おはようございます。佐々木正悟の自由連想をお送りします。 8月21日金曜日10時48分です。実に久しぶりですね。
あのー、ご葬式、身内のね、葬式とか色々ございまして、ちょっとこう、どうしても時間がうまくですね、この時間を確保するのも、どうやっても無理だったというわけですね。
夏休みはそうでなくても時間が不規則になりがちで難しいので、まぁちょっとね、あと、ゴワーッていう音も聞こえるかもしれませんが、この場所もね、暑すぎて喋ってらんなくなるんで、喋ってらんなくなったら打ち切っちゃいますけど、まぁまぁご容赦いただければと思います。
えっとですね、まだちょっと、初詣すら出てないんでアレなんですけど、あのー、9月24日に本が出る予定でして、えー、J.増崎さんとの協調ですね。これの技術評論者から、えー、戦略的無計画というタイトルで出します。
でまぁこの本は、まぁ私は基本的に様々な企画に携わっていて、もちろんその構成なんかもしているんで、強調者なんですが、メインの、まぁ著者は、メインの著者って、強調者ってメインの著者もないんですが、まぁJ.増崎さんで、まぁ彼の考えというものをですね、こう、ガッと全面に打ち出してもらって、それを書籍の企画に載せて編集し、整えて出すという、まぁかなり気合は入っておりますが、
あの基本的に、えーと書いたのは、彼がほとんどっていう本なんですね。まぁ彼の本だと、まぁ第一に、技的には。まぁ本って一人では作れないので、あのー、まぁ強調者がいる以内は別としてですね、一人で作れるものではないんで、本というのは結局のところ合作なんですけれども、まぁそうは言っても中心人物は彼であるというのは確かなので、まぁ、えー、まぁ彼という人をですね、私は、J.増崎さんに関しては人を打ち出して、
打ち出すべきであるっていうふうに一貫して割と思っているところがあります。あのー、だから本なんですけれども、まぁもちろんタスク中途クラウド2という彼のですね、非常にこう、彼、あれはもう心血注いで作ってるツールなわけですけれども、ツールが人を表すというふうに、人々はなかなか考えないと思うんですよ。
エクセルの開発者、元祖は誰だとか、興味ないじゃないですか。私も知りませんしね。そういうことになりやすいんで、あのー、でも、まぁ彼はある種のそういうカリスマ性と言ったらいいんですかね、そういうものを持った人で、僕はそうではないと思っているんですね。
だから僕が本を書くとき、佐々木賞吾が出ていくわけですけど、当然、今回の本だって全く佐々木賞吾的な面もいろいろあるわけですけれども、私はああいう本の著者のありようとしては、ガリガリ自分が書き込むというよりは、本を作っていくのに収穫的に携わっていく。
編集さんはそうだっていう考え方もあるんですけど、編集さんとはまた違う気がするんですよね。編集さんというのは特に今は僕はハブだと思っているところもあります。
出版社、取材さん、書店さん、出版社のですね、営業さんなどなど、著者もちろんを繋いでいく。その繋ぎ役として必要なことは全部やる。ものすごい仕事が膨大になっちゃうんですが、それが私は編集という人だと思うんですけど、
著者は企画を作る人と中のコンテンツを作る人が同一人物であることが大半でしょうけれども、協調者であればそれが役割分担をするのもありだろうというふうに。この本はどういう本であるかの正確づけをすると言ったらいいですかね。
そういうことを本当は僕はこれも専業でする人がいてもいいぐらいじゃないかと思うんですけど関わる人間が多く取れないのが現在のその出版業界の苦境なんですよ。関わる人間が少なくなるから一層苦境に陥っていくというある種悪循環なんですけどね。
これを何とかしたいと思わなくもないんだけどちょっと簡単じゃないなって思うんで最近はね。お金があればテレビが昔そうだったようにディレクターさんとかいろいろな人が関わることができるわけですけど、お金がなくなっていくと一人何役もやらなくなっていて、贅沢にいってられないわけですよね。
そんなわけで本が出ますんでその点もいろいろ活動していきたいと思ったんですけど、それとは別にね私はこのポッドキャストでもお話ししている私自身のこれも一人でやりたいわけじゃないんだけどこれを理解していただくのも至って困難なので
まずは理解してくれる方を一人でも二人でも多くお伝えしていき、そうして一定のムーブメントには一定の地点、僕の場合は小規模ですけど、僕のできる関係でのムーブメント、つまり精神分析というものの知識は必要だよねという風に多くの人が考えるのも自然になるというムーブメントを起こしたくてこれをやっているわけですね。
そろそろ本題に入りますけど5分経ったんで、5分で本題に入ると決めてるわけじゃないんだけど
えーと、なんだっけな、名前すぐ忘れちゃう、ビッグさんっていう人がいるんですよ。私も本はほとんど見たことがないんですよね。エスタービッグさんっていう人なのかな。
でもこの人の第二のスキン、セカンドスキン、第二の皮膚っていう概念は結構精神分析ならずとも出てくる概念で、この概念に僕が興味を持つのは当然じゃないですか。なぜなら私は40年代皮膚病に悩んできたから、皮膚って言葉にはもうね、かなりの速度で反応しちゃうんですよね。
嫌な話なんだけど、皮膚って僕なかなかいいイメージ持ててないですもんね。不文字難しいじゃないですか。皮は簡単だけど。だいたい皮膚ってカタカナで書くわけですけど、特に不はカタカナで書くわけですけど。
エスタービッグさん。彼が書いているこの第二の皮膚という考え方は、要は破局を防ぐための防衛なんですね。これだけ言ってさすがこの番組だったら通るかもしれないけど、大筋通らないと思うんですけど。
破局っていうのはですね、私はクラインの不安論ってのがめちゃくちゃ正しいと思うんですよね。基本的にこういう意味でも精神分析を広めていきたいんですけど、不安って漠然としてるじゃないですか。様々な不安。老後の不安。将来の不安。お金の不安。勉強の不安。様々あるわけですよ。
今日プレゼンして人前で喋る不安みたいなね。人前で喋る不安も有名ですよね。不安をクラインは2種類に分けたじゃないですか。つまり抑鬱不安と白外不安。PSポジションの不安とDの不安っていうふうに分けたんですよ。すごいなと思うんですよね。
すごいのはですね、こういうの概念を断片的に考えてるとは良くないのであって、歴史的経緯を踏まえようみたいなのもあるんだけど、歴史的経緯を踏まえるなら、やっぱりそれを統合したビオンの概念をまず学ぶべきだと思うんですよ。
ところが臨床っていうものは、私は臨床やってるんじゃないけど素人考えですか。でもね、現実の問題としてクラインのすごいところはなんだかんだPSとDは残ってるんですよね。もうビオンに統一しちゃえばいいじゃんみたいに思えなくもないんだけど、フロイトクラインっていうのは残っていて。なんだっけな、ベリー・チョネフさんかな。
ちょっとど忘れしてますが、ワスキさんがフロイト読めなきゃダメよって言われたっていう話が残ってるんですよ。フロイト読みなさいと。クラインとは言わなかったというふうに彼は書いてるわけですよね。クライン派なのにその集まりは多分。
これはやっぱりですね、僕はなんかある気がするんですよね。現場で役に立つ言い回しや考えや発想に至った何かっていうのがなんかPSとDってすごいんだなって感じがするんですよ。私自身も。
だから野の医者の人は特にですね、僕はクラインはおすすめだなって思うんですよね。やっぱり人間は悩んだ時にはあの考え方は相当使えるんです。もちろんビオンが統一見解だから、物理学とか科学とかならばボイルさんとシャルルさんの考え方をくっつけてボイルシャルルの法則にしてしまって。
ボイルシャルルの覚えとけばいいのであって、歴史的経緯とか関係ないわけですよ。極端に言うとですね、歴史的経緯とかは面白いかもしれないし教養豊かになるにはいいかもしれないけど、やっぱり天動説とか今時、宇宙物理学を知るのに天動説とかいらないじゃないですか。
天は動いてますけど、地球止まってるわけじゃないわけですし、地球が宇宙の中心になるとか、今時いらない理屈になるじゃないですか。結果だけっていうのかな、最先端の知識が頭で理解できるならそこから行けばいいわけですが、心理臨床ってそうはいかない感じがするんですよね。
私、ビヨンから逆に遡っていってフロイトにたどり着くっていう風に理解した方が現代の人には向いているっていう風にも思うんだけど、そうは言ってもですね、やっぱり結局クラインに行かないわけにはいかないんですよね。
で、やっぱりこの不安をPSの不安、つまり迫害される不安とBの不安、要するに自分ダメになっちゃうかもみたいな、自分原因で自分の未来は暗いみたいに、そこに行き着けるっていうのが非常に現実見当においては重要だっていう話になるわけですけど、人間ってやっぱり何かすると嫌な目に会っちゃうんで、会わない方がいいと私は思ってますよ。
嫌な目に会うのが、まあ嫌な目に会うけど、今回だったらお葬式に行ったわけですから、人はお亡くなりになりますし、我々はお金を失いますしね、しょうがないわけですよね。そういうことが一切ないっていうことは生物である以上ありえない。だって我々はやっぱり物を食いますからね、なんであれね。
多くの場合、肉食うじゃないですか。やっぱりそこには悲劇がないっていうわけにいかないですよね。椎茸で肉作るとかありますけど、そういうのを突き詰めるっていうのはやっぱり罪悪感を感じるからだと思うんですよね。それはつまり、ある種迫害不安と関係があると思うんですよ。
で、結局攻撃するということは攻撃される可能性というものがあるし、実際攻撃って、まあそんなことをいちいち考えずともされますし、私たちは外に私を攻撃する存在があり、そいつに攻撃されるという、これは不安を覚えますよね、それはね、当然。
なんかぼったくりバーとか行ったところをパッと連想すればそれで十分なわけですよ。あるいは自分が年をとってなんか特殊詐欺の電話がかかってくると。もう100%に近いぐらいは向こう側に悪い奴がいて、自分を落とし入れてなんか奪っていくとか、なんならこう本当に攻撃を加えてくるという不安です。これが迫害不安ですよね。
おおむねまずこれを念頭に置きますよね。次にやっぱりこう自分がなんだろうな、お金いっぱい使っちゃうんじゃないだろうかとかね。締め切りは近いのに全然勉強しないまま受験の日を迎えるんじゃないだろうかと。これはだから自分の原因で悪いことが起きるからよく写すわけですね。この2つにまとめたというのがすごいわけですよ。
まだ本体の中核に行き着いてない。もう一つ大事なのは不安じゃないんですけど破局する恐怖っていうやつなんですね。いろんな名付けられ方がありますけど、これはもう言ってしまえば発狂する恐怖なんですよね。不安でもいいんだと思うんですけどね。
要はこのようなことが起きたら、あるいはこのようなことには自分は耐えられないと。この耐えられないというのはですね、大人になればなるほどってこともあるんですけど、他の人にはなかなか理解されないところがあるわけです。
例えば私は全身の肌が荒れ放題荒れるという恐怖を持っていたんですよ。それは一見抑鬱不安のようなんですよね。自分が自分で我慢できず描いちゃったり肌が荒れていく。つまり自分原因で未来の自分がひどい目に遭うと。それはそうなんだけど、これは決して抑鬱不安っていう雰囲気のものではないんだよね。
頭おかしくなったんじゃないかぐらい自分、ものすごく描くみたいな。この時に急速な対抗、つまり子供に帰っている感じってあるわけですよね。何がなんだよくわからなくなっちゃってるみたいな。子供がものすごく肌かきむしるみたいな雰囲気に10代後半の私はなってしまってたわけですよ。
これは他の人にはわかんないんですよ。それは戦争に行ったとか大地震に見舞われた人の心的外傷、トラウマの恐怖に比べると何ほどのこともないじゃんみたいになりやすいんですよ。
でも私はそうじゃないんだという、この自我というものが自分の状況を認識して、例えば肌かきまくれば肉えぐれるみたいになるんだけど、えぐれるのはわかってるわけじゃないですか。本当にそこまでしなきゃならないほど痒いのかっていうとそういうわけじゃないんですよ。
私はですね、じゃあお母さんにまた抱っこしてもらえばいいのかと。
それは一定の効果があると思うんだけど、多分そんなんじゃもう皮膚病が治るわけじゃないんですね。
で、やっぱりこの破曲を防ごうとしているんだっていうこと。
これが大事だなと思いますね。
破曲を防ごうと、もはやしなくても私は良かったわけですよ。
破曲を防ごうとするために、無凍合状態を避けるために第二の皮膚を作っちゃったから。
無凍合状態にはそう簡単にならない年齢になっても、その第二の皮膚がなくなってくれなかったわけですが。
癒え済みだってことですよね。
これはGood Vibesでアルガママっていうのを思いっきり真剣に受け入れるみたいなことによってずいぶん進展したわけですけど、
やっぱりそれでも僕が完全にそこを組み込めなかったのが夢って考え方なんですよね。
視覚と夢。視覚は夢であるって感じなんだけど、要するにβ要素っていうのは現実に直接触れちゃうことを。
自我っておかしいわけですよ。自我というのは世界の中心ある意味自分にしてしまうし、
私の娘とか、実際娘は私のものじゃないじゃないですか。
だけどこの感覚があるわけですね。この感覚に対する疑念があったと思うんですね、私には。
この感覚に対する疑念、つまり自我感覚というものに対する疑念を基本的には無しにした。
自我の現実と現実の正しく現実と反映していないというのはそうなんだけど、
これは言うなら便宜的な話であって、要するに信号機。
私は毎度毎度これを言うんだが、交差点が意味を成すのは人間にとってだけなんですよ。
だから犬とか赤信号渡って跳ねられてお亡くなりになったりするわけですよ。
それは犬が悪いわけではないんだが、しかししょうがないんですよね。
それは人間が一所に泥をつくのが悪いのかもしれないんだけど、しょうがないですよね。
つまり私たちは自我を持って生きていくというのが普通の生き方だし、しょうがないわけです。
だからラインのスキンというものまで使って統合しようとせずとも、
自我の統合というものに乗っかって基本は生きていけばいいわけで、
それは夢を見て生きていくってことなんですけど、
赤信号は止まれだという夢を見て生きていくってことなんですけど、
いやあれはただの赤だからって言って突進するとだいたい死んじゃうじゃないですか。
あるいは事故るじゃないですか。そういう生き方を人はできないようになっているんで、
四六時中夢を見続けなければならないわけで、