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サマリー
今回は、カール・ヤスパースが人間を主観と客観の分離から捉え、そこから孤立や孤独が生まれる仕組みを考える。人が社会の中で交換可能な歯車や役割として扱われる孤立と、SNSなどで自分の主観に閉じて他者を排除する孤立が対比される。死や苦難、他者との衝突といった「限界状況」に直面すると、客観的な分類や論理だけでは処理できない挫折を経験し、当事者として生きる「実存」への自覚が生まれると説明される。ただし実存を主義や肩書として固定した瞬間、それ自体が新たなラベリングやドグマになるため、問い続ける姿勢が重要になる。
ヤスパースの出発点――主観と客観
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 はい、今回はヤスパース第2回ということでやっていきたいと思います。
はい、今回からですね、ヤスパースさんの哲学というか思想を見ていこうという感じなんですけれども、
結構今回はですね、個人というか人みたいなところにフォーカスを当てまして、 ヤスパースさんがどういうふうに人間というものを捉えていたのかみたいな、
そういうところからちょっと入っていこうと思ってるんですよ。 結構ね、ちょっとね、情報量膨大な感じもあるんですけど、
多分ね、そんなに違和感なく聞いていただけるんじゃないかなと思うんで、なんかこれまでのいろんなその 哲学者の話とか、現代的な状況、
前回も結構ヤスパースさんの話って全然なんか身近じゃんというかさ、 普通に自分たちの生活にもリンクすよねとかって話があったと思うんですけど、
そういった意味では割とスッと入るんじゃないかなというのもちょっと期待して、 一旦モリモリで作ってみたので、
無理だよ、溺れるよってなったら言ってもらったら嬉しいなと思ってます。 わかりました。とはいえ情報量は多そうみたいな感じなんだ。
そうだね。 台本もいつもより長めになっちゃったんだけど、ちょっと早速やっていこうと思ってるんですよ。
今日はどこから話を始めるかって言うとですね、 いわゆるヤスパースさんが人間というものをどう耐えたかって話してる中で、
いわゆる認識、人間の認識でどういうものか、 それっていわゆる出観と客観ってあるよねみたいな、そういうところから話していくんだけれども、
そこから、いわゆる現在とか、ヤスパーさんがいた50年前とか80年前とかっていう時代の、いわゆる孤立みたいな話。
人間の社会での在り方だよね。孤立っていうよりは他の人とか、 社会の中で孤立とか孤独っていうのが生まれたとした時に、
そういう孤立ってどういうものなんだっけとか、 それをどう乗り越えるんだっけみたいな、
それちょっと3段階ぐらいの話をしていこうと思ってるんですよ。
孤立か。あれ?なんか、この孤立的な話って、ちょっとアーレントの時もあった?
なんかその、分断じゃないけどさ、 個人個人が分断されて、それが全体主義的な中で同じベクトルになりやすくなるみたいなさ。
はいはいはい。
なんかそういう流れあったっけか。
あったあった。そこにもちょっと近いかな。
そこもちょっと後で話しますが、ある種、哲学者でやっぱり、エスパーさんとしてなんですけど、
その孤立してるよねとか、孤立って何だろうねみたいなところから始めるんじゃなくて、
そのもっと根底にある、やっぱそもそも人間ってこういうふうな特徴とか特性があるよねと。
それが結局、この孤立は何かは後で話すけどっていうのに繋がってるんで、そういう話をしていくんだよね。
なのでその前提であるものから話していくんですけど、
ある種、エスパーさんの哲学の基本、出発点にあるって言われてるのが、主観と客観が分かれること。
ある種、主客分離みたいな話で言うんですけど、
これを根底に置いたのが一個特徴だって言われてるんですよ。
はいはい、言葉としては。
別に難しいことでもなくて、ある種、僕らが何かを見るとか聞くとか、ある種、理解しようとするときって、
絶対に見る自分と見られる相手、それが人であれ物であれ何であれって分かれますねっていうふうなことがありますよ。
で、この主観と客観が分かれてるのか、二元論か一元論かって話は結構それぞれの中でもしていると思うんですけれども、
ある種、エスパーさんの場合は現実的に人間が何かを理解する、意識するときって、
まずこれが分かれますよねってここから始めてくるんですよね。
はいはいはい、素朴な感覚としてみたいな感じだね。
そうそうそうそう、純粋に考えたときにね。
で、当然、もちろんそういった客観的とか、これが科学的態度とかって言われたりもすると思うんですけれども、
データ化するとかロジック化するとかっていうときに、それを対象として理解しますっていうことはありません。
これ前回もちょっとお伝えしたんですけど、エスパーさんって人間の客観的な情報を集めても、
その人自身のことは分からないみたいなことを言ったって、なんかちょっとあったと思うんですよ。
うん、あれだけ。精神科医として働いてるときとかだけか。
そうそうそうそう。
実際に抱えている病気、病みとか苦しさみたいなものって、どれだけ客観的に対象として相手を見ても分からないねと。
なので、客観的に見るっていうのは人間の特徴だし、それによって役立つこともいろいろあるんだけれども、
これだけじゃダメだよねっていう、ある種ほんとに素朴なというか、実感からお手伝いを作ってるんですよね。
ラベリングが生む孤立
どういうときにこの客観的な思考というのがダメになるかっていうと、それはすなわち人間関係とか他者と関わるときに、
この客観的思考だけを持ち込んでくると良くないよっていう話をするんですよね。
へー、そうなんだ。
で、これもある種分かりやすいと思うんですけれども、ある種ラベリングってあるじゃないですか。
例えば、何でもいいんだけれどもこいつは、血液型診断とかもそうなんだけど、A型はちょっと落ち着いててとかさ、
B型はちょっと奇抜で、AB型かな、奇抜でとかさ、
ってときに、科学的な根拠はないけれども、なんとなく血液型を聞くとその人のことがわかってるような気がして、
そういう話ができてしまうみたいなさ。
あーなるほど、それがラベリングか。例えばなんか、あの人は怒りっぽいねとか、それもラベリング?
そうだね、性格もラベリングかな。
怒りっぽいとか引っ込み事案だとかもそうだし、
あるいはあの人は何だろうな、それこそお偉いさんだからでもいいし、例えば額がないからとかどっちもあるよね。
あー、だから色々あるとか、その人と関わる中であの人は怒りっぽいねとか、めっちゃ面白いねっていうのもラベリングだし、
例えば学歴とかもそうだよね、あの学校卒業してるから頭がいいはずだみたいなのもラベリング、ラベリングみたいな。
そうそうそう。
あーじゃあ色々、なるほどね。
色々あるし、別にネガティブとかポジティブとか一旦関係なく、そういう風なカテゴリーで分けちゃいますよね、僕らって。
で、そうすると何がいいかって、なんだか分かった気になるじゃないですか。
で、やっぱ怒りっぽい人に対して、なんか今日は機嫌良かったりすると、でもなんかどうせ明日には怒りっぽくなってるだろうねとかさ、
そういう風に勝手にこっちが推測をして、その人のこと分かった気になっちゃうっていうのがあった時に、
やっぱこれは客観的思考のある種、負の側面というか、
こういうことをしていると結局、なんだろうな、相手のことを理解するように見えて、結局は自分の主観を押し付けているだけ。
これもさ、誰の時だっけ、リビナスの時だったかな、なんか話したと思うんだけど、
やっぱ結局自分がわしづかみにしてるみたいな話があったと思うんだけれども、
そういったことを主観客観という特徴を持つ我々人間をやってしまうという話をするんですよ。
あの理解するの暴力性みたいな話、リビナスの時とか。
そうそうそう、リビナスだったかな、というのが根本にありますね。
で、こういった主観と客観に分けて、客観対象をラベリングするとか属性をつけていく、
ということが、実はさっき言った孤立とか孤独につながるなというふうな話をするんですよね。
おお、そうなんだ。
歯車になる孤立と主観に閉じる孤立
で、この孤立と何を指すのかというと、2つある種挙げてまして、
1つはさっきまさに兄貴が言ってくれたような、アーレントさんに近いんだけれども、
いわゆる大衆社会ね、今の日本もある大衆社会って言っていいと思うんだけれども、
そういう中で自分がまずに歯車だよね。
大きな日本社会とかなんつら社会っていう中の交換可能な部品みたいになっちゃって、
仕事が分かりやすいけど、自分が辞めても別に代わりはいるしみたいな話とか、
で、そういうことでシフトを組まれて、自分が休んだら他の人が当てられるみたいな、
あるいは他の人が休んだらちょっとこれやっといてって言われて、別に交換可能なパーツになってくるっていう時に、
タイミーとかって分かりやすいと思うんだけれども、
あれはすごくいい仕組みだと思うけれども、例えばやっぱりあれをタイミーさんって呼ぶことで、
その人っていうことじゃなくて、そのタイミーという空いた時間に働いてくれる人っていう機能とか役割、
そしてお互いに関わり合いますねと。
それが楽だとか、逆にそっちの方がいいよねっていう風な方向性もあるとは思うんだけれども、
やっぱりヤスパーさんに言わせると、これって人間っていうのが客観視されて、
もっと言うと属性だけで見られて、なんとなく働いてくれるありがたい存在とか、
それは逆にひっくり返すと、いなくなってもいい存在みたいなのになってしまう。
その人自身はってことね。タイミーさんは必要だけど、Aさんは別にいなくてもいいみたいな。
そうそう、そういうこと。
そういう風になっちゃうと、もちろんタイミーはそうじゃない、
人と人の繋がり大事にしてるっていうサービスだと理解はしてるつもりなんだけれども、
でもやっぱりいって機能化してしまう。
だから変な話、相手のことをやっぱり道具として扱ってしまうことも起こり得るだろうし、
逆に働く側、行く側も別に他のお店に行けばいいから、
このお店にこだわる必要ないやってなると、
お店に対してもただお金を稼ぐだけとか、一時的に働くだけではなくなってしまって、
やっぱりこの主観と客観という図式がそのまま強化されていく。
そういうのが社会にどんどんなってるっていうことを考えるんですよね。
おー、なるほど。社会の話ね。社会がそうなってるって話ね。
これは人間の根幹にそういった主観と客観で分けるっていうのは認識の仕方があるからだって話なんだけれども、
そうなった時に、ある種孤立の種が芽生え始めていて、
結局自分を誰も本当の自分として見てくれませんとか、
タイミーさんは大事にされるけれども、例えばカンノハヤトさんは別に大事にされてませんとか、
そういうことに繋がっちゃうよねっていうことが起きていくように言うんだよね。
これが1個目の孤立なんですけど、もう1個はある種、今の社会的なことというか、世の中の仕組みの話だったじゃないですか。
もう1個は自分で自分の殻にこもるみたいな話があって、
要は逆にこっちはSNSとかであると思うんだけれども、
時々炎上なのかな、何言ってもダメみたいな人っているじゃん。
何言っても燃えちゃう人?燃やしちゃうじゃなくて燃えちゃう人?
燃やしちゃう人の方が近いかな。
燃やしちゃうか。
どっちかっていうと、例えばAっていう主張があった時に、Aは絶対正しいみたいな。
で、Aを間違ってるって言ってる奴は全員非国民だみたいなさ。
そういう主張をする人がいた時に、この人ってすごく実は孤立してますねと。
つまり、そういう主張をすることによって他者との接続ではなくなるとか、
あるいは、そうだそうだって、Aをダメっていう奴は全員非国民だっていう人が集まったとしても、
それって実は繋がっているように見えて、それぞれの自分の世界観がただ近いから解析していないだけで、
例えばその中でちょっとした意見のすれ違いとか何かがあると、やっぱりお前は敵だったとか、
俺のこと分かってなかったなみたいな感じで、また解析して孤立していくみたいな。
そういう風になっていきますねと。
なるほど、もうその構造的にそうなってると、その人たちはと。
そうそうそう、つまり自分という主観が正しくて、相手の客観は間違っているとか、
自分の主観に共鳴してくれる人とか同じ主観を持ってる人は正しいんだけど、
それって結局自分の主観を相手に押し付けてるというか、ただその自分の主観を通して見てるだけっていうのは変わらない。
そうね。
っていう意味で、これもやっぱり孤立だよねって。
なるほど、表面上は集まってたりとか立派に議論してるように見えてもってことはね。
そうそうそう、っていうようなところがあるので、主観と客観が分かれている、そういう認識力を持ってるよねっていう風なところから、
やっぱりこういった2番目の方はまさに主観が強すぎて、結局他者のことを受け入れられないっていう話だし、
逆に前者のタイミンさんみたいな話、ちょっとタイミンさんの話言いすぎだけども、みたいな話でいくと、
そこはどっちかっていうと主観が逆に消えてしまう、自分っていうものじゃなくて、本当に肩書とかラベルとか時給とかね、
そういったものである種つながってしまうと、そこにやっぱり自分っていうものが薄まってしまうっていう風な、
その両方の孤立っていうものがあるよねっていうことを言うんですよね。
なるほど。
これさ、タイミンさんとかSNSの話をしたから今すごい現代的な話になってるんだけれども、
これと言われてたぶん100年ぐらい前なんだよ、やっぱり。
そうだよね。SNSがない時代にどういう、それがリアルに起こってたって話か。
人が集まってというか。
そうそう。これやっぱり当時の同一社会っていうのを見たときに、やっぱり政治のこともそうだし、戦後のことを考えても、
やっぱり、この後また話すんだけれども、いわゆる本当に人と人が深くつながって何かを一緒にやっていくとか、
社会前提がそういった集まりとして、人間が豊かに生きるようになりたっているっていうことにやっぱり見えなかったんだよ、スパーさんにとって。
だからこそ、そういった社会をどうやって作っていくのかとか、
今そうじゃないとしては何が足りないのかっていうことを考えた結果、根本的には主観と客観が分離しているっていうことに、
一番根っこがあるんじゃないかってことを見出していきます。
なんかすごそうだね、確かに。
この話でいうと、だって例えば、世の中を平和にしたい人たちが集まってたとして、
それがこの、ヤスパーさんの言うところのさ、主観強すぎる人たちがみんな平和にするぞーみたいなのが集まってたとして、
めっちゃ法律してるじゃん、こいつらみたいな話になっちゃうんだよね、たぶんね。
あ、そうそうそう。私はその平和って何ですかって言ったときに、それぞれが俺の平和を持って集まってるわけだよね。
俺の平和、私の平和ってなると、その平和は間違ってるとかさ、
そんなこと言ってるヤスパーは一緒になれないって言って、そこで戦争とか起きちゃうわけじゃん。
そうだよね、お互い平和のために戦っちゃうんだよね。
あ、そうそうそう。
っていうようなことが起きるよねっていうのが、結局は人の問題じゃなくて、そもそも人間の根幹がそうだからみたいな、分離してるからみたいな。
やっぱそういう意味では結構、ヤスパー先生自身もやっぱりヘイゲル弁償法的なさ、やっぱり異なる概念が足りすぎたところとか、
あとやっぱカントとかっていうところも引いてたりするので、やっぱりその人間の根幹的な分離っていうものを軸にして考えてるってところが、
哲学的な流れとしてあるみたいなんですよね。
あー、なるほど。確かにちょっとヘイゲルっぽいか。まず対立構造を作ってみたいな。
そうそうそう。作るというか、やっぱそれがあるよねって話ね。
で、じゃあこれどうすんのって話なんですよ。ここまで、でもさ、この東洋的な話で言うと、四角合一とかさ、結局は一つなんだみたいな話もあるけれども、
やっぱり僕らも普段生きていて、やっぱり自分体では本当に根っこでは繋がってる存在なんだって思えるかって言うとなかなか難しいと思うんだよね。
いやー、私これもちょっと今のハヤトの話面白いなと思ったけど、例えばその四角合一っていうのか、一緒だよみたいなさ、そういう話をさ、
多分それをちゃんと話してる人はそういうつもりで言ってないと思うんだけど、なんかさ、今回ニアスパースで言うさ、一つ目のさ、自分がパーツであるとかさ、自分の主観がないみたいな、そっちに持ってかれることも
ありそうだなと思ったよね。
うんうんうんうん。そうなんだよね。まさにその、まさにちょっと語弊を恐れずに言うけれども、仏教的な無我みたいなのって、時々話すと思うんですよね。我がないっていう時に、やっぱりその、別にこれ自分がいない
っていうことではないんだけれども、その本体としての我だよね。
そういったものってなくて、ただただ要素が集まって出来上がっただけだ。これをなんか、ご運とかっていうね、仏教の言葉があるんだけど、うん、っていう風にした時に、結局は誰も存在してませんと、本当の意味
では。だからそんな存在とかに執着せずにやっていきましょうよっていう風なことを言った時に、そういった時に兄貴が言ってくれた通り、ちょっとそのなんだろうな、この現実社会で考えると、
やっぱりある種その社会の側にいいように使われてしまうとか、ある種その人と人の繋がりっていうのがなくなって、結局は本当に一人で悟る道しかなくなるみたいな。うん。
それでいいんでしたっけ?とか、それで本当にこの現実社会って生きていけるんでしたっけ?みたいな、そういう問題にも当然繋がるわけじゃないですか。
そうだよね。だから、たぶんそれはね、ちゃんとわかってる人からすると、それ違うんだってなると思うんだけども、やっぱりそうなってもおかしくないよなと思うよね。
そうそうそう。実はやっぱここってすごく難しいポイントで、この資格が分離してますねって、これは事実だと思うからいいんだけど、それをどうしますかって話だった時に、やっぱすごいこうなんだろうな、明確にこれ
だっていうものってたぶんないんですよ。
ないんだけど、一応ヤスファーさんもそれを越えようとする哲学とか思想っていうものを展開したわけなんだよね。
いやー難しいよね。これ、アーレントの時もかもしれないけどさ、下手するとブーメランになるじゃん。
自分に?
例えば全体主義の構造がわかりましたと、じゃあそれを乗り越える案を、例えばアーレントが作っていきましょう、考えていきましょうっていう時に、よし、これこそが全体主義にならないための素晴らしい案
なんですって提出した瞬間、新しい全体主義を生むかもしれないっていう。
いいぞいいぞ、それでアーレントみたいになるかもしれないし、ヤスファーさんも同じ構造だよね。ここで人間のそういう仕組みがわかりましたと。
じゃあ孤立しないための資格、分けるようなものを乗り越えていきましょう。こうすればいいんですって言った瞬間に、もう何か対立構造をまた生んでるみたいなさ。
何かっていうのはわかってんだもんね、この人たちは。
もちろんもちろん。本当に兄貴の言う通り、ちょっと先取りしてくれたなって感じではあるんだけれども、やっぱりこの矛盾というか対立ってやっぱり乗り越えられないんですよ、基本的には。
限界状況と実存への目覚め
でもどうするって話があって、ここからヤスファーさんの処方箋みたいな話をしていくんだけれども、資格分離してますねと。
人間は基本的に自分の主観で他者とか世界っていうものを客観視してますねっていう、これにガチガチに当てはめられてるわけなんだよね。
これをどうしたら打ち破れるんですかっていう話をしたときに、これ一個はヤスファーさんのキーワードなんだけれども、この限界状況っていうふうに訳されてる言葉がありますと。
限界状況ね。
で、これ何かっていうと、ある種わかりやすいのは、それこそ死ぬ、生き死の死にっていうこととか、あとはやっぱりすごい苦しい困難とか、あとは他人との対立、衝突ね。
こういうことってある種、人間の知性とか理性とかどんなに発達しても、基本的には乗り越えられないですねと、コントロールできないですねと。
人間の死みたいなものが将来的に、ものすごい法来の薬か、かぐや姫の不老不死の薬みたいなやつとか、そういうのが出たとして、それで肉体的な死は乗り越えたとしても、
そういったなんていうのかな、ちょっとここまで来るとSFチックだけれども、本当に永遠の命がいいのかみたいなそういう問題が出てきたときに、
じゃあその生き続けることと死ぬっていうことの問いっていうのは多分なくならないはずなんだよね。
そうだね。
仮に不老長寿になったとしても。
っていうときに、ある種それってもう、何だろうな、さっき言った化学的な思考とか、ある種その知識とか技術が発展すればなんとかなるっていうふうなそういう問題ではないんですと。
死もそうだし、あと他者との対立とかもね、人と人がすごい喧嘩をして絶好だとなって、そこで仲直りをするかしないかとかっていうときに、ここにやっぱり化学とかって基本役立たないんですよ。
そうなんだ。
ある種それを尊徳感情で、この人は付き合っておいたほうがいいから仲直りして謝ろうとかっていうのって、本当に友情なのかみたいな話になってくると思うんだよね、それって。
友情ね、友情とは何か的なとこも含めてね。
だったときに、そこってやっぱりその計算とか論理とかじゃなくて、単純に自分と相手ってどういう関係にあることがより望ましいのかとか、自分が望んでいるのかっていうことって、これはある種前回もまさに言ったよう
な客観的に分かるものじゃなくて、やっぱり自分の中で答えを出すしかないものですと。
しかもこれは主観化っていうとそれも難しくって、結局自分が仲直りしたいとか、死ぬのが嫌だって思うとしても死をやってくるし、相手が仲直りなんてしたくないって言われたらそれもできないわけじゃない?
そうね。
っていうときに、これは主観だけでコントロールできるものじゃなくて、世界との関わり合いの中で起きることなんです。
そういうことって実は世の中にたくさんあるよねっていうことを、やっぱり安場さんはちゃんと見て取ってるんですよね。
はいはいはい。
こういった限界状況にぶち当たったときに、やっぱりある種自分の客観的な思考とか、そういうふうに分けて捉えてるっていう世界観自体がある種揺さぶられるっていうことが起きるんだと。
で、その無力感を感じるっていうことはある種挫折するっていうふうに言って、挫折することによってこのままじゃダメだとか、この主客分離の捉え方だけでは自分の世界っていうものは行き詰まっているんだっていう、そ
こにある種人間は気づくんだよっていう話をするんですよね。
ほいほいほい。
でも結構これはなんかね、自分の経験としても皆さんあるんじゃないかと思ってて、チーム競技とかしてるさ、僕はやってなかったけれども、野球でもサッカーでもさ、やっぱり自分はこうしたいって言っても、他の選手は
こう言って、監督はこう言ってとか、いろんなものがあって対戦相手はこうでとかっていうときに、
やっぱりそれってさ、ただただ自分の主張を押し付けるとか、客観的にこうしたいってことだけじゃなくて、やっぱりチーム全体としてこうするのがいいよねみたいなことを自分も預けながらとか相手も預かりながら作って
いくとかそういうことってあると思うんですよ。
ほいほいほい。
っていうときに、これってやっぱりこうなんだろうな、ある種データに還元できませんとか、こうやって役割だけじゃなくて、ラベリングでさ、キャプテンだからこうするとか、部長だからこうするとかじゃなくて、自分
という人間が部長という立場においてこうするみたいな、そこってちょっと似て非なるものだなってやっぱり思うんですよね。
ほいほいほい。
そういったものをある種取り戻していきましょうと。これをある種、ヤスパーさんは実存っていうふうに言うんだよね。
ほいほいほい。
さっき言ったようなラベリングされたとかA型B型とかじゃなくて、この限界状況にぶつかって、自分はこのままダメだと思ったときに立ち上がってくる自分。
そういう当事者として生きていくんだっていう自分のことを指して、これを実存っていうふうに呼びます。
ほいほいほい。
っていうふうな話なんだけれども、このニュアンス伝わるかな?ちょっとここは正義ができないから難しいなと思っているんだけれども。
実存を固定化しない哲学
そうだね。実存とか、主観客観って今までも西洋哲学でずっと出てきてるから、特に近代の方とかと、あれなんだけれども、今回のヤスパーさんの話で言うと、
この実存って言われると、まず実存ありきみたいな感じで捉えちゃうんだけれども、このヤスパーさんの話で言うと、まず人間というものはそもそも主観客観を分けちゃうよねと。
ただそこに捉われた人間が、何らかの限界状況、自分ではコントロールできない何らかの状況にぶつかって挫折した時に、初めて自分が実存であるっていう形で目覚めるというか、気づくみたいな、そういう順番での実存
みたいなイメージって感じかな。
まさにその通り。例えばサルトルとかだとね、実存ってものがあった時に、実存は本質に先立つんだみたいな感じで、実存っていうものが先にあるとか、根っこにあるって話だったんだけれども、ヤスパーさんはそうじゃ
なくて、あくまでも人間っていう1個の生命があった時に、それが後からまさにありきだったら目覚めるだよね。
で、実存として生きていきますと。実はこれ難しいのが、これもさっき兄貴が言ってくれたんだけれども、自分は実存として生きようとかって言った時に、これはラベリングになってたじゃん。
確かに、挫折した後にさ、俺実存だって思ったとすると、自分に実存っていうラベリングをしちゃったっていう、また豪語が生まれてるというか。
そうなんだよ、習得になったんだよ、これは。
わー恐ろしい。
前回も実存主義みたいな話をした時に、ヤスパーさんはやっぱり、主義っていうのじゃなくて実存哲学なんだみたいな、そういう話をちょっとしたと思うんだけれども、
やっぱり主義とかってしちゃうと固定化されてしまう、実存というものがいいぞとかさ、みんな実存を目指そうみたいになった瞬間に、これが本当にドグマになっちゃうんだよね。
合ね。
そう、まさに合になっちゃう。
合ってるか?カレマか?カレマとドグマ何が違うんだ?
ドグマね、主義、主義。
主義、ごめんカタカナは適当にやっちゃダメだな。ドグマが主義なんだ。
ドグマは主義だね、何々イズムみたいな。
あー、なるほど。
カレマは合だね。
はいはいはい。
そう、まさに合だと思う。やっぱり自分は実存として生きるべきだとか、そういう主観客観の対立を超えて、それをより良い人生で生きるべきだみたいな話って、
全部やっぱりラベリングだし特徴付けだし、そうすると実存として生きる自分は優れているが、そうでない人間が劣っているとかってすぐにやっぱり言っちゃうじゃん。
なっちゃうね。だから全員が挫折をとか、この限界状況を経験すべきだ、みたいな風になっちゃうね。
そうそう、そうなんだよ。
あー、だからそっか、前回言ってた、ヤスパーさんは実存主義者だって呼ばれたくない、自分はただのフィロソフィー、哲学者だっていうのは、本当に心からそう思ってたんだね、今のヤスパーさん、感覚から。
自分のその主義主張を考えた時に、主義っていうものにやっぱりなり得ないっていうことがわかってるんだよね、ヤスパーさんは。
はいはい。
だからその哲学みたいな話も、やっぱり哲学的な体系を作るとかもすごく大事ではあるとは思うんだけれども、
ヤスパーさん的には、ある種哲学をすることとか、哲学し続けること、つまり実存っていうのはもう一回なってはい終わりみたいなものじゃなくて、
実存であり続けるとか、それを問い続けるとか、そういう風なことでしかある種成り立たないものなんだってことをやっぱり言ってるんだよね。
なるほどね。確かにちょっと無理矢理だけど、確かにその悟りがゴールじゃなくてスタートというかさ、その状態であり続けるみたいな感覚とちょっと近いのかもね、この実存状態と。
うんうん。それはでもほんとそうだと思う、やっぱり。
まさにこう、ちょっとやっぱ仏教っぽいのと僕も思うんだけれども、悟りもさ、自分が悟ったって思ってさ、やったやったってやったらもう全然悟ってないねみたいな話とかも同じで。
絶対そういう人悟ってないよね。やったぞ、俺悟ったぞってさ。悟りましたってさ、タスキかけて歩いてたら絶対悟ってないもんね。
そうそうそう。どうしたどうしたいってなっちゃうじゃん。やっぱりそれは立場としてやっぱおかしいよねっていうことなんだよね。
これは実存っていうちょっと硬めの言葉で言われちゃうと、実存っていうものがあるとか、実存という状態になるみたいなやっぱり思ったんだけれども、
ヤスバンさんの言葉で言う実存はそういうものではありません。もう一個ね、法発者って言葉もあって、ちょっとこれはあんま深い例しないんだけれども、
いわゆるその、見る私、主観と見られる世界という客観と言われた時に、それよりも一個手前の段階の主観と客観がある種混ざっているというか、
分かれてない領域があるんじゃないかみたいな、そういうことも言ってはいるんですよ。
へー、そうなんだ。
やっぱそっちでいくと、もうそれって認識ができないので、あるともないとも言えないし、それに関しては結構宗教とかを通じて、信仰を通じてある種も繋がっていくものというか、
そういうふうなこともヤスバンさんは言ってるんだよね。
わー、そういう表現にならざるを得ない領域があるんだね。法発者。
そうそう、法発者。全体あるでしょ。まさに法発で包んでいるものって感じだよね。
うん、そう。なので、すごく面白いのは、ヤスバンさんが手伝うことをするっていうのは、やっぱり自分が考えたことをパッケージングして伝えるってことじゃなくて、
ある種、訴えかけるというか、もちろん書いてること自体は理論生前としてはいるんだけれども、答えを作ったからこれを理解しなさいっていうよりも、それを受け取って自分事として考えていくとか、
その言葉っていうものをきちんと受け入れて、そこに対して自分を開くみたいな。ただ、これは役立って役立たないとか、合ってる合ってないとかっていうふうにやるのってもう完全なラベリングじゃん、それこそ。
そうだね。 うん。じゃなくて、やっぱり対話だよね。それを受け入れたときに、それって本当に受け入れられるんだろうかとか、なんでこの人はこんなこと言ったんだろうかとか、それが本っていうものであってもや
っぱりできる態度だと思うんで。
そういったことがやっぱり必要だよってことがヤスバンさんの哲学的なスタンスだったりするというような感じなんですよね。
おー、はいはいはい。ちょっと見えてきたね、世界観が。
実存同士の交わりと愛の戦い
結構ね、これは僕はすごく今馴染むなというか、やっぱりそういったものがいいなと思ってはいるんだけれども。そういった意味で言うとね、さっき孤立とか孤独って話をしたじゃないですか。
で、今この実存になろう、まあ、なろうというか、実存というステージもあるよって話をしたんだけれども。
でね、これ面白いのが、ある種人間っていうもので考えたときに、さっき言った通り対話をするとか触れ合うとかってことを言ったと思うんだけれども、
ヤスバンさん自身が、やっぱり人間っていうのは、この一人だけ、自分だけでは実存にはなれないんだっていうふうに言ってるんですよね。
おー、はいはいはい。
やっぱりさっき言ったような、自分は実存だとか、俺が正しいとかって言ってると、結局それってただの孤立になっちゃいますねと。
あー、確かに。
自分の主義主張を掲げて、ある種俺だけが正しいみたいな話って、やっぱり孤立なんだよね。
確かにな、俺こそが実存者だって。
そうそうそう。
確かに孤立してそうだな。
ね。
っていうふうになっちゃって、やっぱり良くないよねっていうのはあるので、そういった意味でちゃんとただと向けましょうと。
でも実はこのちゃんとっていうのがやっぱり難しくて、じゃあ別に悪くないんだけれども、なんだろうな、じゃあすごい毎日飲み会に行ってますとかさ、毎日いろんな交流会行ってますっていうことが実存的なものか
っていうと、そうではなかったりする?
うんうんうん。
これなぜかっていうと、さっき言ったら主客分裂っていうのはまず大前提にあるので、この態度で触れ合ってると、結局は他人っていうものと自分っていうものは、やっぱりその実存以前の存在なんだよね。
結局飲み会行って話聞いて面白い話、いろいろ楽しい話ができたっていうのも、結局は自分の話を聞いてくれる相手とか、自分にとって面白い心地良い話をしてくれる相手みたいな感じで、どこかで価値判断が入ってしま
ってたりしませんかねと。
うんうんうん。
交流会とかもこの人と付き合ってると役立つとか自分にとってメリットがあるみたいな話でいくと、その人そのものと向き合ってるっていうよりはその人とつながるメリットデメリットで判断してると思うんですよ。
だった時にこれは客体として、いわゆる相手を対象として操作していることと変わりありませんねと。
あるんだけれども、もし自分がそういった限界状況にぶち当たって実存っていうのをちょっと感じたとすると、なるほどと自分も実存になりましたってことは相手その目の前にいる、やっぱり人間ちょっと人間中心主義っぽ
いとか正直あるんだけれども、
目の前にいる人間も実存なんだよねと。っていう風に相手をちゃんと認められるようになるんだってことをヤスパワさんは言うんですよね。
はいはいはい。
うん。なるとこの実存と実存が関わるっていうことができるようになって、これ要はちょっと面白い言葉なんだけれども、愛しながらの戦いとか、もっと言うと愛の戦いみたいなそういう風な言葉で表現するんですよね。
おー面白い表現だね。
そうそうそう。なんか感じる?愛と戦いみたいな向き合った時に。
分かんない。今の表現から自分が感じたのは、まず自分が実存、ステージってあえて言うけど、実存状態に入っている場合、誰かと交流する時に自分が実存状態に入ったら、もう多分周りは全部実存に見えるはずなんだ
よね。
そして捉えるはずなんだけど、目の前にいる誰かが実存なんだけど、その人自身だよね。相手自身が自分を実存だと分かってるか分かってないかは分かんないんだよね。
はいはいはい、そうだねそうだね。
っていうことがあって面白いなと思って。だからこっちは相手も実存として尊重しながらコミュニケーションしてるんだけど、相手は自分が実存以前の人間として、その主観から振る舞ってくると。
ただその主観から振る舞ってくるっていうことも含めてこっちは相手も実存としてくるんでちゃんと見れるから、そこで相手に対して主観と主観がぶつかるのと違う形で実存と主観の人がぶつかると、
結構多分、ちゃんと受け流すとか受け流すとか、もしくはその相手の主張の裏に隠れた相手の実存みたいなところに、相手が気づいてない相手の実存にこっちは気づくことができるので、
それを相手に伝えようとするとか、もしくは伝えないとかも含めて、かなり実存側がすごく気持ちとか愛を込めて接することになる。
その愛が優しさなのか厳しさなのかは相手によって取れ方は違うと思うんだけど、そこのコミュニケーションのレイヤーが多分変わってくるだろうなっていう面白さは感じたかな。
おー、さすがですねって思わなけれども、本当に言ってくれた通りだなと思うのが、例えば、自分が実存になりました。さっきの通り、お前まだ実存がねえじゃんとかっていうふうに思いたくなる人もいたとすると、
それは実存じゃないんだよね。
なぜかっていうと、相手が実存かどうかっていうのは相手では決まらない。決まらないというか、すでに全員本当は実存なんですよ。
でもそれをラベリングして価値付けて、その人はこういう奴は実存ではないっていうのは自分だから、その世界の見方を知る時点でやっぱり実存レイヤーではないんだよね。
確かにそうだよね。こいつは実存、あいつは違うとかってラベリングしてる人は実存わかってないよねっていうね。まだわかってないっていう。
実存って言うと固いけれども、要はある種、これはアーレンとパラの繋がるんだけど、もっと言うとヤスパーさんの方が先輩か師匠だから、こっちは根っこっていう部分もあるんだけれども、
平たい言葉で言うとかけがえのない存在とか、交代できない人として相手を捉えるっていうことが実存的な交わりみたいなものだから、
これって自分の態度なんですよね。相手がそんなことないです、自分なんてトルに足りない人間で大したことないんですって言ったとしても、
いやいや、あなたは本当にかけがえない一人の存在としてこの世に生きているんですよ、生まれてきたんですよって言うことはできる。
それが厳しく聞こえるのか優しく聞こえるのか相手次第なんだよね。ただそこに愛を込めることは自分の側というか、こっちはできるっていう話があります。
でもやっぱり戦いっていうことなので、これはやっぱり楽ではないっていう話やっぱりするんですよ。
つまり、一般の慰め合いでもない。要は相手がそうやっていじけてるときに、いやいや、あなたは大丈夫、私が愛してるとかって言うと、ちょっとやっぱり強依存っぽくなっちゃうじゃん。
そうじゃなくて、相手は相手で、そうやって言ってくれる言葉はどういう意図なのかとか、そうやって向き合ってくれる相手の存在とは何なのかっていう、やっぱりそこに真剣に向き合わないと、
どれだけ逆にこっち側が相手を実存だというふうに認めていたとしても、相手はやっぱりその実存以前の自覚分離の世界でしかた生きられないというふうになるんだよね。
そうだね。もし限界状況になりづらいから、その状況だと相手がわかってくれるとも限らないっていうね。
そうなんだよね。それをじゃあ、ぶち破って限界状況に、押し込みなのが本当にいいかどうかってことはもちろんわからないから、
それをやっちゃうと、そうそう、結局は俺の実存世界に来いみたいになっちゃうじゃん。
そう、限界状況で作るものなんだってみたいなね。押し込むものなんだってみたいな。
っていうふうになっちゃうから、やっぱりここがすごく難しい。さっき言った、やっぱり正解はこれっていうのがあれば綺麗だしわかりやすいんだけれども、
それは絶対にないというか、それは構造上無理なんだよね。
ただ、やっぱりそれを、なんだろうな、相手を打ちのめしてやるとか、何か困難に脅し入れてやろうってことじゃなくて、
このお互いの関わりの中で、やっぱり一緒に、なんだろうな、違う世界って言われるんだけれども、
やっぱりこの資格分離っていう人間の根源的な特徴だよね。これをちゃんと理解してそれを乗り越えていく。
そうすることによって、より世界を正しく捉えようとか、自分という存在を正しく捉えようっていう、
そこまでは行けるよねっていうような感覚が、ヤスパーさんが伝えてくるんじゃないかなっていうふうに思うんだよね。
いやー、そうはね、すごく難しいけれども可能性はあるなと思ってて、
自分が主観人間として、たぶん立存人間っぽい人と関わったっていう経験があるからだと思うんだけど、
相手の言うこと、ほんとわかんないんだよね。
言ってたよね。何言ってるかわかんないって言ってたもんね。
わかんないから、主観人間側にとっては、相手が愛を持ってるのか厳しさを持ってるか知らないけど、
実存人間からのシグナルというかコミュニケーションって、全部エラーなんだよね。
なるほどね。
エラーに対してどう反応するかみたいなところではあるのかなとは思ったね。
そのエラーって何なんだろうって食らいつくっていうとあれだけど、検証しようとするのか、
こいつよくわかんないからってラベリングして、主観人間のままその人から離れるのかみたいな。
そういうのはある気がする。ほんとエラーにしかなんないと思うんだよね。怖いと思う、主観人間からしたら。
そうだね。何言ってんだってなるもんだ。
その辺は今やっぱり自分が視覚分離を超えて実存をある種目指すみたいな話をしてるけれども、
雑談とかで受け取った側の兄貴としての話かも聞きたいな、それは。
ほうほうほう。今度雑談、ヤスパーさん編終わったなとか。
そうそうそう。みたいなところもあります。
ヤスパースとハイデガー
今の話をしたところでいくと、ただしそういった理想的っていうか素敵な関係性を紡いでいきましょうと、
ちょっとお花畑というかね、そういう感じが聞こえてしまうと思うんだけれども、
やっぱりこれはヤスパーさん自身が両方経験してるんですよね。
両方っていうのは、そういった開いた対話を行うことによってお互いに良い関係になった。
これがアーレントさんとのやり取りで、また次回取り上げるんだけれども、
逆に上手くいかなかったというか、そういった相手との実存的な交わりができなかったケースがあるんですよ。
これが何かっていうと、ハイデガーとの関係なんだよね。
いやー、どっちも哲学者なんだ。
そうなんですよ。これが本当にすごいなって思うんだけれども、
ハイデガーさんとはある種ずっとドイツで過ごしていて、お互い一流の哲学者としても交流もあったわけなんだけれども、
前回もちょっと言った通り、もともとはお互いを対話相手として語り合うのもそうだし、
読みとかやり取りとかもしてるんだけれども、
ナチスの政権を握ったときに、ハイデガーさんはある種公にナチスを支持するんだよね。
これは前回も言った、ヤスパーさんって奥さんがユダヤ人なわけで、
当然ナチスを支持するっていうことは、自分の友人であるヤスパーさんにとって立場が悪くなるっていう、
そういうことがわからないわけがないんですよ。
でもそういうことをやって、修正まで向かえるわけなんだよね。
で、ヤスパーさんも本当にギリギリ、水道場に送られるかどうかみたいな、ギリギリのところで生きてたって話をしたと思うんだけれども、
その終戦後に、なんでハイデガーはそういうふうにナチスを支持したのか、
どういうことを考えたのかっていうのを、ある種問い正そうというか、聞きたいわけですよ、ヤスパーさんからすると。
実音的な立場からちゃんとそこは対話したかったのね。
ある種、批判するとか詰めるとかじゃなくて、何を考えているのか知りたい。
で、もう一回ちゃんと交流しようというふうになるんだけれども、それをハイデガーはある種できなかったんですよね。
へー、そうなんだ。
ヤスパーさんに対してもそうだし、ある種公に対しても、自分がなぜナチスに課談したのかとか、それに対してどう考えているのかということをほとんど語らなかったんですよ、終戦後。
で、それが近代に乗って黒いノートっていう、結構ナチスのことを支持もしてるし批判もしてるみたいな生々しい手記が出てきて、これ40冊とかあったらしいんだけど。
ハイデガーの?
ハイデガーの手記。
めっちゃ考えてるじゃん、ハイデガー。
そうなんだよね。これハイデガーやりますって何度も言ってるけれども、やっぱりこれはちょっと今の僕の見え方だけれども、
ハイデガーさんはどこまで行っても、ある種の刑事上学的らしい刑事学を乗り越えようとしても手伝く者なんですよ。
なので、一言で言うと、終戦して、敗戦国と勝戦国に分かれて、これで一個区切りがついたってほとんどの人は思ってるわけじゃないですか。
戦争が終わって次の時代だって考えるんだけれども、どうやらハイデガーは結局、勝戦国も敗戦国もメタで見ると同じことをやってるから、勝っても負けても何も変わってないんだって、そういう立ち位置で物事を見たら
しいんだよね。
やっぱもうただの主観人間じゃないですよ、そりゃあって感じだね、ハイデガーさん。
そうだね。ただ、そういうメタで引いて世界を捉えるってこともかっこいいと思うし素敵だと思うんだけれども、
でも自分のそういった発言によって、友人とか親友の奥さんが殺されるかもしれないみたいなさ、
そこに目が向かないのは人としてどう思うわけかね。
マッドサイエンティスト感があるね。マッドフィロソファーだね。
マッドフィロソファーだね。そう。
やっぱりヤスパーさんは思うわけですよ。ある種ハイデガーの失落とか体系失踪はすごいと。
やっぱそれに囚われて、例えばそれを批判を受け付けられないとか、それを解体して自分の理論っていうのは現実とちょっとずれてたっていうふうに修正できないとすると、
やっぱそれはどう考えてもおかしい。
マッドだね。そうね。禁断の実験に手を染めてる感じするよね。
それ以上は危ないとか、その物質はとかさ、人の命を何だと思ってるんだみたいなところを全部消してやっちゃってる感じするよね。
いやー、ほんとそうなんだよな。だからこれをどう捉えるかとか、逆に言うとそこに対して、でもそれを人それぞれじゃんって言ったらもうおしまいなわけよ。
それでさ、本当に自分だったりとか大事な人とか、あるいはユダヤ人っていう所属っていうものがやっぱり被害を受けていた、実際に。
そういう人もいるよね。マッドサイエンティストとか自分のことを追求した結果、近々に手を染める人もいるよね。やっぱ済ませられないわけよね。
いやー、ハイレガーの場合さ、全然知らないんだけどさ、そんぐらいの社会的立場もあったって感じなのか、発言の重みみたいな。
大学の総長だからね、ドイツの。
そっか、大学、そっか、そんな偉かったのか。
めちゃめちゃ偉かったし、哲学界の当時から巨匠だから、ある種そういった名声があるので、大学教授の人とかも、ハイレガーの総長になったら、いっぺんそうなっていくと上手くやってくるだろうとか、
ちゃんと学問的自由とかを守って、そういうより開かれた社会ってものを、もうちょっと守ってくれるだろうって思ってたらしいんだよね。
でも蓋を開けてみたら、もうナシスを総長になってから、公然と指示して、むしろそれがいいんだみたいにして、学生とかにもそういう人を植え付けていくみたいになっちゃって、
そうそう、やべえやべえってなったんだよね。
周りの教授たちも、えーってなった。人もいたっていうね。
そうなんだ、だいぶ恐ろしいね。そっか、人里離れたところでマットサイエンティストをしてくれてる分にはまあまあだけど、恐ろしいね、筋力も持っちゃうとね。
そうなんだよね。というのがあるので、ちょっとこの辺はね、僕もまだ聞いかじりというか、ヤスパーさん読みながら一緒に調べてたぐらいなので、
もうちょっとね、たぶん次の次か。次、風光やろうと思って、その次、ハイデガーやろうと思ってるんだけれども、
その時にね、また戻って、ちょっとその辺りの話も深くお伝えできたらと思ってます、というふうな感じです。
はいはい。わー、なんかあの、哲学とその辺の人間模様じゃないけどさ、なんかすごいドラマになってきたね、なんかね。
人と社会をどうつなぐか
いやーでもほんとそうなんだよね。だからやっぱり哲学ってもちろん思想だしさ、難しいことかもしれないけれども、やっぱり結局は人がどう生きるかだからさ、すべては。
ヤスパーさんの場合でいうと、前回って精神回答して、やっぱりキャリアをスタートして、やっぱり目の前に向き合っている時に、やっぱりそのね、今日言った主観客観の分離とか、
科学的な態度、もっと言うと人をやっぱりラベリングして、独占づけしていくことでやっぱり絶対にわかんないんだっていう、それとも確信があるわけなんだよね。
でもそれをただやっぱり医療としてやるんじゃなくて、じゃあなんでそれが起きるのかとか、そこに対してどういうふうに向き合えばいいのかっていうのをやっぱり哲学していった。
で、実際にそれをただ哲学っていう学問だけじゃなくて、今日のハイレーガーと対話ができなかったとか、次回話すだけでアーレントさんと対話ができたとか、
そういうことを通じて、ある種自分の実践として生きていくっていうような感じなんだよね。
なのでやっぱり社会の話だと次ぐらいにしていくんだけれども、やっぱり一人一人のラベルとか属性が全部消え去って、ただ機会ある種交換可能な機会になるのもやっぱり違うし、
でも個人の自由だとか主観だって言って、人それぞれだからそこには介入できませんって言うのもやっぱり違うし、
やっぱりどうにかして人と人がつながりながら、より良い社会、良いっていうのは難しいんだけれども、
やっぱり少なくとも限られない存在として相手を認めるし、自分を認めてもらうっていう、そういったつながりの中で作られていく社会。
これを目指していくっていうこと自体は悪くないはずだっていうような、そういったことを安川さんは考えていきますっていうようなところなんだよね。
いやー、なるほどだし、ちょっと戻ると、さっきハエトが言ってた実存は愛だとか戦いだみたいなのがあったじゃん。なんだっけ、どういう表現?
愛の戦いとか愛しながらの戦いかな。
ああ、愛しながらの戦いか。今の話を聞くと、ハイデガーが主観人間で、ヤスパースが実存人間だったから交わらなかったんじゃなくて、
とんでもない実存人間2人が、その実存同士がやり合ったことで、どうしても折り合わないってこともそれはあるよねっていうのも、そこが戦いみたいな感じなのかな。
ここはちょっと難しくて、ハイデガーは今日の話で言うと実存ではないんだよね。
ではないんだ。そうなんだ。
うん。
そうか。
やっぱり自分の作った世界とか概念っていうものを世界で当てはめようとするとか、やっぱりその世界というのはこれが正しいはず、正しいする方だから、こうなってるのは現実の方がおかしいみたいな。
やっぱりそういった発想は多分ハイデガーにはあるんだよね。
なるほどねー。そっかそっか。
逆にもしかしたらハイデガーからしたヤスパーは現実にある種負けた、妥協した哲学者っていうふうに言うかもしれないし。
これ、ほんとドラマになるね、この2人。
いやー、ほんとそうだね。
へー。
確かにありそうだもんな、もうすでに。
ね。
そう、っていうぐらいなので、やっぱり当時のドイツのこういった極限状態という中で、確かにそうだよね、その体制派に就いたハイデガーとある種その体制が敷いてあげられる側になったヤスパーみたいなさ、なんか
もうすごい確かにドラマチックっていうにはあまりにも苦しい状況だけれども、だなーというのは思います。
はい、なので、そういったハイデガーの話もしたけれども、やっぱり今日お伝えしたかったことは、ある種実存でもいいですし、悟りって言ってもいいんだけれども、やっぱりそういったある種、人と向き合ってるという
か、そういう状態ではあると。
あるんだけど、その根底にはやっぱり主観と客観というのはどうしてもあって、それはもう拭いきれない人間のマルシモの特性なんだっていう。ここはやっぱりカントとか、そういった認識が引き継いだもののはずなんだ
ろうね。
それはベースにしながら、やっぱりどういうふうに生きていくのか、どういうふうに社会を作っていくのかっていうふうに考えるのが、ヤスパーさんの哲学的な原点というか、足場ですよっていうことを今日お伝えした
かったですというような感じですね。
はいはい、わー面白かったね。
結構盛りだくさんだけどどうでした?
盛りだくさんだけど、でも繋がってるもんね、ちゃんとね。人間とはそういうもので限界状況に行くと実存的なところが目覚めるというか、ステージに行くこともあるよみたいな。
で、その状態で人と交わるとはどういうことかみたいなさ。すごい面白かったね。
あー良かった。本当にやっぱりこれは現代でもというか、むしろ現代だからこそ必要なテーマだなと思ったりするので、この辺りも深めていきたいんですけれども。
次回はですね、アーレントさんにも一回登場してもらって、このヤスパーさんとアーレントさんがどういうやり取りをしたのかっていうところを、ちょっとこれもドラマチックであるんだけれどもお伝えしたいと思って
ます。
ちょっと哲学的な話っていうよりは、やっぱり人と人がどう繋がるのかとか、ある種指定関係みたいな話で言われる、この二人っていうのが実際どういうふうなやり取りをしてたのかっていう所感とかがある種残ってる
ので、そういった話はお伝えしていこうと思っておりますという感じですね。
はいはい、わかりました。次回ですね、このヤスパーさんとアーレントさんの話ですね。見ていくというところで楽しみにしていきたいと思います。
では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
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