でもそんなフグにまつわる話を丹念に丹念にいろんな関係者にあたって記録をし続けて来られること10年以上ということで、
いろいろカメラ回して来られたわけですよね。
そうなんですよ。
かなりの素材の数になってるんじゃないですかと思ったんですよ。
それはですね、やっぱり10年と聞くと素材どんなもんだったんですかって聞かれることが多かったんですけど、
自分で計算したことがなかったんです。
あまりに多いんで。
なんでちょっと質問をきっかけに自分で調べてみたんですね。
それが概算で約680時間。
680時間。
これ日にちに換算すると約28日で、要は4週間ぶっ通しの映像なんですよ。
例えばじゃあちょっとその素材をチェックしようかって言って今から見始めます。
1日8時間見ましょうっていうことをやっていって、見終わるのが3ヶ月後。
要は年末になってしまうっていうぐらいの分量でしたね。
これデジタルデータになるわけじゃないですか。
サイズとかってこれ足していくとどのぐらいになるんですか?
これですね、5テラバイトっていう。
5テラバイト。
これ今の感覚だとまあっていう感じに思う方もいるかもしれないんですけれども、
なんせ10年前なので、要は4Kとかない時代なんですよ。
フルHDっていうのが当時の最先端に近いような映像で、
そのサイズで5テラバイトっていうとまあかなりな量になるっていう。
あんまりちょっと短じゃない数字桁になってきますよね。
そうなんですよね。大変でした。
でもこの10年以上ってなりますと、
いろいろやっぱり迂回曲折があったはずで、
やめたくなったりしなかったんですか?と思って。
この撮り続けるっていうのを貫くのものすごい大変だったんじゃないかなと思ったんですよ。
気持ち的なところ、気持ちが折れた的な意味で言うと、
やめようって思ったことは実はなかったんです。
というのも元々やろうと思ったきっかけが、
何か自分の人生を変えたいなっていうところのモチベーションだったので、
そういったところで折れるってことはなかったんですけど、
逆に撮れば撮るほど撮りたいことがどんどん増えていく。
撮った素材が例えば1年前、2年前の素材で、
すでに話題が古いものが出てきたりとかして、
じゃあまた撮り直すかとかやってると、
要はもう霧がなくなっちゃうので、
物理的な意味では撮っても撮っても霧がないから、
撮るの控えようみたいなところはありました。
作品作りの中でも鮮度が求められるみたいなことがあったわけですね。
そうなんです。
こうか不こうか、フグの業界っていうのは、
そこまで鮮度が落ちにくいと言いますか。
もちろん日々変わっているトピックみたいなのはあるんですけれども、
そうじゃないところを普遍的なところを中心に描いていこうというのを、
10年かけたおかげでそういうことを思えるようになったという感じですね。
でもなんですか、ここまで撮ってきたからにはということで、
とにかく完成させようみたいな気持ちもあったわけですかね、そうすると。
そうですね。
やっぱり取材を通して仲良くなった方たちっていうのがいらっしゃって、
例えば1年目、2年目みたいなところで言うと、
あれどうなったのみたいな、完成まだ?みたいなこと聞かれるんですよ。
すいません、もうちょっと待ってくださいみたいな話を会話をやりとりしているんですけれども、
そのうち、もうやるやる詐欺なんじゃないのみたいなことを言われたりとかして、
いや、すいませんみたいな、そのうち本当に何も聞かれなくなった瞬間があって、
皆さんもうこれはお蔵入りだろうなという感じで諦めてしまったっていうのを感じたときに、
これはまずいっていうのを本当に肌身で感じました。
なんかめちゃめちゃ共感する話じゃなかったですか。
心の傷。
めちゃめちゃ目に覚えがある。
連載とかで企画を作ったりするときにいろいろストックを貯めていくみたいな取材を、
デイリーのものと並行してやっていくみたいなことを我々もやってたりするんですけど、
あまりにもストックを貯め置くという期間が長すぎると、
だんだんちょっと周りから何今やってるんだろうみたいな感じでちょっと言われたりしたりだとか、
ちょっと確かにえぐられる感じがありましたね。
山本さんの中では作品にできる道筋っていうのはずっと見えてたんですか。
10年って伝えたと言いますか、発表してるんですけれども、
メインの撮影となるのは最初の2年間ぐらいとかなんですよ。
その段階で撮った素材で言うとこういう構想かなみたいなことを考えている部分はあったので、
そうですね、結構初期の段階から道筋と言いますか、こういう風に作れたらなみたいなのは頭の中にはありました。
実際に映画館で公開とかになるといろんな関係各省も関わっていると思うんですけど、
そこら辺も順調だったんですか。
そうですね、もともと私が会社を辞める前は映画の制作会社に所属しておりまして、
そこが劇場映画とかを作ったりしていたところだったんですね。
私のボスであるプロデューサーの方とかにもこの企画の話はしてますし、
もともとは実は会社の企画と言いますか、こういうことをやりましょうよって言って、
じゃあいいよみたいなことに任されたというところがあったので、
なので中身はもう完全に任せてくださってたんですけれども、
一応企画通っているという大げさなものではないんですが、
これやりましょうみたいな話はしていたので、
本当にここまで劇場公開をできるようになるかというところはありましたけれども、
何かしら出口はあるんじゃないかなという思いはありました。
ただ取材を、撮影をさせてもらった方にはその辺りのことがまだ
大ぴらにお伝えができないので、ちょっとヤキモキさせてしまった。
そうですね、そういった意味では本当に公開が決まる云々というのは
完成してからじゃないと決められないので、
その辺りはまだこれからですってお話をしつつ、
映画が製作会社で過去にこういうものを作ってますよというところで
皆さん信頼していただけたというのはあると思いますね。
なかなか出口を決めるというのも結構難しいですよね。
結構我々できないというか苦手なところだったりするなと思ったり。
それぞれ走り足がいるかみたいな感じでやっちゃったりしますけど。
そうなんですね。
それぞれだとは思うんですけど。
皆さん牛新聞さんというところでやられていらっしゃるから
全然出口があるものなのかなと思ったりしてましたけど。
いや、結構ケースバイケースというか。
でも気持ちは先走るというかね。
どうしてもこれで何とか形にしたいなという気持ちで
それで先に走り始めちゃったりして、路頭に迷いかけるみたいなこともあったりだとか。
ドキュメンタリー映画と新聞記事って結構相性が
作り手の立場でいくと結構共通する部分があったりするんじゃないかなというところで。
確かに今日はその辺りの話も絡めながら進めていけるといいなと思うんですが。
岐阜絡みの岐阜界隈の話でいくと
意外と岐阜市内、特に柳ヶ瀬界隈ですね。
フグ料理屋さんが多いんですね。
そうなんですよね。
これ僕もびっくりしたんですよ。
ずっと大学から東京にいて、
こちらのほうに拠点を戻したといいますか、
戻ってきたのが2,3年前ぐらいとかなんですけど、
街を歩いていて、あれ?フグ料理屋多いぞっていう。
確かに看板にお店の名前にフグって入ってたりするから、
分かりやすくはありますね。
分かりますよね。そうなんですよ。
それまでフグ料理屋さんのことを気にしたりもしてなかったんですけど、
フグの映画を作っているという目で岐阜に戻ってくると、
柳ヶ瀬界隈、フグ料理屋多いなって本当に驚いたトピックでした。
ちょっと調べてみたんですけど、
柳ヶ瀬界隈だけで、今営業しているお店でいくと
調べた限りなんですけど、4件ありますね。
フグ料理あきらさん、フグ市さん、
フグひらがなで井戸の井のフグ井さん、
フグ料理ぶっかんさん、ぶっかんひらがなですね。
ちょっと今休業中だとか掲載保留ってなっているところが2件他にあって、
フグ製さん、フグひらがなで木尾らかなの木尾ですね。
フグ製さんと、丸茎本店さんですね。
丸茎本店さんです。
丸茎本店さんです、なるほど。
今日収録に入る前に、
柳ヶ瀬界隈のフグ料理屋さんに明るい記者がいたことに気づいて、
ちょっと今日呼んでこれなかったんですけど、
実際にお話し聞きたかったですね。
そうなんですよね。
伝えてきてきたことをお話ししたいと思います。
フグ製さんがどうも柳ヶ瀬界隈の中でも老舗中の老舗というか、
ここがルーツになって柳ヶ瀬界隈のフグ料理屋さん文化というか、
そういうものが形成されていったみたいなことを言っていて、
結構何回か言っていたみたいです。
実際に柳ヶ瀬さんがおそらく岐阜の一番最初のフグ料理屋さんだよというのを
聞いたことがあって、
私の友人で、まさにさっき一番最初に出てきた
フグのあきらさんの方が友人なんですけれども、
その方からまさにその話を聞きまして、
その方からすると、おじさんにあたるんですかね、
方がフグ製さんのご主人で、
一番最初に柳ヶ瀬でフグ料理屋をやったところ、
発的に繁盛して、そこから独立された方たちが
お店を構えられたというエピソードを
フグのあきらの友人から聞きました。
そうですか。
やっぱり当時柳ヶ瀬がものすごい繁華街で
にぎわっていたということもあって、
高級料理の需要があったんじゃないか、
みたいな話とかも聞いたりはしていますね。
なので、柳ヶ瀬とフグとか、そういったところも
生み出し犬といえども関係性が実はあったんだよ
というのを聞いて驚きましたね。
なかなかそこって結びつかないですけどね。
しかもあんな狭いブロックに養犬、老犬もあったんですね。
それくらい柳ヶ瀬が繁盛して、
フグ料理を食べる人がいたわけですね。
柳ヶ瀬からは少し離れるんですけど、
水戸の町のあたり、水戸の町の南のところなのかな、
心の味の村っていうね、ここもフグ料理の取り扱い店ということで
表記があったりして、日本料理学校のお店だそうですけど
そこでもフグ料理が味わえたりだとか、結構あるっていうことですね、この界隈に。
まさに今回の映画が岐阜で公開する予定だったので、
チラシをいろんなところに置いてもらおうと思って、
今回っている最中なんですが、
真っ先に岐阜の周りのフグ料理屋さんないかなって思いまして。
まず刺さるところですね。
そうですね。
そうなんです、そうなんです。
柳ヶ瀬の中にあるお店から始まって、
まさにさっきお名前が出ていたフグ市さんですかね。
フグ市さんのお兄様がやってらっしゃるお店がすぐ近くにあるよって聞いて、
そこのお店も、ちょっとさっきお名前出てなかったんですけど、
フグ専門店ではないですけれども、居酒屋でフグのお鍋も冬場はやりますし、
唐揚げとかも年中出しているよみたいなお店もあって、
結構フグの唐揚げを居酒屋で出すところって、
他のエリアで、特に海梨県とかだと多分ないと思うんですよね、多分ですけど。
確かに。
でもそれが居酒屋さんでそういうフグの唐揚げが年中食べられるって、
すごい文化だなって感じましたね。
ちなみにお名前なんていうお店なんですか。
フクフクさんっていうお店だったと思います。
ちょっと調べますね。
フグ市さんすぐ近くでした。
これフクフクさんです。
名前もフグじゃないですか。
フクって下関の方では濁らずにフクって呼ばれるんですけれども。
映画の中でもフグじゃなくてフクって言ってる時ありましたよね。
そうなんです。あれがね、この人下関の人だなって分かって面白いです。
そういうことなんですね。
多分プライドとかも込みで、一般の方は濁ってフグって呼んでる人も多いよみたいな話は聞いたんですけれども、
関わる方としてはフクっておっしゃるっていう。
このフクフクさんにチラシを置きに行ったところ、すぐ目の前のビルがフクベビルって書いてあったんですね。
フクベビル見たことありますね。
フクベってひょうたんのことらしいんですけれども、
要はフグの見た目がひょうたいに似てるからそれがついたんじゃないかって話とかも聞いたことがあったんで、
これもしかしてこの界隈がフグエリアなんだろうかみたいな。
全てつながってるんですね。
案外フグの街的な要素あるかもしれないですね。
まさかの。
まさかの。
面白いですね。案外つながっているっていう。
そうなんですよ。
野さんは一旦東京に出られていますよね。
20年くらい映画制作の世界で仕事をされていたということですけど、
東京に対する憧れみたいなことって、この岐阜に暮らしていた頃ってありました?
バリバリありましたね。
そうですね。
私が大学に出たのが1999年なんですけれども、
その時はネット例明記で、インターネットとか見れたんですが、
例えばAmazonなんてないというか、皆さん使ってなかったですし、
もちろんネットフリックスとかそういう配信とかもない時代で、
文化の中心と言えば本屋とかCD屋みたいな時代だったので、
そうすると東京に行った時に本屋とかに行くと、
夢の国みたいな本屋が広がっていて、
音楽とかもライブとかはそっちが中心でいろいろ行われていたりするので、
本当に憧れはありましたね。
やっぱり岐阜だとどうしても手に入りにくいものとかも出てくるでしょう。
当時はそうでしたね。
それがじゃあ名古屋が近いですけど、
名古屋に行けばあるかというとそういうわけでもなかったりだとか。
そうなんですよね。
もちろんコアなお店とか大きい書店とかももちろん名古屋にはあると思うんですけれども、
数が違うといいますか、まとまって尋訪町とか町になってたりとかするので。
そうですね。
尋訪町お茶の水のあの辺は本当に学生時代の憧れの場所でしたね。
どんだけでも時間が飛んできますもんね、あの辺とか。
そうなんですよ。
ガンフィッシュを完成させるために一回岐阜に戻られて今に至るという形で、
戻られたのが4年くらい前でしたかね。
3年前になるんですかね。
会社を辞めたのは4年前になるんですけれども、
ちょっとそこから実は岐阜に帰るという決断を即決できなかったんです。
要は東京で暮らしながら編集を完成できないかっていうことを
思っていた、模索していた時期がちょっとあったんですけれども、
早々に無理だと気づいて。
当時どの東京のどの辺に住んでみれたんですか。
東京の自由が丘っていうところにいてですね。
これは会社が中目黒にあったんですね。
もともとちょっと遠い町風っていう場所にいて、
それは家賃を下げるためだったんですけど、
仕事が忙しいのでタクシー帰りとかもなかったりすると、
だったらその分を上乗せして近場で借りたほうがいいんじゃないのみたいな話で
会社の近くで暮らしていたんですが、
家賃がまあ高いみたいな。
そうですよね。
家賃も高いし、変な話ですけど、
ずっと20年間6畳1間みたいな暮らしがほとんどだったんですね。
40を超えて、俺はこの先ももしかして6畳1間を続けるのだろうかみたいなことも
思ったりはしてましたね。
一回この岐阜になかなか踏ん切りつけるのは難しかったと思うんですけど、
急にやっぱり戻ってくる必要があったっていうことなんですね。
そうですね。本当に理由が2つあって、
1つはもうさっきお話ししたように生活費を抑えるためという感じですね。
ドキュメンタリーで編集をやっている期間だと、
制作費イコール生活費みたいな感じで。
うわーリアルですね。
680時間ある映像を編集しないといけないとなると、
これはとんでもない期間が時間がかかるぞっていうのは予想ができたので、
これは東京に続けるっていうのは現実的じゃないんじゃないかなっていうのが理由の1つです。
もう1つは、結構映画に関わってくるところなんですけども、
映画の取材で全国結構いろんなところを飛び回らせていただいたんですね。
福生の町下関とか大阪もありましたし、北陸とか宮城とかいろんなところを
回らせていただいた時に、
そういった東京、大阪的な都会じゃないところで暮らしていらっしゃる方の生活が
あれ豊かなんじゃないかなみたいな。
っていうことに気づいちゃったんですよ。
飛び回る中で。
飛び回る中で、友人と一緒にその話をずっとしていてですね。
例えば、基本的には車社会のところが多いと思うので、
皆さん一人一台みたいな感じで車を持っていらっしゃって、
もちろん家に駐車場があるわけじゃないですか。
駐車場の車以外に例えばボートとかもあったりとかして、
車にボート繋いで、家から5分、10分みたいなところの海とか川とかに行って
レジャーを楽しんでいるっていう。
あれ?
完全に豊かですね。
豊かですよね。すごい豊かですよね。
そうなんです。
例えば東京でバーベキューに行こうと思ったら、
絶対電車で1時間とか1時間半とかかけて行って、
で、往復で3時間4時間とかかけてお金を払ってバーベキュー場に
バーベキューを楽しむっていう感じなんですけれども、
それこそ岐阜とかだと河原に行ってバーベキューをするみたいな。
そうですね。
これ最高だなみたいな。
みんな河原に集結するんですよ。
そうですよね。
ものすごく埋まってるんですよね。河川敷がこうね。
大切ですからね。
テレビ番組で見かけましたけど、岐阜県民は一番バーベキュー用品を買う県民だみたいな。
ホームセンター行くと専用のコーナーがあるんですよ。
バーベキュー2コーナーがあって。
あれ驚きました。
っていうぐらい習慣になってるんですよね。
確かにそれこそ豊かさの象徴というか、その容力があるということですよね。
結構手間のかかることでもあると思うんですよ、アウトドアを楽しむって。
やっぱりそこを時間かけてでもみんなで楽しみたいっていうところに
時間と労力を避けるっていうことでもありますしね。
その豊かさってすごいいいなっていうふうに撮影を通じて思って、
それこそ羨ましいなぐらいの感じで思ってたんですけど、
あれ?だったら地元あるじゃんみたいな。
っていうところで戻ってきたっていうのはむしろ積極的な理由として
そういう理由がありましたね。
そうなんですよね。一回離れたからこそ気づくみたいなところでもあるのかもしれないですね。
ありますね。大いにあると思います。
ずっと岐阜にいるとどうしても田舎だしみたいな
ちょっと卑屈な見方を地元に対してしてしまうところがあるのかなと思うんですけど。
はい、わかります。
戻れるふるさとがあるっていうのは強みではありますよね。
そう思いましたね。
例えば東京出身の方とかももちろんいっぱいいらっしゃって、
それはそれですごい羨ましい話だなっていうのは思うんですけれども、
例えばそういう方が東京の生活にちょっと疲れちゃった時に
どこか他に移住しようかなみたいなのって全部アウェイになってくるっていう。
なのでそう考えると岐阜っていう場所は
自分のアイデンティティに直結しているという土地があるっていう意味では
本当に良かったなっていう思いは戻ってきてから本当に感じましたね。
確かにそうなんですね。
いきなりアウェイに飛び込むっていうのはちょっと決断として重いものがあるわけですね。
それに比べるとっていうところでホームが一つあるっていうのは大きかったんでしょうね。
どうですか?一旦会社辞めてっていうのって怖くなかったですか?
これすごい大きな決断だったんじゃないかなと思ったんですよ。
そうですね。でも正直実はあんまり不安がなかったんですね。
っていうのもさっきお話ししたようにこの映画のプロデューサー自体が
元板会社のボスでどちらかというと早く完成させないとみたいな感じの方がちょっと強くて
ただやっぱり所属している以上やらないといけない仕事っていうのが優先されてしまうので
どうしても自主映画に近い形で動いていたので優先順位がちょっとどうしても下がってしまって
また時間が経ってしまうんですよね。
なのでむしろ早く完成させないとっていう焦りの方が強かったという感じです。
作品を完成させたりさせよう、させなきゃっていうところの気持ちが完成に勝ってたっていうことなんですね。
そうなんです。
さっきもちらっとお話ししましたが最初のモチベーションが自分の人生を何か変えたいなみたいなところからのきっかけだったんですけど
それが完成しないまま6年7年8年みたいな感じになっていくとこれは焦るなみたいな
当時30半ばぐらいだったのがだんだん40近くなっていって40を超えてしまってとかになると
これはっていうそういう焦りの方が強かったって感じですかね。
人生を変えたいって思ったきっかけっていうのは焦りみたいなところから発生してたっていう感じですかね。
そうですね。もともと自主映画を学生の頃から作っていてその延長線上でこの映画業界に入ったんですけれども
監督作はもちろんそうですけど何かしら映画の企画とかを作ることができたらなっていう思いとかはあったんですけれども
なかなかそういうことができないまま来てしまっていて
映画学校の同期の方とかは20代の時点でもうすでに監督デビューされて今でも子活業の方とかいらっしゃるんですけれども
そういった方っていうのはもちろんそうなんですがだんだん30を超えたあたりでは
同年代の方が映画プロデューサーとしてデビューし始めるんですね。
やっぱり意識しますか。そういう同世代の活躍って刺激になる部分と焦りに変わっちゃう部分と両方あるんじゃないかなと思ったんですよね。
好きな映画に関われるっていうこと自体は本当にその幸せな状態だなってずっと思ってはいたんですが
やっぱり何かしら自分がこれ面白いと思えるみたいなものを残したいっていう気持ちが強かったんですけど
そこに至れていないっていうのがどうしても焦りは強くなってきましたからね。
そうするとこの映画はその人生を変えるためにっていうところも織り込みながら作り上げられていった作品になるという側面もあるわけですね。
最初のモチベーションは本当にそういうところでしたね。
このふるさとに戻られて映画制作っていう点はメリットに感じている部分だとかありますか。
そうですね。私の場合このドキュメンタリーで地元に戻ってずっと編集をしていたっていうちょっと特殊な例かもしれないんですけれども
単純にコストは東京にいるより安いよっていうところと
実はこの映画は要所要所で追加撮影みたいなことをしているんですけれども
岐阜にいると全国に飛び回りやすいっていう
真ん中にあるからってことですね。確かにそれありますよね。
もちろん東京に行くにもお金かかりますし時間もかかるんですけれども
でも意外と関西すごい近いじゃないですか。
確かに関西近い感じしますね。
東京から関西に行くってなると新幹線で言えば2時間かかってお金も1万5000円とかかかってくると片道
それだけで大事になるんですが
岐阜にいると京都なんか在来線で日帰りで行けちゃうみたいな
その感覚ありますね。
通えるじゃんぐらいの感覚で
大阪も在来線で往復できたので日帰りができたので
そういう意味では拠点として全国に飛び回るみたいな場所としては
意外と便利な場所なんじゃないかというのを気づきました。
北陸にも行けるんですよね。車で。
そうですね。東海北陸道で1本で繋がってますからね。
そういう意味では北陸も取材先としてあったので
そういう意味ではドキュメンタリーで飛び回る場合は便利なんじゃないかと
ノーは感じましたね。
これはノウハウとして広めたいかもしれないですね。
岐阜を拠点に。
県庁の職員さん、ぜひ広めてくださいね。
いい拠点ですね。
そうするとこれからも岐阜を拠点にし続けるというビジョンとしてありますかね。
将来の展望みたいなところも伺えたらなと。
そうですね。気持ちとしてはやっぱりしたいというのが強いですね。
映画の仕事に限らずなんですが
一度この生活の豊かさに気づいてしまうと
なかなか東京に戻りにくいというのがあったりするので
できれば岐阜拠点で行けると嬉しいなというのもあるんですけれど
やっぱりドキュメンタリーに限らず劇映画でずっと20年以上働いてきたので
劇映画にも関わりたいなという思いはもちろんあるんですが
そうなってくるとやっぱり岐阜とか都会エリアというのは
なかなかハードルが高い場所にあっては来るんですけれども
何かそういったところを変えることができないかなとか
僕の台だけでは実現ができないかもしれないですけれども
若い世代の人たちとかが地元で生活する豊かさを享受しながら
例えば映画を作りたいという夢があった場合に
それを諦めずに地元で作ることができるようにならないか
何かないかなというのはちょっと考えたりはしていますね
何がいいのかというのは具体はあまり出てこないんですけれども
そういうクリエイティブな仕事をしたいなら
都会に出なきゃみたいな先入観ってあるような気がするんですよ
そうじゃないよというものがこの岐阜で作れると
結構そこに集まってくる若者がいるんじゃないかなと思うんですよね
映画に限らなければ例えばYouTubeとかそういうのであれば
もう全国どこでもできる状態になっているじゃないですか
映画の場合はどうしても出資する会社さんとか
俳優の方たちとかそれこそスタッフとかが
物理的に一つの場所に集まって作品を作り上げるので
どうしてもそれのハードルは高いんですけれども
何かさらに大元のところから言うと
岐阜に住みながらって友達がいないと続かないよねみたいな自動運があって
僕が東京離れにくいっていうところの要素の一つが
やっぱり東京の友達がほとんどだというのがあるので
人間関係ですね
だったらそういうところから変えていくこととか
変えていったほうが近道なんじゃないかとか
そういうことを考えてありました
まだ何がいいか全然わかんないですけど
何かそういう繋がりをね
共同体的なものをふるさと岐阜でも作っていけるという
そういう思いがあるということですね
映画の街とかそういう感じになったりとか
そういうようなことがもし実現できるならいいなと思いますよね
柳笠っていう場所はかつてそう言われていて
今も名残があるはあるんですけど
かつてほど映画館がたくさんあるわけでもないし
やっぱり柳笠をそういう映画の街として見ているイメージを
残している方っていうのは一定数まだこの街にいらっしゃると
そうですよね
映画絡みの何かそういう街づくりというか人づくりというか
そういう活動につながっていく何かができると
地元のメディアとしてはすごく盛り上げがいがあるというかね
なのでちょっとそんな今後の展開にも
ちょっといろんな楽しみ抱きながら
岐阜周りの話
宇野さんご自身の話を前編でしてまいりましたが
前編この辺りにしまして
この後後編ちょっと別の回
次の回に移って