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理論は理論を信じる人のために【1358】
2026-06-09 40:23

理論は理論を信じる人のために【1358】


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サマリー

今回の放送では、佐々木正悟氏が自身の精神分析的アプローチについて語ります。特に、クライアントの悩みに対して、なぜ特定の反応をするのかを説明する「説明モデル」の重要性を強調。対象関係論やクライン派などの理論を例に挙げ、自身の自然な反応と結びつけて納得感を得ること、そしてそれが他者へのアプローチにも繋がることを解説します。また、自身の経験や臨床例を交えながら、歴史性や関係性の文脈を重視する精神力動的なアプローチの有効性について深く掘り下げています。

オープニングと番組からのお知らせ
おはようございます。佐々木正悟の精神分析的ラジオ第1358回お送りします。6月9日火曜日7時58分です。
はい、えー、なんとなくこう梅雨感のある、まあ割と庭先とかを、あのーで、なんていうんですか、あのー家庭再現やってる人間としては割と楽な季節ではあるんですけど、これが終わるともう
暑くはなるわ、枯れるわで、蚊も出るしで、めちゃくちゃ大変、まあ蚊はもう出てますけど、めちゃくちゃ大変なんですけど、とりあえず今の段階ではまだ、あのー
だいぶ楽かなと。はいすいません、ちょっと途切れたかもしれませんね、あのーあれです、ちょっとイヤホンマイクの設定が多分何も変わってないと思うんですけど、ちょっと若干微妙だったんで、それを修正しました。
だいぶね、これもさすがに、一応だからそうなんだと思うんですよね、石の上にもじゃないですけど、この番組も何年もやってればこういうことがサクッと、最初の頃はもう本当にマイクの設定一つで、これに落ち着く、まあAirPodsなんですけどね、Appleのに落ち着くまでにもえらい時間がかかりましたから、これに落ち着いてからすごい安定してますよね、こういうライフハック的なのもまあまあ大事だなと思いますね。
はい、お知らせです。止まっちゃったんでね、2つお知らせがございまして、1つは6月27日に山崎孝明さんという方をゲストでお招きして、神保町でハイブリッドの、現地では5名様、残り4、5名の枠がございまして、まあ全体で10名しか入れない、まあ殺到すればね、ちょっと場所を変えるかもしれませんけど、とりあえずおそらくあのぐらいだろうと思っておりますんで、
まあ現地は5、6名で、オンラインでの一般的には配信となりまして、アーカイブ配信もあります。
でも私はね、あの、正規の人に聞きたいことは山ほどあるわけですよ。
まあスーパーバイスもつけずに、一応正規そっくりとは言いませんが、でも私は自己啓発でもスピでもコーチングでもないつもりでやってるわけですよ。
占いたくなる心理と精神分析
そうなってくると、やっぱりこう、正規の人しかいないんですよね。結局ね。
あの本当このね、あの3ヶ月チャレンジを何年もやっておりますと、なぜ水晶玉とかがここに出てきたくなるのかというのが、もう本当にこう、心の底からわかってくるみたいな感じがするんですね。
もういろんな意味で、えっと一寸先が闇だって感じがしてきたときに、自分が占いたくなるんですよ、簡単に言うと。
いやこの先どうなるのか、ちょっとカード教えてよって感じになっちゃうわけですよね。
で、それをつまりセッションに適応したくなるのは当然じゃないですか。もうあまりにも自明じゃないですか。
いやこの2人の関係の先は、あの今乙女ザデとかって言いたくなるわけですよ。
これはね、あれなのかもしれない、わら人形論法とかなんかもしれないけど、あの別にこれは占いとかの本質を掴んでるとか言わないじゃないですよ。
ただただ、私がこのいわゆる相談、あの人生相談的なものからの相談全体、いわゆる相談事を一人対一人でやるときに、人がなぜスピリチュアルというものを、ああもう、
みんながみんなと言わないまでも、あの野々石は笑うにもありましたけども、本当に多くがやっぱそれなんですよね。占いなんですよね。
なぜ占いたくなるのかという、多分ね、あのわかりませんけども、現政権とかも、まあいろいろこう、あれじゃないですか、だいたい反対側、おおむね左側からの人からすると、
ある種の信念によって暴走しているように見えると思うかもしれないけど、多分そんなことはないと思うんですよ。
当事者になれば、ああいうことをやっている人は悩みに悩むと思うんですね。
だってあの結構ヒットラーだって、なんかこう悩んでたじゃないですか、知らないですけど、だからこういうときにただ信念で向かってまっしぐらに進むっていうことは、非常に無理があると思いますし、あのね、最近に私チャーチルの、あの人はヒットラーに行ったときガーッと責められた人ですけど、
あの人も映画の中ではめちゃくちゃ悩んでました。これだってわかんないですけどね、もちろんね、わかんないけど、悩むと思うんですよね。で、羨まれたくなっちゃうと思うんですよ、もはや。
前にですね、あの、あれはですね、なんか余談が増えてますが、ヤクルトのヒローカ・タスローという、だいぶ古い話ですが、あの、万年再会のヤクルトを監督になった1年目でいきなり優勝させたんだよね、多分ね、2年目かな。
もうなんか、ものすごい名称と、まあ彼は名称ですけどね、されてるわけですけれども、あの、あれをちょっと、ちょっと伊賀化した漫画がありま、あ、漫画じゃない、小説がありまして、私そういう、あの、プロ野球の小説読むの好きなんで、すげえ読んでるんですけど実は、その中で、そのヒローカ・タスローの前監督がですね、まあ、クビになるわけですけども、前の監督が、あの、
あいつもクビにするからお前監督やれって言われるんだけど、監督がなんか変えたって強くなりませんよってヒローカが答えるシーンがあるわけですが、本当はどうなのか知んないですけど、でもオーナーにそんなこと言えないよなと思うんだけど、まあそのオーナーがですね、クビにした理由が、前の監督はな、あいつは占い師に打順決めさせてたんだよって言って、でヒローカがえ?って言って、まあそれはちょっとダメだよねっていうことで監督交代になるというシーンがあるわけなんですけど、
でもヒローカ監督がですね、ずーっとヤクルトやってるしに、まあとにかく途中交代の時は負け続けるわけで、私は千葉ロッテの応援とかしてるから、あそこは日本記録18連敗という記録を持ってるチームなんですけど、まあ負けるわけですよ、もうほとんど見てる試合負けてるっていう時が弱い年とかは普通にあって、勝率4割とか3割何分ってもうほとんど見てる試合負けますからね、3割勝ってるはずなんだけど、もうほとんど負けてますから、
そういう感じがするんですよね、あれ監督やってたらもうお腹痛いだろうし嫌だろうなと思ってヒローカが、あのふと打順を決めようとした時に、ああ前監督が占いで決めてたのがよくわかるわっていう、あの小説はよくできてるんですよね、もう絶対そうだろうなって思うんですよね、
なんかもう自分決めるより占った方がマシなんじゃねえかと、どう組んだって打たないしねみたいな感じってあると思うんですよ、何事も何事もうまくいかなくなってる時っていうか、うまくいってる時でさえも別にうまくいってればうまくいってたでやっぱり占いたくなるじゃないですか、もっとうまくいきたくなるから、人はそういう貪欲な生き物ですからねやっぱりね、
そういうわけで私もこう、なるほどなぁと思ったわけですよ、これはねもう本当にどんなに小さな瞬間でも出てくるんですよね、占わないんですけど、だからここで占わないっていうのは一つのなんて言うんですかね、線引きなんですよ、別にそれは占うことが良い悪いじゃなくて、私はそうしないんだっていうことなんですよね、
この辺があるからやっぱり人に聞きたくない、人に聞きたくなるってのは結局似たような話なんですよね、だから山崎隆明さんに聞くっていうテーマでセミナーしますんで、よろしかったら、私はこれは面白いと思ってるけど、でもそれは私が面白いのであって、皆様にとってどうだかはわかりませんが、私は面白いと思います。
で、併せましてですね、お知らせとして、その山崎さんのセミナーを現在5000円で出してますが、3000円でご参加いただけますが、その際サブスタックというところを今私活用しようとしておりまして、頑張っておりまして、これの登録していただいて、そこにコードのきば、まあのきばですから、NOKIBAですから、このコードを打っていただけば、別に登録されなくてもですね、3000円でご参加いただけます。
ぜひこのコードをご利用した上で2000円オフでご参加いただければと思います、というお知らせでした。
説明モデルの重要性:精神力動と現代クライニアン
で、今の話の延長みたいな話ですけれども、つまりですね、私は精神力道というふうなものに対照関係論にできれば現代クライミアンというところに、僕は説明モデルを持ってきてるんですけど、まさに今申し上げたとおり、説明モデルを持ちたいわけですね。
つまり、どんな反応をするかというのは、基本常識的な反応になっちゃうと思うんです。
例えばですよ、かなり例えばね、ちょっと嫌な話をしますと、例えばひどく強気なことを言う、特に男性ですね、スプラッターみたいな話ですよ、ある意味。
自分はね、やんないけどさ、みたいなことを言って、こういう人がいたっているんじゃないですよ、でも別に良気的殺人とか、別に動揺しないんだよね、みたいなことを言う人がいたとするじゃないですか。
まあ、これでいろんな反応があると思うんですよ。
なんか悲しく反応するとか、なんかこいつ嫌だなみたいに反応するとか、黙っちゃうとか、僕ならいかにも黙っちゃいそうですけど、別にこれは普通の反応なわけですよ。
反応しないってことはできなくて、何の反応もしないのも一つの反応ですから、こういう場合は特に反応しちゃうわけだけど、なぜそういう反応をしたのかということに説明できる、できないまでも自分では納得がある程度いく説明モデルを持っているという時に、この何派であるってことが大事になると思うんですよ。
沈黙しても全然いいと思うんですね。
共感できないとか、あるいはあえて頑張って共感しようとか、私はロジャーズ派だからみたいな、でもどっちかというと僕はその順番ではなくて、自分が自然にしてしまう反応の妥当な説明モデルに寄せるべきだって、向かうべきだって思うんですね。
私は対象関係論の説明はとても納得がいくんですよ。
だから、私は当然こういう時にこういう反応するだろうと。
今のような話を聞けば、猫のね、そういう切り刻むのねとか聞いて、何だよこいつみたいになる、何だよこいつみたいになるのはただの僕なんですよ。
高校時代の僕だって多分そんなところなんですよね。大学時代の自分だってただそんな感じなんですよ。
だが、これがなんでそういう反応するのって言ったら、いやみんなそうなんじゃんじゃなくて、対象関係論的にはっていくべきなんですよ。
ただそれは別にそれを言わなくてもいいと思うんですよ。
でも自分がそういうモデルで考えてるから、考えてるからじゃなくて、考えてみるとこういう反応をなぜするのかといえばきっとこうだからなんだろうなってクラインが言ってますって言われると、あ、なるほどねって感じがするってこういう感じなんですよね。
この順番で私は学8ってものは正規であろうと正規であろうと使うのがいいと、使うのがいいというか何かを持っていた方がいいと。
別にだからそこで星占いのモデルでもいいと思うんです。
多分どんなモデルを使ったとしてもここに出てくる反応っていうのは、まあもちろん人の数だけパターンはあるとも言えますが、概ね修練しそうなところってあると思うんですよね。
いや一緒になって興奮しますみたいなのはちょっとカウンセリングっぽくはないと思うんですよね。
カウンセラーだったらやっぱりいやそれはなっていう感じがするとかすっごい悲しくなるとかその辺だと思うんですけど、なんかこう人間として悲しくなる、まあそういうのでもいい、そういうなんか人間主義的良好みたいなのもあるじゃないですか。
それはそれでいいと思うんですね。
けど自分はそうじゃないんですよねやっぱりね。
いやなんかそういうのは人間としてダメでしょっては私は思ってない。
でもなんかそうみんながしそうな反応と同じ反応するんだけど説明モデルとしてはやっぱりそれは例えばですけどその猫って言われた時に自分だったら子猫って感じがするんですよね。
一層かわいそうだみたいな感じがした時、自分の母性的な部分って説明したくなるんですよ私だったら。
それだと納得感が高まるんですね。
一気に。
人間としてとか、いやそんなのはダメだよみたいなそういう、それも一つの説明ではありますが、そうじゃなくてなんかこうそこに理由があるような気が。
臨床例に見るアプローチの違い:おせっかい論
ちなみに今日ちょっと短めに切り上げます。
後であの歯医者に行くっていう仕事があるんで。
で、午前中に予約しちゃったっていうか午前中しか予約が取れなかったんですよね。
で、この説明モデルというものが、説明をしだしたら変かもしれない。
でも説明をそこでするとは限らないし、例えば言われた時にいやなんで先生黙っちゃうんですかってここで問い詰められたとするじゃないですか。
別にいいじゃないですかみたいなこと言われたとするじゃないですか。
その時に、もちろんそれは現代くらいにあんだとかって言うわけじゃないんだけど、その時にもなんでこういう詰められ方をして、しかも自分はなんかここで不愉快になってんだろうみたいなことを考えた時に、
転移みたいな言葉を自分が多分、自分がというかその説明をする上で他人が佐々木さん転移ってものがありましてっていうのが一番僕は素直に聞いてられると思うんですね。
これにそういう人がそこら辺を普通に言って、もし本当にそういうことをやっちゃうとまずいからわかりませんよ。
でも昔のモデルはそうなんですよ。もっと健全な趣味に走れるように、趣味に向かえるように行動を変容してあげましょう。
それがやっぱり社会にとってもその人にとってもいいんですよってモデルは説得力は別に普通にありますよ。
ありますけど私はあんまり納得できないんですよね。まあまあそれはその通りだとは思うし、そうした方がいいと思いますよとは言えるけど、
じゃあ心の底からそうだそうだって思って、そのモデルを採用して私は人の相談を受けようとまでは全然思わない、そういうモデルはっていうことなんですよ。
だから説明モデルっていうのはやっぱり自分がする反応の自然にする反応が自然であるという根拠付けになっていると言いますか、
私がとりがちな反応の自然にとるわけですよね。自然にとりたいわけですよ。やっぱり人間としてこうであると考えるからこそこういう反応するんだみたいな。
そんなの続かないじゃないですか。なんかこうサステナビリティっていうんですか、全然それ持続可能な反応はしないんですよ。そんなことばっかりやってたらすっごい辛くなってくるだろうし、一歩も近づくと眠っちゃいそうだし、そういうモデルは私にやっぱり向かないと思うんですよね。
こういう話だとしても傾聴して共感しようみたいな、いやわかんないですよ。別にロイヤルズがそう言ってるんではないと僕は思うんですけど、
私は傾聴共感というのは全然精神分析的にもありだと思うんだけど、でも全然プロセスが違うと思うんですよね。
私が感じる共感というのは東映ドイツカーによって矯正されてねじ込まれてくるネガティブな感覚というものが、そのようなねじ込み方も最もだっていう意味での共感であって、
ただただ最初に聞いたスプラッターっぽい話に共感できるとか、それは多分ロシアン派とかでもそうじゃないと思うんだけど、でも悲しくはなるけども共感できるみたいな、そういう線もあると思うんですけど、僕はそういう感じではないなっていうふうに思うんですね。
だからやっぱりその説明モデルとして自分がする自然な反応は自然な反応であるなぜならばっていう説明に釈然とできるやつを採用するのがいいんだろうと思うんですね。
だったら人にも勧められやすいじゃないですか。僕は人には別に現代クライミアムとか勧めませんが、勧めやすいじゃないですかっていうこと。
この話の中に東方カイトさんが以前女の人に怒鳴られるシーンあるじゃないですか、出てくるんですよね。何でも見つかる夜になったかなとにかく、あの話結構あちこちで東方さんは使うんで、
臨床例っていうのは使える臨床例ってそう多くないんで、しかも絶対偽装もしてるんで、一つ作り上げるとそれを使い回すのは当然だと思うんですけど、だから本当にあったのかどうかわかんないんですけど、
あれは相当よく使われてるから、タツヤさんとかいう恋人を作っちゃう女の人の話ですね。本当に近い、少なくともベースになる臨床経験はあるんじゃないのかなって思うんですけれども、
あれは東映ドイツ課で説明されるところだと思うんですけど、要はこの人すごいまずいことになってそうだから長くカウンセリングしてる人ですよね、その女性に向かって眠れないんです、どうしてくれるんですかみたいになったから、
ちょっとじゃあ睡眠薬でもって言ったらいい、薬やだって言ったろうみたいなことを言って打ち切れられるっていうそういうシーンなわけですよね。
あそこで私すごく差もありなんだなと思ったし、過強なんだなって思ったのも、私がここに来たのは眠れないからなのであって、別に恋人が作りたいと言ったわけじゃないし、
あなたにその人間関係についてとやかく言われたくはないんだと、余計なお世話なんだっていうカウンセリングとは何かの中で、
戸畑海人さんがおせっかいっていう言葉を他のところでも出してますけど、雪だるまは暖かい部屋にいると溶けちゃうから、
おせっかいでもなんでも外に連れ出してあげたり冷蔵庫に入れたりしてあげるべきなんだ、それがセラピーなんだみたいな、そういうような話。
あれはケアとセラピーの話なんだけど、おせっかいだっていうことですよね、セラピーは。
なんでおせっかいなのかっていうことも大事なんだけど、そもそも私はどうおせっかいなのかっていうことがやっぱり決まってくることだと思うんですよ。
私はここでね、いわゆる現代的な路線ってのは当たり前なんですが、当然なんですが、おせっかいを極力しないおせっかいっていう方向に向かっていると思うんですね。
歴史性と対人関係の視点
だから例えばそういう眠れないんですって言ったときに、やっぱり戸畑さんという人はCBTも大事です、学科はいろいろあるんですっていう論者だから、そういう普通の相談なんかでもそうですよね。
ポストで山崎孝明さんもほぼ同じようなことをおっしゃいますけど、でも戸畑さんのあのアプローチ、思考の進め方はやっぱり徹頭徹尾、力動的だと思うんですよ。
で、普通にその国考えても2種類パッと考えつくと思うんですね。眠れないんですって言ってる人は眠れるようにしてあげる。
だからこれが民財を投入するっていう話だし、あるいは眠れない行動パターンを変えてあげよう。夜寝るのが遅すぎるのではないだろうかと。
で、夜寝るのが遅いのはスマホをダラダラ見ちゃってるからで、もうスマホは11時になったら強制シャッター音にする。こういう考え方ですよね。
あるいはそんな夜遅くまでスマホをやりたくなっている、例えば会社で会ったことに対してこの人ちょっと悩みすぎているのではないかと。
そういう認識のありようというものにその人を誘っている認識のパターン、中の認知パターンを変えていくことによって自然に睡眠に、そういう風にうまくいけばいいんですけどね。
でも遠方さんはそうでは全然なくて、何でも見つかる夜の中で、まずあれ違う本かもしれない。その辺はちょっと適宜調べてください。すぐ見つかるはずなんで。
パッと彼が考えるのが、この人はホテリエっていうの?わかんないですけど、コンシュルジュのようだと。
何だか営業スマイルでいつもいつも無理をしているような気がする。そもそもなぜこの人はそんなに無理をするんだと言ったら、家族の中でどうやらお父さんは幻覚でみたいな。
こういう展開をすなわち歴史性を追ってるじゃないですか。ごく自然に当たり前のように歴史性に向かっていくじゃないですか。
で、という思考が自分にとって自然ですって人も世の中にいっぱいいるじゃないですか。
この人なんでこんなにいつも無理して映画を作ってるのかな。お母さんが笑ってないと怒るのかなみたいに。別にこれは専門的とかじゃないじゃないですか。
自然の思考の流れですよね。でも人によってはこの人はなんか眠れないとか言ってるから、いい睡眠薬が最近市販されたんだよねっていう人もいるじゃないですか。
ライアック界隈には割といますけど。これはどっちも自然ですよね。
で、結局そういうものをブラッシュアップしたり拡張していった先に画家ってものができていくわけですよ。結局は。
で、その時に初動としてどっち向かうかっていうのは私はものすごく大事だと思うんですよね。私は決まってこの人はなんで笑顔が張り付いてるんだろう派なんですよ。
そしてそうなった時に幼い頃にっていう風に考えるのが自然だと考えちゃうんですよね。
だからそっちに向かうわけですよね。どういうおせっかいをするかは、もうおせっかいはおせっかいなんですよ。
私眠れないのねって言ってる人にで終わるっていう話だってあるわけだから。
だから自分で眠れるようにするんだねっていう人っているわけじゃないですか。
だから何とかして眠れるようにしてあげようみたいなのってつまりおせっかいなんだけど、その場合になぜこの人は眠れないのだろうとか。
で、だんだん先へ行くとブラッシュアップされて洗練されていくとそもそもこの人は眠れない話をここでこの食卓でしたのはなぜなのかみたいなことを考え始めると
非常にフロイド的になっていくってことなんですよね。
そもそもこの人にこの話を今し本当に眠れないのだろうか眠れないという話をしたいのだろうかみたいな。
そういうところまで言い始めるとこれだってつまりある種のおせっかいなわけですよ。
眠れないという話をすることによるインパクトについて考えるみたいなこと。
その人にとってこうそのことを今話さなければならない人生上の必然性は何なんだろうみたいな。
これも非常に重要なアプローチだけどあんま自然にこれを取るって人はいないと思うんですよ。
でもある種の人はそういうふうに考えるかもしれないわけですよね。
あるいはそこに人間関係に対する物の見方を見るのかもしれない。
眠れないっていう話題を使うことによって会話を円滑にしたいというそういうその人の対人関係上のニードがその人を突き動かしているのかもしれない。
まあウィニコットっぽさも出てますけど非常に対人関係論ってものがあるいはいわゆる関係学派みたいなことをちょっと関係学はそうじゃねえって言われるかもしれないけど
今このホテリエの話から展開させたんでこの辺はちょっと勘弁してほしいんですけどということなんですよ。
だから自分が初動としてどっち向きやすいかでこれはですねその人の自分の問題にぶつかったときに如実に現れると思うんですね。
自己の問題と他者の問題への向き合い方
私意外と自分が問題になると途端にCBTっぽくなる部分があるんですよ。こういう分裂もあるんですよ。
だから例えば私は最初にアトピーだったときにいい皮膚薬を探そうで次にいろいろ考えたらミストを当てるとか肌に何かを当てる系なんですよ。
決まってね。それでものすごい行き詰まっていくんだけれども肌に何かを当てる系肌に何かを当てる系で問題解決しようとするのはまさに民在派じゃないですか。
自分の問題となると途端にそっちになるのが僕にとってはごく当然だみたいになっていた。
これは一体何なんだろうねっていうことをことを考え出したところからある種すごく対象関係論的な方に向かうことになったんですよね。
これってつまり、要するに私が今日言いたいことはそういうことで2種類考えなきゃいけないっていうことなんですね。
一つは他人のお悩みを聞いた時自分の心はどう動くのか。一つは自分が困った時に自分の心はどう向かうのかっていうこと。
この2つを合わせてやっぱり何かを選ぶと間違いがないとは言いませんけれども、なぜそれを選ぶのかの角度がぐっと上がる。
だからもし他人のお悩みを聞いた時占めたくなるって言うんだったらその人には占い素養って絶対あると思うんですよね。
私眠れなくてって言った時に今星の巡り合わせがみたいなことがパッと頭に浮かぶっていうようなタイプの人には占い素養って絶対あると思うんですよ。
でもその人だって自分が大学に行くってなった時に偏差子はとかって言い出すとすると必ずしもそれは占い素養ではないと思うんですね。
だけれども偏差子のことを考えても何を考えても何を考えても何を考えてもつらくてつらくてつらくて
気がついたら自分は渋谷の占いのおばさんに大学行かれますかって聞いてましたみたいな人はもしかすると占い素養があるのかもしれない。
必ずその自分の問題提起と他人がしてきたお悩み相談と合わせて考えていくというのが大事だろうなと。
なぜならば我々は一足飛びに飛びますしこれがいかにも私が今それにはまってるっていう証拠なんですが我々はみな自己愛的だからなんだと思うんですよね。
だから自分だけは特別扱いしちゃって他の人の悩みには私だったら精神分析的にすぐ思考が進んでしまうくせに自分の問題となった途端にCBTっぽいところCBTプラス投薬みたいないかにも現代的な方
つまりお前はどっちを本当は信じてるんだっていうことになったときに一概には言えないってことなんですね。
お前本当は自分とやるんだからCBT信じてるんでしょうって言われるとそうではないことを私は今は知ってるんですよ。
でも私は2005、6年の頃は自分に適応する方法を人に適応するのが望ましいと思ってたからCBT的なライフハック一変動で常に行動を変える。
無理だったら認知も変える。そして合わせで可能だったら物を使う。ガジェットですね。薬もある意味ガジェットですね。ガジェットを使う。
この3本柱で行くのが一番間違いがないと思ってたわけですね。
ところが意外なぐらいそれが自分の悩みに適応しまくってみるとうまくいくケースもあるんだけどタスクシュートみたいにそこそこうまくいくケースもあるんだけど全く機能しないケースというのが大量に発生するわけですね。
その時に他の人に実は他の人の悩みを聞いた時には自然と向かうその人は子供の頃こうされてきたんではないのかと子供の頃無理やり頑張ってこうしてる。
つまりそれって私がある意味では心の底で自然に人間はそうするんだって思ってる素朴な感覚なんですよね。そっちを信じてないわけでは全然ないわけですよ。
ただそれを自分に適応しようとするといろんな意味でのハードルが発生するわけですね。なんか薬とかライフハックとかの方が有効そうな気がどうしても感覚的にしてしまうんですよ。
でも関係というものがいろんな意味で例えば眠れないということもその人の関係性ってものがすごく影響を及ぼしてるに違いないと思う。それを自分にもそっくり適応すればいいだけなんです。
してみればいいわけですよ。別に損にはならない。肌が悪いのは何か対人関係の問題なんではないかってなった時にいきなりボンと母の顔が浮かんだわけですよね。
関係性の歴史と見立ての深化
ただ私はただ母の顔が浮かんだっていやお袋と自分の肌が悪化することに何の関係があるんだと全然ないじゃないか。だって肌は昔からよく聞いてますけどなんかコーヒースタミンがどうしたとこうしたとか
IGE交代がどうなどのコーナーでステロイドは塗りすぎるとどうのコーナーになってみたいな全部説明されていてそっちの話で万全に理解できるのになんでここで母親という何の役にも立たなそうなおばさんをここにドンと連れてきて肌が悪いのはこの人との関係が意味不明だっていう感じになる。
でも私は他人のことになってくるとその人とお母さんの関係がなんでこういう変なこのギャップですよねある種のギャップが生じてしまうんでしょうねっていうことを考えながら松木さんの本なりを読んでると非常にこうなんつうんですかねある種の気持ち悪さを乗り越えるとかはあるんですが乗り越えてみると
なんで今までこう考えることが自分についてはなかったのかなっていうのが出てくるわけですよ。
で、これは自己愛という問題万能空想という問題でもあると思うんですけど要するに自己愛的万能感に取り憑かれているわけなんだけどこの先にあるのがある意味では
これはいわゆる現代クライニアン的な考え方ですけどねやっぱりねDポジション欲打つポジションというもののPSとD話が飛んでるようですがクラインが言った非常にシンプルな様式におけるPSとDではなくてやっぱり成人になってから向かうDポジション欲打つポジションしかし打つには陥らないようにし
罪悪感で自分を完全には貶めたり機能不全にしないようにする上でもやっぱりそこに行き着く必要のあるつまりある種の罪悪感を持つってことなんですけどそういうDポジションっていうものを獲得するっていうのかな改めて入るっていうのかなそういうことと関係があったんだなっていう話をやっぱりするためにはですね歴史性ってものが大事なんですよ
やっぱりそのあのホテリエみたいな女の人だっていきなりなんか3回目のセッションで東肌に噛みついたとかじゃないわけですよね東肌さんに噛みついたのはもう長い歴史があって恋愛もしちゃったし話も聞いてもらっちゃったしホテリエみたいなのも何でなのかも全部東肌さんがそれなりに大概間違ってるのかもしれないけどそんなことはないと思うんですけどね
そういうふうに歴史性を洗って見て挙句の果てにお前何にも役に立ってないじゃん分かってないじゃんと言ってぶち切れられるわけですけれどもそれはあの歴史性があったからであってつまり眠れないとか診断とか私は診断しないですけどいわゆるフォーミュレーションとか見立てとか最初にするって話なんだけど最初にした見立てっていうものだけに
フォーカスできなくなっていくはずなんですよねだってその後に長いですから精神分析なんて特にクライアントさんとカウンセラーさんの関係が5年10年10年はないにしても5年とか3年5年なってしまった後でその人間関係が歴史に追加されていくわけじゃないですか
そうするとその人間関係自体をすっ飛ばして親子関係の方だけを見るっていうのがの意味自体が5年前と5年後とでは変わっていきますよね全然違う意味合いを見てきますよね
5年前にあなたにカウンセリングなんか無理って言って打ち切れるっていうのあんまり意味ないじゃないですかそういう人もいると思うんだけど
尊方さんだって不愉快だろうしショックも受けるかもしれないけどなんかこうなんか微妙で困った人だなぐらいで終わっちゃうと思うんですよね
でもそれが5年間も経営関係がいろんな意味でその人の恋愛とかその人が恋愛の中でも他人数との関係を持ってるみたいなそれに対して尊方さんがちょっとリスクがあるんじゃないみたいなことを言って余計なことを言われたくなかったんだとかまで言われるほどその人との関係が発生しちゃった後で見えてくるその人の親子関係ってのは見えてくるっていうか
もう追加されたんですよね実人生の中に尊方さんとの関係が追加されてもなおやっぱり親子関係はこうだっていう追加されても変わっていないものがあるみたいなこれは追加される前にただあったものとは大きく文脈が変わると思うんですよ
だからDポジションっていうのはそういう意味でそこまでの尊方さんとオテリエのような女の人のPS字はないと思うんですけどだからその辺すごいフィニコットが妥当だなと思うんですよ
文脈と関係性の中での見立て
PSは何でもPSなくじゃないんだとDは大事だけどDが大事なんだみたいなPSはいろいろある病理のうちの一つでしかないかもしれないけどでもフィニコットの言い方ってそれに近いんですよ名前も妄想分裂なんてよくないしPSというのとDを対比するんじゃないんだとDを確立するってことが大事なんだよみたいな彼らしいある意味真っ当感のある説明モデルなんですけどね
でもあの話を読んでるとそうですよねDに入る直前PSっぽくなりますけどこれやっぱり新しいDの確立っていうものがすべての過去の文脈を揺さぶっていくんですよねそれがカウンセリングっていうものとして尊方さんが描き出しているっていうのはなるほどなって感じがするんですよ
でその長くなっている短く切り上げるとかがどっか行ってるんですけどもうやめますけど時間がなくなってるんであのこういう話は結局なんていうのかなその今文脈を見失いつつあるんですよね私ねこういう話っていっぱいわーっと喋ってくると文脈見失うんだなだからといってメモるっていうのは私はこの場合ナンセンスな感じがする
そうナンセンスで思い出したつまりですねそのスプラッターみたいな話ですよの時にこうどういう反応するのかっていうのも同じだと思うんですよねフォーミュレーションの時にいや私はそういうね別にこう猫の猟奇的なのとかも全然私はやんないですよやんないですけどみたいなことを言う人っていると思うんですよ絶対長らく精神分析とかやってるとでもそれを初日に時に聞くのともうこの人とは5年もやってるのにそれを言う
ここで言うみたいな感じになった時のその感じってすごく違っていてやっぱりそこのあえて感みたいなものも分かんないですけど出得るしそのなんていうのかなえっとその人の本質とかではすむはや違うと思うんですよねある意味それはあえて語られる関係の中で語られるみたいな話になっているわけだからそのいろんな話を聞いてそういうことをいかにも言いそうだよねっていう人がまた
ここで言うっていうのとなんだか全然わかんないタイミングでもいきなり言うっていうのとは話が違うと思うんですよだから診断とか見立てっていうものがどんどんどんどんなんていうのかなえっと診断名という意味ではですね例えばそういうサイコパスみたいなそういう表現だとそれが何でもいいんですけど
その構造が見えてきたときのその見え方ってあると思うしその構造が見える前の見立てまあそれは見立てをするっていうのが大事だと思うんですけどその構造が見えてきたときのその見立てをするっていうのが大事だと思うんですよ
って話あると思うんであると思うんですけれどもやっぱ構造みたいなものですよねどこしてもそういう話が出てきてしまうみたいなそういうのを見に行きたくなるというかあの見届けたく見届けるっていう方が近い見届けるって変ですけど見に行くのと見届けるのは全然違うんですけどねでもなんかこうやっぱりあの東方さんのあの女性とのやりとりも見届けるって感じ
なんです別になってあそこでえっとあなたはカウンセリングなんか無理だみたいなこと言って切れてもう来ませんみたいなことになってそういうことがあったかもしれないですかで終わってしまったみたいな感じ見届けてない感じってでも残りますよねなんかよくわかんないけどその言われることは最もの日もするんですよだからおせっかい論ってそういう怖さがあるわけですよ私は別に恋愛がしたかったわけじゃないまあそうだよねでその恋愛してとやかくなんか言われたくなかったまあそうだよねっていう
そういう話は最初は全然なかったもんねっていうただその繰り上げている関係性関係ですよね関係性は良くない関係というものはその人の歴史のなんて言うんですかね
歴史的な必然性からやっぱり東原さん流に見るとですけどやっぱり栄養スマイルばっかりして張り付いたような笑顔を作って自分の苦しみを全部自分のpdcaで回すことで解消してないんだけれども現実の中では仕事ができるようになるとか何かをお金を設けるようになることで解決したかのようにしてしまうということを繰り返してきた必然として
そういうことが出たんですっていう見方はだからやっぱりこれに納得できるかどうかですよね納得できやすいとなってくるとやっぱりそのここでなぜなのかはわかんないけど漫画悪く東原さんがじゃあちょっと民罪って急に言っちゃうみたいなことが起きたああいう話が意味を持ってくるっていうのかな
その文脈における意味みたいなものが改めて入ってくるというか位置づけられるのだと思うんですよこれを重ねていく中で何かを見届けるやっぱり見届けるって感じがするんですよねそうすると何か少なくとも完全に問題解決しないかもしれないけど少なくとも一つは終わるという風な
こういう話はやっぱり私は納得感を持ちがちではありますねそれが精神力動系みたいな方向少なくともですねどうしても自分には過去適応するのが自然だと思ってたかもしれないがCBT的ではないなぜならばあれですよ結局突然変えられないんですよ
今だから私は夜寝ていても少々荒れても肌描かなくなりましたけど明日から描かなくしましょう良さそうなもんなんですよアトピーラって描かなければ悪化はしないわけだからでもできないんですよねそれはやっぱり歴史があるからその歴史は私の場合は特にそういうところありますがやっぱり母親との関係から始まってしまったからなんですよね
そういうことに目を向けるのはやっぱりナンセンスな感じがしてたんですけれども今でもちょっと不思議な感じは残るんですけれどもでも目を向けてみたら良くはなったってことであって良くなってみると少なくとも今までこれを100%無視して頑張っていた20代の頃は私完全にそうでしたから頑張っていた自分は不思議だなぐらいには思いますもうやめます
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