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芥川賞「ゾンビ回収婦」- 我々は生きている実感を感じたい(お相手:レイさん)【番外編】
2026-09-27 38:30

芥川賞「ゾンビ回収婦」- 我々は生きている実感を感じたい(お相手:レイさん)【番外編】

9月のポッドキャスト読書会では、レイさんと小砂川チトさんの『ゾンビ回収婦』を読みました。AI失業やVRが描かれる「今」の物語を入り口に、自分らしさはどこに宿るのか、現実と仮想世界で人が求めるものは変わるのかを考えます。

VRに没入する主人公が、仮想世界でも役割や承認、向上を求めて働き続ける姿/現実逃避のはずの場所にも競争や資本主義の癖が持ち込まれる怖さ/仕事や役割を失ったとき、自分を支えるものは何か/編み物、ダーニング、料理、紙の本など、身体を使う行為がもたらす「生きている実感」/ポッドキャストで役割以外の自分を語ること/映像よりも自由に人間の闇を描ける文学の力/選考委員の講評から見えた作品の疾走感と読みづらさ/AIが書いた作品をどう評価するのか/自分の経験や思考を学んだAIに、どこまで判断や表現を委ねられるのか

読み切れなかった正直な感想も含めて、作品から広がった問いを二人で語りました。

🎙️ お相手

【 レイ 】
ある企業で、言葉を使って会社のことを表現するコピーライター。社内のモヤモヤを言語化し、上層部や顧客へ届く言葉に書き分けるプロフェッショナル。本屋さんでの「ザッピング」と偶然の出会いをこよなく愛し、劇場で浴びる生身のエネルギーを人生の句読点として大切にしている。

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💄 制作:rapio works

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サマリー

えまとレイさんが、小砂川チトさんの『ゾンビ回収婦』を題材に、AI失業やVRが描かれる「今」の文学について語る。レイさんは作品に最後まで没入できなかった一方、えまは現代の不安や、VR内の自分に生の実感を持つ主人公の描写に時代性を感じる。主人公は現実で仕事とパートナーを失った後、VRの「ゾンビ回収婦」という役割に熱中し、承認や向上を求めるが、仮想世界にも競争や資本主義的な癖が入り込む。二人は、役割を失ったときの支えや、編み物、ダーニング、料理、運動、紙の本など身体を使う行為がもたらす「生きている実感」を考える。ポッドキャストで仕事以外の考えを話すことも、役割以外の人間味につながると話す。映像表現にコンプライアンス上の制約が増す一方、文学は人間の闇や極端な出来事を自由に描き、読者に異なる人間の思考を追体験させる力があると評価する。文芸春秋に掲載された芥川賞選考委員の講評からは、作品のフィクション構築への意欲、自発的服従、境界の曖昧さ、疾走感が評価される一方、読み手が脱落するほどの読みにくさも語られた。後半では、経験や思考を学習したAIに文章や判断を委ねることへの違和感、AIの用途が人によって違いすぎて「AIを使っている」という会話自体が成立しにくい現状を話し、役割をAIに奪われた後も人間が求めるものは変わらないのかという問いで締めくくる。

『ゾンビ回収婦』への率直な感想と現代性
素顔会議、こんばんは、えまです。
今月もポッドキャスト読書会に参加していきたいと思います。
今月もレイさんよろしくお願いします。
レイさんお願いします。
9月のポッドキャスト読書会は、芥川賞、直樹賞、2026年上半期を振り返るということで、
我々はゾンビ回収婦という、小須川智人さんの作品を読ませていただきました。
私が選んだんですけど、表紙の絵が可愛かったり、
あとはゾンビとかVRとかAIとか最近っぽい話題だったり、
結構読んだ人の感想では疾走感のある感じとかっていう表現があったので、
そういう感じでポップに楽しく読める書物なのかなと思って選んだんですけど、
結構内容が重たくて、
とても疾走感を感じるふうには読めなかったなっていうのが最初の感想なんですけど、
どうでした?読んでみて。
最初に言ってしまうけど、最後まで読めなかったんです。
っていうのは、面白くないとかじゃないんだけれども、
没入するタイミングがよくわかんないっていうか、
どこで没入すればいいのかって思って、読んでも読んでも進まないの、不思議と。
本当に面白くないからではないって、それもわかってるんだけど、
うまくのれなかった。
だから、芥川賞とはみたいな、別に面白いから芥川賞を取るわけじゃなくて、
時代の本質的なことを文学で表現してるんだって思うんですけど、
読めねえみたいな感じで、今日を迎えています。
あんまり私、小説の賞に詳しくないというかね、小説自体もあんまり読まないんですけど、
芥川賞は、わりと文学作品として文学的要素が多いとか、選ばれる。
純文学の賞だって、私は理解してて、
直木賞はエンターテイメント色が強いっていうイメージを持っているんだけれども、
今回読んだというか、読んでないというか、
ゾンビ回収譜は、すごい現代現代してるなと思って、
今の話、今書かれた話、2026年の感じがして、
純文学に対する偏見があるだけだと思うんだけど、
いつでも読まれるとか、普遍的であるとかっていうものなのかなと思ってたから、
AI失業とかって、ものすごい瞬間最大風俗で、今って感じがして、
そういうことをテーマに書き始めちゃうんだっていうのが、むしろびっくりして、
VRゴーグルかけちゃうんだみたいなんで、今じゃんみたいな。
ほんとに今ですね。
最近のニュースで、AIが人類滅亡互動のコーナーみたいな話。
AIの会社がAIの開発を遅らせるべきみたいな、
自分でブレーキ踏むべきみたいな、もうね、不思議な世の中なんだけど。
その感じというか、迫ってくるんだけど、何かよくわからない感じとか、
自分が人類誰も直面したことない感じのときに、不安になる不穏な気持ちだったりとか、
VRの中の自分と生の実感
それがよく表現されているし、VRゴーグルってかけたことあります?
ある。
あります?何かかけました?
私、何か体験のコンテンツに行ったときに、
これをかけて、それこそゾンビみたいな怖いものが襲ってくるみたいな、
ギャーってよけるみたいな体験?
もう何年も前だから、まだ初期だったのかわかんないけど、すごいやっぱり怖かったし、
よくテレビで、平均台みたいなのがものすごい高いところにあって、
そこを歩くVRみたいなのやる人いるじゃない?
怖い。あれすっごい一歩も踏み出せないみたいな怖さが。
だからVRってすごいなとは思っているんだけど、そういう意味でやったことはある。
私も今年の夏、テーマパークで初めてやったんですけど、
思ったより没入するなというか、
そっちが本当になるよね。
そうなんです。
だって恐怖を本当に感じるじゃない?
ここ地面あるのにないみたいな。
私のやつは恐怖じゃなくて、テーマパークのかわいいキャラクターが、
私が敵に撃つためのアイスクリームを運んでくれるっていうやつなんですけど、
チームなわけですよね、私と彼女は。
仲間意識ももう実態のないものに芽生えてくるし、
かわいいって言って手振っちゃうしみたいな、
その感じとかもこの本読みながら思い出しながら、
今の時代をよく感じる作品でしたね。
最初に大事なことなのかわからないけど、太字にしてるでしょ?
太字にしてますね。
言いたいことなのかわからないけど、
その読んでくださいみたいなとこが太字になっていて、
最初の方で、では私とは一体何だったのだろう。
この生活のうちのどの部分に私の私性は宿っていたのだろうっていう。
自分のことは考えたことなかったみたいな、
仕事だけやってましたみたいなところのくだりであって、
その後VRゴーグルかけて、そっちの自分が自分になるみたいな感じがする。
そっちの方が生きてるとか。
VRをかけた自分の方がより身体性を感じるし、
こっちが本当の私なんじゃないかぐらいに思い始める主人公とか。
そこってすごい、もうそれこそ今だよなと思う。
だから自分がどこにあるのかっていうのを、
自分で考えて決めないといけないっていうか、
SNSとかが流行ったときも、
持った自分が本当だから、自分では人と会わない人とか出てきたときに、
本当の自分はSNS上の自分が本当の自分だから、
生身の自分は本当じゃないみたいな、
どこに自分が生きてるのかっていうのを、
変える人が出てきたと思うんですけれども、
この話も、VRの中にいる自分が本当に生きてて、
そこに立ってるっていう実感があって、みたいなことを言ってて。
トイレも行かないでやってるんでしょ?寝ないで。
トイレに行って、ものすごい放尿をするみたいなシーンがあって、
そんなに人間ってそういうふうになるのか、みたいな。
何日とか、トイレも行かず、その世界で自分が生きて、
なんか不思議な人生というか、選択というか、生き方というか、
そんなふうに自分の生理現象も変わっていくのかと思って、
そこ面白かったです。
描写の中で、結構心拍数も危ないですみたいな、
なんか表示も出てくるぐらい没入してしまう。
なんかアドレナリンって恐ろしいですよね、そう考えると。
役割・承認欲求と仮想世界の競争
なんかそこに適応していったり。
あと、先ほどの話で、SNSの自分が本当の自分っていうのも、
まさに今だなというかね、アカウントによって人格変えてる人もたくさんいたり、
VRだとさらにリアルになって対峙する人とも、温度感とか、
あとはVRの中で、本当は温度がない暖炉に手をかざしてるんだけど、
もう錯覚みたいなもので、物質性もあって、
物理法則もきちんとVRの世界で成り立っていて、
なんか本当に我を忘れてしまうというか、
でも、なんだろう、じゃあリアルな世界の話をすると、
自分は、失業するまで主人公は職業があって、
あまり主張してこないパートナーと一緒に生活をしていて、
多分そこがすごく、なんだろう、淡々と生きられていたからこそ、
自分とは何かみたいなことね、さっきもおっしゃいましたけど、
きっと考えたこともなかったし、
あとは、私はすごく思うのは、役割以外のことはあまり考えなくて、
すむと同時に考えることをあまり求められないなって、
自分が社会人をやっててすごく感じるんですよね。
今の2026年時点の我々は、役割以上のことを考える力みたいなものを、
失いがちな環境にいる。
それはすごく恵まれていることでもあって、すごくありがたいことでもあるんですけど、
でもふと別の世界に行ったり、別のことをやってみたりした時に、
すごい自由を感じたりとかもするんだけど、
でも結局この主人公も、なんだろう、ゾンビ回収婦っていう、
またVRの中でも自分の役割に収まって、
そこに熱中していること、そこで社会に対してすごく自分が関われているとか、
価値を出せているっていうことに、すごく承認欲求が満たされて、
ドバミンが出て、寝なくてもいい、お手洗いがなくてもいいみたいになっているって、
なんかすごい皮肉。
結局同じってことだよね。
VRかけてないときと。
そうですね。
ドバミン出てないけど、考えないっていうことでは、
何かに集中したり、それをしていたりする間は、
別に何かを深掘りしたり考えたりしなくていいっていう意味では、
同じなのかもしれない。
なんかそういう感じを受けたのと、
あとは、なんだっけ、あれなんですよね。
VRの世界と現実の世界で、
すごい一番の違い、この本の中での一番の違いっていうのは、
戦いがあるかどうかみたいなことだと思って、
現実の世界はもちろん戦いもないし、
AIに仕事奪われちゃったんだけど、
一応、今この瞬間は生きてはいられて、VRを楽しんでいる、本当はリアルは。
でもVRの中の自分は、ゾンビ回収部としてすごく悪跡が働いていて、
自分しかゾンビを回収する人がいなくて、大量に仕事があって、
知り合うキャラクターたちも、自分も含めて、
ずっと命の危険にさらされ続けていて、
そういう究極の状態、ある種究極の状態にキャラたちと接するからこそ、
自分の役割で承認欲求を得ていたんだなとか、
あとは自分のその承認欲求というか、仕事に対するストイックさみたいなのを、
誰かに押し付けてしまったりとかっていう描写も出てきて、
本当は主人公と仲良くなる人なんですけど、
本当はその人は逃げたいんですよね、ゾンビから。
自分もちょっとゾンビっぽくなっているんだけども、
戦うっていうことから逃げたいんだけど、
主人公からすると、君もゾンビなんだから戦いなさいよ、前線で。
みたいにちょっと思っているところがあって、
でもなんかその逃げてる人は本当は知性を持って逃げていたんだけど、
最終的に亡くなっちゃうんですよね、前線に。
主人公とのコミュニケーションの中で、自分も戦ってみるのありかなというか、
活動してみるのありかなっていう考えになって、前線に行って、
それをすごく主人公は誇らしく思っていた。
自分が他者に影響を与えて、自分がいいなと思っている人が、
生き生き動いているっていうのを、いいなって思って、好きだなって思ってたら、
殺されちゃったみたいな、そういうなんだろう。
でも現実世界でそれは起こらなくって、今のところ、
すごく極端な経験をすることないじゃないですか。
でも、他者に強要してしまうほど、自分は役割とかそういうものに、
精神的支柱を持ってたんだなとかっていうことに、
VRの世界だから気づかされることとかあって、
役割の中でより向上していこうとか、よりよく会っていこうとか、
前進していこうっていうものは、
編み物や紙の本で「生きている実感」を取り戻す
たぶん現代人に結構すり込まれた考え方なんだなって。
そこからどう逃げるかみたいなのが、今みんなテーマなんじゃないかと思ってて、
普通に生きてる私たちは小説の中じゃなくて、
今、編み物をするとか、
編み物しました。
あとは、ジャーナリング。自分が思ったことを全部書くとか。
ジャーナリング、流行りですね。
もちろん流行ってる。
だから、逃げずに自分と向き合うとか、時間と向き合うとか、
そういうことによって、どうにか人間性を保とうというブームがあるじゃないですか。
ちゃんと料理をするであるとか、
スローライフとか、そういう昔のじゃなくて、
本当に人間性をどうにか自分とつなぎ止めるために、みんな編み物したり。
私もこの間やってみたんですよ。
ダーニングって言うんだっけ?
穴が開いた布とかに、きれいな違う色の糸で、チクチクチクチクチクチクってやって、
2本の差し込みみたいな、糸で縫うことで補強するみたいなやつを、
インスタとか見てると、そういうのがどんどんきて、
上手にきれいに、かわいくチクチクしてる。
映画とか見てると、ほんと時間がいわゆる溶けてくって感じで、
これ私もできそうとか思って、なんか穴開いたもんないかみたいな感じで、
ちょうどパジャマのパンツのおしりに穴が開いたっていう、これだと思って、チクチクやったの。
そしたら、すっごい気持ちよくなっちゃって、これかってなって、
穴という穴を、パジャマズボンのちょっと薄くなったところを、全部それやって、
チクチクチクチクチク。
いいですね。
だから、そうやってどうにか自分が生きてる、
自分の手足を使って、頭を使って生きてるっていうのを感じることが、みんな気持ちいいってことは、
私も気持ちよくなったってことは、やっぱり、それこそTikTokとか見て、
もう次から次から短い動画見て、ドパガキっていうんですか、ガキじゃないけど、
ずっとドパミン出て、肺になって、何時間も見てるみたいな、
そこからどうにか逃げるために、チクチクに集中することで、
今、自分ここにいますみたいになろうと、みんなしているときに、
この本は、VRの中でさらに、現実と同じ承認されたいとか、仕事に熱中して、
向上する、もっと良くなる、もっと頑張る、みたいなことをやってる主人公が出てきてるとしたら、
それは何?現実とバーチャルな世界が、完全同じじゃんって思って、
何にもこう、VRって私は逃げ場なのかと思ってたんだけど、
あれ?違うのね、みたいに、そこはすごい興味深いテーマだなと思って。
そこが通じてきてしまうというか、
同じになっちゃうんだなって思って。
あとは、プレイヤーもいろんな人が入ってきて、他者が開催すると、どうしても競争が生まれて、みたいなことなのかな。
癖なのか。
人類の?資本主義の?癖?
そうかも、そういう人。
と思いましたね。なんか恐ろしいなというか、それこそ、最初はね、現実逃避というか、
作業興奮みたいなもので、自分の時間を埋めることが今、職業とパートナーを失った自分の心の支柱を補強してもらうみたいな、
ポジティブな意味だったのが、あれあれ?みたいなこととか。
でも、自分も編み物やってたときのことを思い出すと、なんだろうな、
TikTokとか、SNSとか、そういうドーパミンの出し方ではないんですけど、これも一種、作業興奮なのかなって思ったり。
単純作業ね。
でも単純で、自分の指先をよく使うじゃないですか、あれって。
今ってやっぱり、仕事しててもパソコン、そこまで指先を動かさなかったりとか、1日中デスクに座ってたりとかっていう時間が長いと、
やっぱり運動したりとか、飲み物したりとか、料理したりとか、なんかこう、生きてるみたいな。
オフィスに行って、あんま汗かくことないじゃないですか。
ないです。
滝汗をちょっとかいてみるとか、なんかそういうことというか、今みんなそういう向上しようとか、なんかこう役割の中でアクセクしていようっていうことから、
よりなんかこう、生きてるっていう方に戻ってるっていうのは、なんか一種そのリアルな世界の中でも、VRの世界の中でも、なんかこう人間が集まってしまうとアクセクし始めて、
で、アクセクしていると、もうAIとかいろんな技術によって、その前提がものすごい勢いで変わるから、外側の世界に与えられている役割で何も考えなくてよかったのが、
ものすごい勢いで変わるもんだから、もう自分に立ち返らないとどうにもいられないというか、落ち着いていられないみたいな気持ちがあるのかなって、
で、自分も感じることあるなっていうふうには、なんか改めて思ったかなと思います。
編み物とか言ったけど、読書も結構同じで、読書が、紙の本を読むのが流行ってるんでしょ。
紙の本、やっぱいいですよね。
なんか、Kindleとかじゃなくて、紙の本をめくるっていうのは、なんかその人間性回復みたいな意味で、いろんな世界で、そのブックカフェみたいなのができたりとか、不思議なものだよね。
効率よく、物質的じゃなく効率よく読めるものもあるけど、重たかったり、めくんなきゃいけなかったりするものが、やっぱ生きてる実感を得る一つの材料になってるのかなと思う。
私はもともと紙の本が好きだから、あんまりこう、紙でもちたくないけど読まなきゃいけない本だけをKindleで読むようにしてて、
なんかビジネス本みたいなやつとか、もう一回読んだらいいやみたいなやつはKindleで読むんだけど、好きな本はやっぱり紙で欲しいんですよね。
だからちょっと私は、そのへん独特っていうかずれてるのかもしれないんだけど、
なんか、このポッドキャスト読書会みたいなものも、自分が自分でいるって何みたいな、
ポッドキャストっていうもの自体がそうなのか、人としゃべるみたいな音声で、
人間性みたいなものが出るし、
あとなんかわりとこう、みなさん、なんだろう、誰かに向けてしゃべってるっていうよりはこういう感じで雑談したりとか、
なんか自分の考えとかをしゃべったりとか、仕事以外でないじゃないですか、あんまり、たぶん。
マイクが向けられてるから、飲み会でしゃべる雑談ではない。
そこはちがうんだ。
意味は求めたいみたいなものもあって、すごく役割以外の人間味が出るのかなって、やってて思ったりはします。
文学が描く人間の闇と自由な表現
なんかさっき芥川賞とはみたいな話をしたけど、
なんか私、よくSNSとかで、なんかさっき昔のドラマの切り出しみたいなのを見せてくる人が私のところには多くて、
みんな口をそろえて、今コンプラでこんなドラマは撮れないとか、こんな表現は無理とか、だって映像でタバコも吸えないわけじゃない?
確かに。
でも本当は表現なんだから、人殺しはいいわけじゃない、ドラマでも。人殺しはいいのに。
そうですね。
ストーリー的に人は殺せるのに、タバコは吸えないとか、性的な表現はインティマシーコーディネーターとか、でも殺しますよねとか思ったり、
コンプラみたいな感じで、そのドラマのことを紹介してるフィードとか見てて、
うーんって思うんだけど、文学とか物語はドラマとかよりもめちゃめちゃ自由だよねって思って、
どこにも行けるし、どこにでも行けるし、ワープできるし、殺したりも簡単にできるし、バラバラにしたりとか、人をぐちゃぐちゃにしたりとか、
この本はね、ぐちゃぐちゃになってる人が 描写されてたりとか、
ダメがないよね、文学ってすごいと思う。文字で表現することに対しては、おとがめがない。
人間の闇をえぐるようなものが文学だったりするときあるじゃないですか、
許されるんですよ、それが。だからすごいなと思って。物語を作るってすごいなって、
こういう日常からかけ離れたものを読むって、ある種の、自分にとってはVR体験と一緒で、
何この人、こんなことを考えちゃうんだ、みたいなことを追体験できるっていうのが、文学は本当に許されるんだなっていうのが思いましたよ。
今回のこの作品も、イン・ザ・メガチャーチ読んだときもすごいなと思ったけど、
この作品のゾンビたちとか、お互い殺し合ってしまう人たちとか、
あとは自分の、別にお給料が発生してるわけじゃないんだけど、自分の役割を全うしてて、
VRの世界にも上司はいて、みたいなこととか、
その登場人物がそれぞれ面白いし、絵組みがすごい、みたいなことが、文学ってより掘られてるのかなって思いましたね。
一番の現実逃避かもしれません。こういうのを読むのが、VR以上に本当に頭がガーンってなる。
芥川賞選考委員の講評と作品の疾走感
私は単行本を買ってなくて、文芸春秋の発表された全文掲載っていう文芸春秋が会社にあったんですよ。
それでこれを読んだんだけど、選んでいる作家さんたちの芥川賞選票っていうページがあって、
これを読んでみたいなと、今思いましたね。
どういう評価をしてこれを選んだのか。
そうですね。
川上美恵子先生は、多くの物足りなさが残ったが、しかし候補作の中ではフィクションを構築しようという気概と発揮があり、
今回は積極的に推薦できる作品がなかったが、相対評価として本作が受賞に値すると判断し、これに投票しただって。
積極的なんだ。
そうなんだ。
でもVRの世界観を作ろうという、
試みが評価できるっていう。
いろんな言葉を尽くされていたなっていう印象は確かにあるかもしれないですね。
そういうノミメントの仕方もあるんだ。
人間のAIか自発的服従といったテーマの考察につながるエピソードが散りばめられている。
なるほど、自発的服従ってつらいね。
自発的服従ってなんですか?
取り込まれていくってことじゃない?その世界に。
なるほど、なるほど、自発的に服従する。
なるほど、なるほど、そういうことか。
自発的服従。
自発的服従ってすごくやだ。
でもそれがすごく今だね。
今ですね。
自発的服従。
いやー。
小川陽子さんは、
散乱するがれきの中でもがく主人公の姿には、
哀れを感じるほどの凄みがあった。
確かに。
境界があいまいになり、
誰の発言かが一番信用できるのかわからなくなる。
そうか、苦しいな、哀れだなというか、
大変だなこの人って思うにも、
文学的に言葉を尽くされていないとなかなかそれは表現できないから。
そうですね。
そこも評価対象なのか。
山田英美さんは、
これから50m走が始まりますよと言われて息を詰めて見ていたら、
実は5000mだったような、
言葉の加速度のつけ方はいつもながらすごい、
追いつけそうで追いつけないこの疾走感だって。
あ、私は不甲斐なく脱落した次第だって。
脱落してるんだ、よかった。
よかった、そういう、
なんか、共感が、
面白いね。
こういう選んだ人の話も聞くのと、
聞くっていうか、読むの面白いな。
文芸春秋にはそういうことが書いてあるんですね。
そう。
そうなの、いろんな先生たちが読んで、
これで宝選んだよっていう。
そうね、読んでどう思ったかを、
いろんな人のいっぺんに読めるのは、この雑誌かもね。
文芸春秋に、そうやって批評をされたりとか、
AI作品の評価と「自分」の境界
賞を選んだりする作家さんっていうのは、
文芸的に、
もともと著名な方なのか、
芥川賞を取ってる人たちが、みんなそうじゃない?
なるほど、学者さんとかってわけではないんですね。
作家、作家。
先行委員は、1、2、3、4、5、6、7、8、9人。
9委員が出席して、
討議を行ったんだって。
9人なんですね。
そんなに何十人もってわけではない。
でも最近、
最近芥川賞から降りた人いるかどうかわからないけど、
先行委員を降りる作家の人が増えてるよね。
AIで書いた小説がいっぱい送られてくるから、
読むのがもう大変なんだって。
いいと思ったものが、AIかどうかはわからないじゃない?
だから、先行できませんっていう人が増えているって。
なるほど、そっか、出品作品も増えちゃうから。
そうそう、増えちゃってる。
読んで、それこそ脱落するものも多いだろうし。
で、その上で、これAIが書いたんですよ、ちゃんちゃんってなったら、
せっかく審査したのに、みたいな気持ちはあるんですかね。
この人、このゾンビ回収婦だってさ、わからないよね。
そうなんですね。
AIが書いたかもしれない。
いや、わからないよね。
わからないですね。
すごく、論文とかそういうのも、わからないで感動しちゃったりして、
敗北感すごいよね。
でも、そういう時代を生きているから。
でも、なんか、どうなんですかね。
今、AI育てる人、みんな育ててるじゃないですか。
私は育てられてないなって思うんですけど、それでいうと。
そうすると、自分の経験とか、いろんなものをインプットして、
で、とある経営者さんが、勝手にAIがノートを書いてくれて、
投稿しませんか、みたいな感じで投稿したら、すごい見てもらって、みたいな。
なんか、それは悔しいのか、どうなんだろうっていうか、
しっかり育てたAIだから、ほとんどその人の実体験とか言葉遣いとかもちゃんと入ってるし、
その上で、ただ体系立てて記事にしたのがAIというだけだったら、
みんなAIが書いたと知っても、それは便利って思えるのか、どうですかね。
私はわかんない、まだ全然見解持ったことないけど、
でも、それって自分の経験とか、思考パターンとかがあった上であるテーマについて書いたもの、
知らないところで発表されるのは嫌かな。
ちゃんと確認してから、私が確認してから出したいかな。
まだ私、今のただの人間だから、自分のツインがいるとしても確認したい。
確かに。
自分のほうが本体だから、今まだ。私は自分が本体だと思ってるから、
もう一個のほうに委ねちゃうねってことは、しないかな、できないかな。
じゃあ、あれですね、著名な方がゴーストライターで書いてたんだっていう感覚と似てるんですかね、どうなんだろう。
でも、ゴーストとも違うんだよね、自分だからね、ゴースト。
自分が自分じゃないところで自分として振る舞ってるっていうのは、
確かに。
AIに判断を委ねる未来と人間の役割
ちょっと、
気味が悪いですね。
私は自分の一生の中でそれが便利だなと思うことが、まだあるって想定してないかも。
理解が難しい。今もそんなこと言ってたら胸が苦しくなってきた。
ここにいる自分を自分で把握してると思ってんのに、そうじゃないってなっちゃう。
そういうのは、私の感覚では嫌かな。
それは言葉のアウトプットだから嫌だっていう感じですか。
例えば、最近で言うと、AIは文章を書いてくれるとかだけじゃなくて、もうAIエージェントになってきて、
考えてくれる。
そうです、この人はこういうのが好きだから、お買い物を先回りしてやっておこうとか、
いついつのこの旅行を提案しようとか、
あとはそれのブッキングも全部やってあげようみたいなことになって、
商品の形がいろいろ変わるかもしれないねっていう話とかも聞いたことあるんですけど、
それは自分ではないのか。
それを考えてくれるのは、本来自分がやることなんですけどね。
文章とか、自分の思いですっていうみたいに発表するものでなかったらいいのか。
わかんないな。
難しいですね。
そのAIに代替されることで、自分はここまでだったらいいとか、
相手はこれぐらいまで許容できるとか、その尺度も人によってさまざまじゃないですか。
これって、だから規制をかけるのもすごい難しい話ですよね、きっとね。
コンプラよりもっと。
AIが一番、AIの話になっちゃってるけど、
AIが一番今議論してて、いろんな人とお話しするけれども、難しいのが、
個人で対応が違いすぎて、同じフェーズの議論がしにくい。
仕事で同じものを使って、同じものを見てる人とは話ができるかもしれないけど、
個人で使ってるものも違うし、どういうことのために使っているかとか、
何をいいと思ってるかっていうのが、人それぞれすぎて、
会話が成立しなくなって、AI使ってる? うん、使ってるよっていうことに意味がないなっていうのを最近。
なるほど。
使うとは?
確かに。
ある人は話し相手にしているし、ある人はプレゼンテーション作るのに全部前振りしてたり、絵描いたりとか、
いろんなデータ入れて仮説立てる人もいるし、
もう想像つかないの。隣の席の人がAIに何をお願いしてるかが。
翻訳ソフトとかだったら、翻訳だから、使ってる?うん、使ってるで、やってることわかるけど、
AI使ってる?の意味がもうなくて。
確かに、何でもできるし。
しかも、うちの85歳の母もこの間調べ物してて、携帯で。
こうなんだってなんて言うから、どうやって調べたの?って言って、AIがって言って、
GoogleとかでもAIによる解説ってやって最初に出るじゃん。
はいはい。
自分で何かを立ち上げたりしなくても、だからAIがそう言ってるみたいな。
使う、使わないの意識なく使ってるっていう、彼女のような人もいるし。
というふうにAIの話になってしまったんですけれども。
でもね、AIによって役割を奪われた後。
そうね、最初がそうだもんね。
そうですね、我々はどうあるべきなのかというか、
でも意外とリアルでもVRの世界でも人間が求めるものも変わらないっていうメッセージだったり。
そういうメッセージなのかどうかをちゃんと読んでみます。
読んで感じてみます。
でも無理なさらないでください。
だって先行委員の方が脱落されてるんですから、この作品。
そんなことあるんだと思いました、私。
ね、面白かった。
50メートルかと思ったら5000メートルだったら脱落したっていう。
もうその感覚だよって思いました。
確かに深い世界のお話でしたし、またインザメガチャーチの時のような、
うわー世の中こんな感じかみたいなのを感じたりとかもしましたし。
次回はもうちょっと、あれなんです。
次回は原作、アニメや映画の原作になったものでいいそうなんですが。
だから次回は。
好きな本の話をしよう。
カップでコミカルな感じとか、あとは恋愛物とか、
考える方向がAIとか社会的なことじゃないことにしましょう。
放送してください。その方がいいと思います。
すいません、今月もありがとうございました。
ありがとうございました。
38:30

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