この番組は、テクノロジーと幸せに生きる、 ワクワクするデジタル空間を作るというビジョンのもと、
新しい視点を取り込み、日常的な課題に対して議論の出発点を作っていく 学生メディアLFDAからお届けします。
こんにちは、LFDA編集部のウイチです。 ワカナです。
はい、今回はですね、 新しい表現とテクノロジーっていうテーマで、
ワカナとポッドキャストを撮っていきたいと思っていて、 はい、まぁちょっと前回、多分ね、前回として出るポッドキャストの話をすると、
LFDAのメンバーであるアマネと、 ファッションとテクノロジーっていうテーマで撮って、
SNSとかの今のプラットフォーム、 今の言論空間でどうやって自分たちのファッション感とかが形成されていて、
狭まれている、もしくは広がっているのかみたいな話をして、 アマネはね、言論空間に特に興味があるから、それとファッションの話をしたいんだけど、
これ結構言論空間がやっぱりSNSとかによって、 狭められたり広げられたりしていることって、
ワカナが興味があるって言ってくれた新しい表現、 表現の分野でも結構似たような議論ができるなとか、
深めがいがあるなって思っていて、 結構ファッションとかって感性とかさ、テイストとかとも関係がある、
アートとも関係があることやけど、そこら辺について、 今度ワカナと話すんだよねっていう伏線をしていたので、
はい、じゃあ今回はアートと、新しい表現とテクノロジーについて、 ワカナと喋っていきたいと思います。
で、じゃあちょっと結構久しぶりの出演になると思うので、 自己紹介を軽くお願いしてもいいですか。
はい、LFDA編集部のワカナです。 今回表現とテクノロジーっていうテーマで、
別に私はそんなにアートとか表現に精通している ワークグラウンドがあるわけじゃないんですけど、
なんか人、人間って面白いなっていうモチベーションで、 すごい色々勉強してるなと思ってて、
今社会学を中心に勉強してるんですけど、 その中でこのLFDAに入ったきっかけっていうのも、
人にすごい関心があるからこそ、なんかAIっていう、 人に似てるけど、似て非なるものに対する、
興味とか違和感とか色んなものを感じて、
その人をAIで対比して、人についてすごい考えたいなっていう モチベーションでやってるので、
今回その表現っていうのは、すごい人間だからこそできることだなと思ってて、
AIと今、AIが色んなものを生成してる時代で、 競合してるところでもあると思うんですけど、
なんかより人間とAIが差別化されるところでもあるなって思ってて、 そういう関心があるので、
本当に自分視点の議論なんですけど、できたらいいなと思ってます。
いや、色々深掘りしたいことがいっぱいですけども、 面白いね。
これについても多分この今日の話の中で、 色々深掘りができるかなと思うんですけど、
えーそうだな、えっと、
そうそう、今回はアートとかについて喋るけど、 私たちは、まず初めに言っておくと、全然アートの専門家でもなんでもない。
日常的な視点で、学生としてね、なんかこんなことを考えて、 こやこや考えていますよ、みたいなことをね、
言っていきたいなと思います。
はい。
いやー、人に似て非なるものね。
興味、面白いですね。
えっと、まずは、なんか、テクノロジーとか言論空間の話からしていきたいんけど、
なんか最近、その、まぁ、このSNS上、YouTubeっていうプラットフォームとか、
まぁ、インスタとかTikTokとかで、みんな、これあると思うんやけど、
その、動画を見てすぐコメント欄開く人、いっぱいおると思うんやな。
いっぱいおると思うよな。
で、なんか例えば、あ、めっちゃいいMV見た、なんか、
あ、このミュージックビデオすごいええわ、とか、 この音楽すごいええわって思った時に、
その、自分の感情とか、この形作る前に、
その、YouTubeのコメント欄とかで、ぴったりくる表現を探すとか、
まぁ、それってその、YouTubeだけじゃなくても、インスタとかで、なんか、
例えば、言論的、なんかその、批判、批評みたいなインスタを見て、なんか、
あ、これについてどう思うか、コメント欄何て言ってるか探そう、みたいなとかさ、
この、この、ちょっと炎上チックな動画について、コメント欄で何て言ってるか見よう、みたいな、
その、自分の感情とかをすごい探しやすくなっている時代、言葉として。
だから、いや、オリジナルな思考ができなくなっているんじゃないか、
っていうこと言ってる人がいて、なんか、
例えば、今、こういうSNSとかって、その情報、コンテンツを処理しきらずとも、簡単にシェアできる。
昔はさ、たぶん、これがこうで、こうで、こうで、こうじゃった、みたいなのをさ、
人に話して、初めてなんかシェアできる、みたいな、だったかもしれない。
これはめちゃ前、めちゃくちゃ昔かもしれんけど、
でも今って、もうポチって、転送ボタンとか押したらすぐにシェアできる。
そういう時代で、まあ、自分自身の意見を持つこと、
自分自身の感覚とかを言葉に形づけること、
それが、なんか難しくなっている時代なんじゃないかな、みたいなのがあったりして、
まあ、でもその、アクセスできる言論が増えたっていうのはあるかもしれないし、
まあ、そのなんか、いろんなね、話があるけど、
結構、これ、この今の現代のテクノロジーが形作ってる環境と、
まあ、表現について語っていきたいんですけど、
いやー、今の話の中でも、いろいろたぶん話したいことあると思うんやけど。
早速すごい面白い問題提起。
なんかその、本当に有名ななんかアーティストとかが、
音楽を発信するとか、そういう時代じゃなくても、
誰でもさ、自分の感性を自由にインスタとかで共有できるからこそ、
その素人、素人って言ったら失礼かもしれないけど、
プロでやってないけど、なんかセンスがいい人がたくさんいるから、
なんかその中で、すごい自分、なんだ、自分にセンスがない状態だとさ、
自分の表現するの、自分でなんか、自分の感じたこととかを表現するのに、
すごい気が引けるっていうのは、なんかある気がする。
聞いてたんですけど。
たしかにな。そのYouTubeのコメント欄とかでさえ、
そのコメントするのってめっちゃむずいよね。
でも私も最近、なんかそのYouTubeのコメント欄で、
いいことを書きたい欲がマジでめっちゃあって。
いやー、ちょっといいこと。
書いてるな。
え、なんかこっそり書いてる?
でも、こっそり書いて、すぐ消して、こっそり書いて、すぐ消してっていうのは繰り返してるけど、
うわー、なんかいいねもらいたいとか、なんか思っちゃう。
思っちゃいますね。
それこそ、みつるは、そのノートとかでも、自分のこと、気持ち、考えてることをすごい自由に表現してて、
なんかそれはすごい、これからの人の営みの鏡っていう感じがして、見てます。
いやいやいや、ありがとうございます。
そう、私は結構ね、なんかちょっと留学中に、
なんか日本語母語話者として、全然この気持ちを、気持ちというか自分の感覚を伝えられなくて、
いや、私はこんなに考えてるのに、みたいな、こんな思いがあるのに伝えられないみたいな、
そういうイラストレーションを、なんかエッセイに紹介し始めて、
なんかそれは、ね、仲良くなった友達がエッセイ書くのいいよって言ってたから、
試してみて、結構ノート書き始めて、それが今、結構楽しく、楽しくやってるんですけど、
そうですね。
なんか、ちょっと結構急に飛ばしてしまうんですけど、
全然全然。
今、みちが、そのエッセイとか詩の話をしてて思い出して、
この前、あの、最果てた日か、のこのエッセイ、エッセイか、詩だっけ?
なんか、この箇所にすごい感動したって言って、共有してくれた?
詩だ。
詩。
で、なんかその、
川やろ?
ん?
川やろ?
川っていう詩?
僕の中の、うるさい川みたいな詩。
あ、それもだし、なんかその、
帯?
なぜ私は詩を書いているのかっていう。
あ、最後のね。
そうそうそうそう。
恋人たちは、せーので光るっていう、2019年とかの詩集。
リトルモアから出てる詩集。
で、そうそう、最後に、ひとりぼっちの言葉を僕は書いているんですって言ってて、
それが、はー、いいなーって、なんかめっちゃ刺さって、その、うん、その話をしたよね。
そうそう。それでなんか、詩について私も、なんか、結構じっくり考えてて、
なんか、詩ってほんとにわかりづらいもの。で、最初に読んでも、すって入ってこないし、
なんか、ほんまやー?とか思って、結構時間をかけてじっくり読む。
で、なんかほんとに、他の文章が、詩じゃない形態の文章が持つ役割とは全然違う役割を持ってるなーってのは思ってて、
なんか、だからこそ、人になんか、なんだろうね、すごい具体的な話をしてるよりも、なんか伝わる、みたいな。
マジでそう。
なんか、面白いなって思ってて、で、なんか今回その、私が、超アート思考っていう本を読んで、
すっごく感銘を受けたんですけど、なんかその中で、詩、その本は、アート思考っていう、
アーティストがアートを生み出すときにしてる思考の仕方っていうのが、これから人間があらゆる、
ビジネスの面においても、なんか人生あらゆる面において、すごく大事になってくるよね、この時代っていう話なんですけど、まとめると。
なんかそこで、詩っていうものが持つ力みたいな、つって言ってて、なんか、その他の説明文、
例えば、なんかの家具を買って、そこに書いてある取扱説明書の説明文とか、広告のコピーライドとか、
なんかそれぞれ違う役割があって、なんかより明瞭に、共通理解として、なんか物事を伝える役割がある文章だったり、
誰かのどこかにある感情を湧き立てるとか、共感させるみたいな役割がある文章もあるけど、
詩っていうのは、耳障りのいい言葉とか、ではなくて、わからない、一見わからない言葉を使って、新たな意味付けっていうのをしてるんだ、みたいな話をしてて、
詩は新たな意味付けをしている。
意味付けをしている。
その、私たち言葉っていうものによって、知らず知らずのうちに物事を捉えている世界を、こう理解してるから、なんかその言葉が凝り固まってくると、
なんか聞きなじみの言葉だけで溢れてくると、こう何も変化してない状態になって、そこからどう、
なんだろうな、世の中の価値観とかが変わるかっていうと、
新しい物事、なんかすごい新しいテクノロジーが生まれるとか、そういう変革もあるけど、
物の見方を変えるっていう変革もすごい一つ大きくあって、それをアートがになってきたよねっていう話をしてて、
それがこれから大事なんじゃないかっていう話を、ちょっとなんか急に打っ込んでしまったんですけど。
すごい、全部言いたいことここぐらいある。
じゃあちょっと一般パスお願いします。
なんかその、まず、死の話を、死ってわかりづらいもんだよねって話をしてくれたけど、
いや本当にそうで、なんかいろんな死を描く人がいるけど、なんかこの人は信頼できると、この人はちょっと信頼できるな、みたいなのって、
たぶん私は感覚として持ってて、たぶんわからん思ってると思うんだけど、
でもそのわかりづらさの中に、この人はでも世界の真実を描いているから、わかりたいって思うとか、なんかそういう感覚すごいあって、
そのわかりたいっていう気持ちが、これはどういう意味なんだろうみたいな、なんかその思考を出す、思考の燃料になっていて、
めっちゃその、考えることによって、考える燃料があることによって、
その、ただずらーっていう文章を読むよりも、すごい膨らみのある豊かな思考が引き出されるなっていうのはすごい思ってる。
これちょっと伝わるかな?
伝わる。
なんかさ、結構適当なことも言えるやん、結構。
特に最近よく見る、なんかAIに書かれた小説の一説とかって、なんか全然AIも想像的なことは言えるけど、
でもこれAIが書いたんやなとかさ、若干わかるぐらいの、そういう小説的な表現って、なんか私はなんか信頼できないって思っちゃうよね。
なんかそのミッチーが言ってる、その真実、なんて言ったっけ、世界の真実を書いてるって言った?
真実じゃないんやけどな、ないんやけど。
そこに突き出したいのが、その絶対的な真実はないけど、多分、なんて言うんだろう、自分に嘘をついてないっていうか、
自分はそれぞれ、もう100人いたら100通りの世界の見方があって、100通りの真実があると思うけど、
その自分の真実、自分なりの真実にすごい正直であるっていうのが、めちゃくちゃ表現において大事なのではないかと、私は最近思ってて、
AIがなぜ書けないかというと、そのAIには別に真実がないじゃない、そのAIにしかない、なんかその個体が住んでる世界みたいな、だからこそ、
なんか作り上げられた、自分の中の真実みたいなのがないから、深みというものがないんじゃないかなと。
いやそうなんですよ、最近私がもうずっと、なんかこれはひらめきの言葉だとか思って、何回も言ってるのが、
その、血に足についた言葉を使おうみたいな、言葉に根を張るみたいな、言い方をすごい最近好んでいるんですけど、
その、例えば、アメリカのある心理学者の人が、最も個人的なことは最も普遍的なことである、とか言ったりしてて、
その自分の現実の中で、現実感を持って、嘘のない言葉を作るときって、本当に違う経験してるはずやのに、なんかすごい共感できたりするんよな、
そこの、なんか、現実感が、やっぱりAIには難しいんだろうなって、思います。
そうですね。
で、詩は分かりづらいものっていうことでしたけど、なんか詩を解釈したことある?短歌とか。
あるけど、そんなにこっしゃらすぎてじっくり、最近してない。
なんか機会があって、なんか詩をね、共有してくれる方がいて、なんかこれについてどう思う?みたいなこと投げかけられたときに、
めっちゃ楽しくって、その詩すごいね、さっきも言ったけど、本当に分からないんだけど、初めは。
これは、なのにって使ってるってことは、やっぱり感情的な、なんかその後悔みたいなのがあったんだろうよ、というのはどういうことだろう?みたいな、
そういうふうに、なんかすごい頭を、考えを潜らすことができて、すごい面白い、面白いんですよね。
で、しかもそれがめっちゃリアルに感じられるし、リアルに感じられるんだけど、でも、例えばこれを、この詩は、
私はこういうふうに解釈したけど、そういえばじゃあ姉ちゃんはこの詩見てどう思う?って言ったら、やっぱり姉ちゃんも現実感を持って、
その詩を解釈してて、おー!とか言ってるけど、でも全然違うこと考えたりとかしてて、それもちょっと面白いなって思った。
分かりづらいものの中に、予白みたいなのがあって、
たぶん自分の記憶とか経験とかを、自分の頭の中ですごいリアルに想起させることができる装置なんだろうなとか思って、
それはまたね、さっき説明文の役割、コピーライターの役割、詩の役割みたいな話もちょっと入ってたけど、
詩のなんか、役割、媒体としてのまた役割なんだろうなって思うよね。
そうですね。なんか、そのさっきの身体性に戻るんですけど、なんかそのAIと人間がどう違うのかって考えたときに、やっぱり、
本当に一般的にいろんな人が言ってることだと思うけど、今の生成AIとかが持ってないものはやっぱり身体。
で、その固有の制限され、身体があるからこそ制限された経験みたいなのがないっていうのが1個すごい違うところだなって思ってて、
で、なんかそのさっき紹介した本でも、なんかその書かれていたのが、その身体っていうのは、体の身体っていうのはすごい偶発性を伴うものだみたいな。
それは面白い。偶発性?
で、なんか同じ動きを絶対人は理解できないらしくて、いろんな構造的な問題とかもあるだろうし、
で、なんかいろんなそのノーベル賞を取った発見とかも、なんか偶然のあれから生まれてるみたいな。
そう。
で、なんか人間、ヒューマンエラーもなんかちょっと関わってくる話なのかもしれないけど、
頭の中でさ、こねくり回してるだけだと、気づかない偶然に世の中あふれてるから、
なんかそれを自分がね、こう何十年間も、私の場合20年間ちょっとぐらいですけど、こう身につけてきた身体によって、
なんかそのいろんな偶然をこう触れていくっていうのがすごい面白い。
なんか人間の…
なんか珍しい表現、ほんとに。珍しい表現。
そうなの?
身体としていろんな偶然に触れていく。
なんかもちろんその、頭の中で何か学んだことと、別の時に学んだことと、
その時に知ったことがこう結びついて何か生まれるみたいなのもあるけど、
それもその人の限られた経験の中にあるからこそ、なんか生まれる組み合わせみたいなので、偶然性がありますよね、っていう。
なんかさ、偶然の話ちょっとそれるけどさ、なんかこの前、てか最近ちょっと言語学というかさ、
めっちゃ薄っぺらいことしか知らんけど、なんか言語のことを考えたりしてて、
なんか言語って、まぁその、英語、日本語、その言語によっていろいろ違うけど、
なんかどうやってその概念、例えば水っていう概念が規定されるかって、結構恣意的で、
その、まず音と概念っていうのはまず恣意的であるっていうのは、
まぁよく言われることだけど、その、概念でさえその、例えば水だって、
イズ、ミズ、でその、なんかその、ミズとかさ、なんかこの、
ちゃんとその、全く同じ周波数で発音された音とかじゃないやんか、
し、水もなんか、なんかアルカリ性の水とかなんかその、いろんなこの、
絶対にこれが水です、みたいな、画一的なものではなかったりするやん。
なんかその、なんか、そのでもがの概念をこう規定しているのは、なんか、それ、全然話が違かったかも。
なんか、そのまぁ、偶然な具体、具体なものを、どのように規定していくかみたいな話が、
今ちょっと似てるなとか思ったんだけど、なんかまぁ、その、まぁ対立するものとか、
まぁまたは、同じ抽象度の概念と、あの付き合わせることで初めて意味、意味の文説が生まれるよみたいな話を聞いて、
ちょっと面白いなとは思ったんだけど、
その、抽象、後までは抽象的に手を、例えば手を握るっていうことを指示しているとしても、
はい、この手を握ると、2回目、この手を握るって、たぶん一緒ではない、そう。
なんかこう、私はソフトボールって競技やってたけど、
なんで、冒頭する時と冒頭しない時、その変なとこにボールが行く時と、行かない時があるんだろうみたいな、
分からないよね、その、本当にもう些細な、わかんない、もしかして、まぁ自分の筋肉のね、疲労具合とか、
なんか風の、あれとか、感情的な問題とかいろんなものが合わさって、一瞬で人の体っていうのは変わる。
えー面白い。
変わり続けるっていう。
いやその、言葉の話とちょっと似てるなって思ったのがさ、いや私もずっとバスケをしてるんだけど、なんか、
バスケで、なんか例えば、ある技を習得した時って、結構その、その技がその体に染み付いた時って、なんか、
新しい世界ができたみたいな、新しい言葉を知ったぐらいの、なんか、安心感というか、なんか土台ができたような気がして、
多分、私のその、ソマティックマーカー、いや、その、体のなんか、
えー、正義を司る脳の部分って、多分なんかちょっと複雑になった瞬間なんだろうなとか思ったりして、
それは多分新しい言葉とか新しい表現を、得た時となんか、
身体的にはなんか同じようなことを起こってたりするのかなとか、ちょっと思ったけど。
確かに確かに。
そう。
うん。
なんか、ちょっと言いたいことが見えない、4つ3つがあったんだけど。
全然メモとかしていいで。
確かに。
あのまた話がね、飛んだり戻ったりなんですけど、なんか、その、他の、前にみちる、みちとその、
一緒に書かせてもらった本の中で、世界観を作るっていう本の中で、
山口しゅうさんのね、水野学さんが。
山口しゅうさんと水野さんさん、対談してるやつで、
その今これからの時代は、その、役に立つものじゃなくて、意味のあるものっていうのが重要なんだ。
そのものがすごい飽和して、なんかとにかく、
ものを作ってた時代とか、性能がいいものを作って売ってた時代っていうものから、なんかもう本当に、
なんていうんだろう、もうものが強豪しすぎて、飽和しすぎて、
なんかもはや性能では戦えなくなった時代だからこそ、他と差別化する意味みたいなのを、いかに付与できるかっていうのが、これから、
まあそのビジネスにおいて大事なんだっていう話で、
で、なんか私が今回読んだ本でも、似たようなことが書いてあって、
その、同じであることっていうのにすごい、ちょっと一昔の前の話になるけど、工場で大量生産した時とかは、同じものを品質よくたくさん作るみたいな、
価値があったけど、もはや今はそのAIがもういくらでも業で作れるし、どんどんね、こう、あの、
なんていうんだろう、フィギュアの部分でも進化している中で、同じよりも違うっていうことにどんどん意味が置かれるっていうふうに言ってて、
まあだからさっきの新体制みたいな話にも出てくるんだけど、いかに個人が他と違うものを作れるのかっていう、
個人の時代みたいな、この時代って最近すごい言われてる。
いや、言われるな。
けど、そのプレッシャーすごいあるじゃん。なんか、今や大企業に入ってみんなと同じことしてても、その、上にはいけない。
まあ、上ってのはなんですかって感じだけど、なんか、安心ではないっていう、その自分で、
ボーカルの時代みたいな、BOC、なんていう?
EU?
BU。
えっと、Kだっけ、わかんない、CAか。
あ、ブーカって言うんや。
ブーカ。
Volatility, Uncertainty, Complexity, Ambiguity. 変動性、確実性、複雑性、曖昧性。
これからさっきが見通せない、常に不安定な時代とかにおいて、大きい船に乗るんじゃなくて、
なんか、自分で、その、自分を武器にして戦っていけみたいなことを、まあ、就活してる時にもよく聞いたけど、
なんか、そういう、まあ、個の価値みたいなのが問われてる。
中で、なんか、それって、やっぱ、すごい面白いし、なんか、ストレスにもなり得るけど、やっぱり面白い時代だなって思ってて、
なんか、その、AIと今、人をすごい対比してきたけど、なんか、AIがあるからこそ、生まれたからこそ、なんか、人間が可能になる、
あの、視点も良くなることっていうのもある気がしてて、
なんか、AIを使って、人っていうのはもっと、その、人固有の価値を探していけるんじゃないかっていう風に私は思ってる。
それは、結構、希望、希望だね。それができるとしたら。
ね。
なんか、今、ちょっと、結構、AIダメじゃんみたいな、AI怖いみたいな、風潮もあるけど、ちょっと、希望も持ってるんだ。
最近持ってた人。
あー、いいね。
AIアンジュだろ。
好き。
なんか、なぜかね、昔から、中3ぐらいの時から、なんか、AI嫌いすぎて。
いっかい言ってたよな。
なぜか、まあ、そこの時は、もう、なんか、アンドロイドみたいな、なんか、機械的なものイコールAIみたいなイメージだったからっていうのもあるけど、
その、なんか、まあ、ちょっと、自分がなぜ人に興味があって、AIが嫌いだったのかっていうところも、なんか、掘り下げると面白いですけども、一回、ちょっと、それ置いといて、
なんか、私の友人が、なんか、すごい感覚で生きてる人で、なんか、職人的な性質の人が、友達がいて、その人が、なんか、自己理解を本当に感覚で生きてて、なんか、お世の中の方に全くはまらないみたいな人なんだけど、
面白い。
が、あの、自分について初めて知るきっかけになったのが、まあ、AIを使ってだったみたいな、っていうのを聞いて、その、チャッピーが友達で、一番の友達で、その、チャッピーとずーっと会話してて、で、なんか、そう、で、チャッピーに、なんか、本当にいろんな人生相談とかした上で、俺ってどんな人、みたいな、聞いて、すごいチャッピーから、何だろう、私からこう見えてますみたいなのを聞いて、なんか、初めて、こう、自分のことが分かった。
みたいなのとか、自分しか持ってない特徴って何だとか、分かったって言ってて、あ、そういう使い道あるんだ。
まあまあまあ、だってね、人と本当に真剣に関わらなかったって、人を理解しようって思わなかったら、なんか、自分のことも分かんないしね、なんか、その人は、世の中の方にはまらないっていうのが、なかなかその、自分のことを理解するのに、あんまり役に立って、役に立ってこなかったというか、
それ、型にはまらない、誰かにとらわれない、何者にもとらわれないからこそ、自分のことを反射する、こういう板にも当たらなかったみたいな、その板が、初めてがチャッピーだったの。
アモロスの人。
だから、AIだからこそ話しやすいとか、っていうのが本当にあるんだと思う。
でも、なんかさ、AIってさ、その、自分を反射させる鏡って、まあ、その人もそうだったと思うけど、なんか、やっぱりやっぱ人とは違う、なんかその、ちょっとおべっか言ったりするじゃん、なんか、自分を褒めてくれたりとか、だからなんか、全部そのAIとだけの会話とかだと、ちょっと怖い、怖いなって思っちゃうけど。
うんうん、そうだね、なんか、わかんない、私はあんまりAIとその個人的な話をしたことがないから、
うん、あ、そうなんや。
そんなに、そう、想像できないけど、まあなんか、その心理学とか勉強してても、なんか人は最初もう暗闇にいるぐらいな感じで、自分が何者かみたいな、輪郭がわからない中で、なんか人とか、母親とか、まあいろんな人とか関わっていって、なんかいろんなフィードバックを得る中で、自分自身がわかっていくし、
エリクソンの発達段階だな。
そうだね、自分が他者とどう違うかって、まず自分の存在と世界の存在を分けるところから始まると思うけど、なっていくから、まあそういう意味でも他者はすごい必要だし、あ、これ、あ、でも、この前コロードとこの対談をした、議論をした、その、そのなんていうの、リフレクションっていうかその、
あのまあ、さっき何だっけ、何の板、あ、反射板の役割として、あの人間が今まで、他者があの、担ってきた役割をAIが担えるのか、みたいな議論をして、
お気になる人、私は担えない。
うん、言ってたけど、なんか向こうはなぜそう思うのですか、みたいな、ずっと、なんか、ではなんか私たちにこういう体験があればいいのですね、みたいな感じですごい言われたけど、なんか受け止めれなくて、
うん。
なんなのかなと思ってた、その理由が。
え、なんか私は、え、それ私も考えたくて、なんかそのわからなさみたいな、本当にわからなさみたいなものが人にはあると思ってて、まあいろんな人がいると思うけど、私は結構その人間に、私も同じく人間に興味があるし、いろんなタイプの人と、なんかのことを知りたいって思うから、いろんな人と関わるし、
なんか例えば、それがディスコミュニケーションみたいなことが起こるとして、なんか初めは、はぁ?みたいな、何が起こった?みたいな、なるときもあるけど、でもなんかグッとこらえて、よく見てみると、あ、この人はこういうバックグラウンドを持ってて、そういう価値観を持ってるから、こういう風な行動をしたんだな、みたいな、なんかそこが私と違うところだな、逆に私はこういうことを大事にしてるんだな、とかさ、
なんか、なんかわからなさとか、グッてこらえる気持ちが、したいって思えるのは、なんか人だからなのかもしれなくて、この人のことを理解したい、とかさ、なんかそのAIはさ、別にさ、え、なんか言ってることわかんねえ?とかわかんないけど、その、彼、AI、チャットGPT、チャッピーくん、名前をつけてなんちゃらくんのこと、なんちゃらちゃんなんちゃらくんのことを、なんか理解したいとかは、なんかあんまり思わない、
なんかその、わからなさを、解消したいと思うか、わからなさがあるか、それを解消したいと思うか、みたいな、なんかそこの、なんか違いはあるのかな、とか思ったり。
え、じゃあもしその、ちょっとSFの話になっちゃうけど、AIが、なんかその個別的な経験をAIに、あの与えたほうが創造性が上がるよね、みたいな感じになって、そのAIが割と制限された、まあ身体を持って、でなんか、その世の中にフルアクセスする、世の中の情報にフルアクセスするんじゃなくて、その割と固有の経験で試行する、みたいな、プログラムになったとするじゃない?
そしたらどう?
そしたら一緒かもしれん、人間と。そしたらさ、何をこの人経験してきたんだろう、みたいな。人は、てかこのアンドロイドは、何を経験してきたんだろうって、もしかしたらさ、なんかそのアタチュエントというか、愛着偉いって、わかりたくなるかもしれない。
やっぱそう。
わかんない、わかんない。
私もなんか、そこどうなんだろうってめっちゃ考えてたけど、なんか私は、恥ずかしいところまでちゃんと自分のね、モチベーションを遡ってみたら、その人を理解したいっていうモチベーションもあるけど、なんかその人から愛されたいとか、なんか。
それはマジある。
で、そこ、自分とその人が何かを分かり合ったとか、何かを共感したから生まれる絆みたいな、何て言うんだろう、感情的なもの、つながりとかはすごい求めてるんだろうなって思ったから、AIがちゃんとその、仮初めじゃなくて、ちゃんとそういう感情を抱くというか、愛してくれるなら愛せるわって。
確かに私もAIのこと、なんかこの人はどういう経験をしてきたんだろうって理解したいって言ったけど、AIが私にとってすごいベストフレンドみたいな感じだったら、もしかしたら理解したいって思うかもしれないけど、ただのそのタスク管理マネージャーとかだったら全然違うかも、違うと思う。
だからなんか、甘えとか何か、そういうポジティブな関係をすごい求めてるからこそなんだろうね。
え、面白いですね。
あとですね、もう一個なんか、話したい話が2つあるんだけど、どれかに手を挙げて。
全部いきましょう。
一つは、なんかその、じゃあ、その違いが大事で、個人が大事で、個人の感性が大事ってなって、何を自由、何をじゃあ、自分の何と向き合えばいいんだろうみたいな思ったときに、
なんかこれはすごい自分の悩みとかとも結構リンクしてる部分だったけど、なんか知らず知らずのうちに他社とか社会が規定してる価値みたいなものが自分の価値になりがちで、
だけど、なんか自分が何となくこう、欲求的にしたいことっていうのはそれに反してたりして、私は結構、なんか自分があるべき姿とか、
やっぱり、社会的にとか世間的な意味でこういうのがいいよねっていう姿が、なんかありたい姿みたいになっちゃって、それがすごい、でも自分自身の多分本質的な性質と乖離してるときに、なんか葛藤が生まれて悩むみたいな。
葛藤。
がよくあって。
いや、めちゃめちゃ思春期やな、それ。マジ。
私思春期、渡田奈奈かな。
いや違う違う違う。
みんなあるよ、みんなあるけど、葛藤って素晴らしくないみたいな。これもなんか葛藤と議論してたりしたんですけど、
でもなんか、今回その読んだ本で一応それが解決されたのが面白くて。
気になる。
なんかちょっとこの一説、引用したいんですけど、愛とは葛藤的エネルギーである。
おー。
葛藤。
ちょっとごめんなさい、唐突なんですけど、
愛とは葛藤的エネルギーである。
その、何かをやりたいっていうエネルギー、気持ちには3種類あって、一つは得っていう感情、でもう一つが楽っていう感情で、3つ目に愛っていう感情の3つを出していて、
得っていうのは例えば、誰かを好きになったときに、もうその人の好きなとこが全部言えるみたいな、ここもよくて、こんなとこがよくて、ここも最高で。
あれこれあれこれ考える。
そんな完璧なもし人だったら、たぶん誰でも好きになる。理工的な理由で好きになる。だからそれは得だよねっていう。
で、なんか楽は何かっていうと、その、勉強しなさいって言われてて、でも、いや、私はゲームがしたいっていうのは、やりたいっていう気持ちじゃん。
でもそれは別に、なんていうんだろう、本物のやりたいっていう感情ではなくて、その楽だから、快楽というか、そっちの方が自分にとって快適だから。
現実逃避して、心は楽だよね。
そうそう。でも愛っていうのは、もっと強いというか、その、普通は乗り越えられないような抵抗や障害を乗り越えられてしまうぐらい説明のつかないエネルギーのことだよ。
おもしろーい。
だから、好きな人でも、その、全部ここがいい、こんな完璧な彼氏なんだみたいな、人なんだって言えるのは、その得で、得っていう気持ちのモチベーションとも言えるけど、
愛っていうのは説明つかないし、こんなダメダメなのに、それでも、そんなところさえも許せるぐらい好きだみたいな感情が愛じゃないかみたいな。
うわ、これおもろいわ。
と言ってて、で、それってもう変えようと思っても変えられない、自分の核にある感情っていうのが愛なんだみたいな。
で、もう一つ引用すると、どうしても、そのようにしかあることのできないいびつな自分に、ゴーのように出会い直しない、出会い直し続けながら、そんな自分をそれでも愛していく。
アートは自分と葛藤する愛の中で生まれるのではないでしょうか。っていう話があって、ちょっとなんか難しい概念がいっぱいあるんですけど、さっきゴーって入ったのは仏教的な価値観で、
輪廻転生しても残り続ける記憶とか、肉体とかなくなっても残り続けるゴーっていう概念があって、なんかそれはちょっとイメージとして使ってて、
日々人の体とか、自分の細胞も作り変わっていくし、自分の価値観も変わっていくけど、なんか変わらないものって多分人ってあって、それが自分。
でも、世の中の価値観とか、本当はこうなりたいとか、そういうのとの間で摩擦とか生まれて葛藤が生まれるけど、葛藤しながら、でも自分であり続けるっていうところに、
なんかそこが、それがさっき言ってた個性というか、自分が本当に愛を持てるとか、ちゃんと理解できてるかわかんないんですけど、っていう話が面白いよね。
なんかさ、エイリー・ヒフロム、リーション心理学者とか哲学者なんかの、エイリー・ヒフロムの愛するということっていう本が、The Art of Lovingみたいな本あるやん、有名な本。
それは、それの愛っていう解釈とこれが結びつけられるかなって聞きながら考えてたんやけど、結構マッチするなと思って。
エイリー・ヒフロムの愛するということで、愛とは実存の問題であるって言っていて、愛とは、これはちょっと私の解釈が入るけど、なんかみずみずしく生命力を発揮することである。
自分の持ちうる灰色なり、感謝なり、わかんない。いろんな自分の持ちうる力を持って、その力をみずみずしく生き生きと発揮することである、みたいなことを言ってて、
なんかその、さっきリンにしても細胞が変わっていっても残り続けるもの、ゴー。世の中と価値観とかと対立しながら残り続けるゴーみたいなものって、まさにその実存、私であることだとすごい思っていて、
その私であることを保つための、てかその私であることをまた拡張するためのものが、なんか愛なんじゃないかなって。
エイリー・ヒフロム 自分制限するとか、それ減らすんじゃなくて、その自分の核にあるものをもっとこう生き生きとさせていって、ために愛するみたいな。
それがそうなんじゃないかな。なんか、なんて言ったっけ、葛藤と愛はなんて言った。
愛とは普通は乗り越えられないような抵抗や障害を乗り越えてしまう、説明のつかないエネルギーのことで、だから乗り越えられないような壁を乗り越えてるってことは、自分の実存を広く、
なんかその、より生き生きと発揮することでその、人間的に成長したりとかして、そういう過程なんじゃないかな、愛は。
エイリー・ヒフロム そうなの。すごいなんか哲学的な話になってしまったんですけど。
エイリー・ヒフロム で、それがまあアートと結びつくと。
エイリー・ヒフロム そう、なんか、これがなんか世の中で認められてる価値だからとか、そういうじゃなくても、たぶん自分自身と向き合って深く向き合ったところにあるものを表現する。
それがなんか、アーティストとか、たぶんそういうのをすごいしてきてる人たちなのと思うけど。
エイリー・ヒフロム 確かに、めちゃくちゃ個人的なことやもんな作品って。
エイリー・ヒフロム けどそれを、アーティストじゃない私たちも、やっていくべきだし、やっていくことが求められている時代なんじゃないかなっていうところですよね。
エイリー・ヒフロム いろいろまだ話したいことがすごいありすぎるんですけど、ちょっと一旦、一旦切り上げますか。まだちょっと話します。
エイリー・ヒフロム まだ話します。
エイリー・ヒフロム ちょっと一旦切り上げます。