おはようございます。 佐々木正悟の自由連想をお送りします。 8月13日、え、もう13日?
13日、木曜日、9時14分です。 いやーもう本当にここのところは立て続けにですね、
次から次へと大ニュースっぽいものが舞い込んできて、 どうなってんだって感じで、この番組もとびとびになりまく、まあ夏休みどうしてもとびとびになるとは言えですね。
ちょっとこうひどいな、思っております。 なんかネタが切れたとか辞めるとかは冒頭ないのに、
もう毎日のようになんかこう何かが起きているっていう感じなんですよね。 主に2つの実家絡みでもまあもうある意味1つの実家は消失しますね、やっぱりね。
年月というものを感じますが、うちの方の実家は幸か不幸か、人間だけは全然ピンピンしておりますんで、それらの人々が問題を引き起こしてくださるわけですが、
非常にこう、なんていうのか、落ち着く暇がないが、もしかして落ち着くという時はもう私の身に何かが起こるのかみたいなね。
落ち着いたっていうのは、なんかもう役割終わるってことなのかなと思ったりもしなくもないんですけど、でも落ち着きたいぜっていうのはものすごいあるぐらい全く落ち着かないですが、
まあここ1、2週間は、特にここ1週間はもういかなる意味でも落ち着きは感じる余裕はないと思いますね。
まあ落ち着くって何なんだろうねって感じもしますけどね。それが終わったら一応説著が出ますんで、また本が出ますんで落ち着きそうな気配は全くないですね。
はい、しょうがないね、それは。
はい、今日はですね、まあいろんな先日お話ししたものに対する修正をかけねばと思ったんですけど、それをいつ本当に話したのかみたいなのがここのところバタバタバタバタしているうちに、
もはや前に何日に何を話したのか、もともと全然これわかんないやつなんですが、一層よくわからなくなっておりますね。
とにかくこの3ヶ月チャレンジというですね、精神分析的、もうはっきりこういう、まあそれはけさ確信を持ったんですけど、精神分析的にビジネスコンサルをやるんだと。
精神分析を学ぶという、たぶん一生学ぶでしょう。学ぶ中でこう、人々のビジネスなり生活に役に立てるようなことを提供していくんだと。
あるいは整えていくんだと。精神分析的な知見を少なくとも絶対に考慮に入れてですね。
ながらお互いに学ぶ中でですね、私この学ぶだの成長するだのって言葉は全てあんまり好きじゃないんですよ。
相当こういうのに対する嫌悪感が強いんでしょうね、私はね。
そう、今日忘れないうちに申し上げたいんですけれども、松木邦博さんのオンラインセミナーを受けてきまして、言える内容についてはここで喋っていこうっていうのもあって、ネタだけは豊富にあるんですよ。
ただ、落ち着かない。落ち着いて特定の時間にこれを配信させてもらうという、そのタイミングが一個につかめる日々がやってきません。
当分来ないでしょう。だから、隙間時間を狙ってやっていくしかあるまいという風に思っております。
もうやっぱりね、開き直るって大事だなっていう、何をどう開き直ればいいのかよくわかんないんだけど、
できることはできるし、できることをやるんだっていうのは当たり前のことしか言ってないんですけどね。
でもできることをやるしかないんだということでやっていこうと思います。
まず訂正というか、過去喋ったものの修正なんですけど、私はご信念というものを排出することによって、あるべき環境、時間を無駄にするっていう話をBEYONDの受けて、
いい気になって喋ってたんですけど、あれは基本的に何も新しいことが言えてないんですよ。ということ、つまり間違ってるわけですね。
この番組ね、聞いてて申し訳ないんですけど、結構しょっちゅう間違えます。だって私は通しろですし、しかも原文は読めない人間なんで、
あくまでも日本語を読む、これには他の理由もいろいろあるんですけど、とにかく精神分析は訳語の問題ってすごい難しいところがあるんですよ。
どの世界にもあるんですけど、私たまたま英文学にいたんで、またこういう余計な話するから時間がなくなる。英文学にいたんで、英文学における語訳の問題って当然悲惨なものがあるわけですよ。
悲惨と言えばいいのか、しょうもないと言えばいいのかわかりませんけど。同じように精神分析にもかなりあるんですよね。
必ずしも語訳とは言えなくても、まあその訳では誤解を招くよねということは多々あるわけですよ。そして思いっきり誤解していく。
だから外国の文章をまっしぐらに、これといったガイドもなしに読んでいくというのは非常に混乱の元なので、あの世界は。
この世界は。そこで私は松木すくに博をベースに藤山直樹さんと山崎孝明さんを読むっていうこの姿勢をずっと維持しているわけですね。
基本的にこの3人の読み方しか読んでないんですよ。最近は特に。
で、まあ時々ちょいちょい北山大相さんとか成田さんとか仲井さんとかを読むんだけど、でもそれらによって私がわーってなるのは一瞬になるんだけど、
あまり維持できないんだよね。やっぱり思想性が強い世界だなと思いますね。
で、話をいい加減戻しますけど、認知の歪みなどご信念などっていうこういうものをですね、やっぱりこういうのは本当に便利なんだけど結果論、結果なんですよね。
時間を、なんていうのかな、私は時間を無駄にしているというご信念で時間を無駄にしているという予言の自己実現みたいな話にすると、なんか結構うがったことが言えてるような気がしちゃうし、
えーと、なんかこう納得しちゃうんだけど、やっぱりもう一段思考を進めなければいけないわけですね、この件は。難しいとは思います。
これはですね、思考なんだけど、つまり現実に欲求不満が残っているということは、赤ちゃんが熱い、熱いということを知らずに熱いというっていうのは、要はちょうどいい温度ってあるわけですよね、赤ちゃんにも。
自分では知らないけどあるわけですよ。で、その時母親が消えるっていうのは、つまり世話をしている人の存在なんて知ったことじゃないってことになるためには、
えーと、言ってみれば無欲になる必要がある。でも無欲になるというのは赤ちゃんが悟りを開くとかじゃないから、欲望がないというのはつまり満たされているってことなんですよ。少しでもずれれば満たされてないわけじゃないですか。極端な話をすればってことですよ。
ここで赤ちゃんには無理なんだけど、いつか人間には思考というものが生まれて、
あ、私が望む温度と今外界の温度はそんなに静粛した思考に一気に行かないけど、でも要はそういうことに連なっていく思考の効果みたいなものが現れるわけですよ、そこに。
欲求不満の瞬間に現れるんですけどね。私はこれをちゃんと考えてなかったんですよね。
全部自分絡みで、1つは自分の身後絡みになるんだけど、まず私のアトピーでいこう。アトピーというのは、
ベータ思考の産物なんですよ。私にとってはね、だからここも誤解を招くんだよね。アトピーはベータ思考じゃないんですよ。
これは私の中で起きた、アトピーだと診断された皮膚の上にベータ思考を排出させたからあんなことになった。
それをアトピーと世の中では呼ばれたってことなんだけど、あまりにこれを毎回毎回言ってると話が進まなすすぎるから、
私のアトピーはベータ思考の産物でしたとこういうしかないですね。
で、私はもちろん赤ちゃんではなかったから、おそらくそうは言っても3歳か4歳だと思うんですが、
母がやっぱり好きな真っ白いスベスベの肌っていう、良き概念とか言ってるんですけど、
要するにそういう肌が良い肌なんだみたいなそういう、これを誤信念じゃないんですよね。
私は別にそんなことを思ってなかったし、そういうイメージも思ってなかったんだけど、
母が強く思ってたわけですよ。でもそれは別に誤信念とかじゃないんですよね。認知の歪みとかではないんですよ。
そういう肌があったら、そういうのが健康な肌だよね。あるんですよ、そういうのは。
赤ちゃんがおっぱいでこういうもんだよねっていうのを、生まれて一度もまだおっぱいを吸ったことがなくても持ってるという考え方をするんですよね。
それを全概念とか言ったりするんだけど、まあ哲学に近い、これは。あるんですよ、そういうのは。
人間は、デビッドヒュームだっけ?タブララサで生まれてこないんで、完全に真っ白じゃないんで、
持ってる全知識みたいなものを持って生まれて、備えて生まれてくるんで、そういうものが一種に白くてスベスベの肌みたいな、
よく言ってたんですよ、母はね。で、私に、まあいいや。
で、こういう肌じゃないわけ、私は。なんかドス黒くて、所々になんかこう脂肪がワーッと出るという肌だった。
それは現実と私の良き概念の肌なんだけど、良き概念の肌がマッチしてないんですよね。
マッチしてないというのは全然いいんですよ。マッチすることは絶対ない。マッチするっていうのはおかしいんですよ。
なぜならは、良き概念は概念だ。だって真っ白なスベスベな肌がいいなぁみたいなのって、心の中にしかないじゃないですか。
なんかCMとかでやってるけど、具体的な肌と良き概念はどんなにどこまでそっくりでも一致は絶対しないじゃないですか。
ここがすっごく、なぜか伝わらない時があるんですけど、でもこれはごく常識的な話なんですよ。
世の中に例えば、あ、という概念は、なんて言えばいいのかな。
なんだろう、何がいいだろう。食欲ってものは世の中にないじゃないですか。
世の中に食欲とはこういうものです、なんて言って、食欲の花みたいな花とかは、食欲でもなんでもないじゃないですか。
そういう花があると聞いたことがあるんだけど、とにかく食欲でもなんでもないじゃないですか。
つまり、概念と現実は異なるんだから、マッチするはずないんですよね。
すべすべの真っ白い肌じゃないから残念だって思っちゃうんだけど、そんなことはいくらやっても無駄で、現実の肌そっくりの肌をイメージすることすらも相当困難じゃないですか。
とにかくズレはあるわけですね。ここでまずベータ思考が生まれるわけですよ。自動的にと言っていいぐらい生まれてしまう。
で、私はそれが耐えられなかったわけですよ。なぜなら母がそれに耐えられなかったから。
母の耐えられなさは相当異常で、あのアノンって知ってます?
あの昔すっごいうちにあったんですよ。なんか5瓶ぐらいアノンがあって、アノン塗りまくるわけですよ私の肌に。真っ白にしちゃうわけですよ。
まああの、アホなんで、うちの母は自分賢いと思ってるらしかったんだけど、かなりアホなんで、しゃあないんですよ別に。虐待とかじゃない。
あれでもう善意、善意なんだよね。善意100%ぐらいでやってるし、
まあなんていうのかな、ギャグみたいな話なんですよこれはね。ギャグでもいいと思うんだけど、ギャグにならなかったんですよ。残念ながら。
私、母のことを好きすぎて、真に受けすぎちゃってたから、母の白いすべすべの肌が、私の肌があったらいいなぁになっちゃってた。私の中でも。
こういうのは、そのベータ思考を非常に生み出しやすいんですよね。だって自分の肌のイメージじゃないものを、親から引っ張り込んじゃってるから、どうしたってこう、自分の肌とマッチする理由がますますなくなるじゃないですか。
私肌について、自分の肌がこうだったらいいとかああだったらいいって考えたこともなかったんだけど、母がそれを猛烈に押し込んできたから、だって4歳児とか5歳児に、5、6歳だよね、アノン全身に毎日塗りまくるとかって、
してないじゃないですか。やっぱり。絶対アノンなんですよ。理由はよくわかんないんだけど、まあでも、ああはなりに苦労したんでしょう、私の肌のことでね。
フルコート塗って、これは父もね、さらに悪いことに一枚噛んでるんですよ。当時フルコートって、今はまあ、なんか、とりあえずアノンとかフルコートを批判してるみたいな、そういうことは関係ないんですけどね。
とにかくあった。それを塗りまくると、人間は危険人になるとか、俺はわかんない。当時のなんかこう、
左翼系の、健康オタクみたいな人の新聞に書いてあることは、絶対父にとってそれは真実になっちゃうから、あれをなんて言うんだろう、まあ、微温的だなと思うんですけど、
うちの父もアホなんで、要するにそういうことを頭から信じて、しかも自分はすごい超インテリだぐらいに思ってるから、当然そういうものは一切使わなくなるわけですね。使えば治るのに。
使えば治るのに、薬を使わずに、なんかアノンとかを塗りまくるという変なことになっちゃうわけですよ。でも綺麗にならないわけですよ、さほどね。真っ白いすべすべの肌とかに男の子ならないんですよ。
で、母はしょうがないから、なんか石やすりみたいなのを買ってきて、僕の肌をガリガリ擦るわって言うんですよ。すべすべっぽくなるんだけど、代わりに赤切れが激しくなって、で、
ほら、こうやれば落ちるんだからとか言って落ちるんですよ。角質だから。ボロボロに。で、なんか血まみれになっていくわけですよ。でも母はね、なんかそこはいいんだみたいな。
さらにその上にアノンを塗って、なんかね、赤白でピンク色になっちゃうんですよ。血が混じってるから。ちょっと嫌な話ですかね。ギャグだと僕は思うんだけど、そういうことがあって、メーター要素になる。
だからその肌がちょっと悪化するっていう風に思ったり、見たり、蚊に刺されたりするたびに、僕の中にベータ思考が生まれてする。排出しなきゃって考えるわけですよ。
くすゆかいだから。その不快感は痒みという形で現れるんですけど、で、めっちゃかくわけです。だって排出してるから。思えばですね、私よく肌をナイフで切り取るという空想をしていたし、夢も見てたんですよね。
だからその肌をナイフで切っていくっていう、表面を切り落としていくみたいな感じ。そうするとツルツルになっていくっていうアホな空想をしてたわけですよ。これがベータ排出と呼ばれる行為なの。行為としての身体化も含むんですけど、要するに和訳的になってもわけわかんないわけ。考えてないじゃないですか。何にも。父も母も私も何も考えてないですよね。
そうやって肌が良くなるはずないだろうっていう、ごく当たり前の結論が導き出せてないですよね。これだけで話が十分時間いっぱいになったな。この後2つもやってると時間が増えるばかりなので、ちょっと以降の話は明日に。以降に回しましょう。
あとは彼女ができない問題っていうか、ひもて問題なんだよね。これは杉下さんって人と一度、杉下さんなんだっけ?違うような気がする。対談してみたいと思いますね。あとは父の、私のベータ要素そっくりのものを父は実は持っていて、つい最近の話なんですけどね。わかったのは。精神科にまで行ってみて、父の話聞いていて、つくづく俺と全く同じだなこいつはと思ったんですよね。この人、じいさんになるまで一生こうだったんだなとかわいそうにと思いましたね。
3つある。最低でももっとありますけど、具体的にいくらでも言及できることとしては3つですね。とにかくいずれも考えてはいるんですよ。思考だから。
現実の予期概念という風にビオンが言うもの。つまりこういうもんだよね現実ってっていうのと、現実って絶対一致はしないじゃないですか。こういうある種現実に対する思い。これを誤信念と先日言っちゃったんだけど、誤信念が実現するんではなくて、時間を無駄にする話、俺は時間を無駄にしているんだという誤信念が予言が自己実現するみたいになるんじゃなくて。
そうじゃなくて、ベータ思考は一致してないっていう。私の時間の使い方はこうであってはならんみたいな。とにかくどうであるとかわかんないんだけど、こうであっちゃダメだっていう。私の肌はこうであっちゃダメだっていうね。こういう風になるのもダメだみたいなそういうある種のミスマッチに対する耐えられなさなんですよ。
ミスマッチはあっちゃダメだってことなんです。でもミスマッチはあるから、ベータ思考が最初に発生した時に、ズレが発生した時に、ズレを認識した時にショックを受けて、これが要するにミクロな心的解消みたいな。ミクロなトラウマ。トラウマのない人ってだからいないとも言えるわけですよね。
どんなにミクロでも絶対一致しないんで、一致してないっていう風になった瞬間に、一致させる努力をするべきなんですよ。考えようによってはですけど。これはポッドキャストだから、べきって言っちゃいますけど、精神分析ではべきって考え方は取りませんが、とにかく一致させる努力を、努力ではどうにもならないんですけど、そうでもこのベータ思考は生まれるんですね。
ここで直ちに排出をするっていうことをすると、要するにビヨン流に言うと時間が流れなくなるわけです。その人の中で。時間が流れるというのは、思考が進むということとイコールなんですよ。
だから時間を無駄にするっていう言い方をビヨンはしてるんだけど、それは時間を無駄にするという間違った観念とか、時間を無駄にするという認知の歪みが実際に時間を無駄にしてしまうんだという予言の自己実現みたいな説明を僕はしちゃってたんだけど、先日ね、何日だったかわからないんですけど、それは正しくないです。
正しくなくて、そうじゃなくて、自分の時間の流れ方、使い方、その他、要するに現実ですよね。きれいになってないとか、部屋があたずいてないとか、そういう私がこうであるはずだと思っている現実と少しでもズレがある現実を知覚してしまった瞬間に、ズレがそこに生じる。
そしてベータ思考が生まれる。このベータ思考が耐えられなくなった時にベータ思考を排出し、ベータ思考を排出すると、要するに現実が破壊、私の肌みたいなものです。何かがおかしくなってしまう。
それを何とかするための手立てを取るという方向を考える。少なくとも何もしないということによって時間が経過していくんですけれども、それもできなくて何かをしてしまって動かしてしまう。しかもその動きは考えられなかった動きでただ動かしちゃうわけですよね。
ただどうしようもないから排出してただ動かしてしまう。私が肌かきまくるみたいな、あるいは肌ナイフで切り落とすみたいなことを考えたというか、そういう考えをもてあそんだようにですね、そういうことになってしまうわけですよ。これがつまり時間を破壊するという表現をとっているわけですね。
なぜならば、そこでは私の連続性というものが意味をなさなくなるわけですよ。私は肌をかき続けているという意味では連続しているのかもしれないけど、そういう感じはしないですよね。なぜならこれは良いことじゃないと思っているし、やめなきゃと思っているんで、肌はかき続けているんだけど、かくべくしてかいているんだけど、かゆいから、かきたいと思っていないわけですよ。
だから自分の中の全てがバラバラになっていて、全然連続していかないわけです。だから時間が流れていないわけです。まだ永遠に肌をかき続けているだけみたいになっちゃっているわけですよ。
この状態から少し前へ、少しでも前へ進むとき、だから少ししか前に進んでいないから、適切な思考、つまりアルファ思考なんですけど、生まれたからといって、形にすごく良いことが起きるわけでは決してなくて、肌はかゆいままだし、何ならアトピーなまんまなんだけど、そしてせいぜい我慢しなきゃぐらいに思っているだけなんだけど、
でも少なくとも描かないでいる間、そしてこの肌を排除しようとしてもダメだみたいに、ここまで行くと相当早いよね。そこまでは一気にはいかないんですけどね。
表現なんかできないんですよね。アルファ思考、言葉になってないから。それどころか、夢思考以前でナラティブにすらなってないんですよ。でも大きな違いがあるわけですよ。何ていうのかな。何なんだろうこれは。何なんだろうね。ここらへんで詰まっちゃうんですよね。
言葉にならない思考の断片だから。ベータ思考もアルファ思考もそういう意味ではよく似てるんですよ。ただベータ思考は恐ろしくおぞましいものなんですよ。私にとってそういうものでしたからね。汚い肌みたいなのは恐ろしくておぞましいもの。これ母の感じ方なんですけどね。きっとね。とにかく恐ろしくておぞましいものなんですよ。ホラーなんですよね。ほぼほぼホラーなんですよ。
名付け犬恐怖とかいろんな言い方するんですが、ベータ思考なんですよね。それは思考の産物なんです。自分の全概念と現実がマッチしていない。強烈に不満がある。この不満には耐えられない。耐えられない不満ってすなわち死の恐怖なんですよ。だから死の恐怖と言ってみたりもするわけです。肌が荒れてるのが死の恐怖っていうのは、わからない方には全くわからないことだと思うんですけど。
私にとっては肌が荒れるっていうのはまさに死の恐怖に限りなく近いものなんですよ。でもそれはそれでもアルファ化少ししてる気がするんですね。アルファ機能に変わっていくとつながっていくわけです。
例えば父はバカだけどアトピーにフルコートステロイドを使いまくるのは良くないというのは私を思ってのことだ。ここまでは全然いかないんですけどね。でもここにつながりってものができるわけですね。
全然バラバラなことをやってるわけじゃないっていう連携リンクって言い方をする。これを経営リンクって言うんですけどね。なんかそこにナラティブ的なものを見出せる。どうしても時間の歴史を見に行くって感じなんですよね。しかしそもそもせめてこう考えるってことですよ。母があんな石のたわしみたいなものを買ってこなければなと。
他人のせいにしてるような感じもしなくはないんですけれどもいいんですよ。別に多発だろうと多石だろうといいんです。思考がナラティブに近づかないよりは近づく方がマシなんです。ただただ多分ね多分ですよ。ここに間違いがあるかもしれない。でも僕の考えではだんだんそうなってきたんですよね。
とにかく排出はするから。何かは排出せずに、とてもじゃないけどやってられないし、排出はする。排出をするってことは常にベータ思考はあるんだから。思考がないよりはあった方がいいわけですよ。極論ですけど相当。でもやっぱりそうだと思うんだよね。PSだってPSより前があるわけだからPSがいけないわけじゃないんですよ。PSだって一つのポジションなんですよ。結構有用なポジションなんですよ。
それとよく似ている話だなと思います。ベータよりアルファの方がやっぱり先の可能性が感じられますが、アルファだったら十分なんてもんでは全然ないんですよ。いわゆるC水準の思考、夢思考の前ですもん。
だからそれはもう本当に石のたわしで擦るからさみたいな。でもこれは歴史があるじゃないですか。だから肌が悪くなったんだという。ここに繋がりを見るわけですね。私の肌を石で擦った。だから私の肌は今荒れているという。この繋がりがベータ思考よりずっと前へ行ってる。もうこれはナラティブありますけど、ナラティブ以前って無理じゃんね。
石だけ考えるとか、石だけをイメージするとか、歯が擦った瞬間のこと、断片的なイマジネーションとか、あるいは母がほらもうほろほろ出てくるんだなみたいな、そういう言葉とかに意味を見出すっていうようなニュアンスみたいなものがアルファエレメント、アルファ要素なんだと思うんですけど、そんなの説明しているとまた時間が無限にかかっていきますから。
だから我々はそれをナラティブに圧縮して扱うようにするわけですよ。ベータ思考はもう無限の広さなんですよ。アルファ要素だってもう無限じゃないけど溢れんばかりになっちゃうわけです。心の中のイメージばっかりになってしまうと。
そういう話は戸綾階堂もしてましたけどね。カウンセリングの中でひたすら話が拡散していく人がいると。だからあれは断片的なアルファ要素からなかなか先へ進まないわけですよ。断片的なアルファ要素の話を説明していれば時間無限に必要になりますよね。だから時間を無駄にするんですよ。
つまり破壊するというのは拡散させるってことで、時間というものは結局ナラティブなんですよ。少なくとも人間にとっては。この時にこうしてあの時にこうしてそれからこうなってっていう風に言えるってことはこうやって初めて時間の枠の中に収納しきれていくわけじゃないですか。
このポッドキャストがまさにそうですけどレクチャーとかセッションとかいったものは基本的にはこの水準で進めないと何かまとまった話にはなかなかならないわけですね。ひたすら拡散していってしまったら1時間なんていうものあっという間に使い切って時間を無駄にする。つまり時間に対して拡散的であるということ。肌をかきまくってるっていうのは私本当にそれすごい痛感したんだけど喉をかく曲あるんですよ。
うちの肘の内側をかく手首をかく右手首をかく左手首をかく左手首の後ろをかく左手首右手首の後ろ無限にかかるわけですよ。だから時間を無駄にする。つまりこれは誤信念が時間を破壊してるんではなくて、破壊しているんですよ。その人の存在と行動それ自体がベータ排出によって破壊し続けていくみたいな。
なんかが違うんだよね。拡散し続けていくっていうか、拡散すなわちアイデンティティになっていかないみたいな感じなんですよね。
破壊はなんかおかしい気がするんだけど非常にあの時私は肌に対して破壊的であったっていうのは確かな気もするんですよね。時間がなんかすごいかかってるっていうのはこれを反復して初めて考えるようになったことなんですよね。