1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 「具体的に自分のこと」しか考..
2025-06-26 39:22

「具体的に自分のこと」しか考えられないとき【1211】

他の一切がどうでも良くなったときにこそ「負の能力」が発揮される。
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サマリー

このエピソードでは、自己分析を通じて日常生活や心理的な挑戦を捉え、特にアトピーや精神分析の視点からの気づきが語られます。また、エビデンス重視のアプローチに対する考え方と、それが心身の健康に与える影響についても触れています。 このエピソードでは、心理臨床の複雑さや、個々の人間の脆弱性について議論しています。特に、悩みの深さや根本的な問題が、時代や場所、個人の背景によって大きく影響されることが強調されます。自分自身の感情や状況に苦しむ中で、具体的なレベルでの思考の重要性が語られ、教育や病気に関する一般論と個人の現実とのギャップが掘り下げられています。個々の体験がいかに特異であるかが強調されます。 具体的な思考が行動に影響を与える様子と、個人の考えや認識が他者にどう作用するかについて考察されています。

自己分析の重要性
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ1211回をお送りします。
6月26日、木曜日、7時35分です。
はい、えー、ちょっとですね、もしかすると何かが聞き苦しかったり、あんまりしないかなと思うんですけどね、でもするかなぁと思うんですけども、
この際、あんまりいろいろ言っていられないので、もうちょっとさらに一段と上がっていくかもしれない、聞き苦しいことがあるかもしれませんが、
もうこの暑さなのでですね、ご容赦いただきたいと思います。ちょっとこれなんか考えないとダメだなと最近思うようになって参りましてね、はい。
見た目はね、もう素晴らしい6月の、こう、爽やかな雨上がりの日なんですが、なんといってもこう、すごい高温多湿なんで、厳しいなって感じがいたします。
まあまあ、文句言ってても、どうせ冬になれば冬になってて寒いって言ってんで、気を取り直していきたいと思いますが、
まもなくですね、3ヶ月チャレンジも2ヶ月目が終了し、3ヶ月目に入り、この月には新規の募集をさせてもいただくので、
あの手この手で、こちらでもね、お知らせはさせていただこうと思っておりますので、一つよろしくお願いいたします。
その枠をね、さらに10枠増やしますとか、そういうことはできませんので、
あんまり大規模にはなりませんけれども、でも結構あの手この手で頑張るという風になっておりますんで、これはですね、毎回毎回。
そこそこ、わからないですけどね、この間チャットGPTに僕もそこそこやってると思いますみたいな、なんかえらい漠然とした投げかけを、
佐々木昌吾はネット上にいって、一応情報散らばってるはずなんで、それをちょっと加味してそこそこやってると思いますって言ったら、
もっと自信を持ちましょうみたいなことを言われたんですけど、彼は絶対そう言うよなと思いながら、そういう風なやり取りをしてみたりもしてるわけですけど、
ただ遊んでるだけですけども、自信はともかくとしてですね、この3ヶ月チャレンジをやるようになって、本当に本当につくづく思ったのはですね、
そんなね、これも繰り返し言っていて恐縮ですが、これはちょっと本題に絡んではくるんで、本題ってあるのかって話もありますが、
そんなね、素人が手を出すのはうんたらかんたら言ったって、うちの憎しみを直してから言ってくれよっていう、そういうね、だって正義に繋がってますから、
全く何にも進展ないじゃんあれっていうね、いやそりゃね、だから素人がやっていい理屈にはなってないんだけど、そんなに素人と黒人に差があるというなら何とかしてよっていうですね、
私のアトピーもそうなんだけど、とうとう最終的に正義は直しちゃくんなかったわけですよ。良くなる薬はくれるんだけど、直してはくんないわけですよね。
結局僕の中では、クラズノケイゾーさんのGood Vibesというね、非正規の極めてアブサンクサイと思われるであろう方との対話を積み重ねで直ったわけだし、
エビデンス重視の批判
それに僕なりに再発を防ぐことの手立てができたのは、松木クリンヒロさんの本と山崎孝明さんの本なんですよ。
あとまあ藤井山直樹さんはこの件に深く関わってはいるがダイレクトではないんですよね。ダイレクトにはやっぱり山崎孝明さんと松木クリンヒロさんなんですよ。
しかも山崎孝明さんのはまだ十分説明しきれてないんですよね。あの間違いない、僕の心的現実の中では間違いないんだけど、実に説明が難しいですね。
たぶん聞いてもさっぱり理解できないと思うんですよ。あたかもそれはですね、あたかもってなんだ。電気掃除機の説明書読んでいたら風邪が治りましたみたいな、それに近い何かなんですよね。
いやそういうことではないんだけど、このぐらい説明になってない説明になってしまうわけですね。でも心的現実ってそういうものなんです。で僕の中ではそれはおかしくはない、全然ロジカルなんですよ。
論理の飛躍はあるかもしれないけど、オカルトとかスピリチュアルではないんですね。むしろ逆なんですよね。僕はオカルトとかスピリチュアルに頼っていたから、頼っていたって言っても生命判断とか石を買ってきたって話ではないですよ。
そうではなくて、思わず治っていたみたいな万能空想に浸ってたから病気だったわけですよ。そういうことは起きない、まあ起きないとまで言い切るとあれか。でもですね、起きないんですよそういうことは。
だから地道に地道に行くしかないんですよね。めちゃくちゃ地道な作業。山崎孝明さんって地道の局地みたいなところがあるんで、多分あの空気感が大事だったというのはあると思うんですよね。
山崎孝明さんのどの本かって言われれば実に簡単で、あれなんですよ、精神分析のある聞き方なんですよ。一体あの本を読んでなぜアトピーの再発防止につながるのかっていうか、再発防止とアトピー治ったのは僕の中ではかなりニアリーイコールでギリギリ99.9%くらいイコールなニアリーイコールですから。
治すっていうことではないんだけど、皮膚の下に抱えている爆弾がなくなるみたいなニュアンスなんですよね。それ自体がアトピーなんだけど、その時はもうよくはなっていたっていう感じなんですよ。
そういっただけじゃどうしようもないんで、軽く説明しますと、精神分析のある聞き方って面白い本で精神分析外のことが書いてあるんですね。精神分析のことも書いてあるんだけど、基本精神分析とは精神分析以外のものというものとの関係の中で、日本ではどのように一時的に伸びてその後衰退していったか。
歴史が書いてあるようなところが、中身も言及があるんだけど、基本的には歴史が書いてあって、その中でエビデンス重視とか認知行動療法とか、力度が体調していくその流れですよね。
プロセスが日本の心理臨床史の中のプロセスで、多分一番堅実な形で書かれていて、我々に分かるという意味でですね。読むに耐えるという、一般書として読むに耐える。専門家が読むのはまた別としても、一般書として読むに耐えるという流れの中で。
私はですね、結局そのエビデンス重視というものにやられてきたんですね。だってライフハックやってたぐらいですから、やっぱりエビデンスなきゃダメだよね、みたいなそういうノリにやられてきたんですよ。
時間効率って言うんだったら、私が聞く費用対効果とか時間効率とかをふわっと使うことのできない人間で、時間対効率が良くなったって言うんだったら、1時間で1000円だったとか、1101円にはならないとダメだよなみたいな、そういう人間なんですよ、はっきり言って。
それを時間対効率って言うんだっていうタイプなんですよね。なんか早くなった気がするとか、体幹間違いなく調子が上がってるとか、そういうのは一切許せなかったんですね。
これが僕を病ませたわけです。特に心理的に。で、その大潮流というものが心理の世界でもバッチリ進行しているんだよということをロジカルに徹底的に書き上げられていたのが山崎さんの本でして、僕の読んだところではね。
あ、これに乗っかったから、俺はいつまで経っても心身調が良くならなかったんだっていうのがはっきり分かった。はっきりこれが大事ですよ。はっきり分かったんですよ。別にそのエビデンス重視する人たちに恨みがあるとかじゃないです。ないです。そんなものはね。
当然、ああいう流れになるに決まってます。でもあれが断片的な情報として入ってきていたのとは違うんですよ。はっきりと力道というものが、力道が当てにならなくなったのではなく、私が当てにできなくなっていく流れが書いてあったんですよね。
だから精神力道精神分析が信頼できなく、私として信頼できなくなったのではなく、日本がこれを信用しなくなったんですよ。日本社会が。それに僕がなんとなく気がつかないうちに乗っかっちゃってて、そこで舵をグッと切り替えたんですよね。
転移と投影の理解
ここと決別しようとエビデンス重視なるものと私はた元を分かつっていうことに、あの本読んで決めることができた。はっきりと。まあはっきりとではないんだけど、私自身ははっきりと。三角チャレンジはまだそこまでいけてなかったんですよ。
でも私自身はもう佐々木生後としてはこのエビデンス重視の行動両方的な方面は最もうさんくさくないこっちの方面を完全に私の中からは切り捨てるやったら治るっていう流れになったわけですね。
だからといってこれ間に受けてそうすれば良くなるのかって思われても責任は一切取れませんからね。
これは私が勝手にやったことなのに、しかも心の中でやったことなんで。しかもそれを人の本を読んでやったことなんで。オリジナリティ何もないし再現性があるという保証もどこにもないんですよ。
ただ3ヶ月チャレンジではそれを試してみた。最初は切中的でした。私は器用で臆病な人間なんで、ビビリな人間なんで。最初はめちゃ切中的で、大変そうなら力道を借りてこようみたいな。
でもとりあえずは行動両方的な方面からやってみようみたいになってたわけですよ。
お話を聞いて、最もろくでもなく兼ねないやつですよね。素人的で発布的なやつ。平成のありふれた心理療法でしかも非正規。
要するにそこら辺のおっさんですよね。私そこら辺のおっさんなんで。
そこら辺のおっさんがまずはお話を伺いましょう。アセスメントも何もできないからこれしかできないわけですよ。
一つお話を聞かせてくださいと。
内心で考えていることと言えば、最初に三チャレやる前後ぐらいにお話を伺って、
なんかこううまく真相に行かずに済めばタスクシュートのお話と行動科学の話をないまぜにしたようなものを柔らかくロジャーズ的に柔らかく傾聴しながら共感しながらお勧めしていって、
うまくいかせようっていうね。
なんかやばくなってきたら、話が見論になってきたらしょうがないからって言ったら申し訳ないんですけど、話が見論になってきたら、
昔の話にじわじわと入っていって、転移は起きないように、僕自己開示いっぱいしていれば転移が起きにくいという愚かな考えに取り憑かれていたんで、
自己開示いっぱいしておいて、自分の話いっぱいして、スクリーンじゃないから投影しにくくしておいて、私はお父さんでもお母さんでもお兄さんでもお姉さんでも会社の上司でも何でもなくて、ただのボンクラのおっさんですっていうことにしておいて、
大学時代とかにもいっぱいエッチしたくて一回もできませんでしたって話でもしておいて、いっぱい幕を張っておけば、要するにあれですよね。
シンデレラ状に、今映像とかすごいから映すと映像見えますけど、でもやっぱり拍子に映した方が綺麗に見えるじゃないですか。そういうことなんですよね。
それが何であるかがわかんない方が投影はしやすい。私が何者かが不明な方が投影しやすいんで、私が何者かがはっきりしているこの世界では投影は起きにくいと思い込んでいて、
堅能な話になってきたら、昔話は聞くけれども、だから精神力動的にやりたいんだけどでも転移は起きないからねって思ってたんだけど、それは浅はかな考えで転移は起きるんですよ。
かつしかもこの転移が起きるのはまあまあ起きるかもなとどっかで思ってた面もあるんで、それは仕方ないとしても仕方ないというのもおかしいけど、転移は起きます。
考えてみると転移ってどこでも起きてるよねっていうことですよね。投影もされます。考えてみると投影なんてお前毎日してるじゃんってことですよね。私自身がしてる。
投影は起きないぜとか思ってるのはアホの極知みたいな、どうしてそういう発想が取れたんだみたいなぐらいなちょっと軽い発想でした。
悩みの深さと心理臨床
そこは反省してるんだけど、一番反省させられたのは、浅い悩みなどないってことなんですよね。
これは私の考えの浅さではあるんだけど、やっぱりエビデンスというものの学派の心理臨床の話に誤魔化されてたんですよ。私はあれは今信じてないです。浅い悩みがある。
健常者とか言える。神経症水準とかあれは古典的な分類なんでしょうけど、でもまあ使っちゃってますよねっていう気がします。
なんかね神経症水準で健常者レベルだからとかって言うんだけど、そんなものは信用できないなっていう。
会話として楽だってことはありますよもちろん。これはでもほとんど相性に近い何かであって。
悩みが浅いとか重いとか、重症度が深いとか浅いとか言っても、それは結局どの時期の、つまり0歳なのか1歳なのか2歳なのか3歳なのか、その時のどの防衛に頼りがちであるかによって分けることはできるんですけども、
そんなことをしてみたところで分かりゃしないんですよ。なぜならば0歳の時ひどい目に合わなかったという保証って誰も持ってないじゃないですか。考えてみると。
私は健常者水準に近いと勝手に自分で依然として、ある種のこれは思い込みなんですよ。
いやわかんないですよね。0歳の時に実は母親にやきごてとか当てられてるかもしれないじゃないですか。
昭和だったらありましたから、現実にそんな話は。いやあるんですよ。だから不幸話自慢をしているわけではないわけですから。
その人の課題というものが、ある種深くとか重くとか悩みが重すぎるとかなんとかいうのはですね、現代の社会のある、しかも現代といっても2020年と2021年と2025年が違うんですよ。
その時々の、だってコロナ禍だったかどうかってつい最近の話だけど全然違うじゃないですか。コロナ禍だったのかどうか。
今ロシアに住んでるのか、ウクラヒに住んでるのか、日本に住んでるのか、ドイツに住んでるのか。全然違いますよ。やっぱり。
だからどこに誰がどんな時にで、その人のバルネラビリティですよね。要するに。
その人がトラウマを抱えた、トラウマを抱えてない人は僕はいないと今は思うようになったんで、抱えたタイミング、その時の内容とその人がその時を置かれている状況で、やっぱり変わってくるんですよ、これは。
現代社会の影響
だから慶長を言うのは意味がないと思う。あるとされますよ、当然。だって典型的な現代の暮らしみたいなものが一応モデルケースとして想定できるから、
まあ大体日本人だったら日本に住んでるよねみたいなそういうのに、でもみんながみんな住んでるわけじゃないと全然ないじゃないですか。
だからどこに住んで、誰といて、どういう人と結婚してるかによってガラッと変わっちゃうんで、人生の難しさ、あるいは優しさ、
今たまたまある人が自分のバルネラビリティを思い出すこともせずに、意識することもせずに住んでいるのは、
それはたまたまそういう状況にあるからというだけであって、いつ何時そうではなくなるかはわかったものではないんですよ。
そんなもんだから、3ヶ月チャレンジではつまりですね、変異も起こさず、表面的な雷談理由を聞いて、
なんかこう浅いからタスクシュートのようなもので行動習慣を修正して、上手いことって考えたのは、
やってもやってもやってもやってもっていうかそんな方はいらっしゃらない。
上手いところに柔道の人が来るだけだっていうのは話は全然違ってそんなことはないんですよ。
ワシキさんの本とか読んでると、明らかに私のところにはいらっしゃらないような方がガンガン、
ビヨンの本とか読んでると特にそうですよね。
これだったら私のところにはいらっしゃらないっていう方がガンガンガンガンに来ているとしか思えない、
そういう話はいくらもあります。
あれは病院でなければ対応できませんが、つまり病院でないところにいらっしゃるということは、
その人は病院に行く人ではないっていうだけであって、わからないんですけど。
だって私だって病院に行くことあるわけじゃないですか。
それが心理でないにしてもですね。
でも例えば私アトピーだったときは、結果としてですけど、心理の病院に行くべきだったんですよ。
ただ多分治んなかったと思うんですよね。
そういうことをやってないからいけないんですよ。
やればできるの。
日本の心理臨床会だって絶対に。
あれが心身症であることはもう自明なんでですね。
だけどやれないからわからないわけですよ。
医療と個々の状況
そしてわからないから行かないわけですよ。
行かないから行くべきでないってことにはならないじゃないですか。
うちの肉親もそうですよ。
行けばいいんだけど行かないですよ極力。
全く行かなくはないんだけど、行かないわけですよ。
カウンセリングなんか絶対受けないですし、言うこと聞かないですしね。
まあ聞かないですけどということだって聞くはずがないですけど 聞けばいいんだけど聞かないわけですよ
で本人にとっては聞くことができないからですよでもじゃあ私に比べて家のね 肉親の方が違う家に育てられたのかひどい目に合わされたのかそんなことはない
ですよ見ていて何ら変わらないむしろ若干 下だったということもあってあっちの方が恵まれてしかしそんなことは理由にならない
本人は激激おこなわけですよ なんかちょっと聞いたような言葉を使っちゃいましたけど本当に怒ってるわけですよ
本当に酷い親だったと言ったわけですよ なぜどこがっていう感じなんだけどもうなんかどこがとか言ってるとものが飛んで
聞かれないわけですよ前に何がわかるかお前はいいようにされていたじゃないか でも私とは仲がいいんですけどねここに何か不思議なものが
エコー言われたこともありますよあのお前は何だああいうのが酷いと思わないんだと まああれあれですよなんかしいたげられた民衆に対しするなんか味程度みたいな
やつですよね 政府に怒りを覚えろ親に怒りを覚えるって言うんだけど
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話し通じます おかしなこと言うなぁと思うかもしれないけどおかしなことならし我々はみんな言うじゃない
ですか
別におかしなことを言うからおかしいとは限りない問題は通じるか通じないかですよね 何言ってるのがよくわかります
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で で
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しかも相当怪しげなその区別それ自体が相当怪しげな だから組織医療であっあの対応するならばそのラベルに意味はあるんでしょうけど
感情の構造と影響
その外に出ちゃったらそのラベルをほぼ何の意味もないようなラベルだなっていうのが 最近の実感なんですよだから私はもうアセスメントしないというのは
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あの 医療行為の中では
病名にも診断名にも基準にも意味はあるんでしょう でも一旦その外に出てしまったらもうそれがそれらは関係ないですよ
私だってそうなのかもしれないなぐらいな感じのもんですよ ただ構造がね構造が
毒をやっていうものではないんですけど構造がやっぱり親子関係にあるという構造 その構造の中で生きてきたというその
歴史ですよその歴史が今その人をある条件の中で非常に身動き取れないというか 非常にその人自身の例えば心
驚くほど重く感じさせている 起きようとしても起き上がれないほど
心と体が重くなっ それはやっぱり構造的なものなんだと思うんですよね
それを呪術みたいな表現とっちゃう人もいらっしゃるんですけどそれに反対はしませんが 呪術ではないとやっぱ思うんですよ
それはもっとロジカルに説明できるし8もっと緻密な作業がいる なんかマントラ唱えるっていうことでは済まされないまあそれに意味があるというケースもある
からこの辺の深いリーブするべきではないんですけど 後はまさにそういう家だったからエラーだったわけですから
具体水準の思考
でもあそこでとないというのは術呪文じゃないんでね 全然全く呪文じゃないって
あれ心理臨床の本みたいなもんですからお経なんていうものはですね であの
今日はだからぐちゃぐちゃになってるわけですがぐちゃぐちゃにしようと思ったから なってるのはいいことなんだと思うんですけどね
あの 最終的に私がやっぱり意識するようになったのは最初の頃はそういう割とトンチン
カンナ思い込みで行動を動かそうとしてるんですけど行動は一切動かそうとしない っていう方向になって
えっと実質私自身がそうしたように3ヶ月チャレンジからも 行き堂以外のものを廃するっていうノリになってるわけ
一種はしないけど基本的には等間室で肝心になってるわけですよね 精神力度だけに8
参照参照先は精神力度のみっていう状態 ときどきによって何がホットになるかほんと変わるんですけどネガティブケーパー
ビリティーになってみたり コンテナーになってみたり8
何だろうなぁ 解釈というかニーズニードーニーズに変えるになってみたりはするんですけど
でもやってることはいつも基本的には変わらないですよね あの具体水準から象徴水準を自分のリアリティに組み込むことができるように
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いく ちょっとほろりとこさせるまあ取るすごいうまいんでね
こういうことを書いてるわけですけど つまりそういう話なんですよねこれはね
心理臨床ってこういうもんだなぁってよく思うんですよね あの
そりゃあんたはいいよっていう感じを私もやっぱ持ったわけですよこれ絶対持つなぁ と思いますね僕のように別にそれほど困ってない人間だって言った先で必ず思いましたから
ね だから自分の中でスプリットオフしてるわけですよね悪いお母さんを相手に投影しちゃう
わけです 自分は良いものになってしまう
で切羽詰まればよけそうなる だからイーファン坊やだけは助けてやってくれとカエサルは死んでも構わないとそういうふう
になっていくわけです今日強烈な事故への世界には強烈なその具体水準 指向ってものがあっても具体具体的にしか考えられなくなる
私も一浪して大学受験の2月 上旬初旬2月中旬
2月下旬だな 最後のここは受かっててほしいっていうのが来る前にどっかの学校滑り止めだったつもり
だところが落ちたっての通じ来た時になりました ものすごいなりました
っていう感じ思考が具体化していくんですよ 象徴水準で考えられない
今は 要するにこういわゆる氷河期世代で
南海ジュニアで人いっぱいいるんだからこの種の学校に私が落ちてもおかしくはない 別に
そういうふうに 一般論として考えてだからフロイトは言ったんですよねあなたの痛ましい状態が
不幸ありふれた不幸にだと感じられるようにしましょうってやつですよ そうなんですよ
死ぬってのはものすごい大変 具体的には厳しいことかもしれないけどでも生き物が死なずに済むってことはありえないこと
だから やっぱりありふれた話でもあるわけですよ
なんかの もうお釈迦様を言ってましたよねあの
子供に先立たれたことのない家を探してきてもしあったら8なんとかしてやるぞっていう ふうに言って一家もなかったっていう話
何の救いにもなってないんだけど 息子が生き返ったわけじゃないですね
仏教ってそういう 学問なの宗教じゃないんでちょっとあの
先が奇跡が少ないんですよ キリスト教に比べると
しょうがないですけどね であの
そういうことなんですよね一般論というものを受け入れられない 一般論は自分のパーソナルの水準に落ちてきてないっていう
父あのケースがいっぱいあるわけケースって言ってるのはこの場合人ではないです この人がしぶつかる状況なんですよ
アトピーありふれた病気なんですよ でも自分がとピーなのは許せないこれが自己愛の水準であり
舞台 具体意志校やつなんですよね
俺の体を直してからすべてお話はそれからだってことになっ 正規非正規問題というのは一般論を話してるんですよ
一般的に言えば正規にかかっといたほうがいいよっていう話ですよ すべての正規の人がちゃんとしてるとは言ってないよって話ですよ
すべての非正規の人が直せないとも言ってないよって話でも一般論としては 少しでも確率高い方がいいんじゃないのっていうことを言ってるだけなんですよ
あなたがたまたま8しょうもないところに私は自分の肉心の言ってるところしょうもない とは全く思ってないんですけどね
まあそもそも行ける範囲が限られてるんですけどね 交通公共交通機関に入ると8兵書恐怖症が復活してパニック障害になっちゃうんで
乗れないんですよバスとかには あとあの閉じ込められて例えばまあ私が運転すればちょっと違うのかもなぁと時々思うん
ですけど例えば父親の運転とかそうすると毎日毎日毎日毎日僕が車出して こっから3時間も離れたところまで行かなきゃなんなくなるじゃないですか
一方やが連れて行くしかないんだけど親はそう要するに具体水準なんで私を家に 監禁して私を外に出させないようにし私の独立をはまみ
私の邪魔ばかりをしそのチェンゼルとグレーテルの魔女みたいに私を取って食って しまうんだというふうに親を恨んでいるのでどちらかというと
8親を召使いのようにこき使ってるんですかほとんど奴隷なんだけど にもかかわらず本人は被害者だと思っている具体水準の指向なんですよこれがだから車
中には乗れないわけですよ鍵をかけられどこに連れて行かれるか 私を何か公共接収所にでも連れて行くんではないのか
そうでないという保証がどこにあるのかとだってそういうことをやるような親だって ニュースとかでやってるではないかと絶対にそうじゃないと100%保証できるのか
できないですよね これがよくある話ですよねあの鍵をかけに新幹線に乗ったんだけど降りて
具体的思考の影響
鍵をかけに家に戻った だってガスコンロに火ついていたら家燃えちゃうじゃないかと
100%絶対燃えないという保証がどこにあるかないですよね だからこういう話は起こるで私はこれは私の頭の中でも起きるなぁって思うんですよね
そこに8健常者とか そういう話をしても無駄な花時があるなっていう
私が恵まれてるってなそうなんですよ一般論としては確か でも思考が具体水準に入るってことはしょっちゅうなんですよ
一般論としては受け入れられないとしょっちゅうなんですよ そういうのがまあここ最近で突然ですけどあのグリッドっていう奴にはもう少し細かく
認識ができる具体化所 象徴かって言うほどざっくりではなくてもっとこう c 1 c 2 c 3とかで政府に細かく見て
いくことができるっていうのがあれなんだなぁっていうのが最近の a 3ヶ月チャレンジでは大にしていることだったりします
なんかも取り留めが全くないし一体何やってるんだって話なんだろうと思うんですけど それがそんなに一体何やってるのかを8はっきり言ったからって
皆様の皆様って誰だかわかりません私を含みまして日本人一般にとってそんなに大きな メリットがあるだろうかという問いがそもそもここに立ってる気がするんですね
それへの代わりと細かく答えてくださった本の一つが山崎高木さんの話ここに回収 したんですけど精神分析のある日方だったりもするわけですよ
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