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はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟2人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の寛之驚介です。 弟のハヤトです。よろしくお願いします。
はい、お願いします。さあ、今回からハンナ・アーレントということでやっていきたいと思います。
はい、アーレントさんですね、実は1回出てるんですけれども、覚えてるかな、あの去年の年末ぐらいか、なんかあの働くことと哲学っていうテーマでやったと思うんですけど、
はいはいはい。
あの時ね、ちょこっと、あの、傲嬢してるんですよね、このハンナ・アーレントさん。
あー、出た出た、うん、覚えてる覚えてる。
なんとなくさ、感傷的性と活動的性があって、でその仕事、活動的性っていう中になんか労働と仕事と活動の3つがあったんだよみたいな、そんな話をした人なんですよね。
あ、その人かな、そうそうだ、なんかその違いが結構わかりづらいねみたいな感じだった気がする。
そうね、兄貴もなんかよくわからんみたいな話をしてて、今回もね、そういった話もするんですけれども、これまで言ってきた通り、今回のアーレントさんはどっちかっていうと、社会とかね、世の中みたいなもの、もっと言ったら政治だね。
なんかよくアーレントさんの紹介で政治哲学者とか、政治理論家みたいな、そんな言い方をするんですけれども、結構このやっぱり政治とか社会とかっていうところにすごく軸を持ってる人なんですよね。
あ、そうなんだ、ほうほうほう。
で、現代的に言うとさ、政治っていうのもそうだけれども、よくあるね、身近で言うとさ、SNSでなんかすごい炎上してるとかさ、特定の発言とか行動に対してめちゃめちゃ集中効果を浴びせるみたいな、なんかそういうのってあったりするじゃないですか。
一般的な話としてね。
一般的にね、そうそう。
ほうほうほう。
03:12
おー、はいはいはい。
うん。でもこのアーレントさんの話を聞くと、ある程度、なんかもしかしてこういうメカニズムで起きてるのかもねとか、もしかしてそういう行動の裏には、なんだろうな、こんな歴史とか社会の流れがあるのかもねみたいな、そんなことが見えたりするんですよと。
わー、そうなの?
うん。
おー、面白そうなテーマだね。
いや、個人的に今の話だけでもさ、なんか前も何回か話した、例えば攻殻機動隊の2045。
あー、はいはいはい。噂のね。
そうそう、中でSNSでさ、集中効果浴びせるとその人本当に今死んじゃうみたいなさ。
あー、実際あるんだ、そういうシーンがね。
一定以上ヘイトが溜まると、たぶん攻撃、なんだかの攻撃がされて死んじゃうとか、もしくはだいぶやられちゃうみたいなのがあったりとか。
あとあれだね、ずっと前の昔のスタンドアロンコンプレックスシリーズだと笑い男事件とかってあるんだけど。
あれとかも結構、意識的か無意識的かの集団犯罪みたいなのにつながってたりとかさ、犯罪というかね、同じような、それぞれが別に協力してるわけでもないのに、
どうして発的に同じような思考とかを元に同じような事件が起き起こすみたいなさ、あったりとかして、そういうのを見た時の、改めて見て、
あ、これ、ハンナ、アーレンとこのやつみたいな、そういう見方ができるんじゃないかって今、ごめんね、冒頭から勝手に盛り上がってしまったんですよ。
でもなんかありそうだし、それはぜひ聞いてみたいね。今回はね、もうアーレンとさん回なので、アーレンとさん6回ぐらいやろうと思ってるんですけど、
その中でね、兄貴が降下機動隊とかを照らし出す時に、これってこういうことだったんだとか、逆にもしかしてこれはちょっと違うかもとかね、そういうのが見えてきたら面白いなと思うんで、
なんかね、そんなのも聞きながらやっていけたらと思ってるんですけれども、一言で言うとね、このアーレンとさんのテーマみたいな、これはアーレンとさんのっていうよりは、
僕が今回お伝えしようと思った時に、どういうものを根っこに置くとわかりやすいっていうか、伝わるかなとかって思ったんだけれども、
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一言で言うと、やっぱりこうなんていうのかな、やっぱり世の中ってこう大変なこととかあるし、暗いことっていろいろあるじゃないですか、
なんかね、最近で言うともうぶっかかってとかさ、災害もあるし、世の中的にもね、戦争とか紛争があった時に、
そんな中でも、やっぱり一人一人の人間としては、なんとなくこうやっぱり、絶望よりやっぱ希望を持ちたいし、
やっぱり未来に向かって、ある種明るい気持ちで生きていきたいっていうことはあると思うんですよね。
っていう時に、どうしたらそういうふうな人生を歩めるのか、そこに対してただ楽観的になんとかなるさじゃなくて、
ちゃんとこういうふうな思考とか行動とかをすると、いい人生を歩んでいけるよね、みたいな、
そういうところの、ある種わかりやすくないんですよ、正解はやっぱり教えてくれないというか、
もちろん正解があると思うことがダメだみたいな話をアーレントさんもするんだけれども、
でもだからこそ、こういうふうな歴史の流れを知りましょうとか、
ちょっとまだ具体的なこと言ってないんでイメージ湧きにくいかもしれないんだけれども、
こういうことを大事にすると、やっぱり僕らが人間の尊厳というか、そういったものを失わずに生きていけるんじゃないかみたいな、
そんなことを語っていこうと思ってるんですよね。
おー、なるほどだし、やっぱ大きな流れから言うと、前々からさ、ハヤトも言ってたけれども、
やっぱりこれまで前々回かな、レビナスまで、自分からスタートして、
他者、他人とか、あと社会というか共同体みたいなものに、どうなんだろうねっていうふうな順番で見てきたんだけれども、
今回から社会っていうものとか共同体、もっと大きなものはなんだろうみたいなところから、
じゃあ人間はどうするみたいな、そういう順番でみたいな感じになるの?
それともそこまで二言論的な話ではないみたいな、どういう感じなんだろう?
そうだね、アーレントさん自身はもちろん個人というか、そういったことも語ってはいるんだけれども、
この台本の作り方的にはやっぱり社会の方とか、世の中をどう切り取るかっていう方に比重を置いてるというのがあったりするかな。
あー、なるほどなるほど。
これもちょっとね、次回以降もちゃんと話していくんですけれども、
やっぱりアーレントさんは哲学っていうものに対する違和感とか、批判的な目もあったりするんだよね。
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へー、そうなんだ。
自分が哲学者って言われるのをすごく嫌っていたというか、あんまりそれを呼ばれたくないっていう話があって、
政治理論家みたいな、哲学っていうよりもちゃんと現実に影響を与えていくんだとか、
一人の人間が部屋にこもって考えたこととかじゃなくて、
本当に世の中で実践をする中で、やっぱり自分の経験っていうものを元にして考えていくし、世の中に発信していくんだみたいな。
そういう発想はやっぱり強いんですよ。
だからこそ、ある種理想的なというかゼロ地点の子っていうものを考えてっていうよりは、
生々しい現実、特に当時で言うと第二次世界大戦とか、
アーレントさんもユダヤ系の人なんだけれども、
ナチスドイツとの関係っていうのはめちゃめちゃ切り離さないんですよね。
なのでそういったことも含めて、現実から考えていくっていうことをやったからこそ、
個人というよりは社会とか集団っていうものを軸に据えていたっていうような感じかな。
へー、そうなんだね。
別に哲学者って呼ばれたくなかったし、哲学はそういうもんだと。
よく素人が考えるような、机上のクロノンだみたいな悪曲を言ってしまうとね。
やっぱそういう感覚、自分とは違うんだみたいなやってることがね、あったんだ。
そうそうそう。今回第1回のネンマイツボドイツの来歴とか経歴とかを話しつつ、その辺を伝えていくんですけれども、
アーレントさんは1906年にドイツに生まれます。
もともとユダヤ系の家系なんですけれども、すごい若い頃から優秀だったみたいで、
普通に大学入って西洋哲学を学ぶわけなんですよね。
大学入るのは当時普通なのかな、ちなみに。
いやー、どうなんだろうな。
優秀な人の普通としてってことね。
そうね、普通として。
確かに誰でも大学に行くってわけではないし、
あとあれかなそうだ、言おうと思って台本つけながら思ったんだけれども、
おそらく初めて、1回分で扱う方としては初めて女性なんだよね、アーレントさんが。
そうなんだ、はいはい、確かに。
別にこれを意識してたわけじゃないんだけれども、今見返しても男性ばっかりなんだよね。
という中で、20世紀ですごく有名なというか、影響を与えた哲学者であるってことなんですけれども、
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大学ではですね、実は講師というか先生としてハイデガーに学んでるんですよね。
わー、そうなの?
そう、若き教授のハイデガーがマール・ブルーク大学とか行ったらしいんだけれども、そこでがっつり学びますと。
で、師匠弟子の関係でもあるし、これはちょっとスキャンダルっぽいやつなんだけれども、
一時期不倫関係でもあったらしいんだよね。
だからハイデガーが結婚してたんだけれども、ある種アーレントと恋愛関係になって、
これ後でまた話すんですけど、ハイデガーに関しては過去にも何回か取り上げたんですけれども、
マジシスドイツにどんどん傾倒していくというか、むしろそれを思想的に支えていったみたいな話があるじゃないですか。
あー、何回か聞いた気がする。
そうそう。さっき言った通り、アーレントはユダヤ人なんですよね。
で、大学に入っていろいろ学んでいくんですけれども、大学卒業後ぐらいかな?
どんどんナチスが台頭していって、アーレントもどんどん迫害とかされていくんですよ。
で、迫害されるどころか、アーレント的には自分が哲学を学んできて、博士論文とかもがっつり書いて、
哲学者としてキャリアをやろうと思えば全然いけるよみたいな感じになっていくんですよね。
あー、そっかそっか。この段階だともうどっぷり哲学者だね。
なんかね、この段階だと。
で、ハイデーガーもそうし、フッサールからも学んでいるし、あとちょっとこれまだ名前出してないんですけど、
ヤスパースっていう、これも有名な哲学者がいて、これちょっと次回やろうと思ってるんですけれども、
このヤスパースに直接学んで、そこで博士論文を書くんですよ。
ある種、20世紀の哲学者のトップ10に入る人をガンガン集めて学んでる。
集めてってわけじゃないんだけれども、そのぐらいで学んでるみたいな感じなんですよね、環境的には。
すごいね、先生たちがやばい奴らだったんだね。
そうそうそうそう。超一流だから学んでますみたいな感じなんですけど、
やっぱりナチスドイツに対抗していくっていう中で、やっぱり普通のキャリアっていうのはドイツで歩めなくなります。
さっきの通り、ハイデーガーも自分の先生もナチスドイツにどんどん同調していって、
ユダヤ人という同胞たちをある種迫害していくわけだよね。
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っていう時にショックを受けるんだけれども、やっぱりそこで思うのが、哲学っていうものをある種研究室でやっていくってことじゃなくて、
やっぱり自分自身が現場にどんどん入り込んでいって、ちゃんと実践しなきゃいけないみたいな、
そういうことを考えるんですよね。傍観者じゃなくて実践者になろうと。
いうところで、ドイツでも当時違法なんだけれども、ユダヤ人の迫害の実態が告発するというか、
こんなことやってるんだよな、ナチスドイツはみたいな。そういうことをある種暴いていくような活動とかやっていくらしいんですよね。
哲学者からジャーナリストへみたいな。
本当そうだね。現場に入ってくるんだけれども、やっぱり当時のドイツでは違法なので、逮捕されちゃうわけですよ。
普通に捕まって、アワヤって感じなんだけれども、その奇跡があって、脱獄というか抜け出せて、パリに亡命します。
もう一回使っていいから、その奇跡聞きたいね。脱出劇ね。
たぶんあれだと、基本的にはもうアウトだよね。たぶんこれ捕まったら。
一回捕まったらね。しかもゲスタポだから、本当に機密警察に捕まりましたみたいな。そんな状況なんだよね。
今さらっとね、見えましたみたいに言ったけど。
でもね、ちょっと一旦そこは割愛したんですけれども、そこからパリに逃げるんだよ。
パリでも、ユダヤ人の亡命を手伝うというか、そういうような脱出を手伝うというふうな組織にいて、8年くらいかな、活動してたんだけれども、
第二次世界大戦が始まっちゃうと、フランスとドイツって敵国同士だから、フランスにもいられなくなっちゃって、ドイツ人だっていうので、
そこでも何とか亡命、逃亡してアメリカに行きますよみたいな、そんな感じの人生というか、30代かな、これで言うと。
40代くらいか、30代、40代を過ごしてるんだよね。
はいはいはい、すごいね。
でね、アメリカに行ってもドイツ国籍もないし、あるいは難民だよね、無国籍で自分は何なんだみたいな。
ところで、自分の境遇もそうだし、周りにもそういう人たちがいっぱいいる。
法的に何ら保護されない人たちっていうのが周りにいる中で、暮らしていくんだよね。
わー、はいはいはい。
そういうふうな話があって、やっぱりアメリカでそういった哲学者としてのキャリアを歩んでいって、いろんな本とかも出していくんだけれども、
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彼女からすると哲学者っていうよりは、やっぱり自分は世の中をちゃんと変えていくとか、より良くしていく。
そういう意味では哲学者って呼ばれるのを嫌ってたんだってさっきの話になっていくんだよね。
わー、ここはすごいね。
単純に自分のイメージだったりとか、哲学という学問に対する疑問として、自分は哲学者って呼ばれたくないとかじゃなくて、
むしろ哲学に裏切られたぐらいの感じだったのかもしれないよね。
そうね。裏切られたっていうか、やっぱりこれだけではなんといかんともしなさいみたいな。
そういうこともあったんだろうね。
わー、すごいね。これは哲学な状態だからさ、今バーッと言ったところはかつないと思うんだけど、そこ知りたくなっちゃったね。
この8年間、10年間みたいなね。
なんかね、映画もあるらしいんですよ。ハンナ・アレントって。
へー、そうなんだ。それ見てみようかな。
映画とか見ると、結構そのあたりも描かれてるっぽいから、すごくわかるというか、いいんじゃないですか。
確かに。これやってたらね、たぶんこれだけで2回分ぐらい使っちゃうね。
そうね、人隣とかはね、普通にこうやっぱり、それだけでもドラマだからさ、あれだけど、そっちに行きすぎるとね、ハンナ・アレント10回とかになっちゃうから。
はいはい。
さっきも言ったようにね、次はもう控えてないです。次はヤスパースやりたいし、その後フークをやって、その後ハイデカー行きたいんだよ。
だいぶもう見えてるんだよ。
だいぶね、重たい人たちは続くから。
そういう意味でもね、ちょっとお伝えしつつやっていくんですけれども。
さっき言った通り、哲学者っていうのを拒みましたっていう話だね。
ここには当然彼女の葛藤があって、大学時代で言うと彼女の哲学にめちゃめちゃ没頭してるわけですよ。
そうだよね。
でも本当にのめり込んでやってたんですけれども、やっぱりふとね、そういった自分の境遇とか世の中を見たときに考えると、
やっぱりプラトン以来の哲学の伝統みたいなもので、どっちかっていうと、やっぱり世の中の喧騒というか、
こういったものから離れて、ある種自分の精神みたいなものだよね。理性っていうものを使って、
抽象的に考えていく、いわゆる刑事上学だよね。
すくらっているとちょっと違って、やっぱり対話とか、一緒に考えていくっていうのはあったとは思うんだけれども、
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やっぱりプラトンとかアリス・テレスとかってなっていくと、やっぱり人間っていうものを抽象化していって、
理想的な人間とか、理想的な政治をする哲学者とか、そういうものをどんどんどんどん考えていきます。
でも、やっぱりナチズムとか亡命生活の中では、そんなことなんてもちろんできないし、
もっと言うと別に人間は抽象的な存在ではないわけだよね。
やっぱり一人一人の人生とか命があって、その中で世界が動いているっていうときに、
やっぱり前回までとか、これまでやってきたような、一人の理性を扱う人間がいますとか、
もっと言うと、経験と思考を統合する働きがありますみたいな、そういうようなものじゃなくて、
僕らは、私たちは現実に生きているじゃないかと。で、経験も思考もそこではごちゃ混ぜになりながら、
本流のように動いているみたいなものがあるわけだよね。
っていうときに、理想的抽象的な人間というものじゃなくて、やっぱり人間たちっていうものが生きているこの世の中っていう、
これを自分はちゃんと対処にしなきゃいけないとか、ちゃんと見つめて考えなきゃいけないみたいな、
そういうことを見出していくわけなんですよね。
その感覚を自分の経験だったりとかから、完全なるリアルとして考えたというか感じたんだね。
これはベルクソンっぽいのかな、この漢字は。最近の話で言うと。ベルクソンだって羊が1匹2匹みたいな話をしたの。
そうそう、ベルクソン抽象化しないとかね、その数をっていう話は本当そうだ。
でもベルクソンもどっちかっていうと、数字として抽象化するとか、一個一個内実を書いたものじゃなくて、
内実がある存在から始めようみたいな感覚で言うと、やっぱりハンナ・アレントの方はより現実を引き継いでいるというか、
現実が起きるところから始めようっていう感覚がより強いんじゃないかなとは思うかな。
そうなんだね。
ベルクソンもね、やっぱりその原因と辛さというかね、強いたけられてる人たちっていうところから発想したりはするから、
そういう意味では確かに、やっぱりそっちが大事、そっちの現実の方が大事じゃないっていうところは近いかもね。
なるほど、なるほど。
ただね、それがある種、自分の、さっきジャーナリストとかさ、言ってくれたけれども、
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自分の観察したものを書きましょうとか、自分の経験したものを届けましょうというだけじゃないのがやっぱりさすがっていう感じなんだけれども、
やっぱりその現実を見る眼差しもやっぱり哲学なんですよ、とはいえ。
ああ、そうなんだ。
例えば、さっきフッサールの名前出したけれども、フッサールって現象学じゃないですか。
でも現象学って、ある種その判断保留、エポ系っていうものをして、自分が見ている現実とか世界っていうもののリアリティというところから組み立てていきましょうっていう話なんだけれども、
それをまさに、それこそフッサールとかその前のマッハっていう人だと、今自分が椅子に座っていたここには机がありみたいな、
そういうところから始めていくんだけれども、そういったリアリティを得るやり方をまさにさっき言ったナチズムとか、戦争とか亡命とか、
そういうところにちゃんと適応していくっていうような感じなんだよね。
わー、なるほど。そこが、そっか、ハンナ・アーレットの強みというか、ちょっと得意性みたいな感じなんだね。
そうそうそうそう。
その現実世界の捉え方というか、その部分がちょっと普通じゃないんだ。
普通じゃない。だからそのつらい現実を哲学の方法でちゃんと見て取るというか、切り出すというか、そういうことをやっぱりやった系の人っていう感じなんだよね。
で、彼女のやり方っていうものを示すキーワードというか、ちょっとかっこいい言葉があって、
それがその手すりなき思考とかって言われるんだけれども、手すりね。
いわゆる階段とかについてるさ、上り下りするときの手すりあるじゃないですか、手を握り合って。
で、あれがないっていう風に言ってるんですよ。
どういうことだ。
そういうことかっていうと、基本的に僕らってやっぱり歴史であれ、伝統であれ、宗教であれ、なんでもいいんだけれども、
やっぱり何かを考えるときに、いわゆる頼りにするとかガイドラインみたいなものって絶対使ってるはずなんですよね。
つまり、例えば倫理、道徳の話でも、人が嫌がることをしちゃいけませんみたいなものがあったときに、
なんとなくそれって、日本で言うと常識的にそうだよねとか、もしかしたら伝統的にそういうお互いさんみたいな精神があるよねみたいなさ、
そういうことが言えたとしたときに、なんで人に迷惑をかけてはいけない、人が嫌がることをしちゃいけないんですかっていうと、
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やっぱり日本っていうのはそういう伝統があるからですって言えたりします。
っていうときに、この伝統っていうものが吹き飛ばされたのが、第二次世界大戦でありナチズムなんだっていう風に、アーレンと考えたんですよ。
つまり、例えば隣人を愛せよみたいなキリスト教的なこととか、人類は平等であるとか、自由があるみたいなことを西洋社会は言ってきたんだけれども、
当時のドイツには隣人愛も平等も自由もなかったわけですよ。
だって自由を制限されて、不平等のナチスドイツアーリア人とユダヤ人で分けて、尊厳を踏みにじって隣人愛なんてない中で殺していくってわけでしょ。
実際ね、その反のアーレンともキリストっぽいに捕まってるわけだしね、実際ね。
そうそうそう。
だった時に、要は過去の伝統とか宗教みたいなものをどれだけ頼りにしようとしても、なんでそういったことが起きたのかとか、あるいはそれを正当化するにせよ批判するにせよ、適切なまさにガイドラインっていうものはないっていう風にアーレンとは考えるんだよね。
なるほど。
だからこそさっき言った手摺りなき、要はそういう頼りにするものがない中で、まさに現象学的に自分が経験したこととか、見聞きしたこととか、そこから全部を考えるっていう。
ある種そういう、でもそれって本来できないんだよ人間には普通はね。
あーそうなんだね。
だって、なんのさ、思想的な手がかりもなく、例えばよくある、じゃあなんで人を殺しちゃいけないんですかっていう時に、本当の意味でゼロから人を殺しちゃいけない理由を考えれる人ってほとんどいないはずなんだよね。
いやーそうね、これはあれだね、この前のレビナスでやった顔との感覚に近いかな。自分とモスリーが行った時の無理に責任みたいなのあったじゃん。
あったあった。
あの感覚に近いのかもしんないよね、自分どうすればいいみたいな。
ちょっと違う。
ちょっと違うかもしれないが、やっぱりその責任をどう引き受けるかとか、やっぱりこう、ある種、外に逃げれない、やっぱり自分にすべてを引き受けた時に、
なんで本当に第二次世界大戦が起きたのか、ナチズムっていうものが対等してあんな悲劇が起きたのかっていうことを、外に理由を求めずに自分の経験したこととか、そこから全部作り出していくっていうふうな、そういうふうな営みなわけですよ。
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だからね、冒頭でSNSみたいな話とかさ、兄貴が攻殻機動隊の話とかをしてくれたけれども、やっぱりこう、何か投稿した人が炎上してますっていう時に、その人を本当に避難すべきかどうかを言うと、もちろんそうだし、
なんていうのかな、炎上という出来事があるわけだよね。っていうものに対して、それって、そもそもなんで起きるのとか、それがあることってこの時代においてどんな意味があるのとかっていうことを、自分の本当に感じていることとか経験っていうものから全部説明するみたいな。
はいはいはいはい。
それって、言おうと思えばさ、SNSっていうものが個人の匿名性の中で意見を平らにして、どんな意見でも出るからこそそれは広がりやすくなったみたいな、言い寄せばいい、それってことをいろいろ言えると思うんだよね。
でもそういう薄っぺらいことじゃなくて、本当にこの炎上という出来事に対して、いったいどんなメカニズムがあるのかとか、どんな意味があるのかとか、そういうことを1から、もっとゼロから、
だから、その既存の価値観とかっていうものも全部ないところから作り上げて、自分で説明していきましょうみたいな、そういうことをやろうとしてるわけなんだよね。
なるほどねー、そっかそっか。どうしても攻殻機動隊が多かったからさ、あれだけど、最近の話で言うとさ、倉津市の知井川のイクラコンなんてまさに炎上したよね、あれね。
それに対して、どういう見解を持つかとか、あれは何だったのか、何が起こったのか、それをどの切り口からどういうふうに見るかって結構、いろんなテーマにありそうじゃん、やっぱり。
そうそうそう、企業のレイヤーもあればさ、キャラクターもあれば、お仕方っていう文化もあれば、個人の知井川愛みたいなものもあればさ、いろんなレイヤーがあるはずじゃん。
そうそうそう。 っていう時に、やっぱりこうね、みんながやっぱり叩いてるからとか、なんか自分も言いたくなったからとかっていうことじゃなくて、やっぱりじゃあなんで自分はそこに関わったのか、あるいは関わらなかったのかとか、無視をしたのかしなかったのか。
33:05
その知井川騒動みたいな話でいくと、例えばあんなひどいみたいな蔵寿司、もっと頑張れよみたいなこともあれば、でもそんなことに巻き込まれてる自身で子供だみたいな、いろんな多分意見があったとして、無視するにせよしないにせよ、やっぱりそこに対する態度っていうものは人それぞれあるわけじゃない?
そうだね。 うんうんうん。
で、やっぱりそこに対して、なんで自分はそんな態度をとっているのか、あるいは無視っていうものを含めて、そういう無視するっていう態度をとってるのかっていう、そこに目を向けた時に何が見えますかっていう話なんだよね。
わー、はいはいはい、いいねー。 うん、そう。
ちなみに我が家はちいかわ、今めちゃめちゃブームきてるから、奥さんも子供大好きなんだけど。 うんうんうん。
そう、やった時に、やっぱり社会のあれってこう、なんだろうな、祝辞だと思うんですよ。 はいはいはいはい。
ちいかわっていうだけじゃなくて、やっぱり日本社会っていうものにおいて、あれがたまたま倉槌とちいかわと従業員とファンという中で起きたっていうだけで、いろんなものが絶対あるはずなんだよね。
それを自分なりにというか、自分の経験、そこで考えたことがありますかねっていうことだし、あるいは、さっき言ったとおり、ハンナ・アーレントさん自身がある種わかりやすい正解って言うのを基本的には怖いますと。
だから正解を出しちゃうと、それがまた、アーレントがそう言ってたからとかさ、一個の基準になって使われちゃったりするじゃない。
いやー、だからこれは想像だけれども、ハンナ・アーレントの視点から言うと、また新たなナチスを生みかねないみたいな感覚。
例えばね、ナチスなんてありえないとか、あんなものはおかしいって言ってる人も、やっぱりナチス性を持ってるわけよ。
二言論の罠みたいな感じだね。
そうそうそうそう。っていうこともやっぱり自覚しているから、彼女自身はそういうわかりにくいことを、わかりにくいことを言うというか、どうしてもわかりにくくしか語れないんだけれども、
やっぱりポッドキャストはどうしても言っているのはわかりやすさというか、こういうふうに考えたらいいんじゃないかっていうのを提示はするんだけど、
なるべくいつも通りバランスをとるとか、決めつけないように語っていきたいと思っているので、
そこも含めてね、やっぱり簡単じゃねえなーとか、自分だったらどうするかなーみたいな、そういうことを思いながら聞いていただけるとめちゃめちゃ嬉しいなと思ったりするんですよね。
はいはい。いやーでもちょっと今さ、まだ全然さ、本題に入ってないと思うけどさ、今のところ聞いて、ハンナ、アーレンとの得意性というか異常性というか、やっぱちょっと伝わってきたね。
36:17
マジでなんか感じる?
その当時、やっぱりユダヤ人として迫害された。だから反対活動じゃないけどさ、そういうのに身を投じたりとか、亡命したりしながらも、
反対運動だったりとか、被害というか、こう思っている人たちを助ける運動をしたみたいなさ、そうやってすごいシンプルな当たり前のストーリーに聞こえるというか、あああるあるだなーみたいな感じが聞こえてたんだけれども、
ハレットがさ、アーレンとは哲学のフィルターを通して物音を見てたっていう話をしてたんだけれども、確かに何をもって普通かだけれども、そういう極端なというか、すごい環境に身を置かれた時ってさ、
やっぱりナチス、自分を迫害する者が当時ナチスだったとして、自分が迫害されたとすると、それに対する革命軍みたいなさ、反対組織としてウォーって立ち上がるみたいな感じに、反のアーレンとはちょっと捉えてたんだけど、これ全然違うんだなっていうさ。
ああ、そういうことね。
だから、ポジションとしてはナチスの反対勢力にいるんだけれども、さっきの二元論的な立ち位置から、ナチス反対とか、ただすにはどうするかとか、これ一体何が起きている、これをちゃんと分析というか、この現象を捉えて分析してこれを解体するとか、これをなくすとか、別の未来をとか、そういうのじゃなくて、
その、自分を迫害している者の反対側にただいないみたいなものの凄みみたいなものを今感じた。
ああ、それはすごい、やっぱりアニキの漢字性だと思うんだけれども、本当にその通りで、これは次回以降またちゃんと話していくし、今日もちょっとね、こういう話をしてきますよっていうのはこの後触れていくんですけれども、
まさにこうね、まさに普通に考えれば反ナチスみたいになって、あんなのはダメだとかね、ドイツをより良くせよみたいになりそうなんだけれども、やっぱ賢すぎたっていうか、見えすぎたんだと思うんだけれども、
どうやら、アーレントさんに言わせると、どうやらこのナチスムっていうのは、ナチスドイツだけの問題じゃないぞってことが見えてしまったよね。
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そうなの?えー、違うんだ。
これっていうのは、前の時代の帝国主義もそうだし、もっと振り返っていくと、それこそ西洋哲学っていうものが内包してきた、西洋社会にある、やっぱりこう、もっと言うとキリスト教的なものも含めたものの積み重ねで起きたことなのであって、
そこからアーレントさんはアメリカで本を出すんだけれども、ナチスのことじゃなくて、ヨーロッパ全体がダメなんだみたいなぐらいのことを言うんだよね。
はいはいはい。
そう、でなるともう、すごい非難豪豪なわけですよ。
ふざけんなみたいな、当時1900年、その終戦後ぐらいだと、ナチスと他のヨーロッパの国を一緒にするなよぐらいなさ。
うんうん、そうだね。
言われた側としてはそうじゃん?うちは違うし、みたいな。
敵対してたぞ、みたいなね、うちは、例えばね。
そうそうそうそう、なんだけれども、アーレントさんに言わせると、いやでも全部一緒だし、みたいな。
ナチスを特権化する、要は、あれは例えばヒトラーっていう、言い方あれだけれども、ちょっと変なというか、ひどくない人がやったことなんだ、とかさ。
あるいはヒトラーに従った、ちょっと今から考えると、頭がおかしいと言ったらすごく言い方は失礼だけれども、
そういう人たちによって起こされた歴史の、なんだろうな、ちょっと異常地点なんだっていうふうに言うことは簡単なんだよね。
あーはいはい、そういうふうに聞いて知ってることはね、簡単だね。
簡単なんだけど、そうじゃないんだってことをアーレントはずっと言うんですよ。
あーはいはいはい。
凡庸の悪みたいな言葉があるんだけど、悪の凡庸さかな。
つまり、悪としか見えないわけよね、その民族浄化みたいな話って、世の中からすると。
でもそれって、ものすごくつまらない退屈で、淡々とした、本当に仕事だよね。
というか作業というか、そういったもので成り立ってたんだっていうことをアーレントは見出すんですけど。
だからやっぱりその、ラジスドイツというものとか、第二次世界大戦の悲劇っていうものを、あえて悲劇化しないというか、ドラマ化しないっていう、そういうところに立ち続けた人なんだろうなと思うんだよね。
わーはいはいはい。
でもさ、兄貴言ってくれたストーリーで、それをさ、第三者の全然関係ない国の人がやるならまだしもさ、祖国を追われてさ、自分も捕まって手助けもして、亡命してさ、国籍もなくてつらい人生を送ってるって人がやるっていう、
42:06
言われたら確かにちょっと恐ろしいバランス感覚っていうか、そこによく自分の立場を置き続けられたよねっていう感じはするよね。
ちょっと怖くなってきた、ちょっと。
確かに。ちょっと凶器を感じる、確かにそういう意味では。
なんならね。
なんでやっぱアーレットさんのね、そういった凄みをね、これから伝えていこうと思ってるんですけれども、さっきも言った通り、今回のテーマでいくと、やっぱり暗い時代ですよと。
そのね、第二次世界大戦が終わって、やっぱりこれまでの価値観とか、自由とか平等とかさ、そんなものが吹き飛んだわけだよね。
っていう時に、やっぱ僕ら人類どうやって生きていきましょう。
もっと言うと、やっぱりこうね、分断も起きたわけで、戦勝国と敗戦国ができたっていう時に、どうしたらやっぱりこのある種人類っていうものとして、
共に生きていけるんだみたいな、そういうことが、すごくやっぱりこう、切実に問題になってくるわけですよね。
かつそれを、なんとなくさ、理想郷というか、ヨーロッパはダメだけどアメリカはなんとかなるとかさ、
北はダメだけど南はなんとかなるとか、そういうふうに逃げていくというか、違うところに駆け込むんじゃなくて、
今、やっぱり自分が生きているこの世界ではこの場所っていうもので、より良い人生をどう作っていくかって、そういうふうな発想をしていくわけなんですよね。
でいくと、今回はいくつか6回分ぐらいになるかなと思っているんだけれども、やっぱりまずはね、宗教というか、
愛っていうものがテーマになってくるんですけども、愛情の愛。
うん。これは次回やるんですけど、母親が書いた博士論文か、大学のね。
っていうものが、アーグスティンスっていたの覚えてます?アーグスティンス。
暗黒時代とか初期キリスト教とかでちょっと名前出したんですけれども、
そういう恐怖って言われる、恐怖って教える知事って言われるキリスト教の思想的な背骨を作った人なんですよ。
その人の愛っていうものについて深掘りする中で、いわゆるヨーロッパとかキリスト教に通定する愛とは何か。
愛っていうものには実はいろんな、いわゆる複数のパターンがあるよっていうことを分析した、研究したものが博士論文になっているんですね。
45:03
そうなんだ。
そう。そういったものがある中で、そのキリスト教的な愛はあるんだけれども、
そういった第二次世界大戦とかを踏まえて、人類っていうものはある種分断されてしまったとか、
やっぱり人間性っていうものを踏みにじるっていうことが、ある種当たり前に起きるようになってしまった。
どうすればもう一回、ちゃんと他者と繋がってとか、一緒に生きていく、
そういうふうな世界ってものを取り戻すことができるのか、あるいは新しく作ることができるのかみたいな、
そういうことを考えていくっていう意味で、社会性とか政治とかっていうほうにより近づいていくんですよね。
最初から政治学者だったってわけじゃなくて、
哲学っていう意味ではすごく古代の伝統というか、そういうものもちゃんと踏まえてるんです、やっぱりベースとして。
やっぱりそういったものがあるからこそ、現代、当時でいう1950年代とか40年、50年っていうところの原座を切り取ることができたって話なんだけど。
もう一回、社会のほうにいくと、今度はその中を生きている個人っていう部分が当然目が向くわけですよね。
さっきちょっと言ったけど、悪の凡庸さみたいな話で、アイヒマンとしたりする?
うーん、わかんない。
アイヒマンっていう人がナチスドイツで、いわゆるユダヤ人の虐殺というか、それをある種指揮してた責任者みたいな人なんだよね。
はいはいはい。
実際そのアイヒマンっていう人が裁判をするぞっていう時に、アーレンとかそれを聞きに行くんですよ。
エルサレムでその戦後裁判が起きるんだけれども、その裁判を傍聴しに行って、何が起きていたのかとか、このアイヒマンっていう人はどんな人なのかっていうことを、ある種鮮明に記録するんですよね。
って言った時に、これはちょっと先取りなんだけれども、別にそのアイヒマン自体は、なんかめちゃめちゃこう、人類のためにっていう強信者とかさ、
あるいはユダヤ人をめちゃめちゃ憎んでいるみたいな人とかじゃなくて、ある種普通の人にしか見えないみたいな話なんですよ。
あー、なるほど。
なんでこんなに普通の人があれだけのことを責任者として遂行してしまったのか。
そこに実は、ある種思考の欠如とか、さっき言ったような自分で考えないということの恐怖っていうものがあるんじゃないかっていうことを見出すんだよね。
48:01
わー、なるほど。はいはい。なんかそれと似たようなというか、そうか。そういう話聞いたことあるけど、その言及なんだ、この辺が。
たぶんそうだと思う。そうそう。
そういう実験あるもんね。直接さ、自分がボタンを押すのと誰かに言われて押すのとみたいなさ、なんかあるじゃん。
あー、はいはいはい。
それと同じような中でも、ハヤトが話してた実験あった気がするよね。
そうかもね。あれからは、あれでしょ?ボタンを押して電流流して、普通に苦しんでる人を止めるか止めないかみたいな。
あー、そうそうそうそう。
はいはいはい。
あったよね。
あるある。そう。あれもやっぱり、研究でっていう話とか、研究者だって言ってる人に、まだ大丈夫です、やってくださいって言われると、やっちゃったよみたいな。
あー、あった。そうだそうだ。最後声が聞こえなくなるまで助けない人が結構多かったみたいな、向こう側は演技でやってるけどみたいな。そうだ、あったね。
そう、だからまさにそういったことが、そういったことが拡大されて起きたのがナチスだったんだよっていう話だよね。
みたいな話もあり、そういったやっぱり、さっき言うと、特定の人とか、属性とかにある種簡単に還元させない。
人類の中にそういったものがあるんだっていうことを見出した上で、それでもやっぱり、もう一回世界を取り戻すというか、
ちゃんと世界への愛みたいな言葉もあるんだけれども、実際アーレントの中に。
そういった世界への愛っていうものをどう取り戻して、やっぱり暗い時代とか世界、そんだけ不完全で悲劇も起きるような世界なんだけれども、
それをちゃんと引き受けて生きていくにはどうするかっていう、そういう風な絶望とか希望とか、ネガティブさとかポジティブさとか、
そういったものをいろいろぐるぐるぐる回していくような話っていう感覚で、アーレントさんのことを紹介していきたいと思ってますっていう感じなんだよね。
なので結構ね、これは人によっては、わりと自分聞いてる方にも刺さるんじゃないかなと思うね。
僕にも刺さるしね、やっぱり。
本当に自分で考えてるのかなんて、やっぱり一番言われたくないじゃん。
言い方あれだけど、考えてるつもりだからね。
そう、つもりだからさ。
むしろ自分で考えてどういうことですかぐらいになったりするわけじゃん。
でもやっぱりそういった面でも時々言ってるけれども、そういった実は考えさせられてるだけなんじゃないかとか。
51:05
意外とね、さっき言ったような、なんで人の嫌なことをしてはいけないんですかっていう中にも、
いやもうなんかわかんない、そういうものなんでみたいにしか言えない場面ってあった時に、
それを、やっぱりそういった悪の凡庸さにつながりませんかとかって言われるわけよ。
おー、はいはい、厳しいね、なかなかね。
嫌だなーって思うじゃない。
うんうん、見たくない部分だよね。ある意味、もしくは知りたくなかったみたいなね。
ね、ほんとそうなんだよね。
でもやっぱりね、これはなんだろうな、大事なこと。
大事なことっていうか、なんだろうなー。
ちょっとね、どこにずれちゃうんだけども、さっき言った、アーレントやって、アスパースやって、
で、フーコ、ハイデガーってやろうと思ってますって言ったんだけど、
最終的にはね、ハイデガーを、なんだろうな、乗り越えるみたいな、
そんな気持ちにもなってくる。
はいはいはいはい。
さっき言った通り、ハイデガーは第2、20世紀最大の哲学者ですよ。
これは多分揺るがないんだけど、
同時に、ある種その思想哲学をもってナチスドイツを支持したっていう、
これは両面性じゃなくて、もうそういう人なんだよね。
へー、ほうほうほうほう。
アーレントも、第2次世界大戦後とかにもう一回その交流が始まって、文通とかしたらしいんだけれども。
あ、そのハイデガーと?
ハイデガーと。
これもやっぱ、普通に考えたらえ?って思うじゃん。
自分を苦しめたというかさ、同胞も含めて苦しめてアメリカまで追いやった政権に支持してた人。
でも自分からしたら恩師だし、さっき言った霊縁関係にもあった人だから、もちろん情はあるのはわかるけど、
でもそんなん絶縁だって思ってたらおかしくないわけじゃん。
いやー、そうだよね。
アーレント的には、そのハイデガーの人としてのダメな部分とか、どうしようもないねってところもありつつ、
でもやっぱり哲学者としての凄さとか、やっぱりある種切れない縁っていうものがあって、交流が続いてましたって話があったらしいんだよね。
っていう時に、なんだろうな、それをある種、立場が違えども人間が分かり合えるとか通じ合えるという美談にすることもできるけれども、
でもやっぱハイデガーは、たぶん哲学が本当に生み落とした怪物なんだよね。
そう、そんなに凄いんだ。
54:02
うん、だと思うし、今回のハンナ・アーレントもそうだし、
実際にヤスパースは元々ハイデガーと仲良くて、
でもヤスパースもユダヤ系だからそこで欠滅するんだってこと。
ハイデガーやり、ダメだなー。
風向は風向で、やっぱハイデガーを引き継いで、そこから取り出したもので新しい哲学を前に進めるみたいなのがあるんだよね。
おー、そうなんだね。
だからある種、たまたまでもあるし必然でもあるのが、
やっぱりハイデガーっていうものを関わった人たちを今僕が取り上げていろいろ話してる。
もちろんメルロポンティとかもそうだよ。
そうするときに、こいつやっぱやべえな、みたいな。
なんだろうこう、ハイデガーやべえなっていうことに改めて感じてるんだよね。
だからあれか、ある程度言って最後ハイデガーに戻るみたいな感じだね、時代的に。
戻る、そうそう。
これまでで言うと時代的に大体こう、過去から未来へっていう感じだったけれども、
一旦その周辺の人たちやった上で、改めてハイデガーどうなのっていう。
それを向けようことで、やっぱ自分も、なんか哲学ラジオとかなんかのんげん言ってんじゃねえぞみたいなさ。
哲学ってものを批判してなんぼだろうみたいな、そういう気持ちにもちょっとなってきてるから。
アーレンズを読んでるからね。
反骨精神がちょっと。
そうそうそうそう。
ある種さ、哲学者の言葉なんてさ、本当に野郎では都合のいい手すりなわけですよ。
ほうほうほう。
だってアーレンズがこう言っていたとかさ、
ハイデガーがこう言っていたって言うとなんかすごそうな感じ出せるじゃん。
知らん人でもさ、なんかそんな偉い哲学者さんはそうでしょうよみたいなさ。
やっぱそれってやっぱ絶対ダメなんだよね。
おー、なんか熱いね。
熱くなってる。アーレンズって読んでやっぱりね、テンション上がっちゃったらやっぱこの人すげえわと思って本当に。
いやーすごそう。
ほうほうほう。
さっき兄貴も言ってたけどさ、ちゃんと自分の経験を生かしながらでも客観視するみたいなさ。
しかもユダヤっていう立場からさ、ナチスを批判すれば楽じゃん。
私は被害者ですって言ってさ、ナチスはおかしかったって言ってれば楽なんだけど、
そうじゃなくて人よりも人間として西洋の歴史全体を批判するみたいなさ。
ちょっとなんかもうよくわかんないじゃん。
いやーだってもしだよ、このハンナ・アーレントが仮に進撃の巨人の壁の中にいたとしたら、
全然違う物語になってただろうなみたいなね。
57:03
どういうこと?どうなるのその物語は?
早い段階で、巨人VS私たちじゃなくてさ、この世界の謎に早く気づきすぎて、
もう全然違う方に物語が進んでいくみたいなさ。
お互いのすれ違いとかもなく。
そういうことね。なぜ巨人は壁に襲うという行動をするのか、そこには絶対理由があるはずだみたいな。
でも2話目ぐらいで貴公主の正体暴いてみたいな。
主人公にしてもいいけど全然違う物語になりそうが。
確かにね。そこが見えちゃうというか、そこに思考できちゃう人、経験できちゃう人だったという話がアーレントさんなんですよ、というところですね。
確かにな。もちろん劇的だからかもしれないけれども、
やっぱり普段の哲学者の1話目とまた違うね。
そうね、ちょっと荒々しさを出してみました。
なるほど、なるほど。反骨精神、今回ね。
そうそう、感情を入れて話してみたんですけど。
次回からはアーレントさんの話をしていくので、
さっき言ったアーレンスインスですね。
愛の概念というものが博士論文に出てるんで、それの話をちょっとしつつ、
そこからね、終戦後に出してもらうんだけど、全体主義の起源という本があって、
この全体主義というものがアーレントが分析したというか、取り出していった大きな振り組んだ概念でもあったりするので。
経験した上でね。
これをちょっとキュッとしちゃうんだけれども、2つ取り上げることで、
アーレントさんがどんなことを考えたのか、その入り口に足をかけてみようと思ってます。
わかりました。そんなめちゃくちゃ怖いアーレントさんですね。
次回から中身を見ていきたいと思いますというところで、楽しみにしていきたいと思います。
では引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。