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2024-08-17 28:58

授業としての国語 ってなんだろうねえ

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stand.fmライブで配信した内容の再配信 #ちえラジライブ再配信 #声日記

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サマリー

ポッドキャストでは、国語の授業について議論が展開され、特に国語教員による配信の増加について紹介されています。また、プログラミングにおける国語の重要性が強調され、他の教科と比較した際の国語の独自の位置づけが論じられています。このエピソードでは、国語が他の科目や実生活にどのように応用されるかについての考察が行われ、国語教育の本質とその重要性が議論されています。特に、国語力を身につける必要性や、学校での学びが実際に役立つのかどうかが焦点となっています。国語教育に対する疑問や思索を深める中で、数学力と国語の関連性についても考察されています。また、国語の授業がどのように役立っているのか、過去の授業内容に対する思い出を振り返りながら語られています。

国語授業の現状
今回もライブのお時間ということで始まりました。
今週一週間の内容を振り返ったりしながら、お話をする回でございます。
今回もあちこちに配信をしております。
ライブの内容は、ポッドキャストとして配信をされますし、スタンダードFMにも公開されますので、
もしくは、ご案内の方は聞いていただければと思います。
さて、話を始めていきましょう。今回のテーマは、授業としての国語ってなんだろうねえということで、
今回お話をしていこうと思います。
授業としての国語というか、ここ最近なんだかよくわからない。
何が原因なのかわからないんですが、
ポッドキャストのプラットフォームリスの新規配信者さんのところに、
国語の先生方がやってらっしゃる配信がちょこちょこ見えるようになりました。
今回は、自分が聞いたのは、笠原さとるさんという方と、
ナマムットさんという方と、黒瀬直美さんという方。
3方の配信ですかね。
こちらはリンクに貼っておくんですけれども、
こちらの方々のお話を聞きました。
国語の教師、公語かな?の国語の教師やってらっしゃるっていうような方で、
なんかこういうような配信でちょっと珍しいな、リスンでは珍しいなって思いました。
リスンってやっぱり配信プラットフォームとしては少しギークな人の集まりっていうか、
そんな感覚が正直あって、
やはりちょっと敷居が高いように見えるのかなって思ってたところもあったんですけれども、
なんかそうじゃない雰囲気が出てきて、
これはひょっとしたら、ここ最近、アニバーサリスンだったり、
夏休みの子供の声日記のイベントをやってたり、
いろいろとそういうイベントをやってたからという効果は発揮されたのかもしれないんですけれども、
やっぱりそういうのもあって、
なんか結構敷居が低く見えてきたのかなっていうような感じがしていたりします。
だからそういう流れが出てきたのは個人的には良かったのかなと思います。
なかなかこういうのってスタンダードFM以外で今まで見かけなかったんですよね。
スタンダードFMでは意外と本当に敷居が低く見えてたのかな。
結構国語に限らずの学校の先生やってるとか、
あとは子育て中のお母さんとか、
いろんな方が結構気軽に配信をしてて、
しかも配信時間は割と短いのが多くて、10分以下とかね。
そういう配信も多くて、自分もそれが好きでスタンダードFMを聴いてたという感じだったんですけれども、
それが結構ポッドキャストに、リストに来たっていう感じですかね。
個人的には結構嬉しいなっていうふうには思います。
やっぱり個人的にはポッドキャストで配信してくれた方が聞きやすいかなっていうふうに思うんですよ。
プログラミングと国語
他の配信とは混ぜて聞けますしね。
その人の配信をいくつか聞いて、その次に別の配信を聞いて、またその人の配信みたいなね。
そういうようなルーティンをこちらで好きに組むことができるので、
ちょっとこの時間、少し時間あるから5分ぐらい空いてるかなとか、
この時間はちょっとあまり時間ないんだけど、1分なら聞けるかなとか。
逆にこれはちょっと移動時間であるので、1時間の配信バッと聞いちゃおうとか、
そういうようなコントロールが効くのでポッドキャストって結構好きだなって思います。
スタンダードFMも意外とそういうことできないんですよね。
再生順序を入れ替えたりとかそういうのって全部できないし、
毎回毎回端末側を見ないとその辺の操作はできないんでね。
まあいいや、それとして、個人的には国語以外の授業も聞いてみたいな。
国語以外の授業をやっている先生の話も聞いてみたいなっていうふうに思うんですけれどもね。
まあでもいずれにしても、自分は授業はやっていることもあるんですが、
専門で教師やってるっていうわけじゃないですからね。
そういうような実際の専門職の方のお話が聞けるっていうのは個人的には嬉しいです。
自分はNPOの授業というか任務というか、そんな感じのことでやってるわけですからね。
本職のずっと365日でもないや、340日、学校で授業をやっている人とは全然違いますからね。
だからそこの辺はやっぱり国語の先生の話だなっていうのを聞いててすごく思います。
やっぱりプロの目線として話されてるなってすごく思います。
まあそれをそれとして、自分って常々言ってる通り、
やっぱりプログラミングに必要なのって国語ですよねっていうふうに思っているんです。
それは一番プログラミングに必要なことというかやることが多いことって、
やっぱり人のドキュメント読んだり他人に説明したり自分がドキュメント書いたりとかそういうことだと思うんですよ。
それはやっぱりプログラミングってある程度のプロジェクトを作ってなんかやったりとかいうようなこともできると思うんですけれども、
そのプロジェクトチームの中でみんな必要な技術なんですよね。
確かにプログラミングをするっていう技術は、
まあチームの中ではプログラミングをする人だけ知ってりゃ最低限なんてことはあります。
他の人はプログラミングの知識よくわかんない。
でもお客さんの目線に立って何かすることができるよとか、
そういうようなことはあるわけですよね。
その他の職種も、
例えば自分はプログラミングにかかる金銭の感覚計算ではできるよっていうような人は、
別にプログラミングの技術や知識は必須なわけじゃない。
でも国語だけはみんな必須なんですよ。
なぜかというと誰ともコンタクトが取れなくなっちゃうから。
だからやっぱり国語はみんなにある程度ないといけないのかなっていうふうに個人的には思ってる。
で、それに対して数学力とかプログラミングにかかる本当に万人のスキルっていうのは、
本当そうではないんですよね、別に。
それらは本当に個人の中、チームの中で一人二人あればいいとかいうレベルだったりする。
例えば本当に今のプログラミングって結構モジュールで何とかなっちゃうという側面もあります。
だからプログラマー自身には実はプログラミングスキルって高度なものはいらなかったり、数学力はいらなかったりするわけですよね。
自分なんかも数学力は全然ないですし。
だからあとはそうですね、生成AIに頼むなんてこともできますよね。
生成AIにこういうコードをどうやって書くんですかっていう質問をしたら、ある程度書いてくれるみたいなね。
そういうようなこともある程度できたりする。
だからプログラミングするにおいてプログラミングの技術って実はそこまで重要ではないし、
数学力はもっとそこまで重要ではなかったりする。
あるに越したことはないんですよ、もちろんね。
でもまあなくてもそこまで絶対できないなんてことはないっていうレベルだと思うんです。
それにやっぱり自分もAIでコード書いてたりしてることもあるんで、最適なコードは書いてくれないですけどね。
余計な処理書いてたり、自分もたびたび言ってる通り、
自分だったら5行で書けるなっていうコード、これもうちょっと短くする方法ないですかねっていう感じで、
これこれ5行のコードをなるべく短く書いてくださいって言うと12行ぐらいのコード書いてくるんですよ。
え、それ情緒でしょって言うんだね。
そういうのあったりして、なんかすごく他のサイトを参照してるのでしょうがないところはあるんでしょうけども、
いい意味で、無駄にお行儀…いい意味じゃないな。
あんまり悪い意味で無駄にお行儀がいいのがSAFE AIだなって感じがします。
あくまでインターネットの情報をまとめるだけなので、そこが限界っていうところがある。
それでも十分役に立つっていうのが今のAIなんですよね。
英語も翻訳ツールがありますし、自分自身も英語でGithubとかで割と英語圏の人とやり取りしてますが、
今のところ話は通じてるっぽいんですよね、ちゃんと。
それにね、英語なんてどうせ割合的に言えば非ネイティブの話者の方が多い言語なんですよね。
だってアメリカ…というか英語をネイティブで使ってるのはアメリカとイギリスぐらいですよね。
それに対して英語を使ってる人って言ったら本当に全世界入ってきちゃうわけで。
だから多分ネイティブ話者じゃない人、母国語は別にあるんだけど英語も使うよって人の方が多いと思うんですよ、割合的にね。
だからってのもあってか、やっぱり英語圏の人も、だからこいつどうせ英語下手くそだろって思って聞いてるんじゃないのかなって個人的に思うんです。
だからそう思うと気が楽っていうか、多分変な英語だけで理解してくれるんだろうっていう気になってくる。
実際それで話し続けてるし、結構ネイティブ話者の人もかなり雑な表現をすること多いんですよ。
日本語で言うなら、あれそれ主語抜けてますよとか、述語抜けてますよとかね。
そういうような本当に語学として言うと前を潜めるような、そういうレベルの内容だって割と話してきたりするわけで。
だからそれでもなんだかんだ言って案外通じるぞっていうような感じがすごくしてます。
だからその辺は英語を絶対覚えなきゃいけないってものではないのかなって思うんですよ。
これもまた覚えておくに必須。覚えておくに越したことないんですよ、当然ね。
覚えてた方がいちいち翻訳ツール返さなくても文章読めるし書けるしいいんですけど。
そして何より英語とか数学って本当にこれ必要だなって思ったら後からなんとかなるんですよ。
やっぱりそしてなんとかならなくなったなっていうサインがすごく明確にわかるんですよ。
例えば数学とか特にCGとかAIとかの本になるとすごくやっぱり数学の内容が本当に必須になるんですけども。
やっぱりそうすると明確に教科書読めなくなるとか何言ってるかわかんなくなるとかそういうふうに明確なラインがわかるんですよ。
これ数学ないとダメなやつだってね。
英語もそうなんですよね。
英語の文献とか翻訳サイトとかを見てると、翻訳サイトで翻訳した英語のページとか見てると、
これ翻訳ツールじゃ立ち打ちできないなとかそういうのって明確にわかってくるんですよね。
そういうのでここから先って英語数学ないとダメだって明確にわかるラインがあるんです。
でも国語だけは実はそういうのないんですよね。
読めてないんだけどなんか読めた気になってしまうとか誤読してしまうとか誰も指摘できないとかね、アウトポットも不明だからねっていうのもあって。
やっぱり国語は結構やっぱりわかんないっていうラインが見えないっていう感じ。
国語の必要性
勉強しなきゃいけないねって思われるラインがないんだよねっていう感じがします。
だからってのもあってやっぱり読めてないんだけど本当に読めちゃうっていう感じ。
国語は本当に勉強しなおさなきゃダメだなっていうラインがわかんないんですよ。
だからこそ一番必要なって国語だし、絶対やらなきゃいけないのは国語らしいって思うんですよ。
英語を書くときもやっぱり翻訳ツール使うにしても日本語で表現できない語彙ってやっぱり英語でも表現できないので、翻訳ツール流せないですしね。
数学も同じです。書類を書きたいなとか固有公式わかんないなって思ってもAIに指示すら投げられない。国語がわかんないから。
そうなると完全に罪ですよね。だからこそ一番大事なのって国語だよって思うんです。
逆に言うとほか本当になんでもなんとかなります。
実際自分なんて数学ダメだし、小語の算数からやばかったかな?ぐらいですし。
でも正直それでもプログラマよくできるなって言われることはあるんですけど逆にできるんですよ。今はね。
そんな数学苦手でもプログラミングができるようになったいろんな言語とかモジュールとか開発環境を作っていただいた皆様に最大限感謝しつつ、私は普通にプログラミングをしています。
場合によってはね、それで仕事も受けています。
そういうのことができるんだよってことはもっともっと知られていいと思うし、やっぱそれを邪魔してるのってひょっとしたら数学ができるプログラマなんじゃないかななんて思ったりもします。
そういうのくせいで本当に文系プログラマって少ないんじゃないのかな?それは思います。
国語の本質
で、ちょっと話し逸れたんですけども、大事なのは国語です。
だから国語教師の方の話を聞けるっていうのは個人的には嬉しいかなっていうふうに思います。
やっぱり個人的にはすごく身近な存在だっていうふうに思ってはいるので。
なんで、他の科目の話も聞きたいですけどね。
数学者から見たらプログラムあったらどうなのとか、社会とか理解やってる人から見たらどうなのとか、そういうのも聞きたいんですけど。
まあね、今はこれでもいいかなっていうふうに思うとしましょう。
ただそんな国語なんですけれども、なんか国語ってなんだろうなっていうのも同時に思うんですよ。
国語の教師の方々の話を聞いているとすごく思うのは、
古文とかだったら読み解き方とか記述ルールとかそういうのがあるので勉強するとかありますよね。
漢字でも漢字の書き取りとか成り立ちとかそういうのってのはやっぱ学ばなければいけないですよね。
でもじゃあ文章を理解するってどこが到達点なのっていう。
ゴールしたら何が得られるのっていう。
それがなんかわかんないよねっていう感じはすごくあります。
なんていうか教科書に書かれている物語を理解できたらゴールなのか。
それは事業国語、テストとしての国語とかだったらそこでゴールでいいんでしょうね。
なんですけれども、たぶん国語ってそういうことをやる学問ではないよねっていうふうに思う。
そこで得られた表現力とか読解力とかそういうものを他の分野でも応用してねっていうのが国語なんだろうなっていうふうに思うんですけれども。
ただなんかその応用ができるのか、ただ教科書にできたテキストを理解できただけなのかっていうのは、やっぱりいくらテストとかやってもわかんないと思うんですよ。
だから受験に強い国語が上手い生徒が育ったのか、本当に読解力のある生徒が育ったのかわかんないよねなんて話を今回の国語の先生方の話を聞いてて思ったんです。
国語とインターネット
たまに自分も言うんですけども、自分は文系とか理系を超越したら学系だぞとか言ってるんですけども、ほんとそんぐらい学がなかった。
まあ素質はあったんでしょうけどね。数学やったし、再テストは何度もやったけど、補修だけは取ったことがほとんどないし。
うちの学校の小テストっていうのは、確か一回赤点を取ると再テストなんです。
もう一回そこで赤点を取ると補修なんです。でも補修まではいかなかったってことは、再テストでなんとかなってたってことなんですよね。
だから全然できないっていうわけでは多分なかったんだと思います。
まあでもそれは学校ではひどいところだったし、学校ではその素質が生きることは一回もなかったです。
高校も確か当時地域の中で下から2番目ぐらいのランクの学校に行ったんですが、お前よく卒業できたなとか言われて、そんなレベルでしたからね。
新入社員時代もどっかの会社で数学のこれ見た感じ証拠だなっていうレベルの問題が入社試験に出てきたんですけども、
なんか試験会の人ゼックしてましたからね。0点取ったんじゃないかなっていうぐらいひどい出来だったんです。
でもそんなレベルの人でもプログラマできないよっていう感じ。
まあそんなところで国語ってなんだっけっていうふうに思ったりするんですよ。
そんなにテストの点数とかその辺は絶望的だった。
国語は一応科目の中ではできた方ではあるけれども、全然できない方だった。
自分がちゃんとできて、他の国語の授業ちゃんとやっててできた人って、
意外とネットの文脈読めてなくて問題を起こしてるとか、
その人が国語できたかどうかなんてわからないので勘でしかないっていうふうにはなんですけども。
でもそういうふうなのを見てると、国語って目指すものなんだろうねっていうふうに思ったりするんですよね。
学校国語の到達点ってどこなんだろう。国語は本当に目指すべきものってなんだったんだろう。
例えば本当にしっかりとした国語力が尽きましたって言っても、
じゃあインターネットのその道の専門家が書いた読みづらくて文章のいない糸が飛び飛びの内容、
そんな文章読めますかっていうとわかんないし、
2チャン5チャンのウィットに飛んだ表現を解釈できますかっていうとわかんないですし。
やっぱりプログラミングのブログサイトとかを見てた当時とかも、
プログラミングを会社でやってた子ですかね。
自分も本当に2チャンネルってすごく、当時本当に2チャンネルだったんですよ。
まだ5チャンネルになる前の話ですからね。
でもそういう時も本当に2チャンネルの掲示板とかプログラミングの記事とかですごく参考にさせてもらってて、
でもやっぱ内容難しいんですよ。
なんかね皮肉の効いた表現とかだったり、そういうようなものも結構渦巻いているし、
ちょっと湾曲しすぎてて、何を言いたいのかっていうのは時々わかんなくなる時もあったりする。
プロ同士の会話だから結構表現ぐちゃぐちゃだったりして、結構知語、術語を吹っ飛んでたりしたりして、
あとはレッスンがついたとしてもレッスンの番号が一応つくんですよね。
チャンネルの記事って。
でもそのレッスンを2、3個目前ぐらいの内容にしてて言及してたりしてることがあってね。
国語の教科書的な文章だったらびっくりですよね。
そのっていう言葉が示している内容を書きなさいって言ったら、
なんか国語の教科書に出てくる問題より難しくなんじゃないの?っていうぐらいの、
そういう問題が、問題がっていうか文章は結構やっぱり2ch、5chとかって書いてあったりするわけで、
でもそんな文章読みますか?って言うと、
なんかそれってある種国語力なんだろうけど国語の授業でわからなかったりするんじゃないかななんていうふうな気もすらする。
でも本当先ほどの方々の配信を聞いていると、
国語の教師の方々の配信を聞いていると、
やっぱこの文章の中のこの人物の気持ちを理解しようとか、
こういう考えに至るのってなんだかなとか、
そういうような話が国語だっていうふうにおっしゃってて、
え、それ国語なんだ?
相手の常識知らないのにそれって理解できるのかな?
文章に答えが書いてあったりする?
それは確かに自分が学生やってたときからそんなことは言われてたけれども、
でもそれを読み取れれば果たして国語力があるって言えることになるのかな?
っていうふうに思ったりして、
なんかよくわかんないなっていうふうに思ったのもあります。
例えば、Xで文章を横読みするところ縦読みして、
なんか要点を全然読まずにカットする人とかいるじゃないですか。
国語ってやっぱりそういうふうにならないために国語力を鍛えるんだよねっていうふうなのも一つあるんだと思いますが、
じゃあそれ国語の授業をしっかりやってればできるのかっていうとそうでもないような気がする。
ここ最近日本人国語読めないのよねっていうふうに言われるけれども、
それはじゃあ国語の授業でしっかり得点を取ってれば、
じゃあそういうような人にならないの?っていうと、
それもまたわかんないんだよねっていうふうに思ったりする。
じゃあ国語って何なのよ。国語は何のために勉強するのよって。
特にね、ここ最近数学って何のために勉強するんですかって言われたりするじゃないですか。
でもそれ言われるのはわかるんだけども、そういうこと言うんであれば、
国語のほうが何で勉強しなきゃいけないのって言われる問題ですよねっていうふうに思うぐらい、
やっぱり国語が目指しているものって曖昧もことしているというか。
もちろんね、それを通さないことによって失うものってでかいよねっていうふうに思うんですけれども、
でもその実態がすごく見えづらいよねっていう科目だと自分は思うんです。
だからそういう点も含めると、何で国語ってそんなにみんな勉強してるのかなっていうのを思ったり、
国語って何目指してるのかなっていうふうに思ったりするんですよね。
例えばあとはインターネットの文章いろいろありますよね。
Xの文章だけでなく理由規約とか小難しい文章の要点を読み飛ばして、
後でそれ知らなかったんだけどってクレーム飛ばそうとか。
そういうふうにならないために国語力って必要なのかなって思うんですけども、
多分国語、学校国語ってそれじゃないだろうなっていうふうに思うし、
ドキュメントを書いて理解するのも厳密に言うと学校国語ではないだろうなっていうふうに思うし、
じゃあそれあなたたちみなさんどうやって勉強してきたのとか、
どうやってその技術は学べるのとか、
そういうところも含めると本当に国語って何だろうねっていうふうに思うんです。
まあ多分ね、とにかくちゃんと文章を読んで理解して分かんないときは素直に分かんないって言えて、
他の人に自分の意見を伝えられて、
そんな人になるための要素の一つが国語なんじゃないかなって何となく勝手に思ってるんですけども、
なんかでも、学校国語ってそれじゃないよねっていうふうにもちょっと同時に思ったりする。
すごくこの国語の先生方の配信を自分はいろいろ聞いていてすごく思いました。
配信も聞きやすいんですよ、本当に。
やっぱり内容もすごく優点まとまってるし、配信時間も、
まあ国語の先生に恥ずかしいってのもあるのかもしれないですけども、やっぱり短いので。
長くてもだいたい10分ぐらいだったりする配信だったりするので聞きやすいんですよ。
だから全部聞いたんですけども、
そういうようなことを聞けば聞くほど国語って何だろうっていうふうにすごく思ったりしていました。
まあ自分も小学校でディベートとかやったしなっていうふうに、
国語教育の意義
あれは国語教育の一環だったんじゃないかなっていうふうには気もするんですけども、
でもそれってあまりにも先生方がおっしゃってる国語っていうのとは乖離してるしな。
じゃあ国語って何?ってすごく思ったりしてましたね。
なんかね、以前バーチャルアンチクラブってサービス、今終了しただけのサービスでも話を聞いたんですけども、
こういう話が上手い人って数学力力はあるんだよねっていう話をされたこともあるんですけども、
そこも意味がわかんないんですよね。
以前、これはスタンダードFMのほうでも研究しましたけども、
Bとたけしさんだったかなっておっしゃってたことで、
脚音科って数学力ないとダメなんだよね。
例えばAさんがBさんを殺しました、Cさんを殺しました、Dさんを殺しましたっていうような図面を、
例えばAさんの後ろにBCDが倒れているっていう映像を一つで表現できるよね。
これ因数分解だろっていうような話をされてたと思うんですよ。
あれ誰でもピカソだったかな、なんかそんな話番組で話をしてたと思うんですよ。
でもそれを因数分解と意識してやる人っているのかっていうふうにすごく思って。
なんかこの表現まだるっこしいよね。
こうしたら直るからわかりやすいからそれでいいんじゃないとか、そういう感じで直していくんじゃないかな。
それってたぶん数学の要素は出てくるかもしれないけど、たぶん数学としてやる人いないんじゃないかなっていうふうにすごく思った。
さっきの数学力があったほうが理路整然とまとめて話せるからわかりやすいんですよねっていう、
その国語の先生、バーチャルアンチクラブであった国語の先生なんかもそうなんですけども、
それ数学関係ないよねっていうふうにすごく思ったんですよ。
本人が言うんだからあえてそこでは否定はしませんでしたけれどもっていう感じね。
そういう点を除いたっていうのかな、含んだっていうのかな。
そういう点も含んで理路整然と話すっていうこともたぶんこれって国語じゃないかなっていうふうに思うし、
そういう国語の技術を学校で学べたっけっていうのがなんかわかんないんですよね。
自分の国語の学校の授業を必死に思い出してみても、
国語の先生うち悪強かったっていうか、うちの学校みんな先生悪強かったんですけども、
なんとなく思い出してたんですけども、やっぱりそれでも国語の授業でそんなこと学んだかっていうことがあるし、
そういう面で見て、あれって国語だったのか、国語の勉強ってなんだったのか、
どこの辺で役に立ってるのか、たぶん役には立ってるんだと思うんだけれども、
じゃあそれを学校で教えたかとか、そういうところですごくなんかわかんなかったんですよね。
わかんなかったっていうか、わかんない国語っていうのは、
今回国語の先生方の話を聞いて、よりわかんなくなったっていう感じがします。
国語の授業とコラボの提案
正直この辺の話、先生方とは一度話をしてみたいですね。
リッスンは残念ながらコラボ配信みたいな機能ないですが、
お一人スタンドイブもやってらっしゃるんですよね。
なんでその人だったら別にコラボライブやってもいいし、
そうでない人も例えば、もし必要だったらうちのスタジオを貸しますし、
うちのスタジオというかこのストリームヤードを貸しますし、
あとはリッスンのディスコードのグループで公開収録みたいにやってもいいし、
なんかそういうようなコラボの方法っていっぱいあると思うんで、
なんかコラボしてみたいなっていうふうに思います。
自分もね、夏休み明けたらすぐプログラミングの授業なんですよ。
プログラミングの授業は9月の3日?9月の最初の火曜日だったかな?でありますし、
多分学校の夏休みの終わりって最近ちょっと早いんですよね。
確か26日あたりから授業始めるよみたいな話を聞いていた気がする。
全ての学校が相互だとは言えないんですけども。
多分そのポッドキャストをあげていらっしゃる国語の先生方も忙しくなるんだろうなって思いますし、
話せるんだったらなるべく早めに話したいねっていうふうに思います。
これも配信もひょっとしたら聞いてるかもしれないですけども、
聞いていただけたらコラボライブ配信お待ちしておりますので、
ぜひお話しいただければと思います。
というところで今日の話はこれくらいで終わりにしていきたいと思います。
今回もライブ配信アーカイブで流します。
配信で流しますので、もし最初から聞きたいよっていう方、
YouTubeだとプレイバックで聞けますけども、そこまでしなくても大丈夫です。
ライブ配信BGMがつきますけれども、この後リッスンの方に流しますし、
スタンドFMの方に流します。そちらの方で聞いていただければと思います。
というところで終わります。どうもありがとうございました。
28:58

このエピソードに言及しているエピソード

コメント

配信を聞いてくださりありがとうございます。国語の学力とは何か、は非常に難しい問題です。受験学力であるならば、受験が終わったら、使いません。しかし、生涯にわたって使う言葉の力を授業で育成していくのが国語の授業だと思っています。ところが、国語の力は実は生活環境や生育環境の影響が大きいので、定量化できないんですよね・・・。なので、一生懸命に言葉を使う時間を作って、その集中状態の中で、力が付いていくものだと思って授業作りをしています。

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