こう、くるくるくるくる回っているうちにですね、
あの、気がつくとサンチュレ通信で、
コースをセットするとかいうことが、
なぜかこう、なぜか、
そういうのってルーティンじゃないじゃないですか。
12期が始まるからセットするぞみたいな感じで、
3ヶ月ぶりにやるぞみたいな感じで、
あれ、そもそもどこに、
あれって、ほら、なんか全然誰も見ないところに、
今見られてるのかどうかさっぱりわかんない、
あの、ホームページとかに、
あの、更新だけしても、
それは僕の自己満足に終わるので、
あの、更新したから見てねみたいな、
見やしないじゃないですか、
別に見る義理とかないわけだから。
格好じゃないですからね。
だから、当然のように見られないということが起こり、
私がここで一生懸命喋ってたところで、
あの、もう2桁から一向に変化しない。
やっぱね、あの、ちょっとXのケンスーさんって方いらっしゃるんですけど、
もうなんかポッドキャストに前振りする、
これからはポッドキャストの時代だ、
みたいなことをおっしゃってるんだけど、
これがどういう意味なのかが、
僕には全然わからなくて、
多分彼には見えるんだが、
僕には全く見えないことがあるんでしょうね。
どう考えてもこれからポッドキャストの時代とは思えない、
時代は完全にYouTubeの時代にしか思えないんですけど、
っていう感じなんだけど、
多分、ああいうこう先端的な頭脳の持ち主には、
何かが見えるんでしょうね。
で、私は、あの、実は非常に後端的な頭脳の持ち主なので、
見えないんですよ、ほんとに。
じゃあドットっととYouTubeやればって思われるじゃないですか。
でも僕動画ってすごい苦手で、
あの、顔が映るのが嫌だとかじゃないですよ。
昔は嫌だったんだけど、
今はもう顔が映るとか声が出るとかは全然嫌じゃないんだけど、
なんかね、あの、こう前後を編集するとか、
そういう作業をするのが、
全く気が乗らないんですよね。
やっぱね、あるんですよ。
佐々木さんはそのブログをどんどん書いて素晴らしいとか言ってたんだけど、
ブログはどんどん書けるんですよ、別に。
なんかそういう特別な何かを必要としないんですよ。
でも動画はどんどんアップはできないんですよね。
同じだろうと思うんだけど、
全く、まずやっぱりね、
ブログはどうしようつまらなくても読むっていうのがありました。
でも動画は少々つまらないのは絶対見ないっていうのがあります。
今さすがに動画見るようになってきたんですよ。
なんかオチアイヒロミスのヒロミスチャンネルとか、
見てるんですよ、そこそこ。
あの、そこそこは見てないな。
ちょぼちょぼ見てるんですよ。
山崎孝明さんが出れば見ますし、
やっぱ僕山崎孝明さんのややファンだなって思うんですよね。
遠畑海斗さんのは正直全部は見ませんもんね。
だから彼の方が人気は明らかにあるのは僕だってよく知ってるんだけど、
なんかね遠畑海斗さんの見るかって言うと別に見るわけではないんで、
山崎さんがよく登場されているあの京都大阪の
あの浜内さんって方がやっている、あれは素晴らしいと思うんだけど、
でも浜内さんがやっていらっしゃるあれを全部見るかって言うと、
そうはしてないんですよね。
ちょぼちょぼなんですよ。
山崎さんのは基本全部見てるんですよ。
なんかよくわからないお三方でやっていた
今なぜ精神分析かみたいなのも全部見るんですよね。
これやっぱり見たいんだなって思うんですよね。
その理由は正直よくわからないなって思うんですよね。
一番ためになるとかそういうことではないなと。
でも松木邦博さんはもうなんかあの徹底的に探し出して見てるから、
やっぱ松木さんのは見るんですね。
藤山さんは全部は見てないんですよ。
なんか落語のなんとかとかは、
僕やっぱあんま落語って全く僕聞きませんから。
この全く聞かないというのは多分かなり好きじゃないでしょうね。
あの幼い頃商店ってなんかテレビなんかのうちめったにテレビ見なかったくせに、
なんか商店と住もうと連続ドラマ小説だけは見る家だったんですけど、
僕は連続ドラマ小説すごい嫌いで、
未だに好きじゃなくて、
申し訳ないです、好きな方は。
別にいいんです、好きで全然。
僕はあれすごい苦手だったんですよ。
なんかもう母が見てるのを見るともうなんか嫌悪感が湧いてきて、
なんかもうね、その時はトイレにこもるとか、
15分で終わるじゃないですか。
ぐらい好きじゃなかったんですよ。
別にいいじゃないですか、ドラマなんて。
そこで流れているのを見てみとけば。
できなかったんですよね。
で、見ている母が嫌いとかはなかったんですよ。
やっぱ僕はドラマがそもそも好きでなかった。
ドラマってほとんど見たことがないんで、
何ドラマであれほとんど見たことがないんですよね。
通しで全部のドラマを見たっていう経験はないはずです。
で、商店はまだ子供の時ギリギリ見られてたんですけど、
大人になって意味がわかるようになってからは全く見なくなりましたね。
で、なんで商店の話を今したかを忘れつつあるんですけど、
あ、落語。
落語って多分僕苦手なんですよね。
いや、なんかそれは文化としてとても優れているんだみたいなのは
分かりはしないけど納得はするんですけど、
それはそれとして見るのは見ないみたいな、
そういう感じですね。
全然関係ない話が続いてますが、
つまり短カ月チャレンジ12期からは、
基本はほとんど何も変わらないんですけれども、
自分ができるだろうなと思えることを
ちょいちょいカスタマイズですね。
その方その方に合わせてやっていこうかなと。
中でもちょっとやや目玉にしたいのが、
これ多分ねうまく伝わる気がしなくて、
やればこういうことなのかって
絶対わかっていただけると思ってるんですけど、
うまく伝わる気がしないんですけど、
私こうアセスメントはできない立場なんですね。
で、治療はもろんできない立場なんですよ。
だからあの戸畑海人さんがカウンセリングとは何かで
アセスメント大事ですみたいに大事だのは分かるんだけど、
基本立場上できないことになっているからできないわけで、
アセスメントはしないんだけど、
だから客観的には決まらないんですよそういうことは。
あくまでも周りとの関係で時代って変わりますからね。
フランスの人にはすると昔の日本のね、
例えば不幸があった場合には何万円公伝として出す。
報酬の場合はいくらいくらって細かく決まってるじゃないですか。
あるいは脅迫的だっていう風にフランスの精神科医の人が書いてたことがあるんですけど、
それはフランスから見るからそうなるんですよ。
一つの文化に対する人々の適応度っていうものは、
そこで暮らす人たちの価値観によって変わるんで。
だから客観的には決まらないんですよ。
それがどんなに変に見えても。
それが変に見えるっていうのは、
あの良心理学が変だって感じるのと同じで、
おかしいんですよその観点っていうのは。
自分が観察していなくても客観的に何か決まってるはずだってのは、
実は嘘なんですよね。
だって良心理学ってそういうこと言うじゃないですか。
我々人間デカすぎるんで、
電子の前に立つと電子の動きに妨げが入るんですよね。
観察ってそういうことであったらいけないっていうことになってるじゃないですか。
自分が観察者としての観察者効果って言うんだけど、
観察者がいようがいまいが現実は変わってはいけないんだっていう客観的現実はね、
そんなのないんですよ。
なんで特に真理となってくるとそんなのあるはずがないので、
客観的には決まらないんですね。
かなりいろんな話をすでにしちゃってますけど、
だからリファーはしません、紹介もしません、アセスメントもしません。
しかしご希望であるならば、
カウンセリングを検討するサポートはします。
そんなのに別にお金払わなくてもいいように思われるかもしれないですけど、
いざやってみるとですね、
これがなかなかどういうわけかはかどらないと言いますか、
そういう感じにならないというのが実はあると思うんだから、
この辺伝わりにくい気がするんですよね。
でもそういうこともやるんで、
別にそういうことだけをやってるわけじゃないんで、
私は紹介屋っていうことをやりたいわけでは決してないんで、
ていうかやりたくないんで、そんなことは。
ブリーフセラフィーであろうと、ポストであろうと、CBTであろうと、
そこはもう検討していきましょうと。
それらがどういうことであるのかも大体概略はお伝えできます。
ほぼ確実に間違ってはいないなと。
絶対正しいとかじゃないですよ。
だってブリーフはともかくポストですって言ったってさまざまなんで、
そういうものがマッチングとかを僕がするわけではないですよ。
ただまあそういうことならそれは悪くはないんではないんでしょうかぐらいなことは言えるということですね。
CBT一つ取ったって生活スキルの話をするっていう場合もあれば、
スキーマ療法みたいな話になっちゃうというような深い話になっていくってこともあるんで、
CBTならマッチしてますとかいうのはものすごくオーバーかな感じがするんで、
もう少し細かいことは申し上げられますと。
ましてお話いっぱい伺った方からはですね、そういうこともできますんで。
で、並行すると余計なお金がかかるじゃんっていうことであれば、
別に3カ月チャレンジの方を分割にしていただいて、
1カ月だけそういうことをやりながら、
以降の月はカウンセリングの方に行きますっていうのは全然ありっていう形にしていこうと。
これってそれなりのシステムを要求されてくるんで、
全部はだまで覚えておくのは僕の場合はちょっと不可能なんでですね。
まあ別にスプレッドシートとかにつけとけばいいだけの話なんですけれども、
まあそういうとにかくこともやろうとしていますっていうか、
まあ大体実はいくらかはすでにやっているんですよそういうこともですね。
それをもう少し本格的にもやっていきましょうという感じですね。
で、なんで精神科じゃないかっていうと、
僕は薬理の方に紹介するとなってくると、
僕の範疇完全に超えるなって感じがするんで、
カウンセリングはカウンセラーさんによってはですね、
正規のカウンセラーさんであっても、
これは心理治療では必ずしもありませんよって書いてあるところもあるんで、
だったらもうそんなに僕がやってることと極端にかけ離れてはいないはずなので、
全然違うことが行われるわけではない、なかろうと。
そういうこともあると思うんですね。
まあこの言い方自体がすでにセンシティブだなって思っちゃうところが、
非正規の厳しいところですよね。
今度僕ね、今度っていうかすごく先になると思うんだけど、
失敗したことだけを集め、失敗した人じゃないですよ。
こういう失敗をいっぱいしてきました。
100例ぐらい集めて、本にしようかなとなんとなく思ったんですよね。
なんかこれは誰が読んでもそこそこ意味のあるものになる気がするんですよ。
それを失敗とみなすかどうかとかもきっと流派によって変わってくると思いますし、
なんかもう失敗というものはこういうふうにして起きるんだな、
こういうやつがやるとみたいな。
それだけでも悪くはないような気がするんですよね。
なんか成功事例なんていうものを非正規で書いたところで、
いや、そんなの成功じゃないしって言われて終わっちゃうような気もするんで、
お客様の声としてはいいと思うんです。
僕が書いてるとは言いがたいから。
それはもうだって言えないじゃないですか。
その人がいいと思っているものに対して正規であろうと、
ダメ出しをするっていうのはあまり意味のないことだとは思うんですよ。
ただ私が書くとなってくると、
成功って多分客観的には認められないってことになってくるだろうから、
それだったら失敗であればね、
結局これはある程度主観でしか決まらないじゃないですか。
それがうまくいかなかったらうまくいったっていうのはね。
で、ただ今私はサンチャレが別にまだ依然としてノルカソルカ感はありますから、
失敗主というものを書き集めて出したところで、
何のメリットもないような気がするんで今はしません。
今これをしてサンチャレの参加者さんが激減しました。
誰が嬉しいんだそれって感じなんで、
なんかルーズルーズ感しかないんで、
それはしません。
でもまあね、
なんかこうあまり先は長くないなみたいになったらやってもいいかなと。
その頃になってそんなものに価値があるかどうかは分かりませんけれども、
でも別にそれだったらいいのかもしれんというふうに思うようにはなりました。
のでちょっとこのアイディアは温めておこうかなという、
どうでもいいようなアイディアなんですけどね。
いかにも自分がやりそうなことだなという気はちょっとするんですよ。
しかし、まあそんなわけで、
そんなこんなで大量の時間をこんなことで使っていてはいけない気もするんだけど、
マッチングと言いますか、マッチングではないんですけどね。
僕はマッチングっていう発想でやってるわけではないので、
ただ昨日ですね、参加者さんの方とお話をしているうちに、
これはやっぱり言っておかないといけないんだなっていうのが一つありまして、
昨日の話の続きに近いところもあって、そこはいいんですけど、
なんていうのかな、ちょっとねやっぱりこれもセンシティブな部分があるんですけど、