ある種の感情で揺さぶられたり、僕が話をしていますが脱線して何か違う方向へ行っていくようなことが、これは話が上手いとか直線的というか近道みたいなのを求めることもありますよね。
ありますがそれだけでは息が詰まるので、大いなる遠回り、結局そういうことになるんだねっていうことをやらないともう分からないんですよ。
強要的な話とか、例えば言い換えとかね。
この間下のネモ川カヌーチって言ってましたけど、本当があるか調べてほしいんですけど、ことわざを知ってたら何かいいことあるんですか?みたいな。
ゲームが上手かったら何かいいことあるんですか?なんかそういうふうに聞き方いらっしゃいませんか?
僕からするとすごく貧しいような感じで、でもそれをあえてインタビュアーがするっていうのはありだと思いますけど、それでもそれでも読されてないかってことですよね。
もっとどんびりというかですね、集中してそれをやっていった方がいいんじゃないですか。
そこに価値は宿るし、新しいものはそこから生み出されるんじゃないか。そんな話をですね。
どこまでできるかわかりませんが、今回はそんな話をしてみたいと思います。
ご興味あれば引き続き聞いてみてください。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いします。
今回ですね、無駄なことをやろうっていう話ですね。逆ですよね。
効率的なことをやろうみたいなことを、もしかしたら言うみたいなことを考えられたかもしれませんが、
最近言ってませんが、コンサマドリってですね、いわゆる自己重則という考え方があって、
要は何か手段、目的みたいな感じでやると息詰まっちゃいませんか?っていう別にそういう概念ではないんですけど、
問いかけとしてね、あります。さっき言ったように仕事とかで効率化したりとか、
何か短時間で成果を上げるとか、結果を出すとか、なんかあるじゃないですか。
だるっていうことで、もっとのんびり、例えば釣り人が釣り糸を垂らして魚が釣れ釣れない。
釣れないからもう意味ないんだっていうような話です。それを滑稽だね。
釣り糸を垂らして魚が来ないから1時間無駄だったんだねっていう人がいるんですよ、きっと。
リスナーのあなたはどうですか?そういう考え方じゃないですか?もしかしたらそういう考え方ですか?
それだと釣りの面白さはわからないし、釣りではないですよね。
その1時間で何かを考えたり、ぼーっとすることでリラックスしたり。
だから釣りをしろとか、釣りが趣味がある、その釣り1時間やる人は素晴らしい人間だなんていう話じゃないですよ。
そういうような時間の使い方だったり、そういうような生活を入れないと多分破綻します。
破綻というのは精神的にも肉体的にも疲れが取れなかったり切り替えができないってやつですね。
って思いますけど、どうですか?リスナーのあなたはどうでしょうか?
そういう冒頭してます?冒頭する時間を取れってことじゃないんですけど、
自分の中で切り替えたり、今言ったような釣り糸を垂らして、
その成果とか結果とか、数値的なやつじゃないものから離れられるってことがとても大事なんじゃないかなと思う。
そういう意味では言葉を選ばずに釣りは無駄なんです。無駄って言ってるけど、それは悪い意味じゃないです。
だから言葉が良くないです。建設的に言えば豊かかな、心の豊かさみたいな言葉がありますが、
葉が浮かずにしっかり定着させていくならば、疲れたとかそういうことでもなく、
シンプルに釣りで垂らして魚が寄ってきたらいいよね。
もしくはその間に、あーだこーだ隣の人とたまに喋ってよっていうのがいいんじゃないか。
僕は友人とわりと雑談というか話をしてるんですけど、
それは別に嫌でもなく、そこでコミュニケーションしてこういうことあった、ああいうことあったと考えてるみたいな。
僕も友人意見を求めることもありますし、僕が意見を求められたりとか、
様々なことがありますが、そういうのが大事なんじゃないかなと。
もう何週かぶりかわかりませんが、雑談大事だよねっていう話でもあります。
雑談ってそういう効率的・非効率的な話からしたら無駄なんですよ。
無くてもいい。だけどギスギスしません?そういう仕事の話だけしかない。
仕事の話っていうのももちろん状況によっては端的にやるとか結論からやるとかいろいろあるじゃないですか。
だけどそうじゃなくて、こういう背景でこういうことを考えてましてっていうのがあることで、
なるほどねっていうのがあったりするわけです。
情報量としてもうちょっと遠回りするというか、逆バリってやつです。
じゃあ大橋さんはそういう無駄で遠回りでみたいなやり方がいいんですねとか好きなんですねっていう人が出てきそうなんですけど、
そういうこと言われませんが、っていうのが結局繋がるんですよね。
そういう質とか効率っていうのはちょっと良くないんですけど、
結果的に自分の人生の豊かさみたいな価値みたいなのがあったら、それを上げてくれるわけです。
そういう意味でのある種の推し勝つみたいな、自分の好きなアニメとか人でもいいですけど、漫画でもいいし、
そういうコンテンツにのめり込むことはありなんじゃないかなっていうのは僕はわかります。
でも一方で別にそうじゃなくても、それは消費側のスタイルだったりするじゃないですか。
どっちかというとそこにアイディアを入れてクリエイトしていく方が、これは全員クリエイターになるとは言いませんが、より豊かじゃないかなと思います。
例えばぬいぐるみを適当なものでもいいですけど、それを自分で作ってはどうですかと。
キャラ物だったら売れないと思いますが、自分だけで楽しむんだったらいいんじゃないですか。
たまになかったですか、ポテトチップスで袋を作るとか。
流行ってたのかな、わかりませんけど。
IKEAの袋で違うバッグ作るとか、お菓子袋の小物入れみたいな。
何かありませんか、伝わりますか。
そういうのがあったりするんで、そういうのはいいんじゃないですか。
例えばAIを使ってゲーム作るみたいなのでも、アプリ作るのもいいですけど、
いわゆるマイアプリマイゲームみたいなので、自分だけが楽しむゲームでもいいと思うんですよ。
それをやりたいって人がいたら別に公開すればいいし、
誰かにやってほしいなら公開していけばいいしみたいな。
わかりますか。
自分だけで完結してもいいんですよねっていうような、そういうような話になります。
それって、ある種の無駄ではあるんですけど、
効率とかどうでもよくて、無駄じゃなきゃいけないんですよね、ある種。
そうじゃないと自分のは満たされない。
そんなに釣りをして、ボーッとするとか、ボーッとしなくてもいいんですけど、考えたりね。
あと、僕である雑談してますけど、それしなくてもいいんですよ。
すると、なんか無駄だよねってなりますけど、
その部分だけ切り取ればね、無駄だと思ったことないですね。
それで友人と話して楽しかったね、面白いね、こういう話あったんだよねっていうことを誰かにまた話したり、
もしくはそういう経験から何かアイディアや考えてなかった視点が見つかったりしますから、
ものすごく有益なわけです。
で、その有益とか無益とかって言葉も若干怪しいですし、役に立つ役に立たないもんなんかね。
だから役に立つとか役に立たないとか、有益とか無益って言葉が多分良くないんですよ、きっと。
だから例えば有益であったり役に立つことばっかりを追い求めてる人っていうのが、
そんな人あんまりいないと思うんですけど、そういう人はいて、
でもそういう人は哲学じゃないですけど、逆に得られないんですよね、有益なものが。
なぜなら有益なものを探してたりする。
で、いわゆるそこで言う無益なものっていうのが、そこでただにラベリングされてるわけですけど、
例えば釣りが無益だとして、釣りを一生することはできないわけです、その人は。
釣りは例えですよ、釣り人を攻撃してるわけじゃない。
で、例えば雑談って無益ですよねっていうふうに僕はしたときに、雑談するんですよ、それでも楽しいから。
で、するときにその雑談できないわけですよ、その有益だけを求める人。
はい、なんか有益な情報をくださいとか、自分もこれ有益だと思うんで、
あなたは有益なものをすぐ返すべきだみたいなね、ギブアンドテイクみたいな。
めちゃくちゃうざくないですか、そんな人。話したくないですよねってなりますよね。
そこでその信頼だとか、この人と話したいみたいな、心的安全性だとか、
コミュニケーションしたいよねとか、もしくはその嫌がられないよね、そんななんか不快にならないよねみたいなものとか、
そういうのが大事になってくるわけですよ。
これはコミュニケーションの話になってくるんですけど、そこは今回は話のね、
要定ではないというか、ずれますんで、活躍しましょう。
で、そうやって自分が有益なものを求めるっていうのって、要は滑稽で外してるわけですよ。
で、前の本、前話したかわかりませんが、なんだっけ、忘れちゃった、えっとですね。
畑野さんって写真家の方が書かれた本があって、これ話したか忘れましたけど、話してたらすいません。
話してなかったらありがとう、わかりませんけど、
簡単に言うとその本は写真の撮り方の話をしてるんだけど、技術の話とか正直どうでもよくて、
なんていうんだろう、いい写真って多分そういう技術、上手い写真は技術で撮れるけど、
いい写真って技術じゃないよねみたいな話なんです。だから技術を否定してるわけじゃないんですよ。
だけど技術が良くて、上手くていい写真ってほとんどないんじゃないかって話で、
あっても天才じゃないかってそういう話になってるんですね。
というかそういう話をされてて。
そこで写真の話はどうでもいいとして、いいなと思ったのが写真の上達とかレベルアップしたいとか、
上手くなりたい、その要は上手い写真でもいいし、良い写真でもいいし、
その本では良い写真を撮れるようにしようねってことを言ってるんですけど、
それは人の心が動いたりその人のためにっていうことなんで、
まさに簡単に言えば企画であるし、ゲームやアプリだったらユーザーのためになってるかってことですよ。
本当にシンプルに。
そこでまさに写真ってどう勉強するんですかってときに、
写真以外のことからもらいましょうってことを本当に書かれてるんですよ。
本当に結構何回も書かれてて、それはキーメッセージじゃないかなと僕は思ってます。
キーメッセージというのは重要な、著者が言いたいようなフレーズとか言葉ですね。
なんとなく伝わるかもしれませんが、結局有益なことって有益なことから学べないんですよね。
むしろ無益なこととか全然関係ないようなことから学べる。
雑談で大事なことって何ですかっていう質問は一切来たことはないですが、
そのことを僕に聞くことが間違ってると思いますが、
それを置いといて、それって釣りから学ぶとか、
あと何がいいんだろうな、文章を書いていて読んで気づくとか、
わかります?ゲームやってて気づくとか、
アニメのセリフとか漫画の1シーンの状況で気づく、これだみたいな。
っていうことなんですよ。
絶対そのお金で気づかなきゃいけないっていうことじゃないですよ。
だけど写真が上手くなりたい人は写真ばっかりカメラ持って触っててもいいんですけど、
僕はこれは多くの人が経験があるんじゃないか、
作ろうとしたりやろうとした経験があると思うんですけど、
詰まるんですよ。途中で終わっちゃう。
例えばゲームで言えば、ゲーム作った時にAIで作らせて何か出てきたんだけど、
何か面白くないなと思うんですよ多分多くの人は。
だって実際に一発でいいゲームできないですから。
それができた時に、できたというかAIが作ってきた時に、
それを見る時に見て人間がね、リスナーのあなたがね、
こうしたら面白くなりますよ、こういう風にしてみてくれっていうアイディアが出てこなくなるんですよ。
わかります?
多くの人が多分それを乗り越えられないか、乗り越えても乗り越えられないのかな。
乗り越えたやつがその人のゲームなんだけど、それが面白いかどうかはまた別ですからね。
乗り越えたところの自己評価と他者評価はまた別。
だけどそこでそもそもですよ、出てきたものとかを評価してこういう風にしていったらいいっていうアイディアがない。
アイディアが出てこないっていうのが実際だろうなって僕は思ってます。
これものすごく重要なことなんですが、もう一回言うと、
AIでゲームを作らせた時に、これはゲームを作るという例ですよ。
そこで出てきたものが自分ではどうしたらいいかわからない。
AIの活用の話だったら出てくる話では小話みたいなものですが、でもあるわけですよ。
まさにその時に、じゃあAIをもっと活用例をもっと集めればいいんだっていうのが、数字が悪いっていうのは伝わりますか。
ここで言っている話です。
つまり写真のことは写真以外から学ぶっていう、はたろさんって方が言われていることと同様に照らし合わせると、僕の主張も同様なんですが、
AIを使うっていうことでAIを学ぶっていうのは、
AIの使い方はね、AIで学ぶっていうのは限界があるんですよ。
だからAIを使うなんてことじゃないですよ。
全くやらなかったらちょっと良くないよね。
だけど、そこでアイディアがないのに、AIを使っても何か良いアイディアがないなとか違うなって言ってても、
多分そこでグルグルしているだけで、それはある種悩んでいるのと考えているのとは違いと一緒で、
悩んでいるっていうのは同じところをグルグルしているだけで変わらないです。
行動に繋がったり、そういうことができないっていう状態だと僕は思っていて、
考えるっていうのはそこで根拠や違うものを示して、文字通り違うことができるっていうのが考えた結果、
もしくは考えていることかなと考えています。
なのでそのグルグルしていませんっていう人だったらもうこの話は全然聞かなくていいし、
まさにね、そうやっていただければいいんですけど、悩んでグルグルしていたり、
その状況を他のことで変換したり、その状況を打破できない人っていうのは、
単的に言えばアイデア不足か、アイデアが不足しているというのは結局行動不足や実践不足なので、
勉強したり行動したりするしかないんです。
雑談って簡単に言いましたけど、雑談するためのネタが必要で、
じゃあそのネタってどこから集めてくるの、どういうところから得ているのってことは、
それをストックしかないと結局ないですから、
だからそこでストックっていうとそういうのをいっぱい覚えたり、
いっぱい情報を得たりすればいいって思うかもしれないですけど、
そういうのは限界があるわけなんで、見方とか視点の話になるわけですね。
前回これは話したような気がします。
というわけで、雑談が無駄ですよねっていうところもあったとしても、
仮にね、それは無駄じゃないよねって、
一点だけ短期で切り取ったら多分無駄なんですよ、何も生み出さない。
だけど長期で見たら多分そういうことをしないと継続できないし無駄にならないです。
だから今回のポッドキャストの話も、こういうことを言うと良くないんですが、無駄なんですよ。
究極的に言えば。
だけどこういう話にお付き合いいただいている方もいらっしゃいますし、
ありがたいことにYouTubeとかノートとかね、
僕がアウトプットしているものをチェックいただいている方もいたり、
好みはあるでしょうけど、大変ありがたいなと思って話しています。
僕自身はそういう話をどんどんしていって、
有益なことをお伝えしますとか全くなくて、
考えたことを伝えたりとかしている感じです。
じゃないと僕は続かないかなと思っています。
ただ有益、これは無駄だよねっていうふうな、
使えるなみたいな感じを、
それ主常主義で言っているわけではなくて、無駄主常主義でもなくて、
これはいいんじゃないっていう、こういう見方をしたらいいんじゃないっていうのは伝えています。
だけどそれが使えるかどうかは、聞いているリスナーのあなたご本人の判断だけなので、
たまに面白い話でいいよねっていうのもあるかもしれないし、
そこまでもね、ものでもないかもしれません。それはもうしょうがない。
だけどそんな感じですよ。
リスナーのあなたもですね、ぜひ無駄なことをやらないといけないと。
有益なことをやろうとか、高齢的なことをやろうとか、
失敗せずに最短でいこうみたいなことっていうのを、
そういう気持ちを抱かれたり、そういうことをやろうとするのはわかるんですけど、
それって何が入っていないかといったら、
いつも常に150%動いていますとか、倒れないですとか、
病気も怪我もしないですとか、風邪もひかないですとか、
あとメンタルが落ち込んだり、