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#099 教えるということに向き合った時のこと #教育系ポッドキャストの日
2026-06-15 25:37

#099 教えるということに向き合った時のこと #教育系ポッドキャストの日

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第99回配信!

#教育系ポッドキャストの日
第1回テーマ「初めての学び」にちなんで、自分が「教える」ということと初めて向き合ったときの話をしました。小中高12年間、授業で学べた手応えがなく、ノート指導のトラウマを抱えたまま教育学部へ。大学でプロジェクトベース学習(エドビジョン型PBL)と出会い、学びとは何かを考え始めたことが、教員としての原点になっています。探究学習とPBLの違い、国語科教育のレジェンドたちから学んだこと、そして教員養成課程をもっと大切にしてほしいという思いについて語っています。

▼教育系ポッドキャストの日
・開催期間:2026年6月15日(月)〜6月21日(日)
・共通テーマ:「はじめての学び」
・詳細・参加表明はこちら→ https://app.notion.com/p/365cba284e988051b618fc7470dacea6?v=365cba284e988084a403000cd632bbc6&source=copy_link

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サマリー

本エピソードでは、「教育系ポッドキャストの日」のテーマ「初めての学び」に合わせ、パーソナリティが「教える」ことと初めて向き合った大学時代を振り返る。自身の学生時代の学びへの違和感やノート指導のトラウマから、教育学部でプロジェクトベース学習(PBL)と出会い、学びの本質を問い直した経験が語られる。探求学習とPBLの違いや、国語科教育のレジェンドたちから学んだこと、そして教員養成課程への思いも述べられている。

「教育系ポッドキャストの日」と「初めての学び」
デジタル時代の国語教育を語ろうにようこそ。 パーソナリティのKasaharaです。
この番組では、Google for Education認定イノベーター、コーチ、トレーナーの資格を持つ、私、Kasaharaが、教育にまつわる様々な話を配信していきます。
さて、本日6月15日から教育系ポッドキャストの日がスタートしました。
今日から1週間かけて様々な番組が配信を始めていきます。 音声の力でいろいろな方がつながっていけたらいいなと思ってますし、それが教育の話として盛り上がっていったら嬉しいですね。
ここ数回の放送で、毎回同じことを言っている気がしますが、教育って学校の中に閉じた話じゃないんですよ。
いろいろな人がそれぞれの場面で学ぶことが教育だと思っているので、だからこそこのイベントはいろいろな様々なジャンルの番組が様々な角度で学ぶことや教育について話してくれたら嬉しいなと思っています。
それを聞いたリスナーの皆さんが、教育に対していろいろな場面で関心を持ってくれたら嬉しいです。
とりあえず3ヶ月連続で自分がホストをやろうと思っています。 その第1回目が今回6月の配信です。
ぜひよろしくお願いします。 6月に結構な数の番組が参加してくださったので、無事に2回目以降も開催できるかなぁなんてことを思っています。
そしてもちろん、ホストである自分も教育系ポッドキャストの日として配信します。 第1回目のテーマが初めての学び。このテーマにちなんで、今日は自分が初めて教えるということについて学んだ時期のことを振り返って話をしてみようと思います。
何を話そうかなぁと迷いましたが、ちょっと大学のことについて話してみようかなぁなんてことを思います。それでは本編の方をお聞きください。
学生時代の学びへの違和感
初めての学びということで、今日テーマとして話そうと思っていることは、オープニングでも触れた通り、自分が教えるということについて学び始めた時のことについて話してみたいなと思います。
自分が教えることに関して真面目に考え始めたのは、大学に入ってからなんですよね。 高校まではそもそも学校生活はそれほど真面目に過ごしてきたっていうイメージは自分の中には全くないです。
高校の授業に関しては、別に何か教わることには何にも困ってなかったですし、人の話を聞くということ自体が生まれもって苦痛だったので、基本的にはもうずっと寝ていた記憶しかないですね。
先生に授業中に質問された時に、寝ていようが何していようがその場で答えられればいいだろうくらいに思ってたので、真面目に授業を受けていた記憶というのは全くないんです。
もしくは、人の話を聞いているようで全然違うことを考えていたりやっていたりして授業を面白いと思ったことは全くなかったですね。
思い出に残っている授業はみたいなことをこの仕事をやっていると聞かれるんですが、正直困りますね。
何にもないです。全くの無です。びっくりするぐらい永遠のゼロです。
だから何でしょうね。学校という仕組みに関しては、自分の高校は比較的新学校だったこともあって、校則もあってないようなものだったので、先生たちもガミガミ言わない学校でした。
だから、窮屈に感じることは多分、よその学校に比べると相対的には少なかったと思うんです。
でもやっぱり受験に対してはこうあるべきだみたいな空気だとか、そういうことに対する細かいところの違和感というか、あまり居心地の良くない日々というのを過ごしていたなという記憶が、
なんとなく細かいそれぞれの日に何あったかなんてもう覚えてないですけれども、居心地の悪さみたいなところが記憶として残っているわけです。
だから根本的には、そもそも自分は人にものを教えるということを全く信頼していないんです。今でもそうですね。
自分が人に教わるということがうまくできなくて、授業で学べたっていう手応えが全くなかったっていう現体験が大きいんです。
人に上からものを言われることに対して、小中高等ずっとあまり良い思いをしてこなかったので、人が誰かに何かを教えられるなんて全く思ってないわけです。
特に最悪な記憶として残っているのがノート指導の記憶ですね。小学校の頃の話なんですが、自分は小学校の頃ほとんどノート書かない子供だったんです。
授業の内容だとか、黒板見てれば全部覚えられちゃったから書く必要性なかったんです。
それに自分の字がうまく書けないのも、本当に汚い字を見るのがストレスだったし、思い通りに綺麗にまとめることができないというのがとにかく嫌だったわけです。
まあそれは実は今もそうで、手書きをやれって言われると本当に暴れたくなるんですよね。
だから小学校の時はとにかく字を見るのがストレスだったので、だったらノートは書かない方が良くて、その場で覚えちゃった方が勉強もできるしいいやってことで、授業中にその場で黒板を頭の中に覚えちゃうみたいなことをずっとやってたんですよ。
で、そのことを小学校3年生だか4年生だかの頃に先生に見つかって、もうありえないぐらいめちゃくちゃ怒られたんです。
他の子はそんなことを誰もやってないのに、なんでお前は普通のことができないんだとか、ノートぐらいちゃんと取りなさい、お前はずるいやつなんだ、だからダメなやつなんだって相当言われたんですね。
そんなこと言われても、自分の思った通りに綺麗に書けないことがストレスだったし、別に授業でやってることぐらいは書かなくたって覚えられるよっていう気持ちもあったので、
なんでこんな言われ方しなきゃいけないんだっていう気持ちを非常に強く持ったんですね。
まあトラウマですね。
それ以来ですよ、10歳そこらの頃から中高等をとにかく先生が満足することをこの程度やっときゃいいだろうということを作業としてこなしたら、もう教員の話なんて全く聞いけないわけです。
そういうところで小中高等を育ってきたわけなんですね。
教育学部進学の理由と国語科選択
じゃあなんでそんなやつが大学の教育学部の、しかも教員養成課程に行ったのかって話ですよね。
この話をすると長くなるので今日は詳しくはやりませんけど、やっぱり根本的には自分が受けてきた教育に納得がいっていないっていうところがあるんでしょうね。
教員になりたいだとか憧れの先生がいるだとか、無活動をやりたいだとかそういうことは一切思わないですね。
自分のあの生き方のまるで逆です。
ただ教育学部に行ったんです。
大学の先生からしたら迷惑な学生ですよ。
教員養成課程のミッションとしては教員採用試験の合格率は気にしているはずなのに、全く効率の教員になろうという気持ちがないやつが入ってきちゃったんだから、もうたまったもんじゃないですよね。
でも自分にとって一番わからなかったことが、人にものを教えるってどういうことなのかっていうことだし、本当に教育って意味があることなのかっていうことがわからなかったわけです。
だから自分にとって一番わからないことを学ぶべきなんだろうと思って大学に行ったんです。
自宅のそばから通える大学っていう縛りもあったわけで、学費も払えないから私立って選択肢もないですしね。
自分が通っていた頃の国立大学はありがたかったですね。
事業料免除も充実していたおかげで、大学院修了までほとんど学費に関しては苦労せずに払うことができたので、大学院修了できたのはその仕組みのおかげというのは大きかったです。
家の近くに国立大学がなかったら厳しかったなと思いますね。
話を戻しますと、ちなみになんで国語科なのかというと、別に国語が好きだったわけじゃないです。
小中高等国語の授業で何を学んだかということに関して教科書に何載っていたかって覚えてないんです実は。
大学に入って教科教育法の授業をやるまで、中学校で少年の日の思い出だとか走れメロスをやったっていうことすら覚えてなかったんです。
読書量はそれなりにあったので、中学校の頃に源氏物語、瀬戸内弱調役ですね。
それを自分で読んだりはしてたんですけど、授業で何をやったかということはさっぱり覚えてないです。
じゃあなんで国語科なんだよって話なんですが、大学の出願の時にたまたま一番上の方にあった学科が国語科だったので、適当に出願したっていうのが実際のところです。
一番上にあったのが数学科だったら今頃数学の先生やってたでしょうし、社会だったら多分社会の先生やってましたね。
どの免許がどのように取れるかだとかいうことも全然調べないで出願したので、結果的に今になって情報の免許をちゃんと取っておけばよかったなぁみたいなことにつけを払わされてる感じになってます。
大学の時にサボったので今こうして働きながら高いお金を払いながら情報の免許を取り直すみたいなことをやってるわけです。
ちゃんと人生設計考えて大学行かないとダメですね。これは生徒にちゃんと言おうと思います。
大学での学びとPBLとの出会い
まあそんなわけで話を戻すと、大学に入っていろいろな授業で教育について学ぶことになったんですけど、
まあ大学に入ったからといって急に人間勉強するようになるかというとそんなことは全然ないわけです。
講義式の授業に関してはほとんど人の話を聞いてるようで全く聞いてなかったわけです。
じゃあ大学の時に何をやっていたかというと、大学一、二年生の頃はゼミもないですから、大学図書館にこもって授業で紹介された参考文献のリストをひたすら上から順番に読んでいくみたいなことをやってたわけです。
高校とは全然違っていろいろなものがいっぱいあるんだなーっていうところに感動がありましたね。
授業で紹介されたリストを片っ端から大学の図書館で漁って読むっていうことをしていたわけです。
その学びがやっぱり大きかったですね。
そうやっていろいろな文献を読んでいく中で、教育ってこんなにちゃんと理論に基づいて行われているんだっていう気づきがあったわけです。
自分が受けてきた教育とは全然別のベクトルで、ちゃんと工夫された授業の実践がこんなに山ほどあるんだっていうことを、大学の図書館だとか学部の資料室にある資料を読んで、やっとそこで初めて気づいたんですね。
そうなってくると、大学の講義の話が途端に面白く理解できるようになってくるんですよ。
なるほど、授業で今先生が話している話っていうのは、あの資料に出てきた超有名な話じゃないかみたいなことに気づくわけです。
現場での経験を踏まえて、大学で教員養成に関わっている先生なんかは十分に理論を踏まえた上で、さらにご自身で先進的な実践に取り組んでいて、子どもたちの成果物もいろいろと紹介してくれるので本当に面白かったわけです。
やっとそこで授業で学ぶってどういうことなのかっていう学びがありましたね。
そして今振り返って、自分にとって大学時代に一番大きな衝撃だったと思うのが、プロジェクトベース学習との出会いです。
今は奇跡に入られてしまいましたが、上杉謙史先生との出会いが自分にとっては大きかったです。
上杉先生が授業で紹介されていたのが、ミネソタニューカントリースクールなどの、いわゆるエドビジョン型のPBL、プロジェクトベース学習なんです。
ちょっと説明すると長くなっちゃうので、端折って簡単に言うと、アメリカのチャータースクールという、自由な教育をやっていいけれど、
州の教育スタンダードの基準をちゃんとクリアしてくださいねっていうチャーター契約に基づいて、自由な学校運営をするような学校で取り組まれていたのが、エドビジョン型のPBLだったんです。
自分が習ったものがどこかというと、その中でも割と有名なミネソタニューカントリースクールのことが中心でしたが、
その授業の中では、今非常に有名になっている、例えばハイテックハイのことなんかも説明されていました。
子どもたちがプロジェクトを動かしていくことで自由に学び、確実に学力をつけるという、そういう学校です。
まさにそういう取り組みが始まって数年経って、これはすごい教育だぞと言われ始めてきたタイミングで、
自分は上杉先生から日本で初めてPBLを紹介するっていうタイミングで、授業で教わったわけなんです。
だから実はプロジェクトベース学習については、今の新しい学習指導要領が始まるときにかなり話題になっているから、知ってる人多いとは思うんですけど、
実は自分はそういう話ではなくて、もう20年以上前からずっとプロジェクトベース学習が大切だと思ってきましたし、
自分自身がこれを日本の学校で実現したいと大学の頃から思っていたんです。
プロジェクトベース学習というと、今はやはりよく探求学習の文脈で語られがちなんですが、
自分は基本的には探求学習とPBL、プロジェクトベース学習は根本的に違うと思っています。
探求学習はあくまで授業の5科目の枠の中で取り組むカリキュラムマネージメントの設計になっていますが、
でもプロジェクトベース学習というのは、学校そのもの、学びの過程すべてがプロジェクトで動いていくというもので、
そこまでやらないと多分本質的には実現できないなっていう気持ちは自分の中にあります。
だから探求学習の中でプロジェクトみたいな話が新しい指導要領になって、この5、6年よく言われるようになってますけど、
それって本当にプロジェクトベース学習なの?っていう気持ちもありますし、
単純にプロジェクトっぽいことを大人が与えて満足して授業をやった風にしてるんじゃないの?
なんてことはかなり疑問に思うことはありましたね。
エドビジョン型のPBLでは、学校生活がほぼ丸ごと子どもたちが自分でどのタイミングで何を学ぶのかを決めて、
卒業までに必要な力を自分で身につけていくんです。
学びの旅ごとにプロジェクトを立ち上げて、そのプロジェクトから何を学ぶのかということも自分の説明責任で全部説明する。
だから探求の授業の中で科目横断でなんとなく学校の教科で習ったことを総合的にやりましょうみたいな話とはもう全然違うんです。
逆に何でもかんでも社会の中で大人と一緒にプロジェクトをやれば力がつくみたいなそんな雑な考え方とも違うと思っています。
大人が仕事してるとこに子どもぶち込めばそれで何か学ぶっていうのはあまりにもあまりにも考えが足りてないって思いますね。
エドビジョン型のPBLは教育科学だとか教育工学だとかのいろいろな理屈だとかあとはカリキュラム論だとかものすごく緻密にいろいろなことが考えられてるんです。
単純に大人のやってることに放り込んで適当に学校の外に出せば力がつくみたいなそんな雑な話はないんです。
日本においてプロジェクトベース学習という言葉が何か歪曲した形で受け入れられているのは正直じくじったる思いがありますね。
まあちょっと話を元に戻すと、自分にとっての初めての学びはやっぱりこの大学でプロジェクトベース学習と出会って学びとは何かということを考え始めたことですね。
これが自分にとっての教えるということを初めて学んだ経験だと思います。
PBLの話を聞いたときは衝撃でしたよ本当。
子どもたちが自分の好きな学び方で好きなように学んで、それでいてちゃんとアメリカの各州のスタンダードをクリアしたり、
共通テストに当たるような試験でもハイスコアが取れるようになったり、本当にそんな学び方ができるんだったら、
自分がこれまで12年間受けてきた教育って何なんだよって強く思ったんです。
自分みたいに座っていることですら苦痛で、人の話を聞かされることが苦痛で、嫌な気持ちを貯めてきた立場としては、
自分で好きな場所でのびのびやれるっていうことに強い魅力があったわけです。
しかもちゃんと能力が伸びてなかったら意味がないということに対して丁寧に理屈を持って答える工夫がしてあることも何よりも良かったですね。
人の話を聞いて授業のように学びたい子はそういうルートもちゃんと準備されてるし、
もっと社会の場に出て実際に動くことで学べという道もあるわけです。
留位の理論が根本的にあるので、ラーニングバイルイングの考え方がちゃんと反映されてるんです。
なんでこれだけいろいろな学び方ができるのに自分は12年間も我慢を強いられてあったのかっていう気持ちが強くなりましたね。
PBLと探求学習の違い、国語科教育のレジェンドたち
自分は小中高12年間解禁で1日も学校休まずに行って、学校大好きかよって感じなんですけど、
毎日嫌な思いをして帰ってくるっていう12年間だったんですよ。
少しぐらい学校休めばよかったのに1日もサボらない学校行ってるんですね。
自分が教育学部にいた時代はまさに総合学習が学校に入ってきた時期で、
ゆとり教育批判で学習指導要領の難易度自体が難しくゆり戻しでなってきた時代なんです。
総合学習の実態がそのために残念な感じになっていた頃なんです。
でもそんな総合学習の中で日本型のPBLが実現できたら、
少しでも学び方や子供たちの学校への関わり方が変わるかもしれないっていう話が自分にとっては大切だったんです。
それに国語科の授業に関しても、どの先生の話を聞いても、
先生が一方的に子供たちに教科書を読み上げて教えるなんてつまらない話はしなかったですね。
先生が黒板に書いたことを子供たちにノートに書かせればいいみたいな話をする授業はなかったです。
またコンテンツが素晴らしいから教えるべきだみたいなことを言う先生も一切いなかったですね。
でもそれぞれの先生がご自身の専門分野に深い見識があって、
素晴らしいコンテンツや文化遺産に対して、
もし子供たちが触れてくれるのであればこういうところに素晴らしさがあるし、
子供たちはこういうふうに受け止めるんじゃないか、
そこに対して先生たち授業者がどうアプローチするのかみたいなことを相当授業で丁寧に扱ってくれていたんですね。
編集の授業であれば実際に教科書を読んで、
それをどう授業するかということについてはやっぱり教育学部なのでかなり話し合いをしましたし、
授業を考えるということもどう教えるかではなくて、
子供たちが実際に自分の生活実態に基づいてどう学んでいくのかという子供の学びに焦点を当てたことをずっと議論して学んでいったんです。
そういう過程で大村浜田とか足田恵之助だとか西尾実だとか、
国語教育会のレジェンドたちがどういうことを考えてきたかということもたくさん学びましたし、
授業の達人として斉藤希薄みたいな人がいてこういう実践をしてみたいなこともたくさん学んできましたね。
自分が教わってきた国語の授業って全然違うことやってたんじゃないかみたいなことをそこで初めて気づいたわけです。
実際に自分がこうやって教員として働き続けていく中で、
当時の自分を教えてきた先生たちのダメなところもいっぱいわかるようにはなるんですけど、
でも与えられた制約の中で何を仕事としてやってきたのかみたいなことは理解できたので、
昔よりは怒りは沸かなくはなりました。
でもダメなものはダメだなっていう気持ちもあります。
だから自分の根幹にあるのは国語の授業ってもっと楽しくできるはずだっていうことなんです。
教員養成課程への思いと今後の展望
自分は初めて大学で教育とは何かということをちゃんと学んだことによって、
今もこうして教育と向き合うことができてるんじゃないかなーなんてことは思っています。
今、教育学部が置かれている状況、特に教員養成課程が置かれている状況は非常に厳しいですよね。
国の政策と一番相性が悪い。
人件費的には井の一番に人員削られるのが教育学部ですし、
教育学部の偏差値が相対的に低く見えるので国公立大学には不要だと言われたり、
学生もキラキラと先生になりたい憧ればっかりでやっていて、学力や能力が伴ってないと思われたりしがつで、
授業に関しても実務科教員が経験や館で適度なことを教えていて学問じゃないみたいな言われ方してますけど、
全然実態そんなことないですよ。
学問と理論がベースにありながらも、それだけでは済まない現場の子どもたちの実態というものをちゃんと捉えようとして、
そういう複雑で割り切れないものの間を交換しながら学んでいる場所なんです。
だからもっと大切にされていいんじゃないかなって思ってます。
自分は国立大の教員養成課程の教育成果で、こうやって教員として今も生きていることができるんだなって思ってます。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
教育系ポッドキャストの日ということで、初めての学びについて話をしてきました。
初めての学びというテーマよりも、むしろ教員養成課程に対する自分のいろいろな思いを話すことがメインになっちゃいましたね。
でも自分は初めて教員養成課程で、教育とは何かということを学んだことによって、やっとまともに教えるということや、
学校とは何かということに向き合えるようになったように思います。
自分が授業で教えていることの根幹には、就職してからの13年間ずっと大学で学んできたことが根っこにあります。
大学で学んだ時から何一つブレていないし、部職に同じことをただただひたすら繰り返しているだけだという気持ちが大いにあります。
密語の魂100までではないですが、初めて自分でちゃんと学んだことを大切に、これからも多分ずっと同じことを授業していくんだろうなと思います。
アンラーニングなんて言われますけど、簡単にアンラーニングなんて言わないでほしいですね。
アンラーニングする前のラーニングが難しいんですから。
そして教員養成課程に対して、もう少し世間が優しくなってくれればなと思います。
教員養成課程で豊かな学びをするからこそ、教えるということに対して新しい提案をしてくれる人が育つんだろうと思っています。
だからもっと大切にしてほしいです。
さて、教育系ポッドキャストの日ですが、来月については1ヶ月後の7月20日月曜日からの1週間を考えています。
次回を開催できるかは、やっぱりやってよかったっていう感じに参加者がなることだと思うので、
リスナーの方はぜひそれぞれの番組にいいねをしたり、コメントしたりしていただけると嬉しいです。
イベントを盛り上げていきましょう。
本日のポッドキャストの裏話は、私のボーイスイで朝6時半に配信していきます。
ボーイスイでは毎日の教育実践の話や、ちょっとした雑談もしていますので、ぜひそちらもお聞きください。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
今回の配信を聞いて、何か参考になったことがあればいいねをしてもらえると番組作成の励みになります。
また、アウトプットの一環として、ぜひお気軽にコメントやSNSでハッシュタグで時刻とつけてシェアをよろしくお願いします。
概要欄のメールアドレスやGoogleフォームに直接コメントをいただけても嬉しいです。
この番組は毎週月曜日に1回配信されます。
次回の配信もお楽しみに。ではまた。
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