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#472 実存同士の対話とは?ハンナ・アーレントとヤスパースの往復書簡
2026-11-04 40:22

#472 実存同士の対話とは?ハンナ・アーレントとヤスパースの往復書簡

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===プロフィール案===

・弟

10年ほど独学で哲学を勉強。京都在住でキャリアデザインの仕事を行いつつ、洋の東西・時代を問わず様々な哲学・思想を学ぶ。大学の専攻は認知心理学。好きな哲学は現象学。


・兄

銀行と中小企業での勤務を経て、地元岩手にて地域企業の経営支援を行う。大学の専攻は経営学。


===プロフ案ここまで===



「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。哲学好きの弟と、哲学に馴染みの無い兄の、兄弟ふたりでお送りします。



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00:11
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回はヤスパース編第3回ということでやっていきたいと思います。
はい。今回ですね、わりと哲学的なことっていうよりは、前回から引いてですね、人との人との関わり、実存的な関わりですよね。
この事例としての、ヤスパースさんとアーレントさんの手紙の距離が残ってるんですけど。
おー、今回は成功事例的な感じかな?
そうですね。前回のハイデガーを失敗事例とすると、今回は成功事例というような感じですと。
で、ある種の実存って何かみたいな話を前回色々したんですけど、定義しちゃったらダメとかっていう話もしたと思うんですけれども。
ある種、どうしても人って主観と客観に分けて物事を見てますねと。
その分離っていうものがいろんな問題を引き起こしている時に、それをある種乗り越えていく、その限界状況っていう自分にどうにもならない。
どうにもならないからこそ逆にそれを引き受けるしかないんだっていう自分に気づいた時に、
自分と他者とか世界を分けるんじゃなくて、生きているこの自分みたいなものが見えてきて、
そういう自分と同じように他者もまた生きているんだっていうふうな繋がりをしていくことが、実存的な交わりだっていう話をしたと思うんですよね。
前回のテーマとして取り上げたアーレントさんがヤスパーさんの弟子だったというか、
実際ヤスパーさんが教授だった時の学生だったのがアーレントさんで、そこで白紙論文を書いてるんですよね。
そうなんだ、ほうほうほう。
っていうぐらいある種深い関係だったんだけれども、アーレントさんの時に言ったようなナチスドイツが出てきたことによって亡命して何とか逃げて、
国籍もない中でアメリカに行きましたって話をしたじゃないですか。
その戦前と戦後の手紙のやり取り、往復書家みたいなのが残って出版されてるんですよ。
っていうところから今日はちょっと話を持ってきてるんですけれども、これさ、手紙でやり取りしてましたとかって言うとすごいほのぼのするじゃん。
そうだね。
するじゃんって思うんだけども、でもそもそもこの二人がやり取りができたってこと自体がまず奇跡なんだって話からちょっと始めようと思うんですよね。
03:04
あー、そうなんだ。
どういうことかっていうと、アーレントさんが亡命してから1933年くらいかな。
終戦が1945年とかので12年間あると思うんですけど、当然この間お互いが生きてるかどうかがわかんないわけですよ。
あー、そっかそっか。
で、実際そのヤスパーさんに関してはその食べてることを伝えしてる奥さんがユダヤ人でっていう話だし、あとやっぱ知識人が当時粛清大使でもあったから、
アーレントさんから言わせると夫婦共々もある種政権の粛清大使になりかねないっていうことがわかってるわけなんですよね。
逆にヤスパーさんから見ると、アーレントさんが亡命した後にどこに行ってるのかとか、何をしてたのかとか、本当に亡命できたのかとかってことももちろんわかんないわけですよね。
まあそうだよね。確かにアーレント自身がユダヤ人だから、逃げないとっていうね。
そうそうそう。っていうふうな中で、お互いにこうやっぱり気にはしてるんだけれどももちろん連絡取れてませんでしたと。
で、その10年経ってやっと終戦後でってなんだけれども、当時アメリカとドイツって敵国同士だから、アメリカにいるアーレントさんとドイツにいるヤスパーさんっていうものが普通に連絡を取ることっていうのはでき
ないんですよ、基本。
わー、そっか。
今みたいに手紙を送ろうとかメールを送ろうとかって無理で、やっぱそれ犠牲されてるわけなんですよね。
わー、はいはい。
なので、詳細まではあんまり書いてなかったんだけれども、いわゆる軍事関係者とか、アーレントさんがジャーナリストやってたって話をちょっとしたと思うんですけれども、
ちょっと報道関係のやっぱり数値とかをいろいろたどりながら、お互いの安否確認をするっていうことがあったんですよ。
わー、そっか。通常の郵便とかっていうのはそもそもないというか。
そうですね。それが提示されてるっていう感じだね。
わー、そっかそっか。じゃあなんとかしてこの手紙を頼むぐらいの感じで。
そうそうそうそう。
へー。
で、実際今手元にアーレント・ヤスパース往復書館っていうのがあるんですけど、
これがね、1945年の10月にヤスパースさんからアーレントさんに書いた手紙みたいなのが残ってて、
最初何て書いてるかっていうと、
ヤスパースさんがアーレントさんに対していろいろ話を聞いて、
心から賛同できるあなたの論文を読むのは素晴らしいことでしたと。
何年もの間、しばしば私たちはあなたの運命がどうなったか猶予してきて、
06:05
もう久しくあなたの存命にあまり希望が持てなくなっていましたと。
そこで今こうしたあなたが再び現れたばかりか、
大いなる世界から生き生きとした精神の働きをされてきたっていうのはすごく嬉しいことですねみたいな。
そんなことから始まってる手紙があるんですよね。
そっか。アーレントが何らかの論文なのか何かを発表したから、
あ、生きてたんだみたいな感じになったぐらいの感じか。
その間にいる人がいて、その人が実はアーレントさん生きてるんだよってことを伝えてくれたみたいな。
ちゃんとね。
そういうこともあったらしくて。
そのヤスパーさんの手紙に対してアーレントさんも、
ヤスパーさんと奥さん2人が地獄の修羅場を無事に切り抜けたことを知ってからというものを、
私はすごく嬉しいですというか、
故郷にいる安らぎを覚えられましたみたいな、そういったことを書いてるんだよね。
やっぱりお互いに地獄みたいな状況だっただろうにも乗り越えて、
こうやってやり取りができるっていうのは本当に奇跡だねっていうふうな、そういうところから始まってるんですよね。
まあそりゃそうか。戦争中も普通にやり取りしてたぐらいの感じかなってさ。
そうじゃん。なんとなくさ、やっぱり今の僕らからすればさ、ちょっとX更新しといてとかインスタみたいな感じあるじゃん。
でも当然そうではない時代だし、そもそもね、さっき言ったように郵便とかもそもそも成り立てないような世界だから、
もう分かんないわけなんだよね。
なるほど。じゃあ10年ぐらいはもう全然お互い分かんなくて、
戦争終わってそうやってやっと久々に連絡取り合えるようになったみたいな。
そうそうそう。そうなんです。
っていうところから始まるので、お互いの話できて良かったとか、本当にもう一回やり取りできて良かったってところからもちろん始まってはいくんだけれども、
これがすごい面白い、前回からの繋がりなんですけど、実存的な交わりだって言ったじゃないですか。
ただただお互いに手紙出し合って、最近こんなことありましたとか、こういうことどうですかとかってことじゃないんだよね。
だからやっぱり手紙の中でも、この論文読んだよとか、あなたの本読んだよってこういうところはすごく賛同するよ、
でもこれはどうかなみたいなことをめちゃめちゃ献金学学やっぱりやってるわけなんですよ。
もうあえやって感じだね。
まあそれ難しかっただろうけどね、当時で言うと。
09:01
私やっぱり手紙で言うと、本当に何日でも一緒に話したいけどね、みたいなことはやっぱりあるけど、それぞれ生活ももちろんあるからね。
っていうような話があって。
例えば前回、アイルドさんのときに、アイヒマンの裁判のことをちょっとやったじゃないですか。
アイヒマンっていう人が、いわゆる巨大な悪みたいなものじゃなくて、むしろ凡庸な、いわゆる普通の役人というかさ、サーリーマンで、
ただ自分は組織の決定にしたかっただけだっていうことを言ったみたいな話があったと思うんだけれども、
ここに対してさ、たぶん僕ちょっとだけ、ヤスパーさんにもなんか言われてとかっていう話を、たぶんちょろっと言った記憶があるんですよ。
あったけか、はいはい。
でもたぶんそのぐらい兄貴も覚えてないぐらいだと思うんだけれども、
もともとはやっぱりこのアーレントさん自身も、もと言うか、アーレントさん自身がナツセっていうある種巨大な悪だよね、やっぱり。
そういったものをいかに伝えるかというか、それともある種人類の道を踏み外したような、ならず者たちをどういうふうに伝えてやるかみたいな、結構そういうふうな発想だったらしいんですよ。
はいはい、恐悪の内情を暴くみたいなね。
何が彼らをここに追いやったのかみたいなのは描けると思ってたというか、そう思ってた。
そう思ってたし、そういうふうに言うべきだというふうに思ってましたと。
でもそこに対してヤスパーさんが言ったっていうのが残ってて、これが翌年1946年の手紙なんだけれども、
有名な箇所らしいんだが、ちょっと読むね。
この自分が書いた、自分というかヤスパーさんがね、自分が書いた本に対してアーレントがいろんな意見をくれて、
それはすごくありがたいと。
その批判に対しても完全に賛成ですみたいな話は書いてるんだよね。
その後に賛成できない部分もあって、何かっていうとナチスのしたことは犯罪として把握することはできない。
これをアーレントが言ってきたらしいんだけれども、
これに対しては私はヤスパーさんは危ないように思えるんですっていうふうに言うんだよね、手紙で。
なぜかっていうと、あらゆる刑法、犯罪として把握することができないっていうのは今の仕組みで裁けないってことじゃないですか。
そうするとそれを今の仕組み、人類の社会の仕組みを超えた悪というものをナチスが生み出してしまったってすると、
結局それはまさに悪魔的な偉大さとか、現代社会を超えたものをナチスが作ったっていうふうな、
12:03
どうしてもそういう論調になるよねっていうことをヤスパーさんは考えるんですよね。
やっぱりナチスっていうものは偉大な人が引き起こした大量の人類史に残るものじゃなくて、
むしろまさにチンプサっていう言葉をヤスパーさんは使ってるんだけれども、この全く味気のないムカツさにおいて捉えなければいけないっていうふうに思ってるんだっていうんだよ。
その後に書いてるのが、バクテリア、最近とかだと思うんだけど、バクテリアはあなたの民族を破滅させるほどの伝染病を引き起こすことがあるにしても、
それでもやはり単なるバクテリアに過ぎないのです。私は神話や伝説のどんな方が見ても立然とします。
はっきり特定されていないものはすべてすでにそういう方がのですということで、要はナチスを神話化しちゃダメだよっていうことを言うんだよね。
なるほどね、神学化しちゃダメだと。
そうそうそう、我々理解できないものってしちゃうと、結局はそういうなんかすごい人たちとか、なんかそれにも意味があったんじゃないかみたいに、やっぱりどうしても人は言いたくなってしまう。
そうじゃなくて、単なるバクテリアみたいなもので、それが大量殺人とかそういったものを引き起こしたとしても、それはバクテリアに過ぎないんだから、そういうふうに見ることがむしろ大事なんだよっていうことを、や
っぱりエスパーさんはアレタさんに言うんですよ。
うわー、これはあれだね、もう実像人間ならではの視点みたいな感じだったな。
いやー、ほんとそう思う。やっぱりそこにある人は熱狂しないとか、ちゃんとそれを言いたくなるアレタさんの気持ちもわかるんだけれども、やっぱり自分はこう思うっていうのを伝えるっていう。
やっぱりそこに対してアレタさんもその後の手紙には書いてなかったんだけれども、おそらく受け取った時に何言ってるんだって思ったと思うんだよね。
うんうんうん。
こんなにひどいことをして、こんなに自分もだし、同胞も傷つかれてとか、いろんなことを思った時に、やっぱりあいつらありえないみたいなことがあったと思うんだけど、それをもう無価値なんだって思うってめちゃめ
ちゃ難しいじゃん。
いやー、だから変にラベリングすんなよって話だよね。
ほんとそうほんとそう、前回の話を踏まえるとね。
だからエスパースも本当にそうだったらそうラベリングせざるを得ないけれども、エスパースから見た時に、この深刻化するほどというか、そういうもんじゃないよねっていうふうに思ったから、それを伝えたって感じ
15:01
なんだろうね。
そうそうそうそう。
やっぱりそういったことを伝えることとか、受け取ること。
それによって、アイヒマン裁判が1960年とかだから、この手紙はさらに10年後とかなんだけど、時代的にはね。
でもやっぱりそういったやり取りがたぶん残っていて、アイヒマンのことを書く時にまさに悪の凡庸さとか陳腐さみたいな話で書いた。
いうことは間違いなくこのエスパースのやり取りがあったんだよねっていうふうに言われてますと。
そういう流れなんだよね。
はいはい、怖。そういう証拠残っちゃってるの怖いね。
そういうの雑談っぽくなっちゃうけどね、やっぱ全部残ってるってほんと怖いとかすごいよね。
個人的な手紙がさ、手作詞とか小説家とかって出がちじゃん。
人気とかさ。
それはね、だから恐ろしいことだなと思います。
あれだね、どうしよう見られたくないのはちゃんと処分しておきましょうってことはね、そういう立場の人はね。
まあそうだね。
みたいなところもあるんだけれども、なんていうのか、やっぱりただ単純に自分の教授ではね、師匠と弟子のやり取りみたいな感じで教授から教えるとかなんだろうな。
やっぱり教授の方が正解を持ってて弟子の方がそれを受け取るみたいな発想ってどうしてもあるじゃないですか、我々って。
そうじゃないやっぱりやり取りだからこそ、こういう本質的な。
アーレンとかの批判に対して答える形で自分はこう思うっていうのはまっすぐ言えるって言うのもあるし。
やっぱり、結局アーレンとも全然、ヤスパーさんに対して批判とかいろんなもんやっぱどんどんやってるわけですよ。
それは別に何口つけたいとかじゃなくて、やっぱ自分はどうしてもこうとしか思えないとか、ここに賛成できるできないっていうこととか、
あとはこの理論は甘いんじゃないかとか、やっぱそういうことを言ってくるんですよ。
そっちも有名なというかね、やり取りが残ってもちろんいるんですけれども、
これちょっとね、次回扱おうと思っているんですけれども、ヤスパーさんは責罪論、責任の責任、罪。
罪人の罪で、責罪論っていう本があって、これがいわゆるナチスドイツの戦争犯罪というか、
そういった思って、何なのかみたいなことを書いてる本なんですけれども、
ここに対してアーレントさんはそれを読んで、この辺は甘いんじゃないかっていうことを結構言うんですよ。
これはさっき言った、ヤスパーさんが既存の刑法とか仕組みを超えた罪とかっていうのは良くないよっていう話と裏表なんだけれども、
18:10
逆にアーレントさんはやっぱりナチスがやったことっていうのは、やっぱりこの新しい次元の悪だと。
それはやっぱり戦争犯罪とか人道違反とかっていうことじゃなくて、人類って全体に対するそういった犯罪とか罪なんだみたいなことを言うんだよね。
これはさっきのヤスパーさんからすると、それは新格化しちゃうとか、大した大きく取り上げすぎて良くないよっていう話もあるんだけれども、
一方で確かにそういう枠に収まらないような罪とか、もっと言うと人間が作っている刑法とか、そういった罰みたいなもので、
やっぱり足りないんじゃないかっていう発想もちゃんとヤスパーさんは受け取るんですよね。
ああ、そうなんだ。それは違うとかじゃないんだね。
そう、違うとかじゃなくて。なので、これ面白いんだけれども、自分の主張をアップデートしていったヤスパーさんはどうするかっていうと、
確かにナチスの犯罪をやったことっていうのは、ある種、時効っていうのは考えられないんだと。
やっぱり普通の犯罪とかであれば、何十年とか経つと基本的には罪はなくなるのかな、あれは。ちょっと時効の詳しい仕組みは分かってないってのもあるんだけれども。
でもそうじゃなくて、そういったナチスが犯したことっていうのは、一般的な犯罪みたいな時効っていうのはありえなくて、
永遠にそれを受け続けるというか、引き受け続けなきゃいけないっていうふうな、そういうものなのっていうふうにアップデートしていくんですよね。
なので、その前回も言ったように、自分の主義主張だよねっていうものはもちろんあっていいんだけれども、
やっぱりそれが実体的な正しさではないっていうこととか、ただそれを何でもいいよってするんじゃなくて、
ここは譲れないけど、でも確かにここは正しいと思うというふうに受け止めていくとか、
それがある種本当に、まさに前回言った愛しながらの戦いだよね。
本当にこれ受け入れていいのか、自分の考えたことって間違っていたのかっていうことに向き合いながら、確かに間違っていたかもしれないとか、
でも絶対にこれ正しいとか、そういうことに向き合いながら生きていくっていうこと自体が実存的な生き方だし、
それを人とやっている、ヤスパーさんでいるとアーレンと一緒にやっていくっていうことによって、
実存的な生き方っていうものを維持し続けるみたいな、そういうことができてたんですよっていうふうな話にはなるんだよね。
21:02
なるほど。
ちょっと今2つのエピソードを話してみたんですけれども、どうですか?今みたいなのを聞いて。
お互いで、ヤスパーさんもアーレンともだけども、かなり実存として生きていくみたいな、もしくは実存としてのやり取りをするっていう意味では、お互いかなり貴重な存在だったんだね、たぶんね。
そう思うな。
だから前回のさ、ヤスパーさんの限界状況から実存的な感覚に目覚めましょうみたいなさ、ちょっと言い方が悟りっぽい感じになるけどさ。
そんな単純なものじゃなさそうだねって感じるよね。だからみんながみんなの実存っていう感覚を手に入れて、みんなが実存としてお互いとコミュニケーションを取って生きていくみたいな、そんな生ぬるいものでも簡単な
ものでもないぞみたいなものを感じるよね。
本当にそうだね。
一方で、みんなが実存をわかってる世界だと、ヤスパーとハイデガーとかさ、アーレントとハイデガーみたいな、そういう戦いの方が表に立っちゃうというか。
お互いが、ハイデガーが実存人間かどうかは、前回もハエとは違うだろうみたいな話はあったけれども。
個人的には、ちょっとそこはまだわかんないかなっていう。もうちょっと考えたいなみたいなさ、見てみたいなところだけど、そういう戦いみたいなものも増えちゃいそうだねとも思うもんね、一方でね。
はいはいはい。そうだね。やっぱりまさにラベリングが良くないっていうのは大前提ある中で、やっぱり今自分がどういう状態かとか相手がどういう状態かっていうことに、安定を立ててあげることが大事かなとは思うんだ
よね。
で、今兄貴言ってくれたお互いに貴重な存在だったんじゃないかっていう話は本当にそうで、実際その手紙の中でも、やっぱりこう、そういうことができるってやっぱり少数だよねと。
あー、そういう話してんだ。こういう対話ができるのはね、みたいな。
そういう対話ができるのとか、そういうことを考えられる人たち。ただやっぱり少なすぎると良くないので、やっぱりできることやっていきたいね、みたいな。そういうふうな話もやっぱりしてるんだよね。
はいはい。まあ面白いね。そうか、善悪にだけど少なすぎるのも危ないよねっていうか。
そうそうそうそう。
それはそれでダメだよねっていうね。
うん。
あー、面白いね。
24:01
その感覚だよね、やっぱり。で、これまたちょっとアーレントの時にお話したんだけれども、アーレント自身がやっぱり大事にしてたのがその手すりなき思考みたいな話をちょっとしたと思うんですよ。
うーん。
手すりなきっていうのは、既存の価値観とか、ある種常識なことじゃなくて、自分で考えたことだけというか、そういったものを使って物事を考えていくっていうような時に、
これってある種やっぱりラベリングをしないとか、安易な属性づけをしないっていうことなんだよね。
はいはいはい。
ただこれ難しいのが、こうするとすぐにやっぱ主観主義というか、自分の考えたことが正しいとかさ、これが自分の考えだみたいな押し付けがやっぱりなってるじゃないですか。
そうだね。
で、だからそこのバランスがすごく難しくて、手すりがないのはいいんだけど、でもこれは自分だけだとか、自分独自の人だとかってしちゃうと、またそれもすぐに主観になっちゃうっていう、このまさにギリギリのライン
っていうところをいかに生きていくか。
だからそこに対して、やっぱアーレントにとってはヤスパーさんがすごい重要なというか、実存として生きるためのパートナーだったっていう話になると思うんだよね。
いやー、そうだよね。確かに確かに。その、実存目線で自分に対して、ただの賞賛とかいいねだけじゃなくて、具体的な批評、批判みたいなものをしてくれるってすごく多分貴重なんだろうね。
本当にそうって軽々しく言えないぐらい、そんな人だってどこにいるよって話じゃん。
そうだよね。本当に人生に1人いたらめっちゃラッキーぐらいの感じだよね。
そうそうそう。だから、やっぱりその実際にヤスパーさんがアーレントさんに関して評した言葉があって、それが言葉で言うと自主独立の思考とかって言うらしいんですけれども、
さっき言った手すりなき思考みたいな話なんだけれども、自主独立って要は自分で1人で作ったものだけじゃなくて、その考えたこととか、あるいは自分という存在で考えた存在との自分ってものを常に訂正して改善して
アップデートしていくみたいな、
そういった思考態度をやっぱりアーレントさん持ってるんだっていう風に言うんだよね、ヤスパーさんが。
だから自主独立っていうことはすごく多分大事で、独立って言ってるんだけど常に他社に開かれているとか、前回言ったみたいに実存は1人ではできませんっていう話。
27:11
1人ではできないんだけど、でも自分でも持ってるみたいな、なんて言ったらいいんだろうねこれね。
たしかに、でもその孤立と独立の違いって見ると面白いかもしれないよね。
前回のヤスパーさんの話で言うとさ、独立ってのは2つありませんとかって言ったんだけど、逆にこれをじゃあ、ある種ヤスパーさんの力を借りずに僕らの言葉で言ったらどうなるんだろうな、独立って。
独立の方を?
うんうん。
ちょっと待って、2つあったよね、こいつはまず歯車の方だよね。
そうそうそう、ラベリングだけになっちゃって、交換可能な部品になっちゃうよっていう話だね、1個目は。
これもう主義主張強すぎるの方だけか、もう1個が。
そうそうそう、もう1個は自分の主張だけに捉えられてますみたいな感じだね。
いや、凡庸な人間じゃないの、アーレッド的な。
あーなるほどね。
だからどっちも自分なんだろう、本当の意味でさ、手すりなき思考だったりとかさ、自主独立した感じで得た結論じゃないじゃん、多分どっちも。
まあそうだね。
歯車にせよ、自分の主観にしてもさ。
実存的な?どうなんだろうな、そこはやっぱり違うんだろうね。
実存の感覚がない中で、本当に自分の中で考え抜いた結果、自分は歯車として生きてきますとか、
その中で考え抜いた結果、自分の主義主張、めっちゃもうこれ大事ですみたいなのだと、
実存の立場からめっちゃ考え尽くした結果、自分は歯車ですって言ってる人と、みたいな人の差みたいなものって多分あるはずなんだよね。
そこがわかるのが実存側からじゃないとわかんないみたいな感じなんだろうね、おそらくね。
そうだね。前回タイミーさんみたいな話をしたけれども、あれ話だったらずっと残ってるのが、
タイミーってハグでも作りたいサービスがないっていうのも知ってるんだよね。
聞いたことある?そういう話。
あんまないけど、でも感覚としてはそうだよね。いろんなライフスタイルに適応するというかさ、
ニーズに応えるっていう意味では全然あるなと思うし。
一応僕も人材業界だから、タイミーすごい伸びてるなと思って色々調べたんだけれども、
30:00
いろんな切り口ですごいところはあるんだけど、使うユーザーさん、働きたい人からすると、
前にも言ってくれた通りで、いわゆる自分の実現したいライフスタイルとか、生活とか生き方を実現するために使ってるみたいなこともあるし、
例えば自分がお店を出したいっていう時に気軽にいろんなお店で働けるとか、
そういうところである種のノウハウとかも知れるみたいなこともあって、
そういうふうな自分のやりたいことに紐付けで活動してる人がいたとしきに、
それが良い悪いとかってよりも、それは別にラベリングして自分を独立してやってるってよりも、
一応繋がりにいってるみたいな感じはあるなっていうのをちょっと思ってはいたんですよ。
だから兄貴が言ってくれた通りで、同じようなことをしてるように外からは見える。
外しか見えないだけれども、やっぱりその在り方とかそのコンテナのスタンスっていうのは全然違う時に、
それを気づけるか気づけないかとか、自覚してるかどうかっていうのが多分めちゃめちゃ違いなんだろうね。
そうだね。で、基本多分自覚ってできなくて、自覚させられるしかないよっていうのがヤスパースの限界状況の話なんだろうね。
そうだねそうだね。
そこを減ると、まず自覚する。自分は自主独立の思考じゃなかったとか、手すり、めっちゃ手すり掴んでたやんみたいな。
それを減ると、自分だけじゃなくて他の人が、この人は手すりめっちゃ掴んでる人だとか、
こういう人は手すりなさそうだから、もうちょっと対話してみようとか、みたいな。
そういうのがわかるようになるみたいな感じなのかもしれないね。
難しいな、やっぱり。どこまでいっても僕らが伝う言葉ってさ、相手を切り分けていくとか、
そもそも言葉自体がそういう特徴を持っているから、主観客観で分けているのと同じように言葉っていうのも、
やっぱりAとBとかさ、やっぱり上手くいってる人、上手くいってない人は分けたくなるじゃない、言葉自体が。
そうね。
少し脱線するんだけれども、ディアスパースさんは言葉をすごく大事にはしてるんですよ。
ただそれを情報伝達って呼びかけみたいなことで使ってるらしくって、
やっぱり何かを相手に与えるとか教えるってことじゃなくて、
投げかけた時にそれが相手に響くかどうかみたいな、それは分からないみたいな。
呼びかけてそれに答えてくれれば繋がるし、当然答えてくれないってことも織り込んでいる。
33:00
そういうものとしての言葉っていうのがあるよねって話をしてるらしいんだよね。
はいはいはいはい。
だからやっぱり今僕らが喋っていることも、どうしても普通に話すと実存が良くてそうじゃないのは悪いみたいなさ、
そういうものが拭えない言葉になっちゃってる気がしてるんだよね。
そうだね、なんか優劣できちゃってるもんね。
そうそうそう。もちろん実際には実存で生きていこうよみたいなテーマではあるんだけれども、
それをまさにドグマにしちゃうと、主義にしちゃうと実存ラジオになっちゃって、
実存はいいぞみたいな、みんなは実存になろうみたいな、そういうものがすぐに滑り込んでしまう。
これなんかすっごい難しいなって今喋りながら思ってるんだよね。
そうだもんね、だからそれでね、実存わかんない人たちを休断していいのかっていう話だもんね。
僕が言うと哲学はいいぞラジオなわけじゃん、このソレデスラジオって。
哲学はいいぞ、哲学はみんな学ぼうみたいな。
哲学を学ばないことがダメだとは思わないけれども、
やっぱりどこかに知ったらいいのになとか知らない人はもったいないなとかって思う気持ちはたぶんゼロじゃなくて、
やっぱそれってまだやっぱりあらはかなのかなとか、ラベリングしてんのかなとか思うよね。
はいはいはいはい。
一方で別に哲学じゃなくてもいいじゃないかと、
別に経済学でも心理学でも何でも伝えるものを扱ってやりたいことをやればいいじゃないかっていうのもあるんだけど、
やっぱ自分は哲学という領域でやるんだって思うときに、
あたしはそれは主義なのか、実存的に自分にフィットすると思ったひとつの手段なのか。
あーはいはいはい。
これもすごい難しいなと思った今話しながらね。
面白いね、そこはぜひ考えてみてほしいね、早いときね。
ね、そうそうそう。
みたいなこともありながらなんですけれども、
今回はアーレントさんとヤスパーさんのやりとりっていうものがあったときに、
常に自分を訂正し続ける、ある種覚悟だよね。
それは独立であると。
兄貴の言葉で言ってもらっても、やっぱりその孤立っていうふうな、それは単純に社会とか他人と離れてるんじゃなくて、
その繋がりを持った上で、でもやっぱり自分があるっていうその状況だよね。
っていうふうな話だし、やっぱりこれに対して前回やっぱり触れたハイレガとかでいくと、
やっぱり自分を訂正するとか、他者を引き受けて行進するってことが、ある種やっぱりできなかったと言われがちな人ですと。
36:10
はいはいはい。
このヤスパーさんっていう人の失落もそうだし、やっぱりその人間関係的な関わり方にもやっぱりそれは象徴的に出てるよねっていうような話があるんだっていうところなんですよね。
最近ハイレガさんとアーレントさんも文通というかやりとりしてたみたいなんで、
そっちも掛け合わせめるといろんなことが見えてくるらしいんですけど。
ヤスパーさんはできなかったけどアーレントはできたの?
なんかね、それ対話っていうか、なんだろうな。
これちょっとね、僕もそこまでまだ深くやられてないんだけれども、なんだろう。
ちょっとやっぱアーレントさんとアーレントさん、むしろ恋愛関係とかもあったから、またちょっとやっぱ違ったっぽいんだよね、その関係性が。
ハイレガとアーレントね。
そうそう、ハイレガとアーレントだから。
そうそう。
そこって多分、男女関係とかさ、そういう質的なものの違いもあったんじゃないかなとは思うけれどもね。
そんなところもありながら今回ね、アーレントさんとヤスパーさんの対話というかね、往復所感という話をしたんですけれども。
ここに関しては、それともやっぱりドイツっていうものに対する捉え方とか、あるいはドイツ国民みたいなものに対する捉え方っていうのがやっぱりベースにあるんですよ。
ここまでね、前回と今回どっちかというと個人として主観と客観をどうするのかみたいな話だったんですけれども、
やっと次回ね、社会的なものとしてのヤスパーさんの哲学を見ていこうと思いますと。
これがさっき名前挙げた積罪論っていう、まずは責任とか罪っていう話を踏まえたものになっていくんですけれども、
このヤスパーさんはドイツっていうものとか、あるいはナイツドイツっていうものに対して、どういうふうにやっぱりドイツ人として向き合うのかっていう問いを引き受けてるわけなんですよね。
そうだね。
やった時に、やっぱそれってその賠償責任とか、その責任の戦争責任とかって話になっていくんだけれども、やっぱこれって誰の責任なのか?ヒトラーだけなのか?
前はちょっと言ったけれども、あるいはナッツに入党した人なのか、それともそれを制裁させた国民全体なのか、あるいはドイツだけじゃない、そういった国を生み出した西洋のヨーロッパ社会全体なのかとか、そうい
39:00
ったものを丸って考えてるわけなんですよね。
逆に言うと、安易に誰々が悪いとか、これこれが良くなかったってすると、この結局はラベリングじゃないですか。
そうだね。
そうすると、何も進まないとか何も変えなさいってことが見えてるわけですよ。
ここを切り込んでいって、罪とは何かとか、ドイツ人、あるいはドイツという国の責任とは何かとか、そういったことを書いた本があるので、
これを通してですね、これまでの話と、次回そういった社会、あるいはそれを罪とか罰ということで捉えたもの、責任化というところの話をすることで、よりヤスパーさんの社会というものの捉え方というものを見てい
こうと思っておりますというふうな流れですね。
おーわかりました。ではですね、ヤスパーさんの個人から社会の方にまた視点が移っていくというところで、次回楽しんでいきたいと思います。では引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
40:22

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