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皆さんこんにちは、CAM Radio へようこそ。
CAM Radio は、コーチングスクール、CAM の代表やスタッフが、社会で活躍されるプロフェッショナルとともに、葛藤や生き方について考えていく番組です。
今回は、CAM Japan ディレクター兼講師の浅井もときがお送りいたします。
そして、今のシーズンなんですけれども、すごく今、話題になっている話があって、
それは、あのスラムダンクが、映画で今、公開されているっていう、
ほんとスラムダンク世代にとってはもう、あれ以上の漫画やアニメはないなっていうくらい、
唯一僕も全巻揃えて、今も撮ってある漫画なんですけれども、
そんな、今ワールドカップも、もちろん暑いけれども、スラムダンクも暑い中で、
今日はそれにちなんでなんですけれども、あえてバスケットマンを今日お招きしております。
バスケットマン、ノリエル卿、よろしくお願いします。
お願いします。
すごい紹介でしたね、今日は。
バスケットマンだから。
すごいゴリゴリにやってる人みたい。
学生時代やってて、大人になってからはね、
ヨヨギ行ってとか、バスケやってる東京の人みんなあそこに行くんじゃないかって思ってるけど。
行きますよ、あそこ。
あそこでもうますぎるんですよね、皆さんね。
あ、そうなんだ。
ちゃんとプロの方も来たりするんですよ。
実は。
うまいですね、皆さん。やりがいはありますね。
ずっとやってきて、なんか落ちてきたなとか、体動かないなとか、やっぱある?
いや、もちろんもちろん。僕、飛ぶのが得意というかジャンプが得意だったんですけど、
なんか飛ぶ回数が、最大で飛ぶ回数がそんなに飛べないなって、っていうのはすごく感じました。
なんか重さを感じる。
下半身に重さを感じて、あんなに軽やかに飛べてたのにって思いますね。
羽が生えてたなって。
羽が生えてた。
いや、分かる分かる。
俺もずっとサッカーやってて、大学までやって、今もふとサルをちょこちょこやるけれども、
あの、一歩目がまあ遅い。
もともと自分のサッカースタイルは、バスケで言うチェンジオブペースみたいな。
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一歩目が早くて、止まってるとこからトップスピードが速いのが早い。
井の出なんか抜いていくタイプのサッカースタイルずっとアメリカでもやってたから、
出ない出ない。一歩目が。
心だけチェンジオブペースしてるけど、体がチェンジオブペースしてる。
びっくり。
悲しいですよね。
そう。
そんな自分の状態も受け止めつつですね。
今日も話していきましょうか。
はい、お願いします。
今日のテーマなんですけれども、何話そうかなと思ってて、
いろいろ考えてたんですけど、なんか着地したところが今なんか話したいなって思う。
テーマがある意味このコーチングで言う原点に戻るところなんですけれども、
タイトルとしては、あなたは高価で尊い存在ですっていう。
そういうタイトルでちょっと話していきたいなって。
今のこのあなたは高価で尊いっていうのは、
キリスト教の聖書の中の一つの一節にあるやつをちょっと借りてるんですけど、
その前文は、私の目にはあなたは高価で尊い、私はあなたを愛しているっていう。
そういうところがイザヤ書っていう聖書の中のイザヤ書っていうところにあるんですけれども、
コーチングの哲学を持っていくときに、
クライアントはその人自身の人生や仕事のエキスパートであって、
そして創造性と才知のあふれ、かけのない存在であると信じているっていう。
やっぱりコーチングを学び始めて、またプロとしてやり始めて、
また教えても、コーチングスクールで教え始めても2年半、
その前を経つと3年くらいになるけれども。
ノリも学び始めても2年半、コーチとしても活動してるけど、
やっぱりここに戻ってくるよね。
そうですね、そう思います。
その聖書の言葉は、私の目にはっていうところ。
だからコーチからしてクライアント、あなたはどう思ってるかわからないというか、
あなたはどう思ったとしても、あなたが自分がどんだけダメな奴だと失敗ばっかしてとか、
価値がないとか、これができなきゃ自分は認められないってどんだけあなたが思ったとしても、
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私の目には、コーチからしてクライアントは100%創造性と最中、
クリエイティブであってリソースフルっていう英語で言いますけど、
価値のない存在ですと信じているっていう。
聖書のことは、私はあなたを愛しているって、あなたを認めてます、あなたを。
ある日本の牧師の人が、愛してるって言葉は海外だとI love youって言うけれども、
日本の文化に適応させた時に、果たして本当に愛してるよっていう言葉が一番日本人に刺さるかっていうと、
もしかしたらそうじゃないかもしれなくて、あなたを尊敬しているとか、
そういう言葉の方が尊敬、尊重、尊厳みたいな、
そういうところが結構日本の文化の中でより全てを受け止め、認めている状態っていう風の意味としては入るんじゃないかみたいな言葉を話していたんですけれども、
ある意味、相手かけのない存在として認め、尊重していたり尊敬していたりっていうところがしっかりと表されているっていうのは、
すごくパワフルなことであって大切なことだなって思って、
今日の入り口としてはそのコーチングの哲学から少し話していければなって思っています。
はい。
楽しみ。
ノリはもう、このコーチングの哲学はうちのキャムジャパンのコーチングスクールでは基礎クラスで2クラス目で取り扱う内容ですけれども、
基礎クラスはノリはもう12、3回は受けてるよね。
はい、受けてますね。
この2年で。
はい。
どうですか、このコーチングの哲学に関して最初、今ちょっと思い返してみてほしいんだけど、
2年半前、コーチングを学び始めて、最初にこのコーチングの哲学に出会った時と、
今の理解の違いというか、スルメのように噛んでたら味が出てくるみたいな意味で、
最初はこうだったけど、今はこうかな、捉え方がこう変わってるかもなとか、味わい方が変わってるかもなとか、
どんなふうなことを今、改めて聞かれて思います?
改めて、最初って、そうそうそう、これいいね、これいいねなんですよね。
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これ言ってることすごい素敵だななんですけど、ずっと2年、これまでコーチングとかやらせていただきつつ、
それをなんかやっていくと、すごく難しさと言いますか、
自分がそれを本当に思うことって果たしてできるのだろうかとか、
それをコーチングの中で体現できるのだろうか、
はたまたコーチングだけじゃなくて、それを人生に適応するときに、
あ、こんだけ難しいことがあるのかとか、そんなことを中盤とか、その辺は思いつつ、
でも今はちょっとそれこそ、逆に戻ってきてますね。
自分がそういう存在であるのかっていうのがすごく一番重要だなって改めて思います。
今の哲学を自分にそうやって見れてるのかっていうのは、途中でも通るんですけど、
一番自分に向けるのが本当に難しいんじゃないかなって。
基本的に悩んだりするときとか、僕が落ちたりするときって、そこに関わってくるものだなって最近思うので、
それを思うと、そんなプロセスを今歩んでるかなって。
いいですね。わかりますね。
イメージとしては、くるくるくるくる回りながらだんだんと深まっていって、
問いとしては通ってる、内容としてはあんまり、
それが自分で生きてるだろうか、
周りに対して、外に対して、内側に対しての2方向しか確かめたり、考えたり。
外側っていうことに関しては、コーチングの中でと、またその他というか、
周りの近しいパートナーとか、家族とか、友人とか、
特にこの人ちょっと苦手だな、正直嫌いだなって思うような人に、
それこそシンプルな言葉で言うと、この愛を向けられているだろうかっていうことで、
自分自身の心の足りなさを試されるみたいな。
で、同時にそういうシーズンを取りつつ、
自分に同じことをしっかり覚えているだろうかっていうところに、
自分自身がありのままの自分を受け止められているだろうか、
本当にありのままで、クリエイティブ、理想するホール、かけのない存在だと、
自分自身に対して思えているだろうか。
本当にそのループを回りながら下がっていって深まっていくっていうのは、
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多分いろんな人も経験したことあることなんじゃないかなって。
経験してほしいなって思いますよね。
本当にそうですね。
ただでも今僕が話してて、深まり方は表現できていないなって思うんですよね。
そこは通るっていう話はするんですよね。
低音は言えるんですけど、
深まり方ってなんて言ったらいいんですかね。
今すごく疑問に思っちゃいましたね。
言葉にできたら皆さんはもうちょっとわかってもらえるんじゃないかなとか思いつつ。
でもそれぞれあるんでしょうね、プロセスはね。
いろんなコーチングスクールがあって、
コーチングの教えや資格取得までの道のりみたいなところで、
やっぱり入り口としてコーチングの定義と哲学っていうのはどこも通るはず。
定義は必ず通るし、哲学も必ず通るはずだけども、
そこに留まり続け、それを深め続けるっていうところ。
そういうスクールがどれくらいあるかというと、
パッと浮かぶところはあんまりなかったり、
知らない部分もたくさん自分もあると思うけれども、
やっぱりどこまで行ってもここだよなっていうのは、
すごく今改めて思わされていて。
今言ってくれた、それってどうやって深まってるかを知ることができるかっていうところで、
今日ちょっと話したいなと思っているのが、
じゃあ逆にこれがないときにどんなところで現れるか。
たぶんある状態って、これ何でもそうなんだけど、
コーチングをしていて問いを投げるときもこの下によく投げたりするけども、
ある状態ってあんまり本人は気づかない。
でもない状態のときにないことに気づき、
ある必要があるみたいなことに気づくっていうもので多くあると思うんだけども、
たぶんこのコーチング哲学っていうのは、
それがうまくできているときはもちろんできてるなと思うかもしれないけれども、
日常の中で立ち止まって、あるみたいな風になるというよりは、
例えばさっきの話だと目の前の人を受け止められないとか、
この人の可能性を信じられない自分に気づいて、
あ、なくなってるなって気づくっていうことだと思うんだけど、
その深まり方の中で、たぶんそこの出方が少し変わるんじゃないか、
ないときの気づき方が変わるんじゃないかなっていうふうに思っていますね。
さすがですね。
さすがなのか。
そう思うときにどうだろう。
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どんなときにそれこそ、まず内側から行こうか。
内側、自分が自分に対して、
うちのキャムジャパンではそのコーチング哲学を外に適用するのはもちろん大切で、
そのためのものだけども、それが自分に対してまず、
自分が欠けられない存在として、自分が創造的な、
クリエイティブな存在だと信じられていなかったら、
周りの人たちにも本当の意味で、
学んでそれを適用できるとか、
目の前の人を見ようとすることができるけれども、
内側からオーセンティックってよく英語では言いますけれども、
本質的なありのままで流れ出る形で、
目の前の人を認めていくことは難しくなる。
自分自身をそう認めていなければ、
自然に流れる形で、流れ出る形で、
人々にそのような眼差しを向けていくことは難しくないというところ。
まず、自分に対してというところが、
すごく重要かなと思うんですけど、
どんな時に自分にそれを向けられていないなとか、
ちょっと一回立ち止まってチェックしなきゃなって思う、
タイミングが何もあります。
でもいろんなシチュエーション、
言葉に合わせていくと、例えば、
ホールが僕は一番多いんですけど、
かけのない存在っていう風なところは、
いつもスキルとか、
なんだ、僕の、
これはちょっとごめんなさい、日本、
僕が体現、
日本語しか話せないですね。
えっと、なんて言ったらいいのか、
自分の存在が、
スキルとか、なんて言ったらいいんでしょうね、
スキルよりもうちょっと内側の、
存在とスキルの間ぐらいのもの、
もうごちゃ混ぜになる時があって、
そこがなんかやっぱり、
開けてるなって思ってしまうことが多々あるんですよね。
これ俺できないからなとか、
こうやって見られるよねとか、
そういうのはよく思いますね、
ホールの面ではね。
じゃあ、それって、
周りの人とか、
フィードバックであったりとか、人の視点とか、
人の意見とか、
そういうのを聞いた時に、
ネガティブなというか、
うってなってしまう、
そんな感じのイメージも入ってるってこと?
そうですね、
それを聞いて、
それがストレートに入ってくるわけじゃなくて、
自分の中で、
自分はそういう存在なんだよな、
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っていうのを自分で飲み込んでしまう感じですかね。
それが他人のことから言われて、
切り分けられたらいいと思うんですけど、
相手の視点からのやつを自分でも、
自分に問いかけてしまうことを、
してしまう時が、
そう思う時ですかね。
一度、
人から浴びせられたり、
別に悪気があって、
出す言葉だけじゃ全然ないと思うけど、
それを受け取った後に、
自分のアイデンティティじゃないけど、
自分の価値みたいな、
自分のバリーはこうなんだ、
みたいなところまで、
飲み込んで落とし込んでしまう。
そういう時に、
コーチング哲学の部分、
自分に適応するという部分で、
もう一度チューニングする必要があるな、
みたいな。
自分の価値、
自分ってこういう存在、
これは足りないんだよな、
これはダメなんだよな、
みたいなところで、
一視点でしかないものを、
全ての正解のように取ってしまう。
そうなんですよ。
そう思います。
これどうだろうな、
自分にこれが適応できてないなって。
でも、
忙しくなってきて、
パフォーマンス重視とか、
これを早く終わらす、
質高く終わらすとか、
わからないけど、
タスクこなすモードとかになっている時とか、
あと、
案件が降ってきた時に、
今の自分のキャパを全然超えたところの、
案件が降ってきたような時に、
体の状態でいうと、
息しづらくなる時があって、
呼吸が浅くなって、
焦りというか、
追われている感というか、
そういう状態の時に、
一番でも自分が気づくのは、
自分の身近な人、特に奥さんに対して、
もやっとしたり、
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イラっとしたりする自分がいる時に、
自分で、ちょっとずれてきているなって気づく。
だから、
遠回しな表現になっちゃったけれども、
そういう状態になっているということは、
自分に余白がない状態であって、
パフォーマンス、何かをすることがより正しい、
また成果を上げることがより正しいことであって、
今の自分のどうあるかよりも、
何をするかに比重が一定しまっている状態。
自分のあり方が一番ありたいあり方であることではない状態に、
自分の身近な人ほど、
誠実に向き合い、
ありのまま愛していくという、
自分に対して、
目の前の人に対しても、
それが自分ができていない状態に、
そういうあり方になっている時に、
ドゥイングが正義になって、
これもやってない、あれもやってないとか、
なんでこれやってくれないんだとか、
そっちで人をジャッジしてしまっている、
自分のマインドセットになっている時に、
それが自分に対して、
自分が自分をドゥイングでジャッジしている状態になっていて、
一回全部手放して、
何が自分ができるから、
何ができていないから、
自分は良い悪いではなくて、
ありのままでかけのない存在である効果で、
尊い存在であるというところを、
自分でもう一度、
体全身に落とし込まなきゃなと思って、
一回そういう時は手を止めて、
ちょっと瞑想したりとか、
自分の場合は説書を読んだり、
チューニングをする時間を持っているなって、
そうだね。
そうなんですね。
もときさん、
普通の人よりすごい小さな、
自分の変化にも気づくんだろうなって、
今聞いてて思いました。
普通の人はイラッとしただけで、
そこまでいかないでしょうって思うんですけど。
普通とはみたいなところもあるけど。
でもやっぱり、
人が人として、
その人らしく、またその人がより、
良い状態でというか、
その人の良いものが出る、
出やすい状態で生きていくことが最優先だと、
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自分の価値観の中ではすごく思っているから、
バリューの置き方によって、
どこでそれをキャッチするか、
どれくらいそこにどうあるか、
何をするかよりもどうあるかに、
価値を置いているかっていうところで、
変わってきそうだけどね。
確かにポイントが変わってきそうですね。
運営チームでもよく話すけれども、
何を大切にしているかということだけじゃなくて、
それをどれくらい体現で生きているかが、
実際自分たちが見続けるべきところであって、
言葉にしていることは、
少なくとも自分たちがそれを体現しようと、
努力し続けている姿勢は絶対崩してはいけない、
その誠実さ、
そういうことをみんなで大切にしているけれども、
体現する自分が大切にしていること、
だからコーチングを学ぶということにおいても、
人に伝えるならば、
自分が自分に対してそれを100%できないと思うし、
それは僕もできないし、
誰にもできる人はいないと思うけれども、
そこと向き合い続けている、ある意味逃げないというか、
真摯にそこと向き合い続けている姿勢は決して崩しちゃいけない。
人の成長に携わるならば、
自分も成長し続けている姿勢を、
自分は自分でも成長しきったってあぐらかいていたら、
そのコーチングにはコーチングしてほしくないなと思うし、
そういうところを大切にしているからかなというのを、
聞いてもらって思うところかなと思います。
自分に対してというところを話してきたけれども、
外に対して、
外に対して、
人に対して、
コーチングの哲学が適用できていないなと思う時、
ノリはどんな時に自分自身が気づく?
そうですね。
いろいろあるんじゃないかなと思いつつ、
コーチングじゃない時の方が気づくかもしれないですね。
それこそ、
リーダーシップを取る時に、
その方が過去のことを知っている、
僕の場合ですね、
その人の過去を知っている時に、
このパターンだとこうなってしまうよなとか、
そこにクリエイティブさとか、
リソースフルなところを省いた話を、
僕はいつも考えてしまう、自分の中で。
この人の中に本当にクリエイティブなことが起きるとしたら、
多分、
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過去のものとは全く違うものになるはずなのに、
そこに信頼を受けていない自分がいるなというのを、
感じるんですよね。
それは、
そういう時に思いますね。
それは多分、
みんなあるだろうね。
俺もあるなって。
長年知っている人であればあるほど、
本当の意味でまっさらな形で、
その人の新たなクリエイティブなものを生み出す力、
クリエイティビティがその人の内にあること、
リソースフルであることに関して、
色眼鏡なしに見ることができるというか、
潜入感なしに見ることが難しくなっている状態ってあるね、
確かにね。
確かに確かに。
それはあるな、自分もあるな。
もっと本当は、
ちょっと一回立ち止まって、
その自分が潜入感を持ってしまっていることに気づいて、
一歩引いて物事を見てみたときに、
いや、もっと可能性本当はあるよなとか、
可能性全然信じ切れていなかったなとか、
これくらいまでならもしかしたらいけるかもしれないと思っていたけど、
本当はもっと、2くらいまでしか見ていなかったけど、
本当は10、50、
見ていたらもっと結果変わっていただろうし。
そうですね。
それめっちゃ思いますね。
しかもそれ伝わっちゃってる気がします。
何も言葉にしてないのに、
それ伝わってる気がしちゃって、最近。
思ってて。
出てるんだろうなって、
自分が思えてないところで出てるんだろうなって思いますね。
でも個人的にもそうじゃないですか。
同じことだなって思うんですけど。
そういうときはどうやってチューニングするの?
他の人と話して、
話していくうえで僕が気づくんですよね。
自分がそこに持ててないなって、
希望とかそこに。
それはあれだなって思いつつ、
その人のために思い巡らせたりとか、
奥さんとも話しつつ、
こういう可能性あるよね、こういう可能性あるよねっていう話を、
人とする場合もありますし、自分の中でしていくときもありますし、
可能性を最大限まで、
しっかりともう一度見直して、
信じるみたいな、
視点が目の前のものにピントがあってしまっているところ、
地平線まで伸ばしていくみたいな、
そんな時間を自分と、
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他の人ととって、
自分も確かにそこかもな、
外の人にそれを、
その人の傾向を知ったうえで、
その人にとっての挑戦の幅や可能性の、
励ませる幅みたいな、
ここから先行ったらちょっと、
それこそ押しつけになってしまったり、
相手を苦しめることになる、
ここくらいまでかな、
この人が今出せる一歩は、
もちろんその配慮というか、
その視点、
ちょっと軽い形で励ます、
ということは違うと思う、
でも、
相手が本質的に根本的にできる存在だと、
信じているうえで、
そこと向き合うかどうかというところは、
難しい、バランスずっと取りながら、
細い線通っているみたいな、
そんな印象を自分は受けた、
純度高く相手を信じる心、
ピュアな心を持ち続けながら、
でも今の相手の能力や、
視点の幅や、
本人の中で頑張っている幅みたいなところ、
そこを尊重して、
ある意味見合ったという言葉を言うと、
根当に聞こえるけれども、
そこに適した挑戦や、
励ましをしていく、
すごくバランス、
両方耕し続けた、
両方自分のマインドを、
右手と左手で違うことをやり続ける、
そんなイメージがあるかもしれないね。
そんなイメージありますね、本当に。
面白いね、それはすごく分かるなって。
コーチングの哲学だけで、
こんだけ喋っちゃったな。
パート1、パート2に分けて喋っていくんですけど、
コーチングの哲学を話した上で、
コーチのBeingの話をして、
コーチとしての在り方、
ICFのCow Competitionの、
今ここに在り続ける、
そこの話をして、その後に、
自分が荒れているかどうか、またそれを邪魔している、
自分の内側の内的要素がないか、
チェックリストみたいなのがあって、
それをやっていくのがパート2。
しているんですけど、
思ったより、
コーチの哲学の話が、
盛り上がっちゃいますね。
でも、着地していくにあたって、
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コーチングの哲学、
今日、入り口として、
私の目には、あなたは高価で尊い、
あなたを愛している、という政治家の言葉から入りつつ、
コーチングの哲学、私の目には、
コーチの視線からすると、
クライアントは、クリエイティブ、創造性に、
また、理想する、最一にあふれ、
そして、ホール、かけのない存在であると、
信じていること、というのが、
コーチングの哲学であって、
そして、それを、
目の前の人に対して信じる。
でも、自分のものを切り分けて相手に渡していくのではなくて、
自分が自分自身に対して、
本当にそれを信じているか、
それが自分の内側で身に染み込んでいるか、
その時にあふれ出るもので、
目の前の人に還元していったり、
それを届けていくという、
アンパンマンのように、自分の顔をちょっとずつ渡していって、
気づいたらなくなっちゃう、コップの水なくなっちゃう、
そういう形ではなくて、
自分がそこにあり続けて、自分に対する信じ続ける中で、
自分があふれているもので、
周りの人たちに良いものを流していくというのが、
一番健康的で良い状態みたいなところがある中で。
それで、
このコーチのあり方、
今ここにあり続けるというところの定義なんですけれども、
開放的で柔軟で安定的で、
自信にあふれる態度を持って、
クライアントに対して感覚をフルに開き、
今ここに共にあり続けているという、
そういう文章があります。
開放的で柔軟、
オープンで、
いろんな価値観に対してオープンであったり、
いろんな状況状態に対してオープンであるという、
固くなり、頑固になるんじゃなくて、
保守的になるんじゃなくて、
オープンであって、
そしていろんな対話の変化とか、
周りの変化に対して柔軟である、
コロナ禍にこうして入って、
ガラッと世界が変わる中で、生活が変わる中で、
どうそれに柔軟に対応していくかという、
でもその中でも安定性を持ち続けて、
ただ安定的、
安定性を持つだけじゃなくて、
自信にあふれる態度を持って、
クライアントに対して感覚をフルに開き、
自信を持ってそこにあって、
安心できる土台としてというか、
どんな状況に、
どんなことが起きたとしても、
この先が分からない状態であったとしても、
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そこに自信を持って、
安心してある状態、
そうあるときに感覚をフルに開くって、
これすごく難しいしでも重要だなって。
相手の感覚、
結構相手の感情を受け取っちゃう人とか、
相手の状態をすごくオープンに受け取っていったら、
同化、同調してしまって、
相手の感情に影響を受けやすい人とか、
また逆にそこに全く影響を受けないタイプだと、
そこに敏感に拾えなくなってしまったりとか、
そういう意味では相手に対して感覚をフルに開いているってことは、
自信があって安定性があるからこそ、
感覚をフルに開いて、
それを受け止められる状態になっていること、
今ここに共にあり続けている、
そこに今この瞬間にっていう。
これがこの次に入ってくるっていうのは、
コーチング哲也から自分に対して、
しっかりと
向けられていて、
自分に欠けられない存在と、
自分もクリエイティブな存在だと、
理想的な存在だと思えていないと、
多分このコーチとしての在り方の土台って、
ない状態というか、
コーチの在り方を実践しようとする中で、
多分これはステップ2であって、
ステップ1は自分が自分のありのままの状態を受け止め、
そこの状態に対して揺るぎない、
自信というか、
ありのままで自分は価値がある、
自分はクリエイティブな、できる存在である。
それは自分が、ただ能力どうこうってことじゃなくて、
存在価値として、また自分という存在アイデンティティとして、
そういうものであると信じられている、
その深さがこのコーチとしての在り方の深さに、
現れてくるっていう、
だから次の回では、
よりこのコーチの在り方という話を話しながら、
またそのコーチの在り方、自分がこうあるために、
大切にするべきチェックポイントみたいなところを、
いくつかお話ししていきながら、
深めていければと思います。
いいですね。
ということで、いかがでしたでしょうか。
パート1、バスケットマンのりえるから、
今日の感想をいただければと思いますが。
そうですね、バスケットやってる時も、
哲学を応用していきたいなって思いました。
まだまだクリエイティブだぞと。
飛べなくても選択肢はいっぱいあると。
うまくつなげたつもりでしたけど。
ちょっと浅くなってしまったね。
浅くなってしまった。
はい。
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スポーツでやってると、
そこ広げるんかいって。
年齢とともにプレースタイルって変わるべきであって、
今だからできることを、逆に何かみたいな、
そういう視点でやっていくと、プレーの幅が広がっていって、
経験と視野みたいなところとか、
戦略であったりとか、
プレースタイルも変えていく必要があるみたいなのが、
よくあるようになって。
はい。
頑張って拾いつつ、
これはどうだろうな。
でもコーチング哲学改めて、改めてやっぱり、
本質的な中心メッセージであって、
コーチとして活動していくためにというよりも、
コーチとして生きていくために、
コーチという在り方を大切にし、
人生を過ごしていく、
その豊かさっていう、
人生の豊かさを求めていったり、
体現していく、
社会に対してもまた自分に対しても、
その中でやっぱりコアとなる、
そういう考え方、価値観であって、
深め続けられる。
多分これ本当に何時間でも話せるな、
そういう内容だなっていうのを改めて思いましたね。
はい。
じゃあそんな感じで今回は終えていきつつ、
パート2を楽しみにしていきたいと思います。
また次回よろしくお願いします。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
CAMは2005年にアメリカにて設立され、
3000人以上のプロコーチを拝出してきた
ICF認定コーチングスクールです。
CAMやその日本支部であるCAM JAPANについて知りたい方は
camjapan.jpで検索ください。
それではまた次回お会いしましょう。