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2025-06-18 26:40

分からないとは分けられないことかも

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サマリー

このエピソードでは、分からないことと分かることの境界について考察されています。特にAIの進化に伴う情報の取り扱いやコミュニケーションの難しさに焦点が当てられています。最終的には、理解の深さや人間の役割について問題提起がなされます。AIの学習に関する深い議論が展開され、AIの可能性や限界、さらに人間がAIのために働く状況も考察されます。分からないことに向き合う重要性が強調され、コミュニケーションや学びの本質に迫る内容です。また、分からないという概念について考察し、AIにおける理解と創作の限界についても語られます。学習の変化や人間の感情の重要性にも触れられています。

分からないことの探求
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。 今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
このシゴクリラジオは、仕事クリエイター大橋が仕事づくりに関する話をしていく番組です。
仕事づくりとは何でしょうか。 その探求を皆さんやっていきましょう。
本当かなぁと思いながら話しますけど。 今回は、ちょっと哲学っぽいですが、分からないって何ですかねっていうところを
いくつかのネタから紐解いていきたいと思います。 結論的には、分かるとは分からないとは分かるというのが分けることなんで、分けられないよねっていうところまで行かないと、分からないことの証明にはならない。
伝わるでしょうか。今回も言ってみたいと思います。 今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、テーマが分からないってことは何かと。 逆に言えば分かることは何かでもいいんですけどね。どちらでもいいですね。
いくつかのネタというところでいくと、まずですね、
コラムとかエッセイってあるじゃないですか。 リスナーのあなたは読んでますか。
あと、ポッドキャストはちょっとと思うけど、 ポッドキャストでもいいでしょう。ラジオでもいいですけど、読むじゃないですか。
要はテーマとして、こういうタイトルですよ、で各々しかしこうですよって言った時に、何書いてあるか分からんみたいな。
ありませんか。僕はまあ結構あるんですけど。 どこまで理解しようとしますってところで、そこがまさに分かる分からないの境目。
ちなみに分かる分からないの境目がはっきりここっていうふうに決まっているわけじゃないと思います。
難しい。 本質と表層みたいなのがあるとして、
例えば、今ここで例えって言うんですけど、例えばっていうのはその本質のことを理解してほしいのであって、その例えの話は
なんていうんですか。ウォームアップであり、ストレッチであり、
ストレッチして体を柔軟してサッカーとか野球とかスポーツってそうですよ。 怪我しないようにするじゃないですか。でもそのストレッチとか
ウォームアップですよね。ちょっと走ったり、ちょっと体を温めたりするっていうのは怪我しないようにするためであって、
それがサッカーとか野球とかのスポーツそれ自体じゃないですよね。 そこの理解なんですよね。
そういうふうに構造中止とられるかってことでいくと、例えばっていうのは理解を促すためであって、
その例えのね、 例えがめちゃくちゃ悪い場合はダメですけど、例えがそこそこ悪くないのであれば
例えが悪いってそんなことない。あえて意図的に例えが悪くしないと、そんなひどいことにならないと思うんですけど。
文脈がね、ずるずるだったらダメなんですけど。 そういうふうに構造的に捉えないと、
よく誤解するんだよなっていうことはありますよね。 なんかそこはちょっとあるよなって思いました。
今回ですね、ある方のコラム、まぁある方で、名前はちょっと言わないですよね。
ある方のコラム読んでて、ちょっとわからんなみたいな思ったんですよ。 これ何言いたいんだなーって思った時に、まさに今回のテーマである
わからないとは何で、わかるとは何かっていう話なんですよね。 その内容はちょっと触れずにおいて、一応構成だけ言うと、
一つのわかりやすい象徴的な例、要はAIだったらAIでね。 何ていうんだろう、例えば
ちょっとマニアックですけど、チャットGPTが慣れ慣れしいみたいなね。 ちょっと修正入ったよみたいなね。それはあんまり知らなくてもいいんですけど、
今じゃあその、AIに何か命令したら色々とってきてくれるよね、調べてくれるよねっていうのが、当たり前になりつつあるっていうね。
ディープリサーチとかって言ったりしますが、もうそんなこと言わなくてもよくて、調べてくれるってね。 もっとね、詳しくねっていう。
そんな感じですよね。 っていうのが例えばあったとして、
で、それにそこからひも、なんていうんだろうね、学んで、 じゃあわかりやすいというか、自分たちにも影響があるからこういうふうになるよねみたいなことで、
じゃあ主題として、この筆者とか、要は書き手は何がどちらを言いたいんですかって言ったら、明らかに最初にわかりやすいそのAIの
事例を挙げておいて、それは事例です。 主題は自分がそのAIのニュースとかから学んだことを伝えますよねっていうその後者にやるわけですよね。
それを読み解き方みたいなのがあるよな、まずね。 それはわかりました。
ただ、それを言ったとして、どうすんの?みたいな時に、ちょっと伝わってこなかったな、みたいなのがあったんですね。
これはですね、別に僕が話し手のプロとかそういうこと言ってるわけでもないです。 プロでも何もないんで。
単に人の話を聞いてるだけで別に評価してね、ああだこうだって言ってるわけじゃないんですけど、毎日のようにですね、
僕も平日毎日喋ってますけど、これはラジオでですね、ある番組をやられている方、その方は割と年配の人なんですが、
話をね、されてて、で、ちょっとよくわかんない回も結構あるわけです。 ただ、よくよく捉えると、時間もですね、話の時間フリートークみたいなやつもフリートークじゃないんでしょうけど、
一応テーマで何か喋ってるんでしょうけど、あと収録だと思います。 1分なんですよね。話1分だから、
これね、僕のこの四国ラジオ聴いてる方だと言うと、なんかね、タラタラタラタラ喋ってる。って思われるかもしれないんですけど、1分ね、ちょっときついなーって思ったんで、
あの、なんか、何て言うんですか?
こうなってますよね。暑いですよねーとか、なんで270にね、猛暑日なんですかーとかっていう、そういう、何て言うんですか、こう枕というか、最初の入りも何も作れないわけです。
作ったとしても、はい暑いですね、まあそうですよねっていう、暑くないですよなんて言った日には、自分のね、トークを乱すからやめてくれみたいなね、もう何て言うんですか、プレゼントトークみたいな感じになるわけですよね。
いや、しょうがないですね、1分ってね。その中で自分が伝えたいことを伝えなきゃいけないんで、正直なところ、よく分からないこともあるんですよ。
1分だからしょうがないからみたいな。甘えとは言いませんが、これどこまで許されるのかなっていうところがあります。だから別に許す許されないっていうように、僕は許す許さないみたいな審判をしてるわけじゃないんですけど、
あの、何て言うんだろう、結局全く情報としては伝わってこないわけじゃないんだけど、じゃあ結局何を言いたかったのかなって言った時の、その伝わる量もしくは質が薄いっていうことがありますよね。
で、よく覚えてるのは、そのAIの話とかもなんかされてて、その方がですね、パーソナリティの方がされてて、あ、AIとか触るんだなとか、それ面白いなとか、あとやっぱりずっと聞いてると、
僕もですけど、その趣味というか興味とか、趣味は違うから、興味関心みたいなところに持ってかれますよね。で、ここで意識してるかどうかわかりませんが、そのコミュニケーションというところがバンバンバンバン入ってきてて、あと言葉ですね。
あとは、社会。社会好きですか?わかりませんが、そのフワッとしたですね、社会って何ぞやと、何か言ってますねっていうふうに思われるかもしれないけど、まあまあまあ、社会ってあるんですよ。
社会ありますよね。別に平和社会とかいう、そういう何ていうんだ、記号的なものじゃなくて、毎日生きてたら社会を感じ、社会を感じざずには得られないと考えますね。調子悪いですね。
で、そういう時もあって、まあそういった話戻していくと、結局その1回でうまく伝えられることもあれば、うまく伝えられないこともあるわけですよね。
人間の役割とAI
冒頭の話に戻っていくと、その分かる部分と分からない部分って結局何なんだろうなって時に、100%分かったの。この人が言いたいことも分かったし、論理展開とかトークの組み立て方も分かって、そちらに問いかけしといて、実はこうでしたって、どんでん返しじゃないけど、後で落ちをつけるみたいな。
落ち着けてなかったらダメと全く思わないですよ。思ったことがありましたぐらいでも全然いいわけなんですけど、でもそれって、思ったことがありましたって言った時に、思ったって言っても、今日熱いと思いましたっていうのって別に何でもないじゃないですか。
もちろん、僕が暑さ知らずでずっと生きてて、その人が初めて暑いと思ったっていうなら、価値というか面白さ、レアっていうかあれってことで価値は出るかもしれないですけど、別に普通じゃないですか。逆もありますよね。だから、暑いはずらに全然暑くないよっていう人だったら、なんでなんでってなりますよね。
そういうのね、痩せがんとかじゃなくてですね。ちゃんと対策してください。で、そういう中でですね、分からない、分かったよねって言っても100%分かったと思ってるけど、実は分かってないっていうのもありますし、全然分かってないと思ってても結構分かってるってこともあるわけですよ。
で、そこを掘り下げていった時に、何が分かって何が分からないのかって結構分からなくないですか。で、これをさらに発展させると、よくAIが人の仕事をどんどん奪うという表現がいいか分かりませんが、どんどん代替する、代替いと言ってもいいでしょうが、代わりにやっていくと。そういった時に残っていくのが人間の仕事として何がありますか。
で、余暇で何するんですか。人間の仕事なくなったらどうなるんですか。ってとこまでいって結構思考が止まるというか、やばいよねってなるかもしれないじゃないですか。でもさらにその先にはもっと分解していくとAIを使う人と使わない人、使われる人みたいに出てくると。
確かに言ってあって、AI嫌だとか怖い嫌いとか言っていると、確かにそのAIさん、AI君の凄さというのが分かりませんが、衝撃に持っていかれてしまうかもしれないですよね。でもそれで使う使わないとかは別にその人の、一応自由ですし、環境として触るなっていうところだったらまた違ってくると思うんですけど、
そうやってですね、どんどんさらに分けていって、どこまで行くと分かるのか。AIの学習とかって言ってもいいですよ。だからAIの学習って言うけど、AIに学習させる言ってますが、結局それ何なんですかねっていう。
最近はですね、昨日のノートの話をしましたけど、Googleが資本を入っていて、大株主ということになるそうですが、ノートの投稿したコンテンツをAI学習に使いますよ。それを使う場合、全部使ったら関わらずカマンでちゃんと読んでないです。
ただ、それを報酬払いますよと。だからこれは新しい仕事になるよね。人によってはAIに、要はコンピューターに学ばせるために人間が書くなんて馬鹿馬鹿しいと思う人もいるのがめちゃくちゃ分かるんですよ。
でもそれってちょっと分からないのは、AIに自分ぽく文章を書かせた、つまらなかったって言いましたけど、自分のことを学んでもらえるわけだから、下手したら学んでくれない人間よりはマシって思う人もいると思うんですよ。
ちょっと過激かもしれないですけど、こういう感じる人はいるんじゃないかなと思います。つまり、AIを敵視する人はAIだって思うかもしれないんですけど、人間よりもよほど大人しくて優秀だったりするわけですね。ただ、気をつけたいのは、人間はAIじゃないから、いわゆる何度言っても怒られないみたいな気まずくならないとか、
わからない、わからない、わかりません、わかりません、もうちょっとやってください、何度やってくださいって言っても、AIは怒らないんですが、人間だったら怒ってくるか、ちょっと気まずくなりません?大川さんそれどういうことですかって言われて、え、こういうことなんですけどって言ったら、え、わかんないですけどもう一回言ってくださいって言って、2回3回目ぐらいは全然いいんですけど、4回目ぐらいになってくると、ちょっとこの人大丈夫かなってなってきて、コミュニケーションが大丈夫かなってなりませんか?
それが本当にわからなくて、議論という話として進んでいって、確かにそこはわからないし伝わってないなって思うならいいですけど、そうじゃなくて、相手が考えてなくて理解しようとしてなくてたらわかんないですって言ってたら、ちょっとどうなんですかね?ってなりますよね。ここ難しいところですけどね。
そういう、人間はAIじゃないよってことを踏まえつつも、でも学習ってことを言ったら、僕も様々な人から学んで、例えばさっきのノートの話もそういう流れがあるんだなってことをインプットしたときに、それをコピーするわけじゃないけど、自分の考え方とか仕事づくりって言ったときに、
じゃあこれは新しい仕事づくりとして、AIに文章を書かせるっていうことじゃなくて、AIに学ばせる文章を人間が書くっていう、なんか主従が逆転したような、人間が人間のためにAIを使わせるんじゃなくて、人間がまさにAIのために働くということになって、SFなのかわかりませんがディストピアになるのかユートピアになるのかは、ちょっとこれ考え方次第なんですよね。
人間の学びとコミュニケーション
僕はですね、じゃああなたはどうなのっていうときに、僕は別にそこまではないけど、そればっかりは嫌だなぐらいですかね。結局学んだって言ったときに何やるんですかっていうことでアウトプットの問題になるんだよなという感じがします。
よくAIだと書作権とかで学ばせるがあるんですけど、結構学ばせるのは割と自由な感じで、ただアウトプットで何を学ぶかって結局規制できないじゃないですか。いろんなものがあります。人間も規制できないですよね、本来はね。
学んでそれをどう何を作るかみたいなところとか、何に作品とかサービス、別にビジネスじゃなくてもいいんですけど、なんか創作でも何でもいいけど出していったときにそれが問題かどうかを見るみたいな感じですよね。
ただ根本のところで妙なものを学習させたらいけないなとはもちろん思いますけど、そういう意味でいくと、学習させるって結局何ですかってなってきて、学習させたから全部それを参照するわけでもないわけです。
言ってることがわかります?つまり僕がいろんなことを見聞きしてきましたって言って、こんなこと喋りますって言ってても、全てのことを総動員してこれです、あれですっていうふうにはしてないですし、仮にしたとしたらそれはそれで結構労力がかかるし、
あとそこまで紐付けて話すことっていうのはなかなかできるものではないです。数年単位は学んでかかるんじゃないかなと思っちゃいますよね。言ってることわかりますかね。
つまり学習させるということで、即すなわちそれがコピーされてっていうのとはかなり似て非なるものなんですよね。学習って何かって結構わかんなくて。僕もわかってないですけど、AIにどこまで学習させるかって部分で、
例えばJAD-GPTのGPT図なんてものがありまして、ご存じの方もいるかもしれませんが、質問したら返ってくるとか、特化した動作をさせることができるわけですよ。拡張の検索であるRAGなんて、それも似てますけど、このデータから読んだものだけしか反応しなくていいですよっていうふうなものは確かに会社企業の中での社内で使いやすいわけですよね。
一方で、そこのデータにはないんだけどって時に問題が発生したり、あとデータにはないけどそのデータから読み取ると当たり前のことが言えますよねみたいなね。
分かんないけど、旅費交通費っていうふうなことを聞きたいのに、旅費交通費って概念がなくて、出張したらとか言った時に、出張は旅費と紐付けられるよねっていうのは多分今のやり方は余裕なんでしょうけど、旅行に出かけたみたいなことを言った時に、果て旅行みたいな風になった時に問題が生じるというか。
その時の対応というので、学習をしていないと旅行を知らないってことはないかもしれないけど、本当に旅行行ったことない人ってそれは学習としては成り立てないから分からないじゃないですか。
で、学習してるってことは一体何なんですかねってことになってますよねみたいなことがありますね。ちょっとまって脱線してるんでそこ戻していくと、
そういうふうに、例えばノートのAI、ノートのコンテンツをAIの学習対象にするみたいなことでも、そこをインプットした僕が人間である僕が学習したってことは一体どういうことが言えるんですかっていうことでいくと、分かる部分と分からない部分があるわけじゃないですか。
結構難しくて。分からないって何ですか分かるって何ですかっていうことを言っていくと、ここで言えばノート社っていうところが何をやるかっていうこととか、Googleとかジミニってところが今何をしていきたいかってところは推測なり予測することはもちろんできるかもしれませんが、
分からないことの重要性
そのAIを学習させていくと。日経の新聞にもあったんですが、AIの学習をさせたいものはすでに人間のあるもの、人間のデータを超えていくよねみたいな。
2026年にはみたいなのがあって、そうなんだみたいな。それがある種正しいというか、ある種正しいんでしょうそれはね。間違ってるかどうか検証まではしてないですけど、ある種正しいとするならば、確かに何を学ぶんだろうなって思うんですよね、AIって。
もう一応終わりですよね、そのAIの学習が終わり。だからAIで特化させたりとか、それこそ前発表したんじゃないか伝通でしたか、なんかね、いけてるクリエイターの学習させてみたいな話をしたと思うんですけど、そういうものになっていく、いわゆる特化型AIみたいなのがボンボンできてて、
まさにですね、よく言われてると思いますが、AI部下をいっぱい持って、そのAI上司、AIの部下というAIがいて、その上司になるあなたがいて、ディレクターでも部長でもなんでもいいんですけど、そこに栽培するっていうのが仕事になりますよねっていうのは、全然笑えないというかその通りだよなっていう、うまい例えだなと思います。
それ以外あるのかなって思っちゃうんですよね。で、そのときに分かる分からないの話が付きまとう。これも付きまとうと思うんですけど、どこまでAIを使いこなせてたり、どこまでアウトプットを出せたりみたいなところで、あなたが分かっている部分は判断できるけど分からない部分は?って言ったら結局学習しなきゃいけなくて、
学んでいくこととか楽できることとかっていうのと一緒かもしれませんが、楽できるから学ばないわけじゃないんですよね。けど、学んでいかないといけないよねっていうのは変わらないなってことを感じたわけですよね。
で、その分からない分かるってところで、分からなきゃダメとも思わないし、分かったら偉いとも思わないんですけど、今回の話も僕もあんまり構成が良くないなって思いながら喋ってるんですけど、あっちこっち、あっちこっち行きましたね。行きましたけど、そろそろ締めたいと思いますけど、
分からないことに遭遇したときに、分かんないねみたいなことって大事じゃないかなと思ってるんですよ。どんな人のことでもね。分かんないよねってどういうことなんですかって。それはつまりどういうことですかって聞いていって。で、聞いていっても分かんないこといっぱいありません?
例えば仕事作りって何か言ってますけど、結局何するんですかって言ったときに、うーんってなってて、僕が今言えることって、何かやりたいことあったらやってみてください。それが多分仕事作りですよみたいなぐらい。それって当たり前ですけど人によって変わりますからね。
やったことない人にとっては無理ですっていう人もいるから、やってみたい人にとっては生ぬるいみたいなね。そんな概念とかいらないし、今やれることをやりたいしみたいな人もいると思うんで。
何て言うんだろう。結局抽象的なことと概念と実際にやってみて具体的に見えてくるものを混ぜてね、混ぜこぜにして考えていくしかないですよねっていうことにはなっていくかなと思います。
それを置いておいて分からないこともあるし、分からないことだけじゃないけど分かることもあると。それの狭間というかですね、考えていくというところが大事なのかなっていうぐらいの今回は着手となります。
ちなみにですね、分からないというときに分かりませんって言えば、今学校教育どうなってるか知らないですけど分かりませんって言って何が分からないかってことなんですね。答えが分からないっていうのって確かに分からないんだけどどこまで逆に分かるのかっていうことですよね。
ということが明確にしないと結局分かることも分からないし分からないことも分からないですよね。つまり分からないというのはある種分かることがどこまでですかっていうことを言っているのであり、分かるとは分からない部分はどこでそれ以外は分かってますよっていうことでもあるかなと思うんですよね。
分からないもの説明はちょっと分かれてないかな。分けられるっていう話も一人でもいいかなと思ってて分けられるんですよね。分かるってことはね。分けられます。つまりAIでできることはこういうことです。もしくはAIでできないことはこうですっていうふうに分けられる。
今のね、AIはアップデートされていってるんで今の発言じゃないが言ってることが間違ってることはもちろんありますし、ありますが感情的に対応するってことは結構AIは難しいですね。
アイディア創作っていうのも結構難しいと思います。そのAIの創作であって人間の創作的なものではない。何度か批判的に取り上げてますがラテラルシンキングというふうに水平思考的なものはAIは弱いっていうことは結構感じてます。
だからAIが使えないわけじゃなくてラテラルをAIに求めるなっていうことなんで、ラテラル人間、ロジカルな垂直思考はAIみたいなのがどんどん増えてくるんじゃないかなって思ってます。
だから最後に残されたのがその余暇というか暇というか、趣味というか意思というか感情というか感覚というか感性というかわかりませんが、その気持ちみたいなものが人間に残されていくのかなってことはずっと言ってますよね。
ずっと言ってるし言われているかもしれませんが、どんなふうに社会の中においての仕事なりプライベートなり家事なり育児なりわかりませんがどういうふうに現象として現れてくるかっていうのは正直見えてない。
あと学習ということでいくとAIに学習させるんじゃなくて人の学習においてもものすごい変化があるという状況でどうしていったらいいかがわかんない。
僕もわかりません。わかりませんけど考えていってどこまでいけるかっていう感じはしますねっていうところです。
学習と人間の感情
ちょっとですね着地というかねが悪いですけど今回はこれぐらいにしてみたいと思います。
わかるわからないっていうのはすごい基本的なことかもしれませんが、わからないからダメっていうのは違いますし、わかるからいいわけでもないじゃないですか。
新しい発見ということを言えばわからないぐらいのものがないとやっぱりインパクトもないですし、とはいえわからないからいいよねっていうだけでも
またそれもちょっとどうなんだって思いますから、なかなか着地が難しいところでもあるかなと思いながら話してみました。
何か一つでも面白いところがあれば嬉しいです。
今回は以上となります。
大橋国理ラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。
26:40

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