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みなさんこんにちは、報道部の山田俊介です。 岐阜新聞ポッドキャスト▼ききかぢ28回目の配信です。
今日は一緒にお届けしている坂井さんが、 FC岐阜の取材やらないやらでちょっとお休みでして、
意外とこういうことって過去27回で一度もなくって、 初の一人オープニングということで、
なんだかちょっと想像以上に寂しい感じがしておりますが、 さて今回は初のゲスト回です。
映画監督の今井友樹さんのインタビューをお届けしたいと思います。 岐阜新聞には映画部っていうのがありまして、
岐阜市の柳瀬商店街にある映画館のギフシネックスさんとの共同企画ということで、
映画館で見ないなんてもったいないっていうのをキャッチコピーにして、 ギフの方に見てもらいたいエリスグリの作品を上映して、
作品に関連するゲストを招いたトークショーなんかも交えながら、 映画文化への親しみを深めていただくという素敵な企画なんですが、
今日私その取材に行ってまいりまして、 トークショーの後にちょっとお時間いただくことができまして、お話を直接伺ってまいりました。
今回の上映作品が、小良川村の土の子騒動記。 今井監督といいますと、岐阜県の東濃地域なんかで盛んだった霞やみ寮をテーマにした
鳥の道を越えてですとか、 精神障害をテーマにした夜明け前、
呉修造と無名の精神障害者の100年ですとか、 数々のドキュメンタリー映画をね、世に送り出してきた方ですが、
今回は土の子をテーマにしたドキュメンタリー映画ということで、 岐阜県といえばって聞かれて土の子って答える方、
全国ツツフラウラ、聞いて歩けば一定数いらっしゃるんじゃないかなと思うんですけど、
蛇を平びったくしたような形のね、未確認動物の一つですけど、 その土の子の目撃情報が一番多いのが岐阜県の東白川村。
今井監督はその東白川村のご出身ということで、
なぜにね、あんなにもこう、土の子探しに熱中する人がね、たくさん押し寄せるのか、
何が彼らをこう突き動かすのかっていうところをね、 映画の制作を通して見えてきた土の子の魅力、
ふるさとの魅力についてお話を伺ってみました。 それではお聞きください。
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お疲れ様でした。
温かい雰囲気のトークショーでしたね。
質問コーナーで結構、東白川村出身ですとか、七藻出身ですとか、いろんな質問するのかなと思ったら、
割とご自身のPRだったり。
東川村のPRも結構してくれましたしね。
そうですよね。皆さんやっぱりふるさとのことが好きな方が多いのかなというような印象もありましたけれど。
今回、小良川村の土の子総動機の岐阜県内初上映ということで、
そうですね。初めてです。
今日がその初日だったわけですが、
監督ご自身も東白川村のご出身で、今回はこの先9年がかりで、
撮られていて、満を絶しての上映だったと思うんですけど、
こうして形になって、皆さんにご覧になっていただいていかがですか?
そうですね。上映後にトークする機会、これまでも東京とか名古屋とかであったんですけど、
こんなにたっぷり時間をもらって、しかも質疑応答までできてというのは今回初めてで、
今回の映画に関してはですけど、なおかつしかもそれが岐阜で実現したという、
地元愛あふれる。
そうですね。あふれだして止まらない感じでしたね。
みんなマイク握ったら離さないみたいな感じですね。
そうでしたね。一人一人の持ち時間がたっぷりとあって。
すごい楽しかったです、全部が。
土の子のこと、岐阜新聞の記者やっておきながらあれなんですけど、実は土の子フェスタとか見に行ったことがなくて、
動いている映像とかもあんまり見に行ったことがなかったんですけど、
ものすごい人数が来られて、何なら住民の方、人口より多い人数の方が押し寄せるということで、
あれだけの盛り上がりになるというのが、なかなか岐阜県も広くて、離れた地域にいるとあまりピンと来なかったりする方もいらっしゃるのかなと思うんですけど、
あれだけ人を引きつける理由って何だと思われます?
何なの?多分そのあたり、東矢川村の人は分かっていないかもしれないですね。
なんでこんなに人が来るんだろう?みたいなことを毎年おっしゃってますから。
地元の方もちょっと困惑みたいな感じも。
最初は特に困惑してたと思いますね。
だから何人来るか分からずに、例えばおにぎり用意して、おもてなししようとかって言って、
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最初は第1回の時は始めたんですけど、もう開始15分くらいでおにぎり全部売り切れたとか言って、
慌てて家帰ってご飯炊いて握って戻ってきたとか、そのような話もお聞きしているので、
だんだんふるさとの味であったりとか、そういったものを相手に、
よそから来た人に振る舞うみたいなのが、多分当時から始まったんだと思うんですよね。
もう30何回目かを迎えて、今ではもうみんなベテラン行きですよ。
35年くらい前から平成元年に第1回があって、そこから脈々と続いてきて、
コロナ禍でお休みの時期もありましたけど、去年が4年ぶりに開催になって。
そうですね。去年が確かに。
もうちょっと茶化すじゃないですけど、
別にいないんだけどみたいな前提でイベントとしてやっているものなのかなって勝手に思っちゃってたところがあったんですけど、
作品拝見して思った以上に価値なんだなっていうのが。
そうですよね。
今日の映像は僕会場で拝見しなかったんですけど、
4,000人以上集まった2019年のイベントの映像、映画の中で含まれてますよね。
あの時、結構お客さんからドユメキとか出ました?
いや、なんかつらーっと広い画で撮られたあの様子とかちょっと言葉を失うというか、
息を飲んで見守っている感じが微妙にザカザカッとなるじゃないですか。
結構東京とかで上映中に見ていると、あそこの4,000人の姿がバーって出た時にみんなウォーっていう声が聞こえてくるので。
思った以上にみたいなところがあるんでしょうね。
なんかあれはいろいろ取材してみて、当時土の子捜索に至る前年から土の子騒動が起きているんですけど、
目撃者がたくさん出てきて、土の子を探そうっていう人が出てきたんですね。
その人たちは主に土の子探そう会っていうメンバーを作って、そこで土の子を探していくんですけど、
その人たちは本当に真剣なんですね。
例えば親兄弟妻が見たっていうのを証明したいっていうような思いで探していて、
もう一方でこれを村起こしに利用できないかっていうふうに考える人がいて、
ちょうど1988年であったのかな。
伊布未来博があったときに東赤村を紹介する機会があったらしいんですね、そのイベント会場で。
それで何を紹介しようかっていうので、東赤村の人たちがいろいろ村内で話し合った。
多分それが最初の内側で東赤村をどうやって外にアピールするかっていう最初の機会がそこであって、
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今までは買い物をするにしても他所の町部で買って村で消費するっていうような形だったものが、
他所から来てもらって東赤村のものを買ってもらう、そういう発想に切り替わった最初の頃らしいんですね。
そういうようなことで少しでも村起こしに利用できないかっていう人がいて、
もう一方でさっきの土の子を探そうかの人たちは真剣に探していて、
土の子を昔炭焼き焼いているときに倒した木に土の子が挟まって死んじゃったと、
かわいそうだと思って生けたっていう現象が昭和30年ぐらいのときにあって、
その話を昭和30年ぶりぐらいに掘り起こして、その土を今ある土の子神社の御神体というか、
土の子創作イベントは毎年5月に開催しているんですけど、
その間にコロナとか大雨で中止が3回4回あるんですね。
でもイベントは中止になっても、その土の子神社での祭礼は毎年欠かさずやっているんですよね。
祭礼がセットなんですね。
そこの両輪がちゃんとあるから、何て言うんですかね、踏ん張りどころがあるというか。
であれよあれよという間に200人だった参加者があっという間に再生期は4,000人。
今年も2,500人とか3,000人とかという数字は聞いているので。
だんだん会場に収まりきらなくなってきているという話もありますもんね。
映画の中では他の地域でも土の子を街を越しに活用しようという動きもあるというふうに、
いろんなところに取材に行かれていますけれど、
なかなかこの東白川村のようにうまくいっているところというのは。
そうですね。
土の子創作イベントの主催者が東白川村の場合は村が主導していますけれど、
よその地域で言えば、例えば奈良県の下北山村は、
村はバックアップしていますけれど、民間のグループがやっていますし、
同時期に広島県の上下町、県府中心の上下町のところは村が主催しているけれど、
2年目3年目のときに捕まえちゃいけないとか、
そういうたたりがあるというような土の子を探すイベントってどうなんだとか、
あといるかいないか分からないようなものに、
行政がイベントの中でやるのはいかがなものかとか、いろいろなクレームが入ったみたいで、
それでも2年で辞めてしまったとかというふうに聞いているんですね。
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だから地域の温度差というかいろいろあるんですけれど、
東赤村はそれまで地域のマスコットキャラクターとしても活躍していたゴスケのイベントがなくなって、
土の子に置きかかっていくという。
どっちを村の顔にしていくか、そうそうみたいなのがあったりとか。
もともと映画の中にも出てきましたけど、神の使いとしてちょっと恐れられるような対象でもあったりとか、
あんまり公害しちゃいけないみたいなものだったりとか、
見たという証言だったりとかがあんまり表に出てない頃というのが続いていた時期もあるわけですね。
そうですね。映画の中でも東赤村ではもともと土変備というふうに呼ばれていた存在で、
多分72年とか3年ぐらいに山本聡之さんの描いた逃げろ土の子とか、
鶴口三平を描いた作家は誰だったかな、漫画家の矢口孝子か、
幻の怪獣はバチヘビとか、
あとあれですね、滑って転んでっていう小説、
田辺聖子さん。
田辺聖子さん、あれのレンドラなんかもその頃に、
その後ドラえもんなんかでもやっぱり土の子というのがワーッと世に知れ渡る時期が70年代にあるんですけど、
その頃まだ東赤村の人たちは土の子ってそんなのがいるんだって思ってて、
自分たちの田舎の土変備とイコールじゃなかったんですよね。
それが88年に今井時朗さんという人が見つけたものがどうやら土の子らしいと。
それは今まで村では土変備と呼ばれていたっていうのが、
土変備と土の子がイコールになった。
でもそういうのは隣の東赤村の東側にある鹿島の地域だと野土地って呼ばれていましたし、
また南の築地町だと変備の大将って呼ばれていて、
東赤村の南の白川町黒川というところだと転がり変備っていう。
みんな土の子の名称が細かい地域から見ていってもその呼び名が違うんですよね。
分布図みたいなの出てきましたよね、その地域ごとに呼び名が違って。
割と全国で呼び名が強くなったりとか。
どうしてもイベントとして触れることが多いので、その土の子フェスタであったりですとか、
いないんじゃないのっていうのを前提にしていろんなことが進んでいるように思い込んでいたところがあったので、
いろんな方に取材して、見たっていう実際の証言だったりとか、文献が残っていたりとか、
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出てくる情報一つ一つが衝撃的にあったんですね。
そんなにガチなんだっていうのがね。
かつては多分土の子は今でいうユーマに代表されるような未確認動物っていうような側面じゃなくて、
妖怪としての側面が強くて、
怪しげになるものというか、いるかいないかわからないような存在か、
いるかいないかは本当にわからないけれども、いるというようなものっていっぱいあるんですよね。
そういうのがだんだん本当に生物上存在するかしないかに振り分けられてきたのが
多分70年代ぐらいからだと思うんですけど、
それ以前の土の子だけじゃなくて、
例えば狐に騙されたとか、カッパに足引きされたとか、火の玉を見たとか、
いろんな話を聞いていたので、
そういうような存在の一つに過ぎなかったと思うんですけど、
だんだん土の子っていうのが一人歩きしていったのかな。
しかも自然がいろいろ開発とかいろんな形で失われていく中で、
土の子が一つの消えゆくとか変わりゆくようなものの中に存在していた、
生き物として世に出ていったような感じがしますけど。
イベントじゃなくて、土の子そのものがどうやって語り継がれてきて、
語られなくなった時期もあったかみたいな、
そもそもブースの部分っていうのはすごく生地にいろんな方に取材して、
実際に声をつないでこられている情報量も多くて。
そうですね。面白いですよね。
本当に全国で40個くらい名前が様々なバリエーションがあって、
山本漱石さんが調べた地図にも載っていないような呼び名を各地で取材中に聞いたりしたので、
本当はもっとたくさんあるはずなんですが、
でもそれらがある時代に山本漱石さんの逃げる土の子以降、
土の子に集約されていくっていう、それも面白いですね。
そうですよね。
全国統一を果たしたみたいな感じですよね。
今、他の名前で呼ぶ勢力が出てきているので、
結構なかなか簡単には倒せなさそうですよね。
そうそうそう。
河童なんかも河童とかガラッパとかいろんな呼び名で呼ばれているのが、
ある時代から河童でみんなのイメージが統一されていくんですよね。
統一されたっていうのがあるわけですね。
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九州の鹿児島では河童のお祭り行事、この前僕取材したんですけど、数年前か。
その時も決して頭にお皿があるわけではなくて、
でもやっぱり川のそばで水難事故の起きやすい場所で、
水神様として祀られている水神の碑があるんですよ。
そういうのはいくつもあるような場所なんですけど、
そういうところで、逆にそうやって裏を返せば水難が多い地域なんですよね。
水難が多い、あるいは水害が多いところっていうのは、
山からいろいろな肥沃なものを洪水時には、
田畑に流された洪水で被害に遭った土砂が、
次の作物の栄養になったりとかして、裏表があるんですよね。
そういうところで水神様が祀られているんだけど、
水神様になりきれなかった存在として、鹿児島というのがいて。
そのカッパが時折人間がいたずらをして足引っ張ったりするんだみたいな感じで、
そこでは水難事故に遭わないとか水害に遭わないために、
1年に1回子供たちがカッパを川から招いて、
1日相撲を取ってお帰りいただくという行事があったりとか、
それはガラッパって呼んでいましたけど、
そこも土の子と一緒で、今ではカッパって。
カッパだとどうしてもみんなお皿があってとか、きゅうり持っててとか。
だんだん形作られていったイメージなんでしょうね。
名前もそうですし、姿形もそうですし。
この映画、9年前に一番最初に取材を始めたときに、
新聞の織り込みで、東山川村だけじゃなくて近隣の地域に
土の子を見た人いませんかっていう感じで呼びかけしたんですよ。
広告に織り込んでもらったんですけど、
そしたら結構いろんな人から反応があって、
裏面にイラストを描くようなスペースも作ってあって、
そこに土の子じゃないかと思うようなものをみんな
バリエーションを描いてもらったんですね。
そうすると、僕らが思っている頭があって、
胴体がぷくっとしてて、お尻がキュッとしてるっていうような
土の子じゃない、もう様々な土の子像を描いてきてるんですね。
年配の人たちが特に。
でもそれを取材中に、中学校でも同じようにアンケートで
土の子の絵を描いてくださいって書いてもらったら、
みんなほとんど東山川村の土の子のマスコットキャラクターの
土と残りの絵を描いてくるんですよね。
もうそっちのイメージに取り変わっちゃってるわけですね。
だから土の子が土へんびって呼ばれていた時代の土の子のイメージ像と
土の子と呼ばれている今のイメージ像がそれだけでも変わってますから、
なかなか土の子の真意に到達するのは大変だったという。
土の子ひとつとっても世代間ギャップがあるわけですよね。
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そうですね。
証言もいろんな方に取材されて、最初のお父様に始まり、
いろんな住民の方であったり、国益情報でありましたけど、
あれを伺っていると本当のことを喋っているなという感じがしますよね。
あまり嘘をついてもメリットがないですね。
こうやっているぞというふうに伝わってきたのは、
その人はそんなに嘘をつくわけないでしょうみたいな感じの
信憑性で語り継がれてきているところがあるんだなというふうに思いました。
そうですね。本当そうだと思います。
自然に生きをしてというか、自然に接しながら生活している東赤尾村の
特に年配の人たちなんかは、
常に家の身の回りの自然と接しながら
お米を作ったり野菜を育てたりしてますよね。
田んぼなんかでも、水を張って朝見に行くと
いろんな足跡があるんですって。
この足跡はイヌシシだなとか、これは猫だとか、
だいたい分かるらしいんですけど、
毎年毎年向き合ってますからね。
でも、例えば見たことがない足跡があったって、
何だか分からないとかっていうのは、
やっぱり不可解なものっていっぱいあるんですよ。
そんだけ自然と毎日顔を合わせても。
いつもとちょっと違うものが目に入ると。
そういう小さな変化はすごく敏感に感じてて、
でも分からないものは分からないじゃないですか。
そういったものを了解していく中に、
やっぱり土の子の存在っていうのも、
普段、しょっちゅう会うわけではないので、
不可解なものを見たっていうのが、
やっぱり沈殿していってるというか。
それは、僕が土の子の取材で山の中を歩いているときに、
偶然ですけど、白骨化した、角の生えた顔の頭骨が発見したんですよ。
それ見たときに、僕はもう2本の角があったんで、
あ、もう鬼だって思ったんですね。
鬼の頭蓋骨があるって思ったんですけど、
でも思って、あれ鬼の頭蓋骨なんてあるわけないって。
鬼ですもんね。
あるわけないって思って。
でもなんだろう、いかにも鬼としか思えない骨はあって。
後で調べたら、インターネットとかで調べたら、
カモシカの頭骨で。
鹿とかは毎年骨が生え変わるんですけど、
頭骨から直接伸びている骨がカモシカの骨なんですね。
角なんですね。
カモシカってそうなんですね。
そういうのが朽ちて骨だけになっているのを見たときに、
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僕が鬼だって思ったような連想は僕だけじゃないと思うんですよね。
もちろんそれがカモシカだって分かる人はカモシカかもしれないけど、
その不可解なものとして。
その後いろんな鬼の伝承話聞いたときに、
あれもしかしてって思うかもしれないし。
だからそういう不可解なものがいっぱい自然の中にはあるというか。
それをひとたび目にすると、誰かに喋りたいというか、
引っかかりにずっと残っていくものなのかもしれないですね。
トークショーでも話題になりましたけど、
監督ご自身も血の子をご覧になったことがあるということなんですね。
13歳ぐらいのとき。
でも僕も確信を持って土の子だって言えないというか、
口で説明することしかできないので、
土の子だとらしきものを見たのは間違いなくて、
それも科学的にいろいろ理由づけて思うと、
山なめくじ、あれも20センチぐらいになるんですよね。
あれだったんじゃないかな、なんて思ったり。
いろんなものを調べて、自分が見たものを納得させたいんですけど、
それらしい一致するものがないので。
本当に前行登山でクラスの友達と一緒に坂道を下っているときに、
斜面の岩を剥がしながら遊んでいて、
その剥がした岩の中に20センチぐらいの黒びかりしたものがあって、
生きているか生きていないか分からなかったので棒で突っついたら
ムニムニ動いて足元に転がれ落ちてきたんですね。
それが転がれ落ちてくる描写が、
自分がおばあちゃんとか近所のおじさんから聞いていた土の子は
コロコロ転がってくるとか、見たらバチが当たるとか。
そういうのといろんなものがそこで蘇ってきて、
何か分からないってやつがツンツンしてて、
転がってきたときに土の子かもって思って、怖くなって逃げちゃったという。
逃げるしかないですね。
そのとき土の子だという感動とかより先に恐怖が多分しますよね。
今だったら誰かが土の子だと言ってくれればそういう目で見るかもしれないですけど、
何か分からないものでしたね。
あといろいろ取材していて、人間は恐怖というのを大きさで見た目以上に大きく表すというか
記憶されると言っていたので、
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だから僕は20センチくらいだと思っていますけど、
それは多分頭の中で30センチ40センチに当時の僕はしていて。
膨らみそうで確かにちょっとインパクトがありそうですもんね。
そうなんですよ。
なかなかそうやってインパクトのある経験をしても、
いろいろ思い返してそれが土の子なんじゃないかって思ったときに、
なかなかそれを伝えづらいところもありました。
そんなにいるわけないじゃないとか、
マイナーな反応、リアクションがいろいろ聞きそうな感じがしますよね。
友達と2人で見ているのに、その友達も多分その後2人で
あれ、土の子だったよねみたいなことは喋ったと思うんですけど、
次第に話題にしなくなりましたし、
見たその日の夜に僕は両親に喋っているんですけど、
なんか鼻で笑われて、多分その会話はもうスルーされたと思うんですよね。
そういうのを知らないうちに忘れちゃっていて、
完全に記憶から抜け落ちていたんですよね。
それを今回の映画の取材の中で、
目撃者の人たちから話を伺っているときにだんだんそれが蘇ってきて、
目撃者の人たちは実際に現場を事細かに一生懸命描写しようとしてくれているので、
その風景を僕は耳で聞きながら想像を重ねようとする、
その行為の中で自分の記憶も蘇ってきたというか。
ご出身が東白川村なので、
いずれ映画監督として撮りたいテーマではあったのかなというところで、
そのへんのご経験が割と元になっているのかなと思ったんですけど、
そうではないですね。
築の子は絶対に映画にはしたくないと最初は思っていたので、
東白川村のお店だとさえ、
それくらい僕にとっては話題にしてもらいたくないというか、
東白川村が地域おこしで築の子を観光資源として利用しているというのが
すごく嫌だったという時代が長かったんですよね。
仕事であちこち地域おこしの先進地のようなところに取材に行ったりすることがあって、
だからここは文化面でとか経済面でとか、いろいろな生産能力を高めてとか、
地域おこしがそういうところで直結して身を結んでいるような成功例をいっぱい見てきている中で、
東白川村は未だにいるかいないかわからないような存在を探し続けているって、
全然地域おこしにすらなっているとかどうかってずっと疑問だったんで、
だけどこの9年間の取材を通して、
そこに対する東白川村の地域おこしに対する見方も、
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説実さを含めて変わりましたね。
中々形のないものを売りにしてPRするっていうこと自体も珍しそうですよね。
そうですよね。
民族の研究者の先生に教えてもらったんですけど、
民話収集とかそういうことを研究されている、民話とか神話とかを研究されている方で、
物語の法則っていうのがあって、最初に欠損があるんですって。
存在はあっても実際に例えばいないとか、土の子がまさにそうですよね。
いろんな人が見たり聞いたりしているけど実物がない。
その欠損を埋めようとしていろいろ土の子捜索イベントをしているけど、
でもこの行為は必ずその結末がないんですよね。
見つかったっていう、そこで多分物語は終わるはずなんですけど、
見つからないからずっとその捜索イベントは続いていくし、
土の子に対する魅力も尽き果てないというか。
上手に東谷川村は付き合っているなと思いますけど。
これだけ長く続いてきているわけですし、来年と続いていくわけですけど、
来年がちょうど見通しになるんですよね。
そうなんですよ。見通しですね。
盛り上がると思いますよ。
PRにもちょっと熱が入るところがあると思いますが、
今井監督ご自身としても、先ほどのトークショーで質問の中で、
期待の声というかね、続編を。
ちょっと気が早い話になる気もするんですけど。
そうですね。土の子はでも、
そのパンダが150年前に見つかって、
あのパンダも存在としては知られていたんですよね。
そういうものがいるらしいって、
特にヨーロッパの人たちからもそういう噂があって、
実際にそれを発見されているわけで。
ヤンマルクイナも同じように、
そういう存在だけは地元の人には知られていたけど、
実際に見つかったのは1980年とか。
いろいろそういう、いないです、
思われていたものが実際に見つかるというケースがあるので、
そういう意味では土の子はいてもおかしくないかなって思うし、
あとそのいる、いないで片付ける現代人の物差しではなくて、
星の王子様という童話があるじゃないですか。
あの中で少年が絵を描くんですよ。
シルクハットみたいな絵を描くんですよね。
大人たちはみんなその絵を、子供が描いたその絵を見せると、
大人たちはみんなそれ帽子だって言うんですよ。
だけどその子は帽子じゃなくて、
象を飲み込んだ上浜というか、ボアという大蛇だったんですよね。
だけど、実際に象を中に描いてみせれば大人は本当だって思うんですけど、
でも本当のことっていうのは見には見えないっていう、
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なんかあるじゃないですか。
それと同じような感じで、
きっと土の子を探していけばすごく大事な部分に行き当たるというか、
僕の子供時代に温めてきた大事な部分とか、
そこはもうちょっと掘り下げたいなって思いますね。
第二部が続編があるとすれば。
確かに皆さんその土の子を探しているようで、
土の子だけに象徴を合わせているわけじゃなくてという感じがしますよね。
その風景の中で、あれだけの人だかりの中で、
その雰囲気を楽しんでいるというようなところもあるわけですよね。
年々土の子の創作イベントが盛り上がっていく一方で、
東赤間村の人口はどんどん減り続けているし、
将来10年後、20年後、どうやってこの村を成り立たせていくかという課題の設立さは、
どんどん増えていくばかりなんですよね。
その中で創作イベントをやり続けている東赤間村の思いというか、
そういうのも持続編ではしっかりちゃんと見つめていきたいなと思いますね。
最後にリスナーの方に、これから映画をご覧になる方だったりですとか、
これからその土の子自体に触れていく方もおられるかなと思いますので、
一言メッセージをいただけたらと思います。
ありがとうございます。
シネックスでは2週間しか公開しませんので、
シネックスマボは来週から7月4日からですかね、
それも2週間なので、この2週間の間にぜひ見に来てくださいと。
これは劇場で見てほしいんですよね。
土の子の話題で東赤間村のことを多分皆さんそれなりに知ってくださっていると思うので、
見たらああこういうことかって絶対思ってくれると思いますし、
遠い東赤間村の話ということじゃなくて、
多分自分の住んでいる身の回りの地元と置き換えることができると思うので、
ぜひ応援してください。
はい。
お願いします。
今日はお時間いただきましてありがとうございました。
ありがとうございました。
認識を改めます。
土の子、想像以上にガチな世界でした。
映画を拝見して、監督にもお話を伺って、
私も経験に土の子なんていないとか言えないですもんね。
奥の深い世界をまた一つ教えていただいてしまった感じがしています。
さて、今井監督もおっしゃってましたが、
オラガ村の土の子想像記、ギフシネックスでは、
本日6月29日から7月12日の金曜日まで上映されます。
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それから岐阜県関市にありますシネックスマーゴ、
こちらでも7月5日金曜日から18日の木曜日まで上映があります。
ぜひ皆さん劇場で、土の子の世界をどっぷりと使っていただきたいと思います。
ということで、今回は今井智樹監督のインタビューをお伝えしました。
ご案内は、岐阜新聞社報道部の山田俊介でした。