1. 佐々木正悟のライフハックからの精神分析
  2. 「どうせ誰も自分を愛さない」..
2025-05-27 43:24

「どうせ誰も自分を愛さない」という信念【1189】

「見捨てろ」と言われ続ければ見捨てたいという気持ちにさせられる。
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サマリー

このエピソードでは、PSポジションの理解と、その状態が人間関係や自己認識に与える影響について考察しています。また、調子が良いときに陥りやすい妄想分裂についても触れ、心理的な洞察を得られる内容です。このエピソードでは、「どうせ誰も自分を愛さない」という信念と、心のケアの重要性が探求されています。特に、自己認識と他者との関係を通じて生じる信念の影響が描かれ、心の開放を目指す過程が強調されています。このエピソードでは、「どうせ誰も自分を愛さない」という信念が人間関係や仕事に与える影響について考察されています。また、信念を手放すことの重要性や、すべての人間関係が双方向であることの理解が強調されています。自己愛と信念の関係を探り、多くの人が抱える内面的な葛藤について考察しています。

PSポジションの探求
おはようございます。人生相談のための精神分析的ラジオ第1189回にお送りします。
5月27日火曜日8時7分です。 少し遅れたのはですね、実はまだやってるんですが、
ドジャーズで山本芳生投手が投げていて、しかも大谷さんがフォームランを先頭出したので、2試合連続で打ってですね、それを見ていたためにこういう時間になっております。
昨日ですね、番組後半で真理の学生さんからのレターにお答えするというのをしたんですけれども、これがですね、
改めて考えてみても、答えがすごく中途半端だったかなと思ったので、もう1回ちょっと頑張ってみようと思いました。
あれ、妄想分裂ポジションの話で、この場合の妄想というのは要するに、まあ、猜疑心、パラノイックな話なんですけどね。
そういう時のポジションにいる時、これから読みますけど、どうやって気づけばいいのかと。
言ったお話なんですね。これね、臨床の話なんですよ。結局、究極的にはですね、決して赤ちゃんを観察しての話でもないし、発達観察の話ではない上に、
日常生活でこれに気づきましょうっていう話でも必ずしもないんですけれども、だから気づく方法みたいなのが別に提示されているとは言い難いと思うんですよね。
メラニー・クラインとか、ビヨンとか、的渡海人さんはすっきりしすぎるとまずいよ、みたいな形で、ビジネス書より書いてくださってるんですけど、
そのぐらいしかある意味、私の方で紹介してなかったのはですね、これは臨床文脈の話だからなんですよね。
臨床って結局、PSポジションに自分がいるかいないかみたいなのに気づくっていう話をしてるわけじゃないじゃないですか。
調子が良い時の心理状態
まあいいや、とりあえずちょっとレターをもう一度読ませていただきますね。
以前Appleのポッドキャストにてレビューを書いたものです。心理の学生ですが、ニューングなど力動的心理学に興味があります。
共感しながらもとても楽しませていただいています。
特にクラインやウィニコットのお話がよく出てきて勉強になっているので、質問かリクエストなのですが、自分がPSポジションにある時にそれに気づく方法をお聞きしたいです。
調子、気分が良い時に限って人間関係がうまくいかなかったりするのですが、その時に自分の層的な部分に気づいたり認めたりしづらいです。
気づくことが、Dポジションへの繋がりにもなると思うので、ぜひよろしくお願いします。
ということですね。確かにそれは気づけばDポジションに、ここはやっぱりちょっと難しいところだなと思うんですよね。
この調子が良い時に限ってっていうところが、非常にこう、何て言うんだろう、まず考えさせられるポイント。
私なんかはPSポジションにいるというのは明らかに調子が良くはないんですよ。
妻と喧嘩してるとかね、いわゆる個人セッションの中でもPSに入りかけたら相当要注意なんですよ。
かなりヤバいことになってるよねって感じが自分の中ではするわけですよ。
もうそこに何て言いますかね、おののきみたいなものが明らかにあって、気づかずにはいられないんですよね、ある意味ね。
普段と比べれば明らかに暗雲が垂れ込めているんで、暗雲感、気づくって言ったら方法というよりは暗雲が立ち込めてきましたみたいな、そういう感じ。
問題なのはその暗雲が、暗雲って振り払えるわけじゃないじゃないですか、暗雲なんでね。
暗雲が立ち込めてきて、いやこれはちょっとこのまま行くと雷雲になるから、あの暗雲を吹き飛ばそうとか、言うことができるわけじゃないんで。
これあの真理の世界でも全く同じで、こう雷雲になっちゃうというか、せめて雷はもう雷鳴は聞かないようにはいかないですよね、という感じがしますよね。
これが調子が良い時に出るというのはやはりその層的によほど、人間関係で何ていうのかな、わかんないですよね、ここがこう推定で物を喋るしかなくて、一つには勝利感みたいなものがあるのだろうかという話になるんですけど、
やっぱりそれはその人その人のPSポジションだとおっしゃる時の気持ちの状態がどうであるかというのは、わからないところなので、
わからないと言っただけではどうしようもないですけれども、そこはちょっともうちょっと本当のところ個人セッションとかで聞き込むってことを、だからやっぱり3ヶ月チャレンジのCMしてるわけじゃないんですけど、
お一人お一人にやっているというのが実情なんですね。これ一般論として話すのは本当に人によって感じ方ってすごい違いますから、
大英ドイツかと一言で言ってもですね、様々なものがあり、今日はその様々なお話をしながらちょっとこれについて考えていきたいというのが、やっぱこういうスタンスなんでね、私は。
3ヶ月チャレンジもそうなんですけど、これがどうして私の場合はですね、精神分析とか心理カウンセリングとか心理臨床とか、まして認知行動療法とかでは一体なくて、
あくまでもこれやっぱりビジネスコンサルタント、ビジネス心理コンサルタントなのですって言ってるのはですね、最初はちょっとね、エクスキューズ感も確かにあったんですけど、今は私は心理臨床でないのはもう確実だと、
ようやく思えるようになってきたんですよ。たまたまなんですけどね、これはね。これは心理カウンセリングではない。最初はそういう気が強いというのは、今でもそう見えるかもしれませんが、
個人セッションの重要性
そうではないなということが分かって、あえて言うならば人生相談というものに限りなく近く、人生相談の体なんですけれども、人生全般に関わってくる。
でも人生相談の体だけど、あくまでも心理中心の仕事術であるというか、ビジネス面のサポートなんですって言っていいんじゃないかと思うようになったんですね。
仕事に非常に差し障りがあるんですよ。そこを言っていければいいかなと。ただし、その仕事に何が差し障っているのかを、どのように理解し、解釈し、分析し、お伝えしていくかは、ほぼほぼ精神力動の考え方に頼ってますと。
そういうことだなと思うようになりました。精神分析をやってるわけじゃない。精神力動をやるってからには、それは心理臨床なのか精神分析なのかって思われそうですが、どっちでもないところに精神力動を割と援用させてもらうと。
引っ張ってリファーし、参考にし、それについて話し、それについて考え、それで考えっていう感じですね。PSポジションと言いますか、何がこういう時に起こっているのかですよね。奥さんとの喧嘩でもいいですし、上司にメールを送っちゃったんだけど、そのことについて上司が見読スルーなのか知りませんが、不安になって仕方がないとか。
あとはそうですね、いろいろありますよね。今日ずっとプレゼンしたんだけど、みんなの反応が赤ばかしくなかった。最初終わったときは赤ばかしくなかったぐらいだったんだけど、後から考えてみると、もうなんかめちゃくちゃだったような、本当にダメダメだったような気がするとか。
そうですね。あるいは、確かに、例えばですよ、土日にジェイマン・スザキさんがアスクシュート協会で、話が飛ぶようですけど、認定トレーナー養成講座というものを半日かける2でバッチリやってくださったわけですよ。大阪白から飛んで帰ってきて。
大変良かったと私は思うんですけど、やっぱりですね、ご本人は今日どうでしたって、まず開講一番これなんですよね。あれほどガッチリできる人が、全く私の感じではですね、この種のことをやるなら、これ以上はなかなか難しいだろう。
それは色々あると思うんだけど、私は彼は非常にこう、ハキハキしてますしね、ビジュアルもいいですね。私なんかがやったら、あの半分も出来良くないなって、本当に思うんですよね。しかも、私はあの半分も出来が良くないと思いながら、自分では九大点だと思ってますから、あの種の活動で言えば。
だからもうこれはほぼ言うことないでしょうっていうレベルでも、今日どうでしたが開講一番なんですよね。これがやっぱり我々のですね、いかにPSポジションと言いますか、東映というものの色濃く出るところかなと思うんですよ。だからこれは仕事の差し障りに絶対なると思うんですよね。
客観的に見れば、あの場にいた人は全員、いやこれはもうこんなことが出来るんだったら、この人に任せとけば良いでしょうのレベルなんだけど、その考え方は良くないかもしれないですけどね。こんなことここまでやれるなら、この人に任せとけば良いでしょうって感じなのに、本人は今日どうでしたになると。
いかに客観で我々はものを測ることができないか。我々の知覚というものには常に情緒的な不安というものがスッと入り込んで、一気に近くないよう、清くないよう、大きく揺さぶって、歪めていく。だからね、ここのポジションにいる時、一番歪められた感じがする時が一般社会人におけるPSポジションだと私は思うわけですよ。
妄想分裂ですから。妄想して、ある意味だから、猜疑心に駆り立てられて、みんなもう俺のことダメダメだと思っているとか、Jさんがそう思った場合の話ですよ。みんなこんなんでよく理事やれてるよねと思ってるとか、非常に猜疑心に凝り固まってますね。
パラノイックですよね。しかもそれによって、しばしば、この場合の分裂はスプリットを言ってると思うんで、怪異に近い状態が起こる。
どんどんどんどん自分の口が勝手に早口で幕立てていくんだけれども、自分自身が何やってるのかもう上の空になっちゃっていて、つまり怪異が起きてるわけですよね。
悪いお客様たちに悪い自分みたいなものが勝手に妄想して喋っていて、いい自分とかいいお客様はどっか行っちゃってるみたいな感じ。
そういうふうに怪異が起きている。だから引きこもっちゃったりするわけですよ。お客と私という関係の二人で一人の一体感はまるでなく、一番まずいですよね、そういうのってね。
完全に私というものが二人になっちゃってて、いい私は本当の私は後ろに引っ込んでて、偽りの私がペラペラ喋ってるだけみたいな、そういう状態。
これもある種の妄想分裂ポジション的な状態の入りの分裂の部分だと思うんですけど、だからこの妄想と分裂が起きていて、調子がいいときっておっしゃられていると、
どうしてこれで調子が良く感じられるのか。私の場合、今言ったのは全部調子悪いじゃないですか。上司はメールを既読するするわ。奥さんと喧嘩にはなってるわ。
取引先のプレゼンでは上野空になっちゃってるし、早口になっちゃってるし、挙動不審だし、全然調子良い感じがしない。
だからこれに気づかないとは僕には信じがたいんですね。いや気づくよな、ただ嫌な気分になるけど、と思ってしまうわけですよ。
この辺が私が思うところの、まず調子が良いというPSポジションの感じと、想定的な感じがすごく強くなって、気分が高揚していくってことあたりを指しているんだろうかみたいなのは、やっぱりご本人にお尋ねしなければなかなかわからない。
ここで思わぬ話が出てくることって結構あるんですよ。だから、いやそれはこういうことでしょうっていうのは大体あんまりよろしくなくて、
私は個人セッションにおいては、まず何よりも開かれていることだっていうのが、今はもう本当にめちゃくちゃ思うんですよね。
我々は潜入感の塊だなと、すぐにそれはこういうことだとかああいうことだって思ってしまって、それはそれでしょうがないしいいんですけど、転移が起きてるってことでいいんですけど、
間違いなくやっぱり近代少年なんですよ。話が飛ぶようですけど。そんなことなの本当はっていう、真相はこれだみたいなやつですよね。
全く思いがけない話がバッと飛び出してくる。これがですね、重篤とか軽度とか関係ないんですよね。
本当に個別セッションで私が思い知らされるのは、自分の想像力の足りなさなんですよね。世界は広いってことなんですよね。本当に世界は広いなと思いますね。
木を覆うごとにそれは、世界観っていうのが僕がこうだと思ってるのの、毎度倍になるぐらい広いですね。全然この人からこれが出てくるかっていうぐらい想像もつかないようなことが、皆さんから例外はほとんどないと言っていいですよね。
飛び出してくる。これはやっぱりだからこそ、手比義務とかプライバシーとかフローズっていう話になるんだけど、心はオープンにしておかないと、本当に全然想像つかないような事柄が語られていくんですよね。
このタイミングを待たないとダメなんですよ、やっぱり。ここが非常にややこしくて定義が起きるので、その定義に巻き込まれることは確かに必要。本当に精神力度というか精神分析って正しいなって思うんですよね。
とにかく騙される必要があるんですよね。お互いに騙される。参加者さんが騙しにかかってるんだけどそれは無意識だから、参加者さんだって本気でそう思っていて、本当にそれに困ってるんだって話で、私もまさにそれでは困るだろうと。仕事にならないよなと思って2人して騙されるんですよね。
信念に対する気づき
ある信念に騙される。だけどその信念に騙されている中でも頑張ってオープンマインドでいればですね、なるべく開かれていいよってこれだけが原因では決してないはずだって心のどっかで思っておくとバッと出るんですよね。いきなり展開が変わるみたいな。
展開するって言ったり、分析家の人々やカウンセラーはおっしゃるらしいんですけど、展開するというのは上手い表現だなと思うんですよね。急にこう扉がねバババッと開かれて全然違う光景が出現するんですよ。これが出現するのを頑張って待てないと、
何ていうのかな。そこで開示されているお悩み相談になってしまって終わるか、あるいはその開示されたらお悩み相談が延々ぐるぐる回るだけで終わるかになりやすいんですよね。だからもう全く異なる観点というものがそこに入るか入らないか。
そのためにはすごく独特だなと思う。よく心理臨床の本に書かれている通りなんだけど、あ、騙されてたっていうそういう瞬間が、誰が騙したっていうのは難しいんですけど、誰も騙す人はいない。騙す主体はないんですよ、ほぼ。
だけど騙されてるんですよね、参加者がみんな。状況に騙されてるとしか言いようがないような、そういった感じですよね。これを僕は大きな意味でのPSポジションだと思うんですよ。この騙されてしまってるというやつ。
定位に乗っかってるということなんですけど、多くの場合。それはだから個人セッションの場においては定位に乗っかることになるんですよね。気がつくと乗っけられているっていう感じなんですよね、本当に。なんか気がつくと船に乗ってましたみたいな。その船出ちゃいましたみたいな感じで。いや、戻んないとって思ってるんで、もう手遅れなんですよ。戻れないんですよね。
もうそのまま行くしかないみたいな。そうするとなんか見たことのない土地に到着しますみたいな。これが待てるかどうかって感じなんですよね。話がちょっと逸れた感じなんですけど、PSに気づくというのはそういうことでして。
幅広く見ると、Dに行くっていうのがそんなに割とありきたりなことではない可能性があると。特にPSDの行ったり来たりの中で上昇していって、Dに行き着くというのは。だからですね、Dは損臭いって言葉があるし、おっしゃることはわかるんですよね。
なんで私がケアしなきゃいけないんだ問題っていうのが出がしなんですけど、私は幸いこの3ヶ月チャレンジやらせていただいている中でですね、Dは全然損臭くないっていう。これだけ世界観が広げられるんならば、ケアなんていくらでもやりますみたいなそういうニュアンスにだんだんなってきましたね。
なかなか家族は難しいんですけど本当に。家族は力度が濃いんですよね。強めと言いますか、場合のないことでも力度がガチッとはまるから、ついつい家族の中では東映ドイツカーにのっかりがちなんですけども、やっぱり仕事でこれを体験するとですね、
本当に目が覚めるメリットのデカさというものがつくつく感じられるので、別にケアとか頑張るのは、その時はどうしても心理的抵抗って生じちゃうんですけれども、そんなのはもうどうでもいいなって感じが。
だからよくですね、これもモノの本に書いてあったりXで書いてあったり、チャットGPTも親切に言ってきてくれるんですけど、あなたの心のケアをしましょうねみたいな、そういうのがないから素人はやばい目に遭うんですよみたいなことを書かれるんだけど、いやー全然そうじゃないでしょうって感じはしますよ。
人のケアをしているから心が疲弊するとかっていうのは、やっぱりここから得られる報酬の大きさをすごくこう、なんて言うんですかね、脱価値化してますよね。間違いなく。相変わらずPSの中にいて、Dというものを勝手なものに想像している。
Dが抑鬱でしかないような何かになっちゃってるんですよね。Dはそんなもんではないんですよね。なので、PSに築く方法でDに至るっていう、そこまでですね、なんて言うんだろうな、こうテクニカルに考えられるものとはちょっと違うような気がします。
もちろん心理の学生さんでいらっしゃって、これは別教なんだってなると、そこは図式的になってしまうとは思うんですよ。だから私この番組で勉強するのは向かないんじゃないかなって思うんですけれども、私が喋って喋りたくなっているのはやっぱりこう、
なんて言うんですかね、親と喧嘩したりした後に、ある種の和解が起きた時っていうのは、こういう展開を何か意識できた方が、結果としてはですね、ありきたりな結果かもしれないけれども、やっぱりDにはすごい可能性があるんだという自分の万能空想なんですけど、
つまりPSに築くための一つの方法として考えられるのは万能空想なんですよ。万能感に入ったら、特にネガティブな方、だから万能って言うとどうしてもポジティブじゃないですか、万能だから。でもネガティブな万能、自分はある種の信念に基づいてるんですよ。
内的世界とか本能って言ってもいいんですけど、クラインに寄せたいところではあるんですけど、どっちかっていうとやっぱり僕は信念っていう方が通りいいなって思うんですよね。ある種の信念をお持ちなんですよ。これも3ヶ月チャレンジ、心理カウンセリングやってる人は一層多いと思うんですけど、もう次から次へとそういうケースになると思うんですが、やっぱりご本人が私は人に怒られるんだという信念をお持ちだったり、
私もこの発達障害と言われてる系でもですね、むしろこっちの信念をまず見ていった方がいいんじゃないかと。この人は人に怒られる信念を持っていらっしゃると。人に怒られる信念、人に嫌われる信念、人との関係が壊れていく信念、あるいは人に仲間外れにされる信念、これそれぞれ違うんですよ。同じではないんです。
結構持っていらっしゃるんですよ。一見したところ結構明るめで社交的に見える方でも、心の中では結構これ持っていて、この信念をそれこそ展開していくんですね。
で、こういう時転移逆転移ってよく言うんだけど、だから精神分析は設定が大事なんですけど、分析であればね。でもこれってちょっと東映同一化っていう概念は難しく聞こえますけど、ある子供さん、小学生のお子さんが、僕はみんなに嫌われるんだっていうことをすごく暗い気持ちになって感じている人が、結構打ち解けられずに友達が作れないっていうのは不思議な感じしなくないですかね。
全然不思議じゃないですよね。そういうことで学校の先生も結構時々言ってたじゃないですか。あなたがそう思ってるからみんなそうなるのよみたいなことって言われるじゃん。あれ完全に東映同一化ですよね。
つまり私はみんなに嫌われてるんだと思い込んでるから、なんかみんなと仲良くなれないみたいなことが現実に生じてくるっていうことは普通にあることですよね。あれを割と人為的な箱、人為的なルームの中で再現するというのにある意味過ぎない話なんですよね。
関係の破壊と再構築
だからニュートラルで接してるんだけど気がついたらこの人のことがなんかもうこの人とのカウンセリング嫌だなぁみたいになってるという、これはだからこれをやるとほらまたこうなったから私もう先生はいいです帰りますどうせ私が悪いんですなっちゃうんだけどそこをそうならせないのがあのルームにおける一つのこうなんていうのは仕事の仕事ですよ。
だけどここで心閉ざしてしまったのも同じじゃないですか。いやいや先生がどうしても来いって言うからどうせ先生は私のこと嫌いなのはわかってますけどまたカウンセリング来ますみたいなお金も払いますみたいな。これはお伏せですみたいなね。そういう感じで心は閉ざしますみたいな感じになると。問題なのは何かというとこの人の信念じゃないですか。
この人のその信念の形成にあたる反省からすればこれは当然ですよね。だって私は恋人も自分のことがなんかこう気分の悪い男だと言ったと。で親もずっとそういうふうにお前はなんか出来損ないだしなんかこう虫が好かない奴だと言ってきたと。
会社に勤めてみるとお前がそういう顔暗い顔してるからみんな嫌な気持ちになるんだと会社の上司にも言われた。たまたまではないしこれは私の信念ではなくて私はそういうふうに生まれついたんだしそれは事実なんだと。でカウンセリングに来てみてもやっぱり先生はどうも私のことを好いてないような気がするとか言うじゃないですか。
これはその人の性格上の困難であり難点であることはわかりきっていてもですね。でわかりきっているからこそこれについて知的に話しててもしょうがなくて本当にみんながそうさせられる気持ちにカウンセラーもなってみるしかないんですよ。だけどカウンセラーまでそうなると著しく傷つくじゃないですか。これがPSポジションですよね。
やっぱり先生も私のことを嫌うんですねってなってで困るじゃないですか。何が起きてるかカウンセラーは知ってるだけに余計困りますよね。いやいやそんなことないですよって言ってもダメだろうし黙ってるのもダメだろうしその通りですねっていうのはもちろんダメだしこうして要するに二重拘束的な世界にハマっていくこれこそPSポジションですよね。
ああもうなんかいいやみたいになると。つまりPSポジションというのはですね長々と引っ張った感じになりましたけど関係破壊的に働くというのがやっぱり僕は言われている中で一番正確だなと思うんですよね。関係破壊的に働くんですよ。対象関係論なんですけど対象というものを通じてと言いますかね関係破壊的に働く。
わざわざせっかく対象にまでなった関係なのに、だって対象になるって限られてるじゃないですか。父親対象母親対象恋人対象長時間対象すべて対象とは大事な人間との関係ですよね。どこでもいい人は対象にならないわけですよ。道でたまたま会った人とか対象に決してならない記憶にも残る。対象になるというのは重要な人であって重要な人に限ってその関係を破壊的に働くからPS的なんですよ。
だから悪い酔っ払いを噛んじゃったって話に行き着くわけですよね。一番最初の一番大事な対象は誰ですか。お母さんです。間違いないですよね。今のところはお父さんは子供を産めないから。もう子宮にいた時から関係があるわけだから。これこそまさに一番重要な関係。母親対象。この母親を怒らせてしまう。世界そのものである母親を怒らせてしまうということが恐ろしいことなわけですよね。
だからPSポジション。対象はPSポジションしか知りませんから。妄想的で分裂的なポジションで赤ちゃんはお母さんに向かってうわーっとどなり散らしているようなところありますよね。泣き喚きどなり散らす。お母さん怒る。取り返しがつかない。これがPSポジション。重要な他者との関係を破壊している。
だから対象関係として関係破壊的に機能するわけですよね。それは万能空想なんですよ。万能だと思っている。世界は自分中心に動いている。だから自分次第で関係は破壊できるっていう感じを持っちゃっているわけですよね。
この万能空想をカウンセラーは否定していかなければならない。だからあなたではこの関係を破壊しきれないんですってところ。それが例の持ちこたえるとか生き延びるってやつですよね。対象は破壊されたが、そうしたら現実が生き延びているっていうのはつまり対象は破壊されるんですよ。
カウンセラーは言ってみれば殺されるわけですよね。あるいはその対カウンセリングとの関係というものは一生懸命築いてきた、場合によっては年単位で頑張って築いてきた人間関係が一発で破壊されるわけですよね。泣き喚く。どうせ先生は私のことなんか大事だと思ってない。金ずるだと思ってるだけだっていう感じでもう二度とここには来ませんって言ったら壊れるじゃないですか。
実際にそれによって連続で10回ぐらいキャンセルすると普通だったら壊れるじゃないですか。でもそういう時には怖くて怖くてとてもじゃないけどそんなルームには近づけないはずですが、それでも行くってことによった時に先生は普通に待ってるとか例えばですよ。普通に待ってるとかそれができるかどうか重大な問題ですけど。
で、カウンセラーが普通に待ってるということになるとやっぱりここに万能空想に対する衝撃が走りますよね。破壊できない関係がある。自分の力では。ということに気づくってのがいいポジションの入り口なんだと思うんですよ。
つまり万能かも手放さなければならないんですよね。良いものであれ悪いものであれ自分は万能自分の力万能ではない。万能なのは対象に対してであって現実に対してではないってことですよね。対象は空想の中にあるものでもあるから内的対象はそうですよね。心の中のものだから本当に壊そうと思えば自分の心だから壊せるんだけど。
対象との関係は現実との関係は相手次第であってある程度はどうしたってどれほど自分がやってることが理不尽でこんなに先生が私のことに一生懸命なのに私が一方的に摂取し一方的に断絶して一方的に激行して一方的に破壊して一方的に壊したと思っていても一方的には壊せないという。
つまり投影というのは一方的なものなんで本来投影の5日になるんですけどもでも投影というのはやっぱり最初は一方的なものですよね一方的にこの人は嫌ってるとかこの人は怒ってると思い込むわけですよね。
信念の影響
一方通行なものなんだけれども関係は絶対に双方向のものだから相手が待っているとか相手が持ちこたえている限りは壊しきれないわけですよ。
だから対象は破壊できるでしょうけど現実化の関係は破壊できないということがカウンセラーによって示されるとですねカウンセラーがそしらぬ顔をしてればいいってもんじゃないですよね。
そしらぬ顔をしてニコニコしてお待ちしてましたって言ったってただそらずらしく嘘をついてるだけかもしれなくて関係は壊れてるかもしれないじゃないですか。
だから関係というのはリアルな関係というのは絶対に壊れないという保証を先に手に入れることができないので必ずそこに信じるってものが先行しなければならなくてこれができないってことですよね。
要は信念として自分は嫌われている自分は怒られるはずである自分のとの関係はみんなが切りたいと信じている。
あるいは自分という人間を救う人間はいないとかこの種の信念を持ってる人っていうのは一定数相当数いらっしゃっていて当然仕事に差し障りますよね。
だからこの信念を手放すのが最初だろうと3ヶ月チャレンジ的にはそういう言い方になるわけですよ。
仕事というものを苦しまずにやるにはこの信念を手放すのが一番何よりも優先されてタスク管理したり偽りの事故で頑張ったり情緒を蹴り離して割々想的にやっていくとかいうのはあくまでも二次的なやり方であって最優先事項は実はこの種の信念を手放すことだ。
割々空想とセットになっているこの種の信念を手放さないと誰もが私を嫌うんですっていう人は上司に近づくことができないですし誰もが私を怒るんですって人もやっぱり上司に近づき難いですしそこに行くとみんなの空気と機嫌を悪くするんですっていう人はやっぱり取引に行けないですよね。
メールも出せなくていい。
いやメールは出せるはずだっていうふうに多くの人は考えがちで現代ではなぜかそういうふうに考えがちなんだけど認知コード両方だとしてもですねやっぱりこのスキーマって今言いますよねつまり信念ですよね形成された信念ですよね。
この壊し方とか取り扱いのアプローチが学科によって違うと思うんですけれども私だって結局そこをやることに違いはないわけですよ。
なるべくその仕事に絶対的に差し支えていく信念を手放していく。
まあ信念破壊するのは危険なんで手放していく。
仕事と信念
こういうことをやるところにDSからDってのがあるわけですよ。
Dってのは結局何かを信じることになるはずですから。
そうするとただそうする上でこの信念が形成されるというのがですね親に繰り返し言われたとかそれだけではないんですよね。
必ずこの種の信念を形成するにあたって我々の話し合っていく想像力を大きく超えたような出来事が実は語られずに置かれたりするんですよ。
しかもそれは無意識無意識言うから無意識だと見つけられないんだけどやっぱり奥深い全意識みたいな感じのところに置かれてるんですよね。
実はその人は知ってる。
そしてしかし滅多なことではカウンセラーには語らない。
はしごされている方なんてやっぱりいらっしゃいますもん。
3ヶ月チャレンジというものであったとしても5件6件と何らかの相談をしてきました。
ただそこでは語らずに起きましたっていうことが本人の中でも非常になんていうのか取り扱いの難しいものがあるわけですよね。
信念の中で信念形成にあたってですよね。
そういうものが語られて来ずに来たのでここでもずっと語らずに全然違うことが重要なことのように語られてしまいそっちばっかり我々も着目して2人で冗長的な嵐の中を頑張って生きているうちに不意識新しい新事実が登場するわけですよ。
それでなるほどそう言われてみれば最初からそういう話してましたよね。
これも不思議なんですけど、つまり文脈が与えられるっていうのはそういうことなんですけど。
確かに聞き様によっては最初からその話だったわみたいな話が起こる。
これが僕は本当のDだろうというふうに思うんですよね。
そういう時にやっぱりいろんなものに開かれているのは確かに良いことで、
フラインとウィニコットは言ってることが少し違うしっていうか結構だいぶ違うし。
だからやっぱり暗いんだよなってなった時ほど急にウィニコットの存在感って上がってきたりするんですよ。
やっぱり対象関係論だよなって思っていると急にユングの存在感が出てきたりするんですよ。
開かれてるってそういうことだろうなってやっぱ思うんですよね。
どうしてもある種のフレームワークだけでは見落としがちになるというか、文脈を与えきれないものに突然異なる文脈を与えることができ始める。
そういう時に私たちはPSポジションというものが全くいらないものだって感じが不意にするんですね。
だからずっとどうせ先生も嫌っている。いやいやそんなことないですよ。
この欧州でしかなかったやり取りに急に新しい意味が認められるわけですよ。
関係破壊的ですよね。人はみんな怒る。だからカウンセラーの先生もやっぱり僕のことを怒る。
怒られるのは嫌だから私も今日ここには来ませんと今後は。
でもそれは先生が悪いわけじゃない。みんな私のことは怒るんだからほっといてくださいって言って撤退する。
関係破壊的ですよね。これが怒るなのかそれとも気嫌いするなのか、あるいは先生の時間を無駄にするなのか何でもいいんですよ。
その場合、怒る逆転はしかし変わってくるわけですよね。腹を立てるっていうケースもあるでしょうし、
むしろ自分がダメ人間だと思って落ち込んでいくっていうケースもあるでしょうし、いろんな逆転が起こるわけですね。
この逆転に丸々入っていくと、しかしクライアントさん来なくなりますよね。
信念の形成
だから丸々入っていかなきゃいけないんだけれども、関係は維持しておいて、そこでなるべく自分の意識を開いたものにしておくと。
閉じていくんですけど、PSポジションに入ると思いっきり不思議なことに。だから演劇が全てみたいになっていくんですよ。
お前怒り役やるんだから怒り役やれよっていう感じになって。
ありましたね、私このフォトゲストで何度も調べてると思うんですけど、性色障害の女の子の場合は特にそうですが、見捨てろって言うと。
見捨てろと言われると見せたくなりますよね。なんで見捨てろって言われてまで、いやいや見せませんからみたいにならなきゃいけないのかと。
それでどうせ見捨てませんからって言ったって、それはだって先生は仕事だからそう言うんでしょうって言われるじゃないですか。お金もらってるからそう言うんでしょうって言われるじゃないですか。
いいから私のことは見捨てて他の人のところに行ってくださいって言われると、いい加減見捨てたくなるじゃないですか。
でもそこで頑張るわけじゃないですか。でもそこでもしつこく見捨てなさい攻撃はやってくるわけですよ、繰り返し繰り返し。
いやいや私は絶対見せませんからって言ったって、どうせ先生は必ず最後は見捨てることになるんだからって言われるわけですよね。
最終的には最終的論争みたいな 最終戦争みたいになっていくわけですよね
このやり取りでしかないまま時間が経過すると 著しく不毛な感じがしますよね
これこそまさに ps ポジション的だと思うんですよ 完全にそのミステロ言ってる人はあの猜疑心の塊ですよね
パラノイック全開ですよね でも明らかに分裂もしてますよね
だってミステロって言いながら面接の場に来るんだから 完全に事故矛盾が起きてるわけじゃないですか
だから分裂はそこにあるわけですよ この分裂にしかもかけてますよね
あの先生の方来たあなたがいるんだよってことですよね ミステロというあなたと来て生きて直したいと思ってるあんたがいるんだよってことですね
分裂してますよねこの分裂にかけてますよねこの分裂が起きてないんだったら その人来なくなりますよね
一貫してしまったら見捨てられたいんだったら本気で来なくなってしまいます でそれは選択できないことではないですよね無理やりこされているわけではない以上そういう
ことになるわけです まあ健康な
部分とか健康な事故って言ったりしますけどそういうものがなければそこに来ないはず なので
いうことがあるわけだからやっぱり猜疑心との塊で分裂しているわけですよね ここを何とか
要するに全体としてその人が統合されるようにすると でそうすると猜疑心というものが消滅すると先生はつまりお金のためにもやってるし
仕事のため仕事だからやってもいるんだけどでもえっと見捨てたくないというのも本当 なんだってこれが納得できないわけですよね
どっちかにしなきゃいけないと思われているわけですよ でもすべての人はグレーなんですよねこの話はあんまり受けなかったんだけど
サンドリオン 俳優をかぶってるわけですよ
白とかじゃないんですよね先生が白だったらやるんだけど 全実は先生腹黒いから黒だから私はここをやめたいんですっていう主張なんだけど
白でも黒でもないわけですよ これがわかることが d でもあるっていうことですよね
まあ以上のような感じで いただいたレターありがとうございました
今日は少なくとも昨日よりは答えになったんではないかと思います いずれにしてもですねこう勉強するのには僕の語りは向いてないんじゃないかなという感じが
しますが えっとでもこれについて知っておくってのやっぱり私はいいことだとは思うんですよね
さっき途中言いましたけどやっぱりこう ちっちゃな子で私はみんなに嫌われてるんだからどうせ誰も僕と遊びたくないんだよみたいな
ことを言っていてで誰もそのこと遊んでくれなくなるってことを置きうるじゃないですか 普通に起きてるじゃないですか
あれが遠いドイツかなと思うんですよ だから決してあれは精神分析のルームだけで起きてるわけじゃなくてただ精神分析の
ルームではこれを取り扱うという 一つの戦略を持ってそしてその戦略に乗っ取って人工的にその事態を作り出すってことを
やってるという意味で非常に特殊な空間になっているという意味であるんですね しかもこれ大人がやってると割といい大人が一生懸命やってるわけですよこういうこと
なぜならその情緒はちゃんと子供の時に取り扱われずに来るというこうなことが しばしば起きるからですよ
しかもしばしばこの流れのまま成功しちゃう人っているわけですよ 社会的にそうなってくるとすごい著しく難しくなっていくわけですよね
大人なんでやっぱり丸出しにこれをしないですよね どうせ私は内心ではみんな私のことを嫌ってるとさっきの言いましたよね
養成講座でジェームスたちさんがどうでしたと開講一番これ つまりどこか疑ってる部分があるわけですよ自分が相当うまくやったとしても
人間はやっぱりそれを信じきれないんですよね だからその真逆の信念を持ったまま成功しちゃう人っているんですよ
こと自分のこの本心は隠そうと愛議心とか分裂して部分を出したって何のとこにもなら ないから接触気味になったところ
人に見せて見せろ見せろ言ったって本当に見せられるだけだから そんなんだったらここを真逆にしてしまうんですよ
とても黒くなっていくわけですよね いつも人当たり良くしてそこはもう演技なわけですよ100%演技
あのヤンキャラーのゆいちゃんが言ってましたけどあのディズニーランドに行ったら なんか映画のロケでもやってるのかと
なんで家族のみんなニコニコしてるんだとつまりニコニコするというのは ゆいちゃん自体演技以外のものではないはずで外向けのものだから
これを信念のように持つわけですよね ある種の万能空想とナルシーシズムナルシーシスティックなパーソナリティの人
自己愛パーソナリティの人はこれをやるわけですよ 完全な外面というものを作ってしまってしかもそれで大成功を収める
だけどこいつらはどうせ私が成功しているから好きになってくれるんだ 人間とのそういうものなんだここをとこそ磨こうとそのうちその人はこれを
誠実にやっているという気にだんだんなってくるわけですよ ある種の宗教体系みたいなものを作っちゃうわけですよね
皆さんにこう表面的になっているのかな その人表面的だと思い思ってないんですけど表面的な笑顔とかそういった親切とか
ケアとかそれこそ何でもいいんですよね 世界の愛みたいなものを語り始めてそういうものの中で皆さん幸せになっていくんだから
どんどん私に従って私がし要求するだけのお金をちゃんとここに収めなさいねみたいに そういう時間を作り出してしまうっていう人っていろんな世界にちゃんといますよ
自己愛と内面的葛藤
あれを自己愛と力動的に説明してしまっていいのかどうか少し問題があるかもしれない けどおかしなことではないと思うんですよね
すごくあの起点が聞いて頭がいい人であればそういうことも可能になっていくと だからあのある意味信者みたいに人が周りにいるんだけどその人たちはみんなどっかちょっと欲物的になる
わけですよ じゃなきゃもついていけないですからね
で中央にいる人はまあ当人はある意味ものすごく感じのいい 自己愛パーソナリティみたいなことって起こりうると別に普通にこの人は猛烈に内面では分裂して
いるからある意味一生暴走分裂ポジションみたいなところがあるんだけれども でも成功はしているとでも内面ではすべての人は自分を本当は好かないはずである
っていう信念を持ってものすごく多くの人に好かれるということが起こる っていうこともあると思うんですよね
だから結局 d ポジションというのはに軽なもんじゃないと思うんですよね この種の関係破壊的な信念そのものをやっぱり手放していく
ということができるかどうかにかかっている気がします
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