでない人が子どもの今を知る機会なんか皆無ですし、子育てが一段落ついた家庭の人も今の学びを知るすべがほとんどない。子育てに関する不寛容さにも繋がっている気がします。

教育実習悩ましいですよね笑 本当にあれはいろいろな意味で大変です。 またまた配信ネタをありがとうございます。 3回分ぐらい配信できそうです笑

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