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episode.86 シネマ203 高水美佐さん 後編
2026-09-30 1:32:03

episode.86 シネマ203 高水美佐さん 後編

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今週のゲストはシネマ203の高水美佐さんです。


本町文化堂の嶋田さんと収録に参加してくれています!


どうぞお聴きください💁‍♂️


talk topics


ツイン/映画って見世物やからね/和歌山大学の広報/仕事/きのくに音楽祭/シネマ203オープン/最小単位でやる/映画にまつわる本格的な体験


番組のオープニングとエンディングの楽曲はお寿司のともみさん @osushinotomomi のアワーヤングです。


楽曲が気になった方はお寿司のともみさんの通販サイト、Spotifyをチェックしてみてください。

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サマリー

高水美佐さんが、フランス映画社やツインでの映画宣伝・全国配給の仕事を振り返り、「水の中のつぼみ」「戦場でワルツを」「白いリボン」などを担当した経験を語る。映画業界の縮小を機に和歌山大学の広報マネージャーとなり、学生広報チームやコロナ禍の大学広報を通じて、若者との関わりや仕事の本質を考えるようになった。きのくに音楽祭での経験と、和歌山の文化拠点だった風呂なしアパートの一室をきっかけに、2023年に一人でCinema203を開館した。Cinema203では、固定費を抑えた最小単位の運営と、スクリーンや音響を含む「映画にまつわる本格的な体験」を重視している。1作品203人を目標に掲げ、和歌山の映画ファンやジストシネマの存在が劇場を支えていると話す。上映作品は話題性だけでなく、将来の映画に影響を与える作品や、映画館で見る価値のある作品を基準に選んでいる。今後は上映回数や運営体制を見直しつつ、映画業界の外から新しい映画が生まれる可能性や、仕事の技術を次世代へ口伝することにも期待を寄せる。最後に、Cinema203の将来を客や友の会と相談しながら考え、和歌山の映画史や文化の記録も残したいという思いが語られた。

ツインと全国配給の仕事
僕、全然映画興味なかったんですけど、ほんまにちょっと見たくなってるんです。 ミレイ ほんとに?
そう、なんかね、もうオシャレな人、映画見てたんだよね。 まあ、じゃあちょっと上田さんのために、旅芸人の記録を始めようかな。 ミレイ 記録をね。
教育。 ミレイ あれは、1本目に見ると彦からも知れんね。 ギリシャ近代史を描いた壮大な人間ドラマ。ちょっと興味ないかも。 ミレイ なんていうかね、圧倒される。 4時間半。
実際に何の説明もない。ギリシャの近代史に対して。 ミレイ それがいい。それをああやって公開したのがすごいよね。
4時間半見ても、誰一人登場人物の名前を覚えることもなく、関係性もよくわからないまま、ただただ辛いことが起きてるんだろうな、ということだけがわかる。
ミレイ あれを見たら、旅芸人を見た人生と見ていない人生の2つに分かれる1本ではありますね。見たということを忘れる人はいない。そういうねじ伏せられるような、自分の人生を考える糸間なんかなくなるような、その映画に覆いかぶされる体験なんですよね、フランス映画社の映画ってね。
映画知識ゼロの僕みたいな人に。 ミレイ むしろね、そこを目指してやってたっていうのが、あの会社の素晴らしいところだと思います。知らない人を前提に、知ってるのが当然みたいな高びしゃな態度は一切なかったと思う。
まあでも普通に恋する惑星から見たらいいんじゃないかなと思います。ミニシアター風の。 ミレイ最初はね、なるほどね。私とかはだから、恋する惑星にそんなに驚かなかったんで。 まち世代やからね、完全に。 ミレイ そうそうそう、もっと若かったらガツンと来てたかもね、と思う。 見る年代とかによって。 ミレイ めちゃめちゃある。
どうなっちゃうやろ。 ミレイ そう、でもまあ大阪の配給会社が拾ってくれたおかげで、その会社は配給ってね、東京でしか動いてないんですけれど、配給を大阪からやってた会社。 大阪の会社は? ミレイ ツインという会社。 ツインは大阪の会社って知らんかった。 ミレイ そうでしょ。だからね、東京の配給会社と組んで、2個1でやってたんですよ。共同出資して。
で、配給はそっちに任すから、テレビの営業と関西の宣伝やろうかみたいなので。で、他の配給会社の宣伝も引き受けて関西で宣伝活動をしてたところに拾ってもらって。 イメージやけどさ、ツインってアクション映画多くなかった? ミレイ うん、あのツイハーク。 そうやんね。90年代とか0年代で、面白い香港アクション映画は半分ぐらいツイン配給やったと思う。
ミレイ そう、だから香港の映画のことはツインが一番詳しいみたいに一手に引き受けてた会社。 ヤンヤンそうよね、未だにそうよね。 ミレイ そうです。ツインはね、今はハークっていう名前になっている。私が働いてたツインは。なんでツイハークになってるか。 ツイハークっていう香港のイケてるアクション映画の監督が。レジェンドレジェンド。
ミレイ そう、それでそれがもうフランス映画社とマグヤックの会社で、あそこの社長から教わったことは本当に多いです。 一番東京の文化っていうようなことをやってた会社から、いきなり香港とかアジアのオッシャーの寒風、爆破、自由アクションみたいな。
ミレイ コースさん、映画って見せ物やからねっていう会社で、本当にあそこから教わったことの方が大きいとも言える素晴らしい会社でしたね。そこで宣伝をやりながら、東京の時は全くわからんかったけど、関西で映画を見てる人っていうのはこういう感じなんやっていうのと、関西の映画にまつわるマスコミの人っていうのはこういう感じなんやっていうことに衝撃を受けながら。
どういう感じなんですか? ミレイ なんやろう、やっぱり東京からは見えてなかった関西独特の狭さみたいなものはやっぱりあって。 映画家の人間付き合いとか含めた上でってこと? ミレイそうですね。で、その時に結局すごい景気がどん底みたいになるんですよ。2006年以降、リーマンショックを挟んで。
日本全体の景気? ミレイ そうそうそう。めちゃめちゃ世界的にもそうやと思うけど、すごく貧乏な映画配給。予算がね、ざっくり3分の1ぐらいになってたかな、映画配給にかけるお金がね。びっくりするような。
で、その中で結局ね、2社で組んでみたいな買い付けできないから、もう自分たちでやろうってことになって、全国配給をちょっと任せてもらうことになって、フランス映画社で見よう見まねで学んでたことを実践に無理やり移さねばならないみたいなことを大阪から一人でやってたんですよ。
じゃあ、買い付けから。 ミレイ 買い付けはね、担当がいたの。もう彼女は本当に優秀でね、今も信頼している配給者の一人なんですけれど、彼女が買ってきた映画を全国配給するっていう仕事に挑んで。 当時覚えてる作品ある?
ミレイ 配給?最初にやったのがね、「燃える女の肖像」とかって映画あったら覚えてる?フランス映画の。「燃える女の肖像」って? ミレイ 最近のね。
めちゃくちゃ最近よ。 ミレイ そうそう、あれの監督のデビュー作を、ちょっとLGBT系の女の子が女の子を好きになる映画だったんですよ。
水の中のつぼみっていうタイトルで配給したけど、それが最初のミッションやったから、工業会社の担当とかも入れ替わって来てたし、今まで付き合ってない劇場との話になったんで、そこで自分の前歴がどうっていうことは言わずにやろうと思ってやってた。
で、その後、韓国映画の公開なんてしないという、ちょっとハードゲイの映画だったけれども、あれを配給するとかをやっていて、で、その後、大きな作品では戦場でワルツゴっていうイスラエルの映画を一人でやる、これはこれで大変だったんですけど、で、その後に。
赤いデビュー賞を取った。 水の中でデビュー賞を取ることになった、本当にゼロ年代を代表するアニメ作。 ミレイ 赤いデビュー賞ね、取らなかったよね。
ミレイ あの時、オクリービートが取ったから。それで話題になったんだけど。そうそう、それの後に、戦場でワルツゴの時に、ここまで儲けなあかんかったな、ここまでしかできなかったなって思った悔いがあったんで。
でも戦場にワルツゴ、それなりに入ったんじゃない? ミレイ それなりには入ったんだけどね、大台声なあかんかったなっていう反省が自分の中に残って。
ミレイ その翌年、ミハイル・ハネケの白いリボンっていう映画をやることになって、それで目標をやっと超えた辺りまでツインに専属でお世話になってた。 ツインの中でも、がっつり文芸が流行ってるやん。
ミレイ そう。それを買ってきてたよね。
福田さん、本級は具体的にどういう手順でやっていくんですか、その宣伝とか。
ミレイ 大阪でやった時は、まず東京のメイン館を決めないといけない。東京ではどこでかかるのかっていうので、全国の劇場をかけるかどうかを、その当時はまだ決めてたんで、その映画を東京の劇場に営業する。
だから工業会社に、月に4回ぐらい東京に出張行かせてもらいながら、その劇場に交渉して、大体今が9月だから、もう9月だったら来年の春休みぐらいの感じで抑えるかな、ギリギリかなそれもね、みたいに決めて。
で、その後は全国の劇場に、何月にどことこの劇場でやることになったから、これ上映してもらえませんかって言いを押しつつ、片方でタイトルを決めて字幕を入れて、チラシ作って、予告編作って、マスコミ記者を東京の宣伝会社に協力してもらいながら、東京でやって、て流れたんです。
このプレス資料を作って。
東京のどこの映画館でやったかによって、地方でどこでやるかっていうのは決まってた?
その当時はね、決まってた。
どういうことですか?
今はだから、1館あたり上映してる作品がめちゃめちゃ多いでしょ。
だから、どこどこの劇場って言うんじゃなくて、一斉にミニシアター何館かで開けるんですよね、今初日をね。
だから、地方の劇場もあれもこれも入れといて、流行ったやつ伸ばそうみたいな感じで上映してるから、シネコンスタイルですよね。
なんで、崩れてきてますかね。
当時はだから?
当時はだから、やっぱり強い劇場っていうのがあって。
人がこの映画館で勝てたらコネクションで地方で勝てるんじゃなくて、格があってっていうこと?
この映画館で勝てたっていうことは、あ、じゃああそこの映画館で勝てるんだったらこれ絶対いいやつかすごいやつやろう。
だから、地方の映画館があそこで勝てた映画やったら、うちもあそこに入る。
そうそう、そういう感じです。ありがとうございます、会長。
人が入る指標というか、映画館の人もあそこを信頼してるみたいな。
そうそうそう、あります。
例えばTシャツ買うんやったら、あそこのセレクトショップで入れてるからっていうので、ちょっと買いたくなるとかあるでしょ。
あれと一緒かな。
映画館にもちゃんとブランドがあったっていう。
ブランドがあった、そうそう、上手いね、本当に。その通りです。
そうそう、そんな感じでやってて。
で、本当にどん底になってしまった映画業界だね。
でも買い付け額は下がってきたから、割と個人、小さい規模で始められる仕事にもなったんで、配給会社は無数に増えて。
自分で買ってきて、2、3館で買てれたら、最悪元取れるかなみたいな時代がつくって。
いや、どうなんかもわからんけどね、なんかもうちょっと昔の映画と違うなみたいになって。
で、そこで一旦和歌山に帰ろうかなと思って。
もう私の映画の時代は終わったんだ。
和歌山大学の広報と学生との仕事
そう、一番終わったと思ったのは、今ちょっと映画化させてもらってる配給会社でもあるんですけど、
こんなすごい配給会社が出てきたんであれば、私みたいな古いものがもうやらなくていいんじゃないかなって思った機会もあったんで、
一旦映画の仕事を封印する。
それ30代まだ?
いや、もう40代になった。2013年やからね。
40代前半ぐらいで、老平は去るみたいな、そんな心境になった?
もともとあんまり役に立ってなかったとは思ったけれども、それで和歌山大学に拾ってもらって。
それはどういう流れで?
いやなんかね、その配給会社の仕事を受けさせてもらいたいなっていうところがあったんで、
食いぶちは他で探そうかなって気になったんですよ。
映画の仕事をあそこからもここからもフリーランスで受けるっていうんじゃなくって。
食いぶちはある状態で、どんなにギャラが少なくても、あそこの仕事だけちょっとやらせてもらわれればいいかなって思うのがきっかけだった。
配給会社の社員として残るんじゃなくて、何かしらの仕事はしたいし、個人では受けたいけれども、
それだけでは食っていけないから、やったら別で自分で食いぶちをちゃんと就職してっていう。
そうそう、考えてて。
しかももうこの年になったら、目指してた東京に一旦どこかのタイミングで戻るっていうことは不可能やろうから、
死ぬまで和歌山で暮らすんであればどうやって生きていけるのか、しかもいつか映画の仕事ができるのかっていう2つを考えるためにと思ってたら、
ちょうど和歌山大学求人出てるのを人から聞いて、応募してみて。
で、何か拾ってもらって。
それはどんな仕事やったんですか?
広報マネージャーです。
広報マネージャー。
広報の仕事をしてきたから、そのプロとして大学の事務方で就職したっていう。
そうそうそう、そういうことです。
今国立大学とか国立の機関って、5年任期で専門家を雇うみたいな枠があるんですよね。
いろんなふうにね、そこにうまく入れてもらって、予期せぬ仕事をすることになって。
大学職員で。
大学職員で。
すごく勉強になりました。和歌山のことも勉強になったし、
何より学生たち、私たちがターゲットと呼んで、
若者に見せたいってしてた人に何一つ届いてないっていう現状を。
映画で言ったら、80年代とかまだ若者のカルチャーだったのが、
どんどんとね、ニセナイコ若者が映画から離れていって、
映画配給活動したらもちろん若い人たちに見て欲しいし、
爆発的なムーブメントを作りたいけど、なかなか作れなかった。
若者を相手にできてなかったのが、いきなり若者しか相手にしない仕事に続いてしまうわけ。
人付き合いが苦手だから、一般の方とやり取りするとか絶対無理と思ってたのに、
一般の方にもまだなってないような人たちと毎日過ごすみたいな。
メインの仕事は大学の候補っていうのは、一番のメインはどれだけ受験生を増やすか?
そこも曖昧やったね。
でも受験生に向けてどんな大学かわかるようにしたい。
受験生だけじゃなく、地域の方にも和歌山大学何してるのかわかるようにしたいっていうようなことになってたみたいでしたね。
どんな仕事をしたんですか?具体的には。
学生候補チームっていうのが当時ありましてね、
自分が通ってる大学をPRしたいっていう学生たちと一緒にホームページを何たらしたり、
大学見学に来る高校生たちに大学のこと話したりっていうのがあったんで、
それをやってもらう仕事とか、大学案内を作るとか、
教授の紹介を工夫するとか、そういう仕事かな。
それをやりつつ、時々フリーランスで。
いや、全くできなかったっていうのは、大学生っていう人たちが何も知らないし、好きなものもないしみたいな状態から、
ある人は大学時代に4年間でスポンジのようにいろんなものを吸収して、全くの別人になって卒業していくことに衝撃を受けて、
こんな本当に人生大事な時期に人の人生に関わる仕事やから片手間でできるなと思って、
完全に英語の仕事から離れるんですよ。
すごく意欲的に、私の人生の後半を作ってくれた仕事でしたね。
当時の和歌山大学の大学生たちにはすごく感謝しています。
カルチャー軍曹として君臨してたってわけ?
君臨してたね。
君臨してた。
なぜお前たちは映画にも音楽にもあらゆる文化に興味がないんだっていうね。
そんなことやってたんですか?
それは考えてた。
でもやっぱり音楽でも何でも人から勧められたものって興味持たないと思うからね。
自分でふと出会う、あるいは誰かからヒントもらって調べてみるっていう、
能動的なこっちからの一歩がないと自分のものにならないと思うから。
閉じるな、好奇心を広げろっていう感じの放送?
好奇心を広げたらいいなと思ってたし、
全員が今の段階でその好奇心に目覚めるとは限らんと思ってたから、
たまたま今大学時代にその好奇心が動き出した人に対して、
それを広げるんであればとことんまでいかない意味がないと思ってたんで、
手に届く範囲にあるもので満足するようではいけないっていうような気持ちでは接してたと思いますね。
そっと背中を押すとかじゃないよね?
全く。
全く。
結構ビシバシ。
そうそうそう。
飛ぶと決めたなら、ここから飛べっていう話でしたね。
先生みたいな感じだったんですか?
先生ではなかったと思うけれども、うっとうしかったとは思いますよ。
でも、自らやりたいって言って、学生広報としてやりたいですっていう人が来て、それに答えるっていうこと?
そうそう。でもみんなそんなにやりたくないことでもやりたいと思って選んでくるからね。
やってみるまでわからへんもんね。
でも、あるものの中から選ぼうとすると広報の仕事が魅力的に見えたって人たちが来たんやろうけど、
広報の仕事ってそんな耐えやすい仕事ではないからね。
なんていうか仕事ってもっと厳しいし、
あと学生から言われて衝撃を受けたのは、
途中でね、「香水さん、なんでそんなに仕事楽しそうなんですか?」って聞かれたんですよ。
で、びっくりして、楽しくない仕事してる人が世の中にいるって知らなかったから、
怖い怖い。
そう、この辺が軍曹なのか、機関兵なのか、
仕事って人生のほとんどの時間を費やすのに、
特に私とか死刑生活がないような人生になってしまったこともあって、
仕事ってほとんどの時間を使うからね、
夢中でないとできないよね。
私とか不器用やから、できればとことんやりたいし。
これだって、やっぱりこのテンションでラジオで語ってるからいいけどさ、
マジで会社の上司におったら、やばいパターンよ。
そうなの、そうなの。
知らしくわかるよね。
胸が痛いですね。
いや、だけど。
この手を取ってもらうと危ないよ。
危険やと思うし、
別に人生を楽しむっていうのは仕事じゃないことに賭けてる人は、
そんなことしなくていいと思うんやけど、
情熱を傾けたいって若者もいるわけです。
その子たちは、できればとことんやったらいいんじゃないかなと思ってて、
そうなる時期がいつ来るともわからないから、
一応そうなった時のための心構えについては、
死ぬほど繰り返して言った。
いつかつまづいた時に思い出せるものがないといけないと思ってたんで。
つまづかないと。
あの日のつらい軍事訓練を思い出す日が。
立ち止まる時に絶対来るんですよ。
私も何度もあったし、
やっぱりその時はゼロ地点に戻るっていうことを心がけてたから、
ゼロ地点がどこかっていうのを覚えておくようには、
すごく繰り返し伝えましたね。
それはサークル的な感じ?
サークル的な感じなんやろうね。
でも恐ろしいことだと思いました。
一つの大学の広報を学生にやらせるっていうのは、
学長の首が飛ぶからね、広報を何か間違えたら。
それは恐ろしいよね。不容易な発言とかもあるからね。
世間で言われているその炎上とかに対して、
どう対応するのか、マニュアルを作るみたいなことは、
本当に意味がないと思ってるんで。
なんかだから大学の理事から不調事が起きたら、
いや、角度はこのぐらいで謝ればいいんでしょ、
みたいな言われたことがあるんやけど、
いや、誠意見せてくださいって、それの一言やし、
そもそも不調事起こさないようにしてください、
みたいな感じだったかな。
私は割と鬱陶しがられるのは、
何事も本質まで考えたいっていうところなのが、
意外に時代に合ってると思うんですよ。
自分ではそう思ってる。
なるほど。そのチームの仕事というか、
活動は1年単位でやっていく感じですか?
いや、それがね、私は2年ぐらいしかやってはならないと思ってたんですよ。
のめり子もいるからね。
っていうのはね、大学生活でね、自分のことはやったほうがいいよ。
大学のことなんかより。
だから広報のことが自分のことと重なったり、
一致してるんであればやったらいいと思うけど、
でもできれば他のことも試したほうがいいから、
できれば4学年のうちの2年選びとは言ってたけど、
だいたい残るよね。
だから会わないと思う子は早く会うものを見つけて、
ぼっとしたほうがいいから、
特に推奨してなかった、やることをね。
そう思います。
だって私には会わない人は早く会う人見つけたほうがいいし、
やっぱ仕事の癖って最初の上司で決まると思うから、
だから会わないところでやっててもあかんと思う。
私はフランス映画社のしごきはつらかったですけれども、
それやりたいことやったし、
その人たちがやってる仕事が本当にいいと思ったから、
それを学びたいと思って喜んでやってましたけど、
それが興味なかったり嫌な仕事やったらやらんでいいと思うしね。
語られてなかったしごきもあったっていう。
しごきっていうか、
殴られたとかじゃないけど、
やりたくてやってるんだから。
いや違う、しごきっていうのは言葉の綾で、
そんなのは教えてなんかくれないから、
そういうことです。
自分で盗みに行くもんで、
自分でやってることやから。
そうそう。
見せてもらえるように。
その和歌山大学期はどれくらい続くんですか?
都合8年かな。
結構。
そうなんですよ。
何年から何年までって感じですか?
2013年から5年と、
その後東京に1年、
ちょっと武者修行に出て、
戻ってきてから3年間、
お世話になりました。
東京の武者修行は映画の仕事ですか?
そう、配信のことを考えないと、
今後映画の仕事できないやろうなと思ってた時に、
東京国際映画祭の枠が1つ、
3級大台が1個空いてて、
そこに拾ってもらって、
日本のいわゆるコンテンツというか、
映像作品を海外の配給の人に買ってもらうっていう、
窓口をやってた。
給食退職したん?
退職した。
人気、人気満了。
満了か。
そうそう。
で、1年またやっぱり映画ちょっと、
映画の世界行こうかな。
で、それはその後、
あわよくばって言ったらあれだけど、
AFの世界に行けたら東京で残るつもりは?
それはない。
もう1年自分に?
そうそう。和歌山でやるにあたって、
配信を教えておかないと。
和歌山でやるって何?
仕事をね。
映画の仕事を和歌山でやるっていうのは、
その時点で考えてた?
いや、ずっと考えてたよ。
だけど、東京から自住できるみたいな気持ちでいた。
5年間の契約があって、
働いてる間も、
片手間では映画はできるけど、
この人気が終わったら、
また映画の世界に戻ろうは?
戻りたいとは思ってた。
だから、映画館やってるのも、
割と映画館をやりたいですとかじゃなくて、
映画業界の片隅で何かできることがあったら、
やらせてもらわないかなっていう気持ちです。
和歌山でリモート的にというか。
そうそう。そういう仕事もあったからね。
それが何年?東京映画祭は。
2018年かな。
2018年。
で、1年東京行って。
平成の最後の年だった。
で、帰って行って。
だから、もう1回和歌山にも?
そうそうそう。
もう1回拾ってもらってでした。
それはもう1回同じ仕事というか、その広報。
その時はもう学生広報チームはなかったんだけど、
コロナが来てて、大学自体が開かれないっていうね。
広報より何より学生が大変やったと思いますけれど。
それも5年契約?一応。
そうそう。5年契約はね、
3年、2年の3年で更新するかどうかみたいな契約なんですよね。
でしたね、その時はね。
それがやりきった感はあったの?広報は。
そう、あと、そうです。
コロナがね、またすごい勉強になって、
学生がそんなことを気にせずに前に進んでる感じと、
大人の世界が割と前に進まない感じ。
大人の世界はだって、
えらいこっちゃ、こんなんじゃ大学できやんと思うけど、
現役の子からしたらそれが1回こっちの大学経験やから、
それがすべてやし、進めるしかないもんね。
だから、これからの世の中の将来を考えて、
これ大打撃やなって思いはあるけれども、
その中でも大学でそれを経験したことによって、
すごい希望を見た学生たちの姿と、
それから日本将棋連盟から勇気を得た。
日本将棋連盟?
はい。
あん時ね、オンラインで授業をするって話になってね。
でも学生たち一切来ないわけやから、
秋口ぐらいまで誰も来なかったのかな、そんな大学で。
いや、オンラインでね、
例えば、地方から和歌山に下宿してる1年生は、
どんな生活を送ってるのかな、みたいなのを、
辛うじで和歌山大学は寮があるから、
寮生からどんな生活なんかを聞きながら、
1日中パソコンの画面でYouTubeを流しながら、
たまに講義を受けてるのかっていうことを聞いて、
YouTubeを流しっぱなしってどんな感じなんやろうっていうのを、
今、203になってる部屋でやってみて、
YouTubeの情報がだんだん自分の好みに寄ってきて、
あ、私ここ好きやわっていうとこ、
YouTubeから勧められるってことを初めて体験したり、
知ってたかな。
将棋はね、将棋連盟よって。
将棋連盟はね、びっくりした。
えっとね、将棋って注目してます?
藤井壮太君のこととか。
YouTubeを見てる間に、将棋連盟のYouTubeの番組をたまたま見て話したってこと?
そう、それは多分そうだと思う。
そういうの?
きっかけはね。
なんやけどね、YouTubeを逆手にとってというか、
見たことあります?将棋中継とか。
見たことないっす。
ですよね、でも藤井壮太君の話題になってたのはなんとなく聞いてます?
あの藤井壮太っていうスーパーヒーローの登場をきっかけに、
まあ、アベマTVとかYouTubeが。
処理中継やりだしたもんね。
そうそう、中継やって、でそれをね、将棋は私一切わからないんですよ。
なんやけど、どっちが何パー勝つのよっていうバーが出て、
全然詳しくなくても。
どっちが優勢とかがわからないゲーム展開が。
いって2,3時間考えるときあるからね。
それをずっと見てるんですよ。
まあ、何回やりながらやけど。
で、何の手かはわからんけど、
AIが言ってる最前種を2時間の後に指すみたいなことでね、
すっごいドラマを感じて。
でね、見るショーと言われる人たちができて、
もう将棋一大ブームよね。
で、藤井壮太君が食べたおやつがめっちゃ経済効果を生んだりとか。
そのデメリットを乗り越えていく。
なんか世界が止まっても自分たちは進むっていう姿にすごく感銘を受けて、
これをやれてるのはどこなんやろうって考えだして、
1回そのテーマだけで大学の先生を紹介する冊子を作ったりしてました。
その活躍してるというか、コロナでも進んでる人を紹介する。
そうそう、コロナでも進んでるって文脈で、
学生が来てない大学をPRするっていうことを思いついて、
それはYouTubeで紹介するとかじゃなくてね、
いかせぬものじゃなくて、大学の本質を考えるっていう風に考えたりしたのが面白かった。
そして和歌山は割とコロナを独自の方法で乗り越えた感がありましたよね。覚えてるかな。
なんか知事の会見なり保健所の人に。
安心して、もし罹患してしまっても安心してクリニックに行っていいんやっていう。
崩壊してなかったもんね。
だから大学に大阪から勤めに来てる人たちは、かかってしまったらどうしようってあったけど、
和歌山に住んで、和歌山大学に勤めてる人は、割と安心感があったっていう。
その乗り切れるんやなっていう、和歌山に対してすごく自信を持った時期でもあった。
でもその頃には、どっかではそろそろ映画の仕事に戻ろうかな?
全く思ってなかった。
まだ思ってない?
全然思ってない。
あれ、ぼんやりとはあるよ。いつかできたらいいけどな、みたいなのあるけど。
どこをきっかけで進んでいくんですか。
映画館を始めるまでの和歌山での経験
昨日国音楽祭っていうクラッシックコンサートをしてる方と出会って、
一流のものでないとあかんのやっていう志を和歌山で初めて聞いたっていうか。
東京でやってるのと似てるけど、これどうですか?みたいのではあかんのやっていう方に会って、
その方のもとで少しお手伝いをさせてもらって、全くうまくいかなかったっていう経験から。
その時にでもね、その一流のコンサートですっていうのを見に来てくれた人がどっさりいたんですよ、和歌山にね。
だから普段見かけないし、どこでこれを知ってくれたのかわからないけど、
和歌山にも本番音が見たいんやって人がこんなにいるんやなって感動して、
それはきっかけになったと思います。映画をやろうっていう。
映画をやろう。
映画館をやろうって思ったのは、たまたま音楽さえ続けられへんかって相談に行った県の補助金の窓口の方が、
音楽には出ないけれども映画の仕事をやってたんだったらそっちには出るかもよって進めてくれて、初めて。
そんなことできるん?って考えてたら、ここでやってしまったらいいんかなと思ったのがきっかけで、
203の部屋でここでやろうかなって思った。
あの場所はもともと何やったんですか?
あれはね、和歌山大学に勤めてる時に、これまで映画を見たり音楽を聞いたり、本を読んだりしてきた自分がなくなりそうやなって思ったんで、
自分を思い出すために今までの生活スタイルの文化的な刺激を受けるっていう時間と場所が必要やって借りてたんですよ。
10年くらい。
家に帰ったら日常になっちゃうけど、日常と職場の間に一旦フラットな自分になれる、
趣味の部屋みたいな。
そうです。
映画用ですか?
映画と音楽と、描き物とかもしてましたけど。
映画用だったら普通のアパートやったもんね。
別にスクリーンがあるとかじゃないからね。
スクリーンはあったんよ。スクリーンあったから貸してくれたんやけど、コースは映画の人やろって言って。
元からあのスクリーンだけがあったんですか?
そうそう。商店街が映画上映をあそこで試みたことがあって。
そもそもこの建物は何なんですか?
そこですよね。
60数年前に北村栗町商店街が世代交代して、和歌夫婦の住むとこないなってなったんですって。
その時にこの辺あんまりアパートとかなかったから、中心街で。
自分らで建てようかって建てた風呂なしアパートです。
もっともっとだそうです。
それで80年代以降はもう風呂なしアパートって携帯じゃないマンションが周りにいっぱいできたこともあって、もう使う人住む人がいなくて打ち捨てられてたのを。
とあるデザイナーが、あそこ使ってないんだったら一室貸してくださいって声かけて、全然使ってないから安くでいいよ、好きにリノベーションしていいよって始めたのがきっかけやって聞いてます。
だから皆さんもこの間ゲストに招かれてた前園さんとかは、その一室で和歌山を新刊させるフリーペーパー作ってたメンバーの一人やったと聞いてます。
そんなことしてたんですかね?
そう、後で見せますね。
ブラボーっていう名前で出してたの前園さんにぜひ聞いてほしいですけどね。
2000年以降ね、やっぱ景気が悪かったりいろんな理由でバブルのカルチャー文化を浴びた人が大量に和歌山に帰ってきてるみたいなんですよね、2000年頃って。
それで街角でそのブラボーを見て衝撃を受けてやる気出たって何人からも聞いてる。
あのブラボーは本当に街を変えたんやなと思います。
知らない文化の話。
私も全然知らそうって和歌山におらんかったからね。
そこ2000年。
2000年から、身を今ねでやったっていうのも驚きなんやけど、出たばっかりのMacを買ってこれどうやって使うみたいなところから、写真でどうやって撮るっていう人たちが放課後の活動みたいに集まってやったって。
その中からデザイナーとかライターとかがいっぱい出てるみたいやから。
全然知らない。
そうなんですよ。
面白い。
そういう誰がやってたのかわからん伝説のフリーペーパーブラボーっていう歴史があって、それもいいなと思って入居させてもらって。
その風呂なしアパートからそういうちょっとクリエイターというか人たちが集まる場所やった。
ここだからボートカフェも最初はここで始めたって聞いてます。
そうなんですね。
もういないけどね彼もね。
そうそう。
そんな有意識あるビルに一部屋をお借りすることになって、10年間ここで誰にも見つからない入口から一人上がってきて、非常に時間を楽しんでた感じですね。
そこを映画館にしよう。
しようって思いついて。
商店街がそんなのやったらいいやみたいな感じで背中も押してくれたし、現状復帰できませんけどって内緒工事をしたっていうきっかけですね。
それが2023年ですか。
ですね、はい。
5月ぐらいに思いついて5月にもう工事してたから、気仙ラジオで喋られてる皆さんみたいに準備期間とか立派に考えるあれはなかったんで。
もうその和歌山大学の仕事は退職したんですか。
仕事は退職してた、はい。終わってました。
すごいですね、他に仕事してなくても映画館一本でやろうみたいな。
もう排水の陣よね、他にもう私なんか雇ってくれるところないですし、もう自分で生きていくしかないんやろうなと思ってた。
いや、さっきこんなことになってしまいました。
それでいける見込みはあったんですか。
いや、いける見込みなんか今もないですけど。
でもまあね、まあ10年かなと思ってるんで、まあ無事に3年過ぎたならあと7年かなと思ってますけどね。
まあでも映画業界のすごい転換期が思ってたより早く来てしまってるんで、どうしようか考えなあかんかなってぼちぼち思ってるところですかね。
どういうことですか。
Cinema203の運営と203人の目標
えっとね、上映形態がブルーレディスクの生産終了が決定になったんで、
それでこの後こういうところで映画館やっていくっていうのはどういう形態が可能なんかなって。
私のテーマはもうただ一つで、お金をかけないっていうか固定費のいらない状態にしておかないといけないってことなんですよ。
なんで最小単位でやる、やりたいことがあるんであれば最小単位で始めるっていうのが鉄則かなと思ってて、
私の考えた最小単位は一人でやるってことだったんで、それで一人でやれる範囲でって考えて始めた。
それで映画館をやるにあたって一つだけ参考にしたところがあるとすれば、
2018年に住んでた東京大木窪で偶然知り合ったタイトルっていう本屋です。
タイトルはどういう本屋か島田さんから説明してもらえますか。
ざっくりとすごく有名な独立系書店、東京で独立系書店っていうとまずタイトルが出てくるだろうなっていう。
それどういう点を参考にしたんですか。
参考にしたというかね、衝撃を受けたんですよ、まずね。
フラッと入ったのね、北村口町の商店街みたいな作りの本屋が近所にあるなと思って。
で、壁にわーっと天井から下まで本棚がついてたかな。
眺めてもうおののいた。
もうね、とうの昔いなくなった90年代の青山福センターの棚やなと思って。
もうね、挑んでくるような棚なんですよ。
もうね、棚としか言いようないけど、こんな狭いところで、この部屋と同じくらいの広さじゃないかと思うんだけど。
びっくり、どんな人がこんな本屋をやってるんやって。
でね、強烈だったのは、近所の中学生も普通に立ち読みしてるんよ、表にあるような雑誌をね。
だけど、この棚すごいねっていう、もうびっくりした。
真ん中には三角山の両面に文庫本が並んでるんやけど、その文庫のセレクトにしても、ようここまで選んだねっていう並び。
すごい誰がやってるんやろうって。
でね、しかも立ち読みしてるっていうか、本を吟味してるときに、カウンターの気配が全くないんですよ。
これはほんまに本屋っていうものを熟知した人が作った場所やなって、本当に衝撃を受けて。
そうこうして通ってるうちに、彼が本を書いているっていうことに気がついて、なんか人から勧められて、このタイトル作った経緯をまとめたらって。
それをタイトルで買うのは恥ずかしいから、ちょっとアマゾンか他の書店で求めて。
で、知ったのは、彼はさっき話したセゾングループが作ったリブロっていう書店、全国チェーンの職員だったっていうことを分かって、地方でも支店長とか勤めてたっていう様を見て。
でね、その本にね、本屋をするのであれば、本にまつわる本格的な場所にしたいって書いてあったんですよ。
すごい、私はそういうの大好きやから、映画にまつわる本格的な体験って何やろうって考え始めて。
で、流通っていうものを理解している、それから品物が売れていく、どういう場所ではどういうものがどういう風に売れていくっていうことを熟知した人がやるのであれば、最小単位で成り立つんやなって思ったのを覚えてますね。
だから私は本屋はできないけど、この本屋一軒あったら和歌山買わるなって思ったのと、本屋は無理やけど映画館ならできたりして、なんでねって思ったのを覚えてる。
そういう体験があったんですね。
そうなんですよ。で、映画にまつわる本格的な体験って映画見ることやなとしか思わなかったんで、そこだけに私はちょっと試験力もなかったから、そこだけは何とかしようと思って、映画見る体験のところにしかお金かけられなかったっていうのがリマルさんのありさまですね。
映画見る体験っていうとどう?
多分ね、でもあそこで映画を見てもらったら、そこに映画にまつわる本格的な体験が多分あると思う。具体的なこともしありますかって聞かれるんであれば、スクリーンは見上げなければならないっていうこととか、映画の音が聞こえなければいけないとか。
映画の音?
うん。っていうのがやっぱりあると思うんですよ。
音響的に。
そう、音響的なこともあるし、でも音響が良ければいいってわけでもないんで。
はい。
トイレ行っていいですか、一緒に。
どうぞ。
行ってきてください。
今ちょっといいとこやったから、ちょっとトイレ止めたらいいかなとか。
すいません。そんな感じでやってるんですよ。
映画の音ってどういうことですか?
映画の音。
テレビ、家でテレビ見るのとは。
多分違うと思う。一回そこで見てくれたら、それを求めてる人には聞こえるかもしれないなと思いますね。
でかかったなっていう印象はありますね。
そうそう、音大きくはしてるんですよ。ちょっと大きすぎてるかもしれないけどね。大きければいいってわけじゃないんやけど、大きく聞かないとわからない映画もあるし。
なんかね、映画館の吉橋ってやっぱり画面が美しかったというより音の印象の方が大きいんですよ。意識できる人は少ないみたいなんですけど構造的に。
見てみたいものより耳で聞いたものの方が人に説明しづらいらしい、解説しづらいらしいんだけどね。
やっぱ音響良くないと映画見た感って出ないんで、あのスピーカーを買わせてもらえたのはすごいラッキーかな。
和歌山の人が作ってる手作りスピーカーです。
なんていうんですかね。
四角錐のね。
あれは誰が作ってるんですか。
あれはね、吉長さん、通称吉長さん、中西さんっていう方が手掛けているスピーカー、彼独自のスピーカーで、県内にも何か所かあのスピーカーを使っているお店があります。
私はまあ映画にぴったりかなと思って、あれを買わせてもらったけど、すごいこだわり派やから、いやこっちの方がもっと良い音になるでって聞き比べろってだいぶ言われたけどね。
今のやつが一番合うかなと思って。
ちゃんと終盤まで来ましたね。
いやもうすいません。
いやいや、え、けどCinema203オープンですね。
オープン?
大丈夫?
けどCinema203っていう名前は203号室やから。
あ、そうです。意味のない名前にしたかったんで、なんかね、ちょうどいいかなと思って、場所もわかるし。
他に候補はなかったの?
ない。商店街の人に相談したら、北浦シネマでええやんとかって言われたけど、それはどんなかなと思って。
それはイベント感すごいするな、北浦シネマは。
本当?わかりやすかったかもしれないけどね。
これ一本でやっていこうってなって、計画じゃないですけど、どうやったらやっていけるかなっていうのは。
それはでもね、結局県から補助金いただいた時に、向こう3年の予算表を作ってみって言われたんですよ。
で、それ実はクラシックコンサートのお手伝いしてた時に、私全然できなかったの。
何にいくらかかるとかわかってなかったから。
それと比べて映画館はね、今和歌山でやったらこの映画このぐらいやろうなっていうのが、すらすら3時間でできたみたいな感じやったんですよ。
それはこのレベルの映画をかけたら、これらの人数が来るだろうみたいな。
そうそう。一応ね、東京大阪の動員とかが追いかけてたんで、最近関西すごい減ってきてしまってるなって、その原因も考えたりしてたから。
シネマ203できた時に、203号室よりもその前に、洪水さんが次に203人観客が来たらやっていけるみたいなこと言ってなかった?
うん、言ってた。それもね、そうです。考えたんですよ。映画館、ミニシアター業界がどん底やなっていう時に、東京で1本あたりの映画何人ぐらい来てるなっていう時に、
東京23区の人口と和歌山市の人口で対比させて、和歌山に400人おるって会さん出たんですよ。
こういうミニシアターがあったら、そこで映画見たいと思ってそうな人。
で、その中から月に半分観に来てくれたら、このぐらいギリギリかなみたいな計算をしたんです。
それで、だから1本の映画を203人は観る人がいるっていう街にならないと、配給会社もめんどくさいから。
だってちょっと貸してね、3万円しか上がらんのやったら、もうめんどくさいじゃないですか、そんなとこやってもやらんでも。東京の1日分にも満たないですからね。
手間考えたらね。
だから最低でも203人はこういう映画見たいっていうお客さんが来てくれる小屋にならないと、配給会社に頼めないなと思ってたんで、
一応1本あたり203人観てくださいっていうのは目標の数値。
だから作品選ぶときも1個だけ基準があるとしたら、これは200人届くのか届かないのか、203人届くのか届かないのかっていうのを考えながらやってる感じです。
和歌山の映画文化と観客
なるほど、スタートしてみてどうでした?
夢のようですよ、夢のよう。
203人に届いてる。
届いてるのは出てきてる、おかげさまで。
最初にご衆議として上映させてもらった、秋香梨スマキのカレハっていう映画が、全国で1億儲かるような大ヒット作品やったんで、
それのおかげで早々に目標の数字は超えたんですけど、
何があっても映画館なんて認知されるのに3年かかるよとは脅されてたんで、配給会社の人から。
カレハはでかかったよね。
カレハはでかかった、あれがなければ大変だったと思いますけど。
あんなに見たい人多かっただろうからね。
それがあったら大阪行ってみようと思ってた人が、え、和歌山でやるの?ってなるもんね。
まあでもそれやったらね、配給会社からしたら大阪の客減ってしまうことになるから、
和歌山は和歌山で新しいお客さんを見つけて、今までの映画動員にプラス203しないと、存在意義はないと思ってらっしゃる。
大阪に行ってた人を奪っても、大阪にいるだけやからね、配給会社から見たら。
全体から見たら意味ないもんね。
そうなん、だから全体として増えることを、うちで貢献できるとは思わないけど、
その方法があるのかどうかを検討することはできると思ってるんですよ、ぐらいかな。
あと声を大にして言いたいことは、全国に、和歌山のお客さんはね、たぶん映画ファンとして最もいいお客さんやと思う。
それはね、ジストシネマのおかげっていうのがすごく大きいんですよ。
ジストシネマですか?
うん、ジストシネマできてもう22年くらいになるのかな、2004年にできてる。
ガーデンパークのところにあるんですか?
そうですそうです。あそこ、皆さんには普通のシネコンに見えてるかもしれないけれども、
帰ってきて驚いたんだけれども、今日散々話してきたミニシアターでかかってるような映画を、
開館当初から月に2本ずつ、今もかけてるっていう全国唯一のシネコンなんですよ。
特にちっちゃいシアターもあるから、客数50…
59やったかな?
しばさんもよく行くでしょ?
まあ、しば行くよ。
サロンシネマっていうレベル名でね、サロンシネマ枠に入ってるのは、
全国的にはミニシアターがある件は、そこでかかってた映画だったんです。
最近それも、ちょっと変わってきてはいるんだけれども、
和歌山はね、ミニシアターの作品かどうかって区別なしに、知らずに皆さんそれを見てきたっていうね、
私はすごくそれは、今となっては理想的な映画の見方じゃないかと思っていて、
その目の越えていて、深掘りしていって、埋もれてしまわない映画ファンがすごくたくさんいる地域として、
和歌山は本当に映画先進権やなと思ってます。
映画の未来を占うにあたり。
ジーストシネマはなんでそんなことやってたっていうか。
最初の担当者の方がミニシアター系の映画が好きやったとは聞きましたけどね。
なるほど。だから、やる人の意識の高さでやってるって。
いや、本当にね、あとやっぱお客さん信じてたんちゃうかな。和歌山にはこれ見たい人いるなっていうね。
実際、それなりに入るから続けてるわけですもんね、ある程度。
いやいや、実際、混んでますしね。
よくも悪くもないけど、本当はだってブラック・リーチョンの中だけで、再生期は5軒ぐらいあったんかな。
そう、もっとあったと思う。映画座もあったからね。
市内で10軒以上あったし、あそこが全部なくなってしまったから、路頭に迷ってる映画ファン自体も絶対おったしね。
もっとは映画ファンが少ない地域ではないはずだから。
そうそう。だって和歌山市自体がすごく大きな都市だったわけやもんね。
実は、無くなってしまいましたけど、ブラック・リーチョンから最後に無くなった地区画っていう小築系の劇場はね、最後は4スクリーンあったんですよ。
その当時はね、劇場って1巻1スクリーンだよね、ドーンと起きるのが。
なんでそうやったかっていうと、あそこを持ってた支配人が海外に視察に行った時に、これからはシネコンの時代やって言って。
ローカル個人シネコンを作っちゃってた。
もしかしたら地区画は日本初のシネコンです、日本でね。
そうかって、4スクリーンあってポスターもちゃんと貼ってあってね。
だから、私、ベルリン天使の歌は実は地区画で見たんですよ、寄生のタイミングでね。
だから、すごいですよ、和歌山はすごい。
別に超えたからかにっていうのかな、うちすごいんやでって言うでもなく、ごく自然のこととして、そんな高度な方法で映画を見てきた、すごい件なんですよ。
なるほど、その素地があって、最初はヒット作を上映したんで、最初から調子よくお客さんも来てくれてみたいな。
浮き沈みはあるとは思うんだけれども、お客さんなしに、本当にお客さんのおかげしかないと思います。
みんなに心配かけてるけど、よく思うんだけど、私は映画上映してますけど、和歌山の映画ファンからあそこの鍵預かってるって感覚でやってるのよ、本当に。
みなさんの場所やなと思ってて、だから今も毎月来てくれるような応援してくれてるお客さんが大変たくさんいるんで、来月この映画気に入ってくれるやろうかって思いながら、注意してるところはあるな。
すごい高度ですよ、みなさんね。流行っててもね、面白くない方許してくれへんからね。
今オープン間もなく3年ですけど、最初からずっと右肩上がりっていうか、どんどん良くなってきてって感じですか?
上がるまでがすごい早かったんですよ。
そうなんですね。
それの中、きっかけあったんですか?
うん、やっぱりカラハ。
その後、私、最初はね、喧嘩腰で始めてたから。
気分がね。
怖かったよ。
私はこの人とは関わりたくないと思ってた。
どういうことですか?
マジで。今やくらいは仲良くさせてもらってるけど、昔はほんまに喧嘩腰やったからね。
203始まる前に、こうちゃんさんがまだ話題で勤めてる時に、うちがゲート借りてミニシアター系の映画の上映イベントをやってたのよ。
2ヶ月に1回ぐらい。その時に香水さんは多分客で来たことある?
1回行った。
普通に香水さんを認識してなくて、いきなり本屋プラグ時代に店に来て、「どんなつもりで映画借りてるの?」みたいな。
ほんまに。
こうやって、いきなりよ。仲良くなってからとかじゃなくて、これどこの配給会社からいくらで借りてるの?みたいな。
すごいね。
それ、ただ単に彼は質問やったと思うよ。
質問なんやけどさ、いきなり来た。
すべてを掃除すると、「お前はここで何のつもりで映画というものを上映してるのか?」みたいな。
お前は自身に問うたことがあるのか?みたいなテンションで。
原理主義やからね。
その時のこと覚えてます?
覚えてなかった。
ガンガンガンガン来るな、この人みたいな。
普通やね。
普通?
普通です。業界的には普通です。
パワハラではない。
多分自分ができてないっていう苛立ちもあったんかな、その時はもしかしたらね。
嫉妬のような。
いやいやいや。
これはカランちゃダメな人だと思う。
映画には詳しそうだけど。
そんなに詳しくないよ、そしてあたしね。
ほらねって。
いやいやいや。
嫌味になるかな。
嫌味になる。
いやでもほんと、結構見てない映画があるんで。
2,3年ずっと言い続けてるけど、嫌味やからやめてほしい。
嫌味じゃない、あのね、教活。
私は映画見てないですけど、皆さん結構若者と見られてますもんねっていう。
そんな気持ちじゃない。
良くない?
いやいやでもね、映画見てるかどうかってどうでもいいじゃないですか。
たまたま入ってね、2時間ちょっと気分転換できたらすごく良くないですか。
そういうことをやろうかなと思ってたら来て、なんで描いてんのこの映画みたいな。
そう、脅してもらってたんか。そんなつもりはないんやけどね。
香水さん結構宣伝も気合い入ってるっていうか。
もちろん肩の力抜きたいですけど、どうしたらいいかな。
僕らみたいな小さい店にもパンフレットと視聴チケットみたいなのを送りつけてきて。
でもね、映画できてからはすごい大好きだし、大ファン一人生まれさんのありがたいと思ってるんやけど、
その右肩上がり云々とかじゃなくて、この3年間で一番変わったのは香水さんが丸くなったことよ。
いやもうだんだんね、力がないっていうこともあるんだよね。歳取りたくないっていうかね。
丸くなってきてるんですか?
丸くなってきてるっていうか、やっぱりお客さん来てくれて幸せを感じてるっていうのはあるからね。
なんていうかもう感謝の気持ちしかないですからね。
そんなところへ来てくれてね、そして一緒に戦ってくれてるわけやからね。
だから個人で戦ってたのが、劇場でお客さんと一緒に戦えるようになったっていうのもあるんですか?
戦ってる気はお客さんにはないかもしれないけれども、やっぱり教わることがすごく多いんですよ、お客さんからね。
分かった気になってたことを反省するというか。
やっぱりプロフェッショナルって観客席の方の人やと思うからね。
やっぱり本読む人でもそうじゃない?
なんかね、みかん買ってくれる人でも、服買ってくれる人でも、そのものの価値を上げてくれるのって、
それを消費してくれるっていう言い方になるのかわからんけど、
吸収されてる方がお目が高い状態でないと、物の価値ってどんどんなくなっていくわけですから、
皆さんの見る目を濁らせない努力。
だってもうそもそもお目が高い方々に支えてもらってるから。
お目が高い、むっちゃ怖いですけど。
お目が高いって言うのはいいんやけど、映画の楽しみを熟知されてるからね。
でも、香水さん、新丸さんが好きなのは、私も勝手に仲間やと思ってるけれども、
会場やからね。
友の会の会場でしたね。
香水さんとか新丸さんがいいのは、映画は手段じゃないよね、目的やから。
極端な話、和歌山を盛り上げるために映画館やってるわけじゃないし、
映画館ができて、みんなすごい人が集まるといいよねとかじゃなくて、
人が集まろうとかそんなん関係ないって、見たい奴だけ来いみたいな。
またこういう怪我押しになってるけど大丈夫?
あと単純に映画やったら何でもいいわけじゃないし、もちろん。
これやったらすごい人流行る、みんな好きそうな映画みたいなこともせえへんし、
例えば若い人集めて、みんなで学生さん集めて、
今若い人で人気ある映画みんなで決めて、みんなで仲良く見る会しようよみたいなことも多分しないだろうし。
芸術文化については独裁でしかやってはならないと思ってるんで。
今出てないとがりがあるのよ。
上映作品を選ぶ基準
このセレクトの基準とか上映作品を選ぶ基準ってどういう感じなんですか?
どうやら映画の方から選んでもらってる感じかなっていうけども。
でもほんと向こうからやってくるとしか言いようがないですよ。
他の場所のこと気にするっていうか。
それでね、瞑想したの。2年目あたりが特に。
東京のあたりとかをやっぱり見ちゃう。
東京は意識してもしょうがないっていうか、東京も頑張ってほしいなと思うんですけれど、
今新しい流れになろうとしてるから、いろいろ踏ん張ってほしいって心坂から思いますが、
地方の劇場にちょっと意識を持ってしまったんですよ。
割とブランクあったからね、映画の仕事に。
だからもう自分の中でこういうふうにしたらいいのにみたいな妄想が広がってて、
映画の世界の人とも全然話してなかったから、自分勝手に最初始めたんですよね。
だけど映画を上映させてくれる配給会社とかと付き合ってると、だんだん現状どうなってるのかを把握しだすでしょ。
そうなるとね、私がこうしたらいいやって思ってたことはやったらあかんことやなとか、
だんだん映画業界の現状に照らし合わせて、分かってなかったなってことが出てきて、
それでおもんぱくあるようになってしまったんですよ。
それとか、たくさんお客さんが来てたり話題になってる映画館はどうしてそうなってるのか、
自分もそうしたらいいのかって考える時期がすごい長くって、
それがやっと吹っ切れてきてるのが今ですかね。
じゃあ今は初期に戻ってるってことですか?
初期には戻らないけど、新しい風な考え方になってきてる。
自分の描けたい映画とか、描けるべき映画とかいうものがある中で、
例えば別に香水さん、自分はこの映画、今の時期描けあんでいいと思うけど、
でもなんかネームバリューで、向こうの東京ミニシアターとかやったらクッソ流行ってるしな、
これ描けるべきなんかな、描けないべきなんかなとかも全然あるやん。
あるある。
だから〇〇〇〇〇を描けなかったのはそれやん。
まあそうやね。
Pで、オリジナルPとか。
これ別に映画としてそんなに面白くないし、別に今文脈として描ける意味ないけど、
でもなんかポッと流行ったりする。
しかもリバイバルで。
とかこれは描けるべきなのかどうかみたいなのは、でもちょこちょこ考えてあるよね。
そう、やったほうがいいんかなって迷うは迷うんですけど。
でもやらんよね。
やらない。やれない。
やれるよ。
やれないんですよ。
そこの判断基準は。
判断基準はね、やっぱり10年後あるいは100年後に日本に映画業界が残ってるとして、
その時必要なのかなみたいな考え方はちょっとあります。
行き止まりの作品は買ってないみたいな感じ?
何やろう、まあ映画館で見てもらう必要があるんかなとか。
割とね印象に残ったのって、
袋詰めになった肉片がテレビで流れてきたことの方が印象に残るように。
割と映画館の体験を知っていれば、スマホで見ようがいいもんはいいと思うんですよ。
完全な形でなかったとしてもね。
だからあんまり私劇場市場主義でもないんで。
だけれども、今度11月に上映するカールドライヤーの、最上映になるんですけどうちでは、
カールドライヤーの裁かれるジャンルなんかは、見たことがないんであれば是非とも劇場に駆けつけてほしい一本ではあるんですよ。
100%スマホで見る映画じゃないし。
そうね、見てしまったことを後悔すると思う。あんなすごいものをね。
で、スマホで見てもすごいのよ。
すごいものっていうのはそういうものなんですよ。
それはやっぱり最上の形で見たほうがいいし、とは思いますね。
なんか判断基準は何なんですかね。
その、ほんまにええもんみたいな感じなんですか?
そうそう、本当にいいものと、あと未来の映画が参考にするものというんですかね。
あるんですよ。私よくわかってないけど、自分が生きてきた限りでは、
アッバス・キアロスタミっていうイランの監督の映画が初めて登場した時だとか、
もっと広い層に知られている話で言うと、
クエント・ディン・タラティーノっていう監督がブームになった時とか、
文化はちょっと違うけども、そのもうちょっと前だとダイハードができた時とか、
この映画一本できたことによって、
無効10年の映画作りが全世界的に変わるみたいな節目ってあるんですよね。
そういうものにつながっているものを上映すると、
入り口としてはわかりやすいかなっていう気持ちはあると思います。
わかりにくい説明にならんかったね、会長出番やけど。
それはそんなもんなんじゃない?
未来につながる作品って言ってしまえばそれまでやけど、
見る人の未来にもつながるかもしれないし、
作品としては後々これが参考にされるだろうし、
新しい調理を作っていくよねみたいな。
あとはその時代を映してるってことも大事だけど。
時代を映してる作品こそ映画館で見るのがいいよね。
経験として覚えるしね、体験としてね、
あの映画館でこの映画をあの時代に見たらみたいな。
それは絶対覚えてるね。
逆につまらん映画は描けたくない?
つまらん映画も本当はあった方がいいと思うんですよ。
時間無駄に背負うのも含めて。
そう、それもすごく貴重な体験やからね。
全然勘違いないけどさ、
一番映画館のエンディングでかっこいいなと思ったのが、
パレスシネマ。
パレスシネマじゃなかったっけ?
若山駅のとこにあった。
ニューパレス?
ニューパレス、ニューパレス。
ニューパレスって映画館が閉まる時に、
普通映画館閉まる時って、
これまで一番お客さん入った映画とか、
みんなすごい好きな映画とか、
最後にふさわしい、ラストソングにぴったりの、
感動する映画とか入れるじゃん。
ニューパレスの知ってる?最後の映画。
うん、聞いたよ。
スティーブン・セガールの電撃なんよ。
ウルトラビーキングアクション映画ね。
でもそれは、ニューパレスはそういう映画館やったから、
暇つぶしで、1時間半適当なアクション見て、
適当に過ごして、
人生の中では何も覚えてないけど、
楽しかったね、今週も面白かったじゃん、
ぐらいの言い方あるんだけど、
そういう映画があった映画館が最後に勝てたのが、
本当にセガールの中では代表作でも何でもない、
普通の。
通常運転だったね。
通常運転だった。
最後にBQAが勝てて終わったっていうのは、
これかっこいいなと思ったよ。
いろいろ事情はあったのかもしれませんけどね。
ニューパレスはタイタニックワーカンまで上映した映画館やったから、
あれなんでニューパレスやった?
本当にわからないよね。
地区映画でも帝国座伝も、
ブラックレッジの映画館じゃなくて、
ニューパレスでタイタニックやってて、
あの時は行列が本当に隣のパチンコ館にずっと並んでたっていう。
あれはだってFOXのボーナス記録出てたからね、
24ヶ月やったかな、忘れたけど、
札束たったっていう話があるね。
でもあれです、
映画館の将来とライバル
私も一人でできるのって限界あるなと思ってるから、
もしかしたらそっちの2時間楽しいねっていう劇場があったらいいのになと思うし、
それジストにはあると思うから、
行き来してもらえるような、選択できるっていうのが欲しい。
ジストとイオンがあるのはデカいもんね、そっちでかかるしね。
なんかちょっと住み分けじゃないけれども、
両方行くと思うしね、映画好きな方はね。
だって100%ジストのお客さんやから、
うち来てくれるのはほぼね、だと思います。
なんでやっぱり何かやろうと思ったら、
何人かそれをしてる人がいないと成長していくことないなとは思うんで、
最近はそれがもしかしたら映画館ではないのかもしれないって思ってる。
どれ?
一緒に切磋琢磨して上がっていくっていう、
映画業界だけじゃなくて?
映画だけじゃないものと一緒に上がっていくって機会があるのかもしれないっていうのは思ってるかな。
上がっていくっていうのは?
やっぱりね、同じような志で何人かが同じことに重視してないと。
戦っていくって言い換えたらいい?
そう、それも含めてね。
向上するってことはないと思うんですよ。
文化レベルを上げたいっていうことも言葉にすると陳腐やけど。
なんていうかもうちょっとうまくやれる方法とかも、
多分スポーツも一緒だと思うんですけど、
仕事の上でね、最も大事なものは同士ではなくライバルなんで。
ライバル見つけるまでその仕事はやらないと面白さはないですよね。
結局仲間って自分のことなんか分かってないからね。
だけどライバルは私のこと熟知してるんで。
逆もやけど、それが出来上がらないと仕事の腕って上がっていかないですよね。
そうなんですよ。ライバルはとても大事で。
ライバルが見つかるっていうのはラッキーなことですよね。
ちなみに今ライバルは?
今はちょっと見失ってるかな。
でも勝手にこっちが。
私を戦えるものを待ってるよっていう感じはね。
でもライバルというか、彼と競り合いたいなと思ってたのは、
今オデュッセイヤーの栄養をしてる人ですから。
ハイキューか、ハイキュー。
ハイキューのね、そうそう。
あの人とは、1段階シネコン時代に突入する時に、
多分同じことを考えてたなって懐かしく思い出します。
ライバル求むみたいな状態ですね。
島田さんは違うんですか?
私は友の会やからね。
友と言っちゃってるからね。
でもライバルを巡り合おうと思ったら、自分も力つけないと巡り合えないですからね。
とか言う。
割とだから会長は、先ほど友の会会長は、
栄養が目的やって言ってくれたけど、
多分私栄養は本当に手段ですよ。
なんか最近、特に40代になってからは、
私が教わった仕事ってやっぱり技術やから、
技術を誰かに伝えるまでは死ねないと思っていて、
そういうことっていうのは一対一の口伝いでしか伝えられないんですよ。
ですから弟子求む?入れとく?
いや、弟子というか、
ついてこれるのが。
大抵は和歌山大学の学生たちが引き受けてくれたんで、
大元は伝え終わっててよかったなとは思ってるんですけれども、
今は私は実現するチャンスがなかったというか、実力がなかったけれども、
次にこういう仕事に挑めるすごい人が出てきた時に、
あの時代でなければわからなかったことを伝えて死にたいと思ってるんで、
そろそろ急いでる。
継承先を?
継承先?継承先というかね。
だって必要な仕事って時代とともに変わっていくじゃないですか。
だけどその仕事がなぜ良かったのかっていうことさえわかっていたら、
自分の時代が来た時にそれを活かせると思うんですよ。
仕事って何でも同じだと思うし、
そこをね、私は伝えてもらったのに、それをあんまり実践する時間がなかったから、
でも本当に尊い経験だったと思うんで、
そういうことは本当にその場で口伝え、あるいは言ったことでしか学んでないから、
大切な仕事と、
あと仕事がこんなに楽しいんだってことを、
今あるものの中から選ぼうとしている若い人に本当に伝えたい。
仕事っていうのは本当に命を懸ける価値があります。
今無職なんでね、心に刻んでおきます。
Cinema203の今後と文化の記録
映画っていう手段を通して、そういうことも伝えていきたいっていう感じなんですか?
伝えていきたいって言うと拝ましいけどね、
なんか受け取ったところでここで止まってるやつがあるから、
ちょっと渡したいなみたいな感じかな。
今後、Cinema20さんはどうしていく感じなんですか?
Cinema2030に行く。
何の単位が変わったらそんなことになるのかわからないけど。
どうしていったらいいのかなっていうのは、ちょっとお客さんと相談しながら考えていこうかな。
Cinemaコンプレックス2030になるかもしれない。
ここの全部。
全部のタブラテル会館の部屋が。
そんなとこで映画見たくないと思う。
映画虎の穴みたいになってるみたいな。
2階に行ったらわかりやすい映画見れるけど、3階に行ったらもうストーリーなくなるみたいな。
遅い入れ替えで上手になるでしょ。
そうね、どうなるのがいいんでしょうね。
まあでも、唯一私が夢があるとしたら、びっくりするような新しい映画見たいですね。
それは映画館からしか生まれないと思うんで、やっぱりお客さんがね、例えばこういう映画が好きっていう並がないとお金も集まらないだろうし。
まだ信じてる?そういう映画ができるっていうのは。
できると思うね。できてきてると思うね、そして。
今年に関してはないですけど、それはどういうとこで起きてるのかっていうと、映画のことだけ考えてるんじゃない人が作ってるからだと思いますね。
どういうことでしょう。
どうやろう、本だけ読んできたっていう人が面白い本書くことってありますか、本屋さん。
ヌーベルバーグの事例がありますんで、映画に関して言うと。
ヌーベルバーグの事例。
映画だけ見てきた人たちが新しい映画を作ってしまったという事例が現にありますので。
そうか、そういうふうに思いますかね。
でも言ってることはわかる。
もう今は映画自体がちょっとうちにうちになってる中で、みんな限界わかっちゃってるし、その中でじゃあどうやって作ろうみたいになったら閉じこもった映画しかできないけど、
一切何もわかってない人が、業界のルールとか常識を無視して、え、こんなんでもこれも映画になるんじゃないみたいなので、奇跡的に撮れちゃったみたいなのも出てくるかもしれないし。
今のところそういう事例はない感じなんですか。
各時代、各時代にあると思う。
次はどんな人が出てくるんだろうみたいな。
それは映画業界の外からくるんじゃないかみたいな。
そうね。
まあ、新しいものを見たいでしょう、だってね。
でも、新しいものを新しいと分かるためには古いものを見てなかったら仕方がないっていうところがある。
そのために、自分のために上映してるかもしれないですね。
すごく自分勝手かもしれないですね、私がね。
じゃあ具体的にシネマ20さんこうしていきたいみたいなのは特に。
もうちょっときちんとしたいとは思いますけど、一回一回きちんと上映したい。
その人にとっては一回だけしか映画見ないかもしれないでしょう。
その時にやっぱり音が小さすぎたとか、さっきみたいにちょっと音を大きく感じたみたいなことは、本当はない方がいいと思うし。
だから一回一回ちゃんとやりたいし、もっと快適に映画を見るために工夫もしたいと思うんやけど、
ちょっと最近体力が残ってないことが多くて、仕事が立つだなっていうのが悩みなんで。
だからちょっと回数を減らしたりして、きちんと準備する方がいいんじゃないかって思っています。
今ってどんな感じになってるんですか?
今ですか、今ちょっと朝から晩まで上映して、週一休みを入れたんだけれども、
それはちょっと私が時間表を組むっていう作業がすごく下手で、なかなか上手くならないんで、
誰か知恵者に助けてもらえないかなっていうのと、
ホームページをこういうふうに書いたいっていうのがあるんだけれども、そういうの手伝ってくれる人いないかなとか、
あるいは映画の映写だけとか掃除だけとか頼むようにした方がいいのかとか、
考えてる時間にやったら済むようなことで時間を使ってます。
今ね。
なんかでも映画館って毎日空いてて欲しいじゃないですか。
起きたときふと思いついていこうかなって思うから、
そういうもんなんですね。
ちょっとでも締めたらあかんって思ってるんで、
そしたら一人って無理な年齢になってきてるなっていうのが悩みかな。
同年代から比べたら割とタフやと思うんですけど。
今夜もそうよね。ほんま今夜もね。
365日空いてるのが一番いいからね。
思うよね。
常にそこに行けばあるっていうのが大事。
そうね。
でも自分のお気に入りの、例えばコーヒーの店とか本屋とかに提供日があってもね、
今日あの店閉まってるなと思うこともあるけど、
今日私が行かなくても、あの店今日開いてるなと思うだけでいい気分やなっていうのを最近は思ってるんで、
そういうこともあるかもしれないですよね。
100人に映画好きですかって聞いたら、99人好きですって言うと思うんですよ。
一人例外だと思うんですけど。
しらいさん映画は好きですか?
好きですね。
ね、なるよね。だから。
上田さん映画はお好きですか?
映画、今は普通です。
でも映画怖いわ、それ逆にレアケースですごい良いよね。
それはそれで。
そうかもね。
映画に影響を受けてますか?って言うと受けてるもん。
まあでも映画の方もお客さんから影響を受けるからね、
和歌山との関係もそれは一緒かなと思います。
和歌山からすごく影響を受けてて、
気仙ラジオはそれ一つかもしれない。
こんな人がいるんやって。
いや、こんな人おるんや。
私はちょっとそれと比べたら、またちょっと駆け出し。
駆け出しすぎて。
確かに業界は長いんよ。
だけど劇場の仕事って本当に3年目やから、
こんなに大変やったかって本当にびっくりしてるんで。
けどさっきちらっと10年みたいなこと言ってたんですけど。
映画?
映画館やるとき?
はい。
それは?
もうあと7年で締めちゃう可能性もあるんですか?
10年はやれるかなみたいな感じでやってたんで。
自分の寿命と、
それからこんなスタイルで映画上映見てもらえる人がいるんかっていう。
10年かな。
だんだんそういうわけにはいかなくなっていくのも。
どっちがいいんだろうね。
人を入れてこの形態を続けるのか、
それから10年後は伝説の仙人みたいな映画館になって、
1日1本だけ最高の環境で、
1930年代のモノクロ映画だけが1年1上映で流れてくるみたいな。
それはでも考え方ですよね。
その辺の将来どうしようかなっていうのはまだ決めてはないって感じなんですかね。
全然決められない。
もう日々の業務で精一杯って感じかな今はね。
会場に決めてもらってもいいかもしれないですね。
友の会も簡易と話し合いながら、
今後どうすべていくべきかっていうのはね。
ありがとうございます。
すいません、でももうほんまにごめんなさい。
いやいやいや面白かったです。
いやいやごめんなさい。
島田さんなんか聞き逃したこととかないですか。
友の会として何かしていくべきこととかありますか。
友の会。
友の会、そうね。
これまで通り悩み事を聞いてほしいのと
上映作品の相談させてほしいっていうことですね。
それはもう友の会なんで。
お願いします。
ありがとうございます。
すいません、疲れさせて。
そしてですね、毎回ゲストの方にお伺いしてるんですけども、
香水さんが今和歌山で気になってる人とか、
この人の話を聞いてみたいなって人とかっていますか。
いないよね。
いなかった。
いろいろ考えてるんですけどね。
言いませんっていうのはないよね。
友の会から言っていい?
友の会的に香水さんと対談じゃないけども、
地鮮ラジオ的にも本気で残しておくべきなのは、
さっきチラッと話に出た、
ちくえの映写ディスさんよね。
あ、支配人?
支配人、元支配人。
またご存命やから。
が和歌山のガチの映画史の一商人っていう。
その方と交流は?
あります。
毎回大変お世話になってます。
それ聞いて。
最初ね、私ここを始めようってなった時に、
挨拶に行った先が2カ所かな。
本屋プラグと、
ちくえと、
ジストシネマにも挨拶に行きましたけど、
という感じでね。
どんな人なんですか?
私は直接面識がない。
島さんは、
最後を支配にしてた方なんで。
今はいくつ?
福生さん、歳聞いたことないな。
80は言ってない?
いや、言ってないと思いますね。
70は?
声って、
どうやら聞いたことないな。
考えたことがなかったけど。
これは友の会から、
若い者の話としてこういうのもいいんじゃないかと。
アーカイブとして話をちゃんと聞いておきたいですね。
私こそ、まとめないといけないなと思ってるんですけどね。
若いまの人たちって、
あんまりアーカイブを残すっていう意識が少ないねって、
外部の方から指摘されます。
そうですね。
島田さんとちょっと喋ったかもしれないんですけど、
僕らの中高時代の、
このブラクリ町周辺のお店情報とか、
そういうのも断片的な、
みんなの話しか残ってないんですけど。
記憶違いと食い違いも絶対あるもんね。
本当はそうじゃなかったとか。
そしてどんどん失われていくっていう。
この世代の方が、
これからどうしていくんかなってことは、
すごく興味があって。
問われてる?
うん、すごく考えてる。
今40代周辺の皆さんが、
それについては質問するというよりも、
何か課題を提案して、
それに取り組んでもらいたいっていうような気持ちがありますね。
今ちょっと軍曹にやってたね。
軍曹からの命令が。
今の飲んでんだらりとやってますけれども、
僕たちはこれどんな意義があるんですかって。
若山に何を残せるんですか?
いや、若山に何も残さなくてもよくて、
誰にも何も残さなくていいけど、
自分の人生が充実することに役立てたらいいと思いますけど、
人のためにとかいうより。
まあ、なんていうか、40代ぐらいって、
今寿命が長いから、
まだ昔の25歳ぐらいだと思うんですけども。
もう怖い。これ以上聞いたら怖いだろ。
これは俺、友の会話はここで止めます。
センラジオはもうちょっと聞きたいです。
なんかね、そろそろね、
自分のこの時どうやったって話を聞かせて欲しいなって思います。
私たちが知らなかった。
それはどこ?チセンラジオじゃん。
いやでも、わりと誰かに聞きに行ってる。
お前たちは聞くだけでいいのかと。
そこに。
なんかその、50歳を超えてきたぐらいからでないと、
私も感じられなかったんやけど、
自分と同世代の人がどうしてるかっていうことがすごく重要になってくるんですよ。
40代はちょっと早いんかなと思いながら、
チセンラジオも聞いてるんですけど、
そろそろ誰かから影響を受けたというより、
自分たちが過ごしてきた時代の中の、
ムーブメントがあった瞬間のこととかね。
そこがなかったって言われたら困るんやけど、
そんなはずはないから。
でしょ?
それちょこちょこ話してるもんね、たぶんね。
たとめてはないけれども、
自然とたぶん出てくるもんね、絶対にそれは。
時代っていう言葉は、
和歌山大学の哲学先生から言われたけど、
そこを現在進行形では言えない
故障やって言ってた。
その時代が過ぎてから振り返ってないと、
この時代って言えないって言ってたから、
私もう2000年代以降のことが全然わからないんで、
実際何も体感できなかったから働いてたけどね、
2000年代どうなってたのかなっていうのを知りたいなって。
みなさんがこの雑誌面白かったとか言ってるのって、
もう私もうすかすかになると思ってた時代の雑誌あったりするから。
この辺では聞きたいとか言いながら、聞きたいとは言うけれども。
僕らもカルチャーの絞りカスで。
いやいや、だからね、
それが私が見逃してたことがあったんやったら、
何がかっこよかったかっていうのを教えたいし。
私は何も知らないし、全然タッチもできないけど、
ありますかって言ったら、私の知らない何かがありますか?
なんかね、これでもう無可能性になったんよねっていうところをね、
聞いてみたら、私ももうちょっと長生きできるかなと思って。
そうなんですよ。
いや、若い子たち本当にすごかったからね、赤間大工の時ね。
こんな人差しだけでそんなに出てきますか?みたいな感じに。
やっぱりある時からすごいなったのが面白かったんで。
何もなかったわけじゃないやんっていうね、18年間にね。
なんか整理されずに奥の方溜まってたみたいなことがいっぱいあったんで。
出てくる日が楽しみやなっていうのが、今私老後の楽しみです。
はい、ありがとうございます。
あ、そして最後に香水さんから告知などございますか?
これ、いつやったかな?
これがね、スッと…
来週?再来週?
再来週…
けど、なんかこのイベントとかこの映画の告知は、冒頭にちょっと別で撮ってつけようかなと思うんで、
Cinema20さんの営業時間とか、この秋のおすすめ情報、上映情報など。
やばい。
あ、でもこのままにいつになる?
これが…ちょっと待ってくださいね。
このタイミングというか、たぶん3回ぐらいになりますよね。
あ、ごめん。いやいや、ごめん、喋りすぎたわ。
9月16、23、30とかになりそうですね。
で、その9月16の初回で、このフォートレイルズとかの告知をちょっとナレーション的に。
ありがとうございます。
後ほど白石君に入れてもらおうかなと思って。
ありがとうございます。
19、20に北浦商店街と和歌山城で奇襲奇襲映画祭があるんですよ。
はい。
今年は初めて本町文化ドームはその会場になるという。
9月の19、20。
じゃあその情報も冒頭につけてもらって。
なんかこのタイミングで言うんであれば、10月以降みたいなのがいいのかなと。
10月何か仕事さんありますか?
一番ないよ。
ないの?
10月上映作品。
えっと、4年目に入りますっていうことぐらいかな。
そうですね。
4年目何かあるんですか?
4年目は考えてなかったな。
シネマ20さんの。
料金値上げしますとかそういうの。
する?
しないけど。
映画館は変わらずやってるから、何ならみんなに来て欲しい方よね。
本当に来たことない人にも。
シネマ20さんの営業時間、営業日などって感じですかね。
営業時間と変に言うと違う。
上映時間が違うから。
情報はどちらでチェックする?
そこがね、でもそれが言えないのが、人集まらない理由ないの。
ホームページで毎日の上映時間、作品情報等はチェックしていただきますので。
シネマ20さんで検索していただけるとスケジュールも載ってます。
ありがとう。
そうね、4年目どうするかな。
普通はどういうこと皆さん?
近くのイベントとか。
そう、近くのイベントとかその営業日、営業時間とか。
そうか。
その各種情報はホームページ、SNSなどチェックでということで。
しまった、更新できてない。
ありがとうございます。
見に来たら香水さんと喋れたりはするんですか?
喋らんほうがいいと思ってるんですけどね。
喋れます。
怖がらずにちょっと。
喋れます。
気になる人は喋りかけて。
上映後など。
喋ってください。
映画館では怖くないです。
では最後に白石くんから事務連絡よろしくお願いします。
はい、キセンラジオはスポティファイやアップルポッドキャストなど各種音声配信サービスで配信しています。
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この人の話を聞いてみたいというリクエストや番組改善のためのフィードバックもご集中です。
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こちらもぜひチェックしてみてください。
というわけで本日はシネマ203の香水さんにご出演いただきました。
ありがとうございました。
01:32:03

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