はじめに:番組紹介と夏休みの読書
この番組では、Google for Education認定イノベーター、コーチ、トレーナーのKasaharaが、教育にまつわるさまざまな話を配信していきます。
7月20日から26日までの教育系ポッドキャストの日、無事開催期間を終えました。 参加してくださった番組の皆さん、聞いてくださった皆さん、本当にありがとうございました。
共通テーマの私の自由研究、本当にやっぱりいろいろな角度からの自由研究の話が集まって、主催としては聞いてるだけで楽しかったです。
Spotifyまとめは順次進めていますので、概要欄からチェックしてみてください。
で、イベントが終わって夏休みにようやく本格的に入ると、やっと本を読む時間が取れるんですよね。
どうしても学期中って読まなきゃいけない本が机の上に積み重なっていくばっかりで、なかなか腰を据えて読めてなかったんです。
だからこの時期に一気に消化するというのが、まあお決まりのパターンになっちゃってますね。 そんな中読んだ一冊が今日の話です。
書評:『誤解だらけの探究学習』の紹介
明治図書から最近発売になった立命館宇治中学高等学校の坂井潤平先生の誤解だらけの探求学習。
手応えがない時の25のヒント。タイトルからしても現場にこれは刺さりに行ってますよね。
確実に心臓を仕留めに来てるみたいな感じがしますよこれ。 探求の話はこの番組でも何度かしていて、例えばこの番組の82回
探求学習で成功を追いかけないというテーマで、探求校外という言葉へ反論を含めて話をしたりもしてましたね。
今日はその延長線でもあるんですが、書評というかレビューというか、まあ感想ですね。
一人の高校教員としてこの本を読んで何を考えたかということを話していこうと思います。 それでは今週のデジタル時代の語符語教育を語ろうを始めていきましょう。
ということで、今回紹介していくのが坂井潤平先生の誤解だらけの探求学習という本ですね。
本書の書き方と現場への配慮
この本を読み終わって最初に思ったのは何かというと、内容そのものよりも書き方が結構気になることあったんですね。
どういうことかというと、学校の現場の先生に対してものすごく配慮をして書かれている本だなって思ったんです。
言葉遣い表現一つとっても丁寧に物事を進めなければいけないという、現場の苦しさに対する配慮に配慮を重ねた姿勢というのがよくわかる書きぶりになってますね。
現場の先生がどれだけ苦しんでいて、どれだけ困りごとを抱えているかそれをわかった上で、それでもなお探求を手放すのではなくて話を前に進めなければいけないという、
そんな覚悟を持って書かれた本なんだろうなっていうのが書きぶりからそういうふうに感じましたね。
だからこそそういう細かいところへの目配り、聞くばりがすごいんですよ。
読んでいてその心遣いの方に本当に感心したというか感動したというか、まあそういう一冊になってました。
で、内容の方なんですが本の構成としては一番初めの序章の部分が探求学習の日常に潜む誤解の積み重ねというようなタイトルで、架空の職員室の探求をめぐるやりとりから始まっています。
まあロールプレイングみたいな感じですね。この序章が本当に強烈ですね。
いやこれうちの学校の話ですかと思う先生たくさんいるんじゃないかなって思います。
これはやっぱり坂井先生ご自身が現場を持っていて、ご自身の勤務校で探求に取り組まれているからこそ書ける文章だなと思いました。
現場を持たないで上から目線であれやこれやと思ういう人には書けないようなそういう文章ですね。
ご自身が指導している生徒がいて日々の探求の現場があるということがこの解像度につながってるんだろうなというふうに思いますね。
ただあまりに解像度が高いので人によっては読んでいて本当に心が苦しくなるなーって思いますよ。
体調の良い時、メンタルの調子の良い時に読まないと本当に嫌な感じになってしまう可能性あります。ここまで解像度高いと。
閲覧注意ってマークつけといた方がいいぐらいですね本当。でもこれを脅かしたいわけではなくて、その職員室の風景から見えてくるもの、
つまり職員室が分断されてしまっているように感じて苦しくなっている先生の気持ちに寄り添うというところから本書がスタートしているということの現れなんだろうと思います。
だからまず現場の痛いところに手を当てるというところから始まるんですよね。
本書のテーマ:誤解が探究を苦しくする
で、その上で本書を貫くテーマは20ページにはっきりと書かれているかなって思いますね。
そこの部分引用して紹介すると、現場を苦しくしているのは探求への無関心ではなく、探求をめぐる様々な誤解なのですというこういうことが書かれてます。
これがやっぱり一番重要なんじゃないかなと思います。本書のタイトルですしね。先生方はやる気がないわけではないんですよってそこはやっぱりかなり重要だと思います。
まあ先生方のやる気に関しては自分としても思うところはないわけではないですけど、ただそれでもなお先生方の無関心が探求の厳しさの原因ではないということはやっぱり言っておきたいことなんです。
よくある語られ方だと先生方にやる気がないから探求がうまくいかないだとか、探求なんてやらなくていいと思っている先生が多い、だから学校が苦しいんだみたいなそういう話になりがちなんですよ。
でも実際はやっぱり違うんです。今の社会情勢だとか入試の状況だとか学校に与えられている条件を考えると先生方は相当に苦労して探求に取り組んでいるわけです。
その相当苦労して取り組んでいる探求に誤解がつきものであってそれが苦しくなっちゃう原因なんじゃないかとこの本では論じているわけです。
日々のルーティーンの中で自然とそうなってしまうケースもあるでしょうし、探求学習が学習指導要領の改定で急に降ってきたように見えるせいで、
探求ってこうやらなきゃいけないんでしょうというような思い込みが先に立ってしまうこともあるみたいです。
教科の中の探求についても思い違いや行き違いが起こって大変なことになってしまっているわけです。
そういう諸々の誤解をどうにか解きほぐしていきたいというのが本書なんだろうなというふうに自分は読んで感想として抱いています。
「誤解の反対は正解ではなく本質の理解」
本書なんですけれども、全部で25の誤解を項目立てて一つずつ誤解しているとはこういうことだけれども、本質はこういうことなんですよと解説していく形になっています。
この本のコンセプトがよくわかるのが40ページですね。誤解とは何だろうというような問いが出てくるんですが、そこで誤解の反対は正解ではなくて本質の理解だというふうに述べてるんです。
ここの部分をちゃんと把握しておくと多分この本の読み方が変わってくるので、この誤解の反対は正解ではなく本質の理解という言葉はぜひ覚えておいてください。
正解を現場に配って回るようなそういうタイプの本じゃないんですよ。 それやっちゃうと自分のやり方が正しいという教材販売みたいになっちゃいますからね。
そうではなくて、なぜその誤解が生まれてしまうのかという背景の解説があって、その上で探求の本質はここなんだよっていうようなそういうような書き方になっています。
だから目中を眺めてもらって、この誤解は確かに職員室でよく聞くやつだねというところから広い読みをして、そこから興味を持って読み進めていく、そんな読み方ができる本になっています。
よくある探究学習の誤解例
じゃあ25個ある誤解の中で、自分がこれはあるあるだなぁと思ったもの、SNSなんかでよく見かけてよく誤解されてるなぁと感じるものをいくつか挙げてみますね。
例えば2番の探求は優秀な生徒だけができるもの、これ本当によく出てきますよね。基礎基本の方が重要だから先に基礎基本をやれ、基礎基本できてない生徒に探求なんてやらせるななんてよく聞くじゃないですか。
まあ嫌な言い方だなって思ってますけど、他にも例えば4番の探求は社会の役に立つ成果や提案が出されなければならないだとか、
16番の教師はすべてを教え込むべき、教えない方が良い、20番の探求では教師は見守るだけで良い、まあこれも確かによく出てくるところですよね。
生徒とどういう関係で授業の中で関わればいいかというのが、探求って急に教えるっていう、そういう一番先生方が得意としている技をある意味で封印されちゃってる部分もあるので、なかなかこの辺も迷ってる方多いですよね。
あとは23番、教科でも無理にでも探求をしなければならない。 24番の総合と教科の接続は題材を関連させること。
まあこの辺りもよく出ますよね。教科教育の方にも探求って名前のつく科目が降りてきたように、教科の方でも探求やらなきゃいけないという文脈は確かにあるんですけど、
ただ学校全体のカリキュラムマネジメントとしてどうすればいいんだろうみたいなことも路頭に迷っている学校先生多いですよね。
本書の回答と「無理しなくて大丈夫」
だから本当にこの辺りの話はよく聞くなって思います。 それぞれに対してこの本がどう答えているかについては、ここで自分が読み上げてしまうと、著者の方にも出版社にも失礼なので紹介はしません。
ぜひご自身でお読みください。で、そのそれぞれの回答に関して自分の感想としては、いやまあ本当にその通りだと思いますっていう感じです。
一応一言で抽象化してお伝えするのであれば、ご紹介するのであれば、先生たちが自分自身でハードルを上げすぎてしまっているところを、
なんとかもう少し肩の荷を下ろして楽にして誰も苦しくならないで進めるためにはどうしたらいいか、そういうところに気を使って書かれているなぁと思いますね。
実際この本の中で何度も何度も繰り返し出てくる言葉が、無理しなくて大丈夫ですよというようなそういう表現なんですよ。
ちゃんと数えたわけではないんですが、体感としては10ページに1回ぐらいは無理しなくて大丈夫ですという趣旨のことが書いてある気がします。
なのでまあそれぐらい繰り返されている本なんです。 大丈夫だっていうことが繰り返されているので、読んでいると2つの気持ちが同時に自分としては来るんですよ。
一つは、うちの学校でも同じことが理解されなくて本当に大変なんです。 だから本当うちの先生方にも伝えてほしいなというようなネガティブな気持ちですね。
もう一つの方は、こういうような伝え方をすれば探求に対してネガティブな気持ちを持っている先生や生徒にも届くかもしれないなという可能性に期待したくなる気持ちですね。
まあだからその苦しくなるところとそれに対する処方箋みたいなところの両面を同時に考えさせてくれる本なので、
探求に行き詰まりを感じている先生や学校は一度手に取って読んでみると何かは役に立つかなって思いますね。
共感できる理由:子どもの学びが主語
あと読んでいて共感できた理由がどこにあるかっていうのを考えていくと、やっぱり一番の理由はどこまで行っても主語が子どもたちの学びだからなんですよ。
最上位の目的として子どもたちの成長をどう考えるかというところから議論が始まってますね。
だから交換もって読むことができたんだろうと思います。これは子どもに好きなことばっかりやらせていいよという話では全然ないです。
これはさっき挙げた16番、教師はすべてを子どもに教え込むべき教えないほど良いとか、
20番の探求では教師は見守るだけで良いという誤解に直結するところですよね。
放任していればオッケーだとはこの本は全然言ってないです。
キーワードになっているのが問いを育てるという表現ですね。
子どもたち自身の中から沸き上がってくる問いがある一方で、問いが育つ瞬間というのは人と関わることで生徒自身が自分を見つめ直して、
問いが変質していくプロセスがあるわけです。で、そこでの先生方の関わりというのを大切にしているわけです。
だから子どもを放っておけばいいという話にもならないし、大人の関わり方についても教え込みかどうかということではなくて、
その関わり方で問いが育つのかという観点でのアドバイスになっているなと感じます。
この軸の置き方、この観点の置き方というのが自分としてはすごい共感して読めるところでしたね。
現代的文脈と探究の必要性
それからともう一つ共感できる価値観として思うのが、
子どもたちの成長のために現代的な文脈として探求が必要だということを意識して書かれている点も
共感できるポイントなんですよ。ただその一方で社会の要請だからだとか、
大学入試に応えるためだとか、
そういう外的な圧力のために仕方なく探求をやるというような書き方にはなってないんです。
探求というのが子どもたちの成長を考えたときに大切だというような価値観が軸足にあるから、
社会の状況だとか文科省が言うからみたいなことは一切言わないのが、やっぱりそこが好感を持てるんですよ。
探求の文脈でよく言われるのが、社会が変わっていくから探求しなければならないという説明ですよね。
この考え方自体には賛成せざるを得ない面は自分にも確かにあります。
ただ、それを理由に探求を進めているだけではダメだろうとも思ってるんです。
さっきの4番、
探求は社会の役に立つ成果や提案を出さなければならないという誤解とも繋がる話です。
社会がやれと言ってるから探求をやるんじゃないんですよ。
本質的には子どもの成長や学びという面で考えたときに、
探求という学び方の価値が結果として社会的に認められるようになってきたという、
そういう順番なんだと自分は思っています。
人口減少社会と探究学習の水準
もちろん、日本の人口動態を考えれば外的な圧力というのは無視することできないです。
この先も日本というのはどう考えても人口が思いっきり減っていくわけです。
先週出された骨太の方針にも、人口減少に伴う人文系のダウンサイジングというところが
結構話題に今なってますよね。まあそういうようなことが話題に出てくる社会であることを考えると、
特に高校段階で
探求的な学びに求められる水準がかなり高くなって来ざるを得ないというのは、
まあ事実なんだろうと思います。
でも、学校の外側の理屈だけで子どもたちの学びを全部決めてしまったり、
押し付けられたりしてしまうと、目の前の子どもと向き合っている先生たちの自立性だとか専門性は
無視される形になってしまうので、それは絶対に違うだろうと思ってます。
先生方には、自分たちが子どもとの関わりの中で発揮する専門性によって、
子どもたちにより良い学びを提供できる、そういう力があるはずなんです。
その可能性を持っているのが探求学習だと自分は思ってますし、そういう自信をぜひ先生方に
持ってもらえたらいいなと思ってます。
だからその意味だと、この本を読むと、その自信を取り戻すことに繋がるんじゃないかなとも思ってます。
第4章:探究公害について
この本の最終章の第4章に、文部科学省の教科調査官の方が
探求に関して述べている部分があります。
で、そこの部分の201ページからは、近年の探求公害に関する意見が述べられています。
探求公害。
嫌な言葉ですよね。自分はこの言葉を使う相手に対しては心底嫌悪感を持ちますね。
で、そもそもなんでこの言葉こんなに嫌なのかと考えていくと、
一つは、やっぱり公害という言葉が日本の近現代史を考えた時に持っている意味の重さを考えると、
安易に比喩として使ってしまう感性・センスというのは、かなり批判的に見ざるを得ないかなと思います。
子供たちの学びだとか、教育の現場で悪戦苦闘している方がいるものに対して公害と安易にラベルを貼るというのは、
いや、かなり悪辣だなって自分は思いますね。
それに子供を育てるということは、学校の中に子供を押し込めて、
自分たち大人の邪魔にならないところでおとなしくやっとけということではないはずです。
そういう価値観が、探究公害という言葉には透けて見えるので、
もっと批判されて叱るべきかなって思っています。
探究公害の背景と課題
もちろん、今の高校の探究の在り方、特に社会や専門家と繋がっていく時の指導のされ方に問題がないとは全然思わないです。
むしろ、かなり問題のある状況なのが実際だと思っています。
いきなり専門家に迷路を打ってしまったりだとか、
で、しかもそれが今なら生成AIに聞けば答えがわかるようなことを、
生成AIに丁寧な迷路を書かせて、
専門家に質問をしてしまうみたいな、
これはもうどう考えたって失礼ですし迷惑をかけているので絶対にやめたほうがいいです。
それに例えば子供食堂のような、本当にいろいろな思いを抱えている方がいる現場に土足で踏み込んで、
何の理解もしないまま自分たちの実績、
アリバイ作りのためだけに踏み荒らしていく、そういうことが起こってしまっているのは絶対に良くないです。
でも一方で、子供が社会の一員として育っていくときに、
社会の中で学ぶという文脈が必要になることは否定できないはずなんですよ。
学校の先生の業務不可という意味で、きつい面は確かにあるので、
どうやって社会と繋がっていけばいいのかということに関してはかなり課題があります。
そのあたりのパッケージややり方を、教育委員会でも文科省でもいいんですけれども、
一学校だけではなくて、もうちょっと大きな機関と連携しながら何とか整備していく方向にならないと、ちょっと苦しいなとは思ってます。
他者の知恵を借りる力と学校・外部の関わり
で、本書の203ページには、
探求は自分だけで完結させる学びではありません。
他所の知恵を借りることも探求の重要な力ですと書いてあります。
まあまさにここに書かれている通りで、いかにして他者と関わるかというような、そういうような
力の話でもあるし、仕組みの話でもあるなと思うわけです。
本書の204ページの部分には続けて、探求公害と言われる状況が生まれるとすれば、
それは探求そのものの問題というより、
学校と外部の関わり方が十分に整理されないまま外部に協力を求めることで、相手の負担にも
自己の負担にもなってしまうときではないでしょうかと書かれてるんですが、
その通りなんですよ。まあ文科省の方がこの意見書いてるので、
もっともであるんですけど、分かってるんだったら、もうちょっとどうにかしてくれという気持ちがないわけではないですが、
まああの言ってもせんなきほどなので、うん、いいとして、
まあつまり、方法のHowの部分に関しては、
これから合意を探っていかなきゃいけないっていう、そういう課題感ですよね。
大学入試と探究公害の誤解
でも、なぜやるのかというHowの部分に関しては、
今の段階でももう少しお互いに理解を進められる部分はあるんじゃないかなと、
合意形成できる部分があるんじゃないかなとは思ってます。
ただ、探求校外という言葉の発信元が大学教員側であることについては、
自分としてはやっぱり強い怒りがありますね。
大学入試の方が総合型選抜で、
年内のうちに定員を確保したいという思惑も今動いていて、
しかもその総合型選抜などの基準が、
まだうまく評価基準に優れていないところもあるんでしょうね。
だから外部の分かりやすいコンテストや、
外部での活動実績みたいな分かりやすいもので、
評価をしようとしてきたなというような印象はあるわけです。
で、それをやっぱり敏感に察知した結果、
高校側というか、保護者、生徒、
あとは総合型選抜を取り巻く塾だとか、
そういうようなところが加熱していったわけです。
だからそういうことを考えると、
これはもう一方的に高校の指導不足のせいにされてしまうのもなーっていうのは思います。
高校の責任大きくてやり方良くないのはよくわかります。
ただ、大学側の責任も一方的に探究公害っていうような、
レッテルハリーだけで済まされるようなものではないんじゃないかなとは思います。
いずれにしても、ここですれ違っていてもいいことは何もないので、
もう少しすり合わせができるといいなと、
社会的な合意ができていくといいなと思います。
探究学習と地域活性化
大学入試というファクターが大きいことを考えると、
大学の先生方には、高校が悪いとか、子供が悪いとか、
わざわざSNSで悪辣に晒し上げするよりも、
抗議するのであれば、
該当の学校に正当なルートでしっかりと抗議していただいた方が絶対にプラスになるはずなんですよ。
晒し上げはやっぱり良くないです。
あとまあこれはあの嫌味ですけど、
ご自身が所属している大学の入試の仕組みがどうなっているか、どうやったらこういうような
事態を招くような入試設計にならないのかというところに関しても、相談していただければなと思いますね。
まあそれは自分の仕事じゃないと思われるのであれば、それ以上言うことなくなってしまうんですけどね。
探究公害という言葉で、いろいろな学校や地域を実は人からげにして、
子供たちが外に出てくるのは面倒くさいみたいな、そういう価値観でテレバリをされてしまうのは、
本当にやっぱり良くないと思うんですよ。地域によっては探究によって、
地域と学校が関わることで、両者の関係が新しく結び直されていくわけです。
それで地域が活性化したり、そこで働く人たちと子供たちの繋がりができることで、
自分の生活している場所に愛着が持てるようになったり、
逆に、学校の探究がテコになって、地域の課題解決につながるようなケースも本当にたくさんあるわけですし、
それが生命線になっているような地域も実際あるんですよね。
地方の学校の研修に行くこともありますけど、探究と地域に切実な思いだとか、
繋がりがあるケースもあるんです。
若い方と関わりたいと思っている地域の方だとか、社会の方はたくさんいます。それを考えると、
探究がうまくハブとして機能していく必要があるんだろうなと思っています。
その接続の部分をうまくいっていないところを課題として、今後は狙えていかなければいけないんだろうなと思いますね。
まとめ:探究を難しくしているのは思い込み
さて、ちょっと本のレビューから話がちょっとそれすぎましたね。そろそろまとめましょうか。
ここまで話してきて、結局この
誤解だらけの探究学習という本が一番言いたいこととしては、探究を難しくしているのは、
探究そのものではなくて、
探究を巡って積み上げてきてしまった思い込みの方なんだということなんだと思いますね。
誤解が解ければ全部うまくいくみたいなそんな甘いことは全然書いてない本ですけど、
それでも苦しさの正体、誤解というものに名前がつくだけでも、現場の在り方、
ものの考え方というのはずいぶん変わってくるし、楽になることが増えるんじゃないかなと思います。
そのために、いろいろな概念について丁寧に分析をしてきた、そういう本なんじゃないかなと思います。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
本書の活用法:生徒と一緒に読む
この本の使い方に関して一つ思いついたことがあります。
この本を生徒と一緒に読んでみるのはどうでしょうかね。
探究の時間に1ページでも2ページでもいいと思うんですよ。
世の中にはこういう誤解があるらしいんだけど、
じゃあ自分たちの探究、これからどうやっていきたいみたいな話をしてみるわけです。
先生だけが読んで正解みたいに握っておくよりも、
こういうふうに子供たちに開いて話していく方がこの本の趣旨に合ってるような気もします。
いずれにしても、
探究で苦しくなってしまっている先生ほど早めに読んだ方がいい一冊だとは思いますね。
苦しくなってから読むより、夏休みのうちに読んでおく方が絶対にいいです。
2学期が始まってしまうと、この本を開く体力すら残らない人も多いんじゃないかなと思いますね。
体力とメンタルが削られている時に読むにはこの本はなかなか
辛辣なところもありますからね。元気な時に読みましょう。
リスナーへの問いかけと番組告知
さて、今回は久々に書評を話してみましたがいかがですかね。
ある本について自分の切り口で語り直してみると、
本の内容を理解しやすかったり覚えやすくなるので自分としては良いのですが、
リスナーのあなたは聞いていてどう感じましたかね。
本の内容をあまり引用してしまうとネタバレというか、なんかあの、
非常に失礼なことになってしまう気もするので、そのあたりの加減が難しいですね。
自分は本を、原文を読んでいるので内容を分かったつもりで話すんですが、
本を読んでいない人にはどう伝わるかというところはやっぱりちょっと不安ですね。
ぜひ、書評を話す回についての感想などもコメントでお聞きください。
もっといろいろ聞いてみたい、この本について聞いてみたいということがあれば、コメントだとかで聞かせていただければ嬉しいです。
ここまでお聞きくださりありがとうございました。
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デジコク、デジはカタカナ、コクは国語のコクとつけてぜひお気軽にお願いします。
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この番組は毎週月曜日に1回配信されます。
またボイシーでは毎日配信もしているのでぜひそちらもお聞きください。
それでは次回の配信でお会いしましょう。
ではまた。