メタ認知と具体・抽象の役割
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。このシゴクリラジオはパーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が仕事作りに関して話をしていく番組となっています。
番組はSpotify、YouTubeでも聞くことができます。お好きなプラットフォームで聞いてみてください。 今回のテーマはですね、
具体と抽象という話をずっとしていますが、そもそもですね、
客観視とかメタ認知みたいな言葉が近いんですけれど、
それって何なんですかと。あとですね、ものすごくこれ言い方によっては良くないんですけど、
それができたら何になるの?みたいな話になっていて、結局ですね、
先回のシザー上げるにゃみたいな、意識高いみたいな、
一般的に意識高いっていう話になると思いますが、その意識がどうとかじゃなくて、
そうしたいんですか?みたいな話をされると、
メタ認知できなくても別にね、生きてていいしというか、言い方悪いですけど、
別に生きられますからね、というのはわかります? ただ、より社会とか人とか、物事を理解したり研究だったり、自分で何か、
作品作ったりとかですよね。 それをクリエイティブと言ってもいいと思うんですが、想像的なことをやろうとするときに、
途端にですね、そういうものがないと多分良くならない。
前回話したときに木下さんというね、地頭力が、ごめんなさい、地頭スイッチをかかれた木下克司さんは、
地頭というのは上達という言葉に連動し、連動というか対応し、地頭は成長と言ってましたけど、
言われてますが、どちらも必要だと思うんですよね。 どっちかだけでいいわけじゃない。だから何か暗記して覚えて知識があったら、何かできますか?って言ったら、
知識っていうのがある種の情報だとしたときに、その目の前の実践のときに結びつかなければ、正直役立たないんですよね。
役立たせるためにそれらが、知識が生きた知識とか、知恵みたいなふうに変換していくには、
考えなきゃいけないんですよね。そのときに地頭とか成長というのは、必要なんじゃないかなと思っているわけです。
で、そのときにまさに、具体とか抽象とか認知、もしくはメタ認知、今どういう状況なんだろうねっていうふうに、
捉え直すことができますか?という話なんですよね。 で、それが多分あんまり得意不得意はあると思いますが、
やっぱり練習というか、やれてないとできないですね。
で、能力値とかも正直どうでもよいんですが、やろうとしていますか?
で、それがどこまで紐づきましたか?できますか?というだけかなと。
もうお話終わっちゃってるんですけど、そんな話です。
で、なんでそんな話してるかというとですね、
例えばAIとか、AIじゃなくてもいいんですけど、インターネットで検索したりすればわかりますよみたいな。
辞書すればわかりますよみたいな、あるとするじゃないですか、言葉とかで。
いや、いいんですけど、遅いんですよね、ぶっちゃけて。
全部調べてたら時間かかりません?で、あと調べたらわかればいいんですけど、調べてもわからないことってありません?
で、例えば僕がしゃべっている話がよくわかんないみたいな方がいらっしゃると思うんですよね。
この人なんでメタ認知とか、認識みたいな具体とか抽象とか何言ってんだろうねっていうね、思うんですよ。
中国フリーゲーで結構聞かれている方はいつもの話かって思われているかもしれないんで、まあ嬉しい限りですが、そうじゃない人もいらっしゃると思うんですよ。
初めて聞く方もいらっしゃる。それを想定しつつも、そういう時に、
何だろうな、僕は必要だと思っているっていう話ですよね。まずそのメタ認知。
で、特に企画もそうですし、何かを考えるってことをする。何かを生み出す時には必須だと思うんですよ。
むしろそのメタ認知しかないんじゃないかぐらいまでいく。もちろんですね、メタ認知してよ、はい、把握したぜ、やったぜって言ってもしょうがないので、実践したり何かやらなきゃいけないわけです。
これはですね、ないと思うんですけど、極端なケースで振り返りをしすぎて進んでないみたいなのがあるんですが、ないですね、ほとんど。見たことないですね、そういう人。
そういう人って、僕も振り返って、やりすぎると何も進んでない、自分がやってないってことになるんでわかるんですけど、やらなさすぎる人が多いわけですよ、振り返らない人。
振り返らないってかっこいいのかかっこ悪いのかよくわかんないんですけど、それはメタ認知ができてないだけなのか、もちろんそれをやったところで何か意味がないと思っているのかわかりませんが、
結局、人の成長、上達でもいいんですが、何度も繰り返して、もしくは何度も重ねて、気づいて、こういうことになるんだねっていう具体を重ねて抽象化するということですよね。
ということに気づくことしか、僕は成長はできないんじゃないかなって思ってます。断言してもいいんじゃないかな。
伝わり方を調整し、失敗できる場を作る
要は僕は人間ですから、AIみたいなふうな知識、確率で喋ってるわけじゃないんですよ。想定したりすることはいいんだけど、そんな確率理論で言ってなくて、
ただ当て勘ということでどういうことが選択肢で考えられるかはもちろん話なのね、言ってますけど、そういうメタ認知とか認知するってところがものすごく大事かなっていう話です。
もうちょっと話を変えますと、例えば会話をします、話をします、コミュニケーションをしますというときに、リスナーのあなたがどういうふうに話されているかわかりませんが、
例えば話をしたときに何か通じてないなって思うことありませんか。もしくはロスが激しい、いったことが半分伝わってないみたいな。
そういうこともあるんでしょうけど、そういうときこそまさに調整して、説明の仕方を変えますとか、伝える順番を変えますとか、そういういろんな表現があっていいんじゃないかなと思ってるんですよ。
だけどここでまさにメタ認知、客観視で、自分が言っていることがこういうことです、それを相手はどういうふうに捉えているんだろうかみたいな話。
もしくは自分もわかってないよねとか、自分の言い方悪いよねとか、自分の心分の伝え方はよかったねみたいな。そういう話もなってきたりすると思うんですよ。
ここが非常にフワッとしているかもしれませんが、少なくとも僕が誰かに話をするときに、このポッドキャストもそうですが、
自分が言っていることは正しいとか、自分の言っている考えが合っているみたいなことは思ったことはないですね。
合っているんじゃなくてそういう考え方ですよっていうことです。これは一貫してるんじゃないですか。ずっと喋ってます、そんな風に。
だから人によってはそういう喋り方が気に入らない人もいるんですよ、決めてくれみたいな。それはわかるんですよ、なんとなく。
だけどそれ決めてくれば待ってるわけじゃないですか、相手が正しいみたいな。それは何か正しさみたいなのが見えたらそこについていこうという考え方だから、
僕は単的にものすごく嫌いなんですよ、そういう考え方。いいですよ、その人が本当に自分がいいなと思ってやるんだったらいいんですけど、
その後もしくは前後、口が渇かぬうちに、舌が渇かぬうちか、なんか変な言葉出てきましたけど、あると思います。舌が渇かぬうちってあったんですけど、
それが言う終わり前にもうあなたが言ったんでそうしましたみたいな。だから要は自分で責任を取らないみたいな感じです。
で、責任って言うとちょっと話が違ってくるかもしれないですけど、いわゆるここで言っているのはリスクですね。
自分がやったっていうことを言うことで、自分がそれを受け付けるんだと。もちろんその責任というのは、何かミスったら仕事だったらクビだとかね、
何でしたっけ、もうないと思いますけど、学校とか小学校とかで、中学校?わかんないですけど、校庭走ってこいみたいなものすごい古い話ですよ。
罰みたいな、大罰みたいな話ですけどね。
謝りましたね、僕が小学生だって。そんなにやらせるんじゃないって。大揉めにもめためましたけど。
まあまあ置いておきましょう。そういう時に、うまくいけませんでしたことに対して責任を取れっていうのはほとんどないんじゃないですか。
責任っていうのはちょっとおかしいですよね。失敗した時に恥ずかしいとか、うまく知らないんだねっていうことじゃないですか。
それをここのね、しごくりというか僕が言ってますけど、恥ずかしがったり、バカにするっていうのが一番ダメだと思います。
僕がですね、そういうのをせせら笑いですよ。嘲笑、嘲笑です。合ってますね。
なんか、うわダッサーみたいな風に言って、なんかよくないねって言ってます?っていう話なんですけど、言ってないはずなんですよ。
はず。そうなってたらいかんですからね。
それはですね、まあだいぶ話は戻りますが、小学生の時に大西というか素晴らしい先生がいらっしゃいまして、教室は間違えるところだっていうことを言われたんですよ。
これあれですよ。ドラマでも何もないですよ。現実ですよ。そういう先生いるんだなって改めて思いますが、
そういう先生であるかがガチャになっているからまずい。学校の先生気づいたらすいませんが。
だからですね、そうじゃない先生が多くて嫌なんですよね。
教えることとか先生役みたいなのがあってもいいと思いますけど、僕は。
先生という仕事がどうしてもそういうのがあるんで、そんな方ばっかりじゃないと思いますけど、素晴らしい先生もいらっしゃると思いますが。
これは置いておきましょう。
間違えていいんですよ。失敗していいんですよ。というふうにしていかないと、心理的安全ってことは最近死後になってませんか。大丈夫ですかねと思うんですけど、
言えないです。やらないですよ。どんな人も。僕も嫌ですからね。
というふうに意味で、僕が企画する場を運営するとか考えるなら絶対って言ったらおかしいんですけど、基本的にそういう風になりますよね。
言える場がいいよねっていう風になりますし、そういう風にしようとします。
それがものすごく難しければしょうがないかなと思いますが、基本的にそうしたい。自分がやるなら。
自分が企画するとかイベントするとかそういう時もそうですよね。
アプリ作るでもいいし、ゲーム作るでもなんでもいいですけど、クリエイティブなことというか文章作るでもいいけど、
自分が言ってることが正しいのである、自分がやってることが最高だ、完璧だみたいなのは、僕はそう思わないので、それが出ちゃうと言った方がいいかなと思ってます。
わかります?
くどいですが、これもメタ認知というか、弾いてみたらそういう風に決めきらないのがダメなんですよねとか、言い切ってないから良くないんですよねとか、
そういう人もいると思うんですよ、多分ね。
なんかヌルいとかね。それは僕は言われたことないですけど、言わせておけばいいっていうぐらいですよ、本当に。
別に言われてないですよ。だからそういうのって出ちゃうから、普段からやってないとできないよねっていう話。
だいぶ前の話ですけど、友人がそんなこと言ってましたね。会議とかもそうだけど、資料を作って用意する時も、
普段に考えていなかったり、もしくはそこに参加する人が考えていなかったらできないです。
だから、具体的に抽象でメタ認知がどうとか言ってますけど、普段からやっていないとできないです。
だからやりましょうっていう話ですが、別にメタ認知をしないと生きていけないという話ではないわけですよ、絶対に。
それは言い過ぎです。だけど、それをやれば磨いたりすれば、人が言ってることがどこで詰まってたりとか、
自分の説明がどこが良くないだとか、作った作品が何かいけてないとか、どことかにめちゃくちゃ繋がると思ってるんですね。
企画するとかもそうだし、アイデア出すとかもそうですし、僕の中ではものすごく一貫してて。
というのが、どこまで今回の話で伝わっているかは非常に疑問なんですけど、
でもこういうことは言っていった方がいいかなと思ってまして、そんな話をしています。
AI時代の効率化と自分で考える時間
だから、ちょっと散らかりましたけど、メタ認知とか、認知して今具体的なことを言っている、もしくは抽象的なことを言っている、
抽象的なことがダメなわけじゃないですよ。具体的なことが良いというわけじゃないですよ。
要は具体的な実践を自らやらなければ成長というか得られることはないです。
知識がダメとかじゃなくて、知識も得ていかないとダメですよね。
だけどクソ暗記みたいな、暗記していけるなんてことってほぼないので、やりながら覚えていって学んでいくしかないですよね。
そういう人間の学習ってめちゃくちゃ時間かかるので、AIがあったからやる必要ないですみたいな、
AIによってアウトプットができるところは評価できるんですが、人間が学習をやめていい理由にならないんですよ、きっと、多分。
これはですね、なんとなくAIを使って効率化の方に流れる人にはよくわからない話になっちゃう。
効率化ってなんで効率化するの?みたいな。
何でしたっけ、中国の話かわかりませんが、鶴部だったかな。
井戸で水を使わないみたいな話があって、水を汲みに行くの大変じゃないですか。
結局そういう便利なものを使ったら、それで効率化されていっぱいやりますって言うんだけど、
どんどん価格とかもそうですけど、リニアモーターカーとかもそうじゃないですか。
個人的にはいるって感じですけど、本当に。
そこまでねって。
例えばコーヒー、ドリップコーヒーってことで豆があるんで、豆をひいて粉にしてそれをフィルターというか入れるんですけど、
だいたい5分もあれば入れるわけですよ。お湯沸かす時間があったらちょっと入れないですけど、お湯が沸いててね。
その5分がめんどくさいから、ドリップコーヒーバッグというのを市販で売ってて、もしくは自分で豆だしを作って、それを使えばもっと短縮できますよね、ひく時間とか。
だけど入れる時間ってさすがにそんなに短くできなくて、入れ方によっては雑に入れたら2,3分でもうちょっと刺さっていけるかもしれないけど、
雑に入れなくてもいいか。ドリップバッグとかでもやっぱり時間をかけないとおいしくできなかったり、適切な時間があるんで。
1分から5分とかかかるんですよ、きっと。それをもっと劇的に短くして、1分だとか3分だとか30秒だとか。
インスタントコーヒーとか分かりやすいですよね。粉入れて湯入れたら溶けるっていう。
別にインスタントコーヒーを飲んでる人がダメだってことは思わないし、別に僕も飲みますから否定しないんですけど、やっぱり一手間かけたいよねって思うわけですよ。
で、ここでインスタントかドリップか派みたいにして、スーモとかがやってるチンタか、分状、粉入派かみたいなのがありますけど、
どっちかが良い悪いとかじゃないんですよね。で、考え方としてインスタントですぐ飲みたい、時間がないときに飲むっていうのは良いですよね。
一方でドリップで時間をかけて飲むっていうのも良いわけですよ。
だけど、一つだけ僕が言いたいのは、ドリップバッグ使おうがドリップで何かやろうが、たかが5分というか。
で、その間にちょっと考えたり、休憩して時間が取って自分の時間になったりするんですよ。
僕それすごく好きで。そういうの大事じゃないですかっていう。
そういうの全部切っていってどんどん効率化していって。
で、AIで効率化した仕事を効率化してなったら、何が起こるんですかっていう。
これは言葉が通じるかわかりませんが、リスナーの中でも。
豊かっていうのはそういう自分の時間を取ったり、自分の時間で考えたり、自分で気づいたりとか、
そういうものを言うんじゃなかったんでしたっけっていうのは、効率化ばかりやってる人に対するツッコミなんですよ。
で、これはですね、このツッコミをAIで効率化する人たちとか、AIで効率化してますみたいな人は、
たぶんそんなに得意じゃなくて、そこで大体議論には成り立たないような気がします。
もちろん何度も言ってますけど、コンビニしかり、カップラーメンみたいなインスタントのものを否定しないし、
それは僕も食べますから別にいいと思ってるんですよ。
だけど、そればかりじゃないよね。それはやっぱりメインじゃないよねっていう感覚がどうしてもあります。
じゃないと効率的なことばかりやってて、細くなっていくんですね、自分の感覚が。
まさにそれがAIとのやりとりだけしかしてないと、人間との会話の仕方も忘れてしまったり、
くどいですけど人間社会なんで、AI社会じゃないんですよね。
話が脱線はしてないはず。
そういうところで成長するとか大事だし、他人知大事だし、どんどんやっていったほうがいいんじゃないですかねっていう話です。
それが本当にシンプルでやってなければ、説明ができないのではないかな。
今の現状だからね、木下さんのジアトムスイッチの話しましたけど、
木下浄土の法則ってあって、目的、現状、条件って言ってますけど、現状っていうのが説明できない。
あと目的が把握できない。
その中小度っていう、資産の話をしましたけど、どういうところまで見るかっていう。
こんなことは言わなくていいんですけど、自分が生きる意味は何か、世界を平穏にするためですっていうことを言ってもいいわけですよ。
僕はさすがにそうは思わないですけど、そのために何をやるんですか。
何やってるんですかって言ったときに、こういう理由で服作ってますとか、
服作って平和というか、おしゃれしている人を支えてますって。
別にそれいいじゃないですか。いいじゃないですかっていうか、分かんないですよ。
そういう考え方の人いるか分かんないけど。
その人がそれで繋がってるよねと思ったら、その生き方でいいんじゃないですかねって僕は思ってるんですよ、本当に。
考えながら続けることと汎用スキル
今のは例ですよ、適当ですよ。
そんな人結構いるというか、出てきてると思うんですよね、そういう人がね。
だから僕もそういう端っくれというか、一人にはなっていきたいし、なっているのかなとは分かんないですよ。
ふわっとしてますけど、考えて生きているっていう感じです。
たまに言いますけど、このポッドキャストで僕みたいな人がいて、生きてて話してていいんだっていう、安心していただくってことと、ちょっと疲れてる人はね。
ちょっと疲れてなくて、もうちょっとやりたいなって思ってる、ちょっと気持ちが入った人は、もっと自分に良くも悪くも自信を持ってあげて、
自分にオッケー出してあげて、イエスしてあげてね、押してあげるといいんじゃないかなと思います。
だから自分がやろうとしていることっていうのは、それがどんな拙いアイディアでも、知識やレベルが低くてもね、成長とかね。
初めてでもね、いや初めてでいいんですよ。
それをやっていくことが大事なんです。ほとんどの社会でやれなかったりする、そういうところでやめようと思っちゃったりする、もしくは続けて諦めちゃう。
ほとんどの人っていうのは言い方が良くないんですけど、やめちゃう人もいるから、じゃあAやったらBやったらCやったらやめたらやめたらやめたらって、それでどんどん続けてX、Z、アルファベット26。
わかんないですけど、それでなんかこういうものをやっていったらいいんじゃないのかなって、片鱗さえ見えれば、もうそれでボロ儲けですよ。
本当に。気づかないっていうのがありますから。そういうふうに見えるのが成長なんですよね、きっとね。
それは人がやって、人が成功事例がとか、人がやったことを真似してすぐに得られるものではまずない。
人がやったものを真似しても、自分で神経で考えないとダメなんで、虚しさが残るはず、正しい認知だったら、って思いますけどそこはね。
人の真似して何かやるっていうのも、正しいとかあんまり言わないほうがいいか。まあいいですけど。
そんな感じです。というわけで、メタ認知しましょうみたいな謎の回でした。
あとですね、僕は思ってるのはそういうのが得意な人が周りにいない可能性がある。もしくはそういう会話ができなかったり、
僕が感じているのは、そうやって整理したり整頓してくれて話しやすいですということには、僕はなるわけです。僕が話を聞くと。
そういう人を見つけて、そういう人がどういうふうに喋ったりどういうふうにやってるかを研究されるといいんでしょうね、きっとね。
そういうスキルのことをメタ認知もそうですけど、汎用スキルみたいなふうに僕は呼んでて、ポータブルスキルっていうふうに言ってます。
要はこれは力として明確にできるできないはあって、それがあると、よく専門性とかって言いますけど、
特定の業界で特定の知識を持っている人がいいとか、業界でずっといるっていうのがいいみたいな感じはしますけど、
いやいやいや、そうじゃなくて、それもいいんですけど専門性があるって言うのもいいんですけど、
その持ち運べるポータブルのスキルがないと発動しないわけですよ、スキルが。
分かります?
どのような状況でも、プライベートで生活している中でも発動できるっていうのが汎用的なスキルってことです。
コミュニケーション的なものでもいいし、今言ってるメタ認知、認知的な話ですね。客観視できる。それがめちゃくちゃ大事です。
僕からは以上です。
なので、何だろうな。
認知心理、認知?認知心理?
認知学?心理認知学?あれ?何でしたっけ?認知心理か。合ってません?認知心理学ってありますし、
別に学問を勉強しようってことだけじゃないんですけど、本当に様々な心理学もそうですし、めちゃくちゃ勉強することはあるし、考えることはめちゃくちゃあるんで、
そういうのを、もちろん全然興味ないっすって今回の話で全然興味ないっすって言ったらもうやることはないと思いますけど、
何か少しでも興味を持ったら、やっぱりどういう切り口でもいいですよ。人って面白いよねでもいいし、僕はその集団心理とか社会心理が面白いから入ってるんで、
人間って面白いなって思いながら、僕自身も面白がりながらやってます。生きてます。
だからリスナーのあなたにとっても、リスナーのあなたが楽しく生きて、面白いよね、社会面白いよねっていう風な人が少しでも増えていくということは本当に願ってます。
なんで一つの楽しいアクションとして仕事作っていくとか、クリエイティブしていく、創造していくってことが大事なんじゃないかなと思います。
っていうことをやってたら、人に文句言うことはほぼないです。批判というか考え方が違うというのはありますけど、何か人に対してケチつけるっていうことにならないです。自分に集中してますからね。
そんな感じです。もうこれで終わりたいと思います。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。四国ラジオ岸井でした。以上終わりたいと思います。失礼いたします。