1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. なにも信じられない人のための..
2025-10-09 45:18

なにも信じられない人のための精神分析【1261】

「なにが良いか?」を常に疑っている。
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サマリー

このエピソードでは、3ヶ月チャレンジの進行状況と、台風の影響を受けた日本の風景が描かれています。また、家族の生活や日常のルーティンに伴う課題についても触れられています。このエピソードでは、精神分析の観点から病気や適応の問題が探求されています。特に症例診断主義やアセスメントの重要性、心理カウンセリングのサポートについての議論がなされています。このエピソードでは、精神分析における答えの不在やフロイトの中立性について議論が交わされています。特に、心理療法における適用が本当に良いものかという難しい課題に触れ、現在の社会的トレンドにも言及されています。このエピソードでは、許しというテーマを通じて人間の内面的な葛藤と自己理解が探求されています。フロイトの精神分析に基づき、無意識や自我、タロットといった話題から、人生における責任や解釈の重要性について考えが深まっています。このエピソードでは、無意識と記憶の捏造、カウンセリングにおける価値観の影響についての精神分析が語られています。

台風の影響と日常
おはようございます。3ヶ月チャレンジ通信第1261回をお送りします。
10月9日木曜日7時41分です。
わぁ、完全に正常な時間。
日本は今、台風が接近していてですね、
まあ、この辺相模湾に面しているんで、暴風が吹いております。
ちょっと雨はそんなんでもないんで、多分本体からは結構遠いんだと思うんですけど、
その割には風が激しい。
まあ10月、もう半ばになろうとしているわけですから、
このもんやりした風と強風っていうのはやっぱり、
あの、季節が半月以上ずれてるなぁっていう感じですね。
20日から30日やっぱりなんかがずれている。
これが9月の中旬なら、まあ、あったよな、昔もとは思うんだけど、
10月の中旬となってきますと、
まあ普通じゃないよねって感じはしますね。
家族のルーティン
普通が変わったと言うべきなんでしょうかね。
いよいよ3ヶ月チャレンジがですね、3ヶ月目に入っているわけなんですね。
なので、第今10、11期だったかな?
ちょっともうなんかその辺がすぐ曖昧になるのは、
私の良くないところではあるんですけれども、
なっちゃうんでしょうがないんですけど、
まあ今たぶん10、何だろうな、11期なのかな?
11期なんですね。
だから12期に、来月から始まります。
で、まあコースを多様に用意させていただいて、
これ絶対どっかにノートとかに書こうと、
書こう書こう書こう書こうと思ってるんだけど、
意外と、まあ、いろいろあるんですね。
やっぱり人生というのは。
全然関係ないところで、
例えば、今はもう奥さん実家に戻っておりまして、
最近頻繁に戻ると。
で、まあこれは僕がライフハック得意としていたこともあるんですけど、
奥さんの実家に戻る手配は、
荷物等を除いては全部私がやるんですよ。
えーと、新幹線の往復やら、ホテルを予約をするやら、
その新幹線の往復にスイカを紐づけるとか、
全部僕がやる、往復割引を、
あの、ギリギリのところまで高く、
あの、安くいけるようにするとか、
席の確保とかも、
あの、まあ、なんかコンシェルジュみたいになっちゃうわけですね。
これ結構ね、手間取るんですよね。
あの、なんて言うんですかね。
例えばそれで、よくあることなんですけど、
スイカがなんかちゃんと連動されてないとかなると、
劣化のごとく怒られるんで、
あの、ちゃんと連動させてなくても、
自分だったらできちゃうから、
その新幹線に乗る直前とかでも、
ついそういうふうに、僕は刺さってやってしまうんですよね。
それが、ちゃんとこう、うちの奥さんがやっても、
絶対何にも滞りがないようにやるとなってくると、
減らい神経使うんで、
なかなかこう、スルスルっていかないんですよ。
こういう、僕からすると、
なぜこれはスルッといかないのだろうっていう気がするようなことが、
スルッといかないんですよね。
なので、意外にこれがね、
あと、駅の送迎とかの、
その時間も、こう、できるような時間に、
セッションやってますから、3ヶ月チャレンジで、
セッションの合間と合間の間に、
送迎を確実にするという、
これもなんかこう、スムーズにいかないと、
結構不機嫌になるんで、
ちょっとこう、あの、
はい、到着です、みたいな感じになるわけですね。
まあ、ちょっとデフォルメはしてますけどね。
でも、そういうふうなんですよ、私の中ではね。
だから、これが結構こう、いろいろとやるわけですね。
で、この状況になると、今度は、
うちの娘のね、お弁当は私が作り、
朝食も私が作り、送迎も私がする。
で、学校に行っている間の、
その何時に着くとか、
今どうしてるっていう連絡も、
すべて私に入るしかないので、
あの、今日は塾に行く日だからどうのこうのとか、
制服にアイロンかけるとか、
そういう作業がですね、追加されてくるんで。
で、これが、なんか別に年に1回か2回とかなら、
全然よかったんだけど、
これが毎月のように発生するとなってくるとですね、
あの、結構こういうことをやっているうちに、
あの、時間が切れてくるわけですね。
まあ、こういうことだけやってるわけじゃないですからね。
ああ、なるほど。
これが世に悪名高いワンオペとかいうやつなのかと、
まあ、別に私は何かそれで大変な思いをしてるわけでも、
なんでもないので、
あれなんですけれども、
やることだけはやたらとあるなという感じで、
3ヶ月チャレンジの変化
こう、くるくるくるくる回っているうちにですね、
あの、気がつくとサンチュレ通信で、
コースをセットするとかいうことが、
なぜかこう、なぜか、
そういうのってルーティンじゃないじゃないですか。
12期が始まるからセットするぞみたいな感じで、
3ヶ月ぶりにやるぞみたいな感じで、
あれ、そもそもどこに、
あれって、ほら、なんか全然誰も見ないところに、
今見られてるのかどうかさっぱりわかんない、
あの、ホームページとかに、
あの、更新だけしても、
それは僕の自己満足に終わるので、
あの、更新したから見てねみたいな、
見やしないじゃないですか、
別に見る義理とかないわけだから。
格好じゃないですからね。
だから、当然のように見られないということが起こり、
私がここで一生懸命喋ってたところで、
あの、もう2桁から一向に変化しない。
やっぱね、あの、ちょっとXのケンスーさんって方いらっしゃるんですけど、
もうなんかポッドキャストに前振りする、
これからはポッドキャストの時代だ、
みたいなことをおっしゃってるんだけど、
これがどういう意味なのかが、
僕には全然わからなくて、
多分彼には見えるんだが、
僕には全く見えないことがあるんでしょうね。
どう考えてもこれからポッドキャストの時代とは思えない、
時代は完全にYouTubeの時代にしか思えないんですけど、
っていう感じなんだけど、
多分、ああいうこう先端的な頭脳の持ち主には、
何かが見えるんでしょうね。
で、私は、あの、実は非常に後端的な頭脳の持ち主なので、
見えないんですよ、ほんとに。
じゃあドットっととYouTubeやればって思われるじゃないですか。
でも僕動画ってすごい苦手で、
あの、顔が映るのが嫌だとかじゃないですよ。
昔は嫌だったんだけど、
今はもう顔が映るとか声が出るとかは全然嫌じゃないんだけど、
なんかね、あの、こう前後を編集するとか、
そういう作業をするのが、
全く気が乗らないんですよね。
やっぱね、あるんですよ。
佐々木さんはそのブログをどんどん書いて素晴らしいとか言ってたんだけど、
ブログはどんどん書けるんですよ、別に。
なんかそういう特別な何かを必要としないんですよ。
でも動画はどんどんアップはできないんですよね。
同じだろうと思うんだけど、
全く、まずやっぱりね、
ブログはどうしようつまらなくても読むっていうのがありました。
でも動画は少々つまらないのは絶対見ないっていうのがあります。
今さすがに動画見るようになってきたんですよ。
なんかオチアイヒロミスのヒロミスチャンネルとか、
見てるんですよ、そこそこ。
あの、そこそこは見てないな。
ちょぼちょぼ見てるんですよ。
山崎孝明さんが出れば見ますし、
やっぱ僕山崎孝明さんのややファンだなって思うんですよね。
遠畑海斗さんのは正直全部は見ませんもんね。
だから彼の方が人気は明らかにあるのは僕だってよく知ってるんだけど、
なんかね遠畑海斗さんの見るかって言うと別に見るわけではないんで、
山崎さんがよく登場されているあの京都大阪の
あの浜内さんって方がやっている、あれは素晴らしいと思うんだけど、
でも浜内さんがやっていらっしゃるあれを全部見るかって言うと、
そうはしてないんですよね。
ちょぼちょぼなんですよ。
山崎さんのは基本全部見てるんですよ。
なんかよくわからないお三方でやっていた
今なぜ精神分析かみたいなのも全部見るんですよね。
これやっぱり見たいんだなって思うんですよね。
その理由は正直よくわからないなって思うんですよね。
一番ためになるとかそういうことではないなと。
でも松木邦博さんはもうなんかあの徹底的に探し出して見てるから、
やっぱ松木さんのは見るんですね。
藤山さんは全部は見てないんですよ。
なんか落語のなんとかとかは、
僕やっぱあんま落語って全く僕聞きませんから。
この全く聞かないというのは多分かなり好きじゃないでしょうね。
あの幼い頃商店ってなんかテレビなんかのうちめったにテレビ見なかったくせに、
なんか商店と住もうと連続ドラマ小説だけは見る家だったんですけど、
僕は連続ドラマ小説すごい嫌いで、
未だに好きじゃなくて、
申し訳ないです、好きな方は。
別にいいんです、好きで全然。
僕はあれすごい苦手だったんですよ。
なんかもう母が見てるのを見るともうなんか嫌悪感が湧いてきて、
なんかもうね、その時はトイレにこもるとか、
15分で終わるじゃないですか。
ぐらい好きじゃなかったんですよ。
別にいいじゃないですか、ドラマなんて。
そこで流れているのを見てみとけば。
できなかったんですよね。
で、見ている母が嫌いとかはなかったんですよ。
やっぱ僕はドラマがそもそも好きでなかった。
ドラマってほとんど見たことがないんで、
何ドラマであれほとんど見たことがないんですよね。
通しで全部のドラマを見たっていう経験はないはずです。
で、商店はまだ子供の時ギリギリ見られてたんですけど、
大人になって意味がわかるようになってからは全く見なくなりましたね。
で、なんで商店の話を今したかを忘れつつあるんですけど、
あ、落語。
落語って多分僕苦手なんですよね。
いや、なんかそれは文化としてとても優れているんだみたいなのは
分かりはしないけど納得はするんですけど、
それはそれとして見るのは見ないみたいな、
そういう感じですね。
全然関係ない話が続いてますが、
つまり短カ月チャレンジ12期からは、
基本はほとんど何も変わらないんですけれども、
自分ができるだろうなと思えることを
ちょいちょいカスタマイズですね。
その方その方に合わせてやっていこうかなと。
中でもちょっとやや目玉にしたいのが、
これ多分ねうまく伝わる気がしなくて、
やればこういうことなのかって
絶対わかっていただけると思ってるんですけど、
うまく伝わる気がしないんですけど、
私こうアセスメントはできない立場なんですね。
で、治療はもろんできない立場なんですよ。
だからあの戸畑海人さんがカウンセリングとは何かで
アセスメント大事ですみたいに大事だのは分かるんだけど、
基本立場上できないことになっているからできないわけで、
アセスメントはしないんだけど、
診断と病気の認識
なんなら心理カウンセリング、精神科とかじゃないですよ。
心理カウンセラーの紹介はできないんで、
知り合いいないからねほとんど。
山崎孝明さんは一応知り合いだけどしかいないんで、
全部山崎さんに紹介するとか変じゃないですか。
そういうことはしないですし、
紹介ではないんだけど、
探す伴奏はしますっていう感じなんですね。
もし探したければ。
で、私は別にオススメはしません。
参加者さん病気だと思ってるわけじゃないんで、
アセスメントしないのに病気だと思うわけにいかないんで、
で、アセスメントなんてものは、
なんてものは言っちゃいけないんだけど、
あの症例診断主義を当てはめるなら僕絶対病気ですから。
確実にスキーゾイルパーソナリティディスオーダーですよ。
僕は当てはまりますもん、あれに厳密に。
現にアメリカで、
もうほとんど症例診断主義のタイカとは言わないまでも、
ものすごく深く関わってる教授と、
私、こうこうこうこうで、
こうこうこうこうで当てはまりますよねって。
いや、将悟君はバッチリ当てはまるねみたいなことを、
いや、当時はバッチリ当てはまったと思う。
今はそこまでバッチリは当てはまりません、多分。
でもバッチリ当てはまりかねないわけですよ、専門家に言わせれば。
アメリカ人のその症例診断DSMね。
ただ、あの当時3点いくつとか3、3.5とか言ったかな。
なんかね、細かいのがあるんですよね。
習ったんですけども、ほぼ忘れつつあります。
今5ですから、同じじゃないと思うんですけど、
当てはまっちゃうんで、別にそんなの、
だからといって僕自分病気だと思ってませんからね。
人格障害だとか思ってないんで、
そんなものはデタラメだとある意味思っているんで、
この言い方通らないかもしれないけど、
いずれにしても僕は専門家にそういう診断を受けたことはありません。
だから何の病気でもないです。
そういうことなんだと僕は思うんですよね、症例診断主義って。
あれは勝手に客観的には決まらないものなんですよ。
本人が社会的何かしらで困っていて、
周りも困っているから何とかしてくれって状態になって、
アセスメントを受けて初めてそうだって言われるものであって、
適応と職業選択
この、何でしょうかな、それっておかしいじゃん。
病気は客観的に病気じゃんっていうふうに思われるかもしれないけど、
症例診断主義ってそういうことでは僕はないと思うんですよね。
あくまでも適応との関連で語られるべきものであり、
適応してるなら病気じゃないんですよ。
非常に極端なことを言うと、
その性質がすごく強いがためにできている職業、
例えばすごい細かい作業が必要とするとかね、
いうことが適応的であるならば、
むしろそういう傾向がない方が不適応なんだからよくないわけです。
つまり職業選択が間違ってるってことにされてしまいかねないわけですね。
これは客観的には決まらないじゃないですか。
その人の同じ性質をもっと緩いところに来ると、
むしろ不適応を期待すっていう職場もあるはずなんですね。
あるいは夜は寝られません。
でも夜勤しかないですって仕事はその方がいいわけですよ。
昼は眠くなっちゃうんだけどって、
単なる宇宙夜逆転なのかもしれないけど、
でも治んない人っているんですよそういうのはね。
これだって適応の問題で、
だって夜勤なのに夜グーグー寝てたら不適応じゃないですか。
カウンセリングの支援
だから客観的には決まらないんですよそういうことは。
あくまでも周りとの関係で時代って変わりますからね。
フランスの人にはすると昔の日本のね、
例えば不幸があった場合には何万円公伝として出す。
報酬の場合はいくらいくらって細かく決まってるじゃないですか。
あるいは脅迫的だっていう風にフランスの精神科医の人が書いてたことがあるんですけど、
それはフランスから見るからそうなるんですよ。
一つの文化に対する人々の適応度っていうものは、
そこで暮らす人たちの価値観によって変わるんで。
だから客観的には決まらないんですよ。
それがどんなに変に見えても。
それが変に見えるっていうのは、
あの良心理学が変だって感じるのと同じで、
おかしいんですよその観点っていうのは。
自分が観察していなくても客観的に何か決まってるはずだってのは、
実は嘘なんですよね。
だって良心理学ってそういうこと言うじゃないですか。
我々人間デカすぎるんで、
電子の前に立つと電子の動きに妨げが入るんですよね。
観察ってそういうことであったらいけないっていうことになってるじゃないですか。
自分が観察者としての観察者効果って言うんだけど、
観察者がいようがいまいが現実は変わってはいけないんだっていう客観的現実はね、
そんなのないんですよ。
なんで特に真理となってくるとそんなのあるはずがないので、
客観的には決まらないんですね。
かなりいろんな話をすでにしちゃってますけど、
だからリファーはしません、紹介もしません、アセスメントもしません。
しかしご希望であるならば、
カウンセリングを検討するサポートはします。
そんなのに別にお金払わなくてもいいように思われるかもしれないですけど、
いざやってみるとですね、
これがなかなかどういうわけかはかどらないと言いますか、
そういう感じにならないというのが実はあると思うんだから、
この辺伝わりにくい気がするんですよね。
でもそういうこともやるんで、
別にそういうことだけをやってるわけじゃないんで、
私は紹介屋っていうことをやりたいわけでは決してないんで、
ていうかやりたくないんで、そんなことは。
ブリーフセラフィーであろうと、ポストであろうと、CBTであろうと、
そこはもう検討していきましょうと。
それらがどういうことであるのかも大体概略はお伝えできます。
ほぼ確実に間違ってはいないなと。
絶対正しいとかじゃないですよ。
だってブリーフはともかくポストですって言ったってさまざまなんで、
そういうものがマッチングとかを僕がするわけではないですよ。
ただまあそういうことならそれは悪くはないんではないんでしょうかぐらいなことは言えるということですね。
CBT一つ取ったって生活スキルの話をするっていう場合もあれば、
スキーマ療法みたいな話になっちゃうというような深い話になっていくってこともあるんで、
CBTならマッチしてますとかいうのはものすごくオーバーかな感じがするんで、
もう少し細かいことは申し上げられますと。
ましてお話いっぱい伺った方からはですね、そういうこともできますんで。
で、並行すると余計なお金がかかるじゃんっていうことであれば、
別に3カ月チャレンジの方を分割にしていただいて、
1カ月だけそういうことをやりながら、
以降の月はカウンセリングの方に行きますっていうのは全然ありっていう形にしていこうと。
これってそれなりのシステムを要求されてくるんで、
全部はだまで覚えておくのは僕の場合はちょっと不可能なんでですね。
まあ別にスプレッドシートとかにつけとけばいいだけの話なんですけれども、
まあそういうとにかくこともやろうとしていますっていうか、
まあ大体実はいくらかはすでにやっているんですよそういうこともですね。
それをもう少し本格的にもやっていきましょうという感じですね。
で、なんで精神科じゃないかっていうと、
僕は薬理の方に紹介するとなってくると、
僕の範疇完全に超えるなって感じがするんで、
カウンセリングはカウンセラーさんによってはですね、
正規のカウンセラーさんであっても、
これは心理治療では必ずしもありませんよって書いてあるところもあるんで、
だったらもうそんなに僕がやってることと極端にかけ離れてはいないはずなので、
全然違うことが行われるわけではない、なかろうと。
そういうこともあると思うんですね。
まあこの言い方自体がすでにセンシティブだなって思っちゃうところが、
非正規の厳しいところですよね。
今度僕ね、今度っていうかすごく先になると思うんだけど、
失敗したことだけを集め、失敗した人じゃないですよ。
こういう失敗をいっぱいしてきました。
100例ぐらい集めて、本にしようかなとなんとなく思ったんですよね。
なんかこれは誰が読んでもそこそこ意味のあるものになる気がするんですよ。
それを失敗とみなすかどうかとかもきっと流派によって変わってくると思いますし、
なんかもう失敗というものはこういうふうにして起きるんだな、
こういうやつがやるとみたいな。
それだけでも悪くはないような気がするんですよね。
なんか成功事例なんていうものを非正規で書いたところで、
いや、そんなの成功じゃないしって言われて終わっちゃうような気もするんで、
お客様の声としてはいいと思うんです。
僕が書いてるとは言いがたいから。
それはもうだって言えないじゃないですか。
その人がいいと思っているものに対して正規であろうと、
ダメ出しをするっていうのはあまり意味のないことだとは思うんですよ。
ただ私が書くとなってくると、
成功って多分客観的には認められないってことになってくるだろうから、
それだったら失敗であればね、
結局これはある程度主観でしか決まらないじゃないですか。
それがうまくいかなかったらうまくいったっていうのはね。
で、ただ今私はサンチャレが別にまだ依然としてノルカソルカ感はありますから、
失敗主というものを書き集めて出したところで、
何のメリットもないような気がするんで今はしません。
今これをしてサンチャレの参加者さんが激減しました。
誰が嬉しいんだそれって感じなんで、
なんかルーズルーズ感しかないんで、
それはしません。
でもまあね、
なんかこうあまり先は長くないなみたいになったらやってもいいかなと。
その頃になってそんなものに価値があるかどうかは分かりませんけれども、
でも別にそれだったらいいのかもしれんというふうに思うようにはなりました。
のでちょっとこのアイディアは温めておこうかなという、
どうでもいいようなアイディアなんですけどね。
いかにも自分がやりそうなことだなという気はちょっとするんですよ。
しかし、まあそんなわけで、
そんなこんなで大量の時間をこんなことで使っていてはいけない気もするんだけど、
マッチングと言いますか、マッチングではないんですけどね。
僕はマッチングっていう発想でやってるわけではないので、
ただ昨日ですね、参加者さんの方とお話をしているうちに、
これはやっぱり言っておかないといけないんだなっていうのが一つありまして、
昨日の話の続きに近いところもあって、そこはいいんですけど、
なんていうのかな、ちょっとねやっぱりこれもセンシティブな部分があるんですけど、
精神分析の核心
僕の見解として聞いていただければと思うんですけどね。
私が精神分析一押しなのは、
多分これは山崎隆さんのさっきよく聞くっていう話とも近いと思うんですけど、
見え切らなさにあるんですよね。
その答えがない。
戸畑海人さんってある意味すごいと思うんですよ。
この答えのなさに答えを与えようとしているギリギリ感が、
しかもそれを普通に分かるような言葉をなるべく増やすことによって、
あれなんですよね、ビジネス書の肝だと思うんですよね。
優しすぎず難しすぎず、優しくしましょう優しくしましょうって言われるんだけど、
それは簡単じゃないんですよ。
優しい本というのは優しいけど、優しい本を書くのは決して簡単なことではないんですよ。
一歩間違うと本当に何も言ってないような本が出来上がる。
まあその方が売れないとは限らないですけどね。
難しいんですよ、そこは。
優しければ分かられるとは限らないってことなんですよね。
もちろん難しいというのは最初から編集さんに跳ねられるんで、
難しい本ってそうそう出るもんではないんですね。
そうするとギリギリ許される、許容される難しさっていうところにある本がいいんだけど、
これが難しいんですよね。
でこれは揺れるんですよ、時と場合によって。
流行があるんですよね。
でも本が出るのは本が書いた直後じゃないですから、
書いて早くて1ヶ月、遅ければ2ヶ月後になるんで、
その間にもうトレンドって動くんで、
そんなの予約できないじゃないですか。
1ヶ月後だってできないんですけどね。
ガラッと変わりますからね、割と。
時と場合によっては。
コロナとかが出ると、
あれは実は本屋さんにとってはプラスに働いたんですけど、
そういうこともありますからね。
コロナって待ってはくれないじゃないですか。
脱稿したからちょっと待ってってわけにいかないですよね。
そんなことができるんだったら、
コロナなんてそもそも来ないようにしますよね。
本当に何が起きるかなんて分からないんで、
そうするとトレンドもガラッと変わりますから。
えーと、なんだっけな。
だからセンシティブなんですけど、
言いますと、フロイトって結局、
僕が一番いいと思ってるのが、
答えを持ってないってところなんですよ。
ショーレイドウォーラーの時までは、
明らかにフロイトは答えを持ってた感じがするんですよね。
彼が答えを知り、それを告げるみたいな。
しかし以降ですね、明らかに大きく変わっていて、
アドバイスの難しさ
答えを持ってないんですよね。
理解はしても答えではないんですよ。
理解と答えは違うと思うんですね。
つまりあなたは何々したほうがいいですとか、
そのように考えるのはよくありませんとかは、
もうかなり相当控えられていたと思うんですよね。
で、一見カウンセリングってみんなそうなのでは?
って思われるかもしれませんが、
フロイトは中立ってわざわざ言ってるんですよね。
僕はちっともそれを守られてないだろうと思うんです。
たとえ精神分析でも。
中立なんてありえないと思うんですよ、やっぱり。
でも、やっててやっててっていうのは、
つまり3ヶ月チャレンジをやってて、
つくづく思うのは、
やっぱり極力中立を目指したほうがいいってこと。
それぐらい自分は偏見に満ち溢れていて、
それは参加者さんも同じですが、
とにかく偏見に満ち溢れていて、
やっぱりそれは偏見なんですよね。
一見自分の常識に照らすと、
全然偏見じゃない、
これぐらいは当然だろうが、
実に当然じゃないっていうことに、
やっぱり思い知らされる。
その通りにガーンときますけど。
まあいろんなのありますよ。
本当にいろんなことがあります。
だからもう今で言うとそうだな、
なんかもうガチガチの、
まあ俗に寝とうよとか言われてる人が、
参加者さんになるかもしれないじゃないですか。
そしたらいやその考え方改めた方が
いいと思いますよとか言っちゃダメじゃないですか。
で仮にその考えによって
適用が著しく妨げられているからと言って、
それは悪いことかどうかは
まだわからないと思うんですよね。
適用を目指しましょうみたいなところは、
ギリギルされるっていうニュアンスが
多々あるんですけど、
しかし適用はいいことなのかっていうのは
やっぱあると思うんですよ。
X見ればいくらでもありますが、
ドクオヤに適用してもしょうがないだろうとか、
DVオットに適用してどうするんだとかって
書いてありますけど、
でもじゃあ別れることはベストなのか、
ベターかどうかじゃないですよ。
ベストなのか、
なんか今すぐ逃げるんだみたいなのもありますが、
でも言った人は逃げた人の生活の面倒を
見てくれるわけでもないじゃないですか。
なんとかなるからみたいに書いてあるけど、
なんとかなるということを言うだけなら、
私にも言えるんですけれども、
なんとかなるかもしれませんけれども、
それは自分だったらなんとかなるって話を
してるのであって多くの場合、
その人がなんとかなるかどうかは
また別の問題じゃないですか。
なんとかなるとしか言いたくない時はあるから
なんとかなるって言っちゃうことはあるんだけど、
その時には自分中立を犯してるっていうことには
意識的であったほうがいいと思うんですよね。
実生活の影響
確かになんとかなるとここはもう言うしかないから
なんとかなるって言っちゃいますがっていう感じで
なんとかなると思ってるしねその時は。
しかしそれは中立的じゃないですよね。
なんとかなるからここはもう会社辞めましょう
みたいな話に結局なってしまうんで
なんとかなるって言ってしまう以上は
少なくとも多少は進めてるってことになると思うんですね。
でもそれを進めるということは、
会社を辞めたほうがその人の人生にとって
幸福度が増すみたいな話を
結局しちゃってるわけですよね。
でもそんなこともわかんないじゃないですか。
ブラックで今の上司は本当にひどくて
資料滅裂でこのまま行ったら確実に鬱になって
ひどいから絶対辞めたほうがいいですよかもしんないけど
でもその会社が突然心を入れ替えて
急にホワイトになって
その上司はいなくなってってことが
翌日に絶対起きないとは言い切れないと思うんですよ。
そんなこと言ってたら
何のアドバイスもできないじゃんってことになるんだけど
そうなるんですよ。
だから何のアドバイスもできないはずなんですよ。
ここを僕はですね
力度というところでもCBTは言うまでもなくですね
だって行動を変容させるんですから
力度というところであったとしても
それかアドラーさんであれユングであれ
やっぱり正しい方向に導いてしまうようなところが
フロイトよりは強く感じられるんですね。
例えば魂に悪いとかって
河合ハヨさんはもうあっさり新聞とかにも書いちゃいますからね。
わかりますよそりゃ新聞に書くんだから
その何か言わないわけにいかないよねっていう
新聞に書くというのに
自由連想を読者の皆さん始めてくださいとは書けないじゃないですか。
まあ意味ないですしね。
でもだからどこかそういう発想を持ってるなっていう
例えば生きられていない人生の反面っていうような言い方
あるいはまあ影でもいいんですけど
を生きるんだっていうのが
それがいいんだっていうニュアンスが
ニュアンスというかやっぱり
それがいいんだっていう感じがありますよね。
私のミドルクライシス
ミドルクライシスっていうのは
僕は言うのと相性がいいと思うんですけど
私のミドルクライシスでも
私が生きてこなかった反面を生きる
確かにそうなったんだけど
で私はそれによって
まあ長らくの皮膚炎も非常に良くなり
良かったと思ってるけど
本当に良かったのか確かに良かったのか
それは絶対いいことだと言い切れるかっていうと
私はそういうことは言えないと思うんですよね。
これはたまたま私が
うまいこと転がったところに
行き着いているのであって
別に人生の生きてこなかった反面を生きることが
ベターであったとかベストであったことが
事前に予測がついていたわけでは
決してないと思うんですね。
で結局言えることは唯一
私が答えを答えというのか
私が自分で
これみんな当たり前じゃんって言うんですけど
セッションが始まって
いよいよ煮詰まってきました
煮詰まるにはいろんな意味があると
僕は思うんですけどね
煮詰まってきましたって時に
でどうすればいいって
ついでちがうものなんですよ
でフロイターその答えを持ってない方が
いいんだって言ってるわけですよね
中立なんだから
その相手の無意識に自分の無意識を
受話器のように差し出し続けるんだっていう
つまりどうしたらいいんだろうっていう問いも
同じなんですよ扱いは
どうしたらいいのかに対する
このね多くの場合
自明じゃないですから
上司がどうも最近理不尽な上司に変わって
自分は追い詰められている
で確かにこうこうこうこうこういう風になっていて
それは投影とか空想とかではない
確かに立場は悪くなっている
給料も上がらなくなっていて
そしてえっと
違う部署の変換を少なくとも希望した方が
いいのではないかと思うんだけれども
しかし違う部署の変換をして
さらに会社での立場が悪くなったりすると
妻子もまだいるし
子供もまだ小さいし会社辞められない
しかし最近は会社に行くのも
すごく億劫になってきて
心身傷なのか分かんないけど
消化も良くなくなってきているってなって
ずっとそういう話が続いているとしますよね
で奥さんも最近それを何か心配してるのか
むしろ機嫌が悪いと
で実際のところこの
例えば上司なりに
自分のこの求情を訴えて
もっと上の上司とかですね
に言うべきなのかどうかって
ほら普通じゃないですか
カウンセリングの人に聞くなんて
で例えばこれが
あなたが生きてこなかった人生の
反面みたいなことを言うんであれば
かなり力動的だし
直接のアドバイスとは違うと思うんですよね
直接アドバイスって話になってくるんならば
例えばそうは言っても
その上司のことを許すとかね
自己啓発的に言うと
これだから結構真剣な話してるし
あのさらっと言うからいけないんですよ
許しの難しさ
かなり深刻な話してるんですよ
こういう許し難いという気持ちがある中で
この状況を許すって話をしてるんで
ただそれは許した方がいいっていう
ある種の確信がいるんですよね
そこに中立とかではないと思うんですよ
あるいはそのそうですね
会社にそこまでがっつりで
奥さんとかの話
家族のためってことばかり考えていると
それは結局人のための人生になっちゃうから
自分の人生いきましょうみたいな
私これイコールじゃないと思うんですけど
嫌われる勇気とかを読んでいると
そういう感じのニュアンスになりますよね
これはこれでおかしくはないと思うんですよ
そのようなことを言った方がいい時は
あるんだろうなって思うんですよ
私は言わないけど
でもうちょっとですね
これらはかなりどれを選んでも深刻じゃないですか
大変じゃないですか
そこでもう少し楽な方法として
現在の何がいいかな
何でもいいんですけど
バイオリズムを見るとかいう考え方もあると思うんですね
それ気休めじゃんって思われるかもしれないけど
この際気が休まるならそれでもいいと思うんですね
私はこれ以上のことあんまり言えないんですけど
そういうことって結局ありえないことではないだろうな
ありえないことではないってのは
リズムの話じゃないですよ
それがこうそうする可能性は
ないわけではないだろうなと思うんですよ
ただしこれも中立じゃないよなって思うんですよね
私はそれがタロットであろうと
だってこれは結局出たものというものを
信じなさいって話にならざるを得ないはずなので
信じないんだったらもうやんない方がいいと思うんですよ
さすがに
出たこの占い師の力量みたいな話も
出てくると思うんですけどそこで
でも結局のところそこには
ある種の解釈があり
ある種の方向性があり
そもそもタロットってカバラですから
ユダヤ教じゃないですか
宗教なんでベースにあるのが
そこに価値観がないなんていうのは思えないんですよ
こうしてですね
仏教でもいいんですけど
なんていうのかな
仏教だったらなんて言うかな
私は空間だと思うんですけどね
仏教は最終的にはね
それを苦しめさせてるのは自我の存在だから
というような話になっていると思うんですよね
でもこれはいわば自我というか滅却的なことが良いって
やっぱり価値観を宿してると思うんですよ
別にそれが悪いって話ではないんだけど
あとそれは極めてやっぱり深刻な話になるだろうな
っていう気はしますよね
そんなに手軽にできるはずは
絶対ないと思うんですよ
そんなことが
無意識とフロイト
だって自我というものが滅却される
ということになってきたら
その次に自分がやることに対する
いかなる責任も自分では取らないって
言ってるようなもんですから
取れないというべきかな
それを良しとするわけですから
でそういうふうに考えていった時に
やっぱりフロイトは
でどうしたらいいんだろうと
あなたは今言ったけれども
それはこうこうこういうふうに解釈
と私は思う
例えばそれは父親に意見を聞きたい
という気持ちの現れだと
私は思うっていうだけなんですよ
あなたが今やろうとしている
あるいはあなたが今発した言葉の背景には
あなたのこういう気持ちがあると
私は思うっていうのを
ひたすらひたすら繰り返していくんですよ
でも私はそれが一番いいとは思うんですよね
それをどこまで正直にやれるかっていうのと
それをどこまで正確にできるかっていうのは
もはや力量だと思うんですよね
そこにだからオグデンがやったみたいに
あなたは今子宮の中にいるようだ
みたいなことまで言えてしまう人
あれはいわゆるスピではないんですよ
つまり例えば子供の時に
へそ脳が絡まって
窒息しそうになった経験があるとか
そういう記憶との関係を言ってるわけですよね
可能性ですよあくまでも
本人が経験したんなら
たとえゼロ歳だったとしても
あるいはもしかすると
生後間もなくのことだったとしても
忘れてはいない部分もあるんじゃないか
みたいなところにかけてるわけですよ
ただしだからどうしましょうって話は
出てこないってことなんですよね
だから中立になるわけですよ
結局のところ
相手が喋ってることの意味を
相手の実情に即して
なるべく相手の言葉で
説明しているに過ぎないのであって
私がやってることはそうじゃないですけど
そういうことであるならば
そこにフロイトなりが
そうした方がいいだろうっていう方針は
一切生まれてきませんよね
もちろんフロイトの無意識で
こう思ってしまってるっていうのが
出てくる可能性は高いんで
結局はそこに中立性はありえない
これしかやんなかったとしても
中立なんかじゃないはずだっていうふうに
藤山直樹さんあたりはおっしゃっていて
それは最もだと思う
だから中立って
いかに無理があるかっていうことなんだけど
でも中立目指そうねっていうところに
少なくともシンプルなアドバイスとか
麻酔と無意識
分かりやすい
自我指示的なものっていうのは
そこには現れるわけがないだろう
という感じはするんですよね
それに比べると
やっぱり生きてこなかった
反面とかになってきた方が
自覚的に進むべき方針みたいなものは
見えやすくなりますよね
でも私は自由連想から出てくるものっていうのは
本当に自由でなきゃいけない
っていう感じはするんですよ
やっぱり結局その人が会社を辞めるにせよ
部署を移動するにせよ
移動を願うにせよ
何かを上司に言うにせよ
言わないにせよ
全部その人が引っかぶることになるじゃないですか
ここから僕ら逃げがちなんですよね
なんつーのかな
この逃げがちっていう表現は
強すぎるんですけど
僕もそうなんですが当然
やっぱりできればそれをやりたくないっていう
これがですね
世の中で言われている
無理の一つだと思うんですよね
現実から目を背けるなみたいな
ああいう言葉って
すごい怪しいと思うんですよ
僕らはそれを言う人だって
もう現実から完全に目を背けてるから
そんなことを言ってられるわけですよ
自分の現実と対面してるんならば
それを言う余裕はどこにもないだろうなって
感じがするんですね
だからそれを言うってことは
すでに何かから反らしてるんですよ
意識を多分
よっぽど僕らは現実というものに
直面できないところがあってですね
誰もがですね
だからどうしてもそのフィードバックが
無意識から無意識と無意識の
そこに無意識と無意識の解体はあるわけですよね
喋ってるわけだから
本人は気づいてないこと
そして答えてるフロイトのあり
分析家も気づいてないことがあるわけですよ
やりとりしてるうちにあらぬ方向に
話が進んでしまうのはそのせいなんですよ
お互いが無意識にやってしまってることが
しかも相互作用が起きてしまっているんで
基本的にはこれしかやらないよっていうことなんですよね
自覚的にどっちに進んでいいかなどということは
そもそも自覚的にどっちに進んでいいか
ということ自体が自覚的でない力によって
左右されてしまっているから
だからそれを少しでも少しでも
多めに説明を入れることによって
そういう力に左右されているということに
自覚的になりましょうっていう話であって
どんなにそれが辛いと言っても
だからどこか精神分析って
それを信じてないようなところもありますよね
どんなに辛いと言っても
つらがってない部分もあるように思えるっていう
それは分かんないんですけどね
でも無意識ってことは
無意識もつらいと思ってるかもしれないけど
でも無意識ってことは
それが意識できてないわけだから
結局つらくないわけじゃないですか
私麻酔受けた時それを痛感したんですよ
あんなに麻酔抜きでは耐えられないと思ったって
麻酔をしているんだったら
その痛みはゼロなんですよ
痛みがゼロどころか
その間何が起きたのか
結局全然わかんないですよ
あれものすごい不思議な経験ですからね
無意識とはこういうことなんだっていう
だから時計を見ていて
ガムを噛んでいて
飴も舐めさせられていて
マイルドに全身麻酔に入っていくための
流れがあるんですよね
僕1時半だったと思うのに
1時半だな今って思って
次の瞬間2時になってたんですよ
本当に完璧にそうだったんですよ
間がないんですよ
だからその間は
死んでるのと変わらないなって感じがするんですよね
死と再生って究極的には
こういう感じじゃないとダメって感じ
そうじゃないんだけど死と再生っていうのは
絶対苦しみがあるんだけど
なかったんですよ何も
で本当かって思ったんですよ
本当にで本当だっていうのが
まずすぐに分かったのが
僕やっぱりその辺に分かってない人間なんで
ふっと起きようとしたら
ぐらっと来るんですよ
そしてダメですよみたいな
そんなすぐ起きようとしたらみたいな
だってわかんないじゃないですか
ついさっきまでは
うとうとっとしただけなんだから
えって思って終わりましたよみたいな
終わったってどういう意味みたいな感じで
起きようとしてぐらっと来て
ダメですよそんなすぐ起きようとしたってっていう
まだ全身に麻酔残ってますからみたいな
その自覚をすることが
その次の瞬間に出たんですよ
時計とかすぐ見たわけじゃないんで
ただ時計はさっき1時半ぐらいだなと思って
次の瞬間に2時1分とかになってたみたいな
ピューピューっていうかピューではないですよね
もう一瞬でこうパチッと切り替わったみたいな感じなんですよね
風景何も変わらないから病院ですからね
その間に30分が経過したとかは一切ないんだ
だからグッドバイブスで
クラウドの経路さんじゃないですけど
時間とは関連であるっていうのは確実に僕の中では
少なくとも僕らが知っている
量子力学でいうエネルギー単位としての時間
みたいなんじゃなくて
本当にこの時刻が進んでるっていう
これは関連なんだなと
記憶の産物でしかないんだなっていうのは
無意識と記憶の捏造
あれは痛感させられる出来事でした
確かに世の中には今ここしかないんだと
その30分が経過したとか
そういう経過する時間の流れみたいなのを
意識してますけど
それは僕らが勝手に
記憶の中で捏造しているだけであって
そんなものは実態としては何もないんだというのを
意識がそれを支えてなければ
あんなことになってしまうんで
実は大人ってのは
意識を飛んだような寝方はできないから
結構寝たなとかって
わけわかんないこと言うじゃないですか
あれはデタラメで
単なるそれはそういう記憶が
捏造されてるだけなんですよね
確実に
記憶って結局今ないものを
空想してるわけじゃないですか
昔はこうだったとかって言うけど
そんなのは分かんないじゃないですか
そしてそれは非常に部分対照的ですよね
世界は昔はこうだった
全部それを言えるんで
言えるわけがないじゃないですか
知らないこといっぱいありますよ
知ってることだけで構成してるのが記憶ですよね
しかもその間を繋いでる間の
空間は変わってるし
登場人物も変わってるし
年齢と合ってないし
もうめちゃくちゃなものですよね
単なる作り話なんだと思うんですよ
これと時間ってのは
多分何も変わらないんですね
だからその無意識って作用しちゃうんで
無意識が作用するってことは
当然無意識に持ってる価値観も
一緒に作用しちゃっているので
僕らは中立からほど遠い立場に立っているし
人に何かを喋ったら
もうそれは何かを
誘導してるに違いないんですけれども
そうは言っても自覚的価値観
例えば適応の方がベターとか
好ましい行動はあるとか
それこそ生きてこなかった半身を
生き直すのはいいことだとか
魂にいいことをするとか
自分の人生を生きるのはいいことだとか
こういうかなり漠然として
抽象的なことだとしても
そこに多分明快な方針というものが
現れててしまうので
これを携えてカウンセリングするというのと
これを携えないように
カウンセリングするっていうのは
多分だいぶ違ったことになる
どうしたって後者の方が時間はかかるし
なんだか非常に虚しい感じがすることも
あると思うんですね
だって方針を携えずにある
自分の中でつまりその人がってことなんだけど
分からないと思ってるものは
分かるようになるのかどうかすら分からない中で
分かるようになってきた時に
自然とそれを行うぐらいまで待ちましょうってのは
当然時間がかかるし
待ってられんってことになりやすいじゃないですか
でも待たないと
その人が結局引っかぶることを
他人が指図するってことに
どっかでなるんですよ
魂にいいことしましょうとか言って
魂にいいことしようってなって
魂にいいことを始めて
魂に悪いことをし始めるってことは
いくらもあり得ると思うんですよね
そこは信頼みたいな話に
だんだんなってくると思うし
結局そこでも利切りをみたいな話
だからもうこっから先は
ある意味何を信じるかなんですよね
一番何も信じない人がやりがちなのが
僕は精神分析だと思うんですよ
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