1. 今日も明日も授業道~国語教育をゆるっと語る~
  2. 516_苦手は克服しなくていい。..
2026-10-27 12:46

516_苦手は克服しなくていい。ただし、先達に出会えたら話は別。

教育系ポッドキャストの日の共通テーマ「苦手と苦手克服」。単純作業、計算、タッチパッド、音楽、ゲーム、そしてタコとイカ——実は苦手のほとんどを克服していない黒瀬が、唯一見事に克服できた「水泳」の体験を語ります。水が怖くて泳げなかった中学生を変えたのは、理屈から教えてくれた一人の先生でした。『徒然草』の「先達はあらまほしきことなり」を手がかりに、苦手克服に本当に必要なものと、教師が「先達」になることの意味を考えます。

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#ポッドキャスト #教育系ポッドキャストの日 #苦手克服 #徒然草 #国語教育

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サマリー

黒瀬直美は、単純作業、計算、タッチパッド、音楽、ゲームなど、克服できていない苦手を振り返ります。生成AIによって大量計算やExcel作業から解放された経験から、すべての苦手を無理に克服する必要はないと述べます。一方、水泳だけは、理屈から丁寧に教える先生との出会いによって、息継ぎや泳法を理解し、泳げるようになりました。聴音の授業との対比から、苦手を乗り越えるには本人の根性より、理屈を示してくれる先達や先生の存在が重要だと考えています。

単純作業と計算への苦手意識
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。 この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は516回、苦手は克服しなくていい。ただし、先達に出会えたら話は別。というタイトルでお届けしたいと思います。
今日は教育系ポッドキャストの日という、ポッドキャスト企画参加配信会で、苦手克服というテーマでお話しします。
学校では苦手を克服しようとよく言いますが、私は苦手のほとんどを克服していません。
それでも一つだけ見事に克服できたものがあり、そこには教育の本質に関わるヒントがあったように思います。
それでは今日も国語教育をゆるっと語っていきましょう。
私が一番苦手なのは、同じ動作をひたすら繰り返す単純作業です。
例えば、ジョギングやマラソンは小さい頃から苦手で、ただ走っている途中で、これに何の意味があるんだろうと考えてしまいます。
ジムのランニングマシンも5分と続いたことがありません。
一方で球技は結構大好きなんで、体を動かすこと自体が嫌いなのではなく、変化のないただ単純作業、ただの繰り返し、こういうものが苦手なんじゃないかなと思います。
その延長線上にあるのが計算で、小学校のドリルは簡単だったし、終わればすぐに解放されるので、さささっと面白く取り組めたんですけれども、
高等学校の数学にあたりからつまづきました。
微分積分のように考えて解くというより、大量に計算して答えを出す数学に変わった途端、興味を失ってしまいました。
当時の私は機械的な計算なら計算機に任せて、人間はもっと面白いことを考えた方がいいんじゃないっていうふうに思っていました。
もちろん計算能力は大切だと思うんですけれども、一般的には中学校程度の計算ができれば十分で、その先の複雑な計算、大量な計算は計算が大好きで面白くてたまらない人がやればいいんじゃないかと考えていました。
そういった数学への苦手意識から数字に興味がなくなり、表計算ソフトのExcelにも興味が持てずに、実は今もあんまり好きではありません。
だけども、生成AIが登場してからは、こういった単純計算、大量計算、それから表計算ソフトのExcelのお仕事も、こうしてとか、ああしてとか、バイブコーディング、言葉で頼べば処理してくれるようにな
りました。
つまり私は単純作業を克服したんではなくて、AIに任せることで解放されたと、こういうことになると思います。
まあ単純作業から人間を解放してくれる良い時代が来たなと、私は本当にありがたいと感じています。
タッチパッドと音楽の苦手
2つ目の苦手はノートパソコンのタッチパッドなんですね。
実は私はマウス派です。
今でこそ若い人はタッチパッドを巧みに操っているんですけれども、昔のタッチパッドは本当に操作性が悪くて、触ってもないのに反応したり、叩いても反応しなかったりしました。
本当に操作性がひどくてイライラした記憶しかありません。
そこからタッチパッドに頑張って取り組もうという気をなくしてしまいました。
おそらく良いタッチパッドが出始めた頃は、今の若い人たちはサクサクと取り組んできて、そういった世代差が生まれてきたんじゃないかと思います。
若い世代の人ほど操作性が良いタッチパッドが登場したので、抵抗感なくタッチパッドに取り組めているんじゃないかと思うんですよね。
やっぱり最近タッチパッドも性能が良いから、マウスを持って歩くことがだんだん面倒だなと感じるようになってきて、
さらに言うと、カフェとかでパソコンを開いてマウスをつついている姿はどうもおしゃれには見えないなと思っていて、あれ一体何なんでしょうね。
なんでおしゃれに見えないのかなと思うんだけれども、やっぱりマウスはガツガツと操作するっていうイメージが強いのかもしれないですね。
そこで今私はおしゃれに見えるようにと少しずつタッチパッドの練習をしているところです。
この苦手克服の動機は必要に迫られたとか身軽さに憧れているとか見た目へのこだわりといったところにあって、
特に見た目へのこだわりが大きいかな。
3つ目の苦手は音楽で、私は音楽を聴く習慣のない家庭で育ちました。
家にはラジカセもプレイヤーもなくてピアノなどの習い事もしていませんでした。
そのため音の聞き分けとかリズム感というのが身についていなくて、実は歌が上手いとか下手っていうのもあんまり細かいところでは正直よくわかっていません。
もう誰がどんな歌を歌っているかについても若かった時はその時にすごく流行った松田聖子とか中森明というところはよく聞いていたのでそこどまりで知識が止まっています。
中学校2年生の時、音楽の先生がいきなり超音やりますって言ってピアノで鳴らした音を五線譜に書かせるっていうそういう授業があったんですね。
私は全然教わってもないのに練習もしてないのに全然できなくて周りのピアノとかバイオリンを習っている同級生は結構たくさんいたんですけれども、スラスラスラスラ聞き取って書いてるんですよね。
私はのドがどの音かとかラーがどの音かも全然わかんないまま全くできず生まれ育ちで優劣をつけられるその授業っていうもののおかげでますます音楽が嫌いになりました。
この体験は教われてもいないことをできる前提というふうにされると苦手は克服するどころか苦手がますます強化されてしまうというねそういういい例だと思います。
ゲームと水への恐怖
まあその他にはゲームも苦手でスーパーマリオとかが発売された時に少し遊んだんですけれどもちょうど穴に落ちて全然クリアできずに非常に挫折感を味わいました。
ゲームは言葉で説明することなく画面から何をすればいいかを読み取るっていうそういう必要があると思うんですね。
つまりそのゲームの文法っていうものが全然身についていなかったので私はこれは一体何をさせたいのかということをじーっと考えるだけでゲームをクリアするという段階までいかないということになってしまって
います。
ついでに言うとタコとイカも苦手でこれも克服したことはありません。
そんな私にも苦手を克服できた経験が一つだけあります。
それは水泳です。
小さい頃親に連れられて海水浴場に行ったんですけれどもそこでなんか溺れてしまったような記憶というかそういう経験があります。
父親が助けてくれたんですけれどもそれ以来水が怖くなりました。
小学校3、4年生の頃に一度だけ顔をつけて5メートルぐらい泳いで先生に拍手してもらったことがあります。
でも5年生になっても6年生になっても25メートルは泳げないままでした。
中学校に上がってもプールの授業では全く泳げず半ばやさぐれて適当にやり過ごしていました。
理屈を教える先生との水泳克服
ある夏休みの直前かな?
補修の案内が来まして泳げない生徒だけが選ばれし者として呼び出されました。
集まったのは私を含めてほんの3、4人の生徒でその先生は今思えばとても優秀なコーチのようなプロっぽいそんなスキルがあるような先生でしたね。
先生はこうこうこういうふうにするとこうなるからこういうふうにしましょうっていうのに必ずレクチャーを入れて理論から教えてくれました。
例えば息継ぎについては水の中で息を吐き切って顔を上げたら自然に水は入ってこないので顔を上げた瞬間に息を吸い込むことができるんだよっていうそういうセオリーを教えてくれたんですね。
その理屈がわかった途端に息継ぎがスッとできるようになってそのおかげで水が怖くなくなりました。
さらに水のかき方とか手のひらの角度まで丁寧に教えてもらってあっという間にクロールが泳げるようになりました。
ついでにひら泳ぎもかいてから蹴るタイミング足の甲を実際に持ってもらってカエルの足の角度まで教えてもらってこれもすぐに上達しました。
今ではクロールもひら泳ぎも背泳ぎもできまして体力さえあれば何メーターでも泳ぐことができます。
もしあの時先生が補修に呼んでくれなかったら私は一生水を怖がったままで泳ぎも克服できなかったと思います。
本当にあの先生には感謝しています。
苦手を克服する先達の役割
振り返ると克服できなかった苦手と克服できた苦手の違いは本人の努力よりも誰にどう教わったかがあったように思います。
聴音の授業は理屈を教えずに結果だけを求め水泳の補修は理屈から丁寧に教えてくれました。
ツレズレ草で吉田健吾は少しのことでも先達はあらまほしきことなりと書いています。
苦手を乗り越えるには根性とかよりも理屈を言葉で示してくれる先達の存在が大きいのではないでしょうか。
子供は経験が少ない分苦手分野がたくさんできてしまうというのは当たり前のことだと思います。
けれども人間には可能性というものがあるので少しでもできそうだと思ったことには挑戦してほしいなと思っています。
そして先生は子供にとってその先達になれるかどうかが問われているのだと思います。
一方で計算をAIに任せたように全ての苦手を克服するという必要はなくて向き不向きというのもあるんだというのも大切だと思います。
こんな風に苦手は全部克服しなくてもいいけれどもいい先生に出会えれば苦手だった分野が楽しみに変わることもあります。
皆さんには苦手を克服させてくれた先生はいましたか。そして今誰かの先生イコール先達に慣れているでしょうか。
ちなみに私はタコとイカは食べませんし計算マシンになるつもりもありませんし音楽もやっぱり苦手です。
どなたか私に苦手克服の方法を教えてくださる先達がいらっしゃいましたらぜひメッセージを寄せください。
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それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。
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