この番組は、テクノロジーと幸せに生きる、ワクワクするデジタル空間を作るというビジョンの下、
新しい視点を取り込み、日常的な課題に対して議論の出発点を作っていく学生メディアLFDAからお届けします。
はい、今回もAI初心者と語ろうということで、
AIをどうやって使っていくかとか、AIという道具を使う上でどこまで生活を合わせていくべきかみたいな話について語っていこうと思います。
今日も初登場の方に来てもらいました。 なので、軽く自己紹介をお願いします。
はい、えっと、初めまして。
AI初心者の武郎です。
基本的に最近クロードとかなんかすごい盛り上がってるのが感じるんだけど、
どういうふうに使っていけばいいのかとか全然わかってないので、
そういうのを知っていきたいなっていう思いも込めて、
LFDAに参加しました。
はい、これ今録音を回す前にも少し話してたんだけれど、
今日のテーマとして、すごい大きなテーマとしてはAIがすごい進化してる中で、
もちろんこのツール使えば便利です、こういうAI使えば便利ですっていうのはいっぱいあります。
でもそれに自分の生活とか作業とかする環境とかを合わせていくのって、
どこまでやればいいの?
それやりすぎるのって自分の主体性奪われてるんじゃないの?っていう話。
だからそもそもAIにどれだけ生活とか環境を合わせるべきかっていう話とかに合わせるとして、
じゃあ具体的にどういうことができるの?どういう方法があるの?っていう話が大きなテーマで、
それいろいろ話していけたらなと思います。
軽く僕がどういうモチベーションでこういう疑問を持ったか話しておきますか。
今、イヴァン・イリーチっていう思想家の本を読んでいて、
コミュニケーションのための道具っていう本なんですけど、
その本はすごい道具との向き合い方について話してて、
それがすごいAIにも通じる話がいっぱいあるんですけど、
今、僕がその思想を自分なりに解釈すると、
AI、今めちゃくちゃ盛り上がってて、新しい、それこそフェイブルファイブがまた使えるようになったぞみたいな話もあって、
すごい盛り上がってるし、ついていかないと時代遅れだぞみたいな、
そういう雰囲気もうすら感じる中で、
だんだんAIに主体性みたいな、自分の主権みたいなものを奪われてるような気がしてくるんですね。
それこそ僕は研究者になって、数学の研究で生きていきたいと思ってるんですけど、
そういう知的能力とかも知的作業もどんどんAIに乗っ取られていってしまうわけで、
なんとなく不審感というか、あるいはなんかそうだな、
だから、ただそういう知的作業までAIに取られちゃうと、
本当にホモサピエンスとしての人間の意義みたいなものもなくなっちゃうんじゃないかみたいな、
かなりそこら辺が怖い、恐怖を抱いていて、
じゃあどういう風に使っていけばいいのかなっていう、
AIに使われるんじゃなくて、
AIを使いこなして、あくまでもお前は道具なんだぞっていう強気な姿勢を見せていきたいっていう思想ですね。
だからもうでかい問題としては本当に、
種の存続とか、哲学的な言い方をすると実存みたいな話になってくるけども、
実際にそこに対してすぐ俺たちにアプローチできることってなかなかないしから、
まあそういう思いがありますを踏まえた上で、個人としてどうしていくかっていうところもOKです。
じゃあまず、今道具として、AIなんかいろいろツールあるけど、何をどういう風に使ってる?主に。
僕はジェミニですかね。
ジェミニとクロードくらいかな。
多分AIツールとしてはそれを使っていて、
用途も基本的にその勉強の質問だったりとか、あるいはなんかもう少し使い方として、
自分の疑問とか、考えとかの壁打ち相手としてやってることが多いですかね。
そこの今やってるのは、そんなに自分の思考とかをすごいアウトソースしてるっていう感覚はそんなにはない。
だけど本当に問題これ解いてとかって投げちゃう。
あるから、これは良くない使い方だなって、自分で頭使ってないなって思うこともありますね。
難しいよな。
なんかその、試験なんか自分の主体が奪われるみたいなのは、
その思考アウトソースしますっていうのがまずいよねっていう話なのか、
足りない自分が思考するとしても、なんだろう、周りの環境がAI使った道具とかになるから、
それによってなんか自分の思考の仕方が変わるよねみたいな話と、
どっちなのか、あるいは両方なのか。
変わっていくのは別に大丈夫かなっていうか、
それは変化に応じて落ちるのが流れでしょというふうには思うんですけど、
完全に何も考えないで丸っきり使ってしまうみたいなのはすごい良くないなっていう感じですね。
なんでしたっけ、最初言ってたの。
だから、完全丸投げですっていう意味でなのか、
完全丸投げでっていう意味で、
そのイリッチはあんまり俺は詳しくは知らないんだけど、
直接時代的にAIについて言及してるわけじゃないけど、
なんだろう、もうちょい言葉を補って説明すると、
どういうことを言ってる人。
この人の時代とかだったら、自動車とかがたぶんちょうど出てきた。
出てきて、どんどん高速道路が引かれていって、
だけど実は高速道路を引くときにも立ち退きっていうか、
ある程度全体のために、
人の個人の自由みたいなのを抑えてきたことがあるわけですよね。
便利を取るがあまり便利とか、
あるいはどんどん早く交通できるとか、
そういうことを優先するがあまり、
個人が慣れがちになっちゃってるよねみたいなことを主張してますかね、具体例として。
そうか、だから例えば車とかでも、
純粋に早く移動することに最適化したら、
それは200キロとか300キロとか出せるスペックはあるけど、
安全面考えて速度の規制とかもあるよねみたいな。
あとなんか、たぶん自分が主体であるっていうことをすごい大事にしてるんで、
例えば壊れちゃったときに自分の力で直せるのかとか、
自転車とかだったらパンクぐらいだったら直したりするし、
あくまでも自分の身体の延長だっていう感覚がなんとなくあると思うんですよ。
自分でまっこいてるし。
一方で車とかだったら壊れたら本当に専門家にお願いしないといけない。
どこがダメなのかもわかんないから、
専門家に手を負わないといけないよねみたいなことになると思うんですけど、
そういうのは良くないんじゃないの?っていう風に言ってる人ですね。
なるほどね。
かなりこの人は実存みたいな、
それこそさっき言ってくれた実存性とか身体性とかをすごい大事にしてるから、
現代の生活と合わせるとちょっとそれは厳しいんじゃないの?って思うこともあるので、
完全にこの人の考えを受け入れる必要はないと思うし、
いいところだけをピックアップして自分のものにすればいいと思うんですけど。
そうね、でも結構今出てきた壊れた時に自分で直せるみたいな話は、
例えばパソコンとか使いますとかアプリ使いますで、
データのコントロールできる権利自分が持ってるのかとか、
そのサービスにロックインされる、
例えばサービスに閉じ込められない形でデータ持っておくことが大事みたいな話はあるから、
なんかそこと関わるなっていうのは今聞いてて思った。
で、そうだな、あと技術が主体性奪うみたいな話だと、
キッドラっていう哲学者がいて、哲学者、メディア論とかの人。
キッドラ?
フリードリフ・キッドラっていうドイツの人。
割と多分2000何年とかぐらいまで生きてた。
あ、そうなんですね。
戦後の人かな。
ちなみにイーディーチは2002年ぐらいに死んでます。
時代的には結構近い人で、
で、この人が言ってるのは、
そもそも元々文学研究してた人なんだけれども、
なんかあんまり文学とかそれを文学規定してる技術、
本当に遡れば文字とかって技術の一つだし、
文学っていう意味で例えばタイプライターが出てきますとか、
コンピューターになりますとか、
技術の発展とかを踏まえて考えないといけないよねって言って、
どんどん技術の方を研究していくっていう人なんだけど、
メディアの発展が人間からどんどんデータ処理の主体性が奪われていくプロセスですっていうことを言っていて。
データ処理。
だから漢字文で物事を整理したりとか。
例えば文字ができます、印刷ができますとか、本ができますとかも、
人間が自分で喋るとかから切り離されてデータ、情報が保存されたり、
人に伝えたりが可能になってるわけじゃん。
だからそこだけ見てある意味直接伝えるよりは、
自分のコントロールが奪われてるって言えるっちゃえる。
それの裏返しにいろんな人に伝えれるようになったっていうのはあるんだけれど、
コンピューターとかになったら計算とかも人間から切り離されるようになるよねってなって、
どんどんそういう位置づけの先にあるものとしてAIも捉えれるよねっていう話。
だからここから何が言えるかっていうと、
技術が変わっていく上で、
キットラー的な捉え方するんだったらある程度主体性が奪われていくのは、
ずっともう古くからの連続した流れ。
道具を使う、道具に外部委託するっていうことですから、
それは何かを任せるんだから何かしらの能力は失われていくはずなんだけど、
どこまでを譲るかみたいな。
そういうのが大事そうですよね。
だから逆向き、ある意味さっきちょっと言ってたのもあるけど、
主体性奪われてるとも言えるけど、逆に人間の能力拡張しているっていう見方。
例えばメディア論とかで言うと、マクローハンっていう有名な人がいるんだけど、
当然そういう見方もあって、
だから環境が変わっていくのは、
AIが出てくるのとかは、
俺の考えとしては、AIが出てきてどんどん進化していくっていうのは、
ある種自然の節理みたいに捉えている。
例えば、生物って見たときに氷河期とかいろんな時代があって、
そこに適応したやつだけは生き延びてるわけで、
それと同じようにAIがどんどん進化するっていうのは、
自然の節理的にどんどん進んでいくものだって思った上で、
純粋に自分の生存戦略というか、
例えばAI使うこと前提で今後仕事が回ってきますとかもあるから、
その上で自分はAIをどんどん進化する前提で使おうって思ってます。
ただ一方で使われすぎちゃいけないよねとか、
特定のサービスとか、
特定の環境に依存するのも危ないよねみたいな見方も両方持つようにしているって感じ。
そうですよね。だから使い方次第だと思って、
今までの車とか紙とかは、
まだそこまで人間存在を脅かすほどの脅威じゃなかったと思うんですけど、
そんな使い方によって人間が堕落する、
車は確かにそういう一部だと思うんですから、
歩かなくなって運動しなくなっちゃってみたいなのはあるから、
適当に運動しようねみたいな話、
健康大事だよねみたいな話が復活してくるんですけど、
要するに使い方というか、
使いすぎないみたいなことが大事なのかなっていう。
車ばっか乗ってないでたまには歩こうねみたいな。
っていうのと同じで、あるいはSNSばっか見てないでたまにはぼーっとしようねみたいな感じと一緒で、
AIにももちろん手を負っていくことは大事だし、
手をやることでやれることがどんどん増えていくから、
そこはポジティブに受け止めつつ、
でもやっぱたまには使わないだとか、
あるいは自分の頭を使うようなAIの使い方をするっていう感じですね。
そうね、だからもうAI出てくるのはしょうがないっていうかもう流れだから、
それを拒絶するっていうのは特に今、
自分たちみたいな若い人間はなかなか難しいから、
使いながら距離感測るっていうのがいいと思う。
あとはそのAIによって時間はその減る、
時間自分雑用とかに使う時間減るわけで、
それを何に使うかそのさっきのSNSばっか見てるにぼーっとするじゃないけど、
AIが進化すれば受け入れた上で、
AIによって恩恵も受けるからその分でできた時間を何に使うかが大事だなっていう。
そこで思うのはやっぱりAI使って生まれた時間こそ、
非効率的なこととかに使おうみたいな、
なんかそれでちょうど思い出したの、
今メモ探し当てたんだけど、
寺山修司っていう詩人の本に、
どんどん産業とか発展して暇だな時間できるけど、
その暇な時間は絶対に誰にも任せられないことに費やすべきなのだって言ってた。
めっちゃこれAIの時代に関わる話だよなと思ってて。
だから個人的な楽しみとか、
楽しく映画見る時間とか趣味の時間、
別にAIが代わりにやってほしいって思わない?
当たり前だけど。
例えば数学やるにしても、
数学っていうぐらいの解像度で見るんじゃなくて、
数学の中にも多分いろんな要素があるわけで、
その中でここはある種雑用とか、
ある程度自分が考える枠組み作ったら、
それを回すだけだからAIにやってもらえばいいところと、
ここはもう自分がそもそもの01になにか出さないといけない。
ここは純粋に自分の楽しみとしてやりたいって部分は自分がやるように残すみたいな。
積み分けできたらいいよねって思う?
せっかく時間できたのに、
さらに疲れるような、
自分のした一生を失うようなことをしちゃいがちですよね。
効率化してできた時間にさらに効率化する。
究極にやった人なんかもうゼロになるみたいな話になっちゃうから。
ある意味そういう冒頭できるような環境にいるのも大事だと思うんですよ。
日々せわしなく動いているような街じゃなくて、
ゆっくり時間が流れているような街に住んでおくと、
ちょっとぶらっと外出ようかって時に、
例えば鴨川でのんびりベンチの上で寝ながら冒頭するとか、
本読んだりできるとか、
あるいは近くに映画館にあるところに住むとか、
そういう意味では京都いいところですよね。
そうね。
やっぱりな、どうしても世の中、
そのAIとかじゃなくて、
今度は死体制の相手が世の中とかになってくるけど、
どうしてももっと効率化、もっと成長みたいな方に、
その無意識に生きていると流されすぎるから、
それはそれで必要だけど、
そこにとらわれすぎないのは必要だし、
そういう意味で言うと京都はちょうどいい環境になる。
産業主義から僕たちは脱却しないといけないので、
イリーチが言っていることでもあるんですけど、
やっぱりだけど、どんどんどんどん自己成長していくシステムなんで、
基本主義みたいな、
そういうすごいお金の力が強かったり、
マーケットの力が強かったりするじゃないですか。
そういうのを社会から変えていくみたいな、
中からそれを壊そうっていうのはかなり厳しい話なので、
自分たちで境界線を作っておくとか、
今みたいにボーッとする時間、
意識的に作ろうねみたいな、
そういう個人単位でまずはスタートしていくっていうのが、
いい向き合い方なのかなって思いますね。
なるほどね、確かに。
なんかその上で、
でもなんかオブシリアンとかある人に教えてもらって、
これは結構自分の能力を拡張するように使えるよみたいなことを言われて、
そうなんだって思いつつも、
そもそもどういうアプリかもよくわかってないって感じです。
なるほどね。
まず言うと、今出てきたその、
自分で居位置の話、
自分でその道具とかコントロールできるようにしないといけないよねとか、
人間とAIの領域を分けるみたいな話に、
すごい関わってくるなと思ってて、
どうだろう、オブシリアンってどういうイメージ?
なんかいい感じにメモができるみたいな、
なんかAIにとっても読みやすい形で、
なんかメモとかできるよねっていう、
メモアプリなのかなぐらいの認識です。
すごい簡単に言うと、メモアプリ。
で、何がいいかっていうと、
データが自分の手元にある。
例えば、データが手元にあるし、
他のアプリとか他のサービスでも読み込めるような
汎用的な形で手元にある。
手元にあるっていうのはどういうことですか?
アプリ内にあるっていうよりかは、
自分のパソコンの中にあるとか。
実体はパソコンの中のファイル。
これ、WindowsでいうExplorer、
MacでいうFinderの画面を今見せてるんだけど、
普通にダウンロードとかがあるのと同じように、
これが…
面白い。
今このホットキャストの話こっちで開いてるけど、
普通にこっちでも見れるし、
例えばこれを他のとこにもし移動させたりしたら、
他のアプリからも開けるよねみたいな。
オブシリアンのフォルダーが作られるんですね。
パソコンのフォルダーをオブシリアンっていう
アプリから覗いてるだけ。
同じフォルダーに対して、
オブシリアンみたいな違うアプリから
同じフォルダーを覗くみたいなことも
仕組みとしてはできる。
面白い。
これは他のノーションとカーツノーションの
サーバー上にあるわけ。
これは単純に将来長い目で見たときに
サービスが終了しますとか、
そういうときのリスク減らすって意味でも
自分のデータを自分で所有してるって意味でもあるし、
あと、単純に自分のパソコンにファイルがあるから
そのファイルそのままAIに渡したら
AIが読み書きできるから
AIとの連携もしやすいよねっていう。
いいですね。
この手元にある感じがすごい安心する。
何か使ってますか?実際。
めちゃめちゃ使っていて、
本当にとにかくメモ。
じゃあ普通のメモをするときも
Obsidianでメモしてるっていう感じなんですか?
うん。
なんかその1日ごとに
今日の日付のページが作られるみたいな。
気になるだけれども。
だから紙の手帳とかで
カレンダーのページと日ごとに
フリーのページあるとか
日記帳とかみたいなのをイメージして
本当にその1日のページがあるから
まずはそこに本当に思いついたこととか
これ本当に今日のメモ見せるけど
さっき家出る前に。
予定も兼ねてるし
その予定に対してチェックとか
こうしたって書いていったら
後から見たら
それはその記録にもなる。
だから例えばこれ今こうやっちゃったら
今オートキャスト撮ってるよねってなる。
人工虫です。
ほんとだよ。
面白い。
これはどんどん蓄積していくっていうことですよね。
そうそう。
AIとどう関わるかみたいな話がさっき出たけど
そのモデルとか
なんだろう
そういう仕組み
なんかモデルはどんどん進化して
例えばAIをどういう設計にした
どういうツールどうやって組み合わせたら
一番いいアウトプット出せるぜ
みたいなのは一番
そういう先端のとこはどんどん進化していくから
それはそれで追うことは実務レベルとか必要だけど
そこじゃなく一番根本で変わらない部分は
そのAIに何かさせるってなった時の
そのAIに渡す道具とか
AIに与える情報になる部分
自分が昨日何しましたとか
自分が普段こういうこと考えてますみたいな情報って
もう自分で残すとか
なんかデバイスで自分で健康のデータ取ってくるとか
でもいいんだけど
自分で残すしかないじゃん
そうですね。
だからそれをどんどん積み上げていこうよっていうのが
たぶんObsidianでやってる一番いい方法
それが目的で
そのための機能としてデータ自分で持っておけるってなると
例えばこのデータをここで持っておけば
じゃあChatGPT使おうってなったらChatGPTに渡します
クロードコード使うってなったらクロードコードに渡します
みたいなその特定のサービスに依存しない場所で
自分の情報とかを育ってる
じゃああんまりObsidianって
なんとなくそのAIが
AIの文脈で語られること多いけど
実際Obsidianって
普通のクロードとかジミニとかとは
違う種類っていうか
そう
あんまりこれ自身はAIではないですよね
だからむしろ何ならこれそのものには
AIの機能一切入ってない
これはそのObsidianのCEOやってる人も言ってて
別にあんまり入れる予定はなくて
個人で使いたい人が
そうやってここで作ったデータを投げたりとか
あとObsidianはプラグインっていって
スマホにいろんなアプリ
自分の欲しい機能があるアプリ入れるみたいに
Obsidianにプラグインっていう
いろんな人が作ってる機能を追加するみたいな
なんかノーションとかでも
ノーションか
テンプレみたいな
そうそうノーションテンプレとかとも乗り近いし
どんなのがあるんだろうな
例えばカレンダーの機能追加して
さっき1日ごとにページが作られるって言ったけど
それをカレンダーですぐ飛べるようにするとか
あとGitっていうプログラマーとかが使う
ファイルの履歴とかを管理する
要はバックアップの仕組みとかをObsidianに入れるとか
あとAIとして連携するとか
いろいろあるんだけど
こういうのを追加してそれでAIにアクセスする
これも結構自分でコントロールできるっていうところに通じる
なんかそういう意味だと
そういう意味だとっていうか
Obsidianとノーションって結構似てますね
できることは似てくるけど
どっちの方がどういうとかありますか
まず明確に違うのは
やっぱりデータをローカル自前で持っておくか
クラウドにあるかっていうところが一番違うかなと思って
クラウドにある方
個人のデータの所有みたいな意味で言うと
やっぱりObsidianの方が便利
ただ逆にクラウドにある方がチームで何かするとか
共有とかは便利だよねっていう
Obsidianって共有しにくいですか逆に
頑張ればできるけど
基本あんまり共有でうまく回ってる事例はほとんど知らないし
共有で回そうっていうツールではない
じゃあ自分用はObsidianで
共有用はノーションとかって
そう
分かりやすいですかね
それぐらいかな
あとなんかデータベースとか作れるとか
リンクでつなぐみたいなのも違いとしてはあるけど
だからデータベースとかに強いのはノーションだし
なんかこういうwikipediaみたいなリンク
リンク強いのはObsidianで
データベース強いのはノーションっていうのはあるけど
別にそれぞれObsidianにもデータベース的な機能はあるし
ノーションにもリンク的な機能はあるから
一番の違いはそのデータどこに置いてるかかなって思う
なるほどっすね
あとそのデータ手元にあるのとクラウドじゃないので言うと
Obsidianのが動作は早いと思う
めちゃくちゃ遅いですもんね
ノーションとかスマホアプリ入れようかなって言ったんですけど
まあ開けなくて
そもそもクラウド
エロをする時に全然遅いから嫌になっちゃうっていう
そもそもクラウドだからっていうのもあるし
あとどうしてもノーションってすごい
もう年々どんどん機能が追加された機能がツールになってるけど
Obsidianは設計思想として本当にコアな
みんなが使う機能はObsidianに入ってるけど
あとは例えばAIとか
AI何があるかな
まあ何でもいいんだけど
画像を作りますとかでも
特定のユースケースに特化した機能は
個人がプラグインで好きに追加しようねっていう思想だから
自分の使いたい機能だけ言えるから
だから軽くなるよねっていう
なるほど
ちょっと心理的ハードルが下がりましたね
Obsidianに対して
結局そこに尽きるかな
どんだけモデルとか進化しても
自分の考えてることとか
自分のやったこととかを
AIに渡せる形で残しておく
っていうことの価値は
しばらくは変わらないと思ってるから
とにかくObsidian