この番組は、テクノロジーと幸せに生きる、ワクワクするデジタル空間を作るというビジョンのもと、
新しい視点を取り込み、日常的な課題に対して議論の出発点を作っていく学生メディアLFDAからお届けします。
こんにちは、LFDA編集部道です。
今回は、新しい表現とテクノロジーという若名との企画の第二弾となっておりますので、
第一弾をお聞きでない方は、ぜひそちらもお願いします。
前回は、詩の新しい表現という話から、詩の役割から言葉の恣意性、そして身体性と偶発性、
またはAIと人間の関わりの違いから、愛や葛藤の問題、そして実談の問題について話をしてきました。
その愛の話の続きからお届けします。
はい、さっき愛の話をしてたと思うんですけど。
はい、愛っていうとすごいギョーギョーしい感じだけど、要は自分のエネルギーが向くことというか、
周りから扶養されたしなきゃいけないこととか、したほうがいいことっていう、そういうモチベーションじゃなくて、
本当に自分起点で、これいいとか、これしたいみたいな、そういう感覚ってたぶん消せるものじゃないし、
なんとなくで楽だからやるのとは違う、そういうパッションが伴っているのが愛なのかなと私は解釈して、
そういうのって誰でも持ってるものと思うから、それを表現しようとし続けることが、
ひとつアートの特徴なのかなみたいなのが、この本を読んでて気づかされて、
なんか昔読んだ、月とロックペンスっていう小説があって、それはゴーギャン、
ちょっと忘れちゃった、名前忘れちゃった。
有名な小説家なんですけど、それがゴーギャンっていう画家をモチーフにしてるって言われてて、
その全然アハトと関係ない銀コインかなんかをしてた男性が、しかもすごい中年の男性が家族を捨てて、
画家を目指してしまって、最後野獣みたいになってひたすら絵を描いてるみたいなんで、
それをなんかすごい狂人だみたいな風に言う人もいるけど、
でもなんか彼は、ただあるべき姿に戻っていっただけだみたいな感じで、最後の辺に描かれてて、
それがすごい自分の中でグッときたって覚えてて、
なんかこうなりたいとか、こうありたいとかいろいろあるけど、結局人って多分変えられない自分自身、
もうなんか最初からある自分みたいなのが多分どっかにあって、
そういうのに耳を澄ませるみたいなのが一個なんか面白いなって。
- なるほどね。なんか本当に冒頭の今のSNS空間とか、そういう話に戻ると、
それがなかなか難しくなってる関係の中はね、今。
- 情報がありすぎて。
- 情報がありすぎるし、そのSNSってめちゃくちゃ社会的な鎖を作るものでもあるから、
他社との比較とかさ、こうすれやしなければならないとか、こういうビューティーサンダードがこれだみたいなとかさ、
人と違うことが、わかんない、日本社会としてはなんか、
SNS上でその均一性みたいなのがさ、こう強められたりとかもあるんだろうなって。
- で、なんかもう一個話したかったのが、なんかこれほんとにSFの話で、
- ちょっとあれなんですけど、
- なんか私が前にある記事を読んだときに、
- えっと、キツノ…あ、違う違う。
- キツカワユキヨさんっていう。
- キツカワユキヨさん。
- あのー、なんかいろんな雑誌とか、
- 編集長されてた方の記事を読んだときに、
- その人がこれからのメディアみたいな話をしてて、
- そのー、ほんとにネットの記事で読んだだけなんですけど、
- でもそのときに、なんか今まで、
- 一番最初は、なんかラジオ、テレビとか新聞とか、
- オールドメディアって言われてるものが、権威があるものが一方的に情報を与える時代から、
- その人はインターネットをできる前に、参加型の、もっと一般人が聞き取っているものを作りたいって言って、
- ポンプっていう雑誌を作って、
- ほんとにたくさんの視聴者、読んでる人、リスナーとかからのお便りみたいなのを作って、
- それだけで雑誌を作るっていう。
- で、それを読んだ人がさらに、〇〇なんばんさんのコメントに対して、
- こう思います、みたいなのをまた送って、
- でもSNSやん。
- そう、でもめっちゃ時間かかるから、次が何ヶ月後みたいな発行になる。
- けど、すごい、今よりは全然アナログだけど、それをね、最初にその価値を感じて作ったって人がいて、
- で、今そのいろんなSNSが発展して、その菊川さんが、何て言うの、願ってたようなメディア空間できたって言えるけど、
- でも今度また違う問題が生まれてきたみたいな。
- 何の問題?
- その、みんなそれぞれいろんな、何て言うんだろう、なんか会社の組織の中にいたり、なんか社会のいろんな、何て言うんだろうな、難しい、立場にいて、
- なんか自由に話してるつもりだけど、すごいこう、自分の立場からしか見えない話とか、すごく。
- いや、社会人ってそれあるよね。
- なんか、その会社の口とか政治的なこういうのとか、あれなんか自由に言ってるつもりだけど、すごい本当は制限されてる言論文化になってるって言ってて、
- で、菊川さんはそのAIが、あの、我々のね、仕事を代替することによって将来、なんか人間はなんかそういう労働とか、そういうしがらみから解放されて、
- えー面白い。
- 古代ギリシャの古装みたいに、
- 哲学の奴隷に労働させて、自分たちは志向だけするみたいな。
- 世の中になるんじゃないかみたいな、その時にできる新しいメディアについて考えたいって言ってて、
- 面白っ。
- 面白とか思ってて、なんかそれを自分を、なんか新しいメディアってどうなるんだろうみたいな考えてたんだけど、
- 今回、さっきからずっと同じ本の話をして申し訳ないんだけど、その超アート思考。
- はいはいはい。
- 若宮和夫さんっていう方が書かれた本で、もう書いてあって、
- どんな話が書いてあった?
- AIが合理的な思考っていうのを、全部こうやってくれるってなったら、
- その人間っていうのが、なんかそう思考とか何かを書くとかっていうのが、人間の喜びだと思ってたらしくて、この作者は。
- だから、AIが出てきてみんなやらなくなったのは、みんな嫌だったんだみたいな感じで気づいたのが面白かったらしくて、
- じゃあ、なんで人間の喜びって考えることじゃなかったのかみたいな、思った時に、
- 人は合理的に考える考え方ではなくて、もっとその、それこそ想像的な思考の方だったら楽しくやれるんじゃないか、
- 感じのことをおっしゃってて、おそらくね。だから、AIが合理的な思考っていうのをやってくれるようになったら、
- より人間をもっとその、アハト的なというか、自分の内から分け出てくるものをベースに自由に言論できるんじゃないかみたいなのを言ってて、
- それがすごい、キツカワさんの思想ともちょっと似てるなって思った。
- なるほどね。なんかその、産業が進んでさ、産業革命が終わってからさ、レジャー産業とかエンターテイメント産業とかがすごい大きくなったっていうのはあるからさ、
- やっぱりその、人間は想像的なことが多分したいんだと思う。それはあるんじゃないか。なんか、だって、
- YouTubeとかっていう、その、個人がアップロードできるプラットフォームが成長したのも、
- その、別にその、動画を上げる個人はさ、全然その、初めは収益何もないわけやんか、でもその、表現したいみたいな、そういう欲求で、
- いろんななんか、ポツポツとこう、アップロードされた動画のおかげで、YouTubeは今やもうね、最大のなんか動画プラットフォームになったりしてるし、
- それによって、プラットフォーマーとしての運営YouTubeは、すごい広告収入を得られたりとかしてるっていう、
- その、人間の表現したい欲、想像の欲って、その、暇になればなるほど、その、すごい広がるんだろうなって思って、
- 最近その、えーっと、退屈、えーなんか、つまほ時代の哲学っていう、なんか、あの、本、ちょっと、ぱらぱら、内容を読んでいて、
- まあそれもなんか、退屈が想像性の種です、みたいなことを言ってるんやけど、
- 子供を、なんかその話をしたときに、ある大人の方が、子供がいらっしゃる人なんやけど、なんか、
- いや、私はこういう風に思ってますって、これの本を読みましたみたいな話をしたときに、
- いやー、自分の子供も、なんかスマホを与えたりとかしたら、そればっかり見てるけど、スマホを与えずに、ただそこに遊ばせたりしたら、
- だからダンボールに絵を描き始めたり、ダンボールなんかお家を作り始めたりとかして、
- あ、やっぱり退屈は想像性の源って、なんかすごくしっくり行くんですって、そういう話をしてくれたりとかして、
- ね、AIが、いろんなこと、まあ、やらなければならないことみたいなのを、やってくれるようになって、
- よかがもっともっと増えたらさ、好きなことして、好きなことして、ハートに生きれるのかもね。
- っていう、そう、なんか希望、楽観的観測もありつつ、でもなんか、最近、メンバーのたまきちゃんが、
- アイフォン、あ、スマホを、その、触らないように、よく普通になんか、話をしてたときに、
- 奪ってるよね、スマホって、退屈を。
- そう、奪ってるしでも、そのスマホを、私は最近遠ざけることに成功したなと思ってて、
- だけど、なんか、待ちたい系持ったスマホを使ってるけど、なんか一時期、さすがにスマホを、
- 話してたね。
- そう、使わなくなったなって思ったときに、でも、でもそれでもなんか、あんまりこのを使いたくない時間みたいなのが自分にあって、
- そういうときになんか、別のことをして時間を潰してる自分もいて、まあ本を読んだりとか、まあその、
- まあその本がね、その、すごい役に立つ本の場合もあれば、もう全然、そこは胸キュンだけで、
- 本だったりもするんだけど、なんか、だから、人ってどんな時代も別に暇があったらなんて言うんだろうな、
- 無意味ない、なんて言うんだろう、無意味なもので、その時間を植えたがるみたいな、そういう習性もあるのかもしれない。
- うーん、確かに確かに。なんか、あるYouTuberで、その、映画監督なのかな、映画、舞台監督とか映画監督してる方と、
- 文筆家?
- ライターの2人、おばさん2人が、おばさんって言ったら失礼だけど、お姉さん。お姉さん2人が、意味不明おばさんっていう名前で、
- あのー、ポッドキャストなのか、ビデオエッセイなのか、2人でやってらっしゃるのも、なんかその、彼女らはやっぱり想像的な仕事をしないといけない。
ライターなり、映画監督なり、けど、その社会の中で、働いてると、やっぱり想像的な仕事ができなくなってきているみたいな。
だから、意味のあることじゃなくて、意味不明なことしよう、みたいな。意味不明おばさんになろう、みたいなことを言ってて、意味不明おばさんっていう名前でやってるらしくて、面白いなって思ったり。
なんか、この本でもさ、その分からないもの、意味不明なものっていうのはね、大事にしていくべきだ、みたいな。
ちょっとまた重複するけど、耳障りのいいこと、意味のあること、そんなことじゃなくて、意味の分からないものから新しい、イノベーションっていうのは、少なくとも分からないものからしか始まらない、みたいな。
で、確かになんか、一見意味不明なものから、新しい価値って生まれるんじゃないかと。
いや、それはそう。なんか、スタートアップ界隈とかで、ギャルをミーティングに呼ぶみたいなのがあるらしくて、
そのギャルが意味不明さを会社にもたらしてくれて、想像的な思考が生まれるみたいな。
全く違うものに触れる。
でもさ、意味不明さってさ、ちょっと注意しないといけないのはさ、めちゃくちゃ初めの、この始終は信頼できるかっていう話にも繋がるけどさ、
本当にもう全く意味不明なものじゃなくて、やっぱり誰かが一生懸命考えてきたこととか、
地に足をつけて、現実感を持って語ってる言葉とか、なんかそういうのは大事だと思う。
そうだね。
ただ、なんか、
適当にね、ものとものを繋ぎ合わせた、AIが適当に作った仮想みたいな。
その意味不明な、意味不明さにもいろんな種類があると思うけど、
愛があるもの。
信頼できるか、その愛によって生み出された、さっきの葛藤大の話で、によるその愛によって生み出された、
もしくは、地に足のついた経験で生み出された、意味不明なもの。
これは価値があると思うわ。
そうだね。面白い。そういうものを作れる人になりたい。
そうなの?
くだい?
うん、なりたい。
なりたいよ。
なりたいなと思ってます。
いいね。
本当に、いや、そうそう、そのさ、その本でも語られてるようにさ、今は誰でも何でも作れる時代だったり、
AIが合理的な思考をする時代だから、なんか、創造的になろうみたいな話って、本当に、あの、IT、IT資本家とかの間でもよく語られてることで、
なんかその、最近、2026年2月ぐらいに、えっと、Yコンビネーターの共同創業者、Yコンビネーターってわかる?
わからない。
あの、シリコンバレーとかを起点として、もう世界最大のスタートアップの支援、なんかストライプっていう決済の会社とか、今、ユニコン。
投資してる会社ってこと?
うん。で、結構一番有名、AI時代に有名な会社の一つであると思うけど、めっちゃAI投資してんの。ベンチャーとか、スタートアップに。
で、そのYコンビネーターの共同創業者が、えっと、2026年2月に、えっと、2002年の辞書エッセイ、Taste for Makersを再投稿して、
2日後にオープンAI社長、グレッグ・ブロックマンが、またそれに反応したみたいな。Taste thenew core skill、みたいな。
今のAIの時代に、このTasteっていうものが、このTasteってその、難しいんやけど、めちゃくちゃ定義が、いろんなところでいろんなことが言われていて、それぞれなんか別のことを指してるんじゃないかとか
思っちゃうから、なんか難しいけど、
今はTasteっていうものが、めちゃくちゃ用意になると。何でも作れる時代に、違いを作るものが何を選ぶか、その神秘が何やるんだ、みたいなことはすごい語られたりしてて、
AIはその、逆にいろんな合理的なことできたりとか、目的に向かって作れるけど、その何を選ばないかみたいな、何をあなたは選ぶか、そういうテイストがない、なんか意味とか美とか共鳴を持つか、人間にとって、
みやけることができないから、あなたがTasteを持って何を作るかを決めないといけないみたいな。
なんかTasteってそういうブランディングに似てるなって思って、
似てると思う。
何かがもっとブランド、ブランディングって言うとなんか、ブランドって言うとすごいそのラグジュアリーなカバーみたいな服とか思われがちだけど、ブランディングってのはもう、人とか商品、場所、施設とか企業とか
全部に今の時代に必要があって。
面白い。
ブランディングについては最近個人的に勉強してて、すごい大事なんだな。そのものがなぜそこにあるのかっていう本質的なところに遡って、
それをそこに関わる人全員が同じ方向向きで提示することによって、本当にいろんなものに役立つというか、なんかそれがないとすごいブレるし、
どんどん変化していく。何でも物事って変化していくけど、それに耐えられないというか。変化していく中でもずっと変わらずにあって、
いろんな人に説明可能で、かつ何度でも立ち返れる、そういうものがブランドだと解釈してるんですけど。
それを山口さっき三重八郎に言った山口修さん水野真奈美さんの世界観を作るっていう本だと、そのブランディングが世界観っていうイコールであるみたいなことを言ってたよね。
そういう世界観でファンというか、それに共鳴してる人をゲットしないと、今の人は生き残れないんだねっていう。
LFDAもそうしたい。
そうですね、ブランディングを考えたい。
面白い面白い。
それこそテイストがかっこいいからとか、今の時代に流行るからじゃなくて、本当にそれが自分に根拠があるものというか、自分たちのフィロソフィー。
例えばLFDAだったら、私が大事にしてる自分たちの手触りとかを大事にするとか、お互いのバックグラウンドを持ち寄って自分たちの人に作りたいとか、
自分たちが持ってる信念から浮かび上がるものをちゃんと添えるみたいな、それが大事と言われてますね。
そうですね。
すごいなんか、さっきの話ともつながる。まとめに入んなきゃいけないんだけど。
全然ずっと話そう。
自分の個性を知るというか、いろんな障害とか、いろんな抵抗、乗り越えられないような抵抗とか障害さえを乗り越えちゃう自分自身の愛みたいな。
パッションっていうのはすごいブランディング、自分のブランディングって言うと人から見る自分っていう人から見える姿みたいな意味合いになるけど、
でもなんか、自分自身で自分はこうだって分かっておくのもブランディングの一つの必要な理由だから、
そう思うと別に自分自身に対しても、それを分かっておくっていうのは、自分をブランディングちゃんとしてるみたいな。
これって個人もコミュニティも企業も、まじで全ての流度で言えることだと思う、そのブランディング。
だからブランディングと結構表裏一体なのが、ビジョン、ミッションバリューとかだと思う。
自分のコアは何なのか、何をフィラスフィーとするのかみたいな。
でなんか、前に、どういうポッドキャストならムッとしないのか、どういう発信者ならムッとしないのかとか、
言葉を何を受け入れて、何を受け入れなくていいんだろうみたいなことを考えたことがあって、
それがすごい今の世界観っていうか、自分の中のビジョン、ミッションバリューが直接答えに結びついてるなって思ったんやけど、
例えば、ムッとするみたいなのって、受け取り手の問題であったりもするやん。
例えば、誰かからもらうアドバイスも、その人の視点の言葉だったりとか、別に私の問題とあまり関係がなかったりとかもするやん。あるしね。
じゃあ誰の言葉を受け入れるのかとか、誰にムッとされてはいけないのかとかって、線引きがすごい難しいと思うんやけど、
でもそれが、まず自分がどういう人間であるか、どういうことをやりたいと思っているのかとか、
自分はどういう経験をしてきた人間なのかっていうことから喋るっていう、地に足のついた言葉を素直に喋れていれば、
それは例え誰かの、ある種の防衛規制とかに引っかかってムッとされたりしても、私は別に何も自分を直す必要はないし、
逆に、ある人に何かを言われたりした時に、それが自分のコアに沿っていれば、
ちょっとこれ話が難しいな。一緒に話をすると難しい。
星野リゾートの経営をされてる方が言ってる言葉らしいんやけど、
お客様の要望をどこまで対応するかっていう話で、
ビジョン、ミッション、バリューの動ける範囲内で対応するって言ってて、
それはすごい自分の、どの言葉を受け入れたら受け入れないかみたいな線引きにもすごい関係があって、
ある時、すごい、もっともだ、本当にそうだと思うけど、受け止められない言葉とかってあったりして、
それはある種、自分らしさみたいなのを奪っていったりとかもすると思うんやけど、
その時に自分のミッション、自分らしさみたいなものは何かに立ちかえって対処するって大事だなって。
正しさって無限にあるからこそさ、誰かにとっての正しさがすごい自分を貫いて苦しむとしまう時もあるけど、
そういう時に、自分が何に自分は足をつけてて、何を信じてるんだっていうのをちゃんと立ちかえれたら、
それが苦しくなくなるというか、ちゃんとあなたにはそういう信念があって、私にはこういう。
信念がありまして、どっちもリスペクトできるから、
それはあるね。
自分の世界観を守りつつ、実存としてその成長していきつつみたいな。
ちょっとめっちゃ日常的な話になってしまったけど。
生きる上でも繋がる。
一番愛の話、結構私的には結構おもろい。
広がりがあった。
完璧な人を好きって好きじゃないんだって、一個発見だった。
完璧、塾だから好きと愛は違うんだって。
違うよ、違うよ。
離れになりました。
私は何回も最果てとひっていう方のことを引用してるけど、最果てとひも結構衝動的な方だと思うよ。
結構ドラマチックな感情を描いてくれてる人で、全然年上だと思わなかったんだけど。
教室にも。
若者らしいみずみずしい感情をいつまでも描かれる方で。
最果てとひのエッセイで、愛についての考察をたくさん出してるけど、
歌が綺麗だから好きなんじゃないとか、顔が綺麗だとか、背が高いとか、この人にはこういう特徴があるから人を愛するんじゃないって言ってて。
人間は誰しも分かり合えないのが本当で、
でも分かり合えないって分かっていながら、すぐ自分信じてみようって身を乗り出して、相手を信じる。
相手も信じてくれたように思える。
ある意味幻想的な信じるの繰り返しによって、一緒に過ごした時間とか、交わした会話とかで愛が芽生えてきたりとか、
この人しかいないって思ったりするみたいな。
本当は人間って男は35億いるみたいなのあるけどさ、本当にこの人じゃないと結婚できないとか多分ないと思うけど、
まあまあ制限はあるとは思うけど、ないけど、でもいろんな人がかきおちしたりとかさ、ロミオとジルエットはさ、
あなただ!とかなったりとか、本当にさ、愛のために命まで投げ出す人とかもさ、いたり、
まあ昔とかはね、特にね、いたりすると思うけど、それくらい強力なものを生み出しているのは、
本当はもう分かり合えない人間が、
それでもなんか、自分を差し出してさらけ出して、あなたと私の間でなんか唯一無二のポジティブな形で関係するが生まれていく。
そこに、だから例えばそれが他者から見たら、そんなやつなんか大したことねえよ、
なんか悪い男だから早く別れなよとか言われてもさ、別れられない人とかいると思うけど、
でもやっぱりそこにはその、この人しかいないとかいう感情を抱かせるくらいの、なんかそういう愛、
その人とその人の間にしかないような関係性の中の、このあれがあるんだろうね。ちょっと言葉が見つからないわ。
いや、それこそロジックじゃなくても、マジックのように、そこにある意味幻想だけど、あるものがでもすごい強い繋がりを生んでるわけだから。
もちろんそのね、ロジカルに恋する人もいるかもしれないけど、
それがなんかこの世界で一番強い繋がりを生んでるって思うと面白いよね。
わかんないけど、恋というね、魔法を生んでるので、生んでると思うってね、面白いです。
えー、そのLFDAですの恋とかそういう話をするとは思わんかった。
ね、たくさん想像性から恋にまで。
えー、それだけ、いいですね。
じゃあもう、最後のあがきでまた話入れていい?
いいよ、もちろん。
なんか前に、なんでこの表現と新しい表現テクノロジーっていう話を一緒に撮りたいと思ったかというと、
なんか、和歌とめっちゃプライベートで話してるときに結構、表現っていうことについていろいろ面白い会話ができたからで、
それ、なんか話してたこととかちょっと言いたいなと思って、
なんか、再貼ってた日、また毎度毎度再貼った日の詩集の帯に、
詩を読むことは止まない孤独であり、幸福の可能性に気づくことって書いてあったんやけど、
やっぱりさっき、なんかYouTubeってその、全然はじめお金なんかもらえないので、
自分が表現したいから、個人は表現したいからというか、個人の想像力っていうエネルギーで、
プラットフォームとして成り立っていったみたいな話したけど、
やっぱり、なんか表現することって人を幸福にするなっていうのは、ちょっとこれを見てやっぱり思って。
詩を書くでも、絵を書くでも、なんかエッセイ書くでも、
なんでも、なんか自分の日常生活で起こるモヤモヤとか違和感とか、
わかんない、捉えきれないものとかなんでもいいけど、
そういうものの消化の手段を持っておくこと?
モヤモヤとか、またはポジティブにときめきとかをこねこねして、
曖昧なままでもなんでも、何か作り出す表現の手段を持つことって、
すごい大事なんだろうなとか、そう思ったりして。
で、なんかね、さっき、えっと、何さんだったっけ?
おしゃべりマガジンポップの木塚和幸さんの話。
おしゃべりマガジンか、ポンプ。
ポンプか、ポンプの話とかで。
みんな表現したいんだなって思った。
なんかその文脈で話した話だと思うけど、
私も自分の手で文章を書くってことにすごいカタルシスを覚えていて、
結構幼いときからずっと自分が処理しきれないときとか、
モヤモヤがたまってきたら、書こうってなって書く。
それもなんかきれいな文章じゃなくて、人に見せれるような文章じゃなくて、
なんていうんだろう、ちょっとポエムチックでもあり、説明的でもあり、
日記みたいな感じでもあり、小説っぽくもありみたいな、
いろんな文体で書いていくうちにすごい整理できたりして、
それを自分の寄り所にしてて、それによってすごいいろんなものが整理されて、
自分自身を理解するための一つの道具になってたなって思うけど、
あるとき、すごい友達と二人で旅行に行ったときに、
すごいディスコミュニケーションが生まれて、
すごい長い旅行だ、3週間一緒に旅行するっていう旅。
そのときにいろんなディスコミュニケーションが生まれて、
その子はすごくゆっくりしゃべる。
言葉をすごい大事にしてて、嘘がない言葉をしゃべる人だなってすごい思って、
私はすごい間合いを読みすぎてて、だからこそディスコミュニケーションが生まれてたけど、
この子の言葉をそのまま受け取ってよかったんだ、みたいな思ったときに、
その人と私って言葉の使い方全然違うなって発見があって、
言葉について改めてすごい考えたときに、
そのときに本を読んでて、読みながら毎晩手記みたいなのをしてて、
旅の思ったことみたいな。
そのときに自分が知らず知らずのうちに本の文体とすごい似てる言葉を書き始めてることに気づいて、
ゾッとしてそのときに。
自分って今までこんな言葉を書けなかったのに、
この本一冊読んだだけでこんな文章を書けるようになってると思って。
そのときに。
言ったりする言葉をくれたんだな。
そうだね、説明の仕方とかがすごい面白いと思って、いつの間にか取り入れてて気づかないうちに。
って思ったら今まで自分が書いてきた言葉とか、走ってきた言葉って、
すごい自分がこれまで見てきた言葉たちの集合体だと思って。
それ気づかない、面白い。
そう、そういうのって概念としては知ってたけど、
初めてすごい身を身で、自分の身で感じてめっちゃゾッとして、
私って今まで浮かび上がったいろんな感情や思いを言葉という形にしていく中で、
どんだけたくさんの感情とか思いを捨ててきたんだろうみたいな。
もちろん拾い集めてるつもりだけど、
言葉にできるものって数少ないから、
言葉を書いてるときに、私はもう100%自分で書けてると思ってたけど、
多分いろんなものをね、本当は捨てて、自分が多分扱えるものだけ扱ってる。
なぜ扱えるかって言うと、自分が持ってる言葉っていうか、知ってる言葉に当てはまるものだかっていう。
だから、自分が読んできたもので自分の世界っていうのはできてるなってすごい思って。
本も読まれば、そんな気持ち持って広げなきゃって。
で、一番初頭に話した、今の時代は自分の言葉を生産してないのじゃないかみたいな。
その話の本当にもうちょっと同じことだよね、なんか。
そうだね。
なんかそれも、ネット空間に落ちてる言葉とか、コメントの言葉とか、読んでるだけでも、
日々いろんな言葉っていうのは入ってきてるとは思うけど、
なんか、やっぱりでも、すごい質の高い、本当に熱量を込めて書いた文章っていうのは、流れ星。
本当?
うん。流れ星が見えた。まあいいや。
なんて言うんだろう、なんか、単文でね、なんとか草みたいな言葉とかを吸収してるだけでは生み出せない。
もっといろんな言葉に、いろんな文章に触れるべきだなっていうのは思う。
なんか、でもその、自分、わかんない、あの、今話してる言葉を聞いて、
その、自分が車掌してきた感情とかの多さ、感情とか経験とかの多さにゾッとしたっていうのは、なんか、
面白い感とかく、面白い感とかくと思って。
でも確かに、いやだからね、なんか質のいいインプットをしたいというか、まあそれはそうだし。
だから、なんか大人になって、大人っていうかまだ子供かもしれない、大人です、大人ですけど、
なんか、私はマジで、小学生まで、小学6年生までで、今まで読んだ人生の半分以上の本を多分読んで、
それ以降全然本を読んでなかったけど、大学生になって、例えば扱える概念とかが増えて、
なんか新たに本を読んだ時に、なんか入ってくる情報の量にすごいびっくりしたりとかもして、
なんか、だからこそ、なんか、本を読み続けることって多分大事だし、
新しいオリジナルな表現を模索することってすごい意味があるし、ね、大事だと思う。
もうなんか、この話すいでに名付け加えるとさ、前に話してたけど、本屋さんってめっちゃいいよねっていう話で、
なんか私も、もうなんかいつからか、高校生ぐらいからなんか悩みがあると、とりあえず、なんか何かもう自分でどこに向かっていくかわかんないみたいな、
そういう悩みに直面した時に、なんか本屋さんに行くと、すっごい楽になるみたいな感じがあって、なんかいい本に出会えるような、
なんか、その何もヒントがなくてどうしようって中で、なんか行くとさ、もう無数のさ、本気で書いたさ、文章たちがあるわけじゃん。
それで、こう表紙とか見てるとさ、え、何これ面白そうって思って手に取って、
それを読んでさ、自分の人生がなんか全然違う方向にこう関心が動いたり、世界が広がったりするっていうので、
なんか本屋さんっていろんな偶然性を生んでくれる、すごいいい場所だなって私は重宝している。
いや、私その高校生の時とか、全然本屋にはいかなくて、
てかまじ田舎すぎたから、なんか手軽な本屋みたいなのなかなか、いや、モールにはあったけど、なんかそんなに。
わざわざ行くのも。
行くのもって感じだって。
だから大学生になってから、京都ってほんとにいろんな独立系の本屋から、おしゃれな本屋からいろいろあって、
なんかその大学生になってから、そのマテヨシのウズチャンネルとかで、
なんかマテヨシの本屋の楽しみ方みたいなのとか読んだりとかして、
そのマテヨシも偶然性とかを楽しみたみたいなの言ってて、
で、私もそれによって結構、
あ、本屋で新しい本を探す、ランダムな本を探すみたいなのを楽しむようになって、
ほんとになんか人生を変えてくれるような言葉とか本とか概念に出会えたのは、
そうやってなんかランダムに行った本屋で、
いつもなんかある本屋に行く時、一つだけ買うって決めてて、
あ、そうだもん。
一つだけ!一つだけ!今の自分に必要な本を一つだけ!って思って、
一つ選んだ本。
なんか1、2年前に行った時には、
温かいテクノロジーっていうのを読んだりとかして、
それが今の自分のなんかキャリアというか、
なんかやりたいことにすごい直接的にかかってたりはしたんやけど、
そうやってそのランダムな出会いを、
質の濃い文章で濃い情報量でランダムな出会いができるっていうのはほんとにいいよね。
新しい表現をもらえる。
しかも面白い、ほんとに。
さ、出版社が本気で作ってるからさ、一個一個塗装とかで、
そのタイトルとかもなんか、なんか面白いようにいろんな角度のさ、
なんかこれ、結構なんかうがった見方しちゃうけど、
すごいいい見せ方してんなぁとか思って。
それで、なんていうんだろうな。
なんかね、面白いよね。
いい言葉がすごい並んでる。
いや、そうですね。
なんか買って、その時なんか、
勢いで買ったけど読まなくて、
つんどくしてて、
でもなんか1年後になぜかあると思って、
手に取って、え、面白っ!ってなって。
え、わかる。
読んでおりますね。
とりあえずなんか、その時になんか、
ときめいたもの、とりあえず買って部屋に置いとくっていうのが一個ね。
あ、そうなんだ。
ライブハック。
え、でも私はなんかマジでランダムに、
読んでなかった、例えば借りた本で、
最近借りた本を全然読んでなくて、
その試験が終わって、久しぶりに開いたときに、
それはエッセイだったんだけど、
もう本当に心が救われて、
なんかその時すごい塞ぎ込んでたけど、
その塞ぎ込んだ気持ちをすごい開放してくれて、
なんかその人が、
私にとってはすごい似たような感情を経験してたことを書いてて、
自分がそれに重ねられる文章を書いてくれてて、
もうめちゃくちゃ救われて、それに。
なんか、いやランダムに読み返すのもすごい、
ね、救われたりするよね。
そうだね。
図書館で借りた本?買った本?
いやなんか、知り合いに貸してもらってます。
早く返せよ、早く返せって感じ。
なんかそう、図書館で借りるのも多いけど、
手元にはいつでも、いくらでも置いとける、
すごいいいよね。物質的な。
物ってランダムにそこにあるから、
Kindleとかで本はあんまり読まないけどさ、
探して、わざわざ探して買って、
開いてってなる効力あるけど。
そう、Kindleだ。読み切らんのよな。
本ってなんかさ、なんかの台にしてたりしてて、
偶然そこに置いてたりしてるから、
そっか、目に入るじゃん、設置してる中で。
っていうのがなんか面白い。
確かに、確かに。
そんなこと語れるほど読書家じゃないけど、
最近すごいありがたが感じてますね。
いや、いいね。
そうですね。