実は私自身、ウェブ制作の現場でこれと全く同じ経験をしたことがあって。
ほう、それはどういった状況だったんですか?
あるプロジェクトで、ウェブサイトからの問い合わせとか、購入を増やすっていう目的については、チーム全員で完全に合意できてたんですよ。
みんな同じ方向を向いてるって信じきってたんですけど、
蓋を開けてみたら、一方は広告とかを売って、サイトを訪れる新しい人そのものを増やすって考えていて、
で、もう一方は、今すでにサイトに来てる人がもっとスムーズに購入できるように、デザインとか動線を改善するって考えてたんです。
あー、なるほどなるほど。完全にアプローチが分かれてますね。
そうなんですよ。同じ目的を掲げてたのに、途中から全然話が通じなくなっちゃって、結局前の段階まで大きく戻って考え直さはめになったんですよね。
それは大変でしたね。でも非常に象徴的なエピソードだと思います。
ここで私たちが最初に見つめるべきなのは、ずれていたのは決して目的ではなかったということなんですよ。
目的ではない。
問い合わせや購入を増やすというゴール自体はちゃんと共有できていたわけですよね。
でもその目的をどのような条件とか考え方で実現しようとしていたのか、つまりその前提がずれていたんです。
なるほど。目的と前提の違いですね。
はい、そうです。
でも例えば売上を1.2倍にするみたいに、数字が入った具体的で分かりやすい目標を立てれば、前提のゼレなんて起きないんじゃないですか。
これなら誰も迷いようがない気がするんですけど。
実はそこが第一の罠なんですよ。
罠ですか。
確かに数字は明確なんですけど、その1.2倍をどうやって達成するのかまでは、その言葉だけじゃ決まりませんよね。
そうか。
先ほどのウェブ製作の例と全く同じです。新しいお客さんをたくさん集めて売上を伸ばすのか、それとも今来てくれているお客さんが途中で離脱するのを防いで売上を伸ばすのか。
確かにそこまでは言ってないですね。
そうなんです。同じ1.2倍という山頂を目指していても、置いている条件とか想定が違えば、登山口が変わっちゃうわけです。最初に行うべきアクションが全く変わってしまうんですよ。
なるほど。ちょっとここで私の頭の中を整理させてください。つまりこういうことですかね。
友達と一緒にレストランに行って、よし今日は絶対に美味しいハンバーグを食べようって固く合意したとしますよね。
ハンバーグですね。
でも注文して待っている間、私はさっぱりとした和風おろしハンバーグを想像して、口の中がすでにおろしポン酢の気分になっているのに。
なっているのに。
友達は濃厚なデミグラスソースのハンバーグを想像している。
ハンバーグを食べるっていうゴールは同じでも、味付けの前提が全く違うから、いざ料理が出てきたときに、え、そっち?ってなっちゃう状態ですよね。
面白い例えですね。状況のずれとしては、もうまさにその通りです。
ですよね。
ただ、ハンバーグならまあいいか、どっちも美味しいしって笑い話で済みますけど、これを実際のビジネス、例えば家作りで考えてみてください。
家作りですか。それはちょっと規模が違いますね。
ええ。例えば家族が居心地よく過ごせる家という目的で、大工さんと完全に合意したとします。
はい、いいですね。居心地のいい家。
しかし、あなたが自然の光がたっぷり入る開放的なガラス張りの家を前提にしているのに対して。
なのに対して?
大工さんが冬でも暖かい、断熱性を重視した窓が小さい家を前提にして基礎工事を始めちゃったらどうなりますか?
うわ、それは致命的ですね。ソースの違いじゃ済まないですよ。文字通り土台からの崩壊じゃないですか。壁をぶち抜いて作り直す大惨事ですよ。
そういうことです。
でもあの、素朴な疑問なんですけど、なぜ私たちはそんな重大な土台の違いを事前に確認しそびれちゃうんでしょうか。普通そんな大事なことなら最初に話すはずですよね。
そこなんですよ。まさにそこがこの問題の確信なんです。なぜ確認しないのか。その背後には人間の脳の驚くべきメカニズムが隠れてるんですよ。
脳のメカニズムですか?
ええ。ここでキーワードになるのが、暗黙知と呼ばれるものなんです。
暗黙知。暗黙知ですね。えーと、言葉にならない知識、あるいは無意識のルールみたいなものでしょうか。
そうですそうです。経験とか感覚を通じて身についていて、本人の中ではすっかり当たり前になっている知識のことですね。一番わかりやすい例が、あの自転車に乗るときの感覚です。
自転車、はい。
自転車に乗れる人って、カーブを曲がるときの体の傾き具合とか、バランスをとるための微妙なハンドルの動きをいちいち意識せずに感覚的に調整できますよね。
確かに。今から右に5度傾けて、ペダルに体重をかけてなんて、いちいち考えながら乗ってないです。それを意識し始めたら逆に転んじゃいますよ。
そうですよね。乗り方はわかっていても、その一つ一つの筋肉の動きを言葉で説明してって言われるとものすごく難しい。これが暗黙知なんです。
なるほど。体で覚えてるってやつですね。
はい。では、なぜ人間の脳はそんな言葉にできない無意識のプロセスを作り出すんだと思いますか?
えーと、なんでだろう。毎回考えるのが面倒だからとかですか?
まさにそれです。脳の認知的負荷、つまり脳への負担を極限まで減らすためなんですよ。
脳の負担を減らす、つまり省エネ機能っていうことですか?
その通りです。人間の脳はエネルギーを節約するために繰り返される経験とかパターンをどんどん自動処理に回していくんです。
自動処理か。
毎回どう自転車に乗るかとか、この仕事はどういう手順で進めるかをゼロから論理的に考えていたら脳がパンクしちゃいますからね。
確かにそれは疲れちゃいますね。
だから経験の長いプロフェッショナルであればあるほど、こういう案件なら普通はこう考えるだろうとか、この目的であればまずはこの順番で進めるのがセオリーだっていう暗黙値が分厚く蓄積されていくんです。
それはすごく興味深いですね。つまり人間の脳の素晴らしい省エネ機能が皮肉なことに他人とのコミュニケーションにおいては言わなくても分かるだろうっていう巨大な盲点を作り出しちゃうわけだ。
そうなんですよ。
プロになればなるほど自分の常識が自動処理されて見えなくなる。だからわざわざ言葉にして確認しようとすら思わないんですね。
ええ、全く悪気なく自分の経験から生まれた想定を全員共通の前提として勝手に補ってしまうんです。これが最初の会議で笑顔で握手したのに後からプロジェクトが崩壊する本当の理由なんです。
なるほどなあ、すごく腑に落ちました。でもちょっと待ってくださいよ。
はい。
脳が自動処理しているその暗黙地を全部言葉にして引っ張り出してこれって合ってますよねっていちいち確認するなんてロボットじゃあるまいし現実的には不可能じゃないですか。
おっしゃる通りです。
そんなことしてたら会議が一生終わらないですよ。
すべてを言葉にするのは不可能ですし非効率ですよね。ただこの問題の本当に恐ろしいところはその違いがいつ表面化するかというタイミング遅さにあるんですよ。
タイミングですか。それって先ほどの家作りの例で言うと基礎工事が終わって柱が立ってから窓がないって気づくみたいなことですよね。
まさにそれです。もう少しビジネスの具体的な例で考えてみましょうか。
はいお願いします。
なるほど。これなら現実的ですね。頭の中の思考を全部垂れ流すんじゃなくて、この4つのフレームワークを埋めることで要所要所の前提をサクッと確認できるわけだ。
はい。ただここで一つ重要な注意点があるんですよ。
何でしょう?
それは前提を細かく固定しすぎないことです。
固定しすぎない?
必要なのはあくまでその先の大きな判断がブレないところまで揃えることなんです。
例えば比較検討中の訪問者を対象にする、広告費は増やさない、サイトの改善で売り上げを伸ばすというところまで揃ったとしますよね。
はい。そこまで揃えば安心感あります。
ここまでしっかり固まっていれば、じゃあ具体的に商品の紹介ページを直すのか、それとも比較の特集記事を直すのか、といった細かい戦術までは最初の会議でガチガチに決めてしまう必要はないんですよ。
あー、ちょっと待ってください。
それはつまり、前提を揃えるっていうのは、みんなが進むべき道にガードレールを置いて崖から落ちないようにする作業だということですか?
素晴らしい表現ですね。
絶対に身動きが取れなくなるような窮屈なレールを敷くことではないと。
まさにその通りです。ガードレールさえあれば、安心してプロジェクトを進められますよね。
新しい情報が入ってきたら、ガードレールの内側で柔軟に動き回れる余白を残しておくことが、本質的な身軽さ、つまりプロジェクトのアジリティにつながるんです。
いやー、すごくクリアになりました。そして、これってビジネスのプロジェクト管理だけじゃなくて、日常のコミュニケーションも全く同じシステムで動いてますよね。
ほう、例えば?
例えば、友達と旅行の計画を立てるときなんかまさにこれですよ。今度の週末は、のんびり過ごそうねって大盛り上がりして合意したとしますよね。
あー、日常でも実によくあるシチュエーションですね。
私は、のんびり過ごすっていうのは、分刻みの予定を詰め込まずに、気になったカフェに入ったり、街をあてどなく散歩したりすることだと思ってるんです。
ええ。
でも、友達の脳内では、のんびり過ごすイコール、チェックインからチェックアウトまでホテルから一歩も出ずにスパとルームサービスでダラダラすることだって自動処理されてるかもしれない。
確かに。どちらものんびりするという目的に嘘はないし、間違ってもいないですよね。
そうなんですよ。
しかし、この前提の違いはそのままにしておくと危険です。なぜなら、予算とかホテルの選び方といった次の大きな判断を根本から変えてしまうからです。
ですよね。
街歩きをしたいなら、交通の便が良い場所のホテルを探すでしょうし、おこもりしたいなら、施設が充実した高級リゾートを探しますからね。
そう。もし前提の違いに気づかないまま現地に着いちゃったら、一人はスニーカーの紐を固く結んで、さあ出かけようって意気込んでるのに、もう一人は部屋着に着替えて、え、一歩も出ないよって言い出すわけですよ。最悪の空気になりますね、これ。
想像しただけで気まずいですね。これ関わる人が増えれば増えるほど、この暗黙地の衝突による事故が起きる確率は跳ね上がるんですよ。
ああ、やっぱりそうですよね。
ええ。異なる背景とか専門性を持った人たちが集まれば、同じ言葉を別の意味で受け取る可能性はどうしても高くなります。だからこそ、後から前提がひっくり返った時の被害が大きそうな重要な案件ほど、初期の段階で背景・対象・制約・アプローチの4つを使ってガードレールを設置しておく意味があるんです。